PART1

 

2004年1月17日から2月8日まで渋谷パルコで行われたビックリハウス祭。

そのレポートに先がけて、君たちの日記を借用させてもらいました。(許可済み)

別ページで写真をアップしました↓覗いていってください。

住宅展示場 * 30日クラブクアトロ * 和民の2次会 * 31日クラブクアトロ

 

ビックリハウス住宅展示場

2004年1月16日 オープニングパーティ  記:鮫肌文殊

パルコパート3へ。今夜は「ビックリハウス住宅展示場」のレセプション・パーティー。創刊30周年の元祖サブカル雑誌(笑)ビックリハウスのイベントの一環。ビックリにちなんだ、今やそーそーたるメンツが、課題のダンボールハウスに思い思いのデザインを施し、それを2月8日まで展示しておる。
しかも1ッ3万円で入札&売却するのだ。ものすごいメンバーのすばらしいデザインの中、スミっこの方でワシの作品(な〜んも考えんと筆で書き殴った小学生以下の出来)が居心地悪そーに佇んでました・・・・。サイゴまで売れ残ったら泣くな、コレ。
いきなり高橋章子さんに見つかり「来たのか、サメハダ!」
握手求められ、やるなり「お前の手、あったかいなー!そうか、心が冷たいからかあッ!!」
えー、アッコさんでなかったら殴ってるとこですが、こういう物言いが許され、しかもキャラになってるのがスゴイ。
20年ぶりに再会する、元ビックリハウス編集者の皆サンがお子さんゾロゾロ連れてたり。同窓会気分、満点。
でも当時18才だったワシは38になり、20代前半だった編集の皆サンが40代なのだなァ。普段、このシゴトしててそういう歴史を重ねることを自覚するのあえて無視してるとこあるので、しみじみする。
で、パーティーも終わり2次会はパルコ近くの「和民」へ。
女性編集者の方が、2次会へは参加せずの帰り際にサエキけんぞうサンに「サメちゃんを託します」と言って帰ってったのが印象的。ワシ、もう38やから1人でできるっちゅーねん。でも彼女の中じゃワシは、18の時に兵庫の片田舎からツメエリ着て上京、ビックリ編集部に遊びに来た紅顔の鼻たれ少年のまんまなんだなァ・・・・。
そこから、禁酒してて一滴も口にしてなかったのだが「乾杯のビールくらいいいか」とチョロッとアルコールをすすったのが運のツキ。もとの木阿弥。短い禁酒やったなァ。
結局、3次会、朝までつきあう。あーあ。
高橋アッコさんに「家で飲み直そう」と誘われたり、萩原朔美さんが4回ケッコンして、今58才なのに4才の子供がいる話きいたり、サエキけんぞうの生歌聴いたり、ゲイのデザイナーが、かとうけんそうくどくとこ延々見てたり、CXアナの阿部知代さん(なんと、元ハウサー!)に「サメちゃんに会えるなんて!」と感激されたり、エロ短歌の川上さんをマジにくどいたり、窪田僚さんを介抱したり、日比野克彦さんに「今のTVはだからダメなんだ!」と説教されたり、酔いつぶれる榎本了壱さんを介抱したり、あがた森魚さんに挨拶したり、カオルコのキレイさに見とれたり、峰岸達さんと河村要助さんはお描きになるイラストと顔がそっくりだなァと感心したり、蜷川有紀はそこに居るだけで女優のオーラが出てるなァとその色香にジンときたり、なんか濃い濃い方々に囲まれてクラクラしもうした。 (以上大陰嚢でごめんねより抜粋)

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2004年1月×日「ビックリハウス住宅展」 記:藤井良彦

パルコギャラリー 渋谷日本の「熱い時代」がひとしきり過ぎ去り、ちょっとクールで醒めた視点がスタイリッシュに感じられた70年代半ばから80年代半ば。「ビックリハウス」は、その時代における、ある種の都会派の若者の、文化だったり、オピニオンだったりを代表し、「一部」で一世を風靡していた雑誌である。今年が1974年の創刊から30周年にあたることを記念して、「ビックリハウス的なるもの」を21世紀に降臨させようというイベントが、この「ビックリハウス祭」である。展示は、いろいろなカタチでビックリハウスに縁のある人々が、誌名になぞらえ、25センチ角の「ボール紙の家」を表現した「ビックリハウス住宅展」を中心に、ビックリハウス本誌をはじめとする出版物や関連イベントのポスターの展示により構成され、そこに、忽然と現代によみがえったビックリハウスの「幽霊」第131号が鎮座ましましているという寸法。
ビックリハウスが「現役」だった時代は、ぼくにとっては、ちょうど10代の終わりから20代に当たる。それは、多感な時代のほとんどとオーバーラップしていることになる。おまけにその当時(いまでもエリア的には抜け出ていないが)、ぼくはリアルタイムで「渋谷少年」だった。そんなワケで、このイベントはなかなかディープなものがある。それだけでなく、編集スタッフには、同窓生がいたり、その後仕事で知己を得たりしたヒトもいたりするワケで、ここまでくると個人的にはなかなか冷静には見られないイベントだ(笑)。
だが、20年近い年月を経て俯瞰してはじめて気付くこともある。それは、登場してくる人達が、あまりに幅広いことである。十余年の間には、いろいろな世代の人々が関わっており、その拡がりは相当なものがある。創刊当時すでにエスタブリッシュされていて「by line」で登場していた人達と、アルバイト的なスタッフだった人達の差。初期に活躍したヒトと、末期に活躍したヒトの差。そこには驚くほどの世代差があると同時に、「ビックリハウス的なモノ」とぼくらが思うものについての相当な体温差があったことに改めて気付く。
これはある種の世代論ともつながる。よく引き合いに出すが、当時封切られた「ウッドストック」を見たぼくらは、登場するミュージシャンのルーツや指向性の違いまで理解できず、ひたすら「スゴい」としかとらえられなかった。それと同じで、当時はここに登場する人達を十把一絡げにとらえてしまい、リアルタイムでその体温差に気付けなかった。それは、我々の限界であり、その後の時代に対する罪なのかもしれない。これに関しては稿を改めて述べてみたい。
しかし、会場を出て、改めて歩きながら渋谷の街を見てみると、ビックリハウスの「享年」だった85年にはすでにあったビルや店が意外なほど多いことに改めて気付く。バブル期に徒花のように生まれた店は、そのまま消えてしまったモノも多いが、その前からの歴史を持つモノはなかなかしぶといのである。言ってみれば、70年代から80年代にかけての変化は、戦略・構造的なものであったのに対して、それ以降の変化は、結局は、戦術・意匠的なものでしかなかったということだろう。それだけに、自分達がその時点で何をしたか、もう一度考え直す義務を感じた。
(以上 boogie's Homepage より抜粋)

 

ビックリハウス大パーティ

2004年1月30日 クアトロ第1夜  記:鮫肌文殊

渋谷クラブクアトロの「ビックリハウス祭」へ。今夜は第一夜「ビックリハウス大パーティ〜エーッ!30年?ヤバクナイ?」。ほぼ満員。あと、こんなに年齢層の高いクアトロ見たの、初めて。30代後半から40代のビックリ世代中心。
イノリンさんをはじめ、元編集部の方々も多々。再会を祝う!
「ぼったくりのキャバレーって言われました」というチャイナドレス姿の高橋章子さん、ロマンスグレーの鈴木慶一さんの挨拶でスタート。パルコ創設の会長さんの長すぎながら味のあるスピーチ、初代編集長・萩原朔美さんのバツ4話に笑いが。クアトロの場所がわからずセンター街をウロウロして人にききまくってたアッコさんのバクロ話をしてドッカンうけてたパール兄弟(!!)のライヴ。秋山羊子さんのなごみ系ソング、70年代にレイドバックしていくセロファン、内田春菊さんのケバケバ・ロッケーンロール(ダイスをころがせ!)、山口小夜子さんの「パフォーマンス」(寺山修司の詩の朗読)、その合い間、合い間に、桑原茂一さん・浅葉克己さん・高見恭子さん・阿部知代アナなどなど、ビックリゆかりの方々のトーク。
途中、司会が日比野克彦&榎本了壱にチェンジ。榎本さんのオヤジギャグに凍りつく客席。それを再び熱くあおる日比野!
そして、トリはムーンライダーズ!!メンバーのほとんどが白髪で、50代!!(ドント・トラスト・フィフティーズ!?)そのロマンスグレーな佇まいが鬼気迫る。で、音はマジのライダーズサウンド(当たり前だけど)あがた森魚さんが乱入、「赤色エレジー」でクアトロを一気に70年代にタイムスリップさせて。(ナマエレジーに感動)4時間に及ぶ、ステージに幕。
2次会は、近所の「和民」。(えー、山口小夜子さんが和民でポテトフライつまみながら、焼酎のんでるの見て「あー、今日来てよかったな」と思いました!!)
ワシ、乱れ飲みしつつ、今日出演した方々と話しまくり。フラフラ。夜中の3時に、散会。「明日もあるからね!」と。そう、土曜日は第2夜。パンク度120%アップなメンツで (明日分の日記へつづく・・・・) 
(以上大陰嚢でごめんねより抜粋) 

画像はこちら とこちら


2004年1月30日 クアトロ第1夜  記:森脇広平

「ビックリハウス大パーティ」の一日目に行きました。天才美少年(当時)のかわいさをふりまいてきた。
会った人「いや、でかくて恐かったけどな」
会場は渋谷のクラブクアトロ。普段なら私が足を踏み入れちゃいけないようなオシャレタウンのオシャレスポットです。まあ渋谷全体で見れば、ザッパラスがあった頃しょっちゅう行ってたわけですが。
もちろん私、行ったこともなく
「クアトロってシャア?」
「え? クアトロはクアトロですよ?」
「……きゃすばる?」
「だからクアトロですよ」
こんな感じでした。
到着は開演直前の19時。すでにほぼ満員でしたので、とりあえず壁際に。私が前の方行くと、後ろの人が可哀想ですし。
で、概略ですが、まずは上のリンク先でお読み下さい。そこに書いてない人は、まずパール兄弟ですか。一番手で(贅沢な出し方だなあ)まだ場が温まってないせいか、観客の合いの手がやや疎らでした。
トークのみのゲストは高見恭子・安西水丸・秋山祐徳太子…あ、とりあえず会場内で購入した『ビックリハウス131号』で目に入った名前から挙げてますけど、多いんだこれが。
ハウサー(ビックリハウスの投稿者のことです)として紹介されてたのが乗越たかお(当時・本多未知鷹)・川江一二三(当時・かわえひふみ)ご夫妻…とにかく人名を覚えるのが苦手な私では、後で名刺をいただいた方を挙げるのが精一杯です。あと、元パルコ社長のトークが戦中の体験まで飛び出して、興味深かったです。
ライブとしても、セロファンというバンド、それから…漫画家・内田春菊! だが今日はラテンシンガーとして登場だ! えーと、なんだかんだでお子さん4人だそうですが、銀ラメのドレスで登場です。ライブは久しぶり、しかも『今月の困ったちゃん』の時代から十年以上。そりゃあ1曲終わった時点で息も上がろうってもんですが、後には全員50過ぎのムーンライダースが控えているので、弱音は吐けなかったことでしょう。3曲歌って内田さん、任務完了。
大トリのムーンライダーズ&あがた森魚もばっちり楽しめました。「ヴィデオ・ボーイ」から始まって「工場と微笑」ほか数曲。最後の「BEATITUDE」以外はBH時代の歌ですよね、確か。それにしても21世紀になってから聞く「夢が見れる機械が欲しい」もオツなもんです。あがたソングは超定番「赤色エレジー」と、題名分からんから勝手に「ハナちゃんでポン」と、ここ限定で呼称。暫定タイトルは「ポン」が基本です(正式題名は「大道芸人」でした)。
で、イベントが終わったのち。ビックリハウスアゲインの井上(旧姓)涼子さんに「行きます」と言ってあったのでご挨拶に。でも私、井上さんの顔を知りません。いや昔編集部にお邪魔した事はありますから「覚えてません」と言うべきか。
こうなったらアレだ。さっき紹介されていた本多未知鷹さんなら分かりますから、そちらへ寄って自己紹介。第16回エンピツ賞・東海林さだお賞受賞の本多さんでしたら、私が同じ16回で椎名誠賞貰ってるので話の接点としては申し分ないのです。
…いやははは、覚えられてる覚えられてる。思ってた以上にネームバリューあるんでやんの、当時の私。まあ鮫肌文殊さんは私と投稿時期がずれてたし、知られてない様子でしたが。そりゃそうだ。
そんでまあ、皆さんに挨拶を。問題は、なんか皆さん口をそろえて
「でか!」
と。
「なんか森脇くんって、こんな小さくて可愛い(5cm四方)のイメージがあって」
……そりゃ、当時載ったときの写真が原寸大だった場合ならね。
まあ、そんなこんなで「明日も来ます」と言って帰りました。
(以上天狗煙草森脇支社より抜粋)

 


2004年1月31日 クアトロ第2夜  記:鮫肌文殊

今夜は、第2夜「ビックリハウス 大パーティへ うぉー!30年?だからどうした!」。
ワシ、トークゲストで出演。渋谷クアトロに18時すぎ着。
受付の方に、楽屋へ案内される。え〜、糸井重里さんと、おすぎサンと、鈴木慶一さんの談笑するトコロで、ワシ、浮きまくり。糸井さんは「久しぶり」と言ってくださいましたが、あとの方は明らかに「こいつ、誰?」。
いたたまれなくなり、ステージ脇のゲスト席へ移動。
ビール飲んで、内心もうドキンチョ〜で死にそうになりながら出番を待つ。唇のまわり乾きまくり。心の中でネタをくるも、ことごとくうわすべりな。若手芸人の気持ちがわかる。
客席に、知人の虎キチライターのナガハマ女史を発見。強引にゲスト席に呼んで、本番までの時間ウダウダトーク。自分の気持ちをおちつかせる。
今夜は、萩原朔美さん&おすぎサンが前半の司会。おすぎサン、もうマシンガントークの嵐で、めくらめっぽう悪口言いまくり!!場内、大爆笑!やっぱ、タレントさんはちゃいますわ。
川崎徹さん(!!)のゲストトーク、おすぎとピーコのCMギャラのカミングアウトに場内騒然のあと、まずはポカスカジャンのステージから。TVではけしてできないネタ中心に。そして、大槻ケンヂのライヴ。その100点満点なトークぶりに、さらに唇が乾いてくるのがわかる。セロファンのライヴのあと、司会が糸井重里&高橋章子に交替。
そこで、ワシの名が呼ばれて。えー、何話したか覚えてません(爆)とりあえず、ビックリハウスへの愛を語りまくり。マジメな話で、笑いもなく・・・・。トホホ。でも、大役(!?)果たして、やっとホッとしてイベントを楽しむモードになりもうした(あとで聞いたら、「サメちゃん、けっこうイイ話してたね」と言われました。)
ビートニクス(高橋幸宏!!鈴木慶一!!)のスライドショーの「80年代サブカル上等」なノリに再び大爆笑。トリは、巻上公一!!!ホーミーの即興パフォーマンスのあと、セロファンをバックバンドにして、ヒカシューの不滅の名曲「パイク」を演ってくださり、20年ぶりに聴いた「生パイク」(18の時、大阪のライヴハウス、キャンディーホールで聴いて以来!!)に大感動。
ラストは、今夜の出演者全員がステージにあがって「ヘンタイよい子のうた」大合唱で、幕。
生まれてはじめて、東京のクアトロのステージで歌った。感激。あうう。
客引けたあとのクアトロで小打ち上げのあと、近くのBARへ移動。
特濃なメンツの方々と、2次会。
ビックリハウスの元編集部の方々、勢揃い。
お酒の飲めない御大の皆様が帰った中、ディープにディープにビックリのウラ話てんこもり。
気ィついたら、セロファンのリズム隊の方々と、かとうけんそうサンと24H営業の焼鳥屋で、みいんな帰った中、3次会。
朝の7時半まで飲んで、JRの品川へ。
新幹線に飛び乗って、3時間爆睡。大阪の「ソニックマニア」へ向かったのであった(明日分の日記へつづく・・・・)
(以上大陰嚢でごめんねより抜粋)   

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2004年1月31日 クアトロ第2夜  記:森脇公平

ビックリハウス大パーティー2日目に行きました。今日は18時ちょっと過ぎに会場入りし、受付にいた旧姓井上涼子さんにご挨拶しつつ通過。
1時間近い開演待ちは手持ち無沙汰で、アリーナに陣取ることも可能でしたが、昨日と同じ理由で壁際に。あと、灰皿ある位置へちょくちょく移動もしたし。
見回すと、客層が一日目より平均10歳は若い。『ビックリハウス』廃刊当時に生まれてなかったような男女もいます。あれか? 大槻ケンヂ目当てか? 言っておくが今日ここに来るあの人は大槻ケンヂであって大槻ケンヂじゃない。ビッグムーン大槻さんだ。
ともかく19時になって開演。今日の司会は上記リンクでも分かる通り、初代編集長・萩原さんとおすぎ。客層を意識してか、全世代対応の話題で初っ端から笑いを取り、早いペースで座を温めます。流石はおすぎと言うべきか、映画関連の話題で良いネタを出してくれましたが、映画評論家業を妨害したくないので、ここでは内容を伏せさせて頂きます。
歌の方の一番手は、糸井重里さんの人脈でポカスカジャン。代表作は「ガリガリ君」CMソングです。やはり全世代対応の「日本歌謡曲の世界民族音楽アレンジ」という、確実なツカミ。一番ウケたのはプレスリーのナンバーでしたがこれも内容は伏せざるを得ません。
トークに戻って、ゲストは川崎徹・佐藤晃一・河村要介・峰岸達(二回に分けてたかも知れません)。なんかもう、皆さん還暦手前だそうですよ。
そんで、ビッグムーン大槻さん。私が始めてBHに載ったとき、14、5歳だったかな。名前のインパクトもあって、当時から印象強かったです。私がまず思い出す投稿は
受験する高校の下見に行ったら、校舎から「来るんじゃねえ! ここは教育の名を借りた地獄だぜ!」と(在校生に)叫ばれた。
というネタでした。たしか。
大槻さんの思い出トーク&素朴系ラブソングと、「特撮」の曲。その間に挟んで歌ったのは
「あるアニメのエンディングです。分かった人は心の中でニヤリとして下さい」と。
ライブでアニメのEDといえば、木村拓哉の『はじめてのチュウ』が有名です。『かってに改蔵』でもネタにされるくらい。ですが、大槻さんが選んだのは
ド□□ンえ○魔くんのED でした。何とも象徴的です。
思えばこの歌、番組タイトルやキャラ名など作品固有のタームが歌詞に一切ない。それでいて、否定しようもない、この世代直撃のアニソン。実に考えられた選曲と言えましょう。
えーと、あとは順番曖昧ですが、昨日も歌ったセロファンというバンド。後半で司会が高橋章子・糸井重里に代わり、鮫肌文殊・中沢けい・旧姓井上涼子らとトーク。
ああ、そうそう。他の話題はともかく、私としてはイトイさんの禁煙話に触れないと。
かつて「アルファ」のCMにも出たイトイさんが、煙草やめたと知れてから数年。そのココロはどうやら、
年をとるにつれて、吸う習慣を持ってる事の社会的な面倒さを鑑み、楽な方を選ぶようになった、と。
まあ、そういった事情を公言しての辞めは、私から見ても比較的OKです。アッコさんはスモーカー健在で、同じく「ここ(クアトロ)は煙草吸えて有難い」という中沢けいさんに、と話を繋いだのでした。
後半はビートニクス(鈴木慶一・高橋幸弘)の、BH内企画記事紹介。あー、面白かったなあ、あれ。お客さんにドッカンドッカン受けてました。
そしてトリは巻上公一さん即興演奏と、さっきのセロファンをバックバンドとしてヒカシューのナンバー「パイク」。私の周囲にいた若いお客さん、ハッキリ言って引いてました。
この「パイク」、ホラー映画『チェンジリング』の主題歌でもあるんですよね。あんどおさんが昔作った同名の個人事務所に私もいましたし、妙なシンクロニシティを感じます。
シメはゲスト全員壇上へ昇り、『ヘンタイよいこの唄』。昔、BHのイベント「ヘンタイよいこ白昼堂々秘密の大集会」で歌われ、後にムーンライダースのアルバム『The Worst of MOONRIDERS』にも収録されています。
山陰在住の悲しさ、私は「〜大集会」に行ってなかったのですが、ある意味当時以上の環境で合唱に加われたのは幸いでした。同時に、歌ってみて再確認しましたがやっぱりこの歌のサビ、合唱に向いてないと思います。
終了後、なんか退出する人の流れに乗ってしまったので、昨日と違って誰にも挨拶せずクアトロを出ました。
出てから気づきましたが、まがりなりにもライターで、糸井重里賞受賞作がいっちばん知られてて、それで糸井重里にコネ作らんのかいとセルフツッコミを。
いや、ほら。年をとるにつれて面d(ry
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終わりごろにはすっかり腹が減ってたので、渋谷で 少女 カレー喰って帰りました。  (以上天狗煙草森脇支社より抜粋)

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