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私はスポーツ観戦大好きである!特にプロ野球…「阪神タイガース・ファン」である! 北海道出身で関東各県育ち(半年だけ京都で育ったことあり) 普通なら読売巨人軍(読売ジャイアンツ)ファンあたりに納まっていそうなポジションなのだが? 「阪神タイガース・ファン」である! 2023年9月14日「セ・リーグ優勝の掛かるvs読売巨人軍」との試合 なんとTV中継なし!地上波もBSも、確かラジオ中継もなし (もう優勝の芽がない巨人軍への忖度、目の前で優勝される瞬間を見たくない?) ここで決まると信じていた我が家は「虎テレ」による1試合ごとの契約中家番組で応援! 18年ぶりの優勝の瞬間を楽しむ!(その後「日本一」となる) 2024年、阪神戦の中継が少しだけ増えたが、相変わらず「読売巨人軍」中心の編成 (少しだけ増えたのは、1990年代のパリーグの地方展開のおかげ?) 読売巨人軍中心なのには理由があるのだが、いつになったら解消するのか? それを検証してみよう!(どうしても巨人軍について語らねばならないがね) 多くの事実と若干の記憶と憶測で語るね! まずは歴史から記さねば話が先に進まないのでね 【日本プロ野球の歴史編-1】 1870年代(明治初期)に「ベースボール」が紹介される (1923年にプロ野球の宣言があるも1929年に解散) 1934年「第日本東京野球倶楽部(後の東京巨人軍)」が 1935年「大阪野球倶楽部(後の大阪タイガース→阪神タイガース)」が創設 1936年「大日本野球連盟名古屋協会(中日ドラゴンズ)」「東京野球協会」「名古屋野球倶楽部」 「大阪野球協会(後の阪急軍→紆余曲折してオリックス十ファローズ)」 「大日本野球連盟東京協会(後の大洋ホエールズ→継承チームはDeNAベイスターズ)」が創設 先の2チームを含めた【日本プロ野球】の始まり 度々「伝統の巨人・阪神戦」という言葉を聞くが…なんだろう「中日」「横浜」「オリックス」を混ぜて! 1947年、東京巨人軍の経営は「読売新聞社」に代わり「東京読売巨人軍」に改名 (俗称:「読売巨人軍」もしくは「読売ジャイアンツ」) 全国戦略か?「東京」と言わなくなる(ユニフォームに名残り) 圧倒的なバックボーン、スター選手輩出により優勝を重ね人気球団となる! 戦中・戦後のスター選手「打撃の神様・川上哲治」 ともかく現在のスター選手が乗り越えなきゃいけない記録の持ち主 (ちなみにタイガースは、1961年「阪神タイガース」に改称) 【TV放送の歴史】 1939年、テレビの実験放送開始 1945年、太平洋戦争敗戦によるGHQ統治によりテレビ放送中止 1946年には解除 1953年TV販売開始 同年「日本テレビ」開局(初の民放) 日本テレビ社長・正力松太郎はやるべき仕事を実行 TV(高価)普及のため、首都圏55ヵ所に「街頭TV」を設置する! メインコンテンツは 「大相撲」「プロレス」「ボクシング」「プロ野球」「記録映画」「ニュース」 当然だが…日本テレビは自社が経営する「東京読売巨人軍」の試合を放映する! 元々金に物言わせての常勝軍に熱狂する首都圏 1956年「大阪テレビ放送」開局、街頭TVスタート(全国278ヵ所に拡大) 【世情-1】 1965-1974年「高度経済成長」(毎年給料が倍になった時代) ともかく「みんな一緒に勢いに乗っかる時代」!個性は嫌われる時代! 端的な言葉 みんなが好きなもの「巨人・大鵬・卵焼き」 私は「巨人と大鵬」が嫌いだ! 【私情-1】 北海道ではスケートばかりしていた私 小学生低学年で関東地方の某県某市(当時は町)に引越し! ガキ大将グループが突然「野球するぞ!」宣言 「野球ってなんだ?」か判らないまま校庭に集められる! ガキ大将連中が叫ぶ「俺たち巨人な!」 巨人って何? 「俺、王!」「俺、長嶋!」「俺、柴田」「俺、高田」「俺、堀内」…末次・森とかもいたかな? 何か取り合いをしているのをポカーンと眺めている! 身体が小さく、野球(ルールはやりながら覚える)を知らない私を彼等はセカンドに置く! でも守れない私をピッチャーに据えてみる彼等 あら?ピッチャーとして打ちやすいストライクを投げる才能は有った模様! 面白がられ…阪神の上田(アンダースロー)&安仁屋(サイドスロー) 阪急の山田久志(アンダースロー)&足立光宏(アンダースロー) ロッテの村田兆治(オーバースロー:マサカリ投法)役を演じさせられる! ちなみに彼等(権力者)は、転校生や弱者が巨人ファンになることを徹底的に拒む! 野球が面白くなってきたが 同時進行で「高校野球」も好きになる! 家の横の空き地のブロック塀相手にピッチング練習を繰り返す! で、いろいろ調べたら「阪神タイガース」が面白そうなので(高校野球の聖地・甲子園含めて) 「阪神タイガース・ファン」を自ら名乗る、8歳! 私にとっての「巨人」とは「権力と暴力の象徴」である! 【日本プロ野球の歴史編-2】 (ドラフト制度は1965年から…金持ち球団に優れた選手が吸い寄せられる時代!) 1958年、東京六大学野球(立教大学)のスター「長嶋茂雄」が入団 1959年、高校野球(早稲田実業)で活躍した「王貞治」が入団 1960年、川上哲治がコーチから監督に昇格 1965-1973年、「巨人V9時代」(9年連続日本一) 【世情-2】 「巨人軍V9時代」に熱狂する巨人ファン曰く 「巨人であらずんば人でなし」 隆盛を極めた平家の「平家であらずんば人でなし」のコピー 巨人ファンに贈る言葉「驕る平家は久しからず」 【日本プロ野球の歴史編-3】 1965年から「ドラフト制度」が開始され入団選手が均衡化されるが… 巨額の移籍金でスター選手を横取り 1978年、ドラフト制度の盲点を突いた「江川事件」発生 (制度が杜撰だったとも言えるが、「空白の1日」を利用、ドラフトではなく江川と契約) 巨人に忖度する球団ばかりだったが、阪神タイガースだけがドラフト1位で強行指名 当然揉める 当時の巨人の「左のエース・新浦壽夫」との交換トレードの話が出る 巨人側の記事によれば「左のエース・新浦」を出すから・・・ 阪神側としては「巨人のエース・アンダースローの小林繁」を要求と記憶 最終的に新浦ではなく「小林繁の移籍」を交換条件にドラフト問題は終結! (当然、制度改革がなされ「空白の1日」は消える) 小林繁は監督に直訴する!巨人相手のローテーション! この年「小林繁」は巨人相手に「8勝無敗」の記録を残す! (ちなみに新浦は不調で成績残せず…巨人を去る) ともかく巨人に対する嫌悪感だけが進む! 【私情-2】 東京で就職して「阪神タイガース・ファン」を明言したため「いばらの道」を歩む! 阪神が負けた翌日、私のデスクには「阪神が負けた記事の切り抜き」が置かれる日々 「巨人をボクのチーム」「原くんって後輩でさ…」っていう先輩の仕業 人たらしの方なので、困った時にはすり寄って頼み込むが、基本巨人中心! この人が後日、人事権を握ったため、とんでもない目に合う… 【基礎編の結論】 読売新聞・日本テレビ・正力松太郎…プロ野球の発展に尽くしてくれたことは理解するが ともかく「巨人軍」とは、私にとっては「権力の象徴」でしかない! 【フォロー】 現在、巨人軍ファンの皆さんに罪はない! そういう時代が有ったということ! それから野球を広めるため、TV以外に「地方遠征」をしていたのは巨人軍なのは認める! ゆえにおらが町さに「巨人軍」が来てくれた!といって 「巨人軍以外」のチームを持つ地域以外に「巨人ファン」が多いのは否めない (が、パ・リーグが展開しているがね) |