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菊地敏之 クライミングスクール&ガイド
Toshiyuki Kikuchi Climbing School& Guide


             トラッド・クライミングの魅力

 ちょっと小うるさい話が続いたもんで、今回は趣向を変えてトラッド・クライミングの魅力について語ってみましょう。これ以上人気なくしたら商売あがったりになりますからね。

 このところ城ヶ崎に久々に通ってクラシックルートを登ってる、っていう報告を前回しましたけど、その中のある1本の話。
 そのルートは超クラシックエリアにある超クラシックルートで、しかし私はなぜか今まで登ったことがなく、気になってはいた1本ではありました。といってもまあ、グレード5.10のトップロープルートときては、正直あまり魅力を感じなかったことも事実ではありますけれどもね。
 しかし最近城ヶ崎界の國分誠氏と化した某有名インストラクターのホームページを見ていると、ナチュプロで普通に登れるとある。へ〜、そうなの、と思いつつ、ちょうどそのエリアに行った時に改めて眺めてみると、あらら? なかなか結構魅力的なラインじゃありませんか。特に、クラックじゃないのにナチュプロ、ってのが良い。

 ということで、さっそくウォーミングアップがてらで取り付いてみたんだけど、結構悪かったです。核心のハング帯に入ってすぐにラインがわからなくなり、思い切って突っ込んだところが思ったよりランナウトしちゃったし、その先のフレーク状ハングを越える所も、ライン、ホールド、プロテクション、すべて疑心暗鬼のまま進んでいく感じで、久々に緊張しました。やっぱこいつの言うこと、信用するんじゃなかった、という反省とともに、前腕もバリバリに張ってしまいました。

 しかしまあ、こういうの、良いね。ランナウトした状態で、ああでもないこうでもないと逡巡した挙句、最終的には自腹で決断して突っ込むあの緊張感。昔、鷹取山で未知のルートをフリーソロしてた時に、一手一手、悩み、決断し、心臓が口から出てきそうな恐怖を飲み込みながら行動を起こしていたあの感覚を、まあそこまでモロにではないけど追体験してるような懐かしさがあります。

 そして、そうして壁を抜けた時に感じる幸福感。と、一言で言ってしまうとなんだか低俗なキャッチコピーみたくなっちゃうけど、より詳しく言うと、その岩場とピュアに邂逅できたという満足感というか、一体感というか、要は「フリー」をまっとうすることによって得られた、この世界に本当に所属しているという実感ですかね。

 降りてくると壁にはイソヒヨドリが行き交い、海を見やればカモメがまったく海の、あるいは空の一部のように飛んでいて、またその海と空が信じられないくらい大きく、また永遠の時間を秘めつつ広がっている。いや〜、ほんとにこれ、現実のものなのかね?
 地球ができて45億年。今まで何億、何兆、いや何京もの生物が生まれては消えていった中で、オレほどラッキーなやつって、あり? 
 まあ、わたくし、現代日本国の社会人としては決して充分といえる方ではないかもしれないし、クライマーとしてもたいしたことない。その割に今まで痛い目にも随分あってきたかもしれない。また今必死になって登った壁も、正直チンケかもしれない。けど、それでも今、ここにいる一生物個体としてのオレって、地球誕生以来の全生物内での幸運度だったら最上位の0.00000(このあと0が数兆個は続くね)1パーセントに入るレベルだよ、きっと。なんせこの世界と、こんなスバラシイ関係を結べるんだからね。

 前回、フリークライミングのスタイルやタイトルについてあれこれ文句を述べたけど、大切なのは、登ったあと、または登っている時に、こうした一体感を感じられるかどうかということだろうな。なんかJポップの歌詞みたいなセリフだけど。

        (2016年2月22日記)
いや〜この世は美しい。登ったあとは、特に美しい


       クラック・クライミングについて最近感じること

 またえらくあいてしまいましたね。その言い訳は昨年4月に出した『日本の岩場』の、今度は下巻を作っていたからで、それもなんとか終わりに近づいてまいりました。また4月に出るので、皆さん、買ってね。

 そういうわけで、そろそろヒマになってきたもんで(講習会はどうしたんだよ?)、次の仕事の関係もあって、最近、城ヶ崎によく行くようにしています。
 で、そこに久々に通ってみて感じたのは、なんといってもクラック登る人が最近とても多くなったことでしょうね。
 ほんの数年前までは瑞牆なんか行っても末端壁にすら誰もいなくて、クラック・クライマーなんて、もう絶滅危惧種なんじゃないの? などと仲間と話していたのがウソのようです。
 しかも皆さん、その登るグレードの高いこと高いこと。タコとかスコーピオンなんか当たり前で、シュリンプなんかにも順番待ちができている、ってんだから、驚きというか、羨ましいというか(この手ので私、レッドポイントしてないの、意外と多いからな)・・・。

 しかし、ここで例によってそれに水を差すようなこと言うと、そのトライの仕方が、なんか昔の“クラック・クライミング”ってものと、ずいぶん違う気がするんですよねえ。
 というのは、やはりカムの進化のせいかな。今はどこにいても目の前にパッとカム入れられるもんで、ぜんぜん怖くないし、ハングドッグもたいへんにやりやすい。クラックって、多くの人はフェースより怖くて強い人がやるものって印象持ってるかもしれないけれど、でもこうなると実はボルトルートより安全でワーキングも楽なジャンルだよね(嫌な言い方すれば、それ、確信犯的に承知している人もいる気がするな)。

 で、またここから他人の批判になるんでお聞き苦しいかもしれないけど、そうしたトライの程度が、これまた時代の差を感じるほどに凄まじい。
 これは瑞牆なんかでも常々感じてたことではあるんだけど、まるで人工登攀そのものなんだな、その有様が。何度も落ちてテン山、どころか、カムに一回一回ぶらさがりながら支点をずりあげ、1回のトライも1時間がザラって感じ。あれで後々レッドポイントしたところで、それが“フリー”で登ったって、言える、あるいは自分自身感じられるものなんだろうか?

 もちろん、クラック登ってる人が全員そうというわけじゃあないですよ。中には見ちゃられないくらいランナウトしちゃって、しかもテンパっちゃって、それでも必死にカム突っ込もうとしたりああでもないこうでもないとジャミング試そうとしているような、素晴らしい(いやまったく)クライミングしてる人も、確かにいます。また、ルートによってはそれなりのハングドッギングになってしまうことも、もちろんあるでしょう。
 だけど同時に、上に挙げたようなワーキングが常になっていて、そかもそれを“あたりまえ”と捉えているような向きも、なくはない。そういうの見ると、私などはどうしてもそこに、物質文明的成果主義(そもそもフリークライミングって、これへの反発から始まったものだと、私は思ってたんだけどね)の臭いを感じちゃうんだな、嫌な性格かもしれないけど。

 ま、それも他人のことだから私がことさら批判する必要はないし、自分さえしっかりしていれば良いだけの話ではあるんですけどね。
 でもそもそもがクラック・クライミングって、できるだけ人工的手段(ボルトなどの人工的配置物)を排して岩を「フリーで」登ろうっていう発想から始まったものだと考えればですよ、今の時代に敢えてクラックを登ろうとするなら、「フリーとは?」ってことを、もっと考えても良い気がするんだなあ。ルールとしてではなく、心意気としての「フリー」ってことをね。
 そうしたことを抜きにしてあまりに成果ばかりに拘泥すると、いずれチョンボ棒とか、今話題になっているチッピングなどといったメンタルに結びついていってしまうんじゃないかな、極端な話かもしれないけど。

 「クライミングは上手くなった。でも“フリー”はどこに行っちまったんだい?」
 これは幻の名著『我々はいかに石にかじりついてきたか』の中の著者自選の言葉なんだけど、せっかくクラックなんてものに手を染めているんだったら、そしてそうしたクライミングが歴史を繰り返すように今、流行ってるんだったら、そのことをぜひ考えてみて欲しいものですね。
 今まで岩場で会った多くのクラック・クライマーの皆さんには、それを問うことが充分にできると思いますよ。





        
           私的フリー度ランキング

 ついでに私の考える、スタイル別フリー度の順位について。


1.オンサイト・フリーソロ
2.オンサイト
3.落ちたらすぐロワーダウンして、ロープを引き抜き、レッドポイント
  (落ちた回数=ロワーダウン回数とフリー度を反比例)
4.落ちたらすぐロワーダウン、しかしロープは引き抜かず、シージングで完登
  (上に同じ)
5.初見ワンテンション、またはツーテンション、で、終わり
6.とりあえず数テンションと呼べる範囲内で抜けた上でのレッドポイント
  (落ちた回数とフリー度を反比例。ただしレッドポイントまでの回数は関係なし)
7.トップロープで以下同上
8.アケママ
9.アケママ
10.1回につき10指を超える回数のテンション(トップロープ含む)後のレッドポイント
  (レッドポイントまでの回数はまったく関係なし)

*いずれも他人にムーブを教えてもらった場合は2ランクダウン。youtubeを見た場合は3ランクダウン

 とまあ、こんなところですか。
 これ読んで、6、10より5の方が上? って疑問を感じた人少なくないと思うけど、これはあくまで個人的な見解ですので気にせずに。

 さて、ではそれで、どこまでを「フリー」の範疇に入れるか、ということになると、これもまた人それぞれでしょう。
 かつてパウロ・プロイスなる人は、1のみを「フリー」(っつうか、この時代は「クライミング」かな)としていました(『日本マルチピッチ・フリークライミング・ルート図集』参照)。が、これは命をたいへんに縮めることになりますね(実は私も10代の鷹取山時代はそうでした。ただし私の場合は命ではなく、学業成績をたいへんに縮めることになりましたが)。
 また70年代〜80年代初頭のアメリカでは2〜4までが「フリー」で、不肖わたくしめもかなりうるさくこれに順じていました(さらにひと頃は2しか認めない時代もあって、いずれもこれらは交友関係をたいへんに縮めました)。

 ま、そこまで行かなくとも、それでも人それぞれ、ある程度の基準というか、主張というか、美学は持っていた方が良いと思いますね。ちなみに私的には10はもう、人工登攀の範疇かなあ。「登った」とは言えるけど、「フリーで登った」とはとても言えない気がする(あくまで自分に対してね。これ以上友達失いたくないからわざとらしく付け加えるけど)。

 ついでに言うと、これらを読んで、このルールは公式なもの? とか、これは誰が決めたんでしょう? 私のこれは、いくつなんでしょう? なんて聞く人は、フリークライミングをやる資格ない。堀地清次(今の、じゃないよ)の爪の垢、煎じて、飲むしかない。

「堀地 俺はマスタースタイル(訳注:今のレッドポイント)ってあの考え方大っ嫌いでさ。あの考え方っていうのは俺は邪道だと思うね。
 ――邪道! そういう言い方はちょっと・・・。
 堀地 いや邪道だね。結局さ、マスタースタイルの考え方っていうのは、何回トライしてもいいから要するに最後だけマスターで登ればいいってことでしょ? まあそうはいわないだろうけどさ。結局はそうでしょ? 何回トップロープでやってもいいからさ。
 ――確かにそういう節は見受けられますね。
 堀地 そうだよ。それに対する意見っていうのはこうだと思うんだ。例えば初見で行って1回のロワーダウンで登った時の方がさ、確かにマスターじゃないけど、トップロープで何十回もトライした後のマスターなんかより全然価値はあるってことだよね。」

 これは1985年のクライミング・ジャーナル(15号)に載った堀地清次インタビューの一コマで、今までも何度も紹介しているのでしつこいと思われるかもしれないけれど、今回はやや詳しく。
 しかしこれ、改めて読むと、まー、お生意気ですね。なんだこのガキ、って思った人も、当時たくさんいたんじゃないでしょうか。おまけにその後のクライミングの流れ(レッドポイントが完登の定義になったこと)を考えると、まあ、所詮与党になれなかったC・Jならではの記事であったことは否めないでしょう。

 だけどこれって、そういうことを踏まえたうえでも、今、改めて読むと、なかなかいいこと言ってるように思いませんか? というより、クラック・クライミングに再び注目が集まっている今だからこそ、そして時代がなにげに物質文明的成果主義から離れ、ダウンシフトしてきた(古市憲寿『絶望の国の幸福な若者たち』参照)現代だからこそ、逆にこれはひとつの考えとしてありえる意見のような気がする。
 フリーとはなんぞや? 岩をフリーで登るっていうのは、いったいどういうことなのか? ってことをね。

 ん〜、クライミング・ジャーナルおそるべし(あの時代を知ってる人しかこの言葉の妙はわからないだろうな)。

     (2016年2月15日記)
ああ懐かしきクライミング・ジャーナル15号の問題のページ。これ、そのアウトロー的な内容だけでなく、それがよりによってバブルの絶頂期に出た、ってところが感動的だった


         改めて考えるクライミングのモチベーション


 いや〜、長いトンネルでした。
 いつものこととはいえ、今回はちょっと長かったな。しかも、気持ち的にも今回はだいぶ来てた。
 というのは、実は6月下旬に脊椎の手術をしまして、それが思ったより大袈裟なものになってしまったんですね。で、結局3ヶ月ほど活動を休んでしまったというわけなんですが・・・、まずは講習生の皆様にはろくな連絡もせず、たいへん申し訳ありませんでした。というご挨拶から。

 というところで、さてこういうことになると、やはり課題は復帰でしょうか。
 で、これは技術的には、私はかなりに経験豊富だからさほど問題ではないんですが、気持ち的なところでモチベーションの持っていきようっていうのがね、これが実は意外と難しいです。特にこの歳になると体の都合だけじゃなく社会的な都合もいろいろありますから。

 「いつまでも“クライミング”じゃないんじゃないの?」
 「なんとしてもそれ、続けなきゃならないの?」
 なんて親戚近所だけじゃなく医者にまで言われて、それでも
 「ならないです!」と断固として言うのって、なかなか難しいでしょう。

 まあ、私の場合は仕事だから、って正面切って言えるからまだいいけど(この仕事選んだのもそれが使えるからってのも、実はあるかな)、そうじゃない普通の人が、いい歳こいて、仕事を休むような事態になってまで、これを絶対続けたい、って言うのって、かなりに勇気がいるというか、難しいですよね。
 その点、ワールドカップに出るとか、エベレストの頂上に日本の旗立てるとかっていうのは、実にわかりやすいし、社会もそれを認めやすい。特にこれからクライミングがオリンピック種目になったりでもしたら、もっとこの部分で楽になるでしょう。

 でもそこでまたヘソ曲がりの私の意見なんだけど、クライミングのモチベーションって、そういうものに頼んなきゃいけないものなのかね?

 ある物事を、ある個人が、個人の考えで、やろうとするときに、そういう“いかにも”な大義って、どうなんだろう?
 なんとしてもヘソ曲りな私なぞは、この“大義”が出てくると、とたんになにか胡散臭い、もっと言えば不純なものに見えてきてしまうんだな、昔から。例えばこればっかり強調しすぎると、じゃあオリンピックに出れない奴は、そのスポーツ、やる大義がないの? オリンピック競技じゃないスポーツは、スポーツじゃないの? ということにすらなってしまう。

 クライミングがオリンピックになるなんて話が持ち上がっている時に、一番気になるのは私的にはその部分ですね。で、今のオリンピックに関する世間の反応・意見を見ていると、すべてのスポーツでこういう勘違いがますます固まりつつあるように、私的には思えてならない。

 そうじゃないだろ? って、誰かに言って欲しいよ。
 そして、少なくともクライミングを、なにを得るでもなく自分自身のライフスタイルとしている“クライマー”の皆さんには、この部分での理論武装を、ぜひして欲しい。

 さて、そんな時に最近読んだ本をひとつ。
 中条一雄著『たかがスポーツ』(朝日文庫)。
 例によってブックオフで108円で買ったもので意外にと言っちゃあ失礼なんだけど、面白かったです。
 1981年という、結構な昔に書かれたもので、さすがに話題は古いものが多いものの、内容は今に通じる、というより、オリンピック間近の今こそ読むべき辛口のものばかりで、なかなかためになります。すべての意見に賛成というわけではなかったけど、私的にはこれはすべてのクライマーに、今、読んで欲しいものだと思ってしまいました。週末はぜひブックオフへ(もとい。本当は新刊本屋さんへ)。

   (2015年10月4日記)
中条一雄著『たかがスポーツ』(朝日文庫)。昭和の雰囲気丸出しの表紙がまたいいね。玉木正之の『スポーツ解体新書』などもお勧め。


         アルパインクライミングという、フリーの練習場

 またまた期限切れ近い話ですが、去年の秋、ある事情から、一ノ倉沢に行ってきました。
 登ったのは、烏帽子奥壁の、変形チムニールート下部〜ダイレクトルート上部。本当はもっと違うルートも登るつもりだったんだけど、結局これ1本のみで終わってしまいました。南稜下降に移った途端、雨も降ってきたので、タイミング的にはちょうど良かったですけどね。

 しかし、一ノ倉って、久々に行くと、ホント、悪いですねえ。
 アプローチのテールリッジはバカみたいにフィックスロープ張ってあって、ああ、ここもこんなになっちゃったか、と一瞬思ったんだけど、壁に取り付いてみると、その思い込みもどこへやら。
 変形チムニーの、よく登られてるはずの下部ですらやたらランナウトしちゃって、おまけにたまに出てくる支点も怪しいものばかり。これ落っこったら超ヤバイじゃんってピッチばかりで、いきなりの“洗礼”を感じてしまいました。
 続くダイレクトの核心(1981年に南場亨祐くんと東田鉄也くんがフリー化した所で、グレードはYー。でも今回登った感じは5.10b/cくらいでした。難しかった)なんかも、ピンは多いとは聞いてたけど、まあ、落ちたら抜けそうなやつばかりで、おまけに欠けそうなホールドも恐ろしいことこの上なし。さらにその上の残りのピッチはほとんどノーピンに近い状態で、まさに緊張感マックス。ええ? みんなこんなとこ登ってんの? と思わずにはいられませんでした。

 んー、それにしても、なんでこんなに悪くなっちゃったんだろ?
 っていうより、正確には、私自身が、悪く感じるようになっちゃったんだろ? ってことですかね?
 実は私、ここは以前、何度か登っていて、その時はなんにも感じなかった(はず)なんですけどね。
 それが今回は一手一手アドレナリン出まくりで、正直、怖いと感じてしまいました。
 技術的にはもちろん昔より高くなってるはずなんだけどなあ・・・。
 なんでこんなに怖く感じちゃうんだろ?
 落ちても大丈夫なクライミングばかりしていると、こうなっちゃうのかな?
 なんて、実に痛切に感じてしまいました。

 っていうのも、前にも書いたとおり、私自身のクライミングって、もともとは鷹取山でのフリーソロから始まった経緯からして、“落ないためにしがみつく”ものだったはずで、その経験はヨセミテのマルチピッチなどを登るようになって充分に生きていたし、またそれこそがフリークライミングだとの思いも強めることができてた。気がする。
 それが、もっと難しいルートを登りたいという欲求からハングドッグを取り入れ、ワーキングを重ね、ジムにも通い・・・・とやってきたわけなんですけど、振り返ってみれば、確かに手にしたグレードは上がったものの、しがみつく力は、ほんと無くなった気がする。
 それをここ数年、痛切に感じるようになって、また自分の、決して高くない、所詮個人的なものに過ぎないクライミングの意義からしても、ジムなんかで1回ロープにぶら下がるたびに心と体が汚れていくようにすら感じていた矢先の、今回の一ノ倉。

 ん〜・・・。

 でも本当にうまいクライマーって、単に高グレードを登れるってだけじゃなくて、しがみつき力もすごいですよね。
 それはジムでもコンペに出ているようなクライマーたちを見ればわかるし、最近一緒に登っているアルパイン系若手(でもないか、もう)クライマーたちを見ても感じる。
 それに比べて、自分は・・・

 って思わざるを得ない日々ではあったんですけど、でも今回、ピンのない所で、一手一手アドレナリン出しつつ手を出していく、という体験は、良かった。
 なんか忘れていたクライミングの真髄に触れた気がしたし、必要なワークブックをもう一度手にできたようにも思えました。
 ということで、思うに、フリークライミングのトレーニングとして、アルパインクライミングって、とても良いんじゃないですかね?
 アルパインのためにフリーをやるっていうのはよく聞くし当たり前だと思うんだけど、私はむしろ、フリーのためにアルパインをやる、っていうことをちょっと提唱したいですね。
 しばらくは怪我人、出まくりかもしんないけど、それはそれで良いんじゃないかな。

                                        (2015年2月5日記)
ん年ぶりの谷川岳一ノ倉沢。昔はよく通ったんだけどなあ・・・



                    不健全なオヤジ

 いや〜、今年は外岩、ほんとダメでしたね。毎週天気悪くて、仕事もプライベートも、ボツだらけ(プライベートは随分前からそうだけどね)。おかげでジム行く回数がやたら増えてしまって・・・、と言っても、だから上手くなったってわけでもないんですけど → むしろ体がますます傷んだって感じかな。

 しかしこうしてジムに年がら年中いると、まあ、近頃の子供たちの元気さ加減には驚くばかりですな。中学生や、小学生でも12、13なんかを平気でサクサク登っちゃって、もうちょっと進んでコンペに出るクラスになると13オンサイトはあたりまえ。14なんかも気軽にしょっちゅう手出してくれちゃって、まーすごいこと。まったくため息、つかせてくれますわ。

 それに比べてこっちは彼らがアップで歩くように登る所がなんとしても登れなくて、これが今年1年の課題かってくらいの勢い。あー、いくら歳が違うっつってもね、ここまで圧倒的に違うと、自分は今までクライミングなんて、まともにやってきてなかったんじゃないかとガッカリしてしまいますよ。

 でも、そういう終わったオヤジの鬱憤だと思って聞いて欲しいんだけど、ああいう子達のモチベーションというか、志向性って、いったいどういうものなんだろうね?
 というのも、何年か前にジムでジュニアスクールの子達に年初めの目標を書かせていることがありましてね。その時彼らが書いたのが、誰も彼もが「優勝」とか「入賞」だったのに、私、結構驚いたことがあります。

 これはもう、ジェネレーションギャップ、というより、ほとんどカルチャーショックでしたね、正直言って。
 んで、そういう子達が親に連れられてジムに来て、親に叱咤激励されながらクライミングをする。他の子との勝負が、最大の懸案事項になる。
 って、まあ、スポーツなら当たり前のことなんだろうけど、私が知ってる古いクライミングの観点からすると、結構たまげることだよ、これは。

 愚痴を言うわけじゃあないんだけど(って言う時って、だいたい愚痴だよね)、私の子供の頃は「岩登りなんてやったら、学校クビだぞ」なんて教師に言われて、それでも隠れて岩場通って、道具もないからフリーソロでこの道に首突っ込んで、そうした中から、クライミングってなんぞやということを、自分なりに得てきた。気がする。
 まあ、それは確かにちょっと特殊ではあっただろうけどね。でも私らの時代のクライマーって、環境としてはみんなそんな感じじゃなかったのかな?

 それに比べりゃ、ずいぶん良い時代になったのかな?
 ま、なったんだろうな。

 健全、っていう意味じゃあ、確かに今の方がずっと健全ではあるでしょう。
 昔はクライミングってアルパインが全てで、そうした世界では甲乙つけるのも難しかったから、甲とされたいクライマーはみんな自分をすごいすごいと言いふらすしかなかった。あるいは妙に神格化するとかね。
 私はそういう風潮がとても嫌いで、だからクライマーの実力が数字ではっきり示されるフリークライミングってものがとても新鮮で健全に感じられたんだけど(でもフリークライマーでも上のような人いるよね。って、あれ? まさかおれも?)、でも今のように、ここまで数字や勝負がすべてになっちゃうと、ちょっと辛いな。
 私なんかすぐそのレースから脱落するだろうし、この環境じゃあクライミングやめちゃうかもしれないなあ。まさに実感として。

 ひょっとして私、「健全」が嫌いなのかな?
 だから体も病気とか故障ばかりなのかもね。

                                               (10月16日記)



                  瑞牆のケモノたち

 もうかなり前の話になりますが、5月連休、今年初めての瑞牆に行ってまいりました。
 例年よりかなり遅れはしたものの、植樹祭駐車場に上がると既にいつもどおり、ずらっと並んだ車の後ろに三々五々クライマーがたむろっていて、あ〜、今年も瑞牆の季節がやってきたんだなあ、との思いを実感することができました。

 しかし不動沢に入ると奥にはまだ雪がまだかなり残っていて、この冬、ニュースにもなった例の大雪の様子がひしひしと迫ってまいりました。
 なんでも人の話では塩川で150cm、黒森では2m近く積もったそうで、それは150年ぶりのことだったとか。

 というわけで私も道の様子とか心配で、それで出足が鈍ったわけなんですが、しかしそれでも山に入るといつもどおり、若葉は目にしみるし、光もまばゆい。
 空を仰げばハヤブサの、たぶん若鳥かな、2羽、飛び方を競っているように高く舞っているし、夜になれば鹿の鳴き声がいくつも響く。末端壁に行った人の話ではアプローチの途中でクマを見たそうで、まあ、なんだかんだ皆さん、元気にやっているようです。

 しかし、そういうのを見ると、ほんと彼らって、偉いと思うよね。
 2mも積もった雪の中で、いったいどう過ごしていたんだろう?
 (クマは冬眠してた、って思うかしれないけど、クマって“冬眠”はしないんだよ。特にこの辺のは)

 冬じゃなくて、夏でも、例えば最近流行りのゲリラ夕立なんかあった時。私らは最新式の雨具急いで羽織って、それでも泣きそうになりながら焦って下りてきて車の中に入ってようやく人心地、って感じなんだけど、彼らはそういう時、どうやってあの雨、やり過ごしてんだろうね?
 それで雨が上がれば何事もなかったような顔して出てきて、また木の芽なんか食べてる。

 いや〜、つくづく、感心してしまいますわ。

 ほんと、山を知り尽くしてるんだろうな。あるいは、嫌が応にも知らざるを得ない境遇にいるし、またそれを見事に甘んじて受け入れているよね。

 私なんかも山をできるだけ知りたいと思って、そしてその差し出すものを極力甘んじて受け入れる立場にいようと思ってフリークライミングって道を選んでここにいるつもりなんだけど、彼らに比べたら、自分がこの山の、いったどれだけのことを知ってるんだ、って気になってしまうよ。

 まあ、つったって彼らはハナからそういうふうに生まれついたケモノだしね。人間の感覚で彼らを見てはならない、動物に対して擬人的な捉え方をしてはいけない、ってのはエソロジー(動物行動学)なんかの基本であるんだろうけど、でも実感としてねえ。やっぱ雨が降りゃあ私らと同じように嫌だろうとは思うし、雪に閉ざされたら辛いだろうとは、どうしても思っちゃいますよ。
 それに逆の見方をすりゃあ、私らだって動物の一種なんだから、自分たちに対してエソロジー的な見方をしても良いんだろうけどね(デスモンド・モリス『裸のサル』はだから結構面白いよ)。そうすると私らって、どうしてこんなに情けない生物なんだろうね?

 なんて考えてたら、死んだ佐久間の顔が突然思い起こされてきた。
 あいつ、テント持ってなかったから、夕めし食い終わるとどっかで寝てくるとか言っていつの間にかいなくなり、森の中一人で入ってボルダーの下で寝たりしてたんだよね。
 今から思うと、たいしたヤツだったのかな?

                                                 (5月29日記)
植樹祭広場からの瑞牆山。5月の光がまぶしい!



                    異論3題

 なんかホットロックス2になってから、?な意見ばっかり言ってるね。
 この人、前から変だとは思ってたけど、歳とって登れなくなったせいで今の有り様に文句ばっかつけたくなっちゃったのかな? なんて思った人もいるかもしれません。
 ま、半分はそうかもしれないすけどね。
 でもこうした異論って、私はもちろんアリだと思ってます。だいたい今あるフリークライミングのルールや形だって、時代の流れの中で大いに変わってきたものだし、今のやり様の方が異論だった時代だってもちろんある。加えて外国から日本のことを「世界で唯一社会主義が成功した国」なんて揶揄されていることを思うと、こうした異論はきょう日、むしろ必要なんじゃないかと、頑固になった頭ではつくづく思う次第であります。
 ということで、最近気になっていることを3つほど。

1.ガンバがうるさい

 今月号のロクスノ投稿欄にもこれ、書いてありましたね。
 私もまったく、そう思います。いや、もっと言えば、私はこの「ガンバ」、うるさくなくても、言われるの、実は嫌いです。特にこの一手、っていう時にこの言葉が飛ぶと、それ言った奴、怒鳴りつけてやりたくなります(いや、今は私、温厚を売りにしているからそういうことしないですけどね。昔は本当に怒鳴りつけたこと、ありました)。
 そうでなくても、必死に耐えてる時に「ガンバ」と言われると、言われなくても頑張ってるよ、とか、逆に、あれ?オレ、頑張ってないように見えるのかな? なんて余計なことを考えてしまいます。

 要するに、集中力を乱されるんですよね。
 だいたいスポーツの観戦中にこういう声とか音を出すのって、原則的には控えるべきものなんじゃないでしょうか?
 こないだのフィギュアスケート世界選手権での馬鹿な声援が社会問題にまでなったことはみなさん記憶に新しいと思いますが、一般的なところで言えばゴルフなんて(実は詳しくは知らないけど)パットの瞬間に携帯カメラの音させただけでつまみ出されるんですよ。
 もちろんこれはスポーツの種類にもよるのでしょうが、でもクライミングみたいな集中力を要するものは間違いなくこれらと同列のものと言える。だからランジやデッドポイントの瞬間の「ガンバ!」なんて、まさに退場物であると言っても過言ではないでしょう。

 まあ、クライミングの場合は、「落ちそうになっている時にガンバと言われて、頑張れた」なんて声もよく聞くし、言いたくなる気持ちも時にわかるけれど、でもそれでも、これらが集中力を乱す弊害だって、決して少なくないように思える。で、客観的事実のみを言うなら、それは傍からではわからない。

 であるならば、害があるという方を優先的に考えるべき(あるいは少なくともそういう認識を持つべき)で、だからみなさん、安易な「ガンバ」はやめましょう。

2.気合がうるさい

 んー、これはちょっと反論ありそうだな。
 というのも、ここっていう時に声を出すと力がよりいっそう出る、というのはもはやスポーツの定説で、それをやって何が悪い?という人が、今は大勢いると思うからです。

 でもねー。はっきり言ってあれ、うるさいんですよね。
 傍で登ってる時にあの声出されると集中力もろに欠くし、そうでなくてもパーソナルスペースにズカズカと割り込んでくる気がして、非常に気になります。

 ま、今は昔と違って難しさの上限も上がったし、そういうルートで本当に力を絞り出したい時に大声出ちゃうってのは、わからないでもないですけどね。
 でも今の多くの現場で聞く「ダー!」や「あ”ー!」が、本当に必要かつ自然に出たものかというと、どうも私には違うように思えてならない。だいたい、それが本当に人間の生来の反応なら、ああいう大声出す人、なんで昔はいなかったんでしょうね? なんで最近になって増えてきたの?
 作為的、と言ったら失礼かもしれないけど、どうもそのように見えて仕方ないんですよね。例えばボルダーなどでよく聞く大声。あれ、一人でやってる時もちゃんと出すのかな?

 なんてずいぶん意地悪な見方かもしれないけど、見方はどうあれ、現実問題としてあれ、うるさいよ。
 以前蓬莱でハイカーの迷惑になるから岩場にヌンチャクを残すなという話があったけど、本当にハイカーの迷惑になってるのは、圧倒的にこの大声でしょう。そのうち通報されちゃうよ。

3.ホールドを磨きすぎる

 これはもちろん、反論多いでしょうね〜。
 登ったあと自分の付けたチョークをブラッシングするのはエチケットとしてあたりまえだし、クライマーが守るべきルールとして明記しているものすらある。

 でも、それによって逆に石灰岩なんかホールドがテカテカになって、どんどん登りづらくなっちゃってる。
 久々に二子に行った時、まずそのホールドの変わり様にびっくりしたのと、それにもかかわらず皆さんこれでもかとブラッシングしているのに、もはやここの岩場の門外漢となった私などはたいそう違和感を覚えてしまいました。

 ん〜、これはどうしたらいいんでしょうね?

 思うにこれって、現実問題よりルールが先行しすぎるという、今の世の中にありがちな悪弊がもたらす典型例と言えるものなんじゃないでしょうか。
 ルールをルールとしてそれに拘泥するがゆえに、逆にそれによる問題=ホールドのテカテカ化や待っている人を必要以上に待たせるなどという事態が生じても、そうした現実を見失ってしまう。要は本末転倒の結果になってしまう。

 知性が欠落した社会によくある症例ですね。
 なんて言ったら余計反発喰らうばかりかな。
 でも実際問題、ロワーダウンの時に誰も彼も、どこもここも馬鹿の一つ覚えみたいに(失礼)ホールドをブラッシングし、時には形だけやってやっているのがありありな場合でもそれはそれで文句を言わず、逆に必要無さそうだからと磨かずに降りてくると怒られる、なんてのは、あきらかに何かを見失っていると思います。

 ここはみなさん、仮にもクライマーなんだからルールなんかに縛られず、頭を柔軟に持って、現実に即した解決法を見出したいですね。
 例えばテカテカになりつつあるホールドは極力磨かず、チョークは息で吹き飛ばすだけにする、なんていうのはどうでしょう(私は実際、そのようにしています)。
 でもこれらはあくまで“原則”であって、状況が変われば対応の仕方もどんどん変えていっていい。というか、いくべきでしょう。それがクライマーの、クライマーたる振る舞いだと思いますけどね。

                                                (4月14日記)



                  パラダイス・ロスト

 こないだ、ジムにたくさんの子供クライマーが来ていました。
 なんでも近々ジュニアの大会があるとかで、皆、親御さんに連れられ、コンペに向けて熱心に講習を受けていました。
 ふーん、時代も変わったものだなあ、と、すでにその時思ったのですが、その時聞こえたインストラクターのアドバイスには、ちょっとびっくりしてしまいました。
 「落ちたくないから動きが慎重になっているみたいだけど、それでは上手くなれない。落ちてもいいからもっとどんどん動いていくようにしないと」

 あらまー、そうなの? 今時の教えって、そういうもんなの?
 まあ、確かにコンペに勝つためにはそういう発想は大切なのでしょう。実際そういうところで育った子達がかなりの実績を上げてることは事実だし、それがクライミング界全体のレベルアップにつながっていることにも、私が異論を挟む余地はありません。そしてもちろん、私だって自分の講習生(大人)に同じようなアドバイスをすることもありますし、それどころか自分のクライミングそのものについても、確かにそういう気持ちで突っ込んでいくことも、多々ありますからね。

 でも、それを改めて他の人の言葉として聞くと、やはり違和感を覚えずにはいられません。
 というより、隔世の感と言った方が正確かな。
 自分が昔、この子たちと同じ頃にやっていたクライミングとはずいぶん違うな、という想いが急激に胸にこみ上げてきてしまったというわけなのです。

 まあ、ここで私の身の上話してもしょうがないんですが、そもそも私がクライミングを始めたのは、地元の石切場跡、鷹取山ででした(『我々はいかに石にかじりついてきたか』参照。って、何また宣伝してんだよ)。
 そこはいつ行っても妙なものを腰にたくさんぶら下げたおっさん達が岩に取り付いており、そういう人たちが信じられないくらい高い所に登っているのは、子供心をとても揺さぶるものがありました。
 で、いつからか私もそこらの小さい岩を登ったりしてたのですが、ひとつだけ、そう簡単には登れない15mほどの独立岩峰があって、それにある時から執心するようになってしまいました。友達と途中まで登って怖いからとやめたことが、さらに気持ちに火をつけました。
 で、何回かの試登の末、ある時、地面から10mほど上にある小さなハングをついに越え、頂上に立つことができました。
 クライムダウンも首尾よくこなし、家に帰ってから、しばらくは興奮で眠れませんでした。今から思えばなんてことない岩峰なんですけどね。でも落ちたらどうなるかは流石にその年齢(中学生でした)でもわかってはいたし、そもそも私はこういうことに対して非常に臆病だったのです。

 で、これに懲りてもう二度とあんなことやらない、と、思うかと思いきや、何故かそれから私、そうしたクライミング(と、自分で思っていたかどうか)の虜になってしまいました。
 『我々に』ではそれから高校時代にかけてボルダリングに夢中になったと書いていますが、実は私が本当に夢中になったのは、こうしたフリーソロでした。
 といっても難しさはW級とかX級(ボルダーグレードではないです。RCCグレードってやつで、今で言う5.6とか5.7程度です)で実際たいしたことないんですが、それでも高さは20m近い壁。そこに靴はアップシューズだし、ルートは常にオンサイトだし、ってことで、一回一回、大げさに言えば命を削るような気持ちで登っていました。
 今でも一手一手、これを出したらもう戻れないんじゃないか、ここで一歩進んでしまっていいのかどうか、滅多に味わったことのない決断力を奮起させながら岩にしがみついていた瞬間を思い出します。
 しかもそれを、授業さぼって真っ昼間、一人で人知れずやっているというのがまたいい。

 もちろんこんなこと、学校にバレたらクビになっていたことは間違いありませんが、それは授業をサボったからではなく(うちの高校はそういうことには寛大でした。それともそれ、私だけだったのかな?)、岩登りをしている、なんてことに対してでした。
 なにしろ当時は山岳部にいてすら岩登りは禁止されており、私も顧問の先生からそれはきつく言われていましたから。

 でも、あの頃、確かに幸せでしたね。
 自分の命が手の平の中にあるという実感と、それとは対照的な逗子ののんびりした山々の眺め。そして学校に帰ってからの、さらに徹底してのほほんとした学生生活。

 この頃のことを話し出すとキリがないからこの辺でやめますが、思えば私にとってのクライミングってのは、こうした、かなり背徳的な事柄を魅力にしたものだったような気がします。
 だから今のように、お母さんに連れてこられて、失敗を厭わず高成績を目指す、なんてのは、私の知ってるクライミングとはずいぶんと違う気がする。
 いや、繰り返しますが、それが悪いと言っているのではないですよ。むしろそれが正しくて、私の方がストレンジであることは間違いないでしょう。そして私自身、そうした時代に大いに流され、その恩恵をこうむってきたことも間違いありません。

 でも、それでも、隔世の感というものは、やはり拭いきれません。
 思えば山岳会に入って初めてロープをつけて岩登りをした時。落ちても死なないということになんかすごく違和感を覚えたものの、反面、もうあの辛い決断をしなくて済むということがなんと気楽で、嬉しかったことか。
 私自身の本当のクライミングは、あの時終わったような気もします。

                                           (3月24日記)
鷹取山。今でもフリーソロなんかしてるガキ、いんのかな?



             「岩場整備」について

 もうずいぶん前からですが、「岩場整備」という言葉をよく聞くようになりましたよね。

 しかし正直言って私、最初この言葉聞いた時にはちょっと違和感を抱いたものでした。
 というのも、ルートを拓くってのは、つまりそのルートにボルトを打ったり終了点を作ったりってのは、本来はそのルートを登りたい人間が、自分がそのルートを登るためだけにやる行為であって、そのルートがその後どうなろうが実は知ったこっちゃない。
 で、そうしたルートというものは、さらなる上の課題のみに対しては開かれているべきで、だから例えばボルトを使わずに登る(つまり抜く)ってのならわかるけど、逆に「整備」って、どういうこと?
 と、もともとアルパイン畑から始まった私などは、感じたというわけです。

 とはいえ、この意見が、今の時代、まったくの異論であることはさすがの私も充分承知しています。それどころかむしろ今は、ルートは、ひとたび登られ発表された以上、公共のものであるとすら強く思っています。

 というところで昨今の「岩場整備」なんですが、どうも私、上の意見などを交互に頭に入れつつ考えてみても、今ひとつコンセンサスがよくわからない。大元となる考え方が確立してないように感じるんですね。

 というのも、今の「岩場整備」って、ただ単にボルトを新しいものに打ち替える、しかも今ある場所にそのまま打ち替える、ってことだけじゃないですか。
 で、結果、登っていて、なんでこんな所にボルトがあんだよ、とか、なんでもっと手前に打ち替えてくんなかったの? なんでこんな使いづらい終了点? とかいったことが非常に多い。
 これじゃせっかく岩場整備をしたってのに、ぜんぜん「整備」になってないように思います。

 そこで提案なんですが、岩場の整備ってのは、この際、その岩場を「公共のもの」として、より完成させる方向で行なうべきなんじゃないでしょうか。

 具体的には、ボルトの位置はより良い位置(クリップしやすい位置、落ちても安全な位置など)に替える。
 この時、多くの人が囚われてるのが、「初登者はこの位置のボルトで登った」ということでしょうが、それはグランドアップのルートやトラッド系のルートならともかく、完全にスポーツクライミングを目的として作られたルートに関してならば、あまり、あるいはまったく、気にする必要はないと思います。
 ボルトを打った開拓者だって、完全に“そこ”と限定して打ったわけではないだろうし、打つ場所を失敗することだって往々にしてあります。特に後からこっちの方が登りやすかった、なんて登り方が見つかった時はなおさらです。むしろ、ボルトの位置が良くなって登りやすくなり、人気ルートになった方が初登者としては嬉しいでしょう(ただし、それでもボルトの本数に関しては、これは変えるべきではないと思います。この部分での初登者のチャレンジ精神は、やはり尊重すべきでしょう。もっともこれも、そのルートの性格によりますが)。

 また、岩場全体の整備に関しても、ビジターが理解できないような限定ルート、あみだくじルート(これもものによりますが)、既存のルートを後から侵害しているようなルート、無理矢理取って付けたようなルートは、撤去すべきだと思います。
 これらのルートっていうのは、ある一定の原則を持ったフリークライミングという文化の実践の場として岩場を見た時、その原則から完全に外れた、その岩場のフリークライミング文化度の低さを示す以外の何ものでもないでしょう。
 だから、こうしたルートはさっぱりと削除して、岩場をより「完成形」に近づけた方が良い。

 というわけで以上が僭越ながら私の考える「整備」なのですが、さて、ところで、こうした整備云々の話になると決まって浮上するのが、初登者の許可をとるかどうか、ということです。
 それについて私は、いちいちそんなことをする必要はまったくない、と思います。
 ま、その人が近い仲間であるなら話はしておくのが和を持って尊しとなす我が国民の節度ではあるでしょうが、でもそもそもボルトっていうのは、勝手に打ち替える以前に初登者は勝手に打ったわけですからね。本来は打った時点で公共性に委ねたものである筈で、それはおそらく本人も薄々感じているに違いない。むしろ私などはこの手の話を聞くたびに、なんか責任の押し付け合いをしているようにすら思えてしまいます。

 そして最後に、これは非常に大切なことなのですが、以上のことを踏まえた上での岩場整備は、やはりその岩場に精通している人たちだけがやるべきだということです。

 例えばそのルートがどういう歴史を持った、どういう性格のルートなのか、それはその岩場に長年関わってきた人間でないと、なかなか見識を持ち得ないし、そうした見識がないと、位置を含めたボルト打ち替えもままならない。さらにはそれに対してのまわりの賛同も得られないでしょう。
 逆に、そういう人たちがやったのなら、多少の失敗があっても、納得できる。そしてそれが問題なら、10年後のその岩場の精通者がまた整備をし直せば良い。文化の継承って、そういうことだと思います。

 岩場の整備というものは、その岩場の完成形を作ることであり、ひいてはそのエリアのクライミングそのものを完成させることでもあります。そしてそれによってそこに通うクライマーのクライマー的人格も、より高めていくことができるものでもあるでしょう。
 かつて戸田直樹は高難度ルートの必要性について、「良い水があるところに良い酒ができる」と言いましたが、今ならさしずめ、「良い飲み手がいるところに良い酒が生まれる」といったところでしょうか。

                                             (3月10日記)
最近解禁になった湯河原幕岩正面壁。ここなど今、まさに改めて岩場整備の見本になり得る境遇に置かれているように思います



              マインド・ゲーム

 “フリーとは何か”
 前回に引き続きのテーマですが、私思うに、これってもっと広くあちこちで、様々に問われてもいい気がしますよね。

 そもそもこのフリークライミングというスポーツが、“スポーツ”として始まる大きな動機になったのは、一つには行き過ぎた人工的手段に対する反発からでした。
 その様相は、例えば日本の、主にアルパイン系の岩場によくあるボルトラダーなどから窺い知ることができるのですが、確かにあの時代(70年代中盤以前)、これら物質の無節操な投与が、クライミングを矮小化し、スポーツ的につまらなくしていたことは事実といえるでしょう。

 それに対してクライミングから「人工的手段を排する」ことの意義と重要性が叫ばれ出したのが、70年代半ば。そしてそれをまっさきに教えてくれたのは、私的にはなんと、ラインホルト・メスナーでした。1974年に邦訳が出された氏の『第7級』という本にはそうした考え方がふんだんに散りばめられており、それを駆け出しの小僧だった私は感動しつつ、何度も読み返したものでした。

 「山と人との出会いには、はっきりと境界線が引かれている。登攀が極めて困難で、もし無制限に人工的な補助手段が動員されるとすれば、ただ困難な課題が解説されて片付いたというだけではすまない。山と人のあいだに引かれた境界線まで消されてしまうのである」(『第7級』横川文雄訳)

 やがてヨセミテから今のフリークライミングがもたらされ、上のような考え方が明確な形として広まったと同時に、私などもあれやこれやの泥臭い経験の数々から、“フリーとは何ぞや”ということを、より深く、厳しく、学ばされることになったわけなのですが・・・。

 さて、そういった意味で“フリー”というものを考えた場合、私などがいつも感じていたのは、前回も触れた「ルートとの出会い」ということでした。
 それは一つには前述「初回トライ時の結果」ということなんですが、そこでもう一つ、気にしていたのが、「ムーブの解明」ということです。

 というのも、フリークライミングを、物に頼らない、自分の力で岩壁を克服するものだとするならば、当然、ムーブの解明も、その中に含まれなければならない。逆にこの部分を抜かし、ムーブを人から教えてもらって登ったのでは、随分片手落ちという気がする。

 というか、それ以上に、それではせっかくのフリークライミングの面白さというものを、わざわざ台無しにしているような気がします。
 あれやこれや、複雑で意地悪に配置されたホールドを、少ない脳みそでああでもないこうでもないとつなげながら、自分でムーブを解明していく。で、想いのルートをなんとか自分の力で足元にする。それがそもそも、“フリー”の醍醐味というものなんじゃないでしょうか。

 (だから私は、講習会でもムーブを直接教えるというようなことは極力避けています。「もっと足を見て」とか「体の振りも考えて」とか、あくまでヒントを与えるに留めるようにしています。ま、それでも最終的に答えを与えてしまう時も多々ありますが)

 ところが今は、って、ここからまたネガティブ・トークになって申し訳ないんですけど、どうもこの部分を飛ばしちゃってる人が多い気がする。ちょっとハマるとすぐ人に聞いたり、逆に周りがやいやい教えたり、あるはハナからYou-tubeで見て来るなんてことも、今や当たり前の話だと聞きます。
 もちろん、人にムーブ教えてもらうってのは昔からあったことだけど、しかし昔はそれについて、皆さん多少の遠慮は持っていたような気がする。少なくとも今のように、それが当たり前というような風潮は、なかった気がしますね。

 まあ、だからこれがルールになるとか、タイトルとして形が先行するなんてことは馬鹿馬鹿しいことだし、場合にもよるとは思うけど(ボルダーなどで、みんなでわいわいやりながらムーブを探すってのも、それはそれで楽しいですしね)、それでもこうした考え方は、“フリークライミング”に取り組むうえで、決して棚に上げて良いものではないとは思います。

 もう一度、メスナーの言葉。

 「いまでは、知性を備えた人々による山登りというものは、もはやジャーナリスティックな成果とは無縁なものである。むしろ、優雅さとか困難さを目指すものであり、いかにしてこの困難を乗り越えるかという点に目標が置かれる。努力して求められるのは一つの理想なのだ」

 フリークライミングのスポーツとしての発達は、レベルにおいても形においても、昨今、まさに目覚しいものではあるけれど、私的には、その根となる考え方こそが、人それぞれにおいて、もっと発展して然るべきなんじゃないかと思いますね。


                                         (2月8日記)
ロープにぶら下がりたくなる気持ちを抑えながら、ああでもないこうでもないとムーブを探す。これこそフリークライミングやってて一番楽しい瞬間なんじゃないでしょうか。



                  一期一会

 2013年は、フリーライダー再登を目指してヨセミテ行ったんですが、例のクソアメリカ議会のとばっちりで、取り付くことすらできませんでした。で、代わりにユタに行って、インディアンクリークのクラックを、ほんの5日間ですが登って来ました。
 とはいえあの砂岩のクラック、写真で見た限りではワンパタっぽくて魅力がわかず(実際いくつかはそうだった)、当初は正直「仕方なく」って感じだったんですが、それでも初めての岩場、ルートっていうのはやはり面白く、後からじわじわと、やっぱ行って良かったなあと思うようになってきました。
 で、何が良かったかっていうと、久々に「フリー・クライミング」というものの意味を問い直すことができた、ということでしょうかね。

 「クライミングは上手くなった。でも“フリー”はどこに行っちまったんだい?」
 これはある音楽雑誌で読んだ「ロックは上手くなった。でも“ロール”はどこに行っちまったんだい?」というキース・リチャーズの言葉をもじって『我々はいかに石にかじりついてきたか』に私が書いたセリフなんだけど(ぜひ買って読んでね)、折々のクライミングの場面で、私などはいつもこの言葉を投げつけられているような気がしてしょうがありません。そしてこんな粋な言葉が載ってるなんて、なんてこれは素晴らしい本なんだと、つくづく感心してしまいます。あ、それはどうでもいいか。

 思えば「フリー」という概念は、なかなか深遠な概念です。自然が作り出した岩を、人工的な手段に頼らずに、人間の肉体のみで克服する。
 それに対しての考え方はいろいろあって、過去、シューズを履かない、ハングドッグをしない、ロープを使わない、などいろいろなクライマーがいました。で、今とりあえずの共通ルールとなったのが、レッドポイントというわけなのですが、しかし今回、私、つくづくと感じたのは、「一期一会」の「フリー」性ということです。

 というのは、そもそもこうしたツアーでは1本のルートにそう時間をかけられないという事情もあるんですが、それ以上に、初見、1回目のトライが本当に面白かった。そして、「フリー」という意味で、とても重要に感じました。
 「フリークライミング」を、自然=岩と、自分との、フェアな出会い、として考えた場合、1回目の最初のトライこそが本当の「フリー」という気がしたんですね。
 だから本当はオンサイトだけが正確な意味での「フリー」なんだけど(実際、そういう考え方に取りつかれていた時期が、自分にはありました)たとえそれができなくて1フォールや2フォールだったとしても、自分にとっての「フリー」はそれで終わり。自分とその岩とは、1フォールで出会った、2フォールで出会った、で完結、というのが、なんか一番本当のように思えたというわけです。

 もちろんだから2回目以後のトライが意味ないというわけではありません。たとえば自分が登れるか登れないかわからないような厳しいルートに、苦労を重ねてレッドポイントで陥とす、ってのも、フリークライミングの追求としては大切なことではあるでしょう。
 でも、それとは別に、たった一度しかない初見時のトライに、一期一会の「フリー」度を問う。前腕パンパンにして、頭、爆発するような回転数の中で、自分と岩との出会いを極力フェアにしようと頑張る。それも実に大切なことだと思います。

 そうやって考えると、あの時、あのルートを、もっと真剣にトライすべきだった。簡単にテンションなんか入れるんじゃなかった、と、今更ながらに思えてなりません。

 そういえば昔、クライミングジャーナルで堀地清次くんのインタビューをやったとき、「マスタースタイルは邪道だ」という言葉が出て、賛否両論渦巻いたことがあります。マスタースタイルってのは今のレッドポイントと同じ意味なんですが、その時の彼のセリフ。
 「それに対するオレの意見はこうだ。例えば初見で行って1回のロワーダウンで登った時の方がさ、確かにマスターじゃないけど、トップロープで何十回もトライした後のマスターなんかより全然価値はあるってことだよね」

 この記事が出たのは1985年。堀地くん23歳。まー、なんてクソ生意気な・・・、ってことを別にすれば至極まっとうにも思える意見ですが、しかしその後、ヨーロッパから高難度スポーツクライミングが押し寄せてくるに及んで、こうした考え方がどんどん闇に葬られていってしまったのは、否定できない事実でしょう。

 そして今。
 「“フリー”はどこに行っちまったんだい?」
 なんか、しわくちゃになった狼顔の男の声が聞こえてきそうな気がします。


                                            (1月10日記)
インディアンクリークの、名前なんつったかな、シンハンド12cのクラックにトライするわたくし。テンション、いくつだったかなあ。それが私の点数。って思いです。残念ながら。





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