Hot Rocks 2010 
クライミング&etc 私的レポート

Hot Rocks 
クライミング&etc 私的レポート

菊地敏之 クライミングスクール&ガイド
Toshiyuki Kikuchi Climbing School& Guide
2010年2月8日

 なんと! 年が明けてぐずぐずしているうちに、暦ももう2月になってしまいました。
 いったい私は何をしていたんでしょう?

 ということで、2010年最初の報告は、城山南壁。昨シーズン、フリー化した北嶺ルートの支点整備をやってきました。
 実は年明けすぐに作業用のフィックスロープをかけておいたんですが、風邪ひいたりなんだりで伸ばし伸ばしになってしまい、昨日ようやくかたずけてきたというわけです。
 北嶺ルートは全4ピッチで最高グレード5.11b。核心の2p目とその上3p目一部、そしてその間のビレイ点に長さ8cmのオールアンカーを15本ほど埋め(RCCボルトをそのまま使用も一部あり)、安心してトライできるようになりました。

 っつっても、これ、登る人、本当にいるんでしょうかね?
 というのも、城山南壁のマルチって、オールフリーのルートだけでももう10本以上あるのに、来る人来る人、みんなバトルランナーばっかで、たまにエキスカーションかダイレクトに人影を見るくらい。なんとも画一的というか、新鮮さを求めたがらないというか・・・。
 実はこれに先立つひと月ほど前、ここで國分誠さんとたまたま会い、その話になったのですが、國分さんも嘆いてました。せっかくいろいろなルート作ったのに、皆ワンパターンのルートしか登らない。例えばトワイライトゾーンなんかライン取りも内容もすごく面白くて、それは私自身も何度か登ってそう思っているのですが、他に登ったという人の話を聞いたことがない。
 新しいマルチピッチ・フリーが、これからまた人気出そうな折、ここにはこんなにたくさん、変化に富んだルートがあるっていうのに、なんとも残念というか、もったいない話です。

 でもまあ、これは城山に限ったことではなく、すべての岩場において言えることでしょう。
 暮れに何度か通った海金剛も、登るのは皆スーパーレインばかり。瑞牆山も調和の幻想か、ベルジュエールばかり、山に行けば、チンネ=左稜線、一ノ倉=南稜中央カンテという図式がもうすっかり定着しているようです。
 でもマルチの楽しみって、やはりそのルーツは「新しい発見」ですからね。誰もが登るルートしか登らないってのは、いまひとつよくわからない。
 それに技術的にも、整備された、教科書通りに登れるルートだけでは、マルチピッチの多くで要求されるような応用力は身につかない。いろんなルートを数登ることで、応用力、洞察力、精神力や、勘などが熟成されていくものでしょう。

 ということで、ここれアピールしたいのは、みなさん、城山南壁のいろんなマルチピッチを、もっとたくさん登りましょうということです。
 次号のロック&スノーに、海金剛と一緒に城山のトポ出すので、ぜひ見てください。
 近々、他のルートも整備する予定です。
城山南壁。ここにはさまざまなマルチピッチ・フリーのルートがある トワイライトゾーン(5.11a)を登る國分誠氏


3月8日

 いやいや、また長らく空いてしまいました。
 今春は天気がゲロ悪く、岩場にはぜんぜん。に加えて、持病の股関節炎とギックリ腰が連続攻撃で襲ってきて、ジムにもまるっきり、が続いてしまいました。
 おっと、その前にノロウィルスってのもありました。これは今年、かのオソレ多い方もおかかりになったそうで、日本国民全員、他人ごとではありませんわね。

 しっかし、この腰痛グセ、まったく、なんとかなりませんかね。
 今回は股関節炎が収まって、さてそろそろ、という時に、パソコンの前でくしゃみしたら、アウト。
 せっかくまた13あたりまで手を伸ばし始めていたのに、たーっ、またかよ、って感じでガッカリです。

 こうなると、次に生まれ変わる時は、ぜひ腰の無い動物にして欲しいですね。ヘビとかクラゲとか。
 関係ないけど、ゴンチチのチチ松村さんか書いた『私はクラゲになりたい』(河出書房新社刊)、ちょっと古いけど、面白いです。坂田明の『みじんこの都合』も、なかなか良かったな。

 ところで、こうした故障の合間の復帰期間って、これはこれでなかなか興味深いです。
 今回は、初日は5.8から10aまで10本、2日目は10b、cまで10本、そこでいったんボルダーで比較的やさしめの長もの数本を交えて、次、11aを2本づつ計20本、次、かぶり系の11+を3本+やさしめの持久力系数本、とやってみたんだけど、11aが指を固め持ちする系が多くて、前腕のリラックス部分がいまいちだったかな。
 その前は、ボルダーの毛細血管トレーニングから始めて、筋肉をあまり収縮させないように体の動きの大きい自持久力系ばかりやっていったんだけど、その方が良かったかも・・・。

 なんて感じで、なにしろ1回の故障ごとに、いろいろプログラムを組んで、回復具合の善し悪しを研究してみる。
 それがなかなか研究しがいがあるし、意外に面白い。
 特に私、今年はこんなのをすでに何度も繰り返しやっているから、なんだか趣味=「回復」みたくなってきてしまいましたよ。
 故障しないと自分の課題がなくなるみたいで、う〜ん、それも問題だな。

 話は変わるけど、昨日、二子山中央稜行ってきました。
 前日、雪で、この日は晴れるとの予報だったんだけど、行ってみると、下から見上げる山は、八ヶ岳かと見まごうくらい真っ白。
 しかしそれでもクライマー、数パーティいました。
 いや〜、二子の人たちって、ほんと勤勉ですわ。たまげた。
これ、二子です。八ヶ岳じゃないです こんな日でもクライマー、登ってるんだよ 午後から晴れて中央稜はなんとか完登


3月12日

 すごい本を入手しました。
 その名も『THE STONE MASTERS ―― california rock climbers in the seventies』(patagonia books)。
 「ストーンマスターズ」っていうのは、70年代のヨセミテ・クライミングを、まあ、作りあげてきたといえる一大軍団のことで、そのメンツは、ジム・ブリッドウェルを筆頭に、ロン・コーク、ジョン・バーカー、ジョン・ロング、ジョン・ヤブロンスキー、トビン・ソレンソン デイル・バード、etc.などなど。
 その彼らが当時、どのようにクライミングに取り組んで、どのような生き方をしていたか、というドキュメント写真集です。

 それにしても、今あげた名前。彼らに、私などはどれほど憧れ、シビレまくっていたことか。今の人にはおそらく想像もつかないでしょう。
 圧倒的なレベルと先駆性、型破りな生き方、強烈なヒッピー・スタイル、そしてなにより、クライミングに対する自然回帰的な哲学。

 中でも特に憧れていたのは、もちろんジョン・バーカーですが、実はそれ以上に、自分のヒーローとしていたのが、トビン・ソレンソンでした。
 氏の名は、日本ではあまり知られていませんが、南カリフォルニアのボルダリングから始まって、ヨセミテでのフリークライミング、ヨーロッパアルプスやカナディアンロッキーでのアルパインクライミングに至るまで、それぞれに当時世界最高水準の記録を数多くうちたてた人です。特にすごいのが、アイガー北壁ジョン・ハーリンルートの第2登(ワンプッシュ初登)と、キッチナー北壁グランド・セントラル・クーロワールの冬季初登で、当時アルパインクライマーを目指していた私は、それらの記録を読みながら、世の中にはこんなすごいことをする人がいるんだ、こんな肉体能力を持って、それをアルパインで発揮する人がいるんだ、そして、今はそういう時代なんだ、と、いたく感銘を受けたものでした。
 残念ながら氏は80年にカナディアンロッキーですでに墜死してしまっていたのですが、82年に私がヨセミテに行ったのは、実はこのトビン氏の影響が最大のものだったのです。

 で、話は飛ぶんですが、80年代の、終わり頃だったかな。あるアメリカ人クライマーが城ヶ崎にふらっとやってきて、まあ、ごく無名の人だったんですけど、よく見たら、ヨセミテで会ったことがある人でした。じゃあ、ということで一緒に登ったり、メシ食ったりしているうちに、「今は自分もみんなと一緒にハングドッグ・スタイルで登るけれど、自分の師匠は絶対ハングドッグをしない人だった」という話になりました。ふ〜ん、と思いつつ、「その師匠って、誰?」と聞くと、
 「トビン・ソレンソンって人だ」との答え。
 いや〜、たまげました。&感動で、胸が熱くなりました。もうほとんど、涙チョチョ切れそうでしたよ。

 というわけで、『ストーンマスターズ』。感涙ものです。
 日本じゃ滅多にお目にかかれないトビンさんの写真も、たくさん入ってます。
 パタゴニアブックスって、前にもジェリロペの『サーフ・リアライゼーション』なんか出したりしてたんだけど、いやいやまったく、良いもの出しますわ。
 パタゴニアの新しいカタログも、素晴らしいです。宣伝するわけじゃないけど、今、各お店で、70年代関連のあれこれを展示してるらしいです。ぜひ。
『THE STONE MASTERS』(patagonia books 7350円) 実は私の部屋には今もトビン氏の写真が 70年代の名写真集『ヨセミテ・クライマー』。これもぜひ復刻してもらいたい


3月29日

 城山南壁。先シーズンから途中になっていた、A’ルートの整備、ようやく終了させてきました。

 このルート、もともとは古い人工ルートで、80年代に西村豊一さんがフリー化(5.10c)していたのですが、先シーズン登った時にそのすぐ左にもっと大きいホールドが続いている部分があって、そちらにラインを設定しなおしていたものです。
 その顛末はロクスノにも書いているのですが、なにしろこういうボルト打ちって、悩みますよね。
 なにしろ城山って、そもそもは古いリングボルトをそのまま使って登られていたわけだし、そこにハンガーボルト打つのが、妥当なのかどうか。それは、他の人たちが以前ここの壁のボルト打ち替えた時に、私自身抱いた疑問でもあったわけで、しかも今回は既成のルートから外れたラインを個人的に設定しているということもある。また、ここにわざわざ5.9クラスの初心者向けルートを作るというのも、なんかよくある「ガイドの営業用ルート開拓」みたいで、どうも・・・というさまざまから、ルート整備も中途半端になっていたのですが・・・。

 しかし、この正月、國分誠さんたちと一緒にルート整備をしたりして、考えも変わりました。
 まず、ルートは公共物である以上、ボルトはやはりしっかりしたものを打たなきゃいけない。それに、これだけの壁なのにみんな登るルートはバトルランナーとエキスカーションばかり。もっとバリエーションがあっていいし、ラインが良ければそれはルートとして存在する意義がある。

 ということで、斜上バンドから三日月ハングまでのピッチに、ボルト7本追加してきました。グレードは、斜上バンドからハング下のビレイ点までが20m、5.9。三日月ハングの乗越しが、5.10aというところかな。三日月ハングは、すぐ右に三日月ハングルートのケミカルボルト(でもこれ、登るラインから外れてます。良くない設置位置だと思います)があってちょっと紛らわしいけど、ビレイ点からほぼ真上をハーケンで越えていくラインです。
 このハングを、ハーケンだけで越えているという意味で、この「Aルート」、本来なかなか優れたルートだったと改めて思います。城山南壁のマルチに興味ある方、ぜひぜひ。


4月10日

 湯河原幕岩。
 というと、まあ、毎週のように講習会で行っている岩場ではあるんですが、今年はここが、ちょっと話題になっているようです。
 いうまでもなく、正面壁の禁止問題ですね。

 しかし、これについては、実はあんまりコメントしたくない。
 というのは、なぜ禁止? というのが実は本音なんだけれども、下手につつくと、町とクライマーの関係、さらにはクライマーどうしの関係が、悪いものになりかねない。そして当然、その火の粉は、自分自身に降りかかってくる。だからまあ、黙っていた方がいい、というように皆さん、実は考えているような気もするわけでありまして・・・。
 しかし、それでもちょっと気になるのは、まずやはり、なぜ正面壁が禁止にならなきゃいけないの? ということ。そして、その理由を知らないのに、「禁止」と言われりゃ、もうそれに絶対従わなくてはならないの? ということです。

 いやいや、もちろんそんなこと言ったら波風たつのはわかってます。
 わかってますが、どうもクライマーって、このあたりのこと、あまりにも従順すぎるっていうか、無頓着というか、逆にそれが恐ろしい気がします。
 というのは、こんなことが日本全国で行なわれてクライマーがそれに全て従わなきゃならないというのも変な気がするし、こういう対処の仕方って、どうもクライミングを犯罪みたいに捉える感覚を増長させているようにも思える。
 で、そんな風に思っているから自主規制も行き過ぎて、変なローカルルール作ってそれを他者に強要したり、また本当の禁止理由をわかっていないからそれに正しく対処できずに、なかなか問題解決に結びつけることもできないんじゃないでしょうか。

 というのは、今回の幕岩がそうだと言っているんじゃなくて、あくまで一般論として、そういう可能性が広い範囲で存在する、ということを言ってるわけなんですが・・・(あえて言えば、蓬莱なんかが、その典型ですわね)。
 ここらでそろそろクライマーも、クライミングすることは、国民の、豊かな人間生活を送るための、あるいはこの国に税金を納めている者の、当然の権利である、という考え方を、積極的に持っても良いんじゃないでしょうか。
 (いや〜、この発言が今回の問題に悪影響を与えないこと、そしてなにより叩かれないことを、神に祈りますよ)


おかげで茅ヶ崎ロックはゲキ混み。桃源郷など平日でも満員です


4月20日

 太刀岡山と、湯川に行ってきました。
 今季初の、甲信方面。ということで、やはりいいもんですなあ、山国の春は。
 太刀岡山の登山口と、瑞牆湖のあたりが、ちょうど桜の満開でした。
 道端にタンポポなども咲いて、のんびりしてましたよ、天気も良くて。

 で、太刀岡山は中央道の事故渋滞にひっかかり、ちょっと遅れて行ったら、駐車場は満杯。その下の路肩にももう何台も停まっていてかなりびっくりしましたが、考えてみれば、二子や城が崎は雨で染み出し多そうだし、甲府幕岩はまだ林道が閉鎖中、ということで、ここしかないんですよね、ちょうど良い岩場が。
 まあ、それでもこのほとんどはカリスマでしょう。我々は左岩稜だから関係なし。と思って行ったら、先行パーティーがいました。
 やっぱりいるんだね、こんなルート(と言っちゃあ失礼だけど)にも。
 出だしが濡れてて、先行パーティー、相当はまってたけど、まあ、楽しかったですよ、眺めも良くて。でも出だしが5.9のクラックで、上部のハイライトがV〜W級程度の岩稜というのも、ちょっとね。上の岩稜楽しむには下部が悪すぎるし、5.9が無難にこなせる人には上部がいかんせん物足りない。要するに、いまひとつ存在意義のわからんルートでした。

 翌日は瑞牆山でクラック講習のつもりが、行ったらゲートが閉まっていて、不動沢側から行こうとしたら、ここもダメで、湯川に転身となりました。
 (ちなみに瑞牆のゲートは4月25日まで閉鎖、と書いてありました)
 湯川は、この時期とても気持ち良くて好きなんですが、林道が、これまた荒れてました。道自体はいいんだけれども、脇の斜面が土砂崩れしまくりで、どうしちゃったんでしょうね? この冬、台風でも来たか? って感じ。
 これから大雨など降ったら、ちょっと心配です。
 でも岩場は楽しめましたよ。久々のジャミングで、手の甲が腫れぼったくなってしまいましたが(しかしここのグレードは、相変わらずカライね。サイコキネシスなんて、絶対アストロドームと同じグレードだと思うんだけど・・・)。
 手を、またジャミングに慣らしていかないとダメだな、これからの奥秩父シーズンに向けて。
茅ヶ岳を望む山里の春。いや〜、いいもんですわ、こういうのも 太刀岡山左岩稜のハイライト、剣6峰Cフェース並みのロケーションです 湯川右壁のフォーサイト。これも10a/bって、あんまりだよ(私の感覚では、cだな)


4月26日

 海金剛に久々のガイドで行ってきました。
 しかし今回のゲスト(お客さん、って感じじゃないね、こうなると)はすごい。
 モンキーマジックの小林幸一郎さんですよ。

 小林さんは、「モンキーマジック」っていう団体を知っている人はもちろん御存知だろうけど、視覚障害者。要するに、目が見えないんですね。
 といっても最初から見えないわけではなく、病気でそうなっちゃったわけで、昔はそこそこのクライマーでした。あの池田功さんの最初の教え子で、ヨセミテでセパレット・リアリティなんかも登っています。
 それが、視力がだんだん失われる進行性の病気にかかり、それをきっかけに数年前から視覚障害者のためのクライミングスクール「モンキーマジック」を立ち上げて頑張っていたんですが、自身、今はもう、ほとんどボヤっとした明暗しかわからない。

 そういう小林さんが、「海金剛行きたい」って言った時にはビックリしました。が、やはりそういうチャレンジ精神は、ぜひともなんとかしてやりたいですわね。いや、「してやる」なんてとんでもない。「協力させていただきたい」そして、「ぜひ一緒に登りたい」だよな。
 それでもアプローチなどでどれだけ時間がかかるかわからないので日の長い時期まで待ち、しかもヤブや暑さがひどくならないタイミングを狙って、連休前の束の間の晴れの日、決行となりました。

 で、結果ですが、いや〜、ビックリするくらい、スムーズで、あっという間に終わってしまいました。
 アシスタントに、いつもモンキーマジックの講師務めていらっしゃる免出さんに協力いただいたんですが、それをさっぴいても、早かった。
 8時少し前に取り付いて、頂上であまりの天気の良さに1時間くらいだべって降りてきて、1時ちょいですからね。言っちゃ悪いが、もっと時間かかってるパーティー、いっぱいいます。

 それにしても、こういうチャレンジって、いいですね。
 目の見えない人がマルチ登って、楽しいのかな? って、当初は正直思ったんですが、やはり登るにしたがって、高度感も感じられてくるし、風も違って感じられてくるそうです。それに空がどんどん明るくなるって言ってました。
 そういう感覚って、私などにはわからないけれども、やはり何にしても、素晴らしい。
 クオリティー・オブ・ライフ、っていうんでしょうか。そういうのを追求する気持ち、そしてその可能性にチャレンジする精神って、絶対必要だと思います。そしてそれは、○○障害者だからどうこう、というのではなくて、すべての人が持つべきものでもあるのでしょう。
 思えばクライマーは、それを大切にしなければならない。自分にも、人にも、どんどんそれを高める助け、あるいは働きかけをしていかなければならないと思います。
 話は飛ぶけど、幕岩の禁止問題なんか見ていると、人間の権利としてのクオリティー・オブ・ライフの追及って、もっと声高に叫んでも良いように思いますね。

 小林さん、ぜひとも、もっともっと可能性を追求していって欲しいです。
 そしてそれに協力できたら、私もクライマーとしてこの上ない幸せです。
4p目、10aのハンドクラックにかかる小林さん。クラックはかえって登りやすいかな 最後のクラックを越えて、頂上間近。海をバックの高度感が素晴らしい 海金剛、完登しました。免出さんと小林さん。いや〜、いい一日でした


5月10日

 ゴールデンウィーク、ずっと小川山に行っていました。
 といっても講習会は参加者が例によって少なく、ほとんどはロクスノ連載「日本のマルチピッチ・エリアガイド」の取材に費やす日々でした。
 幸い、天気もよく、予定していたルートをほとんど網羅することができました。
(〆切が10日だったから、ちょっとでも雨降ったらヤバかったですよ。ああよかった)

 しかし、こうして探して登ってみると、小川山って、ほんとマルチピッチが多いし、それが一つ一つ変化に富んでて、実に面白いですね。
 今回は紙面の都合で9ルートしか調査しなかったけれど、他に講習会やプライベートで登っているものも合わせると、すごい数になります。確かに日本を代表するクライミングエリアであり、同時にマルチピッチルートの宝庫ですわね。
 一緒につきあってくれた皆さん、ありがとう。

 さて、それで今回の調査で特に目玉だったのはといいますと、なんと仏壇岩。と、烏帽子岩。
 両方どえらい遠い所にある岩場で、特に仏壇は、小川山が開拓され始めた1981年にモアイとペンギンクラックを登りに行って以来、実に30年近くぶりの訪問でした。
 ルートは山下勝弘さんが最近拓いた「エレクトリック・レディランド」という、たいそうな名前のものを登ったんだけど、いや〜、厳しかった。
 アプローチ、休憩やなんやらも含め、1時間40分。プラス、1ピッチ50m近い長さですべてナチュプロという内容で、最高グレード5.9ながら、まさにエレクトリックな厳しさでした(ジミヘンがこの名前に納得するかどうかは別だけどね)。
 しかし頂上はやはり最高で、小川山の岩場が全て眼下に望め、久々に山登りの爽快感を味わうことができました。

 そして翌日は烏帽子岩。さすがに連日の遠出はやめようかなと思ったけど、ええいこの際、と半分開き直って、行ってきました。
 目標は、5年ほど前に開拓された「裏烏帽子」のさらに奥にある「烏帽子右岩壁」という所。ここには地元の井出良二さんや篠原富和さん、渡辺尚幸さんなどといった懐かしい名前が出てくる「むささびルート」というのがあって前から気になっていたうえ、去年その手前の「ロケットマン」を登った時にすぐ裏にその岩壁が見えて、その大きさに驚くとともに、これならまた面白いマルチが引けるかもしれない、と期待大の壁でした。
 とはいえ、なんせ「むささび」の記録も、30年前。その後登ったという話も聞かず、前回の偵察で見た1p目はRCCボルトとハーケン連打の垂壁でホールドもあるようには見えず、本当に登れるのかな? と、心配だったのですが・・・。
 しかし実際に登ってみると、岩は予想外に硬く、ルートもすっきりしていて、まったく驚きの一言でした。30年間人がほとんど登ってなかったであろうにも関わらず、岩を掃除する必要もなく、快適なフェース、スラブ、クラックをつなげて、烏帽子岩の頂上に立つことができました。またそこからの眺めの、素晴らしかったこと。
 ここはアプローチも廻り目平から結局1時間はかからず、道もしっかりしていて、人気ルートになる可能性は大ですね。今回の調査での最大の掘り出し物でした。次のロクスノ、乞うご期待。
ロケットマン頂上から見た烏帽子岩右岩壁。右肩のピナクルに最終ピッチの「いたちクラック」が見えている むささびルート中間部の快適なスラブ ここの頂上は、行く価値ありですぜ。小川山の岩場が眼下にすべて見渡せます


5月30日

 ひっさびさの外岩プライベートクライミング。は、甲府幕岩に行ってきました。
 実はここ、ついこないだも来たばかりなんだけど、それはしかし講習会でしたからね。他の人がいろんなルートにトライしているのを横目で見つつ、仕事して終わりでした。
 で、今回は、その時、遠藤孝さんという古い知り合いがやってて面白そうに見えた「風になれ」5.13aに手つけたんだけど、まあ、難しかったですわ。見た目通り、めっちゃボルダーチックなルートでホールドも悪く、2回やって、なんとかムーブはわかったかな、程度で終わってしまいました。

 それにしても遠藤さん。って、この人、実は私のタカトリ時代からの知り合いで、もう50をとうに越えているんですが、よくまあ、相変わらず、こんなルートやるわ、と、感心してしまいました。しかも背が小さいから私なんかが使わない、とんでもなく小さいホールドにぶら下がって、とんでもないムーブなんかやっちゃったりして・・・。
 まあ、昔から指の強い人だったですけどね。しかしあれから30年たってもぜんぜん衰えてないのにつくづく感動。かつ、いまだにこうして、クライミング始めたばかりの小僧のように、次々とこんなハードルートを陥し続けてるのに、頭が下がる思いでした(っつっても、私は絶対、この人に頭を下げないけどね。いや〜、ひどい男なんだ、実は)。

 でもそういうルートを、しかし今度は自分がやってみると、それはそれでムキになっちゃう。
 なんでもこのルート、最近のガキどもは1撃したり2撃したりするらしんだけど、なんで? なんでそんなこと、できちゃうの? そしてそれが、オレにはできないの? オレと若造って、どこか違うところあるの?
 なんて、不思議になっちゃう。
 『クライマーズ・ボディ』の著者にしてこんなこと言うのも何なんだけど、20歳と50歳って、本当に、違うのかね? 私自身は、ついこないだまで高校生で、それからたいして変わってない気もするんだけど・・・(遠藤さんは、でもオヤジだよ。それは間違いない)。
←とりあえずジューン・ブライド、11b。新緑が眩しい

すごいルーフをフリーソロする遠藤孝さん(ウソ)→


6月15日

 ついに梅雨入りしてしまいましたな。
 あー、こないだG・Wが済んだばかりだというのに、1年で最良のシーズンは、もう終わってしまいました。あーあ(って、私個人は、じっとりクソ暑い夏も、大変好きですけどね)。

 で、その梅雨入り前の奇跡のような晴天10日間、明星山から瑞牆、小川山と、フルに回ってきました。
 明星は、ロクスノ・マルチピッチフリーエリアガイドの取材+ガイドで、毎度おなじみフリースピリッツの他に、正面壁ルート、キャプチュードと登ったんだけれど、いやいや、難しかった。
 正面壁ルートは、92年に山野井くんがフリー化してて、核心に12aを与えてるんだけど、これがまた難しい。プラス、1p目が通常ルート通りにはフリーでまるっきり行けず、ええ? ここどうしてるの? と思いつつ、下降の際に見つけたダイレクトラインをトライしてみたら、確かに11cくらい。でもナチュプロ交じりでランナウトもきつく、とはいえ山野井くんだからなあ、悩まず行っちゃうか、ということで、とりあえずオールフリーのラインを確認してきました。
 各ピッチ、ボルト打ち換える必要はあるけれども、岩はかなりに硬く、整備すれば良いフリールートになります。

 続いてキャプチュードも、いやあ、難しかったなあ。
 トポには長年、11aと出てるけど、1p目、最終ピッチとも、11cは下らないな。dでも良いかもしれん。なにせ、滝口さん、グレード辛すぎるよ。謙虚なのはわかるけど、他と比較して、適正グレードつけてくれよ。って自分を棚にあげつつも、思ってしまいました。
 でも、このルート、岩は予想以上に(ってのは、明星山にしちゃ、ってレベルではなかったですよ。マジ、他のフリーエリアと比べても、ぜんぜん遜色ない)硬く、ひじょうに面白いです。拓かれた時代も考えると、日本を代表するマルチピッチ・フリールートと呼んでいいかもしれない。いかんせん、ボルトが死んでるけど、これも、これだけのルートならしっかりしたものに打ち換えて、再生させる必要があるように思いました。

 ということで、期待せずに行った明星山でしたけど、なかなかこの二つのルートはみっけもんでしたね。フリースピリッツも前より岩が大分安定してきたし、1昨年(核心部のみ)フリー化したハルシオンも、面白いです。これで整備が行き届けば、良いマルチフリーエリアになりますよ。そろそろそういう方向性に移行してもいいんじゃないかな、ここは。
毎度おなじみ明星山南壁 フリースピリッツもかなり登りやすくなったよ この時期の徒渉はこんな感じ。水には触れず、この時期けっこう良いです


7月16日

 関東地方、梅雨明けしたというのに、私、ゲリラ豪雨で陥没しそうです。
 実はこの日、ジムで登っていて、なんていうことない箇所でフイ落ちし、とっさに逆側のロープを掴もうとしたら指がその下のヌンチャクに引っ掛かって、左中指の腹をザックリ切ってしまいました。

 あらっ! って感じで指に激痛が走ったので見ると、血だらけ。分厚い肉までザクっと切れて浮いてしまっていて、その下には骨だか腱鞘だかの白いものが見えています。
 あふれる血と強烈な痛みに唸っていると、一瞬でうちのが飛んできてタオルで包んでくれ、圧迫したまま速攻タクシーで病院へ。ドえらく痛い処置のあと包帯ぐるぐる巻きにして返されましたが、なんせ傷が大きく、肉の欠損もけっこうあるため、元に戻るのは相当時間がかかるという診断を受けてしまいました。ショック! そして、ガッカリ。

 それにしても、この、落ちた時に逆側のロープを掴みに行くっていうの。危ないとは知りつつ私、今までもよくやってしまっていたんですが、手を火傷するだけでなく、こんなことにもなるんだということで、驚いてしまいました。
 クライミング当分できない、ということだけでなく、自分がそんなミスをしてしまったということ、問題意識の甘さにも、めちゃショックです。
 私、今までクライミング中に膝を壊した、肩を壊した、ぎっくり腰ったなどの故障はたくさんあるんだけど、こういう本当のミスによる怪我というのは、19の時のフリーソロでの墜落以来、30年ぶりのことで、それもたいへんにショック。
 まあ、危ないことを自分でやった、ということの結果ではあるんだけど、このペナルティ、ちょっときつすぎる気が・・・。

 (スクール講習生の皆様には大変にご迷惑おかけします。クライミング再開は追って連絡させていただきます)
どへ〜、こんなんなっちゃいました おもては夏空。ふてくされるの図です


7月31日

 ようやく、抜糸しました。
 その間、ずーーっと、ドピーカンでした。
 あー、悔しいやら情けないやら・・・。

 ところで、この傷、改めて見ると、第2関節の腹が見事に削り取られていて、どうもカラビナによる裂傷ではないみたいです。
 たぶん、ロープだけでこうなっちゃったんじゃないかな。
 その話、他の人にすると、え〜、そんなことあるの? なんて言うけれど、おそらく、間違いないと思います。
 落ちる時に、すでに流れ出しているロープを掴もうとして中指だけが引っかかり、まず摩擦で指の腹が削り取られ、さらにそこからザックリ、切り開いてしまったんでしょう。ああやって勢いよく流れているロープってのは、時にナイフのようになってしまうものなんだと思います。

 やはり落ちる時に何か他のもの、特にロープなんかを掴みに行くというのは、絶対やってはいけないことなんですね。
 改めて反省、&認識を新たにした次第です。

 皆さんも、ぜひ注意!


8月10日

 指の怪我、ようやく先が見え、なんとか小川山に行ってきました。
 しかしまあ、海の日の連休前に怪我して、それからず〜っと、ドピーカンの猛暑日続きだったというのに、この日に限って前日から雨。
 でも束の間の晴れ間を縫って、セレクションと小川山レイバック登ってきました。
 相も変らぬ、とはいえ、やはり気持ちいいものですわね。
 山はおがっていたし(この言葉、わかるかな)、クライマーも少なかったし。

 それにしても、こういう怪我すると、登り出し、やっぱ怖いもんですわね。
 セレクションの5.8スラブもいつになく緊張してしまったし、ロープ触るのがまだなんとなく怖い。
 そういえば昔、懸垂下降で大事故やらかして骨盤骨折し、復帰したての友人が、「ハーネスが切れるんじゃないかとか、バカみたいなこと考えちゃって怖い」と言ってたことがありました。
 私も窓拭きでの大怪我からまだ何年もたってなかったもので、うんうんと頷いたんですが、そう、確かにあの頃って、岩登ってても、ここで地震が来たらどうしようとか、ロープが切れるんじゃないかとか、わけわかんないことにビクビクしていたことを思い出します。
 でもガイドになってこういう体験すると、怖がるよりも、教訓にしなきゃって思えるところが、違いを感じるところだよね。いや、これガイド云々じゃなく、単に歳の問題かな。

 いずれにしても、これからまた一からやり直しです。
 は〜あ(前にそれ、趣味だって言ってたじゃんか)。


(講習会も通常通り再開します。講習生の方にはご心配とご迷惑おかけしました)


8月15日

 お盆の小川山。
 廻り目平の駐車場はすごいことになってたけど、岩場は意外とたいしたことなかったすね。14日土曜はまたまたセレクション〜3峰レモン、翌15日は、絶対空いてるだろうを狙って、烏帽子の左岩稜に行ってきました。

 左岩稜はこのところ一部でちょっと話題になってたし、烏帽子本峰自体はこの春何度も登って眺めの良いことは知ってたんだけど、ルートは、う〜ん、もうちょっとだったかな。
 出だしに5.9のクラックがあると聞いてたんだけど、X+くらいで、普通に他のアルパインルートにも出てくるような内容だったなあ。長さ10数ピッチというのも、結局烏帽子本峰まで7ピッチでした。
 でも各ピッチ、50mロープいっぱいいっぱいだったし、コンテになるほど易しくもなく(途中からアプローチシューズに履き替えちゃったけどね)、なかなか充実はしてました。
 ただ、やはり気になるのは岩の脆さで、結局このルートは、小川山の系列とはやや外れた、アルパインルートってとこでしょうかね。

 でも案の定、眺めは素晴らしかったでした。
 この春以来、烏帽子周辺は私、大のお気に入りなんだけど、指の怪我で1カ月近く休んだ後のこの眺め、遠く離れた雰囲気ってのは、やはりいいですね。
 それに、アプローチでガレ場を上がっていく時の雰囲気が、なんとなくヨセミテを思い出させるもので、これもまた良かった。
 こうした新鮮な気持ちを発見するのって、いいなあ。
 ガイドなんかやってると、なかなかこういう機会に巡り合わないけど、こういうの、もっと求めなくちゃ、と思いましたね。
←烏帽子左岩稜の、う〜ん、これはどこのピッチだったっけな


9月5日

 久々に5日間の小川山籠り。40代最後の1週間は、やたらマルチピッチばかりを登ってきました。
 またまたお決まりの屋根岩2峰セレクションから始まって、3峰RCC神奈川、レモン(JMCCルートから)、ガマルート、瑞牆山十一面岩左岩壁錦秋カナトコ、末端壁調和の幻想、と、講習会ではあるものの、あの暑さではさすがに疲れました。
 しかも9月に入ったというのに、日に日に暑くなってくように感じられて、それって年のせい? お客さんも、入れ替わり立ち替わりながら、ほんとお疲れ様でした。

 その中で屋根岩3峰RCC神奈川は久々だったんだけど、あれ、結構難しいすね。
 ルート図には5.8ってなってるけど、オールナチュプロということを考えると、5.9でもいいな。前にこのコーナーにも書いたけど、このルートに来るのにカムなど一切持ってなかった人たちが、「でも5.8って書いてあるしな」なんて言ってたくらいだから、このあたりは直しといた方がいいように思います。
 それと、ロクスノ連載にも書いたけど、このルート、要らないボルトが多いですね。
 初登は絶対あんなの使ってなかっただろうし、今登っても全然要らないものだから、今度外してしまいましょう。誰もやらなかったら、私、やります(いつになるか、確約はできないけど)。
 また終了点にもボルト(RCC)があって、そこから懸垂できるように残置カラビナもあるんだけど、あそこからの下りはいったん頂上を回りこんで4峰側のバンドにある木から懸垂するのが、昔からのやり方なんですよ。そうすればボルはいらない。
 懸垂下降点っていうとやたらボルトやカラビナを整備する風潮が最近はあるけど、できる限りのナチュラルで、っていうのも大切な考え方なんじゃないかな。
 なんか文句ばっかになっちゃったけど、あのルート、あの当時にあんなのいきなり初登していたなんて、凄いことだと思います。それを味わいつつ、ぜひ登って欲しいですね。
 瑞牆では左岩壁錦秋カナトコってのを、上部は初めて登りました。
 これも前に登っている人を見たことがあって今回初めて行ってみたんだけど、思ったより(大分)やさしかったながら、探検的な味わいがあって、面白かったです。
 カナトコ岩の頂上に初めて登ったのも、良かった。
 でも今回、小川山も瑞牆山も、鳥が少なかったなあ。
 特に瑞牆は十一面基部の燕返しハングにツバメが1羽もいなくて、ちょっとガッカリ。ツバメってそんなに早くいなくなっちゃうの?
 ハヤブサも、ぜんぜん姿を見せずに、あ〜あ、久々に来たのになあ、と思っていたら、最後に調和の幻想登った時に大面の向こうにチラッと飛んでいくのが見えました。ああ良かった。
屋根岩3峰RCC神奈川ルート。久々に登ったけど、改めて面白さを実感しました 初めて登ったカナトコ岩頂上。ロケーションはなかなかな迫力です 末端壁から望む大面岩の空。40代ももうすぐ終わりかあ・・・


9月15日

 パンプ2で緑十字(5.12c/d、本当はcくらい)久々にR・P。
 って、なんだかつまらない話題だけど、このルート、実は2か月前に私が指を切り裂いたルートでして、緊張しつつ臨んだんですが、なんとか1回で落ちずに、また怪我もせずに登れました。あーよかった。

 しかし今回、なんだか長かったなあ、ここにくるまで。
 いつもは「復帰」っていうと、徐々に徐々に、しかし割と確実に歩を進めることができて、自分でもそれが上手いと思ってたんだけど、今回はどうもね。なんだか焦ってしまったこともあるし、モノが指で、しかも肉ときて、先が見えなかったこともあるし、いまひとつ上手くリハビリが進められませんでした(途中で50を越えてしまった!こともあるしね)。

 そう、いつもは前のレベルに戻るまで、絶対に落ちないようにしながら極めて徐々に、何度も同じルートを繰り返し登りつつ、グレードアップしてくんだけど、今回は11で落ち、12aで落ち、bで落ち、って感じで、その都度レッドポイントはするものの、なんか上手く登れない。筋肉がもとに戻らない。前のリラックスした感覚を取り戻せない。あー、どうしちゃったんだろう、これが年を取るってことなのかと、暗〜い気持ちになってしまいました。
 特にいつもウォーミングアップで登っている12aで落ちた時は、本当に腕が張って落ちたものでビックリし、こりゃ今回はマジ復帰できないかもしれないな、これが限界かもしれない、なんてかなりのショックを受けてしまいました。

 というわけで、40代最後の夏はまるで長いトンネルのようだったんだけど(あー、でもこの40代って、故障から故障への渡り歩きだったなあ、なんて、考えてみたら30代もか)、それもようやく、先にわずかな光明がみえてきた感じです。っつってもそれはまだまだ先そうで、正確にいえば「光明が、見える可能性が、まだまったくなくなったわけではないことが、ちょっとわかりかけてきたような気がする」というところかな。やれやれ。

 それにしてもこういう体験をすると、50後半とか60過ぎて頑張っている人って、すごいと思うよね。もう○○オヤジとか○っちゃんとか、あんまり(あんまり、だけどね)バカにするの、やめよ。


9月20日

 小川山、烏帽子岩右岩壁ムササビルート(ロクスノ48号に出したやつ)のボルト、打ち替えてきました。
 といっても、1p目、ほとんどハーケンだったから、打ち替えたのは最初の1本目だけ。
 その上のビレイ点に2本打って、3p目、ドランナウトするスラブの中にたった1本あったやつも、しっかりしたグージョンに替えました。
 これで安心して登れるようになったかな?

 っつっても、このルート、全体的に結構難しいっす。
 1p目はさっきも述べたようにほとんどハーケン(+所々ナチュプロ)だし、3p目も、ドランナウト。5p目のイタチクラックも、ややかぶり気味で決してやさしくない。
 全体的に墜落の許されない、グレード以上の実力が必要なルートといってよいでしょう。

 しかし考えてみれば、マルチピッチって、基本的にどこもそうだよね。
 小川山なんかだと、6p、5.9なんてルートに「5.9が登れりゃいいんでしょ?」みたいなノリで取り付く人多いけど、それ、違いますよ。
 マルチの5.9がそつなく登れるためには、ショートルートではどんな、まではいかなくても、たいていの5.10aはオンサイトで登れなくては。
 そんな話を、前日、あみだくじルートを山崎祐和氏と登りながらして、やはり昔のクライマーは考え方がしっかりしているな、と、感心した矢先でもありました。
 そしてそういう働きかけ、というか、取り組み方が、マルチピッチのミソでもあり、また小川山クライミングのキモでもあるように、私なぞは感じるんですよね。
 ロクスノに小川山のマルチ紹介して、たぶんギリギリグレードで取り付いたり、結局人工混じりになっても登れば良いと考えるような人たちが増えるんじゃないだろうかと心配していたので、ちょっと小うるさいことを綴ってみました。

 ついでにヨセミテの「5.9マスター」の話を一つ。
 この称号は、昔、ロイヤル・ロビンスが初めて冠されたものなんだけど、これって普通に考えれば、ヨセミテのすべての5.9を登ったから与えられたもんだと思うでしょ?
 でも本当は違うんですよ。
 なんと、ヨセミテの、すべての5.10を登って初めて与えられるものらしいんだよね。
 要するに、ここの5.10がすべて登れりゃ、5.9は「登れる」と言ってあげて良いだろう、ということらしいんですな。
 いや〜、厳しい。
 でも向うのマルチ登る連中って、みんなこういう考え方してると思うな。
烏帽子岩右岩壁。小川山ではかなり大きい部類の岩壁です 3p目のランナウトスラブ。5月のロクスノ取材の時のもの イタチクラック。これも5月の取材時


10月25日

 パソコンが壊れてたもので、だいぶ空いてしまいました。
 その間、講習会もガラ空きで(トホホ)、久々にプライベート・クライミングを連発してきました。

 まずは16日、瑞牆はカサメリへ。ここは講習会ではちょくちょく来るけど、プライベートで来たのは1年ぶり。その時以来、いや、もっと遡れば15年以上前に初めてこの岩場に来た時以来の懸案だった、ナイト・デイジー・ダンス(5.12c)を、ようやくレッドポイントしてきました。
 しかしこうして何年に1ぺんづつトライのルートって、私、多いんだよなあ。今回のルートだって、正式には「15年越しのトライでレッドポイント」なんだけど、内実は3回目だからね。登れないわけだよ。
 でもそのあと、火曜日にパンプ行ったら、前の週には話にならなかったツナミの12d/13aのルートが、あっさり登れてしまいました。
 なんか、花崗岩登ってくると、足の使い方が上手くなってるというか、足により強く体重を乗せられるようになっていような感じがしますね。ジムクライマーにも、花崗岩、お勧めです。

 翌週はロクスノ取材も兼ねて、三重県の御在所岳。目標はもちろんカリフォルニア・ドリーミング。6p、5.12aです。
 このルート、3p目までは快適な5.10ーでよく登られているというんだけど、4p目5.12aが誰も登ったという話を聞かず、記録も85年の岩雪・御在所特集に「ワンムーブを残してフリーで登っている」とあるのが私の知るかぎり最後のもので、実にナゾだったのですが・・・。
 で、結局、えらい苦労の後、リードで2フォール、セカンドでノーフォールで登ったのを、まあ良しとして終えたのですが、それにしても、まー、難しかった。
 核心はほんの数手で、できちゃえば確かに12aくらいなんだけど、たまげるくらいトリッキーで、これホントに誰か登ってるのかな? と思わざるを得ませんでした。
 どなかた情報をお持ちでしたらご一報を。

 さらに翌日は、瑞浪屏風岩。
 ここはなんと20年以上前に一度来たきりで、しかもその時、岩場探しに苦労して半日うろうろした挙句、なんとか「イブ」は一撃したものの、本当に登りたかった「アダム」には手をつけられず、遺恨が残った場所でした。
 で、今回、20年越しの念願かなってアダムにトライしたら、なんとフォール! しかもその後もテンションの連続! 小雨降る中、下り際にトップロープでなんとかノーフォールアッセントはしたものの、いや〜ガッカリ、なんてもんじゃありませんでした。
 確かにこのクラック、指が太い人はムリ、などと聞かされてはいたんだけど、実際はほんの指先だけながらジャムは利いたし、感覚的にはこれなら登れる! と思えるものではあったので、それで落ちたのはチョーショックでした。
 やっぱ、クラックって、登ってないと、ダメだな。また頑張りますか(それより仕事だろって)。
カサメリのナイトウジジイダンス(って、よくみなさん、呼んでます)。あ〜、登れて良かった 御在所の中尾根バットレス。素晴らしい岩で、マルチピッチ・フリーにうってつけです 四日市のコンビニで買った「ちくわパン」。これって、ご当地もの? でもなかなかおいしかったです


11月8日

 ずっとパソコンがいかれてまして、これ、2週間遅れで書いてるんですが・・・。
 11月の頭に1週間ほど、東北、新潟(明星)、秩父(二子山)と、出かけてきました。しかもその前日に風邪ひいて、悪寒と鼻詰り、体の絶妙なだるさを抱えながらの“遠征”でした。あ〜、辛かった(実はその風邪、2週間たった今も治ってないです。どうしちゃったの?)。

 このうち最初の東北は、裏磐梯で開かれた(社)日本山岳ガイド協会のファーストエイド講習会でした。ガイド協会主催のものだけあって、実際にあり得る事故(骨折や裂傷など)をリアルに想定した内容で、まじ、とてもためになりました。正直な話、今までこれらをちゃんと知らずにガイディングや講習会開いていたことを(しかも私の場合、本まで書いている!)、恥じる気持ちにすらなるほどのものでした。
 講師は凍傷で有名な金田正樹先生、『登山の運動生理学百科』の山本正嘉先生、「国境なき医師団」などで活躍された城倉雅次先生、他。やっぱこういう知識って、我々、絶対必要ですわね。もっと勉強しないとな。

 続く明星は久々に左岩稜。ここはいつもゲロ混みだし、寒い中待たされたら嫌だなと思っていたら、先頭1番で取り付けて大安心。しかも後続パーティーもほとんどなく、お客さんも実にスムーズだったため、あっという間に終えることができました。天気も良くて下降路下りきった河原には黄蝶やタテハなどが飛んでいて、なかなかのんびりした雰囲気でした。
 左岩稜というと、いつも待たされてイライラする印象しかなかったから、なんか、ほっとした、いい1日でした。帰り、白馬が奇麗でしたよ。

 さらに続いて二子の中央稜。ここもいつも混んでいて、今回も実にタイミング良く(?)長い順番待ちに巻き込まれてしまったけど、天気は良くて暖かかったし、全体を通してはクライマーも驚くほど少なくて、のんびりできました。
 そのあと東岳のフリーエリアに行くと、これまたクライマーが少なくて、びっくり。
 明星もそうだったけど、今年は岩場にやに人が少ないですね。みんなどこ行っちゃったんだろう?
五色沼からの磐梯山。めいっぱい、オノボリさん的な眺めだね
明星の帰り、白馬に目を奪われました。もうすぐ冬ってのが、ちょっと嫌だけど 二子からの奥秩父方面。今回のツアーでは山がやけに奇麗に感じられたな。体が弱ってるせいかしら




11月15日

 久しぶりにNPOモンキーマジックの講習会をやってきました。場所も久々の鷹取。
 もうクリスマス休暇だとかで米軍関係者がやたら多かったけれど、子不知、親不知でなかなか充実したクライミングができました。

 特にすごかったのが、井戸本(将義)くん。彼はほぼ全盲、しかも鷹取は初めてで、ここのあま〜いポケットにも慣れてないのに、電光クラックと流れ星、ほぼオンサイトしちゃったんだよ。いや〜、すごい。
 他の人も、外岩初めてでやはり電光クラック登ったり、親不知の大ジェードル登ったり、頑張ってました。

 今度千葉で、視覚障害者のクライミングコンペ(世界選手権)やるらしいんだけど、それも実に楽しみです。みなさん、ガンバ。
←電光クラックをオンサイトする井戸本くん。今度のコンペに出るので、応援してやってください


親不知の大ジェードルを登る長橋くん。ガンバ→




11月22日

 風邪がまだ治りません。特別ひどいわけじゃあないんだけど、寒気とだるさとせきが止まらず、ほんと、どうしちゃったんだろうな?
 みんなに移さなきゃいいけど、と思いつつ、湯河原幕岩と城山南壁に行ってきました。

 幕岩は金曜で空いてたけど、城山南壁、すごかったです。
 特に昨日の日曜は、ある人が数えたところによると、南壁基部だけで60人いたそうで、先週、岩場に人がいないなんて言ったのが大間違い。話によると休日の幕岩はもっと混んでいるそうで、いや〜、恐ろしい季節になりました。

 しかしそんな城山南壁も、マルチピッチに上がったのは、ほんの4パーティだけでした。我々も初日バトルランナー、2日目ダイレクトを登ったんですが、人とロープでごった返す下部スラブから1ピッチ登ると、パッとなんか抜け出たようで、広い大岩壁の雰囲気と、狩野川を見下ろす爽快な眺めが広がっています。あ〜、落ち着く。

 天気も良くて暖かく、赤トンボや黄蝶が壁の上をやたら飛んでいました。ほんとに11月? しかももっと驚くのは壁の中ほどにでっかいカマキリがいて、これが土曜も日曜もルートの上をうろうろしてたことでした。空を見上げりゃトンビに混じって、時折ハヤブサも姿を見せ、なんか、良かったですね。高い所はやっぱ良いです。
人でごった返す下部スラブ。まさにジム並み? 空も結構混んでるみたいでした ダイレクトルート2p目終了点にいたカマキリ。なんか微笑ましいです




11月24日

 シーズン初の城ヶ崎に行ってきました。
 いや、久々に行くと、遠いこと。特に湯河原を過ぎてからのくねくね道が長くて、たぶん、瑞牆山より時間かかるんじゃないかな、この冬の「近場」は。

 しかし、小田原を過ぎてバッと海沿いの道に出たあたりは、いいですね。
 海がだだ広くて、そのだだ広い海原にこの時間、朝日がギラっと反射していて。
 ああ、でかいなあ、と、毎度のことながら感銘を受けてしまいます。
 こんなたくさんの水が、宙に浮かんだ天体にべたっと均等にひっついているなんて、まったく不思議に思えて仕方ないんだけど、そのべたっとした広がりを見ていると、いつも、どうしても、エルキャピタンなどを、これまた思い出してしまいます。
 エルキャプメドウから取付に向かう途中で見上げた、バカでかい岩壁。
 いやあ、あれもまた、でかかったすねえ。
 やっぱ、こういうでかいのって、いいなあ。心がなんか、違う世界に入っていくなあ。なんて、ニール・ヤングなんか聞きつつ走りながら、いつも感じ入ってしまいます。
 まったく、海はいい。
 ここで自分の嗜好の話してもしょうがんないんだけど、だいたい私が海をどれくらい好きか、きっと誰も、想像もつかないことでしょう。風呂に入るより海に浸かりたい、なんてたまに本気で考えてしまうほどで、まあそれも、実際にはもう何年も海には入ってないからこそ感じることなのかもしれないですけどね。

 城ヶ崎は、Оさんご夫婦だったので、日蓮崎。
 トップロープながらお2人とも10d3本完登で、なかなか充実してましたよ。
←真鶴道路からの朝の海。ええわ〜



→日蓮崎はみじかしい前傾クラックが並んだグッド・エリアです。登るはОさんご夫婦




12月2日

 磯川暁くんが亡くなりました。
 テレビのニュースでご存知の方も多いと思われますが、11月30日、立山でスキー中、雪崩に巻き込まれ意識不明、そのまま2日朝、息を引き取りました。

 磯川君とは6〜7年ほど前にヨセミテで会って以来の付き合いで、マルチピッチ・フリーの取材にもよく付き合ってもらいました。
 それ以上に、クライミングの嗜好が似ていたこともあって、よく一緒に登り、09年には三宅島で三宅島P・О壁の発見、開拓も一緒に行ないました。

 突然の、そしてあまりにも早すぎる訃報に、ただただ唖然とするばかりです。
 これから、もっと一緒にあれこれ登ろうと思っていたのに・・・。

 合掌




十一面岩を登る磯川君。花崗岩のこの手のクライミングは彼の十八番でした 三宅島P・О壁発見の瞬間。驚きに胸躍らせながら岩場に向かう磯川君 穂高屏風岩東壁「フリークライミング」。こういう際どい箇所でもとても強いクライマーでした


12月7日

 西日本ツアー、行って来ました。
 ロクスノ・マルチピッチフリーエリアガイドの取材で、前回の御在所に引き続き今回周ったのは、姫路の雪彦山と広島の三倉岳。
 いや〜、良かったっす。同行者に若い女の子2人というのもあったけど(ちっ、クロヒゲさえいなけりゃなあ・・・)、天気も良くて、新しい岩場はなにせ新鮮でした。

 特に三倉岳は昔から行きたかった場所で、念願かなって行ってみると、いやホント、い〜い所なこと。岩は極上の花崗岩でルートは豊富にあり、おまけにキャンプ場はきれいでタダ。こりゃあ長期滞在するには小川山瑞牆山よりいいや、と、惚れまくってしまいました。
 残念ながら滞在は2日間きりで、三倉名物のワイドクラックはほとんど手をつけられなかったけど(ホッ!)、グレータワー、厳しくも最高でした。グレードは、う〜ん、噂に聞いていたとおり、辛いですねえ。全体的に一つ二つ高めでもいいんじゃないかな。
 グレードって、甘いといろんな意味でイヤになるけど、辛すぎるのもね、オンサイトの機会を奪ってしまうことになるという意味で、どうかなと思います。やっぱルート登る時って、そのグレード見て、それなりの準備していくわけですから。ま、今回出だしの11bセクションで私、落っこちまくっちゃったからエラソウなことは言えないけど。
 でもグレータワー、マジ良かったす。あそこまで難しさが連続して最後までクオリティーの高いマルチピッチルートって、そうそうないんじゃないかな。次の日行った青白ハングと源助崩れも良かった。またぜひ行って、今度はワイド系もやってみたいと思います。

 一方、雪彦山は、もともとアルパインの岩場で岩も脆いと聞いていたけど、これも予想外に(と言っちゃあ失礼だけど)面白かったです。これも1日のみの滞在で地蔵岳正面壁のみではありましたが(しかもここ、北壁で、寒いのなんの!)、セッピコ・ルネッサンス、やはり厳しくも素晴らしかったです。核心11d、落ちまくりました。これも暖かい時にぜひまた訪れたいと思います。

 それにしても、新しい(って、自分にとって、って意味ですが)岩場って、いいですね。
 初めてのルートを目の前にしての、あの緊張感と頭のめまぐるしい回転。それに新鮮な集中力。
 最近、私、ジムばっかでこういう経験少なかったから、余計、これらが素晴らしく感じられました。
 特にその思いを強くしたのはクロヒゲのクライミングを見たからで、彼、ジムではたいしたことないのに、こういう所来ると強烈です。私落ちたグレータワーもノーフォールだったし、最終日に半日だけ寄った彦根の芹谷屏風岩でもデッドライン、オンサイトしました。私なんかその後やらせてもらって、簡単に「張ってくれる?」する始末で、なんか日々、ジムで登っているつもりで、実はクライミングで一番大切なもの、失ってしまっていたんじゃないかと反省してしまいました。
 もっと外岩行って、頑張らねばね。
グレータワー2p目を登る新育さんです。こんなカンテが延々続きます 最終ピッチ下のテラスで放心状態のコビッキー(田中彩)。中国山地って初めて来たけど、のんんびりしてて、ええなあ。 雪彦山「上昇気流」11bのコビッキー。アルパインにしとくにゃもったいないくらい良いフェースでした


12月10日

 西日本ツアーの腰疲れを抱えながら城ヶ崎へ。
 午前中ファミリーで、午後寒くなったからシーサイドへ行くと、まあ相変わらず暖かいこと。
 平日で人も少なく、久々に我が家に帰ってきたような、しかも夏のプールサイドでくつろいでいるような(ああ、そんな家に生まれたかったよ)、のんびりした雰囲気でした。

 しかもこの日はやたら空気が澄んでいて、利島から新島、式根島(?)までがくっきり見えました。三宅島はどこだ? と探したけど、どうも見えないようでした。夕方新島の左にかぶってうっすら見えたのがそうなのかな?
 思えば三宅島は、磯川君と行って以来、また一緒に行こう行こうと言いつつ、ついに行かず仕舞いになってしまいました。

 そのやたら眺望の利いた遠い島々をバックに、岩場の沖合いにある岩礁にカモメだかなんだか海鳥がたくさんたむろって飛んだり休んだりしていました。
 ああ、私は詩人ではないけれど、この際海鳥になって大海原を飛んでいきたかったですよ。
 三宅島のあの浜も、彼らにとってはちょっと行ってくる程度のものなんじゃないでしょうか。
 そういえばフェリーでの帰り、オオミズナギドリがめったやたら、海原をかすめ飛んでいました。まるでリターン・トゥ・フォーエバーの表紙みたいでしたね。
シーサイドから見る、左から利島、新島、式根島。わかるかな? 海鳥、自由そうだったなあ(ホントはそれなりに大変なんだろうけどね)


12月30日

 最近のプチしあわせ。

 早朝、家を出ていく時に、団地の野良猫に挨拶できた時。
 厚木から西湘バイパス入口に出た瞬間(最近、こんなエコノミーな道、使ってるのね)、花水川河口にい〜い波が入っているのを見れた時。
 同じく西湘バイパスで、街路灯の上にカモメとかトンビとかがとまっているのを見れた時。トンビはジジイ猫が日向ぼっこしてるみたいだし、カモメはあのアホヅラが、なんとも言えず、微笑ましい。
 幕岩がやたら空いてて、タカ(たぶんノスリ)が近くまで飛んできた時。ごく稀に、すぐそばにとまったりするんだよ。
 城山南壁からの、のほほ〜んとした眺め。withトンビ。

 あ〜あ、どうしちゃったんだろうな、おれ。昔はそれなりに、アクティブなのが好きだったのに。
 今年、50になりました。
 そういうわけで、2010年も終りだす。良いお年を。



  Home Top
  Hot Rocks Top
   2012、13年
   2011年
   2009年