△ 「千年水国」第11回


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そこに一際高く蝉の声。見上げるあゆみ。蝉の声、一瞬途切れ、バケツの中にぽちゃんと落ちる音がする。蝉のあがく羽音。弱弱しい鳴き声。

あゆみ 「蝉が…」舞台写真

誰も気にも留めない。

あゆみ 「蝉が死んじゃうよヤシマ…」

誰も気にも留めない。
あゆみ、恐る恐るバケツに手を入れる。

あゆみ 「どうしよう…苦しいの、お前…」

蝉の声、どんどん弱くなって行く。

あゆみ 「生きていたいかい、水の中でも…」

音楽!光!
蝉の声、あがく羽音消え、代わりにゆるやかに水を掻く音。声も無くバケツを覗き込むあゆみ。シズエが、次に"牝猫"が動きを止める。

シズエ 「…開けたんだね、扉を…」
あゆみ 「どうしよう…どうしようシズエさん…」
シズエ 「怖がらんでええ。お前さんは何にも悪いことはしちゃいないよ」

あゆみ、シズエの胸に顔をうずめる。

"牝猫" 「…奇蹟が…起こったのね何か、今…」
弥生 「はあ?」
"牝猫" 「見せて、そのバケツの中を」
シズエ 「…そっとしといておくれ」
"牝猫" 「お願いです私達に希望を、メシア!」

シズエ、ゆっくり首を振る。

シズエ 「この子は、そんなもんじゃない…」
"牝猫" 「…」
シズエ 「気持ちが運命に追いつかない、可哀想な子どもさ…」
"牝猫" 「…」

"牝猫"とシズエ、しばし睨み合う間。
"牝猫"、駆け去る。慌ててそのあとを追いかける"牡猫"。

"牡猫" 「待てよ、おい!」
弥生 「鈴でもつけとけば?あのどら猫に」

"牡猫"、唾棄し、去る。
急速に静けさが戻る舞台。

ミーナ 「どうしちゃったのよ急に…」
ギスケ 「わからん。バケツがどうとか」
八嶋 「バケツ?」
シズエ 「何でもないよ。やれやれ、大変な一日だったよ今日は」
ミーナ 「全くよ。金は稼げない、喧嘩は始まる…」
ギスケ 「俺なんか、ふるいたくもない暴力ふるっちゃったよ久々に」
八嶋 「その割には一番イキイキしてたぞお前」
ギスケ 「そう?」
ミーナ 「それもこれもみーんな…」
あゆみ 「疫病神のせい?」

間。

ミーナ 「え?」
あゆみ 「さっき言ってたじゃないシズエさん、疫病神が来たって。疫病神ってそういうものなんでしょ?災いを運んでくる…」
弥生 「そんなものが来たの?」
あゆみ 「うん。ね、シズエさん」
シズエ 「…このバケツの水、もらってってもいいかい?」
八嶋 「ああ、どうぞ」
あゆみ 「それ…」
シズエ 「…近所の川に、流して来るよ」
弥生 「ねえちょっと疫病神って!?」

シズエ、バケツを下げて去る。弥生も追いかけて去る。

あゆみ 「どうしたんだろう、シズエさん元気ない」
ミーナ 「…あんたのせいよ」
あゆみ 「あたし?」
ミーナ 「疫病神疫病神って…シズエさんの気持ちも考えなさいよ」
あゆみ 「どういうこと?」
八嶋 「…シズエさんが言ってた疫病神って言うのは…実の息子さんなんだ」
あゆみ 「シズエさん生涯独身だって…」
ギスケ 「それは商売上の嘘。本当は結婚して息子が一人いる。旦那さんが早くになくなって、その後女手一つで育て上げたそうだ」
あゆみ 「その息子さんがどうして疫病神に…」
八嶋 「シズエさん、お嫁さんと上手く行ってないらしいんだな。初めは同居していたけど、関係がこじれてこのアパートに越してきて…」
あゆみ 「…」
ギスケ 「その息子さんが訪ねてくるのが半年に一遍。同居を勧めにね。でもシズエさんにはわかってるのさ。それが形ばかりだってこと」
あゆみ 「どうしてそんな…」
ミーナ 「決まってるだろう、遺産相続のためさ」
あゆみ 「…」
ミーナ 「ここで縁を切られたら、手に入るはずの土地が入らなくなる。それで仕方なく半年に一遍…わかったかい?これが疫病神の正体」
あゆみ 「知らなかった…シズエさんにそんな過去があったなんて…」
ミーナ 「過去?過去なんて誰にでもあるのさ…アンタ以外は」
ギスケ 「ミーナ!!」
ミーナ 「もうたくさん!何でも知ってるって、あたしはあんたたちとは違うのよって顔して!!確かにあんたは天才かもしれない、でもねいくら頭が良くたって、他人の痛みがわからなけりゃ、そんなの何の役にもたちゃしない!」
ギスケ 「止せミーナ」
あゆみ 「あたしは…あたしはそんな…」
ミーナ 「最近のあんた、うすっきみ悪いんだよ!まるで…」
八嶋 「…言うな…」舞台写真
ミーナ 「まるで人間じゃない…」
八嶋 「止めろ!!」

八嶋、ミーナの頬を張る。
八嶋に向かって行くミーナ。制するギスケ。

ミーナ 「…馬鹿野郎…」
八嶋 「…」
ミーナ 「馬鹿だ馬鹿だ馬鹿だ!!みーんな馬鹿ばっかりだ!!」

飛び出して行くミーナ。

ギスケ 「ミーナ!…ごめんあゆみちゃん、あいつ今日カッカしてるから…」
あゆみ 「…」
ギスケ 「本当はあゆみちゃんのこと誰よりも心配してるの、あいつなんだ。…わかってるよね?」

あゆみ、かすかに頷く。ギスケ、あゆみの頭を撫でる。

ギスケ 「ありがとう…ごめんな。さ、行くぞ渉」
八嶋 「何処に」
ギスケ 「探しにだよ馬鹿」

出て行くギスケと八嶋。その背中にあゆみ。

あゆみ 「ヤシマ!…戻ってくるよね」
八嶋 「…当たり前、だろ…」

去る3人。一人残るあゆみ。無意識にバケツの水を弄ぶ。
翳る晩夏の日差し。夕暮れの様々な物音。やがてドアの開く音。

あゆみ 「ヤシマ!?」

しかし立っていたのは佐都子。

佐都子 「ごめんね、驚かせちゃった?」
あゆみ 「いえ…」
佐都子 「あの…八嶋君は?」
あゆみ 「出かけてて…しばらくは戻らないかもしれません」
佐都子 「そう…あがってもいいかな」
あゆみ 「もちろん。…ここはあたしの家じゃなく…ヤシマの…家ですから」
佐都子 「…」

対峙する二人。気まずい間。あゆみは放心している。

佐都子 「少し見ない間に、また大人っぽくなったねあゆみちゃん…」
あゆみ 「…そうですか」
佐都子 「うん見違えるように。外に出ると男の人、寄ってくるでしょう」
あゆみ 「外、出ませんから」
佐都子 「そう…」
あゆみ 「…ごめんなさい」
佐都子 「え?え何が?」
あゆみ 「切れちゃった…麦茶…」
佐都子 「…」
あゆみ 「さっき、大勢来たから…」
佐都子 「あ、おかまいなく。何でもいいから、そこのバケツの水でも…」
あゆみ 「バケツ?」
佐都子 「そうバケツの」
あゆみ・佐都子 「水…」舞台写真

あゆみ、放心したまま水を弄ぶ。ぴちゃり。ぴちゃ。その水滴の音がだんだん重なって行く。あの水槽の部屋の音に。気泡の音、モーター音、そして胎児の呼吸音に。
愕然とする佐都子。

佐都子 「あなた…」
あゆみ 「ワタシ?」
佐都子 「あなたは、誰…」
あゆみ 「ワタシハ、ダレ?」

あゆみ、佐都子と目を合わせる。

あゆみ 「ワタシハ、ダレ?ココニイルノハ、ナゼ…」

佐都子の、声にならない悲鳴。
部屋を飛び出して行く佐都子。
無心に水遊びするあゆみ。その口から、唄が聞こえてくる。
それは子守唄。ヤシマがあゆみに唄ってくれたあの子守唄…。しかしそこに彼はいない。
ゆっくり現れる"鳩"。"鳩"、目隠しをしている。背後からあゆみを抱きしめる。音楽何時の間にかワグナーに。
"鳩"、目隠しを取り、あゆみの顔を見つめようとしたその時。

弥生 「相変わらず好きね、ワグナー」舞台写真

音楽切れる。同時にあゆみ、駆け去る。

"鳩" 「…」
弥生 「狂った王と独裁者が好んだ旋律。…あなたにぴったりだわ」
"鳩" 「…どうやってここまで入った」
弥生 「何年教団を追いかけてると思ってるの。下手な信者よか、詳しいわよ私」
"鳩" 「だったら知っているだろう、私の瞑想を破ったものにどんな罰が下されるか」
弥生 「下手な信者よか詳しいけど、生憎と信者ではないのよね私」
"鳩" 「もっともだ…ならば出て行け!今すぐこの場から!!」
弥生 「…」
"鳩" 「…ここはお前の来る場所ではない」
弥生 「…教団内部がずいぶんと騒がしいわ。方舟の中、あっちこっち人だらけ。みんな奇妙な昂揚感に包まれて…まるでお祭りの前みたい」
"鳩" 「…」
弥生 「そして猫たちが消えた。アパートにも方舟にもいない。残っているのは彼らのメッセージだけ…『船出する。もうすぐ方舟は、船出をする』」
"鳩" 「…」
弥生 「これは、いったいどういうことかしら」
"鳩" 「(うっすらと笑いを浮かべ)私が答えると思っているのか」
弥生 「真逆」
"鳩" 「…消えろ。つまみ出される前に」
弥生 「…」
"鳩" 「私の最大限の思いやり…無にするな」

"鳩"、弥生に背を向ける。

弥生 「…母さん、この間、一時帰宅したわ」
"鳩" 「…」
弥生 「病状は大分安定したけど…相変わらず一日の大半は向こうに行ったまま…」
"鳩" 「…」
弥生 「…私の顔を見るたびに必ず聞くよ。『透は、まだ帰ってこないのかい。どこまで遊びに行っちゃったんだろうねえ』って…」

弥生、"鳩"にむしゃぶりつく。

弥生 「帰ってきて!帰ってきてよ!!」
"鳩" 「…」
弥生 「…もうとっくに、お夕飯の時間だよ…」
"鳩" 「…『最後の方舟』に透などという男は存在しない」
弥生 「…」
"鳩" 「存在しない男に…帰るべき場所は無い」
弥生 「…」

"鳩"去る。
立ち尽くす弥生。やがて。

弥生 「どうしたのお兄ちゃんその怪我!え?5組の前田君と喧嘩した?駄目だよ、お兄ちゃん弱いんだからさ…これ、あたしの交換日記…もしかしてこれを取り返すために…。…ありがとう。…ありがとう!大好き、お兄ちゃん大好き!」

シズエ。

シズエ 「嫌だね、御免だねあの家に帰るのは。どうせまたあることないこと、言いふらすんだろう。…早いね、もうお帰りかい。…そうだ、いっこ教えといてやろう。お前の前世は蛙で玲子さんは蛇…頭から食われっちまわないよう、せいぜい用心するんだね!」

ミーナ。

ミーナ 「放っといてよ!どうやって生きていこうがアタシの勝手でしょ!自分の体を自分で使うんだ、誰にも迷惑をかけちゃいないよ。…行けば。行きたきゃ行けば。止める?誰が?…一人でだって生きていけるよ!」

佐都子。

佐都子 「すみません、4限の東洋美術史、確か取ってましたよね?あのう、先週のノート、貸していただきたいんです。バイト、どうしても休めなくて。…ありがとう、コピー取ったらすぐ返します。(ノートを見ながら)…八嶋、渉…八嶋さんですね、助かりましたありがとう!」

"牝猫"。

"牝猫" 「はいそうなんです、お家賃が払えなくて…でも大丈夫です、私がなんとかしますから。"鳩"、あなたはそんなこと気にしなくていいんです。あなたの使命は人々に道を伝えること…。じゃバイト、行ってきます。あ、そうだその前に…メリークリスマス!…下手ですけど、一生懸命編みました…」

女、現れる。
ラジオの音。それは幕開けの場面と同じ。
5人、両手をゆっくりと空へ。

5人 「私は乾いている。私の中に、もう、海は無い」

ミーナ、弥生、シズエ、佐都子去る。ややあって女も去る。
残るあゆみと"牝猫"。"牝猫"、あゆみを見つめている。

(作:中澤日菜子/写真:池田景)

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