非平均律音階(イントロ)
いま巷に溢れる音楽はほとんどすべて12平均律音階で演奏されています。
一部の民族楽器を除き、楽器は平均律で調律されます。
回りに12平均律しかない環境で生まれ育った私たちは、
それからずれた音階を耳にすると「音が狂っている」と判断します。
20世紀から先進諸国では音律のグローバリゼーションが起きてしまったのです。
これはつまらない状況ではないでしょうか。
音楽にはもっと多様性があっていいはずです。
いろんな言語が無くなって英語だけになってしまったら、
元来豊穣な人間文化がつまらなくなってしまいます。
音律は、それに近い状況になってしまっていると思います。
ではどうしたらいいでしょうか?
12平均律は一種類に特定されますが、非12平均律の方は千差万別です。
「音律の話」では「非12平均律とは何だろうか」を問いたいと思います。
非12平均律は大きく分けて、
(1)西洋音楽に根ざしているもの
(2)非西洋音楽に根ざしているもの
があります。
それぞれ考えて行きたいと思います
さて、西洋クラシック音楽にも民族音楽的なものがあります。
これを非12平均律で演奏したらどうなるでしょうか?
一つ私がやってみた例がありますので聴いていただければと思います。
曲はバルトーク「ミクロコスモス」第5巻から「バグパイプ」を編曲したものです。
民族音楽風の味を出すためチェンバロの調律を部分的に12平均律からずらしました。バイオリン(全く弾けないのに録音してしまう心臓!)やギター(こちらは学生の頃アルハンブラまで行きました。今は全くやらず指先フニャフニャですが)も交え、インド音楽や私のオリジナルパッセージを混ぜ込んで4分くらいに拡大した多重録音です。録音は1975年8月9日。
元の曲を知りたい人はこれを聴いてください。こちらは1973年4月29日の録音。1分で終わります。
どうです?
編曲版はへんてこですか?
それとも案外いけましたか?
「これをへんてこと思わなくなるよう耳を矯正しましょう」
といきなり言ったら変人と思われるでしょうから、
いろいろ徐々に論じようと思います。
【注】誤解ないと思いますが、私は当然、まずは12平均律が最も好きです。
でもルネサンス以前の音楽や各地の民族音楽まで何でも12平均律でやってしまう傾向が現代にはあります。
「非12 平均律音階」はそれをたしなめるためのシリーズなので、
語り口が小泉文夫のようになることをご了承下さい。
[2005年11月20日 記]
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