[2016年7月18日 記]
愛読雑誌の休刊という憂き目を見たことがある人は、世にたくさんいることだろう。
私も複数の雑誌でそういう経験があるが、世相の流れで致し方ないかなと思う反面、これは続いて欲しかったというものがある。
その筆頭が、1998年休刊となった音楽之友社の「音楽芸術」だ。
先日掃除をしていて、ふと束になったものが目に入った。
ページをめくると、仔細に覚えている記事も全く覚えていない記事もある。
内容はいま見ても大変示唆的で、これをこのまま世に埋もれさせていいのだろうかという気がした。
とりあえず見つけた最古は1984年9月号だった。これが最初に購入した号だったろうか。
音楽芸術は各号必ず特集を組んでいるが、この号の特集は「伝統楽器と創作」とある。
ここでいう伝統楽器とは、西洋のピリオド楽器のことではなく、箏、三味線、尺八、横笛、笙、和太鼓など、日本古来の楽器のことだ。
通常はルネサンスから現代音楽まで西洋クラシック音楽を中心に据える雑誌であるが、この号の特集は違っていた。
その巻頭を飾るのは山川直治の「伝統楽器創作活動の軌跡」だ。
雰囲気を伝えるのにいいので、冒頭三段落をそのまま引用しよう。
縦書き三段の音楽芸術の文章にはウェブの横長のレイアウトは不向きなので、段落変えを箇条書き形式にするが。
伝統楽器創作活動の軌跡
― 邦楽の近代化から国立劇場委嘱まで 山川直治
- 「現代邦楽」という言い方に、どうもおさまりの悪い、しっくりしない感じを抱くが、この名称は昭和三十四年頃より定着したようだ。
- さてその現代邦楽というものを既に過ぎ去ったブームとみなし、その兆しは昭和三十年代前半で、ピークは四十年代中頃、五十年代に入り、日本経済が低成長期を迎えたのと軌を一にして退潮してしまったということが論評されたり、また現代邦楽でいわば中心的役割を果たして来た作曲家、演奏家から挫折感の入りまじった反省を聞いたり、さらに結局は評価の安定している古典物に回帰した方が・・・などという科白も時に耳にするようになった。
- しかし、少なくとも現代邦楽が邦楽(邦楽器)における創造活動であったとすれば、その創造力低下は邦楽の将来にかかわる大きな問題である。
技術革新、マスコミの発達と共に激しく、急速に変転する現代日本の社会において、伝統的なものの存続は危機に瀕している。能狂言、歌舞伎、文楽など総合芸術的なものは、それだけ人間、社会に深く根差し、丈夫なところもあろうが、時代の変化に応じきれない邦楽の幾つかの種目は、既に衰滅しつつある。音や声(言葉)を素材とする再現芸術の音楽であれば、再現し、コミュニケートする活力を失えばそれもまた当然であろう。そうした再現の活力もまた創造力の現れであるが、さらに新しいものを生み出す創造力が内蔵されていてこそ、その文化は持続し、伝統が培われる。肯定的であれ、否定的であれ、何の伝統も踏まえない零からの創造などあり得ないし、創造と伝統は切っても切れない関係にある。創造的なかかわりがあってこそ、伝統的なものも生きてくる。
これで誌面半ページを占めるが、以下六ページにわたって続く。
「軌跡」という表題を標榜するからには当然和洋融合を試みた面々が登場するが、筆者も知る名前を紹介すると、和楽器奏者からの接近者として
・宮城道雄、宮下秀冽(筆者注:初代の秀冽。1984年の記事なので)、中之島欣一、邦楽4人の会、日本音楽集団
等が、また洋楽作曲家からの接近者として
・下総皖一、清水脩、平井康三郎、入野義朗、石桁真礼生、間宮芳生、清瀬保二、牧野由多可、諸井誠、広瀬量平、武満徹
等が、また基本的には洋楽作曲家だが現代邦楽に軸足を持つ
・三木稔、長沢勝俊(この二名は日本音楽集団の重要人物でもある)
などの歴々が登場する。
ひとしきり「軌跡」が詳しく説明されたあと、最後の半ページは「国立劇場の新しい試み」に費やされている。
ここで山川直治の「国立劇場芸能部演出室」という立場(もちろん1984年当時)の文章になる。
それを抜粋引用しよう。
- 国立劇場では古典物保存とともに、新しい表現の可能性をさぐることも大切と考え、邦楽公演の一つとして「現代日本音楽の展開」をスタートさせた。・・・中略・・・ この企画の開始にあたって一昨年より三善晃氏に委嘱していた「風紋」を初演した。・・・以下略
さて現代(2016年)あらためて国立劇場のホームページを見ると、少なくとも今日(7月18日)の時点では伝統邦楽(舞踏や歌舞伎も含め)のみであり、現代邦楽はない。
もちろんしばらく見ていれば出てくるかもしれない。
現代邦楽のコンサート、最近情報不足だが、筆者としては心待ちにしたい。
幸い日本音楽集団は健在である。
さて、冒頭六ページの記事でこれだから、この調子で1984年9月号を全部紹介するわけには行かない。
以下、特集「伝統楽器と創作」については表題だけ紹介する。(もちろん中身も面白いが。)
- <座談会>日本の伝統的素材による創作の意味を語る(一柳慧、間宮芳生、諸井誠、司会:丹羽正明)
- 武満徹《秋庭歌・一具》における雅楽(木戸敏郎)
- 諸井誠《竹籟五章》における尺八(矢野暢)
- 三木稔《破の曲》における二十弦箏(石田一志)
- 長沢勝俊《三味線協奏曲》における三味線(茂手木潔子)
これ以下、特集からは話は変わるが、気になった記事をかいつまんで紹介しよう。
- ベルカントの声(飯野幸子・声楽家)
この記事は、ベルカント唱法に関する巷の認識 ― ドラマチックなイタリアオペラの歌い方 ― の不適切なことを指摘していて、おもしろい。
曰く ― ベルカントの原理は呼吸法である・・・決して「十八世紀」や「イタリア」に限定されるものではない・・・往々にしてロマンティックなものと思われているが、本質的にはしごく古典的なものである・・・など。
そういえば、口を大きく開くことなしに、ピアニシモなのにホールに行き渡る歌に感心したことがある。
これはベルカントということだが、巷の認識とは逆である。
また感情に任せて何を言っているかわからない歌も困るが(外国語だろうと)、そういうのは本当のベルカントではないということだ。
- CONCERTS REVIEWから ディミトリス・スグロス ピアノ・リサイタル(千蔵八郎)
スグロスはこの1984年に14才で来日しテレビで紹介されていて、ラフマニノフの第3協奏曲を弾きこなしていた神童だった。しかし超絶技巧だけで音楽的に感動を誘わない演奏だったので、やっとのことでチャンネルを変えずに最後まで視聴した記憶がある。この千蔵八郎の評を抜粋引用しておこう。
「音質にまったく変化がなく、ダイナミックスの変化も均等化されていることとあいまって、表現に陰影がとぼしい。せっかくの逸材を、もう少し満を持して世に出したほうがよかったのではないか」
そういうことなので、46才の今、ダメになっているかなと思ってYouTubeを見たところ、まだ活動していて、意外と聴けた。いや、やはり超絶技巧にはすごいものがある。味わいの必要なブラームスなども悪くはない。が、技巧もあって味もあるピアニストに事欠かない現在、神童時代ほど注目されないのは仕方が無いかもしれない。
- 海外音楽の動向 ソヴィエトの作曲家たち 第2回国際音楽祭から(寺原伸夫)
この記事でフレンニコフが自作のピアノ協奏曲第3番を弾いたというところが目にとまった。
フレンニコフといえば、ショスタコーヴィチやプロコフィエフを弾圧した「ソヴィエト作曲家同盟第一書記」ということで音楽界では悪名高い。
そこでこれもYouTubeで探してみた。
これはさすがに面白くない曲だ。
しかし若いときの作品はどうだろう。
箸にも棒にもかからないようなら、いくら思想的なものが優遇されたといっても、世に出られないのではないか。
そう思っていくつか聴くと、学生時代のピアノ協奏曲第一番は悪くない。
少しバルトークを連想させるものもある。
第一書記になる6年前(1942年)の交響曲第2番も、第3楽章なんかはいい感じだ。急速に奏される低音木管のスケルツァンドなオーケストレーションもオリジナリティがあるし。
もちろん総じてみるとショスタコーヴィチやプロコフィエフの方がいい。
それは当たり前である。
というわけで、ふと手に取った32年前の「音楽芸術」。
なかなかのものだった。
[2016年7月18日 記]