[2011年12月31日 記]
武満徹没後15年を追悼して、2011年11月19日
武満徹の音楽IIが文京シビックホール 小ホールで行あった。
構成は小学館で種々の音楽全集の編集長を2008年まで務めていた
大原哲夫氏。
昨年も生誕80周年を記念して
武満徹の音楽と題するコンサートを同じ場所で同時期の同時刻に行っている。
今回の出演は、
ヴォーカル/松堂久美恵 ギター/谷辺昌央 フルート/斎藤和志
ヴァイオリン/近藤薫、田野倉雅秋 ヴィオラ/柳瀬省太
ハープ/田島緑
であるが、
武満の音楽の魅力を存分に楽しませてもらった。
現代音楽のコンサートでは毎度思い知らされるのだが、
こんな素晴らしい演奏家達がこんなにいるとは。
ショパン全作品を斬るの書き方を踏襲して、最初の段落で引用的解説を、次の段落で自分の感想を、それぞれの演目について書こう。
- ヴォーカリズム A・I(1956年作のテープ音楽)
人間の声だけを素材として作られたテープ音楽。コンサートでは音響機器による音源が再生された。
谷川俊太郎の最も短い詩「愛」をもとに「a」と「i」という肉声だけを素材に発展させた音楽。
声は岸田今日子と水島弘。
この4分強の作品に武満は8日間を費やしたという。
1956年といえば、ピエール・アンリやピエール・シェフェールがミュージック・コンクレートを始めてから間もない。
この頃は黛敏郎や湯浅譲二も同様な活動をしていた。
音楽作品としてピエール・アンリやシェフェールに比べ遜色ないどころか、
武満独特の深みがある。
録音芸術として聴いてみて驚いたことがいくつかある。
まずその音質の良さだ。
テープレコーダーが放送局やレコード会社で一般的になって間もないころの多重録音音楽作品としては、
帯域が広くヒスノイズ等の雑音も聞こえない。
次に音声信号操作の大胆さだ。
ワルター(今はウェンディ)カーロスや冨田勲よりずっと前なのに、
既にいろいろ音をいじくっているのだ。
そして音場処理の丁寧さだ。
ステレオ効果を静的だけでなくときには動的にとりこんでいる。
そしてエコーをかけたりかけなかったりしているが、
それが恣意のかけらも想起させずあくまで芸術的なのだ。
これはおそらく枡章という録音技師の存在あってのことなのだろうが、
すべては武満の感性の結果であり、
今日のどのようなシンセサイザー音楽に比べても深さと普遍性において優っていると思う。
- (1)翼 (2)小さな部屋で(ヴォーカル、ギター)
武満の歌は歌曲というべきなのか、ポピュラー調といっても過言ではない。
とにかく現代音楽の顔は全くしておらず、聞きやすい。
この二つの曲もスローなフォービートのジャズといった風情だ。
しかし安易なものでは決してなく、
山田耕筰の歌曲のように染み入る。
特に伴奏部分は、その控えめな存在感とうらはらに、
よく聴くと大変凝った造りになっている。
このギター伴奏も、その精神の高さは、
シューベルト、シューマン、ドビュッシー、ヴォルフなどの歌曲と同系列だと思う。
ギターは最低弦がDに調弦されていた。
谷辺昌央のギターは初めて聴くが、この人はただものではない。
- 音の四季ー現実音と音楽による交響詩ー(ラジオ音楽:音響機器による音源の再生)
これは昔いかにもありそうな、ラジオ向けの音の風物詩といった感じである。
初めから長波ラジオ用に作ったせいか、
あるいはラジオ放送を録音した音源である可能性もあると思うが、
音質がいまいちだった。
音楽の感じは、新日本紀行とか昼のいこいといった雰囲気だ。
この曲は音の風物詩的なところの構成がすばらしい。
- (1)三月のうた (2)小さな空(ヴォーカル、ギター)
またヴォーカルとギターの曲である。
こちらはよりジャズっぽさが引っ込みポップスバラードといった雰囲気で、
今回最も平易な感じの曲だ。
それでもじっくりと、淡々としていながら切々と歌い上げている。
- 全ては薄明のなかにーギターための4つの作品ー(ギター独奏)
これはこのコンサートの白眉だ。
ギターのための現代曲。
曲がいい上に迫真の演奏。
弦を大きく横にずらしたり、押さえた弦のフレット側を弾いたりしてわざと調子を外した音程も頻発する。
こちらも身を乗り出して全身で聴いた。
- 声[ヴォイス]ー独奏フルート奏者のためのー(フルート独奏)
尺八のような音が多く、普通のフルートの音の方が少ない。
と思ったら、演奏しながら何か喋っている。
吹くのと同時に声を出したりしている。
どうやら英語の詩の朗読を交えているようだ。
メインとなるフルート演奏は相変わらず尺八のように音程が動いたり破裂音だったりしている。
一緒に聴いていた妻が「いっそフルートでなく尺八でやればいいんじゃないの」と訊いて来たので、
思わず「喋りながら吹くにはフルートの方がやりやすいのかも」と答えたが、
そうなのかどうかは知らない。
- 海へIIIーアルト・フルートとハープのためのーより(フルート、ハープ)
これはドビュッシーの現代版たる武満の面目躍如たる透徹した音楽だ。
アルトフルートの落ち着いた音が幽玄さをいっそうそそる。
私にとっては最も満足の行くタイプお音楽だ。
- 揺れる鏡の夜明け(ヴァイオリン2重奏)
これは面白い音楽だ。
曲想は現代音楽だが、二重奏の造りはバッハかバルトークかというような対位法の粋を尽くしている。
そのため追いかけっこをしているような2人の奏者の動きがユーモラスだ。
この曲はシリアスな曲想の音楽を味わうだけでなく、演奏の様子を一緒に見ると楽しい。
- そして、それが風であることを知った(フルート、ヴィオラ、ハープ)
二つ前の「海へIII」と同様、ドビュッシーの現代版である。
しかも編成がドビュッシー最晩年のソナタと同じで、
明らかに武満はそれを意識したに違いない。
このコンサートの最後を飾るに相応しい、
深い音楽だった。
最後に、ギターの谷辺昌央がアンコールを一曲。
武満が編曲したビートルズの名曲「Yesterday」だ。
武満の編曲、和声や装飾の付け方が高度であるのは言わずもがな。
それより随所にやはりオリジナリティが。
一つだけ挙げると、
最初の三つの音を高音域にとって印象付け、
続く上昇短音階を1オクターブ下でしっとりと歌う。
まあ、そういう細かなことはともかく、
全体にとにかく美しく心に入って来る音楽なのだ。
そして谷辺はそれを見事に音に変え、
音を通じてというより直接的に聴く者の中に入って来るような演奏を披露した。
[2012年12月31日 記]