燕尾服

ユリアンナ・アヴデーエワリサイタル


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 2011年5月17日、 プラハはルドルフィヌムのドヴォルジャークホールで、2010年ショパンコンクール優勝者ユリアンナ・アヴデーエワのリサイタルを聴いた。 実はAmadinda Percussion Groupのコンサートと重なっており、どちらに行くか大変迷った。 アヴデーエワはいずれ日本に来るだろうが、Amadinda Percussion Groupはナマで聴くチャンスは少ないかもしれない。 一方、本人もショパンコンクールの興奮冷めやらぬであろう今、アヴデーエワを聴いてみたい気もする。
 迷ったあげく、アヴデーエワに決めたのは、プラハという場所であった。 プラハは人口が東京の10分の1であるが、チェコの人口も日本の10分の1であることも考えると、芸術活動も10分の1かと思いきや、プラハでのコンサートの充実度はすごい。 オペラに至っては東京よりはるかに充実している。 充実しているのはクラシックに限らない。 地下鉄でも街中でもジェフ・ベックやラリー・カールトン公演のポスターが目につく。 だから、Amadinda Percussion Groupのコンサートがあるのは当然だし、チケットが日本よりだいぶ安い(オペラは一桁違う)ことを考えると、Amadinda Percussion Groupを聴く動機は十分である。 しかし今自分は半径2〜3kmの市街地全体が18〜19世紀の世界をとどめているプラハに居る。 そういうチャンスは多くはないことを考えると、現代音楽よりは、 同じく中東欧の演奏家による中東欧の19世紀の音楽を聴きたいと思ったのだ。 これは正解だった、というか、後で書くがコンサートの後の今でも気になっていることと関係する。

 曲目を書こう。

Fryderyk Chopin: Two Nocturnes, op. 62
Fryderyk Chopin: Scherzo in B minor, Op. 20
Fryderyk Chopin: Four Mazurkas, op. 33
Fryderyk Chopin: Polonaise-fantaisie in A flat major, Op. 61
Ferenc Liszt: La lugubre gondola
Ferenc Liszt: Nuages gris
Ferenc Liszt: Bagatelle sans tonalite
Ferenc Liszt: Hungarian Rhapsodie No. 17 in D minor
Richard Wagner: Tannhauser, Overture

どこに休憩が挟まったかは明らかであろう。 この意欲的なプログラムはどうだろう。 ショパンはコンクール覇者の面子もかけたような大変オーソドックスな選曲であるが、リストは普通のピアニストがあまりとりあげない曲目である。 最後のタンホイザーもそれほど頻繁に聞かないが、その前の4曲はほとんどピアノ好きが楽譜を通じて知っているくらいではないだろうか。 これを、正規のコンサートでどう料理しようというのだろうか。

 ステージに現れたアヴデーエワは、まずそのいでたちが目を惹いた。 燕尾服にパンツという、男性ピアニストのような恰好である。 髪型は女性らしいものだったが、とっさに、ジョルジュ・サンドを意図しているのかと思ったほどだった。 足早にピアノに近づき、丁寧なお辞儀のあと燕尾服の羽根をサッサッと椅子の後に追いやって、弾き始めた。 恰好は男性的とは言え、体格は女性らしい華奢さを感じさせ、この宝塚の男役のような人がこれから始まる大プログラムをやりおおせようというのか、と思った。

 サンドと別れた晩年(といっても37才)のショパンの傑作が目白押しとなる1847年に生まれたロ長調とホ長調のノクターンは、長調でありながら内省的な深い世界を紡ぐ。 アヴデーエワの出す音は、極めて落ち着いた、大人の音だった。 このコンサートの出だしからして、夢の世界に、それでいてショパンの傷心も背景とするメランコリーの世界に引き込まれた。
 そしてその傾向は、23才のショパンがワルシャワ陥落に寄せた激情の噴出といえるスケルツォ第1番でも消え失せることはなかった。 中間部の素朴な旋律、右手親指で目立たせることなく、楽譜通りに弾いているのが印象的だった。
 作品33のマズルカ、どれも短いがショパン中期の盛りに書かれたすばらしい4曲。 しかもそれぞれ性格が全く異なるのに、続けて弾くと何だか統一感もある。 ここまで来るとアヴデーエワの特質が、室内楽やオーケストラを聴かせようとしているのではないかと気がついて来た。 もちろん本人に訊かなければわからないが、 私はそう受け取った。
 そしてショパンの最後は幻想ポロネーズ。初っ端のノクターンと同じく、落ち着いた、深い音楽。しかも今度は変化に富む大曲だ。 もう、ピアノ演奏を聴いている気がしなかった。 ショパンも、ピアノにこだわったのではなく、ピアノはあくまでも手段で、音楽そのものを生みだしたかったのだとあらためて知らされた。 そして、ロシアのピアニズムを受け継いでいるはずのアヴデーエワが、そのつもりで聴くと技巧の限りを尽くしていることがわかるのに派手さの片鱗も感じさせないようにしていることに、心地よい驚きを感じた。

 休憩を挟んでリスト。 調性音楽から離陸するような、未来の音楽を暗示したような、最晩年の不思議な曲群を4曲続けた。 リストらしからぬ「派手さのない」音楽だ。 不気味ですらある。 これをアヴデーエワは、ふくよかにーと言っていいのだろうかー演奏した。 冷徹さと暖かみが不思議に同居していた。 よほど思い入れがないと、聴く者の説得に失敗しそうな曲群である。 そして私は説得された。
 最後のタンホイザーは、圧巻だった。 あくまでも落ち着いた大人の音は、技巧の限りを尽くしたリストの「編曲モノ」に一見向かないように思うかもしれないが、逆だった。 まるでオーケストラが描く宇宙の像のように、空中に散りばめられた様々な楽器が鳴っている。 それらはひとりの指揮者で統一した意思をもってひとつの魂が奏でる音楽を形成している。 この演奏を聴いて、私はリストの「編曲モノ」を見直した。 リストの意図はここにあったのか。 大向こうを唸らせ目を見はらせる曲芸技巧の披露が目的ではなかったのだ。 こんなに、いったい何本の手で弾いているのだというような曲を弾くことは、ただ弾くだけでも至難の技である。 しかしそれを感じさせず音楽を聴かせている。

 海の底から湧き起あがるようなオーケストラの響きを一台のピアノが紡ぎ出すのを目の当たりにし、やや感嘆気味に上を見上げたとき、ドヴォルジャークホールの大きな丸い天井が目に入った。 細部まで装飾された、古い建築である。 同時に、オペラハウスのボックス席を連想させる歴史と気品に満ちた佇まいが網膜の片隅に映っていることに気付いた。 これが無意識のうちに音楽を一層引き立てていたのではないかと思った。 このとき、現代建築のモダンなホールでも、彼女はこんな風に19世紀の音楽を演奏できるのだろうかと思った。 さらに、ドボルジャークホールの位置するプラハの18〜19世紀風の町並みが脳裏に浮かんだ。 彼女はここに演奏に来るまでにプラハの街なかを通って、無意識のうちに18〜19世紀の世界に浸りながら来なければならなかったはずで、その段階から気持ちが醸成されたのではないかと思った。
 アヴデーエワは晩秋に日本に来る。 東京は彼女にこれだけの演奏をさせることができるだろうか。 そうあって欲しい。 そのときは上の仮説が崩れるが、そうあって欲しいと思った。

[2011年6月26日 記]


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