2000年3月30日(木)音楽之友ホールで表記のリサイタルがあった。
目玉は「クリストーフォリピアノの忠実な複製品による当時の鍵盤楽器曲の演奏」である。
プログラムノートによれば、
オーストリア国立ウィーン芸術史博物館の専属フォルテピアノ修復師・山本宣夫(やまもとのぶお)はピアノを発明したクリストーフォリのピアノを設計図に基づき材料に至るまで忠実にコピーしたピアノを1999年に完成させた。
このピアノを1997年日本アマチュアピアノコンクール第1位の筒井一貴(つついかずたか)が弾いたのが表記のリサイタルである。
近年ドイツ古典派のピアノ曲をフォルテピアノで演奏する演奏会やCDがよくある。
馴れの問題もあると思うが、
個人的な好みでいえば現代ピアノで演奏する方がドイツ古典派のピアノ曲ものびやか且つふくよかに響くと思う。
しかし今回はクリストーフォリピアノの忠実な複製ということで、
いたく興味を覚えて聴きに行った。
当日チケットを予約しようと思い主催のヤマテピアノに電話したところ
「満席にはならないと思いますので直接会場で買えます」
というのでますます応援したくなり、直接行った。
ところが、早めに着いたのでその場で入場することはできたが、
後から次々と人が訪れて来てすぐ満席となり、
追加の椅子を出す盛況ぶりであった。
聴衆は予想外に若い人が多かったが、
かなり年輩の人までいて多様な層をなしていた。
客席からワンステップで乗れるほどの近いステージの上にはクリストーフォリの複製ピアノがライトに照らされていた。
ニスが塗ってあるのかどうかわからないほど白木そのままの無垢の肌が、
彫刻的デコレーションのないシンプルな木工仕上がりと相俟って、
造りたての日本間のような感触を醸し出していた。
このピアノの写真は
このウェブサイトで見ることができる。
写真では蓋を外してあるようだが、
実際は蓋が付いていてピアノリサイタルのように開けてあった。
ついで足下に目をやると、
ペダルが付いていないことが確認された。
演奏者の筒井一貴が登場し、
フォルテピアノのための最初の作品と言われるジェスティーニのソナタ第8番イ長調がまず演奏された。
その音は近年よく聞かれるいわゆるフォルテピアノとは異なり、
むしろチェンバロ寄りの音色だった。
しかし聴き進むと、
チェンバロとは違い強弱・クレッシェンド・デクレシェンドがつけられていることに気付く。
(おかしな喩えかも知れないが、
電子鍵盤楽器でチェンバロ音を選択し強弱をつけて演奏した感じ、
と言えば多少は感覚が伝わるだろうか。)
この音を聞いたとき、ピアノの歴史的変遷について大変納得が行った。
すなわち、
チェンバロ→いわゆるフォルテピアノ→現代ピアノという歴史の中では誰でも最初の矢印に飛躍があると思わないだろうか。
そこを埋める段階があるはずなので、
それがこのピアノすなわちクリストーフォリがチェンバロの欠点(強弱をつけられないという)を乗り越えるために発明したこの楽器であることを見せられ、
大変納得が行くのである。
特にチェンバロと異なるのは弱音の表現が美しいことで、
これは音符の数を減らしただけではチェンバロではできない。
フォルテピアノがいつしかピアノとだけ呼ばれるようになったのはこういった点にあるのではないかと思えた。
さて一聴して調律が平均律でも倍音純正律でも(もちろんピタゴラスでも)ない複合純正律であることがわかるが、
いろいろある複合純正律のうちどれであるかはわからなかった。
そこまで聞き分けるには日頃からいろいろな音律に接していなければならないであろう。
プログラムノートを探すと「1/6不等分律」とあった。
これはベルクマイスターでもキルンベルガーでもなく、
それらに近いヤングの複合純正律である。
曲目は下に一覧するが、
ほとんどの曲は大変美しく響いていた。
いくつかの和音−ロ長調と変ニ長調の和音など−に若干のウルフが感じられたが、
曲を壊すようなことはなく、むしろ緊張感が効果的に挿入された感じ。
しかし「音楽の捧げもの−3声のリチェルカーレ」では、
これが複雑な和声を伴う半音階的な曲であることを改めて認識した。
この曲だけは−もちろん強弱がついているので大変楽しめたが−良くも悪しくも通常の平均律で聴く方に耳が馴れてしまっている。
不思議なことに同じくらい複雑な「半音階的幻想曲とフーガ」ではその違和感はあまり感じられなかった。
ニ短調なのでハ短調よりは古典調律との親和性がいいのかもしれないし、
あるいは曲の迫力が違和感を忘れさせたのかも知れない。
また調律がちょうど半音ほど下げられていた。
古典調律なので当然そうなのであるが、
後で聞いたところ415ヘルツにしたそうで、
これは僅かではあるが半音よりもっと低い。
余談だがこの「半音階的幻想曲」の一カ所、
「おや? 音が抜けたか?」と思うところがあったが、
すぐに「ああ、クリストーフォリのピアノはC6までなのだな」と気が付いた。
それと同時に私の
音域に関する記事を修正しなければならないことに気付いた。
その記事には「バッハが弾いていたチェンバロはC2からC6までの49鍵だったと確信できます 。
なぜなら全ての曲がこの音域内に収まり、
これを少しでも逸脱する曲が出てこないからです」と書いたが、
この曲は例外で、一カ所だけD6があったのだ。
こう書いて来ればおわかりの通りどちらかというと曲や演奏より楽器そのものに興味があって聴きに行ったわけではあるが、
上記のような感想を持てたのも、
筒井一貴の演奏が安心して聴いていられるオーソドックスなものであったからに他ならない。
2時間安心して聴かせるのは大変なことである。
演奏の合間に二回挟まれた楽器の機構の解説もタイミング良く、
過不足のない語り口は演奏会の雰囲気に良くマッチしていた。
プログラムを次に載せておこう。
ピアノ:筒井一貴(つついかずたか)
ピアノ製作・調整・調律:山本宣夫(やまもとのぶお)
- L. ジュスティーニ:ピアノとフォルテの出せるいわゆる小槌付きチェンバロのためのソナタ集op.1より第8番イ長調
- D. スカルラッティ:ソナタK.4/L.390ト短調、K.3/L.378イ短調、K.8/L.488ト短調、K.32/L.423ニ短調
- J. S. バッハ:協奏曲第5番ハ長調BWV976(ヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲op.3-12に基づく)
- J. S. バッハ:音楽の捧げものBWV1079より、3声のリチェルカーレ
- F. J. ハイドン:ソナタホ長調Hob.XVI/13
- J. S. バッハ:半音階的幻想曲とフーガニ短調BWV903
演奏会のあと、楽器を見たい人はステージにどうぞということで山本フォルテピアノ修復師が楽器の説明を行った。
取り出されて顕わになったアクションは現代ピアノよりずっと簡単ではあるが、
師の説明により、
必要不可欠な機構を実現するアイデアに満ち、
各部が大変精巧に出来ていることがわかった。
弦はチェンバロとそっくりで、
各音に二本ずつ張られている。
ハンマーが羊皮紙を指輪状に硬く巻いただけの中空であることに驚いた。
これであのような強弱の表現ができるとは。
鍵盤はチェンバロほどの大きさで現代ピアノより短いが、
白黒はチェンバロと逆で既に現代ピアノと同じだ。
二〜三音弾かせてもらったが、
当然タッチはチェンバロのような引っかかりの全く感じられない、
現代ピアノに近いものであった。
というわけで、普通とはひと味違う、非常に興味深い音楽会であった。
[2000年4月1日 記]