ショパン全作品を斬る

      

あとがき


前は1847年(37才)〜1849年(39才) ♪  目次 ♪  音楽の間に戻る ♪  詠里庵ホームに戻る
 一体何度ショパンを卒業したと思ったことだろう。 最初は高校生になってドビュッシーの音楽にのめり込んだとき。 もうショパンは要らないと思った。 現代音楽が好きになったあとは、 ドビュッシー以後とルネサンス以前、それに民族音楽だけに集中し、 それ以外は捨てていた。
 しかし私も不惑の年になったころ、 それまでショパンのピアノ曲ジャンルの中で全然興味がなかったマズルカに惹かれるようになった。 そうしたら、マズルカこそショパンの真髄が表出されているジャンルだとわかり、 それまですっかり通り越したつもりでいたショパンを実は何も理解していなかったことに気づいた。 マズルカにとりこになったことで、 ショパンの中に理解し残している部分はほぼなくなったと思った。 もちろん、理解したと思うことを何回も繰り返して来たので、まだどうなるかわからない。 不惑に至らない時期は続くかもしれない。
 そうこうしている間に、 インターネットなるものが出現し、 自分の意見発信が自由にできるようになった。 そこで私は、 とりあえずショパンの音楽に対する麻薬的陶酔とも言える思いをいったん吐き出してしまうことにした。 それがこの連載である。 つまりしばらくショパンを忘れ、 安心して他のことを考えられるようにすることが目的の一つであった。
 その目的は半分は達せられている。 連載がいったんショパン全曲に達した2000年9月以降、 頭を他に向かわせることが可能になった。 もちろん、予感はしていたが、やはりショパンを卒業し切ることはできない。 いまでも「あれについて書き忘れているじゃないか」と思いつくことがある。 だから今後も細々と加筆・改訂は続ける。 それはそれでよい。 前とは違って、 私はとりあえず解放された。
 この「ショパン全作品を斬る」を掲載したことでいろいろすばらしい方々の知己を得た。 個人情報は載せない方針なのでお名前は挙げないが、 ホームページを開いておられる方は「音楽の間」リンクでも紹介する。 少し前は、このような「知り合いの知り合いに頼らない」知己を得るチャンスはまず考えられなかった。 インターネットは確かに社会における個人個人のinteractionのあり方を大きく変えたことを実感した。 この変化は人類史上も希有なステップなのではないだろうか。
 ショパンに話を戻そう。 私には、ショパンの作風は32才の1842年頃から徐々に変わったように見える。 手早く言うならば内省的に。 的確に言おうとすると難しいが、 音楽が複雑になり、一聴しただけではその良さが存分にわかるというのではない方向に、変わった。 だからもう少し長生きして欲しかった。 長生きしたら、フォーレの方向に向かっただろうか?  ブラームスだろうか?  ショパン独自の老境に達しただろうか?  多分そうなのだろうが、ショパンは肺病に倒れ、 我々はそれを見とどけることはできなかった。 似たようなことはスクリャービンにも言える。 スクリャービンの方はもっとドラスティックに変貌した。 内省的方向でなく、より先鋭的方向に。 変貌始めて数年しか経たないとき、腫瘍のため病死した。脳が発展的に変貌しつつあるのに、 脳以外の体の病でその活動が絶たれるのは、 まことに残念である。 この口惜しさのやり場はない。 全て我々の思い通りに行ったら、 そんな世界はつまらないだろう、 と思って納得するしかない。 願わくば一人でも多くの人に、 いわゆる通俗名曲を越えて、ショパンが理解されんことを。

[2005年1月1日]


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