● 幼稚園・保育所 ● 小学校 ● 中学校(高等小学校) ● 高等学校(旧制中学校)・支援学校 ● 大学 ● その他のできごと |
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「藤井寺市の教育・保育」年表について この年表は、現在の藤井寺市や合併前の過去の市町村における教育・保育に関するできごとを取り上げたものです。藤井寺市史、「広 報ふじいでら」、同縮刷版、学校沿革史(一部学校)、各学校法人・社会福祉法人等のWebサイト等の史資料を基に、できるだけ多くの事 象を取り上げるように構成しました。年月日や固有名称については留意しているつもりですが、限られた史資料の範囲でしたので、もし 確認間違いがあった場合は、何とぞご容赦いただきたいと思います。今後、新しい確認ができ次第、順次修正を加えていく予定です。 |
時代が表す傾向 年表には全ての事象が取り上げられているわけではありませんが、大まかな傾向をつかむことはできます。学校や施設の種類別にリスト マークの色を変えてあるので、この色の並び方の中に一定の傾向を読み取ることができます。 まず明治時代の前半に目を向けると、最初に学校制度を定めた「学制」が公布された直後から、小学校の創設と拡大に次々と力の注がれ てきたことがわかります。「学校令」が公布された後の明治後半期になると、小学校に加えて高等小学校(高等科)に関する事項が増えてき ます。そして、「小学校」に「尋常」の文字が付けられました。この時期は、江戸期からあった村々が合併して新しい村が誕生しています が、高等小学校(高等科)の創設には新たな財政負担が必要で、周辺の村々と学校組合を設立することで高等小学校(高等科)の教育を保障す る努力のあったことがわかります。一般の村々にあっては、明治期全体を通して初等教育機関の創設・拡充に努力のなされていたことが読 み取れます。国家全体が「富国強兵」「殖産興業」に邁進している時代、まずは義務教育の普及が急務であり、それが一定実現すると、次 は義務教育修了者の教育が時代の要請となりました。年表では、その情況を反映していた学校教育制度の流れがわかります。この傾向は大 正年間にも継続しており、昭和初期の時期まで続いていたと見てよいでしょう。 昭和16〜20年の時期には、「国民学校」への名称変更や「学童集団疎開」などが並び、太平洋戦時期の時代が映し出されています。注目 すべきは、この時期に旧藤井寺町に中等教育機関が初めて誕生していることです。私立の高等女学校と旧制中学校の2校が創設されていま す。この頃までの大阪府内の中等教育機関は公私立ともに大阪市に集中しており、大阪市以外の府下ではブロック地区内に1〜2校の府立 の中学校(旧制)や高等女学校が設置されていました。そのほか、少数の実業学校が設置されている地区もありました。そんな状況の中、当 時の藤井寺町に短期間のうちに2校の中等教育機関ができました。2校とも駅に近いという立地が大きく影響したと思われます。戦後に1 校は廃校となりましたが、もう1校は現在に引き継がれています。 戦後の昭和20年代〜30年代初めには、新教育制度が発足して新制中学校の設置や新築が進められています。また、幼児教育や保育の公 立施設として、初めて旧藤井寺町に幼稚園と保育所が創設されています。さらに、女子の高等教育機関への進学の高まりを受けて、女子短 期大学が開校しました。いずれも、戦後の新しい教育制度と社会の変化の中で登場してきた教育・保育の流れの現れと言ってよいでしょう。 高度成長期からの相次ぐ新設−そして少子化の時代へ 昭和30年代中頃には、現在の藤井寺市域が初めて一つの自治体となり、藤井寺道明寺町(後美陵町)が誕生します。そして、その後に始ま まる経済高度成長下における人口急増に対応して、教育・保育機関の相次ぐ新設の時代を迎えます。昭和30年代後半から小・中学校の新設 の項目が並びますが、より多くの数で目を引くのが黄色のマーク、つまり幼稚園・保育所の項目です。特に昭和40年代からの人口急増期 には、市立幼稚園・保育所の相次ぐ新設の様子が如実に表れています。さらには、児童数が減少してきた昭和50年代後半以降にも、保育所 の新規開設が続いています。それらはすべて私立保育園です。市立保育所の民営化も行われています。保育行政のあり方に転換のあったこ とが読み取れます。ハコものとしての保育所の新設をやめて、認可保育所への補助金支出に変わってきたということでしょう。 共働きの家庭がどんどん増えてくる中で、保育所の需要は高まるばかりです。それに応えて次々と開設されている流れは、まさに時代の 状況を反映しているものです。昭和40年代終わり頃から学童保育(現放課後児童会)が各小学校に次々と開設されてきたのも、この流れと同 じ軌跡をたどるものです。 学校に関する近年の様子としては、私学志向の広がりの中で、藤井寺市内にも私立の小学校・中学校が誕生したことでしょう。市立では ない義務教育学校が登場したという、大きな変化であったと言ってもよいでしょう。 さらに、ここ数年の傾向として、市立幼稚園への入園児が急速に減少してきたことがあります。保育所への入所を希望する家庭の急増に 反比例する変化ですが、根底には日本全体で進行する少子化もあります。進むこの状況に対応して、藤井寺市は市立幼稚園の再編に取り組 みました。2020(令和2)年3月末には、藤井寺西幼稚園・道明寺東幼稚園・藤井寺南幼稚園野中分園が閉園し、他の幼稚園区への統合・再編 が行われました。さらに翌2021年3月末には藤井寺北幼稚園が閉園し、藤井寺幼稚園に統合されました。これにより、かつて7園2分園あ った市立幼稚園は、ついに4園体制(1園は幼保連携型認定こども園へ移行)となってしまいました。 行政による施策の変化だけではなく、社会や生活のあり方も変化する中で、教育・保育をめぐる様子はその時々の時代の状況を反映して いることが、年表のような形に並べて見ることでわかりやすくなります。参考にしていただければと思います。 |
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