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《 藤井寺市立小・中学校 》 | ||||||||||||
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公立小中学校−2つのブロック 現在、藤井寺市には小学校7校と中学校3校の市立小中学校があります。市の人口規模や現在の児童・生徒数からすると多い方かも知れ ません。始まりは、1873年(明治6年)に開校した二つの小学校でした。 河内第二四番小学(現道明寺小学校)と河内第二七番小学(現藤井寺 小学校)です。どちらも寺の施設を借りて開設されました。 以後、時を経るとともに校舎の場所が移ったり名称が変わったりしましたが、 それらの変遷は村や町の合併の歴史と密接に関わっていました。詳しくはそれぞれのページをご覧ください。 ![]() ![]() ![]() なお、藤井寺市では各小学校区に小学校併設の市立幼稚園が設置されていましたが、2020(令和2)年3月末で藤井寺西幼稚園・道明寺東幼 稚園・藤井寺南幼稚園野中分園の3ヵ所が閉園となり、他の幼稚園に園区が統合・再編されています。下の表では、小・中学校の校区と共 に、各幼稚園の園区も表示しました。 ![]() ![]() ![]() |
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学校区幼稚園区一覧 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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八尾市の学校に通学できる地区 藤井寺市の北部には大和川が東西に流れており、そのために同じ地区が二つに分断されている箇所があります。これらの地区内から校区 の学校に通学するためには、なかり遠回りになってしまう場所があります。そこで、藤井寺市は八尾市に事務委託を行って、これらの地区 から隣接する校区の八尾市立大正小学校・大正中学校に通学できるようにしています。該当する地区は次の通りです(校区地図参照)。 @ 小山7丁目の大和川以北の地区 藤井寺北小学校・第三中学校の校区ですが、大正橋や新大井橋まで行って大和川を渡る必要があり、 遠回りになることと、車の通行量の多いことが懸念されます。最も遠い位置の家から学校までは、小・中学校とも2kmを超えます。 ずっと以前は全域が農地でしたが、今では住宅が増えて農地の方が一部分となっています。 A 川北1丁目の国道170号(大阪外環状線)以西の地区 道明寺小学校・道明寺中学校の校区で一般住宅は少数です。通行量の多い国道 170号を横断し、新大井橋を渡って通学することになり、学校への道のりも遠いことが懸念されます。川北地区の小学生はバス会社に 委託された通学バスで通学していますが、当該地区の家から通学バスの乗車位置までは離れており、1km以上あります。しかもその 途中で国道を渡ることになります。 実際の大正小学校・大正中学校への通学は希望によるので、当該地区の児童・生徒の皆がこれらの学校に通学しているわけではありませ ん。通学の実際を考えると、家の位置によっては必ずしもメリットがあるとは限りません。特に、大正中学校への通学は、どちらの地区で も遠い位置の家からは3kmを超える道のりです。大正小学校についても、藤井寺北小学校や道明寺小学校への道のりとそんなに大きな差が あるわけではありません。道のりのことだけで考えれば、敢えて他市の学校へ通学するかどうかの選択は迷うところでしょう。 大和川は江戸時代に流路の付け替え事業が行われ、新しい大和川が当時の小山村や大井村の村地を分断する形になりました。村域は明治 以降もそのまま引き継がれ、合併で現在の藤井寺市域になっています。300年以上前の開発事業が、現在の通学区域のあり方にまで影響を 及ぼしているわけで、大規模開発事業の残す影響の大きさに驚かされます。 ![]() なお、八尾市への事務委託については、市が定めた『藤井寺市と八尾市との間の学齢児童及び学齢生徒の教育事務の委託に関する規約』 に次のように規定されています。 『藤井寺市小山七丁目の一部区域内及び藤井寺市川北一丁目の一部区域内に居住する全部又は一部の学齢児童及び学齢生徒(同法第18条 に規定する学齢児童及び学齢生徒をいう。以下同じ。)の教育事務(以下「委託事務」という。)を八尾市に委託する。』 ( 藤井寺市サイト『藤井寺市例規集第13編・雑則 第3章「事務委託」』より ) |