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◆ 大井水みらいセンター
  (おおいみずみらいセンター)大和川下流流域下水道大井水みらいセンター 》 〈 区域市町村:6市2町1村 〉
  〒583-0009 藤井寺市西大井
1-407-1      
              
TEL:072-938-5816  FAX:072-938-8115 (大阪府南部流域下水道事務所大井管理センター)
  近畿日本鉄道南大阪線・藤井寺駅より北東へ約
1.8km(正面ゲートまで) 徒歩約28
      〃     ・土師ノ里駅より北西へ約1.6km(正面ゲートまで) 徒歩約25
 
国道170(大阪外環状線)・藤井寺市立体育会館前交差点より西へ約100m(正面ゲート前)
  敷地面積:145,040㎡(約14.5ha)     処理開始:1996(平成8)年8月30日・1986(昭和61)年11月21日
(今池処理場での暫定処理)
6市2町1村の下水処理場
 「大井水みらいセンター」は、南河内地区を中心とする6市2町1村が供用
区域
(大井処理区)となる下水処理施設です。藤井寺市中央部の北寄りにあり、
大和川のすぐ南側に位置しています。大和川の川幅は約
200mほどあり、その
比較からセンター敷地の広大さがわかります。敷地の南北は
450mもあります。
 西側に接して流れている小さい川は、雨水幹線の下水道でもある大水川
(おおず
いがわ)
で、その水は大和川の南側堤防に沿って流れる落堀川(おちぼりがわ)に流入して
います。この大水川は、もともと昔からあった大水川のバイパス水路として造
られた川です。下水処理施設とセットで計画され、大井水みらいセンターの建
設に先立って造成されました。もとの大水川の流路は、現在も水路としてその
まま存在しています。       アイコン・指さしマーク「大水川」    アイコン・指さしマーク「落堀川」

下水処理事業開始まで22
 「大井処理場(現大井水みらいセンター)」は、大阪府が運営する流域下水道
の下水処理場の一つで、1974(昭和49)年に建設事業が着手
され、1996(平成8)年
に下水処理事業が開始されました。事業が始まった当初は「大井処理場」とい
う名称でしたが、その後他の処理場とともに「○○水みらいセンター」という
施設名に変わりました。一見しても浄水場なのか下水処理場なのかよくわから
ない名前ですが、ちょっとしゃれた名前と言えるでしょう。「下水」というマ
イナスイメージをチェンジさせたいという思いが感じられます。
 それにしても、下水処理事業というのは開始までに年数のかかるものです。
下水処理を行うためには、処理場だけではなく、下水を処理場に集めるための
下水道が必要です。供用区域の市町村の全住宅や事業所等と処理場をつなぐ下
水道を道路地下に埋設しなければなりません。その下水管埋設工事に要する期
間は、かなりの長期間が必要となるのです。そして、膨大な予算を必要としま
す。処理場の建設だけでも大きな事業ですが、下水処理事業全体として見ると
その何倍も大きな規模の時間と費用の掛
かることがわかります。
① 大井水みらいセンター
 ① 大井水みらいセンター
   処理水は西に接する大水川に放出され、落堀川に流入する。
  落堀川を西へ流れて、松原市内で大和川に流入して行く。
          〔GoogleEarth 2017(平成29)年5月
〕より
② 大井水みらいセンター(南西より) ③ 大井水みらいセンターの正面ゲート(南より)
② 大井水みらいセンター(南西より)
     大井水みらいセンターは、藤井寺市の中央北部で広大な面積を占め
   ている。この一帯は、かつては一面に水田の広がる地域であった。
            〔GoogleEarth3D画 2019(令和元)年〕より
③ 大井水みらいセンターの正面ゲート(南より)
      写真左寄りのセンター銘板の前には、埴輪のレプリカ
     が立っている。センター内からは、「西大井遺跡」が発掘
     されている。
          2018(平成30)年3月
流域下水道と公共下水道
 下水道事業は、その建設・運営主体によって大きく二つに分か
れます。流域下水道事業における大阪府と市町村の役割分担が定
められており、主として「流域下水道」と「公共下水道」に大別
されます。
 「流域下水道」は、二つ以上の市町村にまたがる流域の内、都
道府県が主体となる下水道です。流域幹線管渠
(きょ)・ポンプ場・
終末処理場などから構成され、建設や維持管理を都道府県が行い
ます。
 「公共下水道」は、市町村が主体となる下水道で2種類に分か
れます。「単独公共下水道
(終末処理場を有するもの)」と「流域
関連公共下水道
(流末を流域下水道に接続する形態をとるもの)
⑤ 大阪府流域下水道の全体計画図
④ 下水道の模式地図
      ④ 下水道の模式地図
       赤色
:流域下水道   青色:流域関連公共下水道
           大阪府サイト「下水道の仕組み」より
 ⑤ 大阪府流域下水道の全体計画図
   
大阪府サイト『大阪府の下水道計画・事業の取組みについて-流域下水道の概要』
     「1.流域下水道の計画概要(全体計画)」より
  一部文字を加工及び背景着色
です。藤井寺市など多くの自治体で施行されているのは「流域関連公共下水道」です。
 流域関連公共下水道を担当する市町村は、枝線管渠・ポンプ場などの建設や維持管理を行います。そのほか、大阪府施行分の建設・維持
管理費の負担もします。
 ④図が、「流域下水道」と「流域関連公共下水道」との関係を表した模式図です。処理場につながる
赤色の下水道が「流域幹線」と呼ば
れる幹線下水道です。道路網に例えるなら国道や主要府道です。A~Dの各市町から流域幹線に接続する
青色の下水道が「流域関連公共下
水道」で、道路に例えるなら市町村道と言えるでしょう。各住宅や事業所から出た下水は、順々に太い下水管につながって行き、最終的に
は流域幹線を通って処理場に流入します。処理場につながる最下流の下水道の管径は2mもあります。
 E市の例の場合は、自前の処理場を持っているので、府や他の市町村と関係することなく、E市の中だけの独自の下水道を巡らせていま
す。これが「単独公共下水道」と言われる下水道です。
 ④図の中に見える「ポンプ場」というのは、地下の深い所まで流下した下水を、もう一度地面に近い高さまでポンプで汲み上げる施設で
す。下水道は、下流の低い所にある処理場に向かって自然に流れて行くように、一定の下り勾配を付けて道路の地下に埋設されます。もと
もとの地形に傾斜のある場合はいいのですが、傾斜がわずかであったり平地である場合には、下水管がどんどん深くなっていきます。そこ
で、一定の深さになると下水をポンプで汲み上げて、もう一度地面に近い高さから流下するように下水管の深さを変えます。それでも、処
理近くに埋設された幹線下水道は、かなり深い所まで下っています。 アイコン・指さしマーク
大阪府サイト「大阪府の下水道計画・事業の取組みについて」
大阪府の流域下水道と大井水みらいセンター
 大阪府が運営する流域下水道は、五つの河川流域と大阪湾岸地域とから成る七つの流域下水道があります。
図⑤に示されていますが、藤井寺市が属するのは「大和川下流流域下水道」で、南河内地域と堺市の一部が
主たる供用区域です。流域関連市町村は、大阪・堺・富田林・松原・柏原・羽曳野・藤井寺・河内長野・大
阪狭山・八尾・の各市と河南町・太子町・千早赤阪村です。
 図を見ると、河内長野市・富田林市・千早赤阪村・河南町・太子町などに、計画区域の色の無い部分がか
なりありますが、これらのほとんどは山林地で市街地域の少ない所です。
 「大和川下流域下水道」は、さらに東部・西部・南部と三つの区域に分けられていて、藤井寺市の大部分
が供用区域となっているのは、「大和川下流東部流域下水道」に区分される区域です。「大井水みらいセン
ター」で下水が処理されるのはこの区域で、「大井処理区」と言います。ここには、藤井寺市を含む6市2
町1村が関わっています。                       アイコン・指さしマーク 大阪府サイト「大井水みらいセンター」
⑥ 大阪府流域下水道のマンホールデザイン
 ⑥ 大阪府流域下水道の
   マンホールデザイン
 「大和川下流東部流域」というのは大和川の支流である石川の流域です。
金剛山地の斜面や丘陵地にある市街地から、石川に沿って造られた流域幹線
を通って、下流の藤井寺市にある大井水みらいセンターに下水が集まってき
ます。
 「大和川下流西部流域」は、狭山池から北へ流下して大和川に流入する東
(ひがしよけ)川と西除川の流域がほぼ該当します。この区域には「今池水みらい
センター
(松原市)が設置されています。さらにその上流側の南部は「大和
川下流南部流域」で、大阪狭山市に「狭山水みらいセンター」が設置されて
います。藤井寺市西部の一部地域は、今池センターの供用区域になっていま
す。
地域で最も低い場所-大井水みらいセンターのある所
 大井水みらいセンターや今池水みらいセンターのある場所は、大和川以南
の南河内地区では最も標高の低い土地です。処理水の放流先となる大和川が
北に接しており、上流から流下して来る下水を集める場所としては適切な場
所と言えるでしょう。
 右の地図は、藤井寺市の土地の高低を段彩で表したものです。センターの
場所は、市内では最も低い標高の部分だということがわかります。南から北
へV字形に延びる台地性の地形があり、市の中央部はその内側のV字形凹地
のようになっています。その真ん中で大和川寄りに位置しているのが大井水
みらいセンターです。現在のセンターの敷地は、かなりの高さに盛り土で造
成されており
(写真③)、その分周囲よりも高くなっていることが段彩の色に表
れて
います。(センターの左下に見える盛り土の地形は西名阪自動車道のイ
⑦ 藤井寺市の地形図
 ⑦ 藤井寺市の地形図     大井水みらいセンターの場所は、
     もともとの標高が市内で最も低い部分である。現在の敷地は盛り土
    によって高くなっている。
               一部文字等を追加
            藤井寺市サイト『藤井寺市地域防災計画 資料編』より
ンターチェンジ周辺。高速道路の他の部分は橋脚による高架なので、土地の形には表れない。)
 中央を流れる大水川は、雨水幹線としての役割があり、直線形の部分は処理場建設に先だって、バイパスとなる新流路が造られました。

大井処理場」の建設
 「大和川下流東部流域下水道」の事業は、大和川下流の3地区の中では最も遅い昭和49(1974)年度に着手されました。終末処理場として
計画されたのが「
大井処理場(後に大井水みらいセンター)」です。東部流域下水道は、区域面積 6,608ha、処理人口 約23.6万人、幹線延長
51.78
km、ポンプ場2ヵ所、大井処理場の処理能力 126,600/(1日最大)の規模で計画されました
(『令和4年度末大阪府下水道統計』)
 大井処理場が建設されたのは西大井という地区ですが、予定地に決まった
頃は一面が田んぼばかりの場所でした。写真⑧が建設工事開始の
10年余り前
の様子です。まだ高度経済成長に向かって上
っている最中でした。10年足ら
ず後に開通する西名阪自動車道や大阪外環状線
(現国道170号)もありません。
雨水下水道の幹線となる新大水川も、まだまったく手が付けられていません。
明治の頃とさほど変わらない田園風景だったのです。新しいものと言えば、
住宅需要に対応するために造られて間もない、府営住宅地や民間開発の住宅
地ぐらいのものでした。この場所に大規模な公共施設である下水処理場が建
設されて、地域の様子が一変してしまうことなど、当時の近隣地域の人々に
は想像しにくかったことでしょう。
 やがて、西名阪道路
(現西名阪自動車道)や大阪外環状線が開通したことに
始まって、年を追うごとに地域の様子は変わっていきました。上の写真①②
と比べて見ると、その変貌ぶりがよくわかります。かつての一面の水田はほ
とんど無くなったと言ってよいほど大幅に減少ました。
 下の写真⑨~⑫は、大井処理場の建設工事が始まって間もない頃の様子で
す。写真⑨⑩は基盤造成の段階のようですが、すでに開通している大阪外環
状線に沿ってできた施設や事業所などが写っています。写真で見える範囲で
⑧ 大井水みらいセンター(大井処理場)の建設場所
 ⑧ 大井水みらいセンター(大井処理場)の建設場所
     当時は色表示したものはまだ何も無く、広い水田地帯
     であった。
          文字入れ等一部加工
           〔1961(昭和36)年5月30日 国土地理院〕より
さえ、広大な水田の埋め立てられたことが見て取れます。大井処理場の計画面積は 145,040㎡(約14.5ha)です。これは、約 44,000坪、水
田 146.5反分に当たり、甲子園球場総面積の約
3.8倍にもなります。藤井寺市内の小学校なら10校分ほどに相当します。もちろん、藤井
寺市内では敷地面積最大の公共施設です。
⑨ 大井処理場の建設工事(北西より) ⑩ 大井処理場の建設工事(西より)
⑨ 大井処理場の建設工事(北西より) 1976(昭和51)年2月(⑩も)
   初期の頃の工事で、処理場の南西部分のカーブ部の場所と思われる。
⑩ 建設工事(西より)
  敷地の南端に当たる直線部分の工事
⑪ 大井処理場建設地の様子(南より) ⑫ 処理場建設の事前発掘調査(東より)
⑪ 大井処理場建設地の様子(南より)  1980(昭和55)年2月
        上部遠方に見える横向きの直線形は大和川堤防。
     右上の山地は生駒山地。
⑫ 処理場建設の事前発掘調査(東より)
   左寄り遠方に見える横向きの直線形は
  西名阪自動車道。  1980(昭和55)年2月
 写真⑪⑫は、写真⑨⑩の時期から4年後の様子です。水田の埋立から5,6年ほど経っていましたが、建設予定地の大部分にはまだ何の施
設もできておらず、半ば空き地状態の景観となっていました。1979年撮影の空中写真を見ると、予定地の約半分は草地になっており、あと
の半分は整地されて野球練習場などになっています。後にはここに柏原羽曳野藤井寺消防組合の暫定的な消防訓練場が造られたりもしまし
た。広大な面積の水田が消えて、だだっ広い空き地が登場した感じでしたが、当時この様子を何年も見続けることになったので、「処理場
は、いったい何時になったらできるのだろうか。」と疑問に思ってながめていました。
大井処理場の事業開始
 1986(昭和61)年11月21日、大和川下流流域大井処理区の暫定処理が、西部流域の今池処理場
(松原市)で開始されました。大井処理場の第
1期建設が完成して、流域幹線から大井処理場に下水を流入させることができるようになりましたが、まだ処理事業を開始する段階ではな
かったので、集まった下水は大井処理場の西方約
8kmにある今池処理場へ接続管で送って処理をするようにしたのです。先に完成していた
今池処理場は1985(昭和60)年6月から供用開始していました。
 大井処理場が供用開始して独自に下水処理を開始したのは、1996(平成8)年8月30日のことでした。最初に稼働した1系水処理施設の処理
能力は25,000/日でした。その後、2004(平成16)年度に2系水処理施設も供用開始して、合計75,000/日の処理能力となっています。
 2006(平成18)年度には、施設名称が「○○下水処理場」から「○○水みらいセンター」に改称されて今日に至っています。
 以下に、大阪府流域下水道・大和川下流流域下水道のおもなできごとを、大井処理区を中心に年表にまとめて紹介します。資料は、おも
に大阪府
Webサイトの「大阪府の下水道計画・事業の取組みについて」及び『大阪府流域下水道50周年記念誌』に依ります。
大 阪 府 下 水 道 の あ ゆ み
 1964(昭和39)  大阪府土木部計画課下水道係が発足。(この年に東京オリンピック開催) 
 1965(昭和40)  全国で初めて寝屋川流域で流域下水道事業に着手。
 1966(昭和41)  猪名川流域下水道に事業着手。事業主体を一部事務組合などに変更。 
 1967(昭和42)  万博関連事業として安威川流域下水道に事業着手。土木部都市整備課に下水道計画係・下水道事業係を設置。 
 1968(昭和43)  事業主体を再度大阪府とする。 
 1969(昭和44)  猪名川流域として原田処理場通水(全国の流域下水道での処理開始第1号)
 安威川流域として中央処理場が供用開始 (全国の流域下水道での新設供用開始第1号)
 1970(昭和45)  淀川右岸流域及び大和川下流流域下水道に事業着手。(この年大阪府で日本万国博覧会開催)
 土木部に下水道課を独立して設置。
 1974(昭和49)  石川左岸幹線工事着手(大和川下流東部流域下水道)
 1977(昭和52)  大阪府の下水道普及率が50%を超える。
 1979(昭和54)  大井処理場放流幹線工事着手。
 1980(昭和55)  大和川下流流域として狭山処理場が供用開始。大井処理場の調節池・ポンプ場の工事着手。
 1985(昭和60)  大和川下流流域今池処理場(松原市)が供用開始。
 1986(昭和61)  大和川下流流域大井処理区の今池処理場での暫定処理開始。(藤井寺市の公共下水道が供用開始。)
 1987(昭和62)  南大阪湾岸流域南部処理区の事業着手により、7流域12処理区全てで事業着手。
 1989(平成 1)  河内長野幹線供用開始。川面中継ポンプ場(富田林市)工事着手。石川右岸Ⅲ幹線工事着手。
 1990(平成 2)  石川右岸Ⅰ幹線・天野川幹線・河内長野幹線連絡管供用開始。石和川下流流域の普及率が20%を超える。
 1991(平成 3)  河南幹線工事着手。大井処理場1系水処理施設(50,000/日)工事着手。
 1992(平成 4)  川面中継ポンプ場供用開始。
 1993(平成 5)  南大阪湾岸流域南部処理場が通水し全流域供用開始。大井処理場水処理設備(25,000/日)工事着手。
 能勢町・千早赤阪村の着手により府内全市町村が事業着手。阪府の下水道普及率が
70%を超える。
 河南幹線供用開始。
 1994(平成 6)  錦郡中継ポンプ場(富田林市)供用開始。
 1995(平成 7)  大和川下流流域狭山処理場でアシュレン(下水汚泥焼成レンガ)の販売開始。(阪神・淡路大震災が発生)
 1996(平成 8)  大井処理場1系水処理施設(25,000/日)供用開始。大井処理場の通水により全処理区の処理場で供用開
 始。千早赤阪幹線供用開始。
 1997(平成 9)  大井処理場流動床炉(65t/日)供用開始。大井処理場「大井ふれあいらんど」一般開放。
 大和川下流流域関連全市町村通水。
 1998(平成10)  大井処理場1系水処理施設(設備増設)供用開始(処理能力25,000/日 計50,000/日)。
 1999(平成11)  大井処理場2系水処理施設(50,000/日)工事着手。
 2000(平成12)  石川右岸Ⅰ幹線・河南幹線・千早赤阪幹線全線完成。
 2001(平成13)  能勢浄化センター供用開始により、全国で初めて府内全市町村が供用開始小吹台中継ポンプ場工事着手。
 2002(平成14)  大井処理場2系水処理施設(設備増設)(25,000/日)工事着手。
 2003(平成15)  長野中継ポンプ場(河内長野市)供用開始。河内長野幹線全線完成。
 2004(平成16)  大阪府の下水道普及率が90%を超える。小吹台中継ポンプ場(千早赤阪村)供用開始。
 大井処理場水処理
(高度処理)供用開始(処理能力25,000/日 計75,000/日)。
 2006(平成18)  下水処理場の名称を『水みらいセンター(MC)』に改称。
 2007(平成19)  大井水みらいセンター「ふれあいランド」全面開放。
 2008(平成20)  流域下水道の建設・維持管理を一元化(運営体制の見直し、流域下水道協議会発足、特別会計の設置)
「下水道室」に改組し、経営企画課・事業課の2課を設置。
 天野川幹線全線完成。今池MC水処理
(水度処理)供用開始。狭山MC水処理(水度処理)供用開始。
 2009(平成21)  狭山MC「かがやき広場」一般開放。石川右岸Ⅱ幹線全線完成。
 2011(平成23)  今池MC「風の広場」一般開放。大井MC「ふれあいランド」東側アプローチ完成。
 2012(平成24)  大井MC北側場内整備完成。
 2015(平成27)  流域下水道事業着手から50年を迎える。流域下水道新マンホールふたのデザインを公募により決定。
 大井MC太陽光発電プラント供用開始(発電出力 1,500
kW)。
 狭山MC太陽光発電プラント供用開始(発電出力 1,000kW)。
藤井寺市の公共下水道
 流域幹線に接続するために、市町村が主体となって施行していく下水道が「公共下水道」ですが、藤井寺市の公共下水道の事業が着手さ
れたのは、1972(昭和47)年のことでした。金剛団地をかかえる富田林市やニュータウン開発が行われた狭山町
(現大阪狭山市)を別として、
藤井寺市の着手は南河内地区では比較的早い方でした。
 藤井寺市内で公共下水道の供用が始まったのは、14年後の1986(昭和61)年でした。大井処理区の今池処理場での暫定処理が開始されたこ
とによって、施工済みの公共下水道から幹線下水道へ流入させることができるようになりました。下水管の埋設は、一般に処理場や幹線下
水管に近い所から上流に向かって進められて行くのが普通です。藤井寺市でも、大和川以南の市の北部から供用が始まりました。この地域
は、言わば大井処理場の“ご近所”といった場所でもありました。藤井寺市での公共下水道供用開始の翌年、1987年(昭和62)年には大阪府
の下水道普及率が
60%を超えました。
 大阪府
Webサイトにある『大阪府下水道統計(大阪府都市整備部下水道室 令和6年3月)の市町村別下水道普及率(令和4年度末)」によ
れば
藤井寺市の下水道普及率は84.3%です。これは南河内地区6市の中では、残念ながら最下位です。大阪狭山市99.9%、松原市98.4
、河内長野市94.8%、富田林市94.3%、河南町94.0%などとはかなり差があります。地区内9市町村の中では下から2番目、大阪府
43市町村の中では35位に位置しています。
 下水道管埋設の工事は、とにかく時間とお金が掛かります。道路地下の埋設物では下水管渠が最も大きな容積を占めます。そのため、新
設の道路は別として、一般道路の多くでは下水管埋設工事では既設の水道管やガス管の移設工事を伴います。これが多くの時間を要する大
きな理由の一つです。道幅の狭い道路網ほど、交通規制の問題もからんで多くの手間が掛かることになります。市域のほとんどが市街地化
し、しかも道の狭い古い村時代からの集落も多い藤井寺市では、工事計画が何かと複雑化したことでしょう。加えて、近年多くの自治体で
見られた財政事情の逼迫は、藤井寺市においても大きな影響を与えずにはいなかったと思われます。
 ちなみに、令和4年度末の大阪府全域の普及率は
97.0%です。全国平均の 81.0%(令和4年度末)を大きく上回っています。大阪府は、
かなり以前から大阪市の普及率が高かったこともあって、早いペースで普及率が上がってきました。令和4年度末の都道府県別統計では、
東京都、神奈川県に次いで、大阪府は3番目の普及率です。
太陽光発電プラント-未利用地の有効活用
 写真①でわかるように、大井水みらいセンターの敷地は将来の施設増設に対応できるようかなりの余裕を持たせてあります。つまり、広
い未利用地があるわけです。以前なら芝生を敷き詰めたり樹木を並べたりしただけで置かれたでしょうが、最近ではこういう未利用地の活
用がいろいろと工夫されています。上の年表にあるように、2015(平成27)年には、大井水みらいセンターと南部流域の狭山みらいセンター
に太陽光発電プラントが設置されました。大阪府が民間企業の資金とノウハウを活用して導入したものです。大阪府サイトの「大井水みら
いセンター」には、『平常時は再生可能エネルギー固定価格買取制度による電力販売を行い、大規模災害等の長期停電時には水みらいセン
ターの非常用電源として活用することで防災力の強化を図っています。』と説明があります。
 大井水みらいセンターのプラントは、次のような設備内容となっています。
 
敷地面積 約20,000(2ha)  発電最大電力 1,500W   推定発電電力量 約1,580,000kWh/年(一般家庭440世帯分)
 太陽電池使用枚数 6,018枚   パワーコンディショナー 250kW×6台   事業期間 20年間   発電開始 平成27年9
⑬ 太陽光発電プラントの様子(北西より) ⑭ 太陽光発電表示板(西より)
⑬ 太陽光発電プラントの様子(北西より)
          2018(平成30)年1月   合成パノラマ
⑭ 太陽光発電表示板(西より)
              2018(平成30)年1月
「ふれあいらんど」
 大井水みらいセンターでは、下水処理施設の広大な面積を持つ屋上を利
用して、場内修景施設の「大井ふれあいらんど」が開設されています。
「ふれあい広場」と「ふれあい緑地」が一般に開放されています。親子連
れやセンター見学の小学生などには、ちょうどよい遊び場と
なっています。
 「ふれあい広場」には、広い広い芝生の多目的広場やちびっこ広場があ
り、高度処理水の流れるせせらぎの小川もあります。街中にこんな公園が
あったらいいのに、と思わせるようなゆったりと過ごせる広場です。ふれ
あいらんどは1997(平成9)年に一般開放されました。
 大阪府サイト「大井水みらいセンター」には、ふれあいランドについて
次のように書かれています。     アイコン・指さしマーク「大井ふれあいらんど」
  
「大井ふれあいらんど」は、水処理施設屋上等を整備し、府民のみな
 さまに憩いの場を提供しています。「大井ふれあいらんど」は、ふれあ
 い広場とふれあい緑地からなっています。
  施設内のせせらぎには高度処理水が利用され、舗装材料には下水汚泥
 で作ったレンガが使用されています。エレベーター、身障者用トイレを
 設置し、誰もが利用しやすい施設としています。
   ■利用時間 午前9時から午後5時まで
          4月から7月までの、土曜日、日曜日、祭日は、
                            午前9時から午後6時まで
    ■休園日  毎週火曜日(祝日の場合は翌日)
         
12月29日から翌年1月3日まで
    ふれあい緑地は常時開放です。
  ⑮ 「大井ふれあいらんど」配置図
 ⑮ 「大井ふれあいらんど」配置図     一部加工
           大阪府サイト「大井ふれあいらんど」より

    なお、臨時に休園日を設けることがあります。
 また、センターの外周には早くからたくさんの桜の木が植えられてきました。大きく成長してきた多くの桜は、落堀川沿いの桜とひと続
きの桜景観をつくり上げており、藤井寺市内でも有力な桜名所になってきています。  アイコン・指さしマーク「大井水みらいセンター-藤井寺市の桜名所」
⑯ ふれあい広場の様子(南東より) ⑰ ふれあい広場の様子(西より)
⑯ ふれあい広場の様子(南東より) 2014(平成26)年3月 ⑰ ふれあい広場の様子(西より)   2014(平成26)年3月
⑱ 多目的広場の様子(西より)
         ⑱ 多目的広場の様子(西より)         2014(平成26)年3月    合成パノラマ
⑲ ふれあい広場の様子(南より) ⑳ ふれあい広場の様子(南西より)
⑲ ふれあい広場の様子(南より)
           2014(平成26)年3月
    合成パノラマ
ふれあい広場の様子(南西より)
          2014(平成26)年3月    合成パノラマ

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