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◆◆◆◆ 津堂市民野球場 ◆◆◆◆ |
(つどうしみんやきゅうじょう) 藤井寺市津堂3-620-1 所管:藤井寺市教育委員会教育部スポーツ振興課(市民総合体育館内) TEL:072-939-1141 FAX:072-939-9996 近畿日本鉄道南大阪線・藤井寺駅より北西へ約2.1km徒歩約35分(野球場入口まで) 府道旧2号・津堂交番前から西名阪自動車道側道を西方へ約1.2km(経路は複雑) 駐車場:市民野球場駐車場(野球場使用者用 野球場使用のない時は入口閉鎖) 開設:1984(昭和59)年5月 |
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① 市立津堂市民野球場(東より) 2020(令和2)年4月 合成パノラマ 野球場内にはフェンス沿いに桜が並んでいる。フェンスよりも内側に桜並木のある 珍しいグラウンドである。 |
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② 津堂市民野球場・グラウンド内の様子(北より) 2020(令和2)年4月 |
③ 津堂市民野球場と周辺の様子 〔Google Earth 2017(平成29)年5月〕より |
津堂市民野球場は、市内に4ヵ所ある野球練習のできる市立グラウンドの一つです。成人の軟式野球や少年野球の練習・試合によく利用 されています。市民野球場がある場所は、藤井寺市の北西の端に近く、藤井寺高校敷地の西側はもう西隣の松原市です。そして、市民野球 場の南側南隣地は羽曳野市です。この場所はかつて、学校や公共施設などがなければ、ほとんどの市民は訪れることがないと思われる地域 でした。市内で最も遅い時期まで広々とした田園地帯だった所なのです。したがって、そこで耕作をされている農家の人が来られるぐらい だったでしょう。現在でも市内では最も田畑が多く分布している地域なのです。 市民野球場の土地も昔は「新池」というため池でした。隣のカラ池と共に大切な農業用水として利用されていたのです。新池という名前 なので、おそらく比較的後の時代に新たに造られたため池だと思われます。 ![]() 下の写真④は、半世紀と少しを遡った時代のカラ池・新池周辺の様子です。もっと以前の終戦後間もない時期の写真では、池の周りは田 畑ばかりでしたが、50年余り前には南側の羽曳野市域に住宅地が延び出していることが分かります。しかし、藤井寺市域側には未だ住宅は 1軒も無い状態でした。古代条理跡の区画の形もわかりやすい写真です。 この田園地帯の風景を一変させる切っ掛けとなったのが、大阪府立藤井寺高等学校の開設でした。昭和40年代の大阪府内の児童数急増を 受けて、府下の各地に府立普通科高校が相次いで新設されました。それまで藤井寺市内の府立高校は藤井寺工業高校(現藤井寺工科高校)し かありませんでした。南河内地区全体でも、普通科高校が存在したのは富田林市だけでした(当時松原市は中河内地区)。昭和46年4月に まず新設開校したのが羽曳野市の羽曳野高校(現懐風館高校)でした。次いで昭和49年4月に開校したのが藤井寺高校だったのです。水田地 帯の真ん中に、まるで野中の一軒家のようにそびえ立つ立派な校舎。まるで白亜の殿堂といった感じです。2年後の昭和51年4月には、市 立藤井寺北小学校が市内7番目の小学校として近くに開校しました。田畑ばかりだった地域がこの頃から旧に変化を始めていきました。 細い農道だった道は通学用の新しい舗装道路に整備され、農家の人の姿しか見られなかった田園の中に、毎朝夕徒歩や自転車で通学する 高校生の列が登場しました。小学校の新設もあったことで、この地域に出入りする車の通行量も増加しました。しかしながら、カラ池や新 池の周辺はもともと市のはずれにあったので、高校が造られたことで「この場所も藤井寺市だったのか。」と、やっと認識されたような状 況でした。松原市域までひと続きの水田地帯だったので、ここまでが藤井寺市、という良い目印となる建物の登場でした。 数年後には新池の埋め立てが行われ、高校開校から10年後となる1984年(昭和59年)5月には、津堂市民野球場と野外活動広場(現在は野 球場の一部として管理) が完成したのでした。ため池の一つが埋め立てられたということは、それだけ農業用水の需要が減ったということ で、水田の減少が進行していたわけです。 市民野球場と野外活動広場の周囲には、完成時に植えられたと思われる桜の木が立派に育ち、満開の時期には野球場を利用する人々の目 を楽しませてくれます。残念なのは、公園ではないので自由に出入りして桜を楽しむことができないということです。野球の試合中や練習 中は危険があり、邪魔ともなります。使用されていない時は閉鎖されています。野球場内に桜がずらりと並んでいる景観自体が珍しいので すが、何とももったいないという感じがします。 |
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④ 50年ほど前の様子 〔1961(昭和36)年5月 国土地理院〕より 南側の羽曳野市域に住宅地ができている様子がわかる。 文字入れ、境界線等、一部加工。 |
⑤ 40年近く前の様子 〔1979(昭和54)年10月 国土地理院〕より 藤井寺高校開設のため、池の一部を利用して通学用の舗装 道路が新設されている。 文字入れ、境界線等、一部加工。 |
藤井寺市が設置している屋外運動施設は、下の一覧の通りです。 | |||||||||||||||||||||||||||||||
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