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◆◆◆◆ 市民総合体育館・市民プール ◆◆◆◆ ( 心技館・青少年運動広場・テニスコート ) |
(しみんそうごうたいいくかん) 〒583-0008 藤井寺市大井1-2-20 TEL:072-939-1141 FAX:072-939-9996 所管:教育委員会事務局教育部スポーツ振興課(市民総合体育館内に所在) 近畿日本鉄道南大阪線・土師ノ里駅より北西へ約1.3km徒歩約20分(南側入口まで) 国道170号(大阪外環状線)・藤井寺市立体育会館前交差点から東へ約100mに正面入り口 駐車場(約160台) 正面入口内に駐車場 別に敷地の南方に臨時駐車場(イベント開催時 進入路は体育館とは異なる ⑤図参照) 敷地面積:11,121.94㎡ 延床面積:7,601.98㎡(本館4,845.58㎡,心技館2,463.26㎡ ほか付属施設) 開設:1976(昭和51)年4月(本館) 心技館は1995(平成7)年12月竣工 |
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① 市民総合体育館・市民プール・心技館(南西より) 2018(平成30)年1月 体育館の手前側が市民プール。右の建物が心技館で、その後方にテニスコートと 青少年運動広場がある。 合成パノラマ |
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② 25mプールと体育館・心技館(北西より) | ③ ファミリー用変形プール(北より) | |
2016(平成28)年8月 藤井寺市サイトより |
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④ テニスコート(左)と青少年運動広場A(右)(南より) 2018(平成30)年4月 合成パノラマ |
市民総合体育館は市民プールとともに、1976年(昭和51年)4月20日に オープンしました。3年前に大型公共施設として市民総合会館(現パープ ルホール)を完成させた藤井寺市が、次に目指したのが本格的スポーツ施 設でした。1969(昭和44)年12月に開通した大阪外環状線(現国道170号)の すぐ東側に広い公共施設用地が確保されていて、その一部は将来の小学 校新設を想定して先行取得されていた土地でもありました。この用地に 誕生したのが、体育館・プール・テニスコート・グラウンドから成る総 合スポーツ施設でした。 体育館には観覧席付きの主競技場のほか、卓球場、トレーニングルー ム、多目的室(2)があります。主競技場は、バレーボールコートが最大 3面、バドミントンコートなら6面とれる広さです。トレーニングルー ムでは、各種のマシンや器具を使用してトレーニングをすることができ ます。 屋外には、体育館の南側に25mプールとファミリー用変形プールがあ ります。毎年7~8月の盛夏期に多くの市民に利用されています。また、 体育館の東側には、4面のテニスコートと青少年運動広場が造られまし た。さらに東側には学校新設用地として確保されていた土地があり、暫 定的に「東側グラウンド」と称して使用されていました。その後、児童 数増加が止まって、結局小学校新設の必要はなくなりました。現在は「青 少年運動広場A」として使用されています。また、初めに造られた広場 は「青少年運動広場B」と名付けられています。 |
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⑤ 青少年運動広場B(西より) 2018(平成30)年1月 合成パノラマ この向こう側に広場Aがある。右の緑色フェンス内がテニスコート。 |
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⑥ 敷地内の施設配置図(上が北) 2018(平成30)年1月 当初の駐車場は狭かったので、南側に臨時駐車場が設けられている。 |
1997年(平成9年)の第52回国民体育大会が、「なみはや国体」 として大阪府内各地を競技場として開催されました。藤井寺 市では剣道競技の会場を担当することになり、大会に間に合 わせて市民総合体育館の改装工事が行われました。この時、 柔道場・剣道場を備えた「心技館」という別棟の施設が、プ ールとテニスコートの間に新たに建設されました。ここには 五つの会議室もあり、各競技団体の会合などに利用されてい ます。 写真⑦はGoogleEarthの3D化機能で作成した疑似鳥瞰写真 ですが、体育館をはじめ、六つの施設が無駄なく配置されて いる様子がよくわかります。限られた用地を有効に利用でき |
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⑦ 3D化・疑似鳥瞰写真(南西より) 〔GoogleEarth 2015(平成27)年〕より 南入口は、通常は自動車進入不可。自転車・バイクは進入可。駐輪場有り。 |
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るよう、うまく考えられていると言えるでしょう。スポーツ施設を集中して配置することで、管理・運営の手間も合理化されていることと 思います。 国道170号をはさんで、市民総合体育館から南西方向に100mほど行くと、市立スポーツセンターがあります。スポーツセンターは、市民 総合体育館完成の5年後、1981年(昭和56年)5月1日にオープンした、藤井寺市では初めてのスポーツ専用の総合グラウンドです。体育館 やプールなどと合わせて、この一帯に藤井寺市の主要スポーツ施設がかたまって存在することになりました。 市民総合体育館には、現在、藤井寺市教育委員会のスポーツ振興課のオフィスがあり、市が所有するこれらのスポーツ施設全般の管理・ 運営を担っています。 ![]() |
体育館やプールの開設に次いで、総合グラウンドの市立スポーツセンターがオープンしましたが、そのスポーツセンターの西側には、前 年の昭和55年4月1日に市立第三中学校が開校していました。また、スポーツセンターの南隣には、1981年(昭和56年)8月1日に市立図書館 も開設されました。これらの施設は、この一帯を公共施設ゾーンにするプランの一環として相次いで建設されたものでした。 スポーツセンター・第三中学校・市立図書館の3施設が隣接し合っているのですが、もともとこの場所一帯は藤井寺市域の中央部に広が る水田地帯でした。昭和40年代に、ここに高速道路のインターチェンジと主要地方道・大阪外環状線(現国道170号)が建設されることにな り、にわかに様相の変化が始まりました。幹線道路計画の決定を受け、森永乳業がこの地への進出を計画して、インターチェンジ予定地と 外環状線予定地にはさまれた約4ha余りの土地を取得しました。ところが、その後森永乳業には一向に工場建設の具体的な動きは無く、長 年に渡って草地の空き地状態が続いていました。市議会でも問題にされ、結局、市が森永乳業から買い取ることになったのです。市の発展 に貢献できることだからと、地主の人たちを説得する形で森永乳業への売却が実現した経過があり、地価高騰の中で森永乳業が転売するよ うなことは許されないという市民世論もありました。市はこの区画を北東側の市民総合体育館などとセットにして、公共施設ゾーンとする 計画を立案しました。こうして上記の3施設がここに誕生することとなったのでした。 ![]() 写真⑨は、藤井寺市が建設用地を取得する前で、まだ森永乳業の建設予定地だった頃の様子です。田畑が広がっていた所に、広い幹線 道路や高速道路とインターチェンジができ、地域の様子が大きく変貌していくスタートとなりました。西名阪道路(現西名阪自動車道)は、 よく見ると、まだ片側1車線の規格で対面通行でした。1970年開催の日本万国博覧会(大阪万博)に間に合わせるために、暫定的な規格で開 通させたという経過がありました。この後拡張工事が行われて、現在のこの部分は片側3車線で供用されています。 |
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⑧ 藤井寺インターと公共施設ゾーン すっかり市街化し、農地の残りもわずかとなっている。 〔GoogleEarth 2017(平成29)年5月〕より |
⑨ 公共施設ができる前の様子 田園の中に突然広い道路や高速道路ができた感じである。 〔国土地理院 1971(昭和46)年5月〕より |
藤井寺市が設置している屋外運動施設は、下の一覧の通りです。 | |||||||||||||||||||||||||||||||
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