道に迷った  

ブッダガヤで悟ったブッダは、サールナートで、5 人のかつての修行仲間に悟りを伝えようとしますが、理解して納得する者はいませんでした。もう、教えを説くのはあきらめて、ひとり静かに過ごそうと思っていたら、一週間ほどして、コンダンニャが最初にブッダの悟りを理解したということです。ブッダは大喜びをしたということですが、このことから、次の言葉が伝えられています。

「この境地(悟り)を説明するには、ブッダの舌すらも力が足りない」

周囲から浮いている変人のような人が、実は悟った人だったというようなことが、身近にあるのではないかと、このことを思い出しながら、いつも思っています。悟った人は、意外と多くいらっしゃるような気がするのですが、本人が悟ったことに気づかなければ、社会生活はかなり大変な気がします。

ポルトガルの国民的詩人 フェルナンド・ペソアの詩 を読むたびに思います、この人は悟っていたに違いない、と。ただ、この人は、自分が悟っていたとは知らなかったようで、アルコール中毒で 47 歳の生涯を終えます。ポルトガルの国民的詩人になったのは、死後に発見された膨大な遺稿によってです。

悟りとまではいかなくても、多くの人が悟りの要素を持っているのではないかと思います。世の中に対して違和感を感じていたら、悟りの要素があるからでしょう。その違和感を大切にしないで、否定的にとらえると苦悩になります。自分と社会とにズレを感じたら、それこそが悟りの出発点だと思えれば、社会生活も楽しくなるのではないかと思っています。



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