諸行無常  

諸行(しょぎょう)とは、この世のあらゆる現象や、あらゆる存在のことです。無常(むじょう)とは、常でないこと、変化し続けることです。この世のすべてのものは常に変化し、決して同じ状態を保つことはないという仏教の教えです。誰もが知っているのに、誰も知らない現象のひとつでしょう。誰もが諸行無常を知っていたら、執着心を持つこともなく、心安らかに過ごせるのでしょうが、誰も知らないので、変化するものに執着して、苦しみます。

変化とは、動きのことです。動きとは、存在と非在の併存です。存在しているものが同時に存在していないものであることで、動きになります。存在しているだけなら静止です。そこに存在しないという現象があるから動きになります。

存在と非在の併存は矛盾です。だから、すべてが変化するこの世は、矛盾で成り立っています。パーリ語の annicia の日本語訳、諸行無常という真実は、矛盾なのです。大乗経典では、この真実を「空」という言葉で表現しているようです。

あるはずのものがなく(色即是空)、ないはずのものがある(空即是色)、この連続が動きであり変化です。「ある」に視点をおいて表現すれば諸行無常です。「ない」に視点をおいて表現すれば「空」です。人の心に視点をおいて表現したなら「苦」になるのではないかと思われます。

「苦」の根本には、人はいつか必ず死ぬのに生きなければならない、という矛盾があります。なぜ生きるのかという、誰もが抱く疑問は、当然です。人が快楽を求めるのは、このような「苦」があるからでしょう。快楽で「苦」を忘れる無意識の逃避ですが、人間存在の真実から逃れられるはずがありません。できることといったら、せいぜい、自分を欺くことくらいでしょう。逃避することもなく、自分を欺くこともない、最善の選択が、目覚めることです。

私たちは誰もが、身体と心が自分だと思っています。 サティパッターナ・スッタ(念処経) は、身体は身体にすぎないと説いています。心は心にすぎないと説いています。身体も心も私のものではなく、私ではなく、自分ではないと説いています。目覚めるとは、身体と心は自分ではない、と知ることでしょう。それは身体と心が奮闘するこの世という夢の世界から目覚めるということです。これこそが、「苦」からの解放でしょう。



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