第9回下田〜大島黒潮横断カヌー大会
2003/8/1〜8/2 静岡県下田市〜東京都大島町
2001年、夏・・・
あるイベントにエントリーしていた。
「伊豆稲取・伊豆大島 黒潮横断カヌー大会」
台風のため中止となってしまったが、今思えば、カヤック歴
たった10ヶ月の僕に、漕ぎ切れたかどうかは定かではない。
そして、2年が経った。
出発地点は、稲取から下田に替わり、距離も30kmから、40kmに増えた。
(ただし、黒潮の流れに乗っていくため、距離の増加は正味の増分ではない)
ここ2年での、技術/体力のの向上は、たかが知れたもの。
あとは、風の神様、黒潮のご機嫌次第といったところだが、
果たして、完漕することが出来るのだろうか?
今回は、NASSOシーカヤッククラブの一員として、
青木さん、稲葉さん、三浦さんと共に大島に渡る。
リジット艇か、ファルトかという迷いもあったが、
困難が予想されるファルトで完漕した方が、喜びも大きいに違いない。
それに、リジットで出てしまったら、ファルトで出ようなんて思わなくなるだろう。
という訳で、今回はフジタカヌー、シーショア500で島渡りに挑む。
(大島横断の情報はこちらで → 伊豆下田〜大島黒潮横断カヌー大会)
§
8月1日
明日のスタートは、朝5時と早いので、有給を取って、今日から現地入り。
せっかくなので、早めに到着して、少しだけ伊豆の海で漕ごうという魂胆である。
東名海老名SAで、今回ご一緒する青木さん、稲葉さん、三浦さんと合流。
お三方とも、船は、ウォーターフィールドのバランスタッチである。
東名、小田厚と走り継ぎ、下田着。
須崎港のスロープから、船を下ろし、伊豆の海の感触を確かめる。
風が少し強く、風波も気になる。
もし、明日もこのコンディションだったら、漕ぎ切ることは出来ないかも・・・
早くも、マイナス思考に入ってしまった・・・大丈夫か?
§
夕方6時頃。
漁民会館で、受付と説明会が始まった。
大まかなルートが、先導の深沢氏により説明される。
大島までの距離は40km弱。
「50分漕いで10分休憩」というペースで進んでいく。
ただし、休憩は先頭グループに合わせて取られるため、
集団の後方にいると、それだけ休憩時間が短くなってしまう。
集団から離れてしまった場合は、並走する漁船に牽引されて、
先頭まで運ばれてしまう。
これは、船団を、常に一定の長さにコントロールするための措置なので、
基本的には、お声が掛かった時には断る権利はないようだ。
牽引されると自力完漕ではなくなってしまうので、絶対に避けたい。
参加者全員の自己紹介が終わり、説明会はお開きとなった。
今日の宿は、民宿「茂右」
雑魚寝の相部屋である。
羽田沖で漕いでいるという参加者のお2人も同室。
風呂を浴び、豪華な海鮮料理を楽しんだ後は、
缶ビールを手に、みんなで夕涼みへ。
宿に戻り、早めの就寝・・・
§
8月2日
朝3時半過ぎに起床。
寝ぼけた頭のままで、出発の準備を進める。
他の皆さんも眠そうだ。
(下の写真は、稲葉さん提供)
4時5分
まだ薄暗い中、漁港に移動し、飲み水やら食料を船に積み込む。
そうこうしているうちに、空が明るんでくる。
適度に雲のかかった、絶好のカヤック日和だ。
4時39分
船をスロープから海面に下ろし、出発の時を待つ。
実は、昨日から気付いていたのだけれど、参加者の中に見覚えのある人が2人いる。
クロシオに乗る村山さん、IDに乗る布施さんである。
このお2人には、以前、三浦半島の佐島付近で助けてもらったことがあり、
顔を覚えていたので、村山氏にあいさつしてみる。
「おはようございます、僕のこと覚えていますか?」
「覚えてます!こんなところでお会いするなんて驚きましたね!」
布施さんにも、一言かけられる。
「この間は大変でしたね。大島に向けてお互いがんばりましょう!」
時間となり、先導深沢氏の合図で、スタート!
2人艇3艇を含めた全23艇が、一斉に大島に向け出航した。
発動機を持たないシーカヤックならではの静かなスタートだ。
はやる気持ちを押さえつつ、体力を消耗しないように
ゆったりとしたペースで漕ぎ進んでいく。
ここで、後方から、演歌が聞こえてきた。
「上野発の夜行列車下りた時から〜♪」
曲は、津軽海峡冬景色である。歌うは、横浜市大探検部の女性。
海で聞く演歌は、なぜだか妙に心に染みる。
ここが、日本海のような気がしてくるから不思議だ。
探検部の面々は、地球温暖化で海に沈むと言われるツバル国の
海をカヤックで漕ぐためにウィンドスターで修行している学生達で、
今回の大島横断も、その探検のための練習の一環だとか。
僕と同じ、ファルト(ノーティレイ)での参加だ。
今回、ファルトでのエントリーは、僕のフジタと、
横浜市大のノーティレイが2艇、合計3艇だけで寂しい限りだ。
5時2分
5時53分
6時55分
6時59分
7時59分
8時59分
最初の4時間、9時までは、向かい潮との闘いで、
距離が伸びないものの、淡々と漕ぎ進むことが出来た。
他の参加者が牽引される様子を見ても、焦りを感じることはない。
まだ、写真を撮る余裕もあったほど。
怪しくなってきたのは、9〜10時のパートだ。
少しペースの遅いパートで、先頭集団に迫ることが出来たのだけれど、
あと一歩の所で、失速し、先頭から大きく遅れて休憩ポイントに到着。
これが失敗だった・・・
当然のように、休憩時間は短い。
ほんの2〜3分休んだだけで、再スタートの時間となる。
先導の漁船を追いかけるも、少しずつ距離は開き、
焦れば焦るほど、集団から大きく離れてゆく。
そして、ついに、並走の漁船から、お声が掛かる・・・
「引っ張ろうか?」
これは問いかけのようだが、全体の安全性に関わることなので、
わがままを言うことはできない。断ることが出来ないのだ。
「お願いします・・・」
ここで、自力完漕の夢は果てた。
10時20分
ここは、11時の出発地点。
牽引されて、ここまでやって来た。
せめて、ここからゴールまでは自力で漕ぎ切りたい。
船団が、ゆっくりとスタートした。
遅れないように必死で付いてゆくが、
やはり徐々に遅れていく。
この辺りで、ようやく目的地である大島が姿を現した。
天空に掛かる大きなアーチのような、その威容・・・
ふだん東側(長浜)から見る大島とは、一味違った姿だ。
大島に力付けられつつも、
いつお声が掛かるかと、冷や冷やしながら漕ぎ進む。
ほうほうの体で、11時のパートを漕ぎ切った。
休憩地点に着いたと思ったら、すぐにスタートが切られる。
ここから、あと30分の距離というのがせめてもの救いだ。
自分の残りの体力と相談し、30分で力を使い切るように漕いだ。
が、しかし・・・
30分漕いだところで、大島は一向に近づいてこない。
潮の流れが強いせいか、なかなか距離が縮まらないようだけれど、
既に、力は使い果たしてしまっている・・・
ここで、ついに、漁船の方からお声が掛かる。
「引っ張ろうかー?」
「大丈夫です!」
一瞬迷った末に、そう答えていた。
大島は、もう目の前だし、安全上の問題もないだろうということで、
わがままを言わせてもらったのだ。
何よりも、ゴールの瞬間ぐらいは自力で漕いでいたかった。
牽引されている時の、あの悔しい気持ちは、もう味わいたくなかった。
気持ちだけで漕ぎ進むが、さらに悪いことに、向かい風が吹く。
何度となく、もうダメだと諦めかけたが、その度に気力を振り絞る。
そうして、潮、風と格闘すること1時間半。
ようやく大島の港が見えてきた。
先ほど声を掛けてくれた漁船が応援しながら先導してくれる。
防波堤を抜けると、すでにゴールした皆さんの姿が見える。
そして・・・
朝5時のスタートから、8時間半。
ついに大島にゴールした!
皆さんの力を借りながら、船を下りる。
足腰の力を完全に使い果たしているせいか、まっすぐ立てない。
間違いなく、僕の人生の中で最も体力を消耗している。
本当に疲れた・・・
皆さんの顔にも、疲労の色が濃い。
でも、漕ぎ切った充実感からか、みんないい顔してる。
この充実感、達成感が島渡りの魅力かも。
本当に辛くて、しばらくはカヤックに乗りたくないっていうほど
なのだけれど、1年後にはまた来てしまうんだろうなと思う。
この辺りは、バイクでのラリーに通じるものがあるかも知れない。
弁当を食べ終わると、程なく出発の時間となる。
大島の滞在時間は、わずか1時間ほどだ。
8時間半もかけて来たのにね・・・
帰りは、伴走してくれた漁船にカヤックを積み込んで、
わずか1時間半ほどで、下田に帰着。
(下の写真は、横浜市大探検部の綱島氏撮影)
14時33分
須崎では、スイカが振舞われ、参加者一人一人が感想を述べる。
このときも、皆さんは、いい顔してました。
過去最長の横断時間となった今回の大島横断だけれど、
逆に考えると、これ以上しんどい大会はないと思われます。
いや、本当のところは海の神様のみ知るというところでしょうか?
いずれにせよ、このままでは終われません。
来年もファルトでリベンジです!?
§
最後に、今回の航跡です。
GPS不調につき、5時〜7時のデータが切れています。
この航跡を見限りでは、もう少し南よりのコースを取れば、
楽に漕げたのかも知れません。
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