NAHAMAリゾート
2003/4/29〜5/2 和田長浜
最近、最後に漕いだのは、グレースオーシャンツアーズ
の長浜での親睦会の時でした。という事は、かれこれ、
4ヶ月以上も漕いでいないんですね。
これではいかん、という訳で、3日間ほど長浜でのんびり
過ごそうと、ぶらっと出かけました。
§
ところで、今回のタイトルについている「リゾート」って何でしょうか?
1987年にリゾート法という変な法律が制定されました。
簡単に言うと、「ちょっと基準を緩くするから、じゃんじゃん娯楽施設を作って、
国民に余暇を楽しませようよ」という国の押し付けみたいなもの。
仕事、仕事で忙しい日本人に、ゆとりある余暇を送ってもらおうとのことで、
制定されたこの法律をたてに、ろくな環境アセスメントもされずに、
日本各地で美しい自然環境が破壊され、娯楽/保養施設やら、
ゴルフ場やらの大型リゾート施設が乱立しましたが(現在も進行中か?)、
結局、残されたのは、巨額の借金と環境破壊・・・、空しいですね。
中には、ちゃんと環境や、近隣住民に配慮されていて、
採算が取れている所もあるかも知れませんが・・・。
リゾートの意味を履き違えているとしか言いようがありません。
思うに、人間なんて、青い空と、海と、森と、
きれいな小川のせせらぎがあれば、十分に癒されるはずなのに。
だから、長浜はリゾート地(NAHAMAリゾート)なのですよ。
ちょっと無理があるでしょうか?
§
4月29日
朝7時ごろ、横浜の片田舎にある我が住処を出発。
約1時間後に、懐かしい和田長浜に到着。
船を組んでいると、ウィンドスター新ちゃん(またの名をチーフガイド新)登場。
懐かしい人に会えて、ほっとする瞬間。
程なく、逗子の嶋田さんも到着。
当たり前だが、会う人全てに、「お久しぶりですぅ」となるのだ。
今日は、N∀SSO KAYAK CLUB
(ナッソーカヤッククラブと読む、長浜を中心に活動中)
の活動日だったらしい。(やべっ、会員なのに全然知らなかった。)
せっかくなので、ご一緒することにする。
今日の面子は、不知火の嶋田さんの他に、
稲葉さん、石川さんのバランスタッチコンビ。
ウォーターフィールド軍団の中、ひとりフジタで漕ぐことに。
§
今日は、午後3時ごろから南風が強まる予報。
なので、さっと漕いで、さっさと上がろうと言う話になる。
10時頃出艇、諸磯方面へ向かう。
§
ここは、油壷湾。例の痛ましい事件があった場所です。
ご冥福をお祈りします。
上陸し、切り通しのようになった岩の間の階段を上る。
上りきると、そこには民家と道路が。
断崖の向こう側は、日常であった。
シーカヤックでほんの少し、海に出るだけで、
そこには非日常の世界が広がっているのです。
§
再び海上の人となり、諸磯へ向かう。
そこには、先客の女性2人の姿。
先行の嶋田さんには、妙齢の女性に見えたらしい。
近づくにつれ、「違う、しまった!」となったとか、ならなかったとか。失礼!
女性のうちの1人は、自称最年長シーカヤッカーで、65歳。
もうひとかたは、もうすぐ50歳というが、
松戸市長杯で上位に入る実力の持ち主だとか。
その間に、イヌークの田中さん、モリイズミ艇の松原さんが
城ヶ島から帰還して合流。
しばしの歓談の後、女性2人は家事があるとのことで、
一足先に帰り支度を始めた。
「男の人はいいよねー、一日遊べて」
≒「男が家事をすれば、女も一日遊べるんだけどねー」
妻子持ちの男性陣が、身につまされたかどうかは定かではない・・・
§
諸磯から、新井浜へカヤックで移動。
海上亭で、昼食。
ここは、年中無休の海の家みたいなところ。
城ヶ島行き観光船の発着地点なので、
冬場でも客足が途絶えることがないのだろう。
濡れたままでも店には入ることが出来るので、
カヤックがてらにやって来るお客も何人か居たりする。
お昼時もあってか、お客の数は結構なもので、
注文したカツ丼にありつくまでには、30分以上を要した。
ちょっと掛かり過ぎか?
§
南が上がってくる時間制限もあるので、
最後に、小網代に寄って帰ることになる。
遊歩道の橋をくぐり、小網代湾の最奥部へ行くと、
水面にしだれかかる薄紫色の藤の花。
風情があります。
§
静かな湾を出ると、そこには、南が強まり始めた不機嫌な海。
ウォーターフィールド軍団に遅れを取らない様に、必死で水面を掻く。
追い波、追い風は苦手だ。
船があらぬ方向に向いてしまうので、
スターンラダーを入れつつ進路を保つ。
海の機嫌はどんどん悪くなってゆくが、
南がどん吹く前に、どうにか、長浜に着岸した。
一息つく間にも、海況は悪化してゆく。
帰着のタイミングは絶妙だった。
かくして、今日のN∀SSOツーリングは、無事に終了。
§
クラブハウスには、2人艇の村沢さん、佐藤さんも到着。
お2人は大学時代の同級生だそうだ。
僕らよりも遅かった彼らは、サーフィン状態だったという。
お2人と共に、キムチ鍋の夜は更けてゆく・・・
§
4月30日
昨日からの風は止まずに、停滞日となる。
テレビもないし、なーんにもすることがない。
昼前に、ウィンドスターP社長(またの名を、オーナータカ)
に昼食に誘われる。
最近見つけたという、長井漁港付近にある洋食屋へ。
長井水産を左手に見ながら前を通り過ぎて、最初の信号の奥にある
「レストランローリエ」。(こんな名前でしたっけ???)
注文したのは、カレーセット(サラダ、スープ付き)450円。
味、量共に、大満足。お勧めの店です。
§
午後、軽く読書をする。
サン=テグジュペリ著、夜間飛行、新潮文庫版。南方郵便機も併録。
時代は、郵便飛行事業がまだ危険視されていた創世記。
昼間得た陸上交通手段に対するアドバンテージを、
夜に失うものかと、事業の死活を賭けた夜間飛行に
命をもかけて従事する人々のお話。
文学性だけではなく、実録的価値も併せ持つという。
夜間飛行を読み終わったところで、夕食の食材の買出しへ。
豚肉、サラダ油、コーヒー、明日の朝食/昼食を買う。
あとは、大家さんのくれたキャベツと、
昨日の2人にもらった焼きそばの残りとピーマンがある。
残ったキャベツは、千切りにし、サラダにして食べるか。
§
そして、キャベツ尽くしの夕食どき。
そばとキャベツの量が逆転した焼きそば(そば入りキャベツ炒め)に、
サラダで追い討ち、もうお腹いっぱいである。
夕食後、読書の続きをする。
南方郵便機(難解だ・・・)は、眠気を誘う。
ひとり、読書の夜は更けてゆく・・・
§
5月1日
若干の北風。午後から、南に変わるという。
8時頃、栃木から、大塚さんがぶらっとやってきた。
2001年の11月以来だが、何故かお互いに名前は覚えていた。
ペンギンを買ってから、初めて長浜に来たと言う大塚さん。
伊豆の土屋さんのところには、何度か漕ぎに行っているという。
同じくペンギンの藤原さんにも、かなり久しぶりに会う。
近々、ファルトで釧路湿原(釧路川?)に行く予定だと、
楽しそうに語る姿が、とても印象的だった。
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北風は、まだ強めだが、様子見で漕ぎ出してみる。
今日は、リジット艇(オールドタウン、ミレニアム160)
の試乗を兼ねたツーリング。
この艇は、青梅(?)のシーカヤッカー宮内さんの船だ。
新艇導入のため売りに出すということで、試乗させてもらうことに。
思いのほか、1次安定性の無い船なので、
ファルトの安定感に慣れた身には、ぐらぐらして怖い。
気を抜くと、沈しそうなので、写真を撮ることもままならない。
水分補給のために、ペットボトルを取り出すのが関の山である。
長浜から少しだけ漕ぎ出すが、怖くなり引き返す。
§
ビーチに上がって、ひと休みしていると、男性が声を掛けてきた。
声の主は、港北区の石本さん。
氏は、サウスウィンドで買った中古のハルシオンを乗りこなすツワモノ。
風が収まったら、一緒に漕ぐことになる。
風待ち顔の大塚さんも誘う。
3人で話しているうちに、ウィンドスターのツアーは出発して行った。
負けじとこちらも出艇。
荒崎方面へと漕ぎ出すが、うねりが高く、どんどん引きは断念。
そのまま、荒崎を回り込むが、波風が強く、誰彼となく「帰ろうか・・・」
という話が持ち上がり、引き上げが決定する。
逆風(北風)の中、ひとまず長浜に避難する。
午前の部、終了。
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昼食後、弱まった北風の中を離岸。
とりあえず諸磯を目指し、余力があったら、城ヶ島に向かうことに。
諸磯の岩礁内で一休み。
これから渡る海の様子を見るため、少し漕ぎ出して見る。
少しうねりはあるが、3人だし行ってみるか?
時間は14時頃。
日暮れまでには、余裕で戻って来ることが出来る。
という訳で、城ヶ島を目指して漕ぎ始めるが、
風は南に変わっているため、弱い向かい風だ。
うねりも高くなり始めていた。
正直、どこで引き返すか考えながら漕いでいた。
途中、警戒船に注意を受けてしまう。岸に寄り過ぎていたせいだ。
ブイの外側まで、慌てて移動すると、警戒線のおっちゃんが、
手を上げてあいさつして来たので、会釈で返す。
さらに漕ぎ進むが、城ヶ島大橋付近で引き返す判断をする。
ここまで来れば、3人共満足だろうと思った。
§
城ヶ島からの帰り道、諸磯で休憩。
石本さんの沸かしたコーヒーをご馳走になり、
大塚さんのカレーパンを3分の1分けてもらう。
どちらも、疲れた体には、しみる味だった。
休憩がてらに、お互いの船を乗り比べてみる。
石本さんのハルシオンは、やはり噂通りのシビアな船。
「慣れですね」とは言うものの、僕には乗りこなせそうにない。
大塚さんのペンギンは、安定感のある素直ないい船。
§
追い波を受けつつ、諸磯から一気に長浜へ。
ハルシオン石本さん、ペンギン大塚さん、僕の順で漕ぎ進むが、
油断していると、すぐに2人と離れてしまう。
リジット艇と一緒に漕ぐといつも思うこと。
「やっぱり、ファルトは遅いのかな?」
いや、船だけのせいにすると、シーショアが可愛そうだ。
漕ぎ手のスキルの問題も大いにあるのだろう。
まだまだ、修行不足なのです。
§
長浜での撤収作業後、石本さんと別れ、
大塚さんと共に夜の街へ。
以前行ったことがあるという「海鮮」という寿司屋を目指すが、
結局見つからず、三崎口駅前の回転寿司屋でお茶を濁す。
この店は大失敗。
味、量、価格共に、いまいちとさせて頂きます・・・
クラブハウスでは、大塚さんと共に、テキーラの夜が更けてゆく・・・
§
5月2日
凪の海。時おり日も覗く、気持ちのいい朝。
この凪の海に誘われて、行った事のない長者行きを思い立つ。
(このときは、午後の海況の悪化など、微塵も考えなかった・・・)
飲み会出席のため、今日は午前中で上がる
という大塚さんと共に、8時頃出艇。
昨日は断念したどんどん引きに立ち寄り、
貝殻、漂着物拾いに精を出す。
以前来た時には気が付かなかったが、どんどん引きの最奥部には、
排水用と思しき配管があった。
とりあえず海に流しとけって言う感じの、取ってつけたような
配水管に腹が立ち、少し悲しい気持ちになる。
拾い物に大きな成果はなく、荒崎周りで小田和湾を目指す。
§
今日は、初の小田和湾横断。
地図で見ると、やたらとでかい湾なので気合が入る。
荒崎付近のうねりに少し気持ちが萎えるが、
大塚さんと2人なので、なんとかなるだろうと進んでいく。
どんどん引きを出てから1時間弱、10時頃、笠島付近に到着。
岩礁の中の静かな海で、ひと休み。
ここで、引き返すという大塚さんと別れる。
また、会いましょう!
§
大塚さんの後姿を見送った後、長者に気持ちを切り替える。
はるか彼方にかすんで見える長者ヶ崎。
途中で引き返そうと思ったけれど、
久留和で一休みしたら気力復活。
11時半頃、長者ヶ崎に到着。
今は引き潮時。
たくさんの人が、海栗、牡蠣取りに精を出していた。
それを横目に、おにぎりの昼食。
約1時間の昼休み後、長浜へ向け出艇する。
§
出艇後すぐに、黄色ペンギン氏と出会う。
すれ違いざまに氏曰く。
「島行くのー?」
「えー!、行けるんですか!?」
「島の反対側は、遠浅になってて、上陸出来るよ」
「行ってみます!」
「海が荒れ始めているから、気をつけて!」
という訳で、南風が上がり始めていたが、
なんとなく島へ向かって漕ぎ始める(←判断ミスその1)
§
長者から、約1km沖合いにある尾ヶ島に到着。
ただし、打ち寄せる波で上陸出来ない状態だった。
このとき初めて、自分の置かれている危険な状況に気がつく。
さらに強まる南風の中、方向転換し、陸(久留和)に向けて全力で漕ぎ続ける。
途中、何度かデッキを洗う大波にもまれ、マジでやばいと思った。
判断の甘さを後悔するも、後の祭り。
ほうぼうの体で、久留和着。
息が上がっている。
たまらず大の字に寝転がっているところに、
赤いクロシオに乗る村山さんが、心配して声を掛けてくる。
「大丈夫?無理して行かない方がいいよ」
「そうですね、今日はここで漕ぐの止めて、迎えに来てもらいますかね・・・」
村山氏は、女性(さっちゃん)と共に、出艇していった。
このときは、ここでのギブアップを覚悟していた。
§
12時半頃、ウィンドスター新ちゃんに電話してみる。
長浜付近の海況を聞く。
こちらよりは、海況は良さげであるが、ダメなら迎えに来てくれると言う。
ひとまず、休憩を兼ねて風待ちする。
この休憩30分の間に、他に数艇いたシーカヤックは全て出艇して行った。
海には、白波が見え隠れするが、自分も行けるのではないか?
という勘違いから、出艇を決意する(←判断ミスその2)
§
久留和海岸は防波堤に囲まれたビーチだ。
浜にいる限り、穏やかな海に思える。
が、しかし・・・
防波堤を出たとたんに、高いうねりと風。
しばらく漕いでみるが、向かい風に疲れ、
高いうねりにびびり、すぐ隣の秋谷海岸に避難する。
§
約1時間ほど風待ちし、少しだけうねりが弱まった海に向け出艇。
でも、この時点では、待ち受ける小田和湾横断のことを考えていなかった。
従って、この出艇も判断ミス。(←判断ミスその3)
小田和湾の手前、佐島付近を航行中、新ちゃんからの電話。
でも、目の前の笠島を目指し、向かい風と戦っていたので、
電話を取ることが出来ない。しばらくすると、また電話。
「あと、10分待ってくれー、そしたら笠島の岩礁地帯で休めるから!」
と思いつつ、電話を取らずに漕ぎ続ける。
しかし、船の進みは遅く、諦めて3回目の電話に出る。
推進力を失った船は、あっという間に流されていく。
ここで、ようやくギブアップを決意。ピックアップを請う。
上陸ポイントの目印(黄色いプレハブ)を探していると、
岸からは、先ほど久留和で会った村山さんの声。
誘導されるままに、芦名海岸に上陸。
§
上陸地点には、村山さんと、さっちゃん(すみません、本名忘れました・・・)の姿。
村山さんは、すぐ近くのライオンズマンションの住人のようだ。
僕のことを心配していてくれたようで、
「さっきのファルトの人どうしたかなー」と部屋で話していた時に、
航行する僕の姿が窓から見え、あわてて呼び止めてくれたという。
長浜まで送ってくれるという村山さんに、迎えが来ることを伝えると、
「とりあえず電話してごらん、ここの場所伝えるから」
そして、新ちゃんに電話。
「さっき聞いた上陸地点と違うんだけど、場所が分かる人と代わるよ」
しばし、村山さんと新ちゃんの会話。
どうやら知り合いのようで、話が早い。
§
迎えを待つ間に、船を一緒に運んでもらい、
マンションの敷地内でシーショアを洗わせてもらう。
というか、一緒になって洗ってくれた。
「海で困った時は、お互い様だからね」
という村山氏。本当にいい人だーと感謝しきり。
感謝と情けなさの入り混じった複雑な感情の中、涙が出そうだった。
程なく、新ちゃんのローバーが到着。
皆さんに手伝ってもらいながら、シーショアを分解し、車に積み込む。
「また遊びにおいでよ!」
という村山さんと、さっちゃんを後に、長浜へ向け出発。
色々とお世話になり、ありがとうございました。
車中では、反省の人となる僕・・・
§
カヤックを始めたばかりの頃、新ちゃん、栃木のなおさん、
僕の3人で、レッスンがてらに漕ぎに行ったことがあった。
そのとき、天候が急変。
強烈な風に吹かれ、なおさんが沈し、それを助けに行った新ちゃんも沈。
波にもまれて、溺れそうな2人の姿を前に、
何も出来ずに悔しくて、でも怖くて・・・
そのときは、たまたま近くにいたサウスウィンドの仲間達に
助けられ、ことなきを得たが、このままカヤックを続けるかどうか
本気で考えてしまうほどの強烈な体験だった。
今回、僕の遭難騒ぎで、その時のことを思い出したと言う新ちゃん。
「死なない程度の失敗は、いい経験になるよ」
とのありがたい言葉を頂戴する。
そして、なつかしい長浜着。
ありがとう、皆さん・・・
§
今回は、数々の判断ミスと、恐らくそれ以上の幸運に
助けられての生還(オーバーですね)となった訳ですが、
いつ遭難しても、おかしくない状況でした。
朝の凪の海だけを見て、天候の変化を気にせずに
荒崎、小田和、長者というリスクの高い難所を
越えて遠出してしまったことは、大いに反省すべき点です。
海は自由ですが、それは自己判断というリスクを
伴うものであることを、ついつい忘れてしまいます。
怖い目に遭わずに済めば、それはそれで問題ないのですが、
少しくらい怖い思いをした方が、今後も漕ぎ続けるための、
良い道標になるはずです。(僕が言うと、説得力なし?)
今回の一件で、海が嫌いになることはないでしょう。
というわけで、またまた海に行ってしまう僕なのでした。
NAHAMAリゾート
了