ロシアンラリー2001実戦編

 

 

帰国、その後・・・(5/4〜5/6)

ザルビノ〜新潟〜自宅

日本海を渡る船旅がつづく。

海は、行きの航海に続いて、べた凪い近い状態。

日本海と言えば、荒海のイメージだったので、拍子抜けである。

用意した酔い止めも役立たずだった。

船中の暇な時間は、ニシマキさんの撮ったデジカメ写真や、

未編集のロシアンラリービデオを見て過ごした。

船の中では、誰がロシアンラリーを一番楽しんだか?

というアンケートが行われた。

選ばれたのは、#21長谷川さん。納得と言う感じ。

4日目歓迎セレモニーの時、ロシアの踊り子さんと

いっしょになって踊っていた長谷川さんが非常に印象的でした。

§

最後の夕食でのこと。ウェイトレスさん達が少し怪しい動きを見せた。

1人のウェイトレスさんが、ラジカセのボリュームを上げ、音楽が高鳴る。

彼女達全員が一旦、厨房に引っ込んだと思ったら、手に手にケーキを持って現れた。

音楽に乗り、レストランをぐるっと回った。ちょっとしたショータイム。

ケーキだと思ったのものは、実はアイスクリームだった。

久しぶりのアイスに舌鼓を打つ。

 

§

その日の夜、船のバーは大変な状態になっていたらしい。

バーのほぼ真下に当る船室には、床を踏み鳴らす音が夜遅くまで聞こえていた。

バーはダンスフロア―と化していたのだ。

うるさいなーと様子を見に行った#18八重樫さんも

その仲間に取り込まれてしまい、ミイラ取りがミイラになるのでした。

僕も行けばよかったかな。

§

日本が近づいていた。

佐渡島のあたりで、携帯電話が圏内に入った。

いよいよ苦界に戻ってきたか・・・

新潟港が見えてくる頃、船の上は岸壁を見つめる人だかりとなった。

 

そして、着岸。

大荷物を抱えて、新潟税関の下船手続きを済ませ、

ラリー期間中、我が家となったオルガサドブスカヤ号に別れを告げた。

船のタラップを降り、日本に降り立った。

通関で所持品の申告をし、4輪、2輪の積み降ろしを待った。

ところが、4輪はロシアの泥の洗浄不足で、全車不合格。

植物検疫に引っかかったのだ。

新潟港での、泥落とし待ちの間、まったりとした時間が流れた。

閉会式、表彰式が始まった。

速く走った人が表彰されるのではなく、楽しんだ人たちへの表彰。

その場で、適当な賞が決められ、賞品が渡されてゆく。

どんな賞があったか記憶にない。

§

お昼時となり、エントラントで代表者を決め、昼食の買出しに向かった。

#1小杉さんの呼んだクロネコヤマトが来た。

大荷物を自宅宛てに送り、身軽になった。

同じく、#1小杉さん手配のトラック便が来た。

コクボモータースに届けてもらうのだ。

自走組には申し訳ないが、とても楽。

こんなに楽していいのだろうか?

§

別れの時が迫っていた。

9日間という期間は、短いようだが、とても長い時が流れたような気がした。

もっと、続けたいと言う気持ちもあったが、

家の布団でゆっくり寝たいという気持ちもあった。

望むとも望まざるとも、皆それぞれの生活に戻って行くのだ。

そして、また来年のロシアに向けての、

もしくは新たな目標に向けての努力を始めるのだろうと思った。

§

そして、別れの時。

お世話になったオフィシャル、エントラントの皆さんに

お礼を言い、別れを告げる。

行きと同様、タクシーに分乗し、新潟駅へ。

上越新幹線で東京へ向かう。

車内で、席を向かい合わせにしていた僕達は、かなり異質な存在。

ビールを飲みながら、ちょっとした遠足気分だった。

皆さんとは、今生の別れという風ではなく、

それぞれの下車駅で、「それじゃあ、また!」

と言った感じの別れ。

ひとり、また、ひとりと減っていき、最後は自分ひとりになった。

自宅に着いた。

ロシアンラリーが終った。

 

§

 

時は流れ、2001年6月17日。

僕の部屋には、3日目転倒で取れて落っこちたフロントカウル。

コクボモータースに預けたままのバイクは、忙しさにかまけて、未だに取りに行っていない。

パーツは発注したものの、GSが再び目を覚ますのはいつの事になるのだろう?

§

さらに、時は流れ、2001年7月7日。

発注していたパーツがようやくドイツから届いたので、

コクボモータースからバイクを引き取り、修理に取り掛かる。

修理とは言っても、砕け散ったプラスチック系パーツの交換と、

サイドスタンドの取り付け、曲ったハンドルガードの修正程度。

オンボロ状態から、とりあえず見た目に普通のバイクに戻った。

フロントカウルは、まだ付いていない。

§

1週間後、フロントカウル取り付けのため、会社に向かう。

買ったままのヘッドライトケースには、カウル取り付け用の穴が明いていなかった。

どこに穴をあけていいかも分からない、非常に不親切なパーツ。

位置決めし、会社のボール盤(無断借用)で穴を明けた。

そして、フロントカウルはGSに取り付いた。

ロシアから帰国し、2月以上もたった今日(2001年7月14日)、

GSは、ようや元の姿に戻った!

§

GSのフロントカウルには、ロシアンラリー2001のゼッケンが貼りっぱなしである。

去年の僕と同じように、これを見た誰かがロシアに向かうことになるのだろうか?

でも、もしそうなっても、自分のペースを守り、周りに流されないように。

出来れば、景色が楽しめるくらいの余裕(技量)があった方がいい。

もっと、基本的な事を言うなら、バイクの整備は完璧に。

少しくらいの修理技術も身に付けて。

 

準備は出来ましたか?

さあ、次はあなたの番です。

 

謝辞

全てのスタッフ、エントラントのみなさん、そしてロシアの大地に感謝します。

 

RR2001

 

 

5日目に戻る  

バイクのページに戻る

 

HOME