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沈黙の旅3 石山寺蝉丸編

山門、寺門と一気に寺めぐりした翌日
さて、昨日の散策の疲れが残ったので、今日は昼過ぎまで部屋でゴロゴロとする。
ゆっくり食事を取り、湖畔に佇む。湖の向こう岸は粟津の汀の方なのか。強者共の夢の後である。
それにしても公演ハ
イシーズンのタイトな生活から比べたら、天国にいるような優雅さだ。

今回の休演にいたる出来事は、この20年間加速してきた特急列車から突然飛び降りたようなもので、果たして来月声が戻ったからといって、また再びあの電車に飛び乗れるのだろうか。大変だなあ(笑)。
今の気分はすっかり鈍行列車なのだから。
まあ、今回の休みは、少なからず今後の人生に影響を与えるかもしれない。


午後になり、部屋に居るのも飽きてきたのでホテルからほど近い石山寺に出かける。
紫式部が源氏物語をここに籠って構想を練ったと伝えられている。
こちらの本堂も国宝だ。そして、西国13番目の観音霊場でもある。
残念ながらご本尊は33年に一度と天皇即位の時しか開扉されないらしい。
数年前に開いたらしいので、次は今の皇太子殿下が即位されるときか。
しかし、拝むべき仏像は沢山おわしまして、飛ばし飛ばしも悪いので、もうひたすら頭を下げまくる。
まるで能楽堂の楽屋にいるようであった(笑)

このお寺は社殿や宝塔も見事だが、庭の梅と苔がまた素晴らしい。
頭を空にしてのんびりと散策した。






石山寺の名の由来となる珪灰石(けいかいせき)の岩を一目見れば命名がうなずける。

 
金網で保護されているので、原稿を催促され押し込められてる小説家にも見える紫式部人形。
梅は丁度見ごろで素晴らしく、椅子に腰掛けて暫く時を忘れた。
紅梅、白梅と見事に咲いていたが、
私的には、清少納言の「花は紅梅」に1票であったかな。


石山寺門前には、しじみを食べさせるところが何件もある。なるほど湖は淡水なので、しじみな
のか。
では折角なのでと、呼び込みに連られてシジミご飯を食べる。
まあ、ご馳走というわけではない
のだが、旅の楽しみとしては格別であった。

この日はそれから弾みがついて、目と鼻の先にあるらしい逢坂山の蝉丸神社に足を向けた。
大津からタクシーですぐのところに神社はあった。
二月に蝉丸を勤めさせていただいたので、お参りしないわけには行かな
い。
なんと、この神社は踏み切りが上がるとそこに鳥居があるのだ。社務所もなく無人であった。
ここも手入れしがいのある状態で痛ましかった。ここにも、史跡保存会の立て札がある。
この近くに更にほかの蝉丸神社があり、皇子カントリーなるゴルフ場もあり、伝説も今は昔の感があるが、それなりの風情はあった。近くに他の蝉丸神社もあるようだが、陽も傾いたので寄らずに帰った。
     

 
  
                            ↑この石灯篭は重要文化財だそうだ。

さて、さすがに連日の散策でくたびれたので、翌日はホテルに籠もってごろごろとしていた。
東京から用心に加湿器を送っていたので、部屋は居心地がよい。
夕方、ホテル近くの琵琶湖畔を散歩して一日を終えた。
対岸は粟津の汀あたりであろうか。湖の波は、ゆったりとしていて心地よい。



音羽山あたりに日が沈んでゆくのをゆっくりと眺めた。
これが本来目的としていた静養というや
つであった。

こんな時、人生を振り返ったり、何かの啓示を受けたりするものだろが、私の場合、ただ頭が空っぽになるだけで何も気の利いたことは浮かばないのであった(笑)。



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