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高砂の旅

古いホームページの記録ですが、2014年の8月24日に所沢ミューズで高砂を上演するので再UPします。
この記事の旅は、6年前のようです。写真中心ですが、写真に写る我々の姿も、若々しい(笑)
2014年5月


高砂の旅1
2008年4月。
関西で同門N君の道成寺の披き(初演)が大阪の大槻能楽堂であり、申し合わせのリハーサルから関西に乗り込んだ。
今回は、中日を挟んでの3日間の遠征だったので、なかなか来れない関西の謡曲史跡を巡ろうと、一緒に来ていた同門のH君と二人旅をすることになった。

今回最初に行ったのは、高砂の後シテの舞台となる住吉神社
申し合わせ終了後、車でN君の親父さんに送って頂いた。
想像していたよりもずっと敷地が広い。さすがに一宮である。
初めて伺ったのだが、その清浄感たるや実に素晴らしい。まさに神域。
古式ゆかしい4つの本宮があり、もちろんそれぞれ拍手を打って参拝するのだが、この拍手を打つ音の響きがなんとも良のだ。その空気が澄んでいる。

ここは確かに神様がおわしますな。
霊感のない私でも気配を感じる程に、なにか神々しかった。

いるだけでエネルギーを頂いて元気になってゆく気がして私はすっかりこの神社が大好きになってしまった。H君も同様で結局、内をあちこち見て周り予定時間を大幅に遅れて閉門まで留まった。


鎮座は西暦211年というから大変に古く、格式も高い。

有名な太鼓橋。

登り口から見た写真。
境内の中の木々はどれも見事で、ご神木である。






住吉造りと呼ばれる独特の様式。全て国宝。




さて、今回の旅は実に清々しく、ここから始まった。つづく。


神戸に宿を予約していたので、大物に寄って行く。
ご存知 船弁慶ゆかりの地。
かつてはこの辺りまで海が迫っていたとか。
現在の大物の浦は、ここから2キロ先なので、雨模様の為断念した。



社殿から観る海の方。今ではここから海は見えない。



例により史跡保存会のたて看板。これに出会うと妙に嬉しい。


今回の旅で、日頃真面目な彼が意外とお茶目であることが判った(笑)

高砂の旅2

さて、住吉から移動し神戸に泊まり、途中「船弁慶」に登場する大物の浦近くの大物主神社、源平の一
の谷の合戦で知られる「箙」の生田神社に寄り、明石でタコ焼きと鯛茶漬けを食べて今回の目玉である
高砂市に向かった。

生田の森 かつての戦乱の地も今はひっそりとしている。

生田神社


明石の昼食 


駅名は「高砂」。



駅前から、H君の勘を頼りに高砂神社を目指す。私は方向音痴なので、H君の勘の良さに驚かさ
れながら、ほとんど人通りのない町並みを歩いて行く。
全く人とすれ違わないのには驚いた。

さて、どうやら遠くの方に見える高い木々の辺りが神社のようだ。

我々が歩いて行くと神社の近くで、ばったりと庭先に立つ老人夫婦に出くわした。
ようやく町の人に出会
ったので、すかさず高砂神社を尋ねると、すぐそこだと教えてくれた。

よく見ると、このご夫婦、二人とも箒をもって落ち葉を掃いていらっしゃる。
まるで「高砂」に出てくる夫婦のようではないか。
お礼を言って立ち去りながら「まるで高砂に出てくる尉と姥みたいだね、振り返ったらいなかったりして・・」とH君と笑い合って後ろを振り向くと、
なんと二人の姿は掻き消えていて肝をつぶした。

(なんてことにはならず、笑顔で見送って頂いたが、実に面白い出会いであった)


さて、高砂神社は大変に古い由緒がある。
神社の境内は多くの立派な松が植えられており、どちらを見
ても松の緑が目に留まる。
境内には舞台があり能もやっている様子だ。
高砂神社の創建は神功皇后の
時代に遡るというから、およそ1800年前になろうか。
住吉大社と同時期である。
今日、素盞鳴尊、奇稲田姫、大己貴命の三神を祀
り、代々宮司家である小松家がこの社を守っている。

社伝によると、室町時代に赤松家から神田十二町余を付け置かれたといわれ、その頃、観世流の始祖
世阿弥によって高砂尉姥の伝説を題材に物語がつくられたという。

能ではお馴染みの相生の松とは、本来、海辺に生える『黒松』。もう片方は山に生える『赤松』が、偶然
にも癒着し根は一つにして幹が雌雄二つに分かれる大変珍しい松をさす。
種類も生まれた環境が違っても、ひとつになって生きるという姿が象徴的であり、松の生命力とあいまっ
て、縁起物とされる。
現在は五代目の松が枝を張っているが、3代目の松はいまだ祠の中で堂々たる威
厳と神徳を現わしている。


←三代目松
お守りを頂こうと宮司家を訪ねると、なんとこの神社では毎年、観世流能楽師により奉能が行われており、番組を見せていただいた。
今回の旅の機会を与えてくれたN君も番組に名前があり、今回の旅のきっかけを宮司さんに話す。
我々も実は能楽師であるとわかると話が弾み、それならばと小松宮司自らが車で高砂の浦を案内して下さるという思いかけない展開になった。
浜まで少し距離があるのでこれは大いに助かった。高砂の浦は見晴らしも良く、海風が神風のように感じられ清々しく心地よかった。






秋の所沢公演(2008年)で高砂を舞ったのだが、よい取材が出来た。
途中尾上の鐘と謡われる尾上神社にもより、
ここにも相生の松があるのを知った。
宮司様には駅までを我々を送って頂き、実にありがたいことであっ
た。
これも謡いの徳であり、住吉、高砂の神々の思し召しと感謝した我々であった。


この後、須磨寺、松風村雨堂に寄って戻ったが、紙面が尽きたのでこの話は、また別の機会にしたいと
思う。
祝言第一の名曲「高砂」。
現在観世流では、1級の等級に位置する名曲であるが、結婚式で謡われる「四海波」や、待謡の「高砂や♪」また、能会の最後に謡われる附祝言の「千秋楽」は、1分ほどの詞章で気軽に謡える小謡になっている。
皆様もまずは、気軽に小謡を謡われてみたらいかがであろうか。


なお、再UPした今年2014年は、所沢ミューズでは、高砂を上演。また、本番当日8月24日は、観世喜正師の解説や高砂の小謡の体験も予定されています。
講座形式のわかりやすく楽しめる公演ですので、気軽にご参加下さい。
夏のワークショップと合わせて参加出来たら、さらに面白いです。
詳細は劇場まで。


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