平均年齢76歳〜和平飯店老年爵士楽隊
 
平均年齢76歳
〜和平飯店老年爵士楽隊
 

   租界時代は上海に多くの困難をもたらしたが、見方を変えれば「旧き良き時代」でもあった。その雰囲気を現代に伝えるひとつに和平飯店がある。旧サッスーン・ハウスとして建てられたこのアール・デコ様式のホテルは、空に突き出した印象的な緑色のトンガリ屋根で知られ、外灘のシンボルとなっている。
 建物以上に誉れ高いのが「オールドジャズバー」だ。一説には平均年齢76歳という老ジャズメンの演奏により、ロビーの奥の一角でグラス片手に夜な夜なスウィングが繰り広げられる。諸外国の要人や清朝政府の高官たちが社交の場とした当時にタイムスリップしたかのような気分に浸れるという。今回のテーマである「ベタな旅」にはここも欠かせないスポットだ。
 ホテル近くの海鮮料理レストランで腹ごしらえをしてから南京路に行く。夜だというのに凄い人出だ。路面電車を模した電飾ギラギラの小型バスが、右に左に絶え間なく観光客を運んでいる。歩いているのは多くが若いカップルか家族連れのおのぼりさん。その人波にもまれながら進む。しかし和平飯店のクラシックな扉を押して中に入ると、そこには別世界が待っていた。
 アンティークな照明、鈍く光る飴色の床、くゆらす紫煙のようにゆっくりと流れる空気。何もかもが租界時代を醸し出している。
 ロビーの突き当たりに折り目正しくチャイナドレスを着込んだ小姐が立っていた。ジャズバーの入り口だ。ひとり50元を払って中に入る。案内されたのはステージのすぐ右横。他の日本人観光客との相席だ。チャージにはワンショットが付いている。僕は迷わずマティーニを注文した。この雰囲気の中で飲むならこれしかない。
 客席は奥が広く、しかも予約席を除いてほぼ埋まっている。ラッキーだった。比較的早い時間に来たのが良かったようだ。入り口ではもう入場待ちの列ができている。
 ほどなくして演奏が始まった。「A列車で行こう」。ジャズには詳しくないが、これなら聴いたことがある。その後も何曲か、タイトルこそ知らないものの耳になじみのあるメロディーが続く。振り返るとすぐそばで老紳士がサックスを吹いている。その奥にドラムやトランペット、さらに向こうではピアノ。みな白いワイシャツに上下黒の正装で身を包み、額に汗しながら一生懸命プレイしている。なるほど、見るからに全員かなりの高齢だ。しかし演奏はアップテンポでリズムも良く、意外なほど若々しい。「昔取った杵柄」を想像していたが、いやいやどうして彼らは充分に現役バリバリだ。
 マティーニとともにウエイターがリクエストリストを持ってきた。ざっと百曲あまり、往年のスタンダードナンバーが並んでいる。別料金にはなるが、あらかじめ予定した演奏の他にリクエストも受け付けているのだ。
 知っている曲はないかとリストを追っているうちに演奏が終了した。バンドマンたちは楽器を下ろし、次々とハンカチで顔を拭う。突然の静寂が訪れる。
「どうしたんだろう。休憩かな」
「おじいさんだから、すぐに疲れちゃうんだよ」
 客席の期待とは裏腹に演奏はなかなか再開しない。どうやらリクエストを待っているようだ。お見合いの時間がしばらく続く。何とも気の抜けた間合いだ。老楽士たちは椅子に腰掛けたまま、じっと背筋を伸ばし次の注文を待っている。ようやくどこからか痺れを切らした客がリクエストを入れ、再びスウィングが始まった。
 結局一時間半ほど居て10曲前後聴いただろうか。気分良く酔いが回ったところでバーを後にした。外灘の夜景を横目に、ジャズの余韻を楽しみながら暗い小路をホテルへと向かう。「ムーンリバー」をリクエストしなかったことを後になって少しだけ後悔した。
 

   
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虹色の上海
 

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