ストップモーション〜Via Dolorosa, Jerusalem
 
ストップモーション
〜 Via Dolorosa, Jerusalem
 

   石畳の路地は人影が疎らだった。いつもなら観光客でごったがえすはずの道が、今日は水を打ったように静まり返っている。時を待っているかのようだ。
 路地は迷路のように入り組んでいる。建物で遮られ、不可解に折れ曲がり、どこへ続いていくのか見当もつかない。案内がなければ目的地まで辿り着くのは難しい。イエスが最後に歩いた受難の道、ヴィア・ドロローサはそんな旧市街のイスラム教徒地区から始まる。
 ガイドに連れられた僕たちが最初に訪れたのは、通称「第五ステーション」、重みに耐えかねたイエスに代わってクレネ人シモンが十字架を背負ったとされる場所だった。
 アラブ人の食堂は半ば店を閉じていた。緑色の制服に身を包み肩から自動小銃を下げた一団がいる。イスラエル軍だ。白い布で頭を隠した女性たちがその脇をそそくさと通り抜ける。誰も何も喋らない。照りつける陽射しは明るいのに、どこか張り詰めた空気が漂っている。
 もうすぐ正午だった。普段からこの時間帯は暴動が発生しやすいらしい。イスラムの礼拝でモスクに集まった人々が、ふとしたきっかけで動き出すことがあるからだ。さまざまな宗教・宗派の聖地が1km四方内に密集する旧市街は、ただでさえ至るところに衝突の種が潜んでいる。不測の事態が起こる確率は高い。だから兵士たちが集中的に巡回する。それにしてもパトロールというにはいささか重過ぎる装備だ。各地で騒乱が相次いでいる状況を考えれば仕方がないのだろうか。わからない。昨日のラジオで「戦争」という言葉が使われ始めていたことを思い出す。嫌な感じだ。
「ここから聖墳墓教会まで走ります。荷物を両手で抱えて、声をかけられても立ち止まらずに付いてきて下さい」
 促されて振り向いた先には緩やかな石畳の階段が続いていた。
 そこから景色はストップモーションになった。
 両側に張り出した建物の石壁。道を塞ぐ絵葉書のスタンド。直射日光を遮る庇。土産物屋の看板。軒に下げられた色彩とりどりのショール。遠くから見ているアラブ人の少年。足元でうずくまる老婆。
 道幅3mもない狭い路地を僕たちは走った。走りながら僕は何度もまぶたでシャッターを切った。曲がり角。トンネルのようなスークの入口。ランプの光。金細工のきらめき。目に飛び込んでくるありとあらゆるものが残像となり、記憶に刻まれていく。
 振り返ればあっという間のことだった。辿り着いたのは聖墳墓教会の中庭だった。すっかり息が上がっていた。
 教会内部は大勢の観光客で賑わっていた。ざわめきが高い天井に反響する。路地とは全然雰囲気が違う。外国人もたくさんいる。ここはキリスト教徒地区。別世界なのだ。
 あちこちに祭壇が設けられていた。建物の中では宗派ごとの敷地が厳密に定められている。信者たちがそれぞれの流儀に従って祈ることができるように区画整理されているのだ。
 ヴィア・ドロローサは聖墳墓教会の中にある「第十四ステーション」で終点となる。距離にすれば短かいが、道の途中で僕の心に切り取られた景色は数え切れない。
「何年もガイドをやってますけど、あんなに人のいないヴィア・ドロローサは初めてでした。今だから言いますけど、本当に怖かった」
 昼食のレストラン。これまで常に冷静に振る舞ってきた彼が、そう言って額の汗を拭った。暑さから来る汗ではなかった。
 

   
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