救世主が降りてくる〜Mt. of Olives, Jerusalem
 
救世主が降りてくる
〜 Mt. of Olives, Jerusalem
 

   展望山を降り、イースト・エルサレムを抜けて旧市街へと向かう。バスが突然スピードを上げ始めた。パレスチナ人居住区に差し掛かったのだ。舗装されているのになぜか車体がガタガタ揺れ始める。見ると、路上に小石がいくつも転がっていた。
「昨日このあたりで投石がありました。いわゆるインティファーダですね。イスラエルナンバーの車は狙われやすいので、急いで走り抜けます」
 インティファーダ。1980年代後半から発生した、パレスチナ人による新たな対ユダヤ抵抗運動。その主な手段は投石だった。武装ヘリや戦車で制圧してくるイスラエル軍に対し、住民はほとんど素手に近い形で立ち向かったのだ。
 過去何度かにわたる戦争でアラブ側はことごとく敗退した。軍事力の差は圧倒的だった。ほとんど武器を持っていない一般市民に至ってはなおさらだ。だが降伏は追放を意味する。この土地から追い出されたくなければ戦うしかなかった。しかし、どうやって? 閉塞した状況の中、自然発生的に投石が始まった。それはある意味、絶望的な試みだった。けれども事態は意外な方向に転がっていく。展望なき抵抗だったはずのインティファーダが、次第に国際社会の注目を集めるようになったのだ。そして歴史的な和解となるあのオスロ合意へとつながっていく。
 旧市街の城壁が見えてきた。信号を曲がり壁に沿って下っていく。緑に覆われた左の斜面にタマネギ型の屋根をした特徴的な建物が現れた。マグダラのマリア教会だ。まるでお菓子の城のようで、見ているだけで楽しい。その手前には万国民の教会。こちらは対照的にギリシャ風の威風堂々とした建物だ。このあたりはオリーヴ山の麓に当たる。オリーヴ山といえば十字架から復活したイエスが最終的に昇天した場所として知られる。だが、それだけではない。新約聖書によれば、終末の日にイエスが再臨する場所もまた、オリーヴ山と定められている。キリスト教にとっては二重の意味で聖地なのだ。
 道路沿いに大型バスが何台も駐車していた。市内や近郊の名所のいくつかが封鎖されているため、入れるところに観光客が集中しているようだ。オリーヴ山も今日は中腹までしか行くことができない。
 万国民の教会を見学した後、その隣にあるゲッセマネの園を訪ねた。伸び放題の草むらにオリーヴの老木が何本も生えている。ここは死を覚悟したイエスが最後の祈りを捧げた場所だ。明日我が身を襲うであろう過酷な運命を前に彼は涙を流して悩んだという。「死ぬのは嫌だ。だが、神がそれを望むのだ」。感情と信仰のジレンマ。「神の子」という設定と現実とのギャップ。イエスというと常に超然としているイメージがあるが、意外にも人間臭いエピソードに事欠かない。キリスト教発展の過程でどんどん神格化されてきてしまったが、その素顔は僕たちと変わらない普通の人間だったのではないかとも思う。
「ゲッセマネのオリーヴは樹齢二千年を超えると言われています。ひょっとしたらイエスの涙を知っているかもしれません」
 西にはケデロンの谷を挟んで城壁が続いていた。その中心に黄金門がある。旧市街への出入り口となる八つの門のうちここだけが今も閉ざされたままだ。救世主が現れるとき再び開かれるとユダヤの伝説に予言されたため、それを怖れたイスラム教徒が石と漆喰で塗り固めてしまったのだ。
 最後にこの門をくぐったのは二千年前のイエスだった。次にくぐるのは果たして誰なのだろうか。そして、それはいつ?
 

   
Back ←
→ Next
 


 
永遠のイスラエル
 

  (C)1995 K.Chiba & N.Yanata All Rights Reserved