1914年8月4日か5日頃、ドイツ軍は、狙撃兵のゲリラ戦を推奨したといういいがかりをつけてベルギーの司祭を見せしめに射殺した。 同じ頃、別のドイツ軍が、ヴァルサージュで人質にした六人の住民を射殺し、見せしめにバッティス村を焼きはらった。 「村は跡形のないまでに焼きつくされていた」 と、数日後にこの村を行軍したあるドイツ将校が書いている。 「枠が取れてしまった窓跡の穴からは、家具や寝台の鉄の土台など室内がまる見えだった。なべや食器のかけらが道に散らばっていた。廃墟の中をうろついて餌をあさる犬や猫のほかは、焼け跡に生きものの姿は見えなかった。市の立つ広場には、屋根も尖塔も焼け落ちた教会がぽつんと残っていた」。 ある村では三人の軽騎兵が撃ち殺された結果、村全体が炎の海と化し、牛は小屋の中で必死に鳴き叫び、半分焼けただれた鶏が気が狂ったように駆けまわり、ニ人の農夫が仕事着を着たまま、壁にもたれかかって死んでいた。 このようなことを書くと、 「そら、ドイツ人は野蛮だ!」 と、ナチス顔負けの民族差別的な考えを持つ人もいるようである。 このような虐殺は、別にめずらしい出来事ではなく、戦場ではごくありふれた光景であろう。 トルコ軍はこの大戦中に、ロシアを支持しているという理由でアルメニア人を大量虐殺(死者150万人?)を行った。イギリス人が、オーストラリアの原住民を狐狩りの代わりに殺したという話をどっかで聞いたことがある。ロシアのスターリンがたしか、300万人〜1200万人の粛正を行ったらしい。第二次世界大戦中にクロアチア人が70万人?(セルビア側評)のセルビア人などを虐殺したらしい。カンボジアのポルポト派が250万人(ベトナム側評)の虐殺を行ったようだ。日本人だって、南京で大量虐殺を行っているではないか。 ドイツ人に限らず人間なんてもんは、野蛮な動物である。 しかし、なぜ戦争というひとつの極限状態に追いつめられると、人は虐殺をしようとするのであろうか?(戦争以外でも虐殺は行われているが) はっきりいって体験したことがないので、推測でしか論ぜないが、私は足軽であるから恥をかくことなど一向にかまわぬので、かってに推論しまくってみよう。(^_^;)。 一つは、虐殺せねば、やがて自分がやられる。という恐れと大義から虐殺するのであろう。クラウゼビッツの戦争論でも「流血をいとう者は、これをいとわぬ者によって必ず征服される」といっている。虐殺をせねば、なめられて反乱が起こり自分に跳ね返ってくる、恐れと見せしめのために虐殺を行うのであろう。しかし、歴史を長い目で眺めると虐殺だけでは、民衆を掌握できず、結局一時しのぎで恨みだけが残りやがて、反乱が起きてしまうような気がする。 だから、時として恨みを残さないためにも、完全な皆殺しを行おうとすることもあるようだ。しかし、概ね完全な皆殺しなど出来るはずもなく、必ず生存者がいて、恨みを伝え、ますます恨みが強まってしまう。虐殺者には、やがて歴史的不名誉というものが永遠につきまとうこととなる。 また別の見地から、もっと人間の内面的なことから探ってみると、人間の多くは 、心の中に虐殺皆殺しを欲する欲求が密かに潜んでいて、戦争という、敵であれば殺戮も正義であるという奇妙な環境に放り込まれると、抑圧されていたその悪魔的欲望が一挙に放出されてしまい大量虐殺が行われてしまうのかもしれない。自分自身でもその危険な欲望を制御することが出来なくなってしまうのかもしれない。・・・・・・・・ でも、 「流血をいとう者は、これをいとわぬ者によって必ず征服される」なんて言葉は、間違っている。もしそれが真実ならなんでインドが独立出来たのだ?。そんな馬鹿げた言葉をおぼえるより、「人は力では信服できない」ということ認識したほうがいい。また「武器を取る者は武器によって滅ぼされる。」ということをどっかで聞いたことがある。 領土征服や殺戮とか虐殺とか弱い者いじめとか、そういうバイオレンスな行為を実際に行うなんて、ガキのすることである。 そういう欲求は、シミュレーションゲームや3Dアクションゲームだけで我慢するのが大人なのである。今日ではこれだけコンピューターが発達したのだから、それが作り出すバーチャルな世界だけで十分我慢できるはずである。んん????(^_^;) なんか、わけのわからぬ結びとなってしまったが、これでこのことに関してはとりあえずおしまいなのである。 |