下の図は、鎌倉時代末期の攻城風景を描いたものだそうです。


 次に南北朝のころの攻城風景です。

笠置寺縁起より

 さて、つぎはもう少し時が流れて、応仁の乱よりおよそ27年前の今の茨城県の結城市でおこった結城合戦の攻城戦を描いたものです。このように関東は応仁の乱が始まるかなり前から、幕府が手をつけられなほど戦乱に明け暮れていたようです。どうやら世間では応仁の乱を契機に日本全国戦乱の世がはじまったと思う風潮があるようで、それについても私は大批判したいのですが、話がむちゃくちゃ長くなりそうなので後日述べることにします(というか述べる予定です(^_^;))
 あと、下の絵図をみて、昔の結城城がこういう形態だったのかとは思わないで下さいね。現場を見れば全然違うことがわかりますから。ここでは、あくまでも中世城郭のイメージ作りのために提示しているつもりですので。では、下の絵図を

結城合戦絵巻より

 最後に有名な応仁の乱を描いた絵図に描かれた城をどうぞ。この城は西軍が船岡山にたてた陣城だそうです。
新如堂縁起絵巻より

新如堂縁起絵巻に描かれた舟岡山城

 こんなもんなんですよ。たぶん、中世城郭って。だから、たぶん戦国時代はもうちょっと塀に屋根が付いたり、狭間がついたり多少かっこよく??なってるかもしれませんが、現在の姫路城みたいな立派な形では無かったと思いますよ、建物はね。ただ、縄張りについてはかなり工夫がされているようですね。

 最近は、もっと具体的に中世城郭を推定したイラスト入りの良書が出てるので、ご紹介しときます。断っておきますが、別に出版社から頼まれて紹介しているわけでないことをここで申し上げときます。中世城郭のイメージのご参考にしてください。

 西ケ谷 恭弘  著 
 「戦国の城」(上)(中)(下)(総集編)
  学研 発行
(イラストレーション=香川源太郎、板垣真誠、伊藤展安、大竹正芳)


です。全巻おすすめしますが、どうしても予算がないのなら、(上)だけでもけっこういけてます。ただ、これはすべての書物にいえることですが、本を鵜呑みにしないように。けっこう間違いとかちょっとしたミスが書かれていますから。たとえば、この上巻のP33ページに掲載されている後北条氏の絵図のナンバリングは明らかにミスです。(私の持っているのは初版本ですからそれ以降の本は知りませんが)えっ、揚げ足ばっかりとっているって!?、わたしはそれが、たとえ揚げ足だろうと無かろうと間違いは間違いとして是々非々にはっきり述べて真実をつかもうとしているだけですよ。そのほうが互いに益となりませんか。そもそも、揚げ足とは議論が自分に優位になるために相手のミスを大きく取り上げて論敵に心理的ダメージをあたえることを目的にしたものが揚げ足だと思いますが。私は違いますよ。(--#)。ミス指摘です。ミスした人に心理的ダメージを与えることを目的としてはいませんよ。ありょあ、また話がそれた。(^_^;)

 そのほか、城郭研究で参考になる本をいくつかご紹介します。

 まずは日本城郭大系図説 中世城郭事典ですね。(いずれも新人物往来社 編)これは説明する必要はないでしょう。ただ、この本は非常に高価なので購入するより図書館で必要な箇所を閲覧したほうがいいでしょう。大きな図書館ではだいたいあると思います。

 つぎは、
 千田嘉博 小島道裕 前川 要 著
 城館調査ハンドブック
 新人物往来社 発行

です。この本はいろいろな城郭研究をいろいろな視点から考察されています。実は今回の文書は、この本をかなり参考にしています。けっこうおもしろい言い回しの文書があって、読んでいて楽しいです。

つぎは、
別冊 歴史読本事典シリーズ 日本「廃城」総覧
新人物往来社 発行
です。ここの城郭に関するコラムが結構おもしろいです。(ただし、平成2年に発行されたものなので、すでに廃本になっている可能性大(^_^;))
 ありゃ、気が付いてみれば、みんなほとんどが新人物往来社の発行ですね。でも、くどいようですが別に出版社から頼まれて紹介しているわけでないことをもう一度申し上げときます。

 本の紹介はここまでにして、最後に、こんどはいつ頃から城郭=天守閣なる発想が生まれてきたのかを推定しておきましょう。それは、当然天守閣が造られた以降ですよね(笑)。具体的には江戸時代のころからではないでしょうか。おおむね、軍事的にちんぷんかんぷんな発想は平和な時代にうまれるのではないでしょうか。(^_^;)
 下の絵図は楠木正成公で有名な南北朝の赤坂城、千早城の攻防です。たぶん江戸時代の頃に書かれたのでしょう。もうこれがインチキだということがわかりますよね。(ちょっと言い訳(^_^;)....これらの絵には天守閣は描かれていませんが、南北朝時代にない時代錯誤の石垣や櫓が描かれているところが、城郭=天守閣という短絡的固定観念に類似していると思うので城郭=天守閣の例として無理矢理これらの絵を載せました。なお、「天守閣」という言葉は明治時代に天守建築のルーツの一つが金閣などの楼閣建築に求められるという学説からうまれたらしいそうです。[学研 戦国の城(総集編)参照])

千早城合戦図(楠公一代記)

赤坂城合戦図(楠公一代記)

 いにしえの江戸時代の頃からうまれたと推定できる「城郭=天守閣」なる固定観念。心あるモダンな現代人ならこのような前近代的な発想はもう捨てましょうね。模擬天守閣も無意味に求めないで下さいね。だからって現存している天守閣を破壊するなんてことはやめて下さいね。(笑)
 どうも、長の長々とこのような悪口雑言にお付き合いいただき、心より感謝いたします。

1998年2月 参謀足軽

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