揺らぎの風

           文 / 露埼紗羽 様





「嬉しいな、ランディさまと一緒に公務。
しかも聖地から離れてお泊りで!」

「アンジェ、遊びに行くんじゃないんだぞ。
そんなにはしゃがないの。」

「だって・・・こんな機会最初で最後かもしれないじゃない。
ロザリアに感謝しなくちゃね。」

「あ、ああ・・・。」

「どうしたの、ランディさま? 何か心配事でもあるの?」

「いや、この前、夜中にアンジェの所に直行したのが、
ジュリアスさまの耳に入っちゃって。」

「またお小言? だってあんな時間じゃ報告も何も無理よ。
ジュリアスさまだってわかってるはずなのに。」

「でも、けじめが大切だからって。
今回も心してかかるようにと言われちゃったんだ。」

「ジュリアスさまったら本当に真面目なんだから。
ランディさまと一緒だもの。お仕事は完璧。
それ以外の時間は仲良くするのに決まってるじゃない。
誰が何と言ったってそうするもん!ね?」

「そ、そうだね。」


 『そなたの事は何も心配はしていない。
 案じているのは女王陛下の方だ。
 時々、突拍子もない事を平気でなさるからな。
 聖地を離れた解放感に加えて、そなたと一緒でもあるのだから、
 くれぐれも羽目をはずさないように注意するのだぞ。』


ジュリアスがそう言っていたなんて、
心から嬉しそうな笑顔を見せる傍らのアンジェリークには、
とても言えないランディだった。




               *****




アンジェリークのそばから一歩下がった場所にランディの姿がある。
その姿は凛々しく、まさに女王陛下を護る騎士にふさわしい。
若く颯爽とした騎士と愛らしい女王陛下の組合せは、
誰から見てもお似合いの2人に映る。
今日のアンジェリークはパフスリーブのふんわりしたドレスに、
ひじまでの手袋をしていたので、その左手の薬指に
ランディとお揃いの指輪が隠されている事を、
この場に集う人々が気づく事はなかったが、
それでも2人が姿を現した瞬間、誰もが感嘆のため息をついた。

惑星ごとの現状が報告される昼間の会議は滞りなく終わった。
その夜の惑星同士の交流がなされるパーティで、
女王陛下であるアンジェリークはいわばVIPである。
次々と挨拶を受けて気の休まる暇などない。
ましてゆっくりと食事をしている余裕さえも。
陛下が言葉を交わす間、ランディは寄り添うようにアンジェリークを護り、
周囲に目を光らせる。決して前に出すぎる事もなく、
離れすぎてアンジェリークを不安にさせることもなく絶妙の距離感を保って。
一通りの挨拶を済ませ、ようやく人の波が途切れた頃、
ランディはアンジェリークの顔色が悪い事に気がついた。


「陛下、大丈夫ですか?
お疲れになったのではありませんか?」


こういう席なので、敬語は崩せない。
アンジェリークはそんなランディに力弱く微笑みながら囁いた。


「ちょっと疲れちゃったかも。お部屋に戻りたいな。」

「わかった。ちょっと待っていて。」

「うん。」


小声で言葉を交わすと、ランディはすぐさま主催者側に伝えるべく行動を起こす。
女王を守る立場として、毅然とした態度で振舞うランディを、
アンジェリークは頼もしく見つめていた。


「申し訳ありません。
陛下の気分がすぐれませんので、お先に失礼させていただきます。」

「それはいけません。すぐにお部屋の方へ。
薬師を参らせますので。」

「いいえ。少し疲れてしまっただけですので、それには及びません。
休めばすぐに治りますから。途中で退出する失礼をどうかお許し下さいね。」

「いいえ。とんでもございません。それではごゆっくりおやすみ下さい。
何かございましたらすぐに私どもにお申し付け下さい。」


女王陛下自らの言葉に、すっかり恐縮する主催者を制して、
ランディはアンジェリークに手を差し伸べる。


「陛下、大丈夫ですか?俺につかまって下さい。」

「どうもありがとう。ランディ。」


ごく自然にアンジェリークを支えるように振舞うランディと、
その腕にすべてを任せるように身を預けるアンジェリーク。
その場に居合わせた者たちは、去って行く2人の姿に再び見惚れてしまった。




               *****




与えられた部屋は広いリビングをはさんで、
手前と奥の部屋を行き来出来るコネクティングルーム形式となっていた。
奥が広々としたアンジェリーク用の寝室、
手前がそれよりは多少小さめのランディ用の寝室。
小さめとは行っても10畳ほどもあるゆったりした広さだから、
アンジェリーク用の寝室がどれだけ広いか推し量れるだろう。
それぞれがバスルーム付の独立した部屋で、もちろん鍵がかかる。
護衛する上で、別々の部屋にするよりは、
この形式の部屋の方が都合がよいだろうと、
主催者側が気を利かせてくれたのかもしれない。


「大丈夫かい? ゆっくり休んで。」


部屋に戻ったランディは、アンジェリークを奥のベッドに寝かしつけようとする。
体調を崩して予定が狂ってしまっては、
周りに迷惑がかかってしまう。何の為の護衛なのか、
自分が着いていながらそれだけは許されない事だと思う。
それなのにアンジェリークは大人しく休もうとしない。
それどころかホッとした笑顔でランディを見つめる。


「ランディさま。平気なの。」

「休まないとダメだよ、アンジェ。疲れが出たんだ。
今日は朝早くからずっと忙しくしていたから。」

「違うの。ちょっとは疲れたけれど、そんなのは何でもないわ。
私がどうして気分が悪くなったのか、
ランディさま、本当の理由に気づいてないでしょう?」

「え?」

「パーティの場にいた女性の視線、みんなランディさまに釘付けよ。
私、手袋を取って指輪をみんなに見せびらかそうかなって、
本気でそう思っちゃったわ。」

「アンジェ・・・」

「あのままパーティの席にいても、他愛ない話をするだけでしょう?
私の今日の役目はしっかりと果たしたわけだし、もういいかなって。
これ以上あの場にいるのは本当に耐えられなかったの。
それに・・・早くランディさまと2人きりになりたかったんだもの。
せっかく2人だけで聖地を離れて違う場所に来れたのに・・・。
あの・・・ランディさま・・・・・・怒ってる?」


何も言わずにいるランディに不安を感じ、
アンジェリークはおそるおそる聞いてみる。
ランディがいきなり笑い出したのでアンジェリークは驚いた。


「な、何? どうしたの?」

「ご、ごめん、アンジェらしいなって。俺、そんなの全然気づいてなかった。
でもね、それを言うなら俺だって。君こそ気づいてなかっただろう?
普段人目に触れない場所におわす女王陛下を一目見てやろうと、
最初は好奇に満ちた人たちの興味津々の視線が、
君を見た途端、熱い視線に変わるんだ。みんなが君に惹かれるんだよ。
これ以上君をそんな視線に晒したくはなかった。
俺はね、アンジェが手袋をしていてよかったと思ったんだ。
挨拶に来る人たちが次々と君の手を取るじゃないか。
いくら挨拶だからって君に触れるなんて・・・ああっ、もう!」

「やだ・・・ランディさままで・・・・」

「だからホッとしたんだ、アンジェが席を立った時。」

「そうだったの。よかった。
ね、ランディさま、ちょっと外をお散歩してみない?」

「ダメだよっ!

「え?どうして?」

「気分の悪くなったはずの女王陛下が、のんびり散歩なんて。
誰かに見られたらそれこそ大変だよ。
それに今言ったばかりだろう?他の人の目には君を晒したくないって。」


その時、部屋をノックする音が聴こえた。
ランディは瞬時に女王陛下を護る騎士の顔になる。


「誰だろう? アンジェ、奥に行ってて。」

「うん。」


アンジェリークがランディの寝室に消えたのを確認して扉を開けると、
世話係の若い娘が、ポットを手に立っていた。


「これを女王陛下に。疲れが取れる薬湯という事ですので。
お加減はいかがでしょうか。」

「ああ、ありがとう。やはり疲れが出たみたいだ。
でも、一晩休めば大丈夫だと思う。」

「大事が無くて何よりでございます。
何か他にはございませんでしょうか?」

「特になにもないよ。」

「あの・・・ランディさまはこのお部屋にずっと?」

「陛下をお護りするのが俺の仕事だから。
それが何か?」

「いいえ・・・あの・・・今夜お時間があればご一緒に・・・
聖地のお話など伺えればと・・・。
私ども・・・あのここの者たちの希望で・・・」

「悪いけどそれは出来ないよ。
俺は陛下のそばについていなければいけない。」

「そ、そうですよね。申し訳ありませんでした。
どうぞお大事になさって下さい。」


きっぱりと即答で返すランディを見て、
娘は顔を赤らめたまま部屋を辞して行った。
ランディはため息をつく。


「アンジェ、もう大丈夫だよ。・・・アンジェ?」

「知らない!」

「どうしたの?」


今の様子を伺っていたのだろう。
扉の陰に身を寄せていたアンジェリークは、
瞳に涙をいっぱいにためたままランディを見つめる。


「ア、アンジェ?」

「いつも・・・こんななの?
ランディさま、いつもこんなふうに誘われたりしてるの?
私が知らないだけで、いつも、いろんな所で・・・」

「そ、そんな事ないよ。」

「第一ランディさまは指輪をしてるのよ。
それにも気づかないなんて!」

「ア、アンジェ・・・?」

「ランディさまは、私だけのランディさまなのに・・・。
お散歩なんてもう行かない。
今夜はランディさまのそばから離れない!」

「ちょ、ちょっと、アンジェ・・・!」


首にきつくしがみついてくるアンジェリークに、
ランディは目を白黒してしまう。
2人はそのまま勢い余って、ベッドに倒れ込んでしまった。
無理やりアンジェリークを引き離すランディに、
取り乱したままのアンジェリークは直も追い討ちをかける。


「ランディさまの意地悪・・・どうして離すの?
抱きしめて・・・くれないの・・・?
キス・・・してくれないの・・・?
このまま・・・ランディさまのものにして欲しいのに・・・・」

「そ、それは・・・いくら何でもまずくない?
やっぱりちょっとさ・・・
今夜はちゃんと別々に眠らなきゃ。」

「いやっ!別々に眠るなんて、そんな約束してないもん!
ランディさまが鍵をかけたって壊して入って行っちゃうから!
パーティを退席した時点で、もう公務の時間はとっくに終わっているのよ。」


大粒の涙が瞳からポロリと零れ落ちた。
ランディはこの涙に弱いのだ。
でも、そうも言っていられない。
いくら2人きりの部屋だとはいえ、
公務で訪れている地でそんな事を。


「でもさ・・・」

「ランディさま・・・・・・私の事嫌い?」


ランディの頭の中は公務とプライベートの境界線、
女王と守護聖としての立場、恋人としての立場が錯綜して
混乱状態に陥っていた。
目の前に迫り来るのは、愛しい人の切なく甘える瞳。
魅力がないどころか、ありすぎてクラクラしているのに、
アンジェリークにはどうしてわからないんだろうと思ってしまう。


「嫌いなわけないだろう。」

「それなら・・・私の事が好きなら・・・・ぎゅうっと抱きしめて・・・
ねえ・・・いいでしょう・・・?
じゃないと明日は手袋を取って挨拶の席に出ちゃうんだから!
ランディさまは守ってくれなくてもいい。帰るまでどこにも姿を現さないで。
またさっきみたいにいろんな所からお誘いが来ちゃうもの。そんなの嫌!
ここでじっとしていて!」

「アンジェ、そ、それは困るよ。
君を守るのが俺の仕事なんだから。」

「それじゃ守って。ランディさまが今抱きしめて腕の中に守ってくれなくちゃ、
私、壊れてしまう。このままじゃおかしくなっちゃう!」


アンジェリークは自分でも支離滅裂な事を言っていると思った。
言いたいのはこんな事じゃないはず。なのに止まらない。
涙も勝手に溢れ出て来てしまう。


「アンジェ、落ち着いて・・・ね?」

「私、今日を楽しみにしてたのに・・・すごく・・・」


  そうだった・・・・。

  この公務を初めて知ったのはあの日の朝。
  零れるような笑顔で、誰よりも早く自分から俺に知らせようと、
  部屋を駆け出して来たアンジェだった。
  今朝も2人で出かけられることを喜んであんなにはしゃいで。
  この部屋に最初に通された時も、一緒の部屋だと知って嬉しそうにして。
  この日を心待ちにして来たアンジェを一番良く知ってるのは俺だ。
  楽しみに楽しみに指折り数えていたんだ。
  どうしてこんなに大切な事を忘れていたんだろう。


目の前に霞んだ霧が少しずつ薄れて行く。
ランディはふわりとその体を包むように抱きしめた。


「ごめん・・・泣かせるつもりなんかなかったのに・・・」


アンジェリークの体からすぅっと力が抜けて行くのがわかる。
そして可憐な唇からポツリと零れた素直な言葉。


「今はランディさまのアンジェリークでいたいの・・・」


その一言でランディの迷いは完全に断ち消えた。
見上げる瞳に優しい笑顔で応える。
ランディは今度こそ恋人としての自分を選ぶ。


「今夜はずっと一緒だよ。もう離したりしない。」


アンジェリークは優しく抱きしめてられていた腕に、
力が込められるのを感じた。
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