Google翻訳は便利だけど、とある癖があることに気付いたので書いておく。
仕事で英文メールを読まなくてはならない時があって、勉強と違い、仕事だと効率重視なのでGoogle翻訳の英和はよく使う。英和は最近精度が飛躍的に上がっているのだけど、長文だと文節の解釈がやっぱり甘くて、意味不明になることがあるので、「,」を足したり、文節の修飾部分を消して文の骨格部分だけ取り出したりすることがある。
動画でやっている外国歌の訳詞を作る時、基本的に文字もよく分からない言語でも、Google翻訳にコピペ(Copy&Paste)したらだいたい訳してくれるので便利。しかし、Wikipedeaや他の人の和訳と比較しながら見ていると、時々疑問に思う時がある。そういう時は、原語→日本語ではなく、原語→英語を見るようにしたら気付いた。
Google翻訳って一旦英語を経由してる!
単語それぞれの訳からは発生しなさそうな変な単語があると思ったら、英訳でその単語が使われてた。つまり、原語→できるだけ自然な英語→翻訳言語にしてる感じ。この「できるだけ自然な英語」に、原語には無い単語が混ざることがあるっぽい。原語→直訳英語→直訳翻訳言語→自然な翻訳言語、にするには、まだ技術的問題があるんだろう。日本語の場合、文構造が英語とか西洋系とは違うし。
グローバルな会社/サービスと言っても、結局Google社はアメリカの会社だから英語基準に開発してるんだな、ということがよーくわかった。Google社のことだから、今AIが猛烈に学習してるだろうから、今後変わるかもしれないけど、今はまだそういう物だと思って使わないとならないんだなぁ。
松本の高原ホテルに指定されたドレスコードの盛装で人々が集まった。25歳で亡くなった真人(まさと)の告別式に代わるお別れ会のために。親友の等(ひとし)は美しい女物のドレスで現れた。飄々と、そして強く生きた真人と、家族や友達。等は真人と知り合ってからの7年間を振り返る。
泣いて良いのか笑うところか、とにかく奥歯を噛みしめてしまう。若い時には特に、自分でいることが許せなく辛い時があったりする。自分を曲げて社会に馴染むか、自分を曲げず自分らしくとがって生きるか、っていう二択だけでなく、それぞれの事情によって息ができる隙間を探すしかないのだけれど。解決策を示すわけじゃないけど、迷っても粘り強く生きろと言われてる感じが刺さる。
実際問題、等のドレス姿は似合ってるのかな?女性のお下がりのドレスがスルッと着れてる体型の時点でゴツくないのだから、結構似合ってそうだなー。