青木タカオ「ちょっくら・おん・まい・でいず」

「今日の夜話」過去ログ'03.5〜7月

「場所」7/29

 僕の住んでいる町に、ひとつの場所を見つけた。

 そこは、カラオケハウスではあるけれど、かなり自由だ。平日の昼なら、もうメチャクチャ安い。ここ続けて二回ほど、友達とライブのリハのスタジオとして利用したのだけれど、実に集中できた。そして楽しかった。

 音楽スタジオは、それなりに緊張感もあり、たしかにいい面は多い。でも、ひとりでリハをするとなると、広すぎたり、そこまで出かけるのがおっくうになってしまう面もある。

 今回利用したカラオケスタジオは、三階立てで、部屋数もかなり多い。一時期のカラオケブームのりころの建物であろう。三階に関しては、頻繁に使用されているようには思われなかった。

 ギター持って受付にゆくと、おじさんが言う。

 「楽器も持ってるし、三階がいいかな」

 カラオケハウスの良さは、何と言っても、あの柔らかいソファーだ。それがとてもいい感じ。ソフトドリンクに関してはジョッキ一杯80円。リラックスしながら過ごす数時間。

 三階に関しては、人の気配を感じない、不思議な場所になっていた。妙な充実感とともにリハを終えて、一階の受付に戻る途中、ギターケースを背負ったひとりの青年と階段ですれちがった。

 音楽スタジオとして利用するには、ちょっとリラックスしずぎるかもしれない。しかし、何かが生まれてきそうな予感はある。場所として、ずっとあって欲しい。


「写真」7/26

 先日、富山に歌いに行った。ほんの三日間だったけれど、実に楽しかった。

 小さなカメラを持っていって、いつもどうりに、いいなと思う場面を撮っていった。東京に戻って来て、出来上がったものをみると、実にどの写真もよかった。それは、富山にいた時間が楽しかったように、その空気がよく出ていた。

 集合写真を撮るとき、時々みんな同じようにいい表情をするときがある。あれは、出来上がってみると実に不思議だ。時間や瞬間は、みえない感情のようなものでつながっているようだ。

 写真のことは専門ではないので、よくわからないのだけれど、僕なんかやっぱり、構図とか表情とか撮るときに気になってしまう。しかし、実はそこにある空気感が大事のようだ。

 さて、ここでまた話は富山の写真に戻る。富山での写真がみんな良かったとはいえ、ふだんの富山での生活がみんなそうだとも思えない。やっぱりそこには、東京から来た僕らと富山のみんなとの、ひとつの波長の混ざり合いがあるのだろう。

 写真は不思議だ。出来上がった写真を見る人の気持ちもまた、それにかかわってくる。

 はたして今回の富山での写真は、他の人が見てどうなのか。いろいろ言い当てる人がいたらすごいな。確かに写っているような気がする。


 「変わらないもの」7/22

 世界には、七不思議があるというけれど、僕には、もうひとつとても不思議なことがある。

 夜、アパートから外へ出ると、そこには外灯のついた夜道がある。約15メートルおきくらいについている外灯と家の並び。そこからつながる真っ暗な夜。。

 僕の実家は、町はずれくらいにあったので、家々が続いた夜道だった。そこにあった外灯と、夜道の景色。あれからもう何十年もたっているはずなのに、まったくその景色は変わっていない。そうだ、昔は木の電信柱だったかな。

 いろいろと進化していいはずなのに、今だに、15メートルおきに外灯は道を照らしている。その道はとても懐かしく、小さい頃から記憶がそのままよみがえるようだ。

 たぶん、文明の進化が忘れてしまったことのひとつだろう。

 町なかに住んでた僕には、一番遠い記憶と毎日会えているようだ。そんな不思議・・。

 話は変わって、先日、富山の友人の家を訪ねた。ちょっと離れると回りは田んぼの道だった。

 ・・そこには、外灯はなかった。


「祭りの住処」7/19

 今はもうなくなった祭りがある。

 「おれはどうすりゃいいの?」

 祭り自身が、どんなにやる気があったとしても、人がいなくては何も始まらない。もともと祭りは幻のようなものかもしれない。

 その始まりにはきっかけがあり、やむにやまれぬ想いがあったのだろう。しかし長い年月が経つたびに、だんだんと「祭り」という行事に変わってしまう。最初の人はもう誰もいない。

 それはまるで伝言ゲームのようだ。

 日付とともにやって来る祭り。そして町内会のみなさんは盛り上がる。理由は「祭りが来た」からだ。

 「よっしゃ、祭りだ!!」

 よく、祭りの血が騒ぐって言うけれど、結局は自分の血が呼んでいるのだ。盛り上がれるのなら、どんな形であってもいいのかもしれない。

 その土地にあるその土地の祭り。それはありがたいことだけれど、どうにもあいまいだ。100年以上続いてしまうと、仮面のようになってしまい、「だって昔からそうだもの」と進められるだろう。

 それでいいのか?

 ちょっとしたことで、その年に祭りが、たまたまなくなってしまうと、その魂を呼び戻すのは大変だ。最初の人は誰もいない。

 ・・祭りの住処は、どこにあるの?

 でもそれでいいのかもしれない。また祭りは生まれてくるだろう。僕らには僕らの祭りがあっていい。

 今はもうなくなった祭りがある。いなくなった人たちがいる。


「露店」7/14

 昨日、偶然にも富山県氷見市に寄ってみたら、小雨の中お祭りをやっていた。

 今日、東京はどしゃぶりだけれど、氷見市では、お祭りを続きやっているだろう。

 商店街には、露店が続いていた。その露店は、東京とそんなには変わらなかったけれど、歩いているみんながとても明るかった。

 「明るさ」という表現は少しニューアンスが違うかもしれない。東京だと、露店を歩くみんなは、どこかお祭りを眺め歩くという感じがするのだけれど、氷見市のみんなは、露店と一体化していたような印象だった。どの店にも人が集まり、露店を楽しんでいた。

 ・・微妙な差ではあるけれど。

 たぶん、露店でものを買うお金が多いように思えた。いままでいろんな祭りの露店の並びを歩いてみたけれど、こんなにどの店にも、人が集まっているのを見たことがない。

 それは、ここに限らず、全国いたるところがそうかもしれないけれど。

 実にみんな楽しそうだった。小雨にもかかわらず、商店街は明るかった。たぶん、昔からそうなのだろう。誰がそうはじめたということではなく、昔からそれが「祭り」と呼ばれるものなのだろう。

 東京でも、みんなが、どんどん露店で買い物をしていれば、同じように、買ってしまうだろう。

 その引き金は誰がひくの?

 全国の祭りの露店の通りを歩いてみたい。


 「宇宙遊泳の時間」7/9

 宇宙遊泳しているとき、時間はどう感じるのだろう。

 朝、訪問客のように、目覚ましの音がやって来る。小雨。それは宇宙遊泳のように、布団から起きてはまた眠る。

 小さい頃から、起きて何かをするということはなかった。フラフラの状態で、飯を食べてそして学校に自転車で向かった。働くようになってからは、ぎりぎりまで寝ているというのが普通だった。

 しかし、ここ三年ほど、僕は起きたらなんとか、パソコンに向かいエッセイをひとつ書いてきた。それは5時半すぎから7時の間の話だ。

 宇宙遊泳の時間。一度目覚ましが鳴ってから、僕の頭の中は、なんだか時間を泳ぎ始める。何を書こうかアイデアを探しているのだ。探しているうちに、またひと眠りしてしまう。チッチッチッチッと、音が聞こえてくる。

 そこからの一時間は、なんともゆっくりだ。そんな時間が一日の中にあるということが、不思議なくらい。パソコンの椅子の前に座っても、まだ書きたいことがない。また布団に横になる。ちょっとして、時計を見ると、5分くらいしか進んでいない。

 昨夜は、3時すぎまで眠れなかった。いろんな言葉や妄想に苦しめられた。考えたいことは多いけれど、考えすぎてはいけないことも知っている。チラッと見て、またずっとあとでチラッと寄ってみるくらいでいいときがある。

 そして朝、いつもよりもフラフラ状態で、時間がゆっくりと過ぎてゆく。

 数年前まで、こんなふうに朝の一時間を過ごすということはなかった。そして7時になって、出かけると突然に時間は早足になる。

 さて、7時までに僕はひとつ文を書いているだろうか。いつもなんとか書いている。それは、不思議な朝のマジック。

 宇宙の広さもこんなふうな時間の中にあるのではないだろうか。そして一時間がそうならぱ、一日もきっとそうだ。一日がきっとそうならぱ、一年もきっとそうだ。時間はあってないようなものかもしれない。

 時計をチラリと見るように、カレンダーもチラッと見たりできたらなと思う。


「りんご飴」7/6

 実は先日、浅草のお祭りの露店で、りんご飴を買った。

 りんご飴って知ってるか? もちろん知っているだろう。しかし若い人の中には、食べたことのない人もいるかもしれない。

 りんご飴って知ってるか? あの外の赤い飴の部分が歯にくっつき、中のりんごがとても食べにくい飴だ。

 小さい頃、僕はりんご飴を食べてて、歯がとれた。それでも、お祭りになると、りんご飴を食べないと気がすまなかった。

 それは僕の中の年に一度の伝統行事だからだ。家から歩いて10分ほどで、お祭りの会場に着く。そして帰りには、りんご飴を片手に帰ってくる。その手に残る重さがないと嫌だったのだ。

 それは僕だけではなかっただろう。しかし、りんご飴の持っているあの見た目の良さと、味と食べ安さは比例はしてはいなかった。それでも買ったりんご飴。

 あれだけあったりんご飴の露店も、一時期、祭りであまりみかけなくなった。その理由もなんとなくわかる。しかし、また最近は復活している様子だ。

 そして先日の浅草の祭り・・。

 露店の通りを一回りしたあと、僕はりんご飴をひとつ買った。300円だったかな。しかし手に持って帰るわけにもゆかない。

 (なぜ、俺はりんご飴を手に持って歩けないのだ?)

 露店の近くの境内のそばで食べようかなと思って、シャツの下から取り出して、ビニールを外そうとしたが、人が通るので、やっぱり出来なかった。

 (なぜ、俺はここで食べられないのだ?)

 またシャツのお腹にりんご飴を入れて、地下鉄まで歩いてゆく。そんな帰り道。。

 家に帰る。パソコンのスイッチを入れる。掲示板チェックをしながら、りんご飴のビニールをとり、かじりついてみる。

 いつもの味だ。それも愛のかけらも感じられない。食べにくさも最高だ。ぺりぺりとはげてゆく、赤い飴の部分。ここまで読んでくれた方、ありがとう。もう語ることがない。

 りんご飴を買ったという事実だけが残った。


「11個目の椅子」7/3

 世界は広いと思わないか。

 もしそこに10の椅子があって、10人がやって来るとしても、勘違いして、きっともうひとりやって来る。椅子をもうひとつ用意しておきたい。

 世の中は広いので、大海に船で出て、アメリカ大陸に向かうつもりで、インドに行ってしまう人もいるだろう。

 「やった、あれがアメリカだ!!」

 何千人という人が、予定どうりに同じ場所に向かっているのだけれど、何人かは必ず勘違いして、同じ場所に向かっているつもりが違う場所に向かってしまうのだ。

 それは自分の中の自分にもある。それはみんなの中のみんなにもある。思い出してみると、生き物の進化は、そんな偶然の重なりの中から進化して来たと思う。

 角の生えた鹿。空飛ぶムササビ。首の伸びたキリン。etc・・。

 今向かっているものが、もうすでにあるもので、そこでは生活がちゃんと待っているとしても、進化という可能性で考えると、限りなくゼロに近いと僕は考える。

 「では、これは」そう言って、また別の場所を目指しても結局は同じことだ。

 いつも11個目の椅子を用意しておきたいな。

 臨時列車も来る、そして勘違い列車も来る。

 その線路はどこへつながっているのだろう。世界はまだまだ広い。


「同じ気持ちの遠い昔」6/28

 ジャンルとしては60年代フォークブームの頃に入る、フィル・オクスの「すべてのニュースは歌うにあたいする」のCDを先日、たまたま見つけて買った。

 フィル・オクスのことは、よく知っていたけれど、このアルバムは聴いたことがなかった。たぶんファーストになるのだろう。

 今聞いてみると、さすがに古い感じに聞こえるのは、しかたがないとしても、何度もかけていると、実にいい曲が多いのがわかる。僕がもし今、中学生か高校生だったら、かなりのめり込んで聞いていただろう。

 中学の頃に聞いていたレコードは、一枚一枚の曲のすべてが宝物のように思えていて、その傑作性に酔ったようになったものだった。実にそれは、僕をフォークソングライフに夢中にさせることになった。

 ・・そのときに聞き忘れた傑作はないか?

 もちろんたくさんあっただろう。

 あれから、20年以上たって、今、当時のフォークのレコードを新しく聞く機会があったとしても、たいがいは、その頃を眺めるように聞いてしまうことが多い。

 しかし、このフィル・オクスのレコードは、古い感じはするけれど、完成度があり、いつまでも残る曲が多い。それは今でも色褪せることなく歌えそうな歌ばかりだ。

 このアルバムは、聞いている僕を、逆にその時代まで連れてってしまうようだ。

 こんなふうに夢中にさせたアルバムがたしかにあった。それだけのパワーは持っていると確信した。

 ピーンと来るものがある。


 「一人暮らし・考」6/25

 一人暮しって不思議じゃないか?

 名前で見ると、ひとりで暮らしているようだけれど、どうも、都心だと実感がない。

 電話はかかってくるは、壁のとなりには人がいるし、テレビがついてるし、外に出ればすぐ会えるし・・。

 でも一人暮らし。。

 「独居」という言葉があるけれど、さてどのくらいの独りなんだろうか。「独居」と言えば、俳句を創作する人の「庵」のイメージがある。

 奥まった所に独りで住み、四季の自然を友として日々過ごしてゆくというのだ。

 そう思えるのなら、それもまた「独り」ではない。

 たぶん、昔の人も、今の僕と同じように、「これがひとりか」と、思ったような気がする。

 本はあるし、手紙は届くし、、。鳥は来るし、猫もいる、、。

 無人島に流れ着くならば、かなり孤独感があるだろう。しかしそれでも「独り」を実感できるかどうか、それはわからない。

 場所が変わっても、人は友達を見つけてゆくのだろう。友達がいないと思える気持ちが、独りの実感の正体のような気がする。

 結局、心の問題だ。心の一人暮らし。


 「道」6/22

 今、歌作りをしている。

 ここ数ヶ月、ちょっとお休みしていたのだけれど、ライブが近いせいもあり、ここ数週間は創作し続けている。

 ・・まだ一曲もできあがっていないが。

 アイデアだけは、どんどんと出てくる。

 たぶん、そのほとんどはボツになってしまうだろう。なんだか、犬がスリッパとかくわえてくるのと似ている。

 パソコンの世界ではないが、自分の中に、創作ソフトがあって、それがきっと今、開いている状態のようだ。

 今回、創作がどんどん進んでいるのには、ちょっとした訳がある。

 創作ノートも含め、多作だった頃のやり方に戻してみたのだ。

 歌作りも慣れてくると、直接、歌詞を書き始めたりしたりするものだけれど、昔のやり方を戻してみたら、すると、するすると出てくるではないか。

 それは、自分が創作をして、見つけたやり方だった。すっかり忘れていたけれど、自分に合っているのだろう。

 それは、知っている自分の町の路地のようだ。

 「ああ、こんにとこに出ちゃった。こっちこっち」

 道の迷い方と、戻り方がわかるのだ。


「車ノート」6/19

 僕自身、車の免許もないし、普段乗っていないので、ずっとピンと来なかった。

 創作をするときは、いつも一冊の創作ノートを使っている。

 文字をずっと、書き続けてきたわけだけれど、ぼんやりと天井を眺めていて、こんなことを思った。

 (創作ノートが、車だったらなあ・・)

 車に乗ってどこかに出かけるように、文字を書いてゆけたらと思うのだ。

 車の名前をひとつ付けて、表紙には、ちゃんと車の写真。

 名前は「雲名号」。・・どう読むのか、知りません。

 自己暗示はこうです。

 (今、車に乗っているのだから、行きたいところに行けるのだ。行け、雲名号!!)

 一度出かけたら、ちゃんと帰ってこないといけない。それもまたいいだろう。

 自転車やバイクでは、どうもピンと来ない。ノートは四角だし、やっぱり車だ。

 車のドアを開けるようにして、ノートの表紙を開きたいな。

 そうだ、実際の車がノートであってもなんの問題もない。


「初メカ話」6/16

 小学校時代の「メカ」と、言ったらなんだろう?

 ゲルマニウムラジオに、それは始まるだろう。まさに「メカ」そのものだ。

 ・・ちゃんと鳴るしね。あのダイヤルの微妙な調整。そして、夜の寝床での電波キャッチ。

 「メカ」ねぇ。。そうだ、小さなカメラがあった。オモチャ屋さんのショーケースの中にあった。超小型カメラ。500円。そのカメラの横に実際に撮った写真。白黒風景写真。そして小さな小さなフイルム。

 もちろん買って撮りました。カメラはメカの象徴でもある。友達を撮ったり、家を撮ったり。。でも、あの小さなフイルムの扱いはとても難しい。

 「あーっ、光がー!!」

 現像に出してみると、オモチャ屋のおばさんは、「何も映ってなかったよ」と言う。その淋しさと言ったら・・。

 そのうち700円のヤツを買ってみた。700円のヤツなら大丈夫だろう。そう信じてみたけれど、やっぱり何も映ってないよと言われてしまった。

 (カメラって難しいな・・)

 小学校時代の「メカ」は、まだあった。それは「顕微鏡」だ。これもオモチャ屋で売っていた。450円くらいだったかな。

 最初は、先がひとつだけのヤツ。けっこう、これは楽しめた。ミジンコを見るのがステータスだった。二代目の「顕微鏡」は、先がみっつあり、くるりと回るヤツ。大きさは小さいけれど、これもかなり使った。

 そんな小学校時代のメカたち。

 中学に入り、科学の時間で、立派な顕微鏡を使うことがあった。あれだけ使い慣れた顕微鏡だ。

 しかし、何倍も大きい・・。

 のぞくと、ちゃんと拡大されて見える。失敗なんてない。

 すごいよ。もちろんすごい。でもねえ、・・見えすぎなんだよ。

 今、言ってもしかたないことですが。


 「すっかり忘れること」6/13

 以前、鞄の中にずっとお気に入りの詩集を入れていた。

 ・・約5年くらい。。

 どこに行くにも持ち歩いていたのに、その本を開いたのは、一年に一度か二度だった。「なぜ?」と言われても、答えは「ただ忘れていただけ」なのだ。

 日々、そういうことは多い。

 毎日、続けようと心に強く決めて、実行していたものの、忙しくて忘れてしまい。次にその事を思い出すのは、ずっと後だったりする。

 (ああ、そうだそうだ、そうだった!!)

 タイトルを付けて、 ひとつのノートを作るのだけれど、最初の5ページと、いつも続かない。続かないのではなく、すっかり忘れてしまうのだ。ノートを開いてみると、日付とともに、「今日から始める」とか、書かれている。

 悪気はまったくない。すっと、その日に忘れて、そのまま10日くらいたつと「永久忘去」になってしまうのだろう。

 自分が、作ったのにね。

 ノートや詩集、そしてスケジュールは、じっと僕が帰ってくるのを待っている。

 しかし、考えてみれば、たった今に、自分がいるということは、「思い出せない」どの場所にも、いるということではないだろうか?

 もうちょっと考えを進めれば、同じ熱中ごごろが、本からノートから出来事へと、常に移動しているのではないだろうか?

 インドのヴィシヌ神は、その姿を変えて、いろんな時代に現れるという。

 あなたに会ってるということは、あなたにも会っているということなのかもしれない。


 「いろいろと」6/10

 目白のアパートにいた頃、窓を開けると、そこに大きな銀杏の樹が少し遠くに見えていた。何軒か先の小さな神社にあり、鳥たちが、上のほうでいつもさえずっていた。

 その銀杏の樹はとても大きく、豊島区の保護樹木に指定されていた。隣の家の屋根を越えて見えてくる大きな樹木。アパートの窓からいつも見えていたので、僕はよく心で話かけていた。神社の前を通るときも、いつも軽く挨拶をしていた。

 悩んだり、つらかったりすると、僕はよくその銀杏の樹のそばまで行った。

 ・・特に何を答えてくれるわけではなかったけれど。

 高円寺に引越してきてからは、近くに大きな樹もなく、毎日が商店街の行き帰りのような日々が続き、今になっている。実家にいた頃は、海がすぐ近くだったので、海へ行っては考え事をした。海は小さい頃から友達だったのだ。

 友達・・、そう友達といえば、小さな頃から犬を飼っていたので、一番の心の通じる話し相手は、飼っていた犬だった。その犬とも別れて25年、町じゅうでみかけるどの犬もいとおしいけれど、僕に一番近い犬はどこにもいない。

 海もないし、犬もいないし、大きな樹も近くにはない。高円寺にに引越してきてから、もう14年ほどたつけれど、ときどきはバランスが崩れてしまう。そんなとき、どこに行ったらいいのかと思う。

 環七を歩いても、ラーメン屋に寄っても、むげん堂に立ち寄っても、中古レコード屋によっても、ただ気がまぎれているだけだ。

 でもまあ、そんなにつらいなぁと思わないのはきっと、僕自身のどこかが、犬であり、海でもあり樹になっているんだと思う。

 回りのいろいろに負けそうになったら、自分自身の中の声に耳を澄ましてみるのがいい。

 最近、山鳩の声がとても、いとしく聞こえてくる。

 こんな都心でも、全国どこにいっても、そして大昔も同じ声で鳴いていたのかと思う。どうやったらあんなふうに、ずっと居られるのか。そして山鳩が何て言ってるのか、最近の僕にはこう聞こえる。

 「僕が僕だよ、デデポポー」

 「僕が僕だよ、デデポポー」


 「星飛雄馬再考」6/7

 帰り道ふと、劇画「巨人の星」の主人公、星飛雄馬について考えてみた。

 2003年の今、思い返してみると、よくあのキャラクターを作ったなぁと思う。

 あの太い眉毛、あまりにも人間くさい家庭環境、そしてまじめいっぽんの気質。。言葉使い・・。それは、昭和30年代の下町のどこかにいた、ホントのキャラクターのようだ。実際にモデルがいたのかもしれない。

 他の梶原一騎の作品に登場するキャラクターはみんなどこか、劇画の主人公になりうるあか抜けたところがある。「明日のジョー」の矢吹丈、「夕焼け番長」の赤城忠治、他、スター性がある。そしてやっぱり作られたキャラクターを感じる。

 「巨人の星」の中に出てくる人たちも、飛雄馬の他はどこかメジャーな感じを受ける。「花形満」「左門豊作」「伴宙太」・・。

 そんな中で、星飛雄馬はとても人間くさい。それは絵を描いた川崎のぼるの力かもしれない。小柄で、ちょっと体が丸いところ。ドカベンのような、アイドル性に満ちてる風でもない。(逆にそこがいいのかもしれないが・・)

 「巨人の星」の最初は下町の一角から、物語が始まる。壁に開けられた小さな穴を通して、通りの向こうの壁とひとりでキャッチボールをしている飛雄馬。「ねーちゃん」「とーちゃん」の会話。着ている服は、子供ジャンパーだ。

 下町のひとりの熱血野球少年と言ってしまえば、そうかもしれないが、僕はそれ以上に、身近さを感じる。自分と似ていたのだろうか。

 「巨人の星」の話は、最初はそんな下町の一角から始まるけれど、実際、プロ野球に入団してからは、あれやこれやと魔球と対決に燃えるシーンが続くことになる。そうなると、ホント熱血野球青年そのものだ。

 その途中での美奈さんとの恋は、実に飛雄馬らしい物語だと思う。個人的には、一番好きなシーンのひとつだ。

 星飛雄馬の髪型は最後までスポーツ刈りだったろうか。「新・巨人の星」ではどうだったか忘れてしまった。そして物語のラストも忘れてしまった。

 ・・続いていたら、父・一徹のようになっていたかもしれない。


「謎の人」6/3

 ときどき、ふと思い出す人がいる。

 それは15年ほど前、遺跡発掘のアルバイトに行っていたときのことだ。そのアルバイトは、登録だけしておけば、いつ行ってもよいという素晴らしい条件のアルバイトだった。

 僕もときどき行っていたが、毎日メンバーがちがっていた。新人だった僕はあまり友達もいなかった。そんなとき、とても自然に友達になった人がいた。

 その人は、黒いスリムのジーンズ、黒いTシャツ、そして黒いレイバン型のサングラス(パンダ風)をして、髪を後に束ねていつもオールバックのようになっている。それは彼女の仕事用のお決まりのスタイルだった。

 体格もしっかりしていて、遠目で見ると、建築現場のおじさんのようにも見えた。年は僕よりも何歳か上だった。

 どんな格好で、バイト先まで来ているかは知らなかった。ただこれから山の遺跡発掘場所まで出かけるという時になると、いつものスタイルて決めて登場するのだ。全身黒で決めて、パンダ風のサングラス。

 「どうも、コンニチワ!!」と僕。

 「いい天気ですね、こりゃあ〜、暑くなりそうですわ」そう言って、その人はおでこに手を当てる。

 発掘のパイト中も、隣どうしになったときはよく話をした。と、言っても、僕にとってその人は謎の人だった。話すときはいつも、小さな声だった。

 「わたし、意外と古風なんです」

 満月の夜に、ベランダに椅子を出して、ワインをチビチビと飲みながら、文庫本を読むのが好きだという。

 その人の話は、実に面白かった。そしてイメージをかき立てられた。パンダ風サングラスで生活しているその人・・・。

 しかし、そんな事はあるわけがない。お決まりのスタイルは、バイト中だけのものだ。僕はその姿しか知らないので、そのままのイメージで想像してしまった。

 神秘に満ちたその生活。謎の人。。

 ときどきふと思い出すことがある。あの人は元気だろうか? 今も僕の中では、サングラスに黒のTシャツをあの人はいつも着ている。


「巡る世代」5/31

 今もサッポロ一番「塩らーめん」は売れてるらしい。

 インスタントラーメンの好き嫌いは、それぞれにあるだろうけれど、サッポロ一番「塩らーめん」は、インスタントラーメンの傑作になったようだ。

 まあ今は、カップラーメンの方がメインになっているのは事実だ。そしてその傍らに並べられている数少ないインスタントラーメン。どこのコンビニエンスでも、その銘柄はだいたい決まっている。サッポロ一番「塩らーめん」「ミソらーめん」「しょーゆラーメン」のシリーズ、そして日清の「焼きそば」かな。

 たった三つか四つの席に座ったのは、昔ながらの定番のシリーズだ。数多くのインスタントラーメンが発表され続けたのに、結局この名作が残った。(僕個人的には「塩らーめん」だけが傑作だと思うけれど)

 たしかにサッポロ一番「塩らーめん」を考案した人は、かなりセンスのあった人だと思う。パッケージからして素晴らしい。

 しかし、残ったものが'70年代のこの「塩らーめん」とはなあ・・。'80年代、'90年代のラーメンはどうしたんだろう。

 この傾向は、ラーメンだけでなく、チョコレートもスナック類にも言える。大昔(?)から出てる定番が今も残っていて、売れ続けているのだ。買う人がいるというのも事実だろう。

 現代っ子は、インスタントラーメンを選ぼうとするとき、ほんの数種類の中から手に取ることになる。そしてインスタントラーメン体験が、記憶にストックされることになるだろう。

 不思議にも、それは、僕らと同じ物だ。巡り巡って同じものとなった。

 それは多くのものの中から、僕らが選んでいたものだ。

 何十年もたって、同じものが、世代を越えて、記憶のストックに残るなんてあっていいのか。

 それも味が変わってなかったりして。そんなことがあっていいのか。進化とは何なんだ。

 別に怒ってはいないんです。ただ、老人と小学生が、同じ感覚を共有できるなんて、不思議だなと思うんです。

 そしてそれは、まだまだ続いたりして、、、。


 「珈琲、しゅーしゅーブレイク」5/28

 先日、友だちが泊まっていった。

 友だちが来たら、まずコーヒー。それは僕の部屋での定番だ。それも、熱々のネスカフェ・ゴールドブレンド。

 午後1時すぎ、昼寝をするにも中途半端な時間。友だちと三人で、ひと休みのコーヒーを飲む。僕の部屋のカップは深い。いつもそれに熱々のインスタントコーヒーを半分入れる。

 そしてミュージックをかけながら、三人、コーヒーをしゅーしゅー音をたてながら、飲んだ。

 そのサウンド。

 なかなか喫茶店では、この音は出せないだろう。しかしこうやって飲む、コーヒーの美味しいこと。それもインスタントなので、熱々で入れられるのだ。

 話といえば、ここまでです。

 実にいい感じだったんです。


「12センチワールド」5/25

 ここ数年で、やっとアフリカンの音が、素直に入ってくるようになった。

 ヨーロッパの音楽にしても、インドの音楽にしても、それなりにコードチェンジがあり、聞いてるぶんにも飽きることはないのだけれど、アフリカンミュージックは、これがなかなか、ほかと違う感性をあらわしていて、ワンコードでかなりの時間を演奏することも多い。

 それは、やっぱり参加する音楽なんだろうなぁと思う。音とリズムの掛け合いと、ちょっとずつ変わってゆく変化を楽しんでいるようだ。

 もともと、アフリカの音楽は、聞くものではなかったかもしれない。

 アフリカの音楽を聞き始めて、約15年。やっと最近になってすんなりと、音が耳に入ってくまるようになった。と言うか、メロディーやコードへのこだわりが、すっかり無くなったというか。解放されたというか・・。

 不思議なのは、普通一般に考えるように、音楽に始めがあり途中があり終わりがあるという、気持ちではないようなのだ。歌っていて、演奏していて、自然と終わりが来るという感じなのだ。

 ・・もういいかな、じゅうぶんに楽しかったし・・・そんな感じの終わりなのだ。

 15年前といえば、ちょうどCDが出た頃。その12センチワールド。その音の旅は、本当世界一周のようだ。やっと僕は赤道あたりを折り返したような気分です。


 「時計の寿命」5/21

 と、タイトルを書いてみたものの、特にテーマがあって、書いたわけではありません。

 ただ、この言葉をテレビで聞いたとき、ピンと来たということです。

 ・・「時計の寿命」。

 この事を考えるとき、とても不思議な気持ちになります。いつか止まってしまうその時(?)が、時計の寿命ということになるのでしょうか。

 ト、イウコトハ、時計にも年令があるということなる。時計の年令?

 「今年、18才」とか。

 こう考えてくると、秒針、長針、短針の他にもうひとつ、「年数窓」を作らないとね。

 そして、年に一度は、時計の誕生日に乾杯してあげたい。

 ・・・盛り上がって、ここまで書いてきたけれど、ひとつ大きな問題が・・・。

 部屋にある時計の数だけ、誕生日祝いをしなくては、いけなくなってしまう。それは大変だ。


「今日の夜話、夜話」5/17

 告白すると、、

 今日の夜話という、このエッセイだけれど、当初の予定は、何かひとつの架空の話を連載しようと思っていたのだ。

 しかしそれはいまだに、実現されていない。きっかけがないのだ。

 一度作ろうとしたが、時間がかかって無理だった。

 ・・えんぴつは、旅に出たいと思った・・

 よく言うところの、ショートショートというジャンルかな。

 普段、友達との会話の中では、すぐに架空の話を作れるのだけれど、こうして、パソコンに向かっていると、アイデアが出て来ない。

 僕の頭の中はそういう仕組みになっているようだ。

 何か、ひとつの話を聞いていると、勝手に、頭の中で勘違いして聞いてしまう。その勘違いからストーリーが生まれる。友達のライブを聞いていても、基本的には、自由に歌を理解しながら聞くようにしている。

 その歌を聴きながら、また別の歌を作っている。

 勘違いはすばらしい。しかしそのストーリーは、もとになる話がないと、勘違いは生まれて来ない。

 当初の予定では、いろいろと書いてゆく予定だった、この「今日の夜話」のエッセイ。

 いつか実現しよう。ただ、今はきっかけがつかめないだけなのだ。


 「ドキュメンタリー」5/13

 先日、1978年に放送された「ボブ・ディランがやって来た」のテレビ番組が再放送された。

 当時、僕は18才で、新潟に居てコンサートには行けなく、この番組を目を凝らして見たのだ。

 日本では、1975年くらいまでフォークブームもいうこともあり、ボブ・ディランと言うと「フォークの神様」という言う印象もあったのだろう(特にメッセージソングに関して)。そう思うと、この「ボブ・ディラン がやって来た」の番組自体のテーマがどうもあやしい。

 当時でもう15年ほど前のことを言われてもねえ。日本・サムライ・富士山・ゲイシャと同じことだ。多くの人が、ボブ・ディランについてのインタビューに答えているのだけれど、個人的な想いの方が先にたっていてしまっているようでもあった。

 ひとりのミュージシャンなんだけどなぁ・・。

 と、こう書いている自分もまた、1978年当時は、かなりメッセージシンガーとしてボブ・ディランを受け止めていた。きっとインタービューされたら、恥ずかしいことを答えていたにちがいない。

 15年前、この番組はリアルなみんなの気持ちを伝えている番組だったろう。しかし今、もう一度見ると、実に僕らの恥ずかしさでいっぱいだ。それがドキュメンタリーの良さなのかもしけない。

 メッセージを込めてありのままを伝えようとした番組が、20年ほどたつと、違う意味合いを持ってくる。そしてそれはそれで、テーマになって番組の良さにもなる。

 ドキュメンタリーといえど、結局は、何かの主張を持って作られている。それもまたありのままり姿だ。

 ドキュメンタリーって不思議。


「ラジオの復活」5/9

 部屋にすみにラジオが見えている。

 ラジオは見えているけれど、そのスイッチを付けたことは何年間もない。

 インターネット文化は大変に進化しているけれど、今の自分には、部屋に戻ってからではないと、そのページを開くことは出来ない。

 日本全国、そして世界中どこに行っても、ラジオから音楽と声は聞こえてくる。こんなに素晴らしいラジオのはずだったのに、なんだか他のいろんなものにその存在感を奪われてしまったようだ。

 もったいない。

 まず選べないというところがラジオの問題点だとは思うけれど、それならばテレビも同じだ。

 ・・もっとラジオが進化しないかな。

 インターネットがラジオになれば、いろんなことが出来るだろうに。放送局は限りなく出来るだろう。

 もしかしたら、もしかしたら、電話がそのまま、インターネットで流せるかもしれない。

 (それがもし可能ならライブをそのまま、流せるなぁ。。)

 インターネットを読むサイトが出来るかもしれない。

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 ラジオは電池代だけなのがいい。ラジオが復活しないかな。それは明日でもいいよ。


「ラーメンどんぶりの小さな話」5/5

 昨日、池袋の屋台でラーメンを食べた。そこで見たラーメンどんぶり。

 ずっと、ずっと気にしていることがある。それはそこに描かれてある龍のイラストのことだ。僕の実家にあったラーメンどんぷりに描かれていた龍はとてもリアルだった。特に顔の部分が。。

 東京に出て来て、いくつかラーメンどんぶりを見た。まあ大きく分けて、四つくらいの流れがあるようだ。龍が大きめに描かれているもの。ちょっと小さめに描かれているもの。全体的には白で、薄く鳳凰が描かれているもの。茶色の外のどんぶりで色付きの鳳凰が描かれているもの。

 ちょっと調べたら他にも、もちろんいろいろあるみたいですが・・。

 そのイラストの変化について、最初に関心を持ったのは、アパート暮らしを始めて、近くのコンビニエンスストアーで、安いラーメンどんぷりを買ったときだ。そこに描かれている龍は、たしかに実家にあったどんぶりの龍と同じはずなのだけれど、ちょっと全体的に崩れていた。そのとき僕は思った。

 (たぶんコピーした人がいるんだな・・)

 まあ値段も安いからということで、僕は納得していてた。そこにあるエピソードがなんとなく目に浮かぶようで楽しめた。龍を描くのはなかなか細かくて大変だったろう。(意外とうまく描けたなぁ・・)とか言ったかもしれない。

 で、昨日食べた、そのラーメンどんぶりの龍は、確実に何か顔とかが変化していた。たぶん元は、ちゃんとしていた龍だったのではないか。もしかして、コピーのコピーのコピーのコピー・・?

 でも、僕はそこにあるエピソードがやっぱり好きだ。(ちょっと顔がむずかしいよなぁ、こんな感じでいいか・・)

 先日、買った鳳凰のイラスト付激安ラーメンどんぶりもなんか変だった。よーく見ないと鳳凰に見えない。。イラストが崩れすぎていた。

 ラーメンどんぶり。。きっと有名なオリジナルがあるのだろう。実家にあった龍はかなり本格的だった。同じイラストのはずなんだけどなぁ。これは安いラーメンどんぶりに限った話かもしれない。

 しかし僕がいつも感じていることは「オリジナルデザイン」→「1度目のコピー」→「それからのコピー」→「さらにそのコピー」と、ちょっとづつ崩れていったデザインを予測することだ。僕の実家にあったラーメンどんぶりでさえも、コピーのコピーのコピーだったかもしれない。

 話が長くなったが、最近のイラストは、龍にしても鳳凰にしても、なんだか迫力がない。そしてこういうデザイン的変化はラーメンどんぶりに限ったことでもないだろう。

 歩行者専用道路の手をつないだ親子のイラストの標識なんかもきっとそうだ。

 ラーメンどんぶりのイラストのルーツをさぐってみたいな。それは横浜にあるかもしれない。


「青木式ジキルとハイド」5/2

 外に出ると、自分が元気だ。そういう事ってないか?

 春の光のせいなのか、新学期のなごりなのか、気持ちがパリッとしようとする。

 外に出ると、いろんな計画をしようとする。部屋を片づけようとか、勉強をしようとか、創作しようとか、ギターを練習しようとか、何でも計画してしまう。そしてそれが全部できるような気がしてくる。

 その気分は素晴らしい。未来に向かってさわやかに歩き出している青年のようだ。

 しかし、そんな気分のまま部屋に戻ってくると、なんだか突然に横になりたくなってしまう。その気分のギャップがすごい。とても眠いのだ。

 ・・春のせいか。

 素晴らしい日々は、またまた先のばしだ。どうして計画を実行できないのか自分でもわからない。気分がへこんでいるという訳ではない。とにかく眠いのだ。結局、また同じ日々が続いてゆく。

 そんな自分が一歩外に出ると、また、あれをしよう、これもしようと計画を立てている自分が生まれる。気分もさわやかだ。部屋に戻るといろいろと出来る気がしてくる。

 しかし、一歩また部屋に入ると・・。

 自分の中のふたり。そういう事ってないか?

 ああ、外に出るのが怖い・・。部屋に戻るのも怖い。

「今日の夜話・過去ログ'03年2月〜'03.4月」

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