青木タカオ「ちょっくら・おん・まい・でいず」

「今日の夜話」過去ログ'09.4月〜'09.7月


「物が語る」'09.7/31

 テレビの番組で、古い物を修理する工房の特集をしていた。

 その中で、その物が持つ物語というふうな表現があったが、

 もしかしたら単純に「物語」とは、物が語ることではないか。

 英語で言えば「ストーリー」という言葉になってしまうが、

 「物語」は、実に日本的な表現かもしれない。

 まあ、「物語」の本来の意味はたぶん、

 ひとつの話を「物」としてまとめたみたいな感じではないかなと、想像はできる。

 しかし、僕はあえて「物が語る」ということに、言葉どおりの意味を考えてみたい。

 古(いにしえ)の人たちは、ひとつの物が語る、そんなストーリーに耳を傾けて聞いていたのではないか。

 その話は、時代をさかのぼり、ありとあらゆる風景をよみがえらせる。

 実際はわからなくとも、それが感じられる力が物にはある。

 言葉はなくとも、物が語るのだ。

 人がなくなり、その人を知る人もまたなくなる。

 そして、物だけが残ることはあるだろう。

 のちの人は、その話を知らない。しかし物は知っているのだ。

 のちの人は、そのことを知っている。

 そして、物が語りだす、いくつもの話を聞くだろう。


「新曲を求める」'09.7/29

 新曲のアイデアは突然にやってくる。

 それはほとんど、水平思考というか、ふと、ちがった見方をすることから浮かぶことが多い。

 アイデアが浮かんだ瞬間は、よく憶えているのだけれど、ちょっと時間がたつと思い出せなくなることもある。

 「あれっ」。これが不思議なくらい思い出せないのだ。

 そんなとき、どんなにかメモしておけばと思ったことか。。

 先日も、新曲のメモを忘れて、すっかり思い出せなくなってしまった。その悔しかったこと。。

 ・・・・・・・・

 昨夜、夢を見ていてときのこと。

 僕は夢の中で新曲のアイデアが浮かんでしまった。

 すると条件反射的にメモしなくちゃという衝動にかられた。

 僕の意識では、これは夢だと知っているので、まず起きて、明かりをつけて、メモするという方向で考えた。

 その通りに、起きて、明かりをつけて、メモをしたのだ。

 しかし、、、なんだかおかしい。まるで実感がないのだ。もしや、、???

 それも夢だとわかった。

 (これじゃだめだー、また新曲を忘れてしまうー。しっかりちゃんと起きろー!!)

 次の瞬間、僕は目を覚ましていた。そしてほんとに明かりをつけて、

 さて、メモというときに、、こともあろうに、、夢を忘れるように、アイデアが消えてゆくものわかった。

 (だめだー!! もどってこーーい!!)

 すると奇蹟的に、アイデアが戻ってきた。

 携帯電話のボイスメモ機能に、ちゃんとメモすることが出来た。

 新曲のアイデアを残すって、たいへんだなー。

 執念が必要だ。


「インディアポップス」'09.7/27

 この一週間で二回ほど、インドレストランに寄った。

 そこで流れているインディアポップス。

 あれっ、知っている歌かなと思うと、ちがう歌だ。

 しかし、同じ人が歌っているような錯覚を起こす。

 いや、錯覚ではなくて、同じ人ではないかと、、。

 特に女性ボーカルは、同じ声に聞こえてしまう。。

 でも、そんなことってあるだろうか。

 ひとりひとり、声質ってちがうものだろう。

 インドの人たちに、きいてみれば、ひとりひとりちがう声として認識しているはずだろう。

 それとも、、わからなかったりしてね。。

 ほんとに微妙なちがいなのかもしれないが、僕の耳には同じに聞こえる。

 直接、いつかインドの人にきいてみたい。

 同じ声に聞こえていないのかと。。


「洋楽ヒット」'09.7/25

 '69〜'71年までの洋楽ヒットシングルのチャートをよく憶えている。

 その頃、レコード屋さんに行くと、ひと月ごとに洋楽と邦楽のヒットシングルチャートが、

 ベスト20ずつ、色つきの細長いポスターになって貼られていた。

 ひと月ごとにそれは貼り替えられる。

 現代ならば、ヒットチャートは毎週ごとに変わってゆくけれど、

 その頃の僕の中では、ひと月ごとであった。

 レコード店に行くたびに、そのチャートの紙を見るので、すっかり憶えてしまった。

 そして、次の月に貼られるヒットチャートの変化は大変な出来事であった。

 ベスト1になった歌は迷わず必ず買った。

 他にどのシングルを買うのかも、すべてヒットチャートで決定した。

 第2位で、二ヶ月続いたときも、それは買う理由にはなる。

 どんな歌かは知らなくとも、国内でこれだけヒットしていれば、まちがいないものであった。

 何度も何度もベスト20のヒットチャートを見たので、

 ほぼ100パーセント記憶していた。

 ひと月に一度の更新。それがちょうど良かったのだろう。


「こんなボールペンってあるだろうか」'09.7/23

 今は格安ショップに行けば驚くほどの安く商品が買える。

 たまたま、消しゴムがなくなり、僕は格安ショップに入った。

 そこで見つけたのが、大きな消しゴム付きのシャープペンボールペンだ。

 それもボールペンは三色だ。

 さて消しゴムを使おうかと、上のキャップをとり、一度は使った。

 そのまま、胸ポケットに戻したら、あらら、もう消しゴムがない。

 すっぽ抜けたのだ。どこかにいってしまった。

 使用回数一回。

 そのために買ったのに。

 そんなすっぽ抜けるなんて、反則じゃないか。

 きっと僕が思いきり、胸ポケットにさしたからだろう。

 さて、ボールペンの黒を使おうと思ったら、ペン先がだめで、文字がかすれた。

 えーっ!!

 しかたがないので、ボールペンの赤を出したら、それも、ペン先がだめであった。

 以前も同じものを買ったことがあり、それは大丈夫だったのに、、。

 どーなっているのだろう。

 あんまりじゃないか。


「カレーと珈琲」'09.7/21

 先日、美味しいカレーを特集した番組を観た。

 お昼にカレーを食べたのに、またカレーが食べたくなってしまった。

 その番組の中でのおすすめカレー有名店に、僕も行ったことがあった。

 その店では、忘れられない思い出がある。

 有名店なことは知っていたので、入ってみたけれど、

 カレーが高い高い。

 7・800円かなと思ったけれど、一番安くて千円はしていた。

 うっ、、。

 それでもお店は混んでいた。得意そうなおやじさんが店をやっていた。

 僕は心の中で(千円のカレーを出しやがって・・)とか、思いながら、

 その辛めのカレーを食べた。おいしさのことはよくわからなかった、、。

 常連客と思われる人たちがみな珈琲を頼んでいたので、

 ここまで来たら、僕も同じように珈琲を頼んだ。

 やがて出てきた珈琲。

 そのこーひーがね、、

 いままで一番美味しい珈琲に感じられたのだ。

 カレーよりもびっくり。

 あれから20年はたっている。

 また今度寄ってみようかな。

 美味しい珈琲でも飲みに。


「集中タイム」'09.7/19

 今もギターを弾いていると、

 そのほとんどの技術は高校時代に学んだものだということに驚く。

 高校時代はよほど集中していたんだなと思う。

 夢中になっていたことが大切だったのだろう。

 あの変な時間。

 それは25歳くらいまではずっと持続していた。

 今は、休み休み、その時間がやってくるけれど、

 他のことで忙しくなると、すぐ忘れてしまう。

 その集中タイムには、まだ名前が付いていないが、

 その名前が付くまでは、僕の人生は終わってしまうかもしれない。

 高校タイムとでも言おうか、、。

 そのタイムがやって来たときは、なるべく集中するようにしている。

 それは一週間くらいしか今は、持続しない。

 その一週間の間に、学べるだけ学ばねばならん。


「財布」'09.7/17

 ここずっと、財布は千円くらいのものを買っている。

 見た目はいいのだけれど、チャックがいつも壊れてくる。

 チャックって一番大事な箇所なんだけれどなぁ。

 今使ってる財布は、買って早々にチャックの持つところがとれた。

 あまりにも買ったからすぐだったために、それでも指をひっかけて使っていた。

 それが先日、その指をひっかける金属もまた、とれてしまった。

 最高に開けづらくなってしまった。

 しかし、新しい財布を見つけるのは簡単ではない。

 千円クラスで、よい財布を見つけるのは。

 それでも日々、財布を開ける機会は多く、結局使い慣れて来てしまった。

 こんな財布を使っている人っていないかもなぁ。

 千円の財布探しの日々は続くけれど、

 また同じことになるのだろう。

 二千円くらいのものを買ってみるか。 


「ミドリ亀」'09.7/15

 二匹飼っているミドリ亀のうち、一匹がいなくなってしまった。

 その日から、ずっと残った一匹の元気がない。

 それは落ち込んでいるようにも見える。

 友達がいなくなったからなのか。

 自分が残されてしまったからなのか。

 いなくなった友達を心配しているからなのか。

 脱走成功した友達。

 その友達まだ、見つかっていない。

 台所のどこかにいるはずなのだけれど。。

 ふたりでコンタクトをとっているのかもしれない。

 いままでにも、何回もミドリ亀はいなくなってきたけれど、

 探して10分以内に見つかってきた。

 今回はそうはいかなかった。

 明日にはもうれつに探そうと決めている。

 おーーい。どこだよーー。

 戻ってこいよーー。


「ポスター」'09.7/13

 今回、サイモン&ガーファンクルのコンサートでポスターを買った。

 そのポスターは一度も、電車の車内刷りや、街角では見ることはなかった。

 そのポスターは地味な感じではあったが、コンサートポスターらしいポスターであった。

 ただ、かなりぽやけているので、それを見てサイモン&ガーファンクルとは即座に判断はできない。

 ただ、'60年代のノスタルジックな雰囲気はとてもよく出ていて、ファンであれば、欲しがるポスターであろう。

 電車の社内刷りのポスターは、明るい笑顔の写真が使われていた。

 かなり良いポスターが作られても、それを見て機会が今はあまりない。

 どこかは貼られていたのだろう。それを見かけたかった。

 演劇のポスターは、よく定食屋でかける。

 コンサートのポスターはあまり見かけなくなった。

 現在、ポスターを見る機会が多いのは、電車の車内刷りであろう。

 今回に関しては、社内刷りのポスターの写真は別のものが使われていた。

 わかりやすいポスターであった。

 街角でコンサートポスターを見ることは、地下鉄の乗り換え通路くらいしかないのかな。

 もったいないなー。


「整髪料」'09.7/10

 整髪料は、ほんのり香るくらいでちょうどいいのにな。

 今日、電車に乗ったら、整髪料の強力な匂いがすぐに鼻についた。

 よりによって、その人の隣に座ってしまった。

 だんだんと萎縮してゆく僕。

 おかげで整髪料について、いろいろ考えてしまった。

 本人は、まあ、身だしなみのひとつとして、つけているのはよくわかる。

 たぶん、365日、それも、20年30年と、、。

 そういえば先日も整髪料の強力なおじさんが、中華屋に入って来たな。

 そのときもすごかった。なぜ、あんなにべっとりと髪に付けねばならぬのか。。

 本人がそれで良しと思っているのだから、きっと変わらないであろう。

 それを禁止する防止条例があるわけでもないし。

 僕が中学の頃は、整髪料は普通に誰でもが付けていた。

 ヘアリキッドに、ヘアトニック。

 僕だって、付けていた。

 微香性ね。

 しかしね。今日、電車の中で思ったことは、

 やっぱり、こんなに強力に匂う整髪料を、売っているメーカーにも、

 ひとつの責任があるじゃないかなぁと、、。それとも、つけすぎ?

 広い大地を一人ゆくならわかるけれど、さすがに都心ではきびしいでしょう。

 そういう動物がいると思ってあきらめるか。


「サイン」'09.7/8

 先日、大好きな外国のシンガーのライブDVDを観た。

 それは国内盤であり、全曲に日本語の対訳字幕がついていて、ほんとにありがたかった。

 演奏されている歌は、以前よりよく知っている歌であるが、

 対訳字幕をつけてライブで観ると、印象がかなり変わってくる。

 訳の歌詞カードを観て聞くのとも、まるでちがう。

 歌そのものが、生き物のような形で見えてくるというのかな。

 歌の構成もよくわかるのだけれど、演奏と歌い終わったとき、

 その歌がひとりのおじさんのように、思えてくる。

 大事なのは、次の歌に移るとき、その歌のおじさんが見せる、歩き行く後ろ姿だ。

 (ああ、こんな人だったのかなぁ・・)と、しみじみと思えてくる。

 それは、歌に限らず、実際に誰かに会ったときにも、

 歩き行く後ろ姿には、個性が出る。

 どこか幼い頃が見えてくるような。

 対訳字幕付きのライブ映像はとても勉強になる。

 歌の歩き行く後ろ姿がなんとなく見えてくる。

 ひとつのサインとして。


「鍵のジョイント金属」'09.7/6

 '87年の夏、僕は海外に行くための準備をしていた。

 かなりハードに旅に予想はあったので、それなりにいろいろと用意をした。

 その中に、鍵のジョイント金属がある。

 ネーミングをどう言ったらいいのかわからないのだが、、。

 ベルトに鍵のついた鎖をつけてあるのだが、ボッチを押すと切り離せるのだ。

 ドアの鍵に、鎖が届かないときなんかは便利だと思ったのだ。

 ボッチで切り離せるそのジョイントの金属が。。

 一年の海外の旅の間、そのジョイント金属は大活躍をした。

 中にはバネが入っているのに。まったく壊れることなく。

 よく一年もったなぁと思いながら帰国して、

 それからまた22年たった。

 いまだに、そのジョイント金属は、僕のベルトについている。

 本当に丈夫だった。

 造りがシンプルというせいもあるだろうけれど。

 かなりガクガクにはなっているが、まだまだ壊れなさそうだ。

 365日、ベルトについて、それは揺れている。

 まだまだ、まだまだ、がんばりそうだ。


「頭の中の夜」'09.7/4

 旅館に一人では、なかなか泊まることはないけれど、

 泊まったときなんかは、さすがに夜がこわい。

 灯りを消して、天井かなんて見ていたら、とても眠れそうもない。

 普段、部屋にいても、それは同じことで、じっくりと落ち着いて、

 ゆっくりと明かりを消して、天井なんか見ていたりしたら・・

 眠れない。。

 まあ、だから、ほとんどの夜は、あたふたと眠る。

 横になったら、そのまま眠ってしまったとか。

 音楽を聴きながらとか、、テレビがずっとついていたとか、、。

 僕の場合はその方が、逆によく眠れるようなのだ。

 よく眠れるために、、少し騒々しく。。

 すると安心して眠れるのだ。。

 真っ暗に中にいるなんて、こわいでしょ。

 夜はね、基本的に頭の中にあるんだよね。

 頭の外にあるなんて、、眠れないでしょ。


「感情移入しすぎて」'09.7/2

 ここ数日、さいとう・たかをの劇画漫画「サバイバル」を読んでいる。

 インターネットで全巻注文。まだまだ途中であるが・・。

 内容は大地震が起きて、日本の地盤の変化が起こり、海面上昇により、

 小島にひとり少年が取り残されるところから始まる。

 その少年のキャラクターが、なんとも、まじめというか、ピュアというか、、。

 最初の1巻だけ読んで、すっかりはまってしまった。

 タイトルが「サバイバル」というだけあって、少年も必死だ。

 喜んだり、泣いたり、飛ばされたり、追いかけたり、、。

 アルバイト先への行き帰りの電車の中で、すっかり集中して読んでしまっている。

 仕事をしていても、「サバイバル」の先の展開が気になって気になって、、。

 昨日の帰りの電車でも、30分、ほんとに集中して読んだ。

 自分もまた主人公になった気持ちで。

 どことなく主人公は自分にも似ている。

 きっと、読んだ人は、みなそう思うのではないかな。

 読み進めていって、次の駅で降りるというときになって、

 大変ショキングな場面展開になった。

 (うわーっ!!)

 電車からホームに降りると、世界がぐらぐらになっているのを感じた。

 いつもと変わらない、帰りの風景なのに。

 ショックで、世界の色が感じられなかった。

 まあ、劇画漫画の中での話なのだけれどね。。

 主人公に感情移入しすぎている。

 サバイバルは続いている。


「リーバイス501 からの始まり」'09.6/30

 さすがにもうそろそろジーンズを買おうと思っていた。

 近くのジーンズ店で、リーバイスが半額だという。

 えっ、本当かい? 

 そりゃ、信じられないほど安いわ、、。

 というわけで、リーバイスジーンズの定番、501を買った。

 最初に買ったのは、高校のときだったかな。

 それから何回かは買ったけれど、さすがに新品は高くなり、

 やがては古着の501を買うようになった。

 新品の501を買ったのは、15年振りくらいかもしれない。

 ながい時間をかけたね。

 色は黒ではあるけれど、オールドウォッシュというほどでもなく、

 はいて、色があせてゆくという感じである。

 ずっと古着で買っていたので、とてもその感じが懐かしかった。

 まあ、安めの新品のジーンズでは、だんだんと色あせていったけれど、

 ほとんど気にかけることはなかった。

 リーバイス501には、特別な想いもある。

 こうして新品のときからはいてみると、新しい始まりの予感がしてくる。

 新しい始まりには、いろいろある。

 新品のノートとか、新しいカバンとか。

 リーバイス501からの始まりもある。

 ずーっと、忘れていたけれど。

 新品だと、すぐわかるのもいい。なかなか色もあせてこないし。

 そこそこに長い旅も感じる。



「部屋の中の、部屋ギター」 2009/6/28 

 実家に置いてある、YAMAHA FG600のギターを二日ほど弾いた。

 だんだんと音の特徴も思い出して、それなりに良いサウンドで鳴らせるようにもなった。

 もし、このギターをライブで使うとしたら、いろいろと弾き方を変えねばならないともわかる。

 微妙な各弦の力入れぐあいも変わる。

 そして今、また東京のアバートに戻り、Guildのギターを弾くのだ。

 もうずっと今はGuildのギターを毎日弾いているので、微妙なニュアンスまで、Guildは表現してくれるのが実感としてわかる。

 今は、僕のギター魂が、あのGuildとつながっているのだ。

 また東京での日々が待っているが、部屋ギターにはいつくものドアがあるように思う。

 部屋の中の部屋がある。

 僕はそのギターの部屋で生活をしているのだ。


「長いサイクルの間には」'09.6/26

 先日観たライブでのこと。

 まだ若いシンガーが、とてもうまくギターを弾き、

 とてもうまく歌っていた。

 僕の知る限りの少し時代の去った感覚で。

 その人は、どこでその感覚を得たのであろうか。。

 そんなことを思いながら、ふと、あることに気が付いた。

 日本であったら、弾き語りフォークブームから、もう40年ほどたった。

 40年。。

 40年もあったなら、ひとサイクル巡るのではないかと。

 (これは遺伝子レベルの話ではあるが ・・・??)

 最初から、ギターがそれなりに弾けたり、

 最初から、歌がそれなりに作れたり、、

 歌の展開が自然に身についていたり、、

 そういうことはきっとあるだろう。

 長いサイクルの間には。。

 はじめにはじめたひと。

 はじめにはじめたひとをみてはじめたひと。 

 はじめからはじめたひとのはじめにあったひと。

 話がむずかしくなりました。


「字幕付ミュージックビデオ」'09.6/24

 もう少ししたら、大好きなシンガー日本版ミュージックビデオが出る。

 外国のシンガーであり、もちろん英語であるが、日本版では字幕付きとなっているのだ。

 日本版のミュージックビデオはなぜか、トークの部分だけが字幕になっていることが多い。

 歌のときは、訳詞が出ないことがほとんどだった。

 しかし、今回は期待している。「日本語字幕付」とクレジットに堂々と書かれているし。。

 ・・・・・・・

 人によっては、字幕があろうがなかろうが、そんなに気にならない人もいるかもしけないが、

 僕にしてみたら、ほんとに大きなちがいだ。

 最近のミュージックテレビ番組では、ほとんど訳の字幕が出ている。それがないようなものだろう。

 字幕がなくても、それなりに楽しめるのだけれど、やっぱり訳が出る方がいい。

 今持っているミュージックビデオで一番多く観たのは、サイモン&ガーファンクルのセントラルパークコンサートだ。

 この日本版のビデオでは、歌の訳の字幕が出るのだ。

 ボブ・デイランのハードレインのライブを日本のテレビで放送したときも訳の字幕が出ていた。

 よく知っている歌であっても、字幕付きで観るとかなり伝わり方が変わる。

 伝わり方に実感があるというのかな。

 かなりリアルに歌を感じることができる。

 そして、歌の構成もよくわかる。

 歌のちょっとした"しぐさ"も見えてくる。

 ぜひ、歌の字幕付きであることを願っている。


「夏GIFT」'09.6/22

 二ヶ月に一度、ライブを続けている。

 6/11の次は、8/31になった。

 8/31のライブのときには、もう夏も終わりかけているだろう。

 これから7月が来て8月が来る。

 確実に暑い日々がきているだろう。

 まるで、ギフトのように。

 6月のチケットと8月のチケットの間にあるのは、夏。

 ほんとに今年の夏を乗り越えて行けているだろうか。

 それはわからない。

 半袖シャツの日々の始まりと終わりがあるだろう。

 チケットとチケットの間に。


「昔ばなしの家」'09.6/19

 下町を歩いていて、不思議な家に出会った。

 家の玄関に、いろんなものが大事そうに置かれているのだ。

 いんなものと言うより、いろんな生き物の置物かな。

 生き物だけではないな、古い看板や、珍しいもの。

 雑然と並べられているわけではなくて、愛情を持って並べられていた。

 しかしまあ、家の前を通れば妙な感じではある。

 いろいろと時間をつぶし、またふとその家の前を通ろうとしたとき、

 一匹の猫が、玄関の前で座って待っていた。

 その景色ときたら、ほんとに猫がしゃべり出しそうであった。

 そして、ひとつの昔ばなしの始まりのようでもあった。

 日本の昔ばなしに出てくる、いろんな動物や、人たち、

 同じように動物も話もするし、同じように人も話をする。

 そこに生まれてくるストーリー。

 そんな昔ばなしのストーリーは、今はあまり生まれないのではないか、

 しかし、あの家の前に座る猫は、今にもしゃべり出しそうだし、

 ストーリーもまた、そこで話し出しそうだ


「大げさな歌をおそれるな」'09.6/17

 先日、妖怪のようなシンガーを観た。

 と、いうのは表現がかなり可笑しいが。。

 次に歌う人は、かなり歌いづらそうであった。

 しかし、僕ならこんなこんなふうに思ってみる。

 ・・・・・・

 もし、大きな空が、何か絵を描いたとしよう。

 普通の画用紙に、かたつむりの絵かなんかを。

 「これが、あの大きな空さんの描いた絵ですか?」

 と、言う人もいるだろうが、

 その絵の大きさを示す基準はないんだ。

 そのかたつむりの絵は、大きな地球ともつながっているであろう。

 ・・・・・・

 だから、大げさな歌をおそれることなんてないんだ。

 自分の歌が小さいなんて思うこともこれっぽっちもない。

 昔ばなしを語る人を思い出そうよ。

 楽器も映像もないけれど、

 そこには人や風景や時間や季節全部がある。


「マーチンとギルド」'09.6/15

 先日観たライブで、面白いシーンがあった。

 マーチンギターを弾いているシンガーが、

 チューニングを変えたギターとして、お店のギルドギターを予備に置いてライブをやったのだ。

 マーチンギターは、さすがにそれなりの音を出していた。奥の深い音。

 そしてその後ろで、出番を待っているギルドギター。

 このギルドギターはギブソンギターというケースはよくある気がするが、

 ギルドというところが新鮮で良かった。

 マーチンギターは、どんな奏法にも対応して、みごとなサウンドを作っていた。

 ここまで完璧な音を作られて、その後で登場するギルドギターは、

 さてどんな音に感じるであろうか。。やがてはその時が来た。

 そのギルドはギルドの中でも高級器種に入るので、豪華な音がするはずだ。

 ギルドをひと弾きしたとたん、マーチンとはまるちがう響きが会場を包んだ。

 派手で、新鮮で、あふれる感じのサウンド。

 その音を聞いていると、マーチンでは出せないサウンドであることがよくわかる。

 マーチンも素晴らしいけれど、そのマーチンでは出せない音がギルドにはあった。

 そのマーチンには出せない音が、歌を新鮮な響きの世界に変換させていた。

 それは歌に驚きを持たせることになり、ギター一本でありながらも、

 まるでバンドサウンドに包まれたようでもあった。

 マーチンギターは、さすがな音であった。

 比べることはまるでできない。

 ギルドギターはメーカーの大きさではマーチンには勝てないが、

 マーチンには出せないサウンドがあった。

 それでこそ、良い。


「歌を伝える」'09.6/13

 先日のライブで、自分としたら良いことがあった。

 何度歌っても何度歌っても、うまく伝えられなかった歌が、

 先日は、それなりに伝わった気がしたのだ。

 そのとおり、その歌が良かったと、何人かに言われて嬉しかった。

 いままで、どう歌い方が変わったかと言えば、少しスローに歌ったくらいか。

 なぜ、いつも伝わらないのか不思議だった。

 せいいっぱい伝えようと思っていたのだが、、

 物語を伝えることはできたけれど、そこまでだった気がするな。

 今回は、歌のストーリーに一緒についている感情の流れをつかみながら歌ってみた。

 少しゆっくりと。

 すると、別のストーリー浮かびあがってきて、歌シンプルになった気がした。

 どちらの歌も、物語というより、心の声の流れなんだよね。

 考えてみれば、場面はみっつくらいしかなかった。

 そこに気が付かなかった。

 ストーリーは感情の方にあったのだ。

 あたふたしてて、そこに気が付かなかった。


「吉野家・ハムエッグ牛小鉢」'09.6/11

 吉野家に一年ほど前から、朝定食に

 「ハムエッグ牛小鉢定食」がある。

 これがなかなか傑作だ。いくもの楽しみがある。

 まず、お醤油をつけた焼き海苔を、ご飯に乗せて、

 くるっと、ご飯を巻きながら食べる。

 それが「お醤油、海苔巻き丼」

 そして全部巻いて食べたなら、次はハムエッグをご飯にひっくり返してのせる。

 なんとなく、景色が悪いので、紅しょうがかなんかを添えて。

 それが「ハムエッグ丼」

 まずはハムの方から食べてゆく。途中から半熟の玉子をしませる。

 これがツー。

 ひととおり食べたところで、ご飯が半分残る。

 そこに牛小鉢の牛と汁をかけて、

 これが「小盛牛丼」

 紅しょうがも添えてね。

 「ハムエッグ牛小鉢定食」はなかなか傑作だ。

 もちろんサラダにマヨネーズも付いている。

 これで450円。


「レナードのうた」'09.6/9

 一年の海外旅行から帰って来たのは'88年。

 頭の中は、いろんなことで混沌としていた。

 新曲も作っていたが、うまくまとまらなかった。

 そんなとき友人から「いいシンガーを見つけたよ」と、

 レナード・コーエンのテープを送ってくれた。

 僕はすぐにその歌と声に魅了された。

 もうアルバムを10枚出していて、そのどのアルバムも楽しんで聴いたものっだった。

 あの歌、この歌と、しっかりと夢中になった。

 中学時代は日本のフォーク、高校時代は洋楽とボブ・ディラン。

 東京に出てきてからは、友達のオリジナルソング。

 ずっと、良い歌を食べて暮らして来たように思う。

 歌とはまた別にサウンドにも夢中になった。

 旅から帰ってきては、民族音楽にのめりこんだ。

 その時期、約一年、ほとんど歌が作れなくなったとき、

 僕と歌につなぎとめたのは、レナード・コーエンとヴァン・モリソンだった。

 特に歌作りで、憧れ、夢中にしてくれたのはレナードのうた。

 そして一年ほどたってから、僕は爆発的(?)に歌を作り出した。

 それから10年ほどは、何も考えずに作り続けた。

 最近発売された、レナードのライブ盤を聞いていると、

 レナードに出会った時期のことをいろいろ思い出した。

 僕が歌が作れなくなった一年、

 そのとき夢中になった歌の数々。

 レナード、あんたに会えてよかったよ。


「スモールライブも聞いてみたい」'09.6/7

 先日買った、レナード・コーエンのライブ盤は、とても大きな会場でのライブであった。

 曲順や演奏を聞いていても、大きな会場がとても似合っている作りのアルバム。

 そして、聞いていて、こんなことを思った。

 50人くらいのライブ会場でのライブ盤も聞いてみたいなと。

 曲順や歌い方、盛り上がりかたもまたちがってくるだろう。

 それはそれで、とても身近でいいのになと思う。

 しかし、なかなかそれは実現しない。

 もったいないなと思う。

 レナード・コーエンの小さめのライブハウスでの音源も聞いてみたい。

 いや、レナードだけではない。いろんなアーティストの。

 200人、300人規模ではなくて、50人から70人規模のライブね。

 出てもいいのにな、なぜ、出ないのだろう。

 そんなアルバムは。。


「サウンド優先説」'09.6/5

 最近、音と映像について、考えている。

 まあ、卵が先か、にわとりが先かみたいな話。

 音を演奏するためにステージがあるのか?

 演奏するステージに音が付いているのか?

  ・・・・・

 こんな話を想像してみた。

 そのグループが、ステージで演奏を始めると、

 そのバックに「ドラゴン」が現れたという。

 さて、そのドラゴンは、何によって現れたのか?

 そのグループの演奏するステージのパワーによってか?

 それとも、そのグループの演奏するサウンドによってか?

 思うに、やっぱり、そのサウンドによって、ドラゴンが現れたのではないか。

 これが「サウンド優先説」。

 パフォーマンスによって、ドラゴンが現れたと思うのが、

 「パフォーマンス説」

 ・・・・・・

 最近、音と映像について、考えている。


「いつしか喫茶の似合わない人になった」'09.6/3

 60周年の古い喫茶に入った。

 ここには、数々の文人が来たのではないかと思えた。

 僕もまたここに座っているわけではあるけれど。。

 「青木タカオが来そうな喫茶店とか、言われないかな」と、話す。

 もう来ているのだけれど。。

 しかし僕も、喫茶店が似合わなくなったものだ。

 なんだか、日々、デジタルな生活を送っているので、

 アナログな空間にとけ込むには、無理が出てきているのだ。

 インターネットを始める前までは、僕も、喫茶店のよく似合う人だった。

 古い喫茶を訪ねてみたものだ。

 それを日々の楽しみにして。

 おれ、なんかさあ、、

 喫茶の似合わない人になった。。


「唄の宝」'09.6/1

 レナード・コーエンの2008年のライブ盤が発売された。

 二枚組。ライブ・イン・ロンドン。

 裏ジャケットの写真を見れば、相当に大きなコンサート会場である。

 聞いてみれば、レナードの代表曲から、最近のアルバムまでひととおりやっていた。

 レナードは1934年9月生まれなので、このツアーのとき、74歳か。

 74歳で、このパワーはすごいものだ。

 円熟期という言葉があるけれど、レナードの場合は、曲目が豊かになり、

 ますます円熟期という表現がぴったりだ。

 レナード・コーエンのライブ盤は、そのときどきで出ているが、

 アレンジはかなり似ていて、

 前回のライブ盤と比べて違うところと言えば、

 数枚のアルバムからの楽曲が増えたところだ。

 大事に大事にそれらの唄をうたうレナード。

 二枚組のライブアルバムが、そのぶん豊かになっているのがよくわかる。

 レナードのライブ盤は、ますます円熟期になってゆくようだ。

 唄の宝がどんどん増えているようだ。


「リズムがくるう」'09.5/30

 新譜で予約注文したアルバムが、通販で二日後の夕方に届いた。

 それに怒りを持っているわけではないのだが、、。

 だいたい新譜というのは、当日に並べるわけで、お店には前日には届いているものだ。

  だからまあ、発売当日の夜にでも、届くかなぁと思って、こっちもすっかりそのつもりでいた。

 アルバムを聴きながら、いろんな作業をしようと思ったのだ。

 しかし届いたのは、二日後の夕方。それまで、落ち着かなくてほとんど何も出来なかった。

 予定がくるってしまったのだ。

 すっかりこちらは、準備オッケーだったのだ。

 新譜が出る日というのは、この長い人生の中で何十回もあった。

 もちろん発売当日にレコード屋に行って買い、部屋で耳をこらして聴いたものだ。

 新譜というのは、そういうものなんだよね。

 たとえば、ニューアルバム発売記念ライブなら、そういうものだと思って準備するわけだよね。

 それが一日、二日とずれると、その間の気持ちのテンションはどうしたらいいのか。

 大人げないといえば、それまでだが。

 こちらは、いろいろ予定を組んでいるわけね。

 それを聴きながら、何かをしようとか、出かけようとか。

 やっぱり、新譜はお店で買うのが一番だな。


「外国のミュージックビデオ」'09.5/28

 外国の大好きなミュージシャンのライブアルバムが出たので、早速注文した。

 しかし、ひと月後には、そのライブがDVDでも発売されることがわかった。

 ああ、ライブならDVDでも良かったかな。

 国内盤のDVDは、4700円くらいして、外国製は2700円ほどで買える。

 まあ、リージョンの問題もあるので、必然的に国内盤になるのだが、

 それにしても値段の差がある。

 国内盤のDVDが、歌詞の字幕付きだったら、最高なのだけれど、

 なかなか、そういう事はない。

 なぜだろうと思うんだな。

 すべての海外映画は、字幕付きでビデオ化されているのに、

 ミョージックビデオだけはいつまでたっても、字幕(訳詞)が付かない。

 僕はひとつだけ、字幕(訳詞)付きのミュージックビデオを持っているが、

 それは何度観ても、実に新鮮だ。新しい発見も多い。

 なにしろわかりやすいからね。

 僕は大好き。と、言っても、一本しか持っていないけれど、

 歌詞になってなくてもいいんだ。内容がわかれば、

 外国のミュージックビデオには字幕(対訳)がつかない。

 なせだ??? 誰が決めたの?

 対訳を同時に楽しめる、あのリアルな良さ。

 素晴らしいのだけどな。


「角の先生」'09.5/26

 朝、仕事先の駅を降りて、

 そのまま歩いてゆくと近くに中学校と高校がある。

 もう20年ほど、そこを通っているが、最近、ある変化が起きた。

 学校の手前、50メーターのところに先生が立ち、

 登校する生徒に「おはよう」と声をかけているのだ。

 ひっきりなしに。

 その場所を通るのは、学生だけだけではない。

 俺はちがうよ。

 ちがうのに、その場所を通る。

 とっても、嫌な気分だ。

 学生の頃の嫌な気分が戻ってくる。

 きっと、その先生より僕の方が年上であろう。

 もう中学校は卒業したよ。高校もとっくに卒業したよ。

 やめようよ。これは。

 たしかに、その道は学校の通学路ではあるけれど、

 広い世界ともつながっているんだ。

 道は自由でなくちゃ。


「窓のじいさん」'09.5/24

 窓のじいさんがチェロを弾く
 8番街の古通り 
 50年前ポーランドから、ニューヨークに流れ着いたひとり
 窓のじいさんは腕がうまく動かない
 思うように弓があつかえない
 窓のじいさんは、しわくちゃ顔で
 僕らにチェロを弾くよ

 窓のじいさんが見回している
 8番街を通る車
 川まで連れてってくれないかと
 マリーと会った思い出の樹まで
 窓のじいさんは短すぎる衣装で
 ビクトリア時代のダンスを弾くよ
 でも窓のじいさんは、いつしか眠る
 素晴らしかった時代を夢み

 窓のじいさんには自慢がある
 夢のような農場にいた頃を
 妹やいとこと橋で待ち合わせ
 木の古橋を踊り渡ったこと
 窓のじいさんはベストを尽くし弾くよ
 ニューヨークフィルを目指してね
 でも、窓のじいさんは、誰の目にも と ま ら な い
 まるで窓にある 置 き 物 の よ う に

 窓のじいさんがチェロを弾く
 8番街の古通り 
 50年前ポーランドから、ニューヨークに流れ着いたひとり
 窓のじいさんは腕がうまく動かない
 思うように弓があつかえない
 窓のじいさんは、しわくちゃ顔で
 僕らにチェロを弾くよ

 ・・・・・・・・・

 これはシンガーのSAMMY WALKERの唄った、

 「THE OLD MAN IN THE WINDOW」を、

 僕なり訳し、ライブで歌っているものです。

 実際のところはわからないが、たぶん本当のことであろう。

 この歌を訳し、唄い始めたのは三年ほど前で、

 最初は何も考えずに、ひとつのストーリーとして歌っていた。

 でも、あるときから、ひとつの寂しい歌のような気がして、

 思いを込めて唄うには、ひとつ気持ちが強くなれなくなってしまった。

 原曲のSAMMY WALKERの方は淡々として唄われていて、感情が前面に出ていなく、

 すごくわかりやすく、さらっとした絵巻のようである。

 でも僕はつい歌に感情を込めがちになってしまい、寂しい歌に仕上げてしまう。

 そんなつもりはないのだけれど、、。

 先日のライブで唄い、その映像を自分で見ていたとき、

 この歌に、もうひとつの意味合いを見つけることが出来た。

 窓のじいさんを含めた、ひとつの大きな物語として。

 すると、すっと気持ちも楽になった。

 この次のテイクからそれは伝わるだろう。

 歌全体の流れも、唄い方も少し変わる。

 それは、ほんのひとつだけ、言葉をゆっくり唄う位置を変えるだけ、

 ほんのひとつだけ。


「考えてもいないこと」'09.5/22

 自分の歌をうたうとき、

 その歌のことを表現することで、僕はいつも精一杯。

 僕は魔法使いではないけれど、魔法使いのようなことをするわけだ。

 映写機もフィルムもなく、スクリーンもなく、

 それでも短編映画のようなものを上映。

 登場人物、そして風景、季節、時間。

 それを伝えるだけでも、精一杯。

 それは一曲一曲で、全部ちがっている。

 まあ、それでも楽しんで歌っている。

 そして、それ以上のことは、まるで考えていない。

 というか、考える余裕がない。

 でもさあ、これって、中華屋で毎回同じ料理を作るのに、

 精一杯の人と似ていないか。

 テーブルのお客さんが言う。

 「おい、あのコック、必死で作ってないか??」

 「ほんとだ、必死そうだね」

 いやいや、今日のエッセイのテーマはそこにあるんじゃない。

 なんかさ、余裕のある人っているよね。

 それなりの美味しい歌を出す、コックさんのような。

 お店をかまえて。

 僕なんか、いつも必死のコックさん。。


「三人コーラス」'09.5/20

 サイモン&ガーファンクルの1969年のライブアルバムを買った。

 大きな会場で、バンド演奏もあるものの、

 ほぼギター一本と、二人のコーラスのみである。

 ポール・サイモンの弾くギターは、フィンガーピッキングが主であるけれど、

 合間合間に強く弾らしたりして、まるで生き物のようだ。

 一曲一曲が終わると、大きな拍手が起こるが、ほんとそれは、

 ポールとガーファンクルのコーラス、そしてそれにからむギターの送ってであろう。

 大きな会場の中で、それは三人グループのようだ。

 三人コーラスのステージのような。。

 伴奏楽器という存在ではなくて。。

 僕には、サイモン&ガーファンクル&ギターに聞こえる。


「ギルド馬鹿」'09.5/18

 大きめのマニアックなCDショップに寄ってみた。

 その店では、過去の名作などの再発CDなどを大きく扱っていた。

 ふと、ギルドのギターを抱えて、野原に座っている人のジャケットが目に入った。

 「うわっ、ギルドだ」

 その人のことはまるで知らなかったが、迷わずレジに持っていった。

 その帰り、たまたま携帯CDプレーヤーを持っていたので、そのアルバムを聴くことが出来た。

 普通にアコースティックアメリカンロックのアルバムであったが、

 どの曲も大きくギターが前面に出ていた。

 うんうん、うんうん。

 そんなふうにうなずきながら、ギルドギターの音を聞いているわけだけれど、

 その音楽は、僕の好みからは、かなり遠い。

 それでも、聴けちゃうんだよね。ギルドの音だと思うと。

 これは、僕の頭の感覚が変だぞ。

 次の日に届いた、サイモン&ガーファンクルのライブアルバムも、

 ギターがギルドであった。

 うんうん、なるほどなるほど。

 幸せの気分でいっぱいである。

 僕は恋でもしているのかな。

 ギルドギターに。


「T.A君の50歳の誕生日に訪ねると」'09.5/16

 親愛なる、T.A君の50歳の誕生日に訪ねると、

 部屋がきれいに片付けられていた。

 「おぅ、きれいだね」

 聞けば、いろんなものをもうきちんと整理したという。

 かって撮ったライブビデオのデジタル化も終わったという。

 音源のCD-R化も終わったという。

 もうこれからは創作にがんばるという。

 丸テーブルの横には、ギターが置かれ、

 テーブルには、創作ノートが見えていた。

 「奥の部屋を見て下さいよ」とT.A君は言う。

 奥の部屋の本棚にきれいに整理されていて、いつでも取り出し可能になっていた。

 「すごいねー」

 「もう借金もないんだよ」「えーっ」

 T.A君は、創作に全力を傾けるという。毎年CDも作りたいという。

 8mmビデオテープのデジタル化の苦労話は、涙ものであった。

 僕自身、こんなに感動したのは初めてだった。

 これからのT.A君に、とても期待している。


「アイガトゴザイマス マタオネガイシマス」'09.5/14

 仕事帰り、いつも寄る中華屋に向かえば、あいにく休みであった。

 商店街の先の方を眺めれば、半年ほど前にオープンした大きな中華屋が見えていた。

 店前まで行けば、定食メニューの写真付きのメニューの看板が出ていた。

 おすすめメニューとあるけれど、、それ、おれ、初めてみる食べ物だよ。

 (これも、これも、、まあ、いいっか、入ろ)

 中に入れば、広いお店。下町の小さな中華屋の三倍。

 お客は、僕一人であるけれど。。

 人の良さそうな奥さんが、メニューを持って来てくれた。

 「テイショクー、アリマスー」

 出された定食のメニューにはいろいろ書いてあるんだけれど、

 文字ばっかりで、よくわかんないなー。これはわかるよ。

 「麻婆豆腐定食ください」

 待っている間、一品メニュー等いろいろ見たが、どれも実に美味しそうであった。

 一品メニューも、30種ほどあった。その半分は知らないものであった。

 (写真があればなー)

 お店は中国の店という感じであった。広くてね。実際、中国に行ったとき、こんなお店によく入った。

 ぶおん、ぶおん、ぶおん、ぶおん、ぶおん、

 (何の音だろ・・?)、ふと見れば、黒い招き猫の手が揺れている音であった。

 なんと、なつかしい。まるで、柱時計の音のようだ。静かで広いお店にそれは響いていた。

 やがて、麻婆豆腐定食が出てきた。680円ではあるけれど、本格的で、けっこう辛かった。

 ・・・そっか、四川料理なのかな。

 僕は水を何杯も飲んだ。スープも付いていたが、そのスープも初めて飲む、美味しいスープであった。

 一緒に出てきた、もやしの一品も、今まで食べたことのない味であった。そして美味い。

 こんなに美味いのになぁ。この夕飯時に、お客は僕一人だものなぁ。

 もっともっと人気が出てもいいのに。メニューとか、写真付けるといいのになぁ。

 こんなに大きなお店だし、、ほんとはもっともっと人が入らないとな。

 麻婆豆腐定食を、たいらげて、お代を払い、さて出ようかなとすると、、

 厨房から、丸刈りの旦那さん(?)、出てきて、僕に、

 「カラクナカッタデスカ? 」「いや、だいじょぶ」

 「アイガトゴザイマス マタオネガイシマス」

 お店の外に出ても、ご主人は見送ってくれた。

 「アイガトゴザイマス マタオネガイシマス」

 その言葉は、しっかりと僕のこころに届いた。

 ぽわーっと、あたたかく、おなかに、

 いつまでも、のこってる。

 歩いても歩いても。


「たぶん僕が名手だったら」'09.5/12

 先日、卓球の世界大会を観た。

 みんなすごいスピードとスマッシュであった。

 もし僕が、卓球の世界大会に出るような選手になっていたとしたら、

 まちがいなく、ふにゃふにゃなフォームの選手になっていただろう。

 力なんてあまり使わない。相手のパワーを利用する卓球になるだろう。

 もし僕が江戸の頃の剣の名手になっていたとしたら、

 これもまちがいなく、ふにゃふにゃな剣術を開発していただろう。

 力を使わず、相手のパワーを利用するのだ。

 受け身の剣となるだろう。

 なるべく、力技というものを使いたくないのだ。

 歌にしても、力技で、ものを伝えたくはない。

 だから、きっと「ROCK」という表現にはなかなかいかないと思うんだな。

 小学校の頃から、剣の達人になったなら、

 ふにゃふにゃな剣術を使おうと思っていた。

 僕はそういうタイプだとわかっている。


「レコードが言った」'09.5/10

 友人のライブを観ていたら、

 もうずいぶんとレコードを聞いていないことをわかった。

 そして、頭の中でこんな映像が浮かんだ。

 聞き慣れたレコードのLPジャケットが、こう言うのだ。

 「俺だって友達じゃないか・・」

 そうなんだよ。。

 LPレコードは紙のジャケットであり、使いこめば、それなりに汚れてくる。

 レコード自身だって、大事に扱っても、傷などはついてくるものだ。

 10代から30代。基本的にレコードは、その歌っている本人の歌や演奏を聞くためのものだった。

 しかしよく考えてみれば、なんだかレコードは、紙りの手触りもあり、

 一枚一枚が、やって来た友達のようではなかったか。

 部屋の棚の上にあるレコード。その歌っている本人に会うためにひっぱり出したりするけれど、

 なんだか、レコード自身にも再会するようではないか。

 若い頃、悩んでいた頃、よく聞いたレコードがある。

 そのレコードたちが、友達じゃないかと言っていた。


「こんな嬉しさ、こんながっかり」'09.5/7

 10年から25年ほど前のビデオテープを今、デジタル化している。

 テープの劣化というものもあるけれど、ドロップアウトと呼ばれる、

 音声や映像が一瞬飛ぶときがある。

 ダビングしているとき、これが出るとほんとがっかりする。

 何回か再生する直るときも多いのだが、、。

 逆に、音飛び、映像の飛びがひとつもないままで、ライブがデジタル化できるときもある。

 約45分間。よくがっばったものだ。もう一度、再生したら、またどこかにノイズが出る可能性は高い。

 古いテープがノイズなくデジタル化できたときは、ほんとに嬉しい。

 今のところ、ブルーレイディスクにも最終保存しているので、

 当分の間は、そのままで残すことができるだろう。ノイズに苦しめられることなく。

 ライブをダビングしていて、ノイズなく終わったときは、ホントに嬉しい。

 ノイズが出てしまったときは、がっかり感も大きい。

 どちらにしろ、ずっとダビング中は、モニター画面を見ている。

 トイレに行かない。何も出来ない。ずっとモニター画面に集中している。

 最高に嬉しいときもあるし、ほんとがっかりするときもある。

 ノイズなく残したいが、、そうはいつもうまく行かない。


「応援」'09.5/5

 世界卓球で準決勝の試合を見た。

 ダブルスで日本人男子が、出ていた。

 10何年か振りの準決勝だという。相手は中国の選手。

 先日の力のこもった試合のときも、テレビを観ながら応援したが、

 今回は、それ以上に応援するつもりでいた。

 日本にとっても、かんじんな試合だ。

 1セット、2セット目までは、対等な試合運びであったが、

 それ以降は、打たれまくっていた。

 まるで、中国の選手は精密機械のようでもあった。

 返しても返しても、打たれる球。

 日本の選手は、ファイトいっぱいで戦っているわけではあるが、

 なぜか、大きな声が出ない。それはそれで、必死な戦い。

 応援している僕にも、声が出てこない。

 ただ打たれまくっているのを見ているだけであった。

 不思議だったな。まるで、日本の選手の気持ちそのままになったようだった。

 まあ、あの試合運びであったら、沈着冷静に一本一本とってゆくしかない。

 そして、何か挽回の運気が巡ってくるのを待つ感じであろう。

 でもさあ、あれ、10何年振りかの、ダブルスの準決勝だったんだぜ。

 でも結局、選手と同じ気持ちになってしまうだよね。


「歌の役どころ」'09.5/3

 10年ほど前の、ライブビデオを編集していると、いろいろ発見がある。

 歌の役どころを感じるというか。。

 二曲目に唄われる歌。一曲目に唄われる歌。三曲目に唄われる歌。

 それぞれが、空間をよくつかんでいるときがあるのだ。

 10年もたつと、それぞれの歌の役どころも変わってくる。

 そのときは、それぞれの歌が働き盛りだったのだろう。

 ・・・・・・

 中学時代、卓球をやっていた。僕らの学校はとても強かった。

 団体戦は五組で戦う。一番手はプレッシャーに強く、確実に勝つ選手。

 二番手は、調子の良い選手が多かったかな。それぞれの役どころがあった。

 ・・・・・・

 ひとつのライブをするとき、歌っている本人も、

 聞いているみんなも、ずっと集中するということは難しいだろう。

 一曲目なんて、僕の場合はたいがい失敗する。

 そのこともわかった上で、一曲目を選ぶ。

 後半にじっくり聞いてもらいたいストーリーソングがあるときは、

 その前に、軽い息抜き歌を入れる。唄う側も聞く側も、それが楽だからだ。

 その同じ歌をメインで歌うときもある。

 以前はメインで歌っていたというときもある。

 僕が思うに、歌の中にすっとひきこみ、集中して聞いてもらうのは、

 連続で5分か6分が限度だ。それは健康にも良い。

 人はずっとは集中はできない。

 ・・・・・・・

 10年ほど前のライブビデオを観ていると、

 それぞれの歌の役どころが、よく見えてくる。

 一曲目のインパクト。うきうきする感じの空間のつかまえ。

 すっと歌に入って、いつしかその歌の世界に入ってゆく二曲目の空間のつかまえ。

 気分を変える意味でも、可笑しみある三曲目の空間のつかまえ。

 10年前は、それぞれの歌が、それぞれの役どころにぴったりとはまっているのがわかる。

 今では、同じ歌を、同じ役どころで唄うことが少ない。

 メインで歌っていた頃の同じ歌は、ぐっと今より空間をつかんでいる。

 ビデオでは、それが、よくわかる。


「午後二時頃の俺」'09.5/1

 連休中にいろんな計画を立てたけれど、

 その10分の1も実現されていはいない。

 そして、今日にはまた仕事に出かける。

 明日からはばっちりやろうといつも思う。

 午後2時頃の俺は、相当にやる気で燃えている。

 帰ったら、あれこれやろうと心に堅く誓う。

 しかし、部屋に戻るとふわ〜となってしまう。

 やろうと思っていたことの、3分の1もできない。

 午後2時頃の俺は素晴らしいんだけどなぁ。

 午後8時すぎの俺はだめだめだ。

 これは、何か深い関係があるのではないか。

 午後2時頃も、普通にしていようかな。


「阿修羅展」'09.4/29

 上野の国立博物館に「阿修羅展」を観に行った。

 以前、奈良の興福寺で観たときは、ガラスケースの中であったが、

 今回はガラスケースはなく、360度くるりと観れるということで楽しみであった。

 連休前なので、大変な混みよう。ただ阿修羅像のコーナーでは、大きな一部屋を使っており、

 360度まるく像をみんなが取り囲むようにしてあるので、たいへん良く観ることができた。

 ガラスケースもなく観る阿修羅像は、約1300年のときの流れを感じさせてくれた。

 国宝になったのは1900年に入ってからで、それまでは有名で大事なものであったのだろう。

 約1300年もの間、よく、この姿で残っていたものだ。まず、それが素晴らしい。

 以前にも思ったが、戦いの神でありながら、下半身のたよりなさがなんとも味がある。

 ・・・・・・

 三列ほど、阿修羅像の回りを円にしてとり囲みながら、観ていると、

 僕の耳元で、ひとりのおじさんが連れの人にこう言った。

 「ほら、鎧を着ていないよ・・」

 そうか、、八部集の他のみんなも、一緒に観てきたが、そういえば鎧を着ていた。

 これは気が付かなかった。戦いの神でもあるのに、鎧を着ていない阿修羅像。

 こんな大事なことを、なぜ教えてくれないのであろう。肝心な肝心なところだ。

 シンプルで大事なこと。なぜ、教えてくれぬ。

 ・・・・・

 今回、阿修羅像は、1Mほどの台の上に乗っていて、

 近くに行くとまるで、コンサートのシンガーを観ているようである。

 なんだかね、僕には、阿修羅像と重なるようにして、

 ギターを持ったボブ・ディランの姿が見えていた。

 いつか、ずーっとたった、いつか、

 ギターを持ったボブ・ディランの像を、博物館で観る日も来るだろうか。

 そんなことを、思っていた。


「その人から教わった、人生でかなり大事なこと」'09.4/27

 何ヶ月かに一度会う、おばあさんと呼ぶには、もう少し若い人。

 あるとき訪ねると、首にギブスをしていた。

 きけば、「屋根から落ちてしまった」のだという。

 まあ、なにより無事で良かった。

 その人は僕にこう言った。

 「誰も信じてくれないけれど、確かに誰かに押されたのよ」

 「突風でも吹いたんじゃないですか・・」

 「確かに、押されたのよ・・」

 うーん、そんなことってあるかなと思うけれど、

 いろんな意味で、それはあるかなと思う。

 突風や、重力や、バランスの関係や、科学的に見地で。。

 僕は信じている。そういうことってあると。

 外仕事をしていると、かなり危ないところにも行く。

 そんなとき、僕は念には念を入れるようになった。

 ぜったいに大丈夫と思えても。


「僕の中でつりあっているもの」'09.4/25

 DVDなどの映像編集をしていると、

 サムネイル表示というものがある。

 サムネイルとは、その映像を表すワンシーンの映像のこと。

 僕は自分自身のサムネイルを思うとき、ひとつのシーンが浮かぶ。

 それは中学二年のとき。

 故郷は新潟なので、冬はいつも雪が降っていた。

 その頃、フォークギターブームということもあり、

 僕も友達もこぞってフォークギターを買った。

 大通りの学校の帰り道。

 通りの向こうの歩道を友達が、ソフトケースに入れたギターを持って歩いていた。

 着ているコートと、ギターのソフトケースの色で、友達だとわかる。

 お互いに誰かはわかった。ギター友達である彼。

 友達は、挨拶の代わりに、ギターを上にかかげてくれた。

 思えば、そのギターは僕が、このギターがいいよ、と、すすめたギターであった。

 他の友達にも雪の降る学校の帰り道に出会った。

 その友達もギターを持っていた。そのギターも僕がすすめたギターであった。

 あいさつはギターをかかげた。雪の降る中で話。

 そのときコートの内側で僕が思っていた事。僕の未来の夢。

 僕には、そのときのことが、何度も何度も印象的に想い出される。

 何かやろうとするとき、仕事がハードだったりするとき。

 自分が誰だったかなんて、忘れることはない。

 僕のサムネイルのシーンは、そこになっている。

 どこにいても、どこにいても。


「日々旅にして、旅を住処とす」'09.4/23

 日本中を旅して回った人は多い。

 小さい頃、松尾芭蕉の旅の話などを聞いていて、自分も将来、

 そんなふうに日本中を回る旅をするのではないかと思っていた。

 それまでの生活があったとしても。

 何かを求めて。

 日本地図を作ったという伊能忠敬は、長い年月をかけて、

 日本中を歩いて測量してのは有名な話だ。

 そんな旅もある。

 今、僕は、この約30年ほど撮りためた映像をデジタル化している。

 これがもう、想像を越えて気が遠くなる作業だ。

 それでも、もうさすがに時期が来ていて、腰を上げたところ。

 ふと、僕は思った。小さい頃、旅に出ると思っていたのは、

 このことか?、、と。

 まるで高円寺の伊能忠敬のように。。

 そのうち、旅人の顔になってゆくのだろう。


「ちょっとへこんでしまったギターのネック」'09.4/21

 夜中に、ふと足下でギターがふれてしまった。

 あっ!!

 ガッチャーン!! と、暗闇の中、茶碗が割れた音がした。

 もしやー、まさかー、どうだろうー、うわーっ

 明かりを付けて、ギターを見てみると、

 こともあろうににネックに傷がついていた。

 茶碗の縁に、ちょうど当たって、1センチほどではあるが、

 線状に少しへこんでしまった。

 ネックに傷をつけるなんて、ギター弾きとして、こんなに哀しいことはない。

 すぐさま、僕は、つばをつけてなぜてみた。

 そんなことをしても、戻るわけではないのだけれど。。

 まあ、しかし、これだけの傷で済んだのはラッキーだったかもしれない。

 茶碗は二つも割れた。もっと、大きくへこんでもおかしくなかった。

 茶碗はもうどうやっても、元にはもどらないが、

 ギターのネックの1センチの傷のへこみは、なんとかならないものだろうか。

 毎日、少し水分をつけてみる。そしてなぜてみる。

 へこんでしまった木の繊維は、ちょっとでも元に戻ろうとはしないのだろうか、

 木自身の自然治癒力で。

 長い時間がかかってもいいから。

 僕はかすかな期待を持っている。


「ちゃん、ちゃ、ちゃーん、ちゃちゃ」'09.4/19

 先日、聞きに行ったライブで思ったこと。

 その人は、なかなかのボーカリストではあったが、

 次の曲も次の曲も、おなじギターのリズムであった。

 少しゆっくりにしてみたり、少し早くしてみたり。

 唄い方もほぼ同じであった。

 メロディーの印象も同じであった。

 ギターには、強弱がほとんどなかった。

 世の中には、こんなに音楽があふれているのに、

 それはあまり生かされてはいなかった。

 僕がギターで歌を作り出したときも、そうだったであろう。

 今から40年前も現代も、変わらないんだな。

 もうちょっとなんとかなってもいいだろうとおもうけれど、

 そのもうちょっとがなんとかならないままのひともいるのだな。

 なあ、そんなに期待はしていないのだけれど、

 そのギターストロークだけは、なんとかして欲しい。

 ちゃん、ちゃ、ちゃーん、ちゃちゃ

 ちゃん、ちゃ、ちゃーん、ちゃちゃ


「三時間」'09.4/17

 昨夜は、遅くまで起きていて、三時間で起きなくてはいけなくなった。

 それでも、三時間もあればと思えて、ぐっすり眠った。

 僕は長いこと、4時間から5時間睡眠で暮らしてきた、

 しかし、年齢のせいか、それも厳しくなった。

 「人は3時間も眠れば、実は充分なんだよ」

 そんな考えが僕の中にはずっとあった。

 あれは中学のときだった。

 担当になった先生は、もう定年も近い年齢であったが、

 一日3時間しか眠っていないと常に言っていた。

 その通り、その先生が眠そうにしている様子はまるでなかった。

 (そうか、そうなのか、、ソウナンダナ・・)

 僕の中で、そのとき、「人は3時間の睡眠で充分」と、強く信じた。

 そう信じたおかけで、僕は、ずっと、4時間から5時間の睡眠でやって来た。

 3時間よりは長いだろうと。。

 先生は、今の僕よりは15歳は年上であろう。

 もっと疲れやすいにちがいない。それなのに、ずっと3時間だなんて。。

 あれは、すごかった人なんじゃないか、、。

 僕はやっと、この年で気が付いた。


「幻体」'09.4/15

 大変に疲れていたせいか、昨夜は早く眠ってしまった。

 夜中に一度起きて、またうとうとと眠りついた。

 すると、布団の中に犬か猫かわからないものが入ってきた。

 その尻尾が、布団から出て、僕の頬に当たった。

 うわっ、、。どーしようかな。。

 それももうリアルそのものであったが、

 しかし、戸締まりのちゃんとしてあるので、夢かもという気持ちもあった。

 それにしては、毛並みみたいなものもあるし、、ほんとかな、夢かな、、

 結局、やがてはすっと形が消えて、目も開いた。

 ときどき、こんなリアルな経験をするけれど、

 幻聴、幻覚という言葉はあるけれど、これに関しては言葉がない。

 幻体か、、?

 そうだそうだ、その夢の後に、僕は見知らぬ街を歩いてゆく夢を見た。

 とてもとてもリアルな。

 そんな感覚のときってあるものだ。

 形にまで、それは及ぶ。現実の証明である立体にまで、、。

 仮想現実、マトリックスか。


「人間の目」'09.4/13

 マンションの上の階から下町を眺めてみる。

 すると、ちょっと遠くの小さなものでも、よく見えてくるのがわかる。

 道を歩いてゆく人とか、、。

 たぶん視界の中でそれは、ほんの2センチくらいものであろう。

 しかし、それに注目することで、まるで近くで見ているかのような意識になる。

 ビデオ編集をしてるいとき、

 画面のそんな小さな変化があったとしても、

 それは小さなこととして意識されるだろう。

 人間の目って不思議だ。

 何かに注目すると、小さなことでも大きく意識される。

 意識の世界って、思うに、テレビ画面の大きさではなくて、

 景観全体を見ているようなものであろう。

 山々や田舎に住んでいる人たちの視界もそうであろう。

 遠く小さなことでも、大きい。

 ずっとテレビ画面を見ていると、そのことを忘れがちだ。


「オールドクラフトマン」'09.4/11

 先日、共演した人のドブロギターは戦前のもので、

 もう作られて70年はたっているという。

 メーカーは「オールドクラフトマン」だという。

 70年たっても現役でステージで使えるなんて、

 相当にギターの造りがしっかりとしているのだろう。

 「へえーっ、すごいねー」と、そのときは答えた。

 しかし、数日たって考えてみると、

 「オールドクラフトマン」のギターだなんて、

 味のあるメーカー名だなぁーと思えた。

 そのギターが長い長いこと、先まで弾かれることを願ってのことか、、

 まあ、考え過ぎなのは自分でもわかる。

 それにしても、いいネーミングだな。

 新品は新品で、味があるし。


「朝、起きると」'09.4/9

 強力に寒かった。

 おかしい、温度計を見ると17度もある。

 風邪でもひいているのか、、。

 眠る前は、とても暖かかだった。そのせいで、あまり布団をかけなかったのだ。

 先日まで電気毛布をしていた。

 やっぱり急に変えると、だめなんだよ。

 寝ている間は。

 体が「寒い」と思ったら、それが朝まで続くんだ。

 起きる頃には「800寒い」くらいになってしまう。

 眠っているときの寒いと言う感情は、きっとその時の温度ではなく。

 たぶん毎日の続きなのだろう。

 急に暖かくなったからと言って、急に布団を変えてはいけない。


「書き直し歌詞」'09.4/7

 歌作りのとき。

 最初に出て来た歌詞のフレーズを、使うことが多い。

 まあ、最初に出てきたフレーズであるから、あとで変えようと思って、

 いろいろアイデアを出して、味のあるフレーズを考えるのだが。。

 しかし、実際に歌ってみると、どうもイメージがしっくり来ない。

 逆に最初に作ったフレーズの方が、歌のイメージをはっきりと出すことがある。

 若い頃はそれでも、書き直したフレーズを使うことが多かったけれど、

 最近は、こだわらずに、イメージが合う方を、そのまま使っている。

 文章的におかしくてもね。みんなもそうだと思うが。。

 そんなふうにメロディーも、ちょっとぎこちない方を優先することが多い。

 その方が、最初のイメージに近いときだ。

 作り直す歌詞もあるし、そのままにするときもある。

 そのへんの判断が、だんだんとわかってきた。


「そっと眺める」'09.4/5

 今、新曲を作っている。

 ある程度、メロディーとイメージも出来ているが、

 一気に作らず、余裕を持っている。

 作品を作るとき、中途半端というのが良くない。

 一気に作るか、しばらくほっておいて、ちらちらっと仕上げてゆくか。

 なんとなく作ってゆくのは、いつも中途半端な作品になってしまう。

 テーブルにノートを開き、何度も何度も歌っては、またやり直す。

 ちらっちらっと、作ってゆく。

 このちらっちらっとと言うのが、とても大事なのだ。

 たとえて言えば、自分の息子や娘が、(実際にはいないのだが・・)

 この子は将来、何になりたいのかなと、夜中にトイレに起きたとき、

 寝顔をちらっと見て、そっと考えてみるのと似ている。

 歌もまた、ちらっと見て、この歌がどんな歌になりたいのか、

 そっと思ってみる。そんな親の気持ち???

 テーブルにノートを開いたままで。

 歌の寝顔を見るって言うのかな??

 そうやって、何日か、、。


「正面・斜め」'09.4/3

 ずっと、みんなのライブのビデオを撮って来た。

 ほとんど何も悩まず。

 正面から撮れるときは、疑いもなく正面から。

 そのときは、ライブを記録するという意味合いがほとんどだったので。

 しかし、今見直してみると、正面から撮っている映像というのは、

 なんとも味わいが正直だ。

 斜めから撮っている映像は、ライブ演奏しては、とてもいい。

 特にソロのときは。。

 (バンドになると、いろいろ不都合も出てくる・・)

 不思議なものだ。正面よりも斜めの方が、歌の空間が生きる。

 以前は、正面が最高と思っていたが、、。

 この25年、ほとんどのライブ映像は正面で撮って来た。

 ああ、斜めから撮っても良かった。


「デッキまた壊れる」'09.4/1

 古いビデオデッキがまた壊れた。

 修理に出して、数年たっていたけれど、

 1・2回再生して壊れた。

 修理には2万5千円ほどかかったものだった。

 実は、そのまた数年前にも、修理に出してあった。

 そのときも2万5千円かかっていた。

 1・2回再生して、そのときも壊れた。

 まいったな。。その機種でしか再生できない。

 修理に出して、3年ほどほっておいたせいもあるんだが。。

 泣きたい。ひどいな。。

 まあ、発売されて20年ほどたっているので、しかたがないのだが。。

 それでも、なんとかしていこうと思う。

 機械は使うに、限る。

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