青木タカオ「ちょっくら・おん・まい・でいず」

「今日の夜話」過去ログ'08.12月〜'09.3月

「ナゾナゾフィンガーピッキング」'09.3/30

 二年ほど前、ギルドのギターを手らに入れてから、

 フィンガーピッキングでよく弾くようになった。

 新曲のアイデアを出すとき、意識もなくいろいろ弾くのだが、

 フィンガーピッキングをすると、勝手に指が弾いているのがわかる。

 ギターで遊んでいるというのかな。

 思いがけないフレーズを指が出すと、それに答えて、

 次のフレーズにつなげようと、また指がアイデアを出す。

 そんなふうに無限大にフレーズが生まれてくる。

 以前はストロークピッキングでギターを弾くことが多かったが、

 今はフィンガーピッキングが半々だ。

 いやもっと多いかな。

 コード進行によって、自由にのびのびと指がフレーズを作っているのがわかる。

 大げさに言っているのではない。本当なんだ。

 もう35年もギターを弾いているので、それは自分でわかる。

 ギターが弾くのが、また面白くなってきた。


「モーニング・ボクノコーヒー・クラシック」'09.3/28

 WBCと言えば、ワールド・ベースボール・クラシックの略だが、

 MBCとは「モーニング・ボクノコーヒー・クラシック」の略である。

 つい先日、久し振りに珈琲用の粉末ミルクを買った。

 もうずっとずっと珈琲と言えば、ブラック専門であったが、

 ここ一週間はミルクと砂糖を入れて飲んでいる。

 インスタントであるが・・。

 珈琲と言えば、ミルクと砂糖。いわば、珈琲の基本「コーヒークラシック」だ。

 モーニング、僕の珈琲クラシック。(MBC)

 それはいいのだが、この粉末ミルクがなかなかうまく量が定まらない。

 スプーンを使わず、封に穴を開けて、いつも入れているのだが、

 極端に多くなったり、少なかったり。。

 砂糖はいつも一定。

 粉末ミルクの量は一定ではないが、多くても少なくても、それなり美味くなると知った。

 「あっ、入れすぎた!!」と、後悔することはまったくない。

 毎回、それなりの味の珈琲が出来上がる。これは発見であった。

 もう、ずーーーと前。粉末ミルクをきちんとスプーンで計って入れていた。

 それが最高だと思って。

 今はもっと最高な味わい方を知った。


「たいへんなときは」'09.3/26

 外仕事をしていると、雨の日などはかなり大変になる。

 そんな日は、よく最初に雑誌や本を一冊買うことがある。

 自転車のかごの底に、その雑誌や本を隠して仕事をする。

 帰りに、その本を読むことを楽しみにして、がんばるのだ。

 もちろん、仕事が終わってから、本を買うことも出来るのだが、

 ちょっと気分はちがってくる。

 たいへんなときは、まず楽しみをその先に置いておくのがいい。

 楽しみもなく、ただ、がんばれがんばれと言うだけでは、

 僕はうまくがんばれない。

 がんばれる人もいるとは思うが。。

 ご褒美に通販で何か買うとして、、ひと仕事終わってから、注文するのと、

 注文してあって、夜には届くというのでは、その日の気分がちがう。

 小さなことかもしれないが、大きなちがいだと僕は思う。


「感覚」'09.3/24

 やかんでお湯を沸かす。

 夜間など、カップラーメンで。

 すぐに沸いて欲しいので、カップ一杯ぶんより少し多いくらいの水を、

 感覚で入れる。

 ここ数年、その感覚が合わなくなってしまった。

 カップラーメンにお湯を注ぐと足りないことが多いのだ。

 ほぼ2回に一度は。。

 ずっとずっとそんなことはなかったのにな。。

 自分でも信じられない。

 信じられないが、それは事実だ。

 いつもいつもほぼぴったりだったのにな。

 ちょっと多めに沸かすしかないのだけれど、、

 僕はまた、ぴったりを試すだろう。


「チューニングの挨拶」'09.3/22

 先日、ギターのチューニングメーターが見つからなくて、

 自分でハーモニックスチューニングをやった。

 中学の頃から、20年以上はそうやってチューニングして来たので、今だってできる。

 しかし久し振りだと、やっぱり感覚が戻って来なくて少し苦労した。

 すると、どうゆうわけか、ギターの音が信じられないくらいに良く聞こえるのだ。

 なぜだ??

 思うに、チューニングをしたのは、僕自身でもあるのだな。。

 '82年、ライブハウスに通い始めた頃、けっこうチューニングが甘いライブを観ることが多かった。

 ライブの途中で合わせるのだけれど、時間ばかりとられる。。

 ほんと最近は、チューニングが甘いライブというものは少なくなった。

 それはチューニングメーターのおかげであろう。

 良い事も多いのだが、ふと忘れてしまうことも多い。

 一本のギターに最初に向かうとき、

 自分自身と向かい合うのは大事な事だろう。

 挨拶という意味でもね。


「なんて夢」'09.3/20

 昨夜はぐっすりとよく眠った。

 ひとつ目の夢は、なぜか世界水泳にて、

 僕がバタフライで金メダルととるというものだった。

 そんなことはありえないのだけれど、まあ夢なので。。

 続いて、ふたつ目の夢を見た。

 僕は20才を過ぎた学生になっていて、友達と学校にいた。

 ストーリーは忘れたが、学園ドラマであった。

 その夢も終盤になったとき、僕はひとつの事を思い出した。

 (そうだ、こんなことより、僕は昨日、世界水泳のバタフライで金メダルをたったのだ・・)

 友達にもう一度会い、そのことを告げたけれど、

 みんな、「へえーっ」とか、言って信じてくれないようす。

 おまえ何言っているの? と、いう感じで。

 僕の昨日の新聞やインターネットでニュースを探す。

 金メダルをとった男は「アオキタカオ」という青年であり、

 みんなは同姓同名の別人だと思っているようだ。

 「ちがうちがう、おれなんだーー!!」。そんな夢の中の戦い。

 悔しい気分のまま、目が覚めてしまった。。

 テレビのニュースをつけてみる。

 (そう言えばおれ、世界水泳で金メダルを・・・)。

 そんなことがあるわけがない。。

 (なんだったんだ・・さっきの夢は、、)


「お腹がすいていた頃」'09.3/18

 たまたま昨日は、財布の中にお金がなかった。

 部屋に戻れば、もちろんあるし、銀行に行ってもよかったのだが、

 その日は、なんとなく、そんな気分を味わってみた。

 20歳前後の頃は給金が入ると、すぐ使ってしまって、

 月末まで二週間とか、ほとんどお金がなかったりした。

 まあ、昼に会社でお弁当を食べていたので、かろうじてなんとかなっていた。

 それでもライブに行ったりしていた。

 電車賃を計算したり、ポケットやカバンの中の小銭を探したり、

 少しでも安い自販機に寄ったり。。

 5年くらい前も、月末の一週間くらいがいつも厳しかった。

 ついつい、いろいろ買ってしまうからだ。

 節約生活も、悪くないよ。それなりの楽しみもある。

 想い出す季節がある。

 空いたお腹のまま、街なかを通りすぎて、早く部屋に戻った。

 米を炊いて、コロッケとか食べていた。


「猿は人間は」'09.3/16

 井の頭動物園に出かけてみた。

 象のはなこがいた。眠るいのししもいた。ふくろうもいた。

 そして猿もいた。

 今回は猿をじっくりみた。猿はオレンジが好きだ。

 どの猿も常にきょろきょろとして、落ち着きがない。

 それは習性であり、変えようがないであろう。

 人の祖先は猿である。人もまた落ち着きがなくてもしかたがないな。

 常にきょろきょろしててもしかたがない。

 あっちにいったりこっちにいったりしても、しかたがないな。

 猿がそうだものね。

 ときに僕もあの猿のようである。

 それはもうしかたがない。あの猿を見ているとよくわかる。


「サイダーの瓶から」'09.3/14 

 いろいろな表現がある。

 いろいろな考えがある。

 僕は基本的に、直感のひらめきだけを頼りにしてきた。

 数学でも科学でも。。それがあっていたかは別にして。

 どんなときも、太陽のような光で考えてきた。

 それはちょっとオーバーだ。

 どんなときもビタミンCのような気持ちで考えてきた。

 それも、どうも例えが変だ。

 うーん、そうだな、、

 40年前のサイダーの瓶のような光でいつも考えている。

 僕の知っているサイダーの瓶は、ラムネの瓶のようであった。

 ラムネの瓶の薄緑色より、もうちょっと薄めの色の緑。

 たぶん僕は、そのサイダーの瓶の緑色を通して世界を観ていた。

 小さい頃、サイダーの瓶は、なんていい色なんだろうと思っていた。

 たぶん僕らの世代は、みんな同じであろう。

 僕はこの色になりたいと思った。

 海に浮かぶ浮きだまも、この色。ラムネの瓶もこの色。

 海の色もときにはこの色。海の底もときにはこの色。

 あの薄緑色のガラスは文句なしに最高だった。

 それはまた神秘の象徴でもあった。

 直感やひらめきは、たぶんそんな色をしていると思えた。

 だから僕はいつだって、サイダーの瓶のひらめきを持って世界を考えた。

 人生を考えた。夢のことを考えた。

 そこから生まれた考えは、どれもそんな色をしている。

 それは今でも変わっていない。あたまの中にはいつもある。

 生まれてくるものは、どれもサイダーの炭酸のしゅわしゅわが感じられる。

 小さい頃のどこかのいつか、

 僕の心はサイダーの瓶になりたいと思った。

 そんな友達も多いだろう。

 高校入学のときに選んだ腕時計の文字盤は、

 キラキラとサイダーの瓶の色をしていた。


「また弦の話」'09.3/12

 弦を張って三日目。

 今、ギターは最高な響きを出してくれている。

 ぱっと、ひらいた花のような、新鮮さで。。

 最近、思うことは、弦を張ってのそれからは、

 まるで草木に花が咲くようなものかなと。。

 ひとつの弦は種みたいなもので、ギターにボディによって花の形になるようだ。

 弾き慣れたギターと、使い慣れた弦。

 そして咲いてくれる草木の花。

 はっきりと形のとらえられる花。

 その草木と花の一生。

 三日目の弦は、ぱっと咲いたひとつめの花。

 やがて、とけ込むようにそこにある花。

 草木のどこかで咲いたり、しぼんだり。

 やがては、ゆっくりと枯れてゆく。。

 慣れたギターと弦。

 ライブで、それが花のように感じられれば最高だ。


「携帯にかかってきた人」'09.3/10

 先日、夜中に携帯が鳴ったが、

 それはまちがい電話であった。

 そういえば、去年のことかな。

 夜中に寝ていると、テーブルの上の携帯が鳴った。

 ねぼけながら、「もしもし」と出ると、

 それは、5年ほど前に亡くなった親父からであった。

 内容は忘れてしまったが、少し話して電話は切れた。

 そんなこともあるんだなぁ。

 それは夢ではないよ。

 実際に携帯は鳴ったし、僕は電話に出た。

 また眠り、朝起きてみて、その事を思いだした。

 携帯の着歴は、なかったけれど、あれは夢ではない。 

 たぶん向こうの世界にも、電話があるのではないか。

 そんなふうに思えてならない。


「ライトゲージ考」'09.3/8

 お店のフォークギターに張ってある弦と言えば、

 まあ、ほぼ「ライトゲージ」である。

 ライトゲージというのは、弦の堅さ柔らかさのことで、

 柔らかい方から「コンパウンド」「エクストラ・ライト」「ライト」「ミディアム」「ヘビー」と続く。

 僕がギターを買ってもらった頃、どこかのインタビューに「ヘビーゲージを使うとギターがうまくなるよ」とあった。

 ギターがうまくなりたい一心で、ヘビーゲージを一年ほど張ったこともあるが、今思うと信じられない。

 たしかにギターはうまくなるのは確かだが、ギターのネックに良くないことも確かだ。

 「ボリュームが欲しいならミディアムゲージ」という、一般常識のような観念もあり、

 ミディアムゲージを張ったこともある。音に迫力は出る。しかし、ちょっと張りがきついかなという印象だ。

 基本は、ネックのためにも「ライトゲージ」でちょうどいいとは僕は思っている。

 だが、ここで大きなクレスチョンが出てくる。

 それは実際に友達を直撃した。「ミデイアムで普通」と思い、弦を何セットが買ったという。

 「えーっ、ミディアムって、少し堅めだよー」と、僕は答えたが、、

 そう答えたが、、「ミディアム」という位だから、常識的に判断したら、普通ということになる。

 いやいや、そうではないよ。だって、「ミディアム」の次は「ヘビー」になってしまうのだから、

 それはおかしい。やっぱり、どう考えても「ライトゲージ」が中間だ。

 中間ではあるけれど「ライトゲージ」。

 初めての人が、楽器屋で普通の弦を買うとしたら、「ミディアムを下さい」というだろう。

 でも、、「ミディアム」は、ある程度、ギターを弾き慣れた人用なのだ。扱いも、少し難しい。

 もう弦の堅さの表示については、あと戻りはできない。

 その昔、1900年代から1960年代までは「ミデイアム」が主流だったのかな。

 それは、言えるんだよね。

 以前は音響とか、あまりなかったから、ギターの生音が命だったのだろう。

 そうか、、、そうだったかもしれない。。

 そうにちがいない。


「馬」'09.3/6

 先日のライブで8曲唄った。

 今、そのときのビデオ映像を観ている。

 なんだか、けっこう地味な感じなぁととか、思った。

 予定では、僕は8つの映画を再現するようなライブにしようと思っていた。

 生ギターと歌とサポートのピアノさんとで。。

 映画を観せるなんて、大変だよ〜と、いう声が聞こえる。

 まあ、わざと自分でそう思うことで、そのライブに集中しようと、

 自己暗示をかける意味もあるのだが・・。

 今回の音響さんは、なるべく生の音を大事にした音作りをしてくれてて、

 ナチュナルな響きが会場に鳴っていた。

 ほんとは、もうちっと、多少、演出された音だと、ドラマチックな感じになるのかなぁとか、思ってしまう。

 今回に関しては、もう少し僕が音をためるように唄ったり演奏すると良かった。間を大切にして。

 ・・・・・・・

 そこで馬の話。

 僕はライブで「映画のように唄う」という馬に乗っていければ良かったんだなと思った。

 今回は、一曲目から馬にはうまく乗れず、ライブという形になった。

 いつか、そういうふうに、自分で決めた馬に乗ってワンステージをしてみたい。

 とある外国の有名シンガーが、「歌詞を作るのは、一行目の馬に乗ってゆくようなものだ」と言っていた。

 そこからヒントにしているわけだけれど、僕とその有名シンガーとは、きっと大きな違いがある。

 それは、実際に馬に乗ったことがあるか、ないかだ。

 僕もいつか、馬に乗ってみよう。そうすれば、感覚が多少わかるだろう。


「曲目」'09.3/4

 若い頃には考えなかったことだけれど、

 ここ数年、 だんだんとライブで唄う曲目が似るようになってしまった。

 まあ、お得意のナンバーということであろう。

 ほんと、知り合いも含めて、みんなライブ用のセットリストはある程度決まっていることは多い。

 初めて聞く人も多いだろうし、聞いて欲しい歌があるのは当然だ。

 それはわかる。

 わかるのだけれど、僕はそうはなるまいとずっと思ってきた。

 しかし、時が来て・・。

 だんだんと、そうなりそうな自分もいるのだけれど、

 もうちょっとがんばって、いろんな歌を作り、歌って行こうと思う。

 どの歌も、前後の曲とも重なって、何倍も光るような、

 そんなライブを続けていきたい。


「明日は雪」'09.3/2

 ずっと天気がもうひとつで、

 今日は晴れだと思ったら、明日は雪だという。

 もう三月なんだけどな。。

 天気予報も、今日喜ばしておいて、すぐさま明日は雪とか言う。

 うれしさとがっかりと。。

 亀みたいに着込んで出掛けるかな。

 これは春の足跡のひとつなのだろうか。

 まあ、じっと我慢ということか。

 とことこと。

 こちこちと。

 たこたこと。

 ようねて、ちっとがんばり。


「渋谷」'09.2/27

 渋谷のことは実は、よく知らないんだ。

 今日、渋谷に出掛けた。

 僕が東京に出てきた'80年ちょうどの頃、

 渋谷と言ったら、中古レコード屋もあり、ファッションの店もあり、

 有名な喫茶店もあったりして、文化の街というイメージだった。

 今もそんなには変わっていないかもしれないが、

 なんだか、ビックな街になって、個性がもうひとつぼんやりとしたように思う。

 若い頃、渋谷に行くと、革のジャケットのように、どこか本物の匂いがぷんぷんしたものだった。 

 僕なんかは、形だけの、合成皮革のような感じであった。

 服も靴も、すべてが。。

 ちょっと、渋谷にはふれることができなかった。

 今、渋谷はどんなイメージなのかな。

 若者の街?


「引退したビデオカメラ」'09.2/25

 友人の以前に撮ったライブ映像を今、編集している。

 もう15年以上も前のものだ。テープもすっかり古くなっているが、

 映像はそれなりにしっかりと映っている。

 思い出せば、そのビデオカメラは、同じものを三台も買ったのだ。

 そのうちの二台は中古ではあるが、、。

 発売中止になった後でも、気に入ってそのビデオカメラでライブを撮り続けた。

 レンズが明るくて、バンドの音もよく録れたのだ。

 最近のデジタルビデオカメラに比べたら、それは画質が落ちるけれど、

 それでも、前の世代のビデオカメラにしたら、良く撮れる方だ。

 一般の最高機種の次くらいのレベルであった。

 何度も壊れては修理に出し、中古屋で見つけては買い。また見つけてはストックで買い、

 15年、使い続けたそのビデオカメラ。

 そのカメラで撮ったライブ映像はほんと数知れない。。

 そして、今は部品も壊れ、引退となって休んでいる。

 スイッチ入れると、画像にならないくらいに基盤も壊れてしまっている。

 そのビデオカメラで、もう一回撮ることはきっとないだろう。

 そのビデオカメラで撮った映像テープは、約300本ある。

 ライブの数で言ったら、900ライブだ。

 15年前の映像のときの、君は若かかったのか。。

 15年後には、もう老人に近かったのか。。

 しっかりとあなたの残してくれた映像がある。

 どこでも、撮った。そして残った。

 その映像を観て、想い出すのはあなたの事。

 引退したビデオカメラ。。


「エベレストカレー」'09.2/23

 富山のとある、大きな遊技場で、

 かって、「エベレストカレー」を食べた。

 「エベレストカレー」って、何だろうという興味から頼んでみたのだ。

 実際のエベレストも見たことはある。

 本当に壮大だった。

 出てきた「エベレストカレー」は、ご飯の方が、巨大なおにぎりようになっていた。

 たしか、その頂上には、ふくじん漬けが乗っていたと思うが・・。

 これはなかなかのアイデアであった。エベレストを眺めながら、カレーが食べられるなんて、すてきだ。

 その感動は忘れられない。

 だから今も僕は、自宅で、ほぼエベレストカレーを作って食べる。

 形的には富士山カレーの方が近いかな。。

 富山で食べたエベレストカレー。

 あれは、実際のエベレストの雰囲気が良く出ていた。

 いまも、あるだろうか。。きっとあるだろう。


「URC」'09.2/21

「URCレコード」の出てくる日本のフォークの特集の映像を観た。

 URCレコードには、中学時代にかなりお世話になった。

 その意味は「アングラ・レコード・クラブ」であるとは、時間がたってから知った。

 日本のフォークの言葉や表現の自由を目的として'69年生まれた「URCレコード」。

 最初は会員制の通信販売から始まったという。

 僕はフォークを聞き始めた'73年には、地方のレコード店にも置いてあり、

 マイナーではあるけれど、ほぼメジャーと同じ扱いであった。

 レコード店に並んでいる「URC」のレコードは、実に「フォーク感」にあふれていて、

 内容もしっかりしていて、どのレコードにも「外れ」というものはなかった。

 友達と一緒に、集めた「URC」のレコード。毎月のこづかいはほぼ全部、URCレコードに変わっていった。

 URCレコードは現在の「インディーズ」や自主制作盤レコードの始まりとも言われている。

 しかし、僕らが最初に作っていた自主テープとは、かなり違うと思う。

 '80年になる前頃から、URCレコードは次々と、他のレコード会社に販売権が移されていった。

 なんだか、その頃の僕らのせつない気持ちは忘れられない。

 なんだか「マイナーだったから」みたいな、、そんな扱いが感じられた。

 ころがりめぐって、40年たった今も、URCのレコードは販売が続けられている。

 それは素晴らしいことだが、、どこかしっくりとは来ない。

 エレックレコード、ベルウッドレコード、と、他にもフォーク系のレーベルがある。

 しかし、地味さでは「URC」には、勝てないのではないか。メジャー思考というかな。

 僕の血の中をしぼってこみれば、まちがいなくURCのエキスが抽出されるであろう。

 13才の僕は、レコード屋に通っては、URCのレコードを眺めていた。

 URCは、しっかりとした夢をくれたのだ。

 とてもとても、わかりやすく。


「村上さん」'09.2/19

 僕が東京に出てきて、一年ちょっとの頃、池袋の街で村上さんと会った。

 33才くらいだったかな。。小柄で、いつも革のショルダーバックをさげていた。

 青森から来たという。少し、訛りのある言葉。髪は軽く横分けにしていた。

 おじさんと言うにはまだ若く、ジーパンをいつもはいていた。

 知り合った頃、僕は19才で、ストリートで唄い始めていた。

 村上さんは、たばこを吸いながら、そばに立って、

 「どうして、こんなとこで唄っているの? 」って、まあ、きいてきたと思う。

 それからまた、池袋のいろんな場所で、村上さんと会った。

 駅で、喫茶店で見かけては声をかけた。

 住んでいたのは東池袋だったので帰り道であったのだろう。

 村上さんは、僕なんかより本をかなり読んでいて、文学好きだった。

 詩だったら、黒田三郎の詩が好きで、よく黒田三郎の詩の良さを教えてくれた。

 黒田三郎は、戦後の詩人で、赤い鳥の歌った「紙風船」の歌詞でも知られていた。

 やわらかい言葉の中にも力強い自己信念を感じさせてくれる詩が多い。

 自分のだめさかげんの中にも、忘れていない強い気持ち。

 村上さんは僕に、そんな黒田三郎の詩の良さが「青木くんに、わかるかなぁ」と言っていた。

 そのうち僕には、村上さんが、黒田さんのようにも思えてきた。

 まだ若い僕の考えを言うと、、人生のような答えで「まだ、若いなぁ・・」と言うのだった。

 それでも、飽かずによく話につきあってくれた。喫茶店で、駅近くで、デパート前で、、。

 文学好きで、人生経験の豊富だった村上さん。

 池袋の黒田三郎のようだった村上さん。

 いつも街のどこかにいてくれた村上さん。

 僕が若い頃に出会った村上さん。

 その時間は一杯の美味しい珈琲のようだ。

 池袋東口駅前にあった老舗「コヤマ」の珈琲のような。。

 東京に来て、出会いたかった、出会えた人。村上さん。


「映像」'09.2/17

 ビデオカメラはほんと小さくなった。

 ちょこんとそこに置いておくだけで、その場を記録してくれるのだ。

 それは小さな目であるけれど、多くは情報量を含んでいる。

 2009年、それは可能になった。

 1978年頃より、ビデオカメラは一般的になったが、

 その頃は、まるでテレビ局で使っているカメラのようであった。

 '90年頃からは、かなり小さくなってきた。

 僕が東京に出てきた'80年代には、大事なライブも多くあったけれど、

 ビデオカメラで撮ることは、それなりに準備しないといけなかった。

 今のようにカバンの中にちょこんと入れて、ライブハウスに行くことはできなかった。

 ああ、、時代は変わった。

 ちょこんと、高い棚に置いて置けば、今は映像が撮れる。

 これからはひとたちは、かんたんに映像を残せる。

 そのうち、たばこの箱くらいの大きさになるかもしれない。

 映像を残すって、素晴らしいよ。


「フォーク原人」'09.2/15

 先日、日本のフォークの始まりからのドキュメンタリーの映像を観た。

 今までのどのドキュメンタリーよりも、リアルにわかりやすく作られていて、

 かなり勉強になった。

 僕自身もかんちがいや、思い込んでいたことが多い。実際はそうだったんだなと感じた。

 フォークの始まりは「関西フォーク」と思ってきたけれど、その前にも、いろんな流れがあったと知った。

 今で言うところのフォークの重鎮たちも、数多く出ていた。

 なんだか、彼らを見ていると、僕らとはちがった感性が、唄を作らせたように思えてならない。

 僕らの場合は、最初から手本や憧れがあった。。ある程度、フォークの家は建っていたのだ。

 渋谷や、新宿、池袋、吉祥寺など、、東京に街の個性がすでにあるようなものだ。

 フォークの重鎮たちは、その街々を作りあげた人たちのような気がする。

 たとえ話ではあるが。。

 たとえ話ではあるが、、フォークの重鎮たちは、日本の古い神々のようなイメージもあった。

 どこから来て、その存在になったのか、、。はじめからいたようないないような。。

 全日本フォークジャンボリーの、始まりの古い映像もあった。

 野原に座りギターを弾いている人が映像の中に一瞬映っていたが、、

 その人は、たしかに、僕が見たところ、原始人のような服を着ていた。

 (あっ、フォーク原人だ。。)

 ・・そんな歴史があったのか、、。

 たぶん、それから、ほんの5・6年の間に、

 フォーク原人は現代まで追いついたのであろう。そして僕らが生まれた。


「以前の映像」'09.2/13

 今、20年近く前のライブ映像の編集をしている。

 そのライブも実際に観たし、ちゃんと憶えているのだけれど、

 18年たつと、また印象が変わってみえた。

 バンドに関しては、まだ若さを感じてしまうのだけれど、

 ソロの演奏については、熟成しているなと思えた。

 どれもみな素晴らしい。

 しかし、当時は普通にいいなぁと思っていたくらいだった。

 18年たつと、その時間が長さが、ひとつの独特の世界を作るんたよね。

 なんというか、気持ちが伝わってくるというか、、。

 言葉も若いというか、、。

 若いというか、生まれて数年というか、、。

 今、観るととても新鮮に感じられる、以前の映像ではある。。

 しかし、普通に観たら、古い映像に見えてしまうのであろう。


「ラムネ旅」'09.2/11

 ふと寄った安売り店にて、ラムネの詰め合わせを買った。

 二年くらい前のこと。105円。

 ラムネと言っても、飲む方ではなくて、包んである方である。

 いろんな色のラムネ。小さいの大きいの、、その詰め合わせ袋。

 もちろん今までだって、ラムネは食べたことはあるが、

 そのラムネは特別に美味しかった。。

 食べ始めると、すぐにとけ始めるものの、なんとも爽やかで甘い。

 他のラムネよりは、とけるのは少し早めのようだ。

 おかげで、次々と食べてしまった。感動しながら。。

 こんなにラムネって美味しかったのかと、、。

 その味が忘れられなくて、後日、またその安売り店に行ってみると、

 別のラムネの袋があった。まあ、同じだろうと買ってみたが、

 まるでちがう。子供の頃に食べたものと同じだ。

 しばらくしてからとけ始めて、くせになるほどは甘さがない。

 いつものラムネだ。。

 その日から、約二年間、、想い出したように、ラムネの詰め合わせを買っている。

 が、まだあのラムネには、再会してはいない。

 ラムネの旅はいつまでつづく。。


「おれのこころ」'09.2/9

 先日、友達が面白いことを教えてくれた。

 ギターをピックアップでひろうと、耳に伝わってくるよりも早く音が出ると、、。

 友達が言うには、振動と耳に伝わるのとでは、伝わりがちがうのだと言う。

 僕も、そうかもしれないと思う。ギターがボディに反響して鳴り、

 耳に伝わるには、多少時差が出てくるであろう。それも残響入りで。

 話が長くなったが、僕も生ギターを部屋で弾くとき、

 その残響音の方を意識して聞いているような気がする。

 特にフィンガーピッキングのときに。

 僕のギターは、'73年製なので、35年なりの残響音があるわけだ。

 日々の天候により、多少の変化はあるものの、その残響音にはほれぼれする。

 おれのこころも、ときには迷う。

 そんなとき、この生ギターの残響音をきくと、

 おれのこころはシンプルになってゆく。

 そこにはひとつの道があり、

 僕自身が、ギターのようになるのだ。


「18年」'09.2/7

 自主ライブで、使っているミキサーが調子悪くなってしまった。

 ほんとに時々ではあるが、音が出ないときがあるのだ。

 原因はわからない。しかし、考えてみれば、

 ライブで使い始めて、もう18年になるのだ。

 まだまだずっと使えそうな気がしていたけれど、

 さすがにもう限界なのかな。振ると、カラカラと音がするし、、。

 何か部品がとれているのであろう。

 突然に音が出なくなる原因は、ミキサーから先にあるかもしれないが、、

 ここは、何も考えずに、新しいミキサーを買おうと思う。

 どんな機械だって18年も使えば、調子悪いところが出てくるであろう。

 原因不明であっても。

 ふと気がつけば、18年も使っていた。

 年に6回であっても、18年は18年だ。

 機械年齢で言えば、80才くらいになっているだろう。


「なくなる'09.2/5

 毎日エッセイを書いているので、

 ひらめいたアイデアは、なんとなく憶えておく。

 しかし、これがいざ思い出そうとするとなかなか出てこない。

 あれっと思うほど、出てこない。

 はっきり憶えていたはずなのに、今日だってだめだ。

 頭の中に、なくなる棚があるんだ。

 なくなったと思うと、電車の中で、ふと出てきたりする。

 今度こそ大丈夫と思うが、これがまた忘れてしまう。

 朝、30分か45分、ぼんやりとしていると、思い出すことも多い。

 そうしたら、エッセイに書く。

 今朝は、出てこなかったけれど。。

 頭には、なくなる棚がある。


「ウォークマンの出てくる話」'09.2/3

 ふと、帰り道に思い出したことがあった。

 以前、と言っても、12年くらい前の話。

 その頃、会社の景気も良くて、アルバイトながらも誕生日プレゼントがもらえた。

 月末のミーティングの後、「今月の誕生日は、誰々さんです」と発表された。

 その月のとき、所長が少し細長くて四角い箱を用意していた。

 ちらっと僕はその箱を見てしまったが、、その箱の大きさには見覚えがあった。

 それは、ソニーのウォークマン(カセット再生器)の箱と同じ大きさだったのだ。

 (とうとう、会社も景気が良くなって、ウォークマンをプレゼントしてくれるのかな・・)

 「誕生日おめでとう!!」 

 そう言われて、ウォークマンらしき箱を友人は受け取った。

 ミーティングが終わり、僕はすぐに友達のところに行った。

 「ねえ、それウォークマンかもよ」「うそ!! でも軽いっすよ」

 「じゃ、ちがうね・・」

 思い出した話というのは、それだけである。

 細長いウォークマンの本物の箱を、

 何度も僕は、うきうきして持ち帰ったことがある。


「古い話」'09.2/1

 僕が自分で唄を作るきっかけとなったシンガーをテレビで観た。

 35年も前のことなので、それをどうこうと言うことでもないのだが。。

 35年前の僕が、テレビで彼を観たなら大変に感激したであろう。

 その頃、彼はとても人気があり「フォークの神様」とか、言われていたけれど、、 

 それは的はずれであったと、当時の僕もみんな知っていた。

 今は、普通の一人のシンガーという感じだ。 

 昔の話も、なんだか「またかいな」という受け答えの感じだ。

 本人の知らないところで回りが作った伝説。

 そう思うことは、実に簡単にできる。

 しかし、考えてみると、、

 僕が唄を作りたいと思ったきっかけになったシンガーであり、

 ボブ・ディランに出会うきっかけになってくれたシンガーでもある。

 僕の人生にとっては、感謝しきれないシンガー。

 ふと、思う。。かみさまなんじゃなかったかと。。

 本人も知らないところで。 


「最近のFAX機器」'09.1/30

 先日、大手家電量販店にて、FAX機器売り場に寄った。

 僕のよく知る感熱紙タイプのものは、一種類だけ売られていて、

 あとは全部、普通紙タイプのものであった。

 普通紙タイプのものは、いろいろ良い面もある。

 しかし感熱紙という「お金のあまりかからない」という良さは消える。

 インクリボン等で、印刷するのだ。印刷しないという選択肢もあるらしい。

 しかし、僕は思う。

 FAXの良さは感熱紙にあり、、と。

 FAXという通信メディアは、意外と今、微妙な位置にあり、

 そこがいいなと僕は思っている。

 お礼をするときにわざわざ「電話」ほどでもない場合。

 かと言って「手紙」ほどかしこまった感じでもない場合。

 電子メールであると、返信というまた作業をかけるときもある。

 そんなとき「FAXお礼」はなかなかいい。

 送る方の意識としたら、「感熱紙」で出てくるだろうなぁ、と思っている。

 受け取っても、無料に近いと思って送っている。

 しかし、、これがインクリボンタイブの普通紙印刷となると、またちょっと微妙だ。

 多少、お金がかかるものね。

 印刷せずに、データの見て消しというのも、、なんとなくさびしい。

 FAXの良さは感熱紙にあり、、。

 そう思う僕はもう古いのかな。。


「鬼平中」'09.1/28

 今、通勤の電車の中で、漫画を読んでいる。

 まいどの「鬼平犯科帳」。

 一編のストーリーを読むのに普通で約30分。

 しかし電車の乗っているのは25分くらいなので、

 集中しないと、なかなか一編が読めない。

 それも、映像変換しながら読んでいるので、大変だ。

 自分で言うのもなんだけれど、相当に集中している。

 車両の中の磁場がここに集まっているのではないかと思うくらいに。。

 いいんじゃないかな。。

 同じストーリーのビデオシリーズも出ていて、最近見始めた。

 これもまた集中して見ている。

 まるでその時代をホントにのぞいているかのように。。

 江戸を感じるためには、それが一番だ。

 それがどう役に立つのかはわからないが、

 集中することは、いいことだ。


「国技館に提案がある」'09.1/26

 この15日間。両国の国技館で大相撲をやっていた。

 横綱・朝青龍の復活場所でもあり、おおいに盛り上がりをみせていた。

 ちょうど横綱が土俵に上がるころ、僕は両国の駅のホームにいることが多い。

 そこからすぐに両国国技館が見える。

 (ああ、今、盛り上がっているのだろうなぁ、、)と、思い見る。

 テレビ放送では満員であるだろうに、なぜか、その実感が湧いてこない。

 不思議なくらい。。

 こんなに近くにいるのに、なぜだろう、、??

 そこで提案がある。

 歓声の大きさによって屋根の上が、もわ〜と、赤く光るというのはどうだろう?

 まるで石炭が赤く燃えるように。。

 それだったら、僕にも今国技館が盛り上がっているのが実感できる。

 迫力もある。ぜひ、そうして欲しい。


「中野と新宿の間、揺れる地点」'09.1/24

 中央線、快速に乗っていると、

 中野から新宿の間で、一度大きめに揺れる地点がある。

 26.5の足の僕でさえも、よろけてしまう。

 ときには、ほんとに転びそうになる。

 中野から新宿の間。(新宿から中野だと未確認であるが・・)

 中央線を利用している人ならみんな知っているかもしれないが・・

 (そうでもないかな、、)

 朝、寝不足と疲れがたまったままで中央線に乗ると、

 この揺れる地点で、みごとに僕はよろけてしまう。

 後ろに人にのっかかるくらいに、、。

 他の人はそうでもなさそうなのだけれど、、。

 きっと、僕は体の力を抜いて立っているからなんだな。

 だからなおさらに。。

 だいたい僕はこの地点で、その日の体調がわかる。

 ほんとに疲れていると、

 ほんとに転びそうなる。


「本所・今むかし」'09.1/22

 墨田区に本所という地区がある。

 たまたま今読んでいる江戸話の本が、そこが舞台になっていて、

 たまたま僕はその地区で外仕事をしている。

 マンションの上の階から、町を眺めていると、

 ここがホントにその本の舞台の町なのかなぁと思えてくる。

 竪川には、いちのはし、にのはし、さんのはし、と今もかかっていて、

 当時から重要な目印になっていた。

 もし江戸の人たちが、現代の本所にやってきたら、

 ここはどこかと思うだろうが、みごとにその残り名を見つけるだろう。。

 「ほんとだ・・ここだ・・」

 不思議なことに名前だけはちゃんと残っている。

 「ここだったんだよ」

 江戸の人たちが来たら、ほんとびっくりするだろうな。

 映画「猿の惑星」状態になるだろう。

 本を読めば読むほど、不思議な気持ちになってくる。

 僕もまた映画「猿の惑星」状態になってくる。


「さびしい道」'09.1/20

 昨日、さびしい道を歩いた。

 まるでそれは、亡くなった後のどこかへ向かう道であるかのようだった。

 ほそくて、いっぽんみちで、ながくて、ときどきだれかいて、

 こえがなくて、むこうであかりがみえて、、

 どうしてさびしいんだろう。

 かつて、僕はおなじような道を歩いたことがある。

 病院の宿泊所から、父の病室まで向かう通路だ。

 夜中に何度もひとりで歩いた。

 たぶん、道や通路のせいではなく、僕自身がさびしいのだろう。

 朝には普通の道に戻り、みながせわしく行き交う。

 僕もまたそうであろう。


「電気毛布の失敗」'09.1/18

 昨日、突然に電気毛布がだめになった。

 その夜中の寒く感じたこと。。

 ・・・・・・

 小さな頃、冬と言えば「あんか」であった。

 実家は寒冷地であったので、特に必要であった。

 高校時代に「電気毛布」を買ってもらった。

 その劇的なあたたかさに、冬には、もう手放せないと思った。

 最初は「ナショナル製」のすばらしい電気毛布であった。

 18才で上京したのちも使っていて、それは15年ほど活躍した。

 ほんとにお世話になったので、捨てるときに記念撮影をした。

 さて、、新しいのを買わなくちゃね。

 近くの安売り店で、一番安い電気毛布を買った。

 なんと言ってもそれが一番安かったので。

 それは二年ほどでだめになった。

 それでまた仕方なく、近くの安売り店で、同じメーカーのものを買った。

 それもやっぱり1年ほどでだめになった。

 そして昨年、安売り店で、また同じメーカーのものを買った。

 今年の冬、それは壊れた。あまりに壊れすぎではないか・・???

 あまりにも、、。

 また買うことになるのだけれど、、どうしよう・・。

 ナショナル製の電気毛布はたぶん値段が5倍くらいするだろう。。

 ふう。。。


「体内時計目覚まし」'09.1/16

 今朝は目覚ましが、3時にかかっていたのが失敗だった。

 いつもは5時なのに、昨日の時間にセットにしてあったのだ。

 ピピピピピ・・

 (あれ、なぜ、こんなに眠いんだ・・)

 それもそのはずだ。1時半に横になったのだから。。

 目覚ましのかけまちがいに気付くまで、時間がかかった。

 そしてまた眠ったのが失敗だった。今度は寝過ごしてしまった。。

 完全に僕の中の体内時計がくるってしまった。

 ・・・体内時計があるなら、目覚ましのまちがいに気付けば??

 どうもそうではないらしい。

 いつも5時に起きるのだが、

 調子がいいと、目覚ましの鳴る30秒前くらいに起きる。

 先日は、二日続けて目覚ましの鳴る直前に起きた。

 体内時計は確実にある。

 それならば、体内時計目覚ましもあるのだろうね。

 いつも目覚ましをかけているけれど、

 あれはきっと、自分の体にかけているんだなぁ。。


「ライブで力いっぱいギターを弾くのならば」'09.1/14

 先日、弾き語りのライブでマーチンギターを目の前で聞いた。

 フォーク世代と思われる、その人はジヤカジャカとピックで弾く。

 しかし、なんだか音にボリュームがない。

 見るに、'70年代か'80年代最初のマーチンギターであった。

 もっと、どーんと迫力のある音が確実に出るはずなのだが。。

 たぶん弦とピックが関係しているのかな。

 使っている弦はわからないが、、

 普通にマーチンの「ライトゲージ」を使えばいいのに。。

 ピックの堅さは「SOFT」のようすだが、普通に「MEDIAM」を使えばいいのに。。

 それだけで、聴き応えのあるマーチンの音が出てくるだろう。

 迫力ある音になるはずなのに。。

 ライブではほんとに力いっぱいギターを弾いていたが、

 部屋では小さめに弾いているのであろう。

 小さめに弾くと、ソフトのピックは良い音を出す。

 そのへんに理由があるのかな。

 それともガチャガチャとした音が好みなのかな。

 マーチンギターなら、普通にマーチンの弦が相性がいい。

 それも普通のライトゲージが一番使いやすい。

 もったいなぁ、、もったいない。。


「僕の夢の夢」'09.1/12

 ときどきはとてもリアルな夢を見るときがある。

 どのくらいリアルかというと、

 レコードジャケットの歌詞カードが読めるくらいにリアルである。

 あまりにそれは不自然なので、僕は夢の中でこれは夢だとわかるのだが。。

 たいがいは日本のどこかの町が多い。

 僕はこれが夢だとわかっていながら、充分にそのリアルさを楽しむ。

 もしそれが夢だとわかっていなかったら、きっと大変なことになるだろう。

 僕の夢の夢は、江戸の頃に行ってみることだ。

 はっと目が覚めると、そこは江戸、、何もかもリアルで、、。

 ただ、これはかなり無理がある話かもしれない。

 たぶん僕の想像力で作っているので。

 それでも、いつかリアルな江戸の夢を見てみたい。

 看板にさわったり、文字を読んだり、空を見たり、、家にふれたり。


「本所・二の橋付近」'09.1/10

 最近、「鬼平犯科帳」を読み始めた。

 舞台は江戸の本所の町。鬼平こと、長谷川平蔵の活躍する話である。

 なぜ、「鬼平犯科帳」を読みはじめることになったかというと、

 僕が仕事で外回りをしている場所が、ちょうどの舞台の場所であると知ったからだ。

 鬼平犯科帳に出てくるなじみの場所を、僕は毎日のように通っていると知った。

 ここにあったというお店の跡の立て看板が最近出来た。

 約200年ほど前に、、ここにあったという店。

 今ではまるで想像もつかない。

 しかし200年前には、ここに確実にあった。 

 竪川にかかる「二の橋」を毎日のように僕は自転車で通る。

 この橋もまた「鬼平犯科帳」の中で、よく出てくる橋である。

 200年前は木の丸橋であった。

 まちがいなく、この橋をみな渡って行った。

 その「まちがいないもの」ということを頼りに、僕はイメージしてみる。

 すると、なんとなくリアルに当時がイメージされてくる。

 考えてみれば、当時の人たちや、お店にしてみても、

 「ここに確実にあった」という「まちがいないもの」が頼りなのではないかな。

 お互いに同じカケラがポケットにある。


「三時間ってどのくらい?」'09.1/8

 帰宅して、すぐ眠ってしまい、夜中に起きてしまうことがある。

 するとちょっと何かすると、あっというまに時間がたってしまい、

 また眠くなってしまう。

 起きる時間まで、三時間。

 眠るときに、こう思う。

 ・・三時間って、どのくらい??

 目をつぶったら、もうあっというまに目覚ましがなることは知っている。

 しかし、三時間って、そんなに短い時間ではないだろう。

 新幹線に乗ったら、かなりのところまで行けるはずだ。

 映画だって二本は観られる時間だ。

 30分番組なら、6本見られるだろう。

 でも、目をつぶったらあっというまだ。

 この意識が変えてみたい。

 このがっかり感に満ちた考えを。


「あっぱれ熱々珈琲」'09.1/6

 目覚めの一杯の熱々珈琲は、ほんとにうまい。

 今朝の一杯も、ほんとにうまかった。

 熱々珈琲の良さは、最初なかなか飲めないことだ。

 大きく息をすっては、すするように飲む。

 はじめの一分から二分。

 これ大事じゃないか、、???

 ふだん意識して、深呼吸をすることもないけれど、

 こうして、熱々珈琲は自然に深呼吸をさせてくれている。

 それはすごく体に良いにちがいない。

 あっぱれ熱々珈琲!!

 しらずしらずのうちに、リラックスをくれていたのだ。

 それだったら、珈琲なしでも、深呼吸をすればいいのにと思うけれど、

 なかなかそれはできない。


「手の届く夢」'09.1/4

 兄のギターを借りて、中学一年のときにギターを弾けるようになった。

 しかし中学二年のとき、兄は東京に行ってしまい、部屋にギターがなくなってしまった。

 そして初ギターを買ってもらったのは中学三年のとき。

 ギターのなかった一年間の間の苦しかったこと。

 友達の家に弾きに行ったり、六玉そろばんを使って練習をしたりして。。

 その一年の長かったこと、長かったこと、、。

 中学三年のときに買ってもらったギターは国産の四万円であった。

 そのときは、はるか遠くにマーチンやギブソンがあり、夢のような存在であった。

 値段で言えば、30万から40万円かな。。

 それを高いと思うかどうかは人それぞれだとは思うが。。

 僕はまあ、ちょうどいい値段だと思っている。

 中古になれば、20万円台になるし、、。

 まあ、そこそこ満足のゆく音を手にすることができる。

 40万、50万、60万と限りなく上も出てくるけれど、

 値段に沿って、音が良くなるということでもない。

 バイオリンとかだと、値段相応に音も良くなってゆくのだろう。

 フォークギターは値段に手の届く、よい楽器だ。

 手の届くところに夢がある。


「拾いうた」'09.1/2

 年末年始、ずっとギターをぽろぽろと弾いている。

 中学の頃から、冬休みといえば、ずっとギターを弾いていたので、

 体がそれに反応しているのかなと思う。

 ギターで、いろんなメロディーを思い浮かぶままに弾いていると、

 だんだんと、僕の意識している世の中や心の中が、ギターのメロディーに変換されてゆくのがわかる。

 それはどんな景色なのかな、、と思う。

 道もあり、空もあり、景色もある。。

 道を歩いてゆくと、そこでメロディーを拾うことがある。

 「拾いもの」と同じ「拾いうた」だ。。 

 「ひろった、ひろった・・」と、僕はカセットレコーダーに録音しておく。

 こうやって、ギターをずっと弾くことはいいことだ。


「夢の向こうのギター」'08.12/31

 最近のデジタル電化製品は5年持てば長持ちだが、

 僕の持っているヤマハFG-180のギターは、40年目にして、今だに現役だ。

 ネックも完璧だし、チューニングもしばっちり。そして枯れた良い音になった。

 定価は18000円。

 国産の一本のギターが40年も持つなんて、想像できなかったけれど、

 こうして実際、40年も使われていて、今だに、どこも不良でない。

 しっかりとした作りだったことがよくわかる。

 もうたぶん、このギターは夢の向こうに来ているのではないかな。

 あと10年は確実にもつので、そうすれば半世紀だ。

 僕らの年齢もまた、あっというまに過ぎてしまった。

 このギターもおじさんになった。

 僕もまたおじさんになった。

 なんだか、このギターみたいに。


「星空 '09」'08.12/29

 インドの砂漠で、星空を観たことがある。

 「星の数ほど」とは、よく言うけれど、見渡す限りが、星であった。

 太古の人たちはいつも、そんな星空を観てきたことだろう。

 そんな星空に星座がある。大きく光る星を線でつないでいって、形にしていったのだ。

 ひしゃくの形の北斗七星などなど、、。

 ・・・・・

 今年も年末になった。

 来年のことなんて想ったりしてみる。

 なんだか、また唄がいろいろ作れそうな気がしてきている。

 もし歌作りを、星空に例えるとしたら、

 若い頃は、ぱっと見て、目に入ってきた星座の唄。

 だんだんと歌作りできなくなってきた頃は、星座が見えなくなった時期。

 そして今は、目が悪くなったせいか、余計な星がぼやけてきて、

 また星座が見えてきた感じ。

 うっすらと、ぼんやりとね。


「曲順のさらわれ」'08.12/27

 冬の日の昼、下町の本格インドカレー店に入った。

 インドカレーの店は、たいがい広く、落ち着くテーブルがあり、

 かかっている音楽も、有線よりも、CDだったすることが多い。

 その日、かかっていたのが、「マザー」で始まる、アルバム「ジョンの魂」であった。

 僕は特に、ジョン・レノンに深い思い入れはないのだけれど、

 「マザー」の歌は、中学の頃から大好きであった。

 シンプルなユニット形態でありながら、サウンドの広がりの大きいこと。。

 アルバム「ジョンの魂」は、そんなこともあり、一枚だけ僕も持っていた。

 昼、インドカレーをナンで食べながら、そのアルバムを聞いていると、

 ついつい僕の魂が、歌に連れていかれそうになってしまった。

 一曲というわけでなく、曲順というのかな。。

 (やばいな・・)

 普段、多くのアルバムを聴く機会はあるけれど、

 それは「聞く」という囲いの中から、出ることはほとんどない。

 しかし、このアルバムの流れは、自分の魂がさわれてしまう感じなのだ。

 自分の中から、ふわと浮いて、お店のスピーカーのところまで行くけれど、

 (そういえば、、おれじゃないや・・)と、言って、魂は戻ってくる。

 まあ、自分が誰かになれるわけではないしね。

 きみはきみだしぼくはぼく

 それでも、やばいなと思った。感覚のちがうところに反応してしまったのだ。

 それも、曲順で。

 ふわっと浮いてしまった。。


「誕生日」'08.12/25

 トラディショナルという言葉は、どれだけ浸透しているのだうか。。

 伝承曲というか、古いスタンダード曲というかな。

 著作権フリーで、誰でも演奏できる歌というかな。

 そんなトラディショナル曲が先日、ライブハウスで流れているのを聞いた。

 その歌の誕生日は、ずっと昔であろだろうに、

 とりあげられ、歌われるたびに、またそれが誕生日になっているようだ。

 いいなぁ。。

 国も変え、場所を変え、時代も変えて、また生まれてくる。

 その歌は、誰かにとどまっていない。

 何度も何度も、誕生日を迎える。


「継続は記憶なり」'08.12/23

 ふと本屋さんで、宇宙の神秘の本を開いてみたら、

 ちんぷんかんぷんで、さっぱりわからなくなっていた。

 数ヶ月前、宇宙の神秘の本を何冊も読んでいたときは、

 いままでよりも、かなり自分が宇宙に詳しくなっていたつもりでいたが、

 もうすっかり忘れかけているようだ、、。

 数ヶ月前にテストでもしたら、80点くらいとれたいただろうに、

 今なら10点もとれないだろう。

 あのままずっと本を読み続けていたなら、記憶は続いていただろう。

 年齢のせいか、最近はかなり記憶を留める力が薄れているようだ。

 考えるに、多少の努力をしないとな、、と思う。

 歌作りにしても、ギター練習にしても、、何でも。。

 継続してやらないとね。

 かつて出来たことが、、いまや、、。


「'60年代の写真集」'08.12/21

 ボブ・ディランの'60年代の写真集をじっくり観た。

 白黒写真ということもあるが、別時代の写真という印象である。

 '60年代といえば、僕も生きてきたわけだけれど。。

 あらためて、部屋が静かだなぁと実感した。

 アナログ的というか。。

 現代は、帰って来て、いろんなチェックをしなくてはならない状況になってしまった。

 郵便受け、留守番電話、インターネットのメールチェック。

 部屋を見回せば、いたるところにデジタル時計が付いている。

 ビデオデッキ、パソコン、他いろいろ、、。

 部屋の場所に、目があったり、声があったり、、文字声があったり、、。 

 僕の部屋にもギターはあるけれど、それよりも強い声が、目が、常に見ているようのだ。

 こっちですよと。

 ディランの'60年代の部屋の写真を見ると、隙間がいっぱいある。

 ギターの音は、部屋の中で響満ちているのがわかる。

 そこには独特な静けさがある。

 ラジオのスイッチをOFFしたような、、

 電源の切ってある冷えたテレビのような、、。 

 横になると、白黒の静けさに包まれるような、、。


「古い型」'08.12/19

 その地区には、マニアックなオートパイ屋が並んである。

 外回りの用があり、ちょこちょこと回っていると、

 マニアックな青年たちが、お店のあんちゃんと、いろいろやりとりをしていた

 一人の青年が外国製のスクーターを、いとしげに眺めていた。

 お店のあんちゃんが言う。

 「このバイクはもう新型が出たんですけど、通常、新型が出ると古い型は値段が上がるんですよねー」

 青年は、ちょっとがっかりした様子であった。

 僕が驚いたのは、バイクの世界では、古い型の値段が上がるということ、、

 (新車に限ったことかもしれないが、、、)

 電化製品とは、別の値段のしくみがあるのだなと知った。

 電化製品は、新製品が出ると古い型は大幅値下げするからね。

 古くなって価値が上がるなんて、バイクはちょっと幸せだな。

 時の流れが逆転しているようだ。

 走るのは、今であけれど。


「印象的に楽しかったとき」'08.12/17

 人はそれぞれに、印象的に楽しかったときがある。

 なぜそう思うのかは、深く考えてもわからないのだが・・。

 どう説明することもできない。。

 僕の中学時代は、ギターブーム、フォークブームの最中であった。

 '73〜'75年。所は雪の新潟、柏崎。あれは冬の事。

 雪の中の学校帰りの楽しみと言えば、本屋さんに寄ることだった。

 アノラックを着て、マフラーをして、、。

 その日、本屋さんに寄ると、音楽雑誌の「gut's」が出ていた。

 まだ創刊されたばかりの頃。

 「あっ、新しい号が出てる、出てる」

 表紙は白だったかな。

 中を開くと、二色刷のページがけっこう多くて、見やすかった。

 ギター講座のコーナーでは、とても見やすいコードの押さえ方のイラストがついていた。

 「うわっ、見やすい」

 ・・・・・・

 僕が印象的に憶えている楽しかった場面は、このことである。

 そのシーンがどんなに楽しかったかを説明するには、あの時代のことを伝えねばならない。

 ピンと来る人もいるだろうし、ピンと来ない人も多いだろう。

 そして、このシーンがどんなに僕の中で大事かは、僕自身がよくわかっている。

 たぶん時代が変わると、また別の場面で、やって来るのだろう。

 ・・・・・・

 小さい頃に牛乳瓶のふたを投げて、よく遊んだことがあるが、

 そのシーンは、偶然にも一番、遠く飛んだときのような気がする。

 国も変われば楽しみも変わる。それぞれの時代でもまるで変わるだろう。

 僕は、あの印象的に楽しかったシーンの中に、たぶん今も住んでいる。

 そして、それを世界中に発信しようと頑張っているようだ。

 一番よく飛んだ、牛乳瓶のふたのように、、。


「歌おくり」'08.12/15

 10年前、5年前と、作ったままの歌がある。

 何度かは歌ったことがあるが、うまく歌えなかったままだった。

 先日のライブで、あえて、そんな二曲選んで歌ってみた。

 その歌には、登場する主人公がいて、

 偶然にも、どちらの歌もふるさとに戻ってゆくストーリーになっている。

 歌の構成やメロディーのシンプルさのせいか、うまく歌えたことがなかったが、

 今回のライブでは、それなりに歌えたという気持ちになった。

 5年ぶりくらいに歌ってみて、、。

 歌詞ノートの中にずっとあった歌。

 その中にいた、ふたり主人公は、やっとふるさとに帰れたような気がした。

 ふっと軽くなって。。


「タイムスリップ」'08.12/13

 仕事帰り、総武線の各駅で帰ってきた。

 なんだかぼんやりと、、。疲れ気味で席のはしっこに座り、、。

 目の前の席には、ギターのソフトケースを抱えたお姉さんが座っていた。

 髪が長くて、、なんだか、70年代の雰囲気で。。

 (フォークブームの頃の電車は、こんな感じだったのかな・・)

 ギターソフトケースに付いてる物入れには、一冊のソングブックがのぞいていた。

 僕にはそのソングブックが、70年代の歌であるように思えた。

 古い歌ではなく、今ヒットしている歌のように。。

 (タイムスリップしているようだな・・)

 そんなことを想っていると、

 そのお姉さんは、すっと、ギターケースの物入れに手を入れた。

 そして出したのが、、、なんと懐かしい、あの缶入りの

 「浅田飴クール」だったのだ。。


「不思議ギター」'08.12/11

 とても鳴りのいいギターを持っている。

 鳴りが良いのは、素晴らしいのだけれど、

 気候の変化にかなり影響されてしまう。

 びっくりするほど。。

 国産のギターもかなり使ってきたし、外国製のギターも使ってきたけれど、

 こんなギターは初めてだ。

 いろんな原因が考えられるが、もしかしたら僕の耳の変化かもとか思ってしまう。

 驚くほど、鳴りのよいときもあれば、

 あれ、こり同じギター?? と、思えるほど鳴りがちがって聞こえる。

 そんなときは、いろいろ弾き方を変化させて、イメージする音に近くしようと、

 がんばってみる。

 それも妙な話ではあるけれど。。

 自分のギターを弾く能力がかなりアップしてくるのは事実だ。

 魔法でも使っているかのように思える。

 今日はライブだが、かなり魔法をつかって、がんばろうと思う。


「面白いおじさん」'08.12/9

 知り合って10年15年とたってくると、

 友達もそうなったのかな。

 ほんと二十歳くらいのときは、ああだこうだとそのドジさかげんに、

 みんなであれこれ言ったものだった。

 しかし、時がたち、それは味になった。

 愉快なおじさんになった。

 若者が旅先で出会う面白いおじさんになった。

 大きく手を振る、そんな風景。

 思い出つきない、その中のひと。 


「6弦チューニング」'08.12/7

 中学の頃、ギター弾き始め。

 最初といえば、まずチューニング。

 音叉があり、まず5弦のAを合わせる。

 それから4弦、3弦、2弦、1弦。

 そして最後に6弦を5弦に合わせてチューニング。

 音源雑誌にもそう書かれてあったし、教則本にも、そう書かれてあったので、

 僕もその通りにチューニングしていた。

 最後に6弦を5弦に合わせるというのは、とても考えられた合わせ方であると、今はよくわかる。

 6弦の5フレットと、5弦の開放を合わせるということが重要。

 たいがいギターの6弦というのは、フレットに正確に合わないもので、

 本当は、開放と5フレットの真ん中くらいで合わせた方がベストなのだが。。

 そんなことは知らないで、僕らは中学時代に、最後に5弦をチューニングしたのだが・・。

 ・・・・・・・

 最近は、チューニングメーターが主流になってきていて、 

 ギターの弦も6弦から合わせてゆく場合が多い。

 しかし、生ギターの場合は、6弦をもう一度、チューニングしなおす必要が本当はある。

 5弦とね。。

 しかしほとんどの場合、6弦の開放をメーターで合わせて、良しとするであろう。

 それでは、生ギターの場合うまく合わないんだよね。

 (エレキギターの場合は、ほぼOKであるが・・)

 みんな気付いてくれるだろうか、、、?

 いや、たぶん無理かな、、。

 チューニングメーターを信じているからね。

 その昔、知らず知らずの知恵があった。


「マーチンギター」'08.12/5

 先日は、ギルドギターが思うような音が出せなかった。

 想像するに、ギターの弦が古かった可能性が高い。

 コントロールできなくなると、あわあわしてしまい、つい大きめな音になってしまう。

 なおさら、それで失敗する。。

 (おちつけよ)と、ギターの方から言ってくれたらなと思う。

 マーチンギターであったなら、きっとそう言ってくれるのではないか、、。

 特にD-35なんかはね、、。

 音が深く伸びるしね。。

 落ち着いているんだよね。

 まるで旅館の和室のような、、。

 まず、日本茶を一杯、、。


「ライブの恩人」'08.12/3

 ライブはそのときだけのものという考えも、もちろんあるだろう。

 何も残さないという方が、気持ち的にも時の中に入っていけるのかもしれない。

 でも、ときにはとても良いテイクが生まれるときもある。

 そんなときのためには、何かしら録音をしておいた方がよいと思う。

 しかし僕の経験から言うと、良いライブのときほど録音を失敗するものである。

 逆に言えば、録音にまで気が回らなかったとほど、いいライブになるというか、、。

 (あ〜ぁ、録音しっぱいしちゃった。。)

 まあ、良いライブのときの宿命とでも言うのかな。

 時には録音に成功しているときもある。

 ばっちりだと思っていたら、録音レベルが低すぎたりするのだ。

 (またか、、)

 しかし、偶然にも録音していた友達がいて、そのライブ音源を発表することが出来た。

 その友人が録音していなかったら、作品として出すことはなかったであろう。

 ライブの恩人。。

 良いライブほど、記録に失敗するのが常なので、、。


「温泉、ひょうたん風呂の三人にもの申す」'08.12/1

 先日、近場の温泉にでかけた。

 都内にあるというせいもあるが、多くの人が利用していた。

 僕自身は、ほんとのんびりと風呂につかるのが好きなので、

 なるべくなら静かな方がいい。

 その日、露店風呂の方に行くと、ひょうたん風呂があり、その半ぺたの方に50才代と思われる三人が話していた。

 たぶん仕事の仲間であろう。その三人は、ひょうたん風呂の半ぺたの中、離れて入っていた。

 そして、聞こえる声でいろいろ話していた。

 そんなさあ、三人で離れて話されていたら、誰もそっちがわに行けないじゃないか、、。

 僕も同じひょうたん風呂の半分に入って、その三人があがるのを待ってみたが、まるで上がる様子がない。

 僕は話し声が気になって、ついつい出てしまった。そしてサウナ室へ。

 サウナ室は、テレビはついているものの、みんな黙って汗を流すというところがいい。

 僕も入って、汗をかいていると、なんと、またあの三人が話しながらサウナに入ってきた。

 そして、たらたら話し続けたのだ。

 まあ、話たいのはわかるけど、、。

 サウナは我慢、その上、また我慢するなんて出来ないよ。

 僕は出て、すぐさまひょうたん風呂に向かった。

 今度は、のんびり入れた。

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