青木タカオ「ちょっくら・おん・まい・でいず」

「今日の夜話」過去ログ'07.7〜'07.10月


「森の石松」
'07.10/31

 ずーーーと前のこと、

 友達が「二代目・広沢虎造」の「石松三十石船道中」の浪曲のカセットをプレゼントしてくれた。

 すっかり忘れていたけれど、先日、カセットを整理していて、出てきたので聞いてみた。

 「江戸っ子だってねぇ、神田の生まれよう、すし食いねぇ!!」で、超有名な、森の石松の話だ。

 (若い人は知らないかもしれないが・・)

 日々、なかなか浪曲を聞く機会はないのだけれど、実にこれがみごとだ。

 もう二日間で、面白くて10回ほど聞きいている。そんなふうに何十回も聞かせることがまず素晴らしい。 

 構成もみごとだが、その話の表現力。イメージ描写がこれまたみごと。

 音声だけではあるけれど、空気感が実によく出ている。

 特に、僕が驚いたのは、「石松三十石船道中」の最後の方で、石松が身受山鎌太郎に会いにゆくところを語る部分。

 それは淡々と語ってはいるのだけれど、遠くに山々がうっすら見えたり、

 昼の陽射しの明るさ具合、旅の時間、他、リアルに見えてくるのだ。

 船を降りてから、石松が身受山鎌太郎の家を探してゆく場面は語られてはいないが、そこまでも見えてくる。

 語らずして、見させる、そのテクニック。すごいぞ。


「60歳」'07.10/29

 もう二十年もつきあいのある友人は、今年60歳になったという。

 出会った頃、40歳だったわけだけれど、20年たっても、そんなに印象が変わっていない。

 友人が言うには、僕も変わっていないとのことだけど。。

 60歳の友人なんて、僕が若かった頃には、なかなか想像も出来なかった。

 それにしても、みんな若いな。

 年齢を聞くとびっくりするんじゃないのかなと思う。

 みんな僕と同じ職業ではある。ほぼ一日歩き続けている仕事だ。

 それが関係ないとは言えないけれど、びっくりすることは、今の60歳がこんなに若いということだ。

 あと10年もすれば、70歳になってしまう。60歳と言っても、ロックをやっている人も多い。

 僕が小さかった頃、ある程度、年齢についてのイメージが出来ていた。

 それは今、完全に崩れているのではないかな。

 今の子供たちは、どんな印象を60歳に持っているのだろう。どんな印象を年代ごとに思っているのだろう。

 そしてやっぱり、寿命は80歳代くらい。ここが不思議なところ。



「時代劇」
'07.10/27

 先日、テレビにて、普通のドラマをやっていると思ったら「水戸黄門」だった。

 それも最近のものね。

 なんだか、テレビの映りが良いというより、やっぱり最近のテレビ画質なんだよね。

 普通の現代ドラマを時代劇でやっているような感じ。

 どのシーンを見ても、どうも古い感じがしない。

 やっぱり雨のシーンにしても、廊下を走るシーンにしても長屋のシーンにしても、

 ちょっとくすんだ画面の方が似合っている。音声もね。クリアすぎるのは実感が湧かないなぁ。

 しかし、現代にあの古くさい画質で撮って欲しいというのも、少し無理がある。

 今やデジタル放送の時代だしね。

 もう僕の思う時代劇はできないのではないか。

 個人的な気持ちとしてね。

 なんとか、うまく時代性が出せるといいのに。



「ファッション」
'07.10/25

 僕がファッションに目覚めたのは高校の頃だった。

 目覚めたというのもおかしな表現だけれど、それまではただ服を着ていたという感じなのだ。

 高校時代からは、ファッションには妥協しないでやってきた。僕なりのこだわりで。

 上京してからもそれは続いた。僕は好きな服は、池袋の西口や上野の安売り店にあった。

 けっして値段か高くないところが救いであった。しかし欲しい服はほぼ全部買ってきた。

 マフラーもそうとう買った。欲しい柄を探して東京じゅうを回ったこともあった。

 しかし、そのファッション追求傾向は、年令とともに多少は衰えてくるようだ。

 だいたい、ここ数年ぜんぜん服を買っていないのだ。

 そして今年は、仕事のことやいろいろと忙しく、まるでファッションに気をつかえなかった。

 そこにあるものを着ていた。これではファッションを語ることもまるでできないだろう。

 そんなふうに春・夏・秋と過ぎていった。そして冬。

 冬だけは、パターンが決まっているので、やっと自分なりのファッションをすることが出来る。

 帽子にマフラー、そしてコート。そこまでは完璧だ。中身はわからないけれど。。

 最近だんだん仕事にも余裕が出てきた。またいつものように戻ろうと思う。



「手のひらに書いた文字」
'07.10/23

 先日メモしたとても大事なことが、どこにあるのかわからなくなってしまった。

 いったいどこに書き残したのか、いろいろ思い出してみた。

 確かに何かに書いたはずである。

 探しても探しても、そのメモがない。もしかしたら、手のひらに書いたかもしれない。

 僕はとても大事な事は、よく手のひらに書いてしまうのだ。

 手のひらに書いた可能性がとても高い。それではどこにもメモが残っていないはずだ。

 とても大事な事だったのに。。僕の大失敗だ。

 手をひらを見つめてみても、もう文字は浮かんでこない。

 僕の脳もこうだったら、いやだな、、。

 またICレコーダーを持ち歩こうかな。


 
「歌の体」'07.10/21

 ときどきは、オリジナルの本人ではなく、最初に友達から歌を聴くときがある。

 それはそれでしっかりと、歌を印象深く受け取ることができる。

 そして何十年もオリジナルで聴くチャンスがないと、歌はすっかりと友達の歌うバージョンで定着してしまう。

 先日、そのオリジナルを聴く機会があったのだけれど、なんだか不思議な印象を受けた。

 歌には、体みたいなものがあるのだなと。

 手や足や頭があって・・。

 僕らはオリジナルの歌を本人から聴くときは、歌以上に本人のパワーをすごく感じているんだな。

 友達の歌で知り、何十年もたってから、オリジナルを聴いたとき、僕は歌の体を感じることができた。

 友達がどんなふうに、この曲をもってきたのかもよくわかった。

 どこかそっくりだったかも。

 オリジナルの歌い手が歌をつむぐように歌ってゆくと、だんだんと歌の体が完成してゆくのがわかった。 

 手や足や頭があって・・。

 僕らはついつい、本人自身が歌っているのを聴き見ていると、歌の体を感じ忘れてしまう。

 歌にも体があって、歩いたり、電車に乗ったり・・。



「箱みかん」
'07.10/19

 青果市場にいた頃、冬と言えば「箱みかん」の季節であった。

 100箱、200箱、300箱、とトラックに積み込む事も多かった。

 今、みかんは箱売りされているのだろうか、、。

 実家にいた頃は、冬はみかんは箱で買い、どんなときにもみかんだけは、いつでもあった。

 特に12月から1月にかけてはね。

 箱みかんは、素晴らしい。しかし「腐れ」が出ることはさけられないが・・。

 それでも、箱みかんは素晴らしい。コタツの上にいつもある、みかん色のあたたかさ。

 箱みかんは、近所の八百屋さんで買うのが普通だったのであろうか。

 ちょっと離れたスーパーマーケットからでは、自動車で持って帰ってくるしかないのかな。それとも宅急便?

 都心では、箱でみかんを買う人も少なくなっているだろう。

 ちょこちょことナイロン袋いっぱいに買ってくる人が多いだろう。

 それ以前に、みかんの消費も少なくなっているのではないか。

 '85年頃の青果市場では、冬はみかんの事で精一杯だった。それは現在も続いているのか?

 いつのまにか、変わっているのではないか、、。



「目カメラ」
'07.10/17

 外仕事にて、ほぼ一日、数字とにらめっこをしいる。

 もう20年。

 数字を記憶する方法はいろいろとある。声に出してみて、耳でも記憶するのもひとつのやり方だ。

 この方法は目と耳のダブルで記憶するので、まちがいも少ない。

 最近は、目で見て、まるでデジタルカメラのように映像で記憶するやり方を目指している。

 人間の能力は限りがないと思うので、だんだんとはっきり憶えることも可能であろう。

 自分のカメラ映像を信じて、まちがいないと確信できることが理想で、今、その訓練中。

 ずっとその訓練を続けてゆけば、そのうち、ほんとのデジタルカメラのように記憶できるのでないか。

 そう信じている。

 音楽もそんなふうに記憶できるといいな。

 もし職業で、一日音とかかわっていたら、それもできるかもしれない。



「14型ブラウン管テレビ」
'07.10/15

 いつも見ている21型のブラウン管テレビが調子悪くなってしまった。

 押入れの中から出してみたのは、それよりも10年ほど前に作られた14型ブラウン管テレビ。

 一人暮らしの必需品のようであった古いタイプのテレビだ。

 見てみると、これまた意外、なんと見やすいのであろうか。

 調子が悪くなった21型のテレビの方は、ブラウン管の最新型? であり、コントラストや色あいも鮮やかにはなっている。

 しかし、古い14型テレビの方が、実に映像がやわらかいのだ。

 コントラストがきつくないというせいもあるのだろう。そして色あいもやさしい。

 14型テレビは小さいぶん、画質の目も細かく、きれいに映っている。

 最近の液晶・薄型テレビの傾向としては、どんどん鮮やかになっているが、目にやさしい傾向とは言えないだろう。

 ブラウン管テレビは、たしかに薄くはない。21型になると、かなり厚みがある。

 14型くらいだと、そんなに厚さには問題なく、どこにでも置けるであろう。

 14型ブラウン管テレビ、それも古いタイプは名作・傑作な電化製品ではないかな。

 薄型テレビ全盛の時代になりつつはあるけれど。



「通称」
'07.10/13

 物や場所、そして人には、正式な名前と通称がある。

 実家にある海岸通りは通称「アベック道路」と呼ばれていた。

 と、言うか、その海岸通りには、呼ぶべき正式な名前がなかったように思う。

 もともと呼ぶ名前がなくて困っているものに、呼び名が付く。

 その場所だと誰もがピンとくる名前で。

 地名なんかは、その通称がそのまま正式名称になった場合が多いのだろう。

 嬉しいのは、それが地名として登録されているということだ。

 たぶん、境界線など最初は何もなかったはずだろう。

 今では駅や線路を中心に、北や南と分けられているが、そういうことでもなかったであろう。

 動物や植物や魚の名前も学術的な正式名あるだろうけれど、通称で普通は呼ばれている。

 「ほら、あれがシマウマだよ」

 そんなふうに、大昔はちがう名前だったものもあるはず。

 「猿」は「さる」だったのか、「さる」が「猿」になったのか。

 「さる」は「去る」だったのか、、??

 そんなふうに、あらゆるものには通称がある。

 「アベック道路」は今も、そう呼ばれているだろうか。。



「リモコンを洗う」
'07.10/11

 使っていなかった14型のテレビを押し入れから出してみた。

 テレビは大丈夫だったが、リモコンは電池の液漏れを起こしていた。

 液漏れって、今もあるんだな。先日もカセットレコーダーの電池の液漏れで壊れてしまった。

 カセットレコーダーはだめかもしれないが、リモコンは直るのではないかといろいろがんばってみた。

 が、だめだった。。リモコンがないと、テレビの調整が出来ないんだよね。

 そこで思い出したのが、いつか雑誌の中で紹介していた、電化製品を洗って修理する人のこと。

 コンセントのある電化製品はかなり危険ではあるが、リモコンは電池なので、液漏れが洗えるかもしれない。

 反応しなくなったリモコンを僕は水で洗ってみた。もうそれよりすることがない。

 充分に洗って、今度はすぐにドライヤーで中身を乾かした。そこがキーポイントだと信じ。。

 電池を入れてみる。。スイッチON・・、しかし、、、 反応はない。。

 ・・やっぱりだめか。。

 しかし10分後、奇跡は起きた。リモコンが反応しはじめたのだ。

 リモコンは復活した。噂は一応、本当だった。こんなやり方もある。

 (でも、洗った電化製品の保証はまったくありませんので、真似しないように。)



「アパート」
'07.10/9

 目白には、10年ほど住んでいた。

 四畳半のアパートに。今思えば、ひとつの時代だったかなと思う。

 もうその当時でも、古かったのに、またそれから18年もたってしまった。

 先日、目白のアパートを訪ねてみようと思ったときがあり、僕は大通りから路地を入っていった。

 新しく建てられたビルが見えてきて、その向こうがアパートのはずだと思って行ってみると、

 そこは駐車場になっていた。

 まあ、10年振りくらいに訪ねたのだから、駐車場になっていてもおかしくはない。

 (はぁ・・)

 しかし、それは僕のカン違いで、その次の建物が僕の住んでいたアパートであった。

 なんと、まるで変わっていない。それも僕の部屋の外窓だけが、まだ木の窓のままではないか。。

 安心した。それと同時にそれはひとつの奇跡のひとつのように思えた。

 あれからアパートはふたつ変わった。ひとつ前のアパートはマンションになった。

 そして僕が今もこんなふうにフォーク生活が出来ているのも、ひとつの奇跡のような気がする。

 あの最初に住んだアパートが今も残っていたこととも、無縁ではないだろう。

 いや、アパートだけではない。そっと残り続けているものが、何か深く支えになっている。



「たいがいのパターン」
'07.10/7

 僕の経験でいうと、

 一番撮りたいシーンのときは、くやしいけれどカメラを持っていないものだ。

 ライブだって、すごく良いときほど、録音していないものだ。

 それと同じように、ちょっとしたことで、録音や録画も失敗してしまう。

 (ああ、くやしい!!)とは、思うけれど、それは即座にあきらめてしまうことだ。

 録画に失敗しても、音源があればいいし、音源がだめでも録画が大丈夫なら良い。

 また、何も残っていないときも、そういうことだったということで、僕はすぐにあきらめる。

 なんだろう、、、運が良ければ、うまく残るし、とかくらいに思っている。

 たとえば、自分では録音していたつもりでも、マイクジャックをまちがえて入れていて、

 何も録音されていなかったりね。。

 (ああ、失敗!!)と、軽く思うことが大事だ。そういうことはよくある。

 それとは別に、テープや機械のちょっとしたことで、録音・録画に失敗することはよくある。

 だから、頼まれたりして絶対に失敗できないときは、

 軽く予備でもうひとつ用意しておくことしか方法がない。

 そしてもし失敗しても、その人を攻めてはいけない。誰も失敗するためにわざわざ用意してゆく人はいないのだ。

 運が良ければ、残る。そのくらいの気持ちが必要だ。

 機械はすぐに失敗する。でも僕らが見たり聞いたりする感覚はほぼ100パーセント失敗しない。



古い噺'07.10/5

 とある下町の駅からすぐのところ。

 商店街から一本入ったところに、古い喫茶店を見つけた。しかし、どうも今はやっていない様子である。

 窓に貼ってあるマンドリン倶楽部のポスター。もう色あせているかと思えば、まだこれからのポスターである。

 午前の11時すぎだったかな。店の前で立っていると扉が開いて、中から初老と呼ぶには、まだ若いおばあさんが掃除をしながら箒片手にあらわれた。

 マンドリン発表会のポスターを見ている私に女性は気付き、「あら、マンドリンにご興味?」と、きいてきた。

 「ええ、楽器はやっているんですけどね。ギターです。。あれ、喫茶店って、今もやっているんですか?」

 「喫茶店ね。。やってますけど、月に何回か、ここでマンドリンの稽古をみんながしているんですよ。そのときね。」

 「はあぁぁ、いいですね。ちょっと中、覗いてもいいですか」

 「ええ、どうぞ。なんなら珈琲一杯飲んでいきます?」

 「ああ、いいですね。じゃあ、ちょっとだけ・・」

 ・・・・・・

 中に入ると、古いバーもようでもあり、山小屋のようでもあった。

 カウンターと、そしてテーブル席がいくつか。手前奥には、ソファー椅子で輪になれるスペースもあった。

 「ここでみんなでマンドリンの練習をするのよ。まだ若いみなさんだけどね。店ももね、こうして使ってあげないといろいろと痛むからね。マンドリン倶楽部はすごく古いのよ。」

 「へーえ、ここで練習なんていいですね。僕もギターで唄ったりしているですけれど、こんな店があったらなぁって、いつも思っているんですよ。」

 「あら、なんなら、ここ使ってもいいですよ。みんながわいわいとしているのは好きだし、店も使ってあげないとね」

 「あっ、そうですか!! では、また連絡します。楽しみだなぁ」

 ・・・・・・

 それから、僕らはそこで、初めてのライブをすることになった。音響はなかったが、まったく問題はなかった。好きな歌をうたい、珈琲を飲み、おばあさんも嬉しそうであった。

 それからはるばると10年もたった。ときどきではあるが、素晴らしいスペースで唄うことができている。

 マンドリン倶楽部の発表会のポスターは今年も貼られている。その隣には、ときどき、僕らのライブのチラシも貼られている。

 そんな夢のような噺って、ないのかなぁ。

 (この物語は途中からフィクションです)



「町と地図」
'07.10/3

 町がある。

 そこに入るのには、特に入場料があるわけではない。

 古い町も、新しい町も同じ地図の中にあり、そこには何かしらの住所がある。

 僕らはそして訪ねることができる。10年振りだったり、20年振りだったりしながら。

 それは、地図の中にその町があるからだ。

 僕がこの部屋にいるのも、地図の中に僕の部屋があり住所があるからなのだ。

 そしてマップができる。

 僕は思う。人もみんな、それぞれ、訪ねられる町だったらなと。

 その町はそしてマップの中からはなくならない。住所だってある。

 ・・・・・・

 (それって、ホームページじゃない? アドレスもあるし。。)

 そんなふうに言う人が多いだろう。

 でも、僕の思うイメージは、地図の中に確実にある町のようなものなのだ。

 ひとつの町としてね。その土地にはその町があるとはっきりしるして欲しい。

 僕らはみんなそれぞれ町ならば、地図というものを作りたい。

 日本国、アオキタカオ町3丁目10番地とかでもいい。



「23歳・50歳」
'07.10/1

 若い頃、知り合ったKさんがいる。

 23歳。大学を卒業した1年目であった。

 僕は19歳。みんなも同じ位の年齢であった。

 「まあ、みんなよりちょっと年上だけどね・・」と、いつも言っていたKさん。

 鼻の下に、たくわえたヒゲは、僕らには、大いなる先輩に思えた。

 何かトラブルがあると、いつも仲に入って、話をつないでくれた。

 ヒゲがあるというだけで、人生の先輩として、何でも相談した。そんなKさん。

 何年かして、連絡も遠くなってしまったが、今年は50歳になっているはすだ。

 あれから、27年たった。Kさんは、今も鼻の下にヒゲをたくわえているだろうか。

 多少、髪に白髪が混じってもいるだろう。町会の会長とかになっているかもしれない。

 会社を立ち上げて社長になっているかもしれない。鼻の下のヒゲも、似合っているだろう。

 背広かなんか着て、社長の椅子に腰掛けている予感がする。

 ちょうどいい年齢になったのではないかな。Kさんの名前の響き通りな。。

 これが60歳代になると、また印象が変わってくるだろう。



「起きかけの音」
'07.9/29

 今朝はなんだか、実家の二階で眠っているような感覚になった。

 思うにそれは、朝の音に関係しているように思えた。

 実家の二階の僕の部屋から聞こえていた、朝の音。

 その音が意識の中に聞こえてくるとき、僕らは起きかけにその場所に戻るのではないかな。

 以前も母の実家で眠っている夢を見たときがあった。

 (あれ、いつ泊まりに来たっけ・・?)

 なんて思ったけれど、起きてみれば自分の部屋である。

 起きかけの自分の意識ほどあいまいなものはないなと思う。

 眠っている間にそっと、実家に運ばれていてもわからないしね。

 そんなふうに朝の音によって、僕らは起きる前に自分の居場所を探っているのではないだろうか。

 それぞれ住んでいた場所の朝の音を録音してあるとしたら、

 再生して朝の数時間に流したら、僕らは簡単にその場所に戻れるかもしれない。

 でも、、朝の音を録音しておくような人はまずいないと思うけどね。。



「迷う所」
'07.9/27

 年に一度くらいは、電車の行く先の感覚が逆になることがある。

 北と南が反対になるというのかな。

 (あれーっ?)と、思いながら電車に乗り込むのだ。

 たぶん、世界が反対になったのではなく、自分の感覚がさかさになったのは確実だ。

 住んでいる街の、あるブックセンターに入り、もう一度外に出ると、いつも東西がわからなくなってしまう。

 もう20年以上も住んでいる街なのに、駅の方向がわからなくなるのだ。

 ありえないと思っても左右がわからなくなってしまう。

 ぜったい大丈夫と思って、ブックセンターに入り、そして外に出てみると、いつもこれだ。

 北と南がわからない。毎回そうなのだ。

 たしかに、右と左を見てみると、同じような眺めになっている場所だ。

 いつか一度悩んでから、それ以来ずっとだ。

 たぶんこれは、僕の中の安全装置が働いて、わざと迷うように出来ているのであろう。

 慎重にということかな。

 それにしても、あの左右、北南が逆になったような感覚。

 それを直す方法がきっとあると思うんだけどな。

 しゃっくりを直すために、息を飲み込んだりするように。

 目をつぶり、左手の甲をつねるとか、、三回ずつ、体を逆に回してみるとか。

 誰か直す方法を知らないか、、。



「ロングヒット整髪料」
'07.9/25

 先日、いつもの安い床屋に行ったら、整髪料として「バイタリス」「MG5」が並んでいた。

 バイタリスは1962年、MG5は1967年発売のロングヒットの商品。

 僕も中学生・高校生の頃は、かなり整髪料にこだわりを持ったものだった。

 「BRAVAS」「エロイカ」も出ていた。僕はエロイカを使っていた。

 それから出たのが「タクテイクス」。カネボウ「バルカン」もあったなぁ。

 いろいろ使ってみたけれど、バイタリスは、値段がかなり安かった。250円くらい。

 それよりちょっと高かったのが、MG5かな。「エロイカ」「BRAVAS」は、700円くらいかな。

 「タクティクス」は、それより少し高かったはず。「バルカン」は高級のイメージがあった。

 僕が中高生だった1973年から77年くらいの間、まあMG5はなんとか、使えた感じであったけれど、

 バイタリスはかなり使うのに勇気がいる感じであった。個性的というかね。ちょっと昔風というか。

 存在感たっぷり整髪料であった。

 そんなバイタリスとMG5が今、安い床屋さんに置かれている。

 65歳以上はもっと安くなるという「シルバー割引」があるので、お客さんも年配の男性が多い。

 「整髪料、つけますか?」「ええ」「バスタリスかMG5がありますが・・」「じゃあ、バイタリスで」

 そんな会話が聞こえてくるようだった。

 「MG5」を選ぶ人もいるだろう。その気持ちもわかる。

 「バイタリス」ではないものという選択肢であろう。

 それにしても、この2007年、「バイタリス」と「MG5」が並んでいるなんて、、。

 ロングヒットもここまでくると、すごいものだ。



「生演奏」
'07.9/23

 久し振りに生演奏ライブ。

 こんなときは楽器本来の力が出てくるものだと思う。

 考えると、もともとは音響システムがない場所というものが、ほとんどであったであろう。

 その歴史の方がずっと長い。今は楽器の音をふくよかにするための、ボディであるようだが、

 本来は、楽器の音を大きくしてみんなに届ける理由からであったろう。

 いい楽器は遠くまできれいに音が届く。それは聞いている人にもすぐわかったであろう。

 また演奏者の方も、大きく音を出しながらも、力のこもった音ではなく、繊細な響きを作っていただろう。

 声の出し方もそうだ。普通に歌いながらも、音量を出していただろう。

 今回は、普通に弾いても聞こえる大きさのスペースであったが、これがもっと広かったり、野外であったなら、

 かなりの弾き方、歌い方の努力が必要になってくる。

 民謡歌手の喉のような。

 生演奏だと、五メートルくらいが、ほんとに理想的。

 見つめる楽器から音が聞こえてくるしね。



「そんな奇跡みたいなこと」
'07.9/21

 電車の中、ふと気がつくと、携帯ミュージックプレイヤーの電池ふたがなくなっていた。

 もともと外れやすかったふたではあるが、とうとうなくしてしまったのだ。

 ポケットの中にはない。でも、まあ、部屋の中にあるかもしれないし、、。

 僕は信じる気持ちで部屋の中を探す。でてこい、出てこい、デテコイと。

 ありそうだけれど、出てこない。。やっぱり、外で落としたのかな、、。

 いつも歩く道は決まっているので、そのどこかにまだ落ちているかもしれない。

 僕は目を皿のようにして、朝の道を見てゆく。

 落ちていないかなぁ。落ちいていいんだけどなぁ。

 そんな奇跡みたいなことがあってもいいじゃないかな。

 誰も拾ったりしないよ。あんな小さなふたひとつを。

 しかし現実は厳しかった。僕は駅に着いてしまった。

 たぶん、電車の中に落としたのかもしれないな。。電車では見つからないかな。

 そんな気持ちのまま、僕はアルバイト先に向かった。

 トイレに入ってみたたところ、ペーパーホルダーの横に、

 探していた電池ケースのふたが、わかるように置かれていた。

 あった。あったよ。こんなところに。

 誰かやさしい人が、わかるように置いてくれていた。

 たぶん、いろいろなタイプの奇跡があるんだな。



「ブラスチック物干し」
'07.9/19

 折りたたみプラスチック物干しって、どんなものだか、伝わるだろうか。

 最初は、金物であった。折りたためて、洗濯ばさみが、20個くらいついている、例のやつだ。

 アパート一人暮らし、その窓の物干しにかけられてある、長方形のあれだ。

 陽をあびてるというせいもあるだろうけれど、

 そのプラスチックの洗濯ばさみは、ある一定期間が過ぎたあと、ポキッと折れる。

 「あっ、折れた、、。」

 そう思っていると、また次の洗濯ばさみもポキッと折れる。同時だ。

 先日は、一気に次々と、6つ以上ポキッと折れた。

 おもしろいように折れてしまう。

 それはあんまりにもせつない音だ。

 それでも洗濯ものはあるので、無理して折れた洗濯ばさみにはさむ。

 いよいよ買い換えかな。。

 そのあと半年は、いつも使うけれど。。



「コピー論」
'07.9/17

 友人の残した歌詞を書いた紙をもらい受けることになった。

 友人は同じ手書きの歌詞を、何枚を書いていて、そのうちの一枚をわけてもらったのだ。

 現代では、コピーも発達していて、普通であったなら、コピーして使うであろう。

 (その友人もコピーも使っていたが・・・)

 その手書きの歌詞を見ながら歌ってみると、何かちがうものを感じた。

 僕もまた歌をコピーで歌ってみたわけだけれど、最初に書かれた歌詞の生命感を感じることができた。

 歌詞をコピーするということは、コピー機械でするのと、手書きで写すのとは、意味合いが違う。

 機械では、一気にコピーするが、手書きだと1行目から書いてゆくだろう。

 本来なら、僕の手書きで写すというのが、一番良い。

 友人の手書きの歌詞を見ながらギターで歌ってみると、自然と僕のギター弾き方で歌ってしまった。

 歌の流れが生きているためかなと思えた。

 コピーという考えの基本がここではちがう。

 とても大事なものが、そこには確実に残っていた。



「僕の携帯電話メモリー」
'07.9/15

 僕の携帯電話は薄くて良いのだけれど、メモリーカードが入っていない。

 おまけにパソコンへのデーターの転送がコードではできない。

 だから、メールや写真がたまってくると、すぐにメモリーがいっぱいになってしまう。

 そうしたら、パソコンの方にいちいちデーターを送信して保存しないと、消すしかないのだ。

 それが時間がかかるんだなぁ。

 特にメールの保存は、メールを20件くらいコピーして、ひとつの文として、パソコンに送信する。

 と、いう具合なのだ。

 メモリーが足りなくなると、「何か削除して下さい」とメッセージされる。

 それは本当に困る。

 ・・・・・・

 僕らの頭脳もそんなにふうになったらとても困るだろう。

 おぼえすぎてメモリーがいっぱいになると、何かを捨てて、そして記憶する。

 高校時代のテストでは、そんな感じのおぼえ方をしていたかもしれない。

 しかし、実際には、頭のメモリーはいっぱいになることはなくて、

 大切な出来事の前に、とっさに大切な出来事があったとしても、その記憶が薄くなることはない。

 ちゃんと無事に保存され、思い出すのは大丈夫だ。

 時間のあるときに、再生して、また僕は再体験をする。

 こんなに生きてきて、まだ頭脳のメモリーがいっぱいになってなくて、嬉しい限りだ。

 ああ、本当に良かったよ。頭が僕の携帯メモリーのようでなくって。。

 メモリーとの戦いは、せつない。



「古い仲間」
'07.9/13

 今、電車にて、水木しげるの「墓場鬼太郎」を読んでいる。

 「墓場鬼太郎」は貸本漫画時代に発表されたもので、「ゲゲゲの鬼太郎」の始まりと呼べるものである。

 テレビアニメの鬼太郎よりも、もっと、おどろおどろしていて、僕個人的には初期の「鬼太郎」ほうが好きだ。

 最初は「妖奇伝」というタイトルにて、出た本である。その中に「墓場鬼太郎」は出てくる。

 すぐに「目玉の親父」も出てくる。そして、ちょっと遅れて、初期の「ねずみ男」も登場する。

 最初は、ほんと汚い男というイメージで出てくる「ねずみ男」。

 テレビアニメの頃には、かなり変わってきてしまう。ちょっとこぎれいになったというか、、。

 僕は初期の「ねずみ男」が好きだ。ほんとに悪い奴で、それでいて、ずっこけな奴で。

 その後は、鬼太郎と言えば、いつもねずみ男がそばにいて、まるで友達のようになってしまうのだが・・。

 最初は顔も身なりも汚い奴だった。そんなねずみ男。

 鬼太郎の漫画の中でも、最初にすぐに出てくる登場人物。

 古い仲間と呼ぶのにふさわしいだろう。

 鬼太郎と会う前に300年も生きているということだが、、。

 そして次々といろいろとキャラクターが山ほど登場してくる。

 はるばると続く物語の始まりにいた二人。

 「おまえも変わったよなー」

 とか、話しているかもしれないが。。



「蒸気機関車」
'07.9/10

 先日、「ポー」と言う音を聞いた。汽笛のような音。。

 小学校の頃のこと、鉄橋の上に父ちゃんとふたりで立っていた。

 向こうから来る蒸気機関車。

 「もうすぐ、あの汽車なくなんだてがのう、、」と、父ちゃんが言った。

 「うそーっ」と、僕が答えた。

 そうして、煙を吐く汽車がやって来て、僕らの下を過ぎていった。

 あのとき見た、蒸気機関車は忘れていない。

 僕が小さい頃、ふだんの生活で、汽車に乗ることはほとんどなかった。

 駅にも用はなく、汽車に思い入れがたっぷりとあるわけではなかった。

 それでも、そのときしっかりと目に焼き付けた。

 向こうから来て、そして過ぎていった時間は、1分もなかっただろう。

 汽車にはあまり縁のない僕であったが、その1分が今も生きている。

 蒸気機関車に乗ったことがないかもしれないのだけれど。



「町内会」
'07.9/8

 先日の中越沖地震にて、実家のある柏崎も大きな被害を受けた。

 帰ってみると、古い建物、古い物が、なんと言っても大きなダメージを受けていた。

 いつも通った近くの神社が、がたがたになり、危険、立入禁止となっていた。

 近くの石碑、灯籠は倒れ、地震の大きさを感じさせてくれた。

 古くからある神社は、僕の世代だけでなく、その前、そしてずっと続いて来たものだ。

 町の商店街や、建物がどんどん新しく変わっても、神社は変わらないという良さがある。

 近くの神社の被害は、細かいことまで含めれば、限りなく大きいだろう。

 柏崎市の方でも、いろいろと復旧の手助けをしてくれるだろうが、細かい気遣いまでは無理だ。

 こんな場合は町内会が頑張らねばならないだろう。

 何が大事で、大切なことか、まず判断し、そして復旧させねばならない。

 町内会は、誰か任せではいけない。心の通った対応が必要だ。

 時間はかかってもいい。大切なことから始めればいい。

 土地の心というものがある。

 じいちゃん、ばあちゃんたちの出番でもあるだろう。



「昔のはなし」
'07.9/6

 高校生が「昔、よくけんかしていました」とテレビで答えていた。

 その昔とは、いつくらいのことであう。

 10年は「ひと昔」と言うから、10年くらい前か、、。

 20年前が「ふた昔」なら、40年前は「よん昔」?

 では、500年前は「ごじゅう昔」になるのかな。

 「大昔」というのは、やっぱり1500年以上前のことかな。

 毎日毎日が24時間もあり、一週間といえど、168時間もある。

 その続きの連続。10年後には、昔と感じてもおかしくないだろう。

 10年後が「昔」ならば、それより前は全部「昔」。

 「むかし」。「むかし」の語源って何?

 調べてみたら、大きく二つの意味があった。

 ひとつは、漢字の意味の「日を重ねる」ということ。

 発音の意味からは「むかし」の「むか」は「向かう」の「むか」、

 「むかし」の「し」は「いにしえ」の「し」、

 「古(いにしえ)に向かう」と、なるらしい。

 そうか、「この話は、古いことになりますが・・」ということかな。

 それならば、わかる。

 「昔」とは時の矢印みたいなものかな。



「乗り付けの自転車」
'07.9/3

 さて、僕は昔の人と急いで会わねばならぬ。

 僕がそこに乗り付けられるひとつ文明機器があるとすれば、

 小学一年のときに買った、あの胴の青いナショナルの自転車であろう。

 それは僕が手に入れた最初の乗り物であり、自分の手足の続きだ。

 待ち合わせの相手が江戸の武士だとしても、平安時代の偉い人だとしても、

 僕は自転車で一大事に乗り付けるだろう。それもあの最初の青いナショナルの自転車で。

 「それは何だ」と、言われても何恥ずかしがることはない。

 「おれの自転車だよ」と、答えれば良い。

 僕は古い響きの歌を歌いたいと思っているが、時を戻るのは、あの自転車までで良い。

 それが現代文明のものだとしても、それで日本中のいにしえの場所を訪ねて、

 「おれが、アオキだ」と、言ってよい。

 小さい自転車なのに、どうやって乗るかはきかないで欲しい。

 あの青いナショナルの自転車で、僕はどこへでも行けるはずだ。

 日本中、世界中、そしてどんなに古い時の中にも。



「実家に帰る」
'07.8/30

 もうすぐまた実家に帰る予定であるが、誰にも、それは特別な時間であるだろう。

 僕の実家は新潟の長岡から、また電車で一時間のところにある。

 上越新幹線が出来る前は、6時間、8時間かけて帰ったものだが、

 今は長岡までは新幹線で、一時間半という短さだ。

 6時間、8時間だった頃は、心にも余裕がなく、満員の車両の中、我慢比べみたいなところがあった。

 しかしまあ、新幹線が出来て、実家に帰る道中を楽しむということも出来るようになった。

 僕なりに、いつも同じ楽しみを見つけている。それはみんな同じであろう。

 まず、途中で聴く音楽選び、読む本選びがこの部屋から始まる。

 ホームについたら、「オロナミンC」がなぜか、飲みたくなる。

 最新デジタル機器雑誌がなぜか一冊買いたくなる。

 乗り込む前には、「おーいお茶」を買う。高崎では「だるま弁当」。

 長岡乗り換えでは、立ち食い蕎麦屋さんで「山菜そば」を。

 ほとんど、このパターンは変わっていない。

 僕は思う。実家に帰る人たちはみな、こんなふうに繰り返しの楽しみを見つけているのだろうと。

 たとえ、電車に何時間も乗らない近くの人でも、飛行機に乗ってゆく、もっと遠い故郷の人でも。

 それは部屋から始まり、実家の扉を開けるまで、続いている小さな故郷。

 実家に帰る人たちの数だけ、完成された楽しみ道中がある。



「三日目の弦」
'07.8/28

 「張って三日目の弦の音が好きですね」

 そんなインタビュー記事を、何度か目にしたことがある。

 最初に読んだのは、'74年頃だったかな。

 張ったばかりの弦というのは、なんとも音がぎらぎらしてて、

 明るさはあるけれど、低音がびーんと鳴ってしまう。

 僕はどちらというと、ひと月くらいたった頃のこもった感じの音が自然で好きであった。

 先日のライブで、あまりに弦の音がこもっていたので、当日、弦を替えた。

 張ったばかりの弦ならでは、明るい音のギターであった。

 (いい音でもっと鳴るはずなのになぁ・・)

 いつもなら弾きながら音にほれぼれできるのだけれど、今回はそれができなかった。

 相棒としての僕の失敗かな。

 そして弦を張って三日目の昨日、ギターを弾いてみると格段に音が良いのだ。

 これだよ、この音だよ、君!!!

 やっとこのギター本来の響きが出てきたようだ。

 それも、弦を替える前ともまるでちがう。グレートな音だ。

 張って三日目の弦は、たしかにまるでちがう。

 それもいろんな響きが出る。

 職人の味が出ている。



「楽器店街」
'07.8/26

 ギターの弦を買いに、お茶の水によく寄る。

 お茶の水は楽器店街でもあり、僕が東京に出てきてからは吸い寄せられるように通ったところだ。

 実家にいた頃、憧れていた輸入ギターにの数々が、そこにあったからだ。

 実際に買うわけではないけれど、ただ眺めてはあれやこれやと音を想像したものだった。

 何年も何年も。。

 しかし、ここ8年くらいは、知っていても、楽器店に寄る事がなかなかできなくなった。

 とてもギターが好きなのに、、。

 見ても見てもギターの音が聞こえるわけではない、、というのは表向きの理由で、

 実は、嫉妬心にも似た不思議な気持ちが僕を帰らせているのがわかる。

 その感情は複雑すぎて、僕にもなかなか理解しがたいものだ。

 『音楽雑誌のギター特集のページは喜んで見られるのに、実際のギターが見られない症候群』

 とでも言おうか、、。

 (良いギターがあったら買おうか、、)。そんな状況にとてもないのだ。

 どんなに欲しいと思うギターでも、たぶん一生買わないのではないかという状況だ。

 そのことについての僕が、僕自身に対しての、うしろめたさがある。

 (良いギターがあったら買おうかな、、)。そんな顔して、入りたいのだ。



「ギターも弦もこの夏は」
'07.8/24

 僕の使っているギターは、とてもよく響くギターではあるけれど、

 とても天候の影響を受けやすい。

 この猛暑の夏、どうもギターの鳴りがこもりがちになってしまった。

 弦は替えたばかりのはずだが・・。

 それでもギターの弦が原因かしれないと、ライブの前日に替えてみると、

 なんとその弦のくたびれていた事か、、。まるで一年くらい張っていたようだった。

 新しい弦に替えたけれど、ギターの鳴りはもうひとつであるようだ。

 (これはこの夏の猛暑とも関係あるのかな・・)

 今年は7月に雨が続いたり、8月は連日の猛暑、僕らの体調管理が大変だったように、

 ギターだって、弦だって、いつもとちがう気候に体調管理が大変だったろう。

 何十年も日本の気候で暮らしているギターでさえも、この夏はばててしまったのではないか。。

 それはある話だ。

 それとも僕の耳の鼓膜が、疲れているのか、、。

 それもある話。。



「風を見る人」
'07.8/22

 猛暑の夏が続いている。

 先日、用があり、お風呂屋さんを裏口から訪ねた。

 入った瞬間に涼しさがあるのがわかった。

 「こんにちは」

 すると、そっと風呂釜の横で、のんびりと休んでいる店主のおじさんがいた。

 クーラーもつけていなく、電気の明かりもつけていない。

 猛暑のはずなのに、この涼しさはどこから来るのだろう。

 風の通りが抜群にいいのがわかった。それも妙に涼しい風。

 風呂屋さんは考えてみれば、暑さ対策へのプロと言ってもいいだろう。

 知恵がきっとあるのだ。

 そこで僕は想う。

 原始人たちの知恵のことを。

 原始人たちにはクーラーも冷蔵庫もなかった。

 それでも太古からの知恵があり、酷暑の夏もなんとか越えて来たであろう。

 やたらに「暑い暑い」とは言わなかったであろう。

 涼しい風のありかを知っているような気がする。

 いや、涼しい風を呼ぶ知恵があったのかもしれない。



「大きな小さな僕の夢」
'07.8/20

 僕には実現可能な大きな小さな夢がある。

 それは、大きなホールで、ギターのフィンガーピッキングをすることだ。

 ピックアップ付きのギターではなくて、普通のマイクをギターに近づけてね。

 サイモンとガーファンクルのポール・サイモンはピッキングの名手とも言われ、

 その昔、大きなホールでのコンサートで、思う存分、そのフィンガーピッキングを披露した。

 大きなホールでも、はっきりと聞こえるように、アタックの強いフィンガーピッキングで。

 現代なら、音響も進化しているので、どんな弾き方もきれいに音を拾うことができるかもしれないが、

 当時の音響で、生ギターのフィンガーピッキングをはっきりホールに響かせるのは大変だったはずだ。

 ホールの人たちに、そのビートを伝え、フィンガーピッキングを魅了した演奏。

 僕もそれをやってみたい。

 マイクにギターのサウンドホールを近づけて。アタックを強めにして、

 大きなホールに響かせたい。

 ハウリングしない限界をうまく調整しながら。

 それは僕の大きな小さな夢。



「そっと見守っている事」
'07.8/18

 今日はテレビ画面の話。

 今のアパートに駅から帰ってくる途中で必ず立ち止まる店が僕にはある。

 それは電気屋さんの店頭の大画面薄型テレビの前だ。

 どのくらい前だろう、液晶テレビが出始めた頃、

 その宣伝文句は、「圧倒的に画質が良い」というものだった。

 しかし僕には、それは店頭のテレビの画質を見る限り、にわかには信じられなかった。

 何かみんなだまされているのではないかと、、。

 あれから7年くらいたったろうか、薄型テレビはほんと画質が良くなった。

 では、あの出始めた頃の「うたい文句」何だったのかとも思う。

 今では、「最高画質、ここに極まる」とか、宣伝されているテレビもある。

 しかし、まだ僕はそれを認めていない。どうしても、不自然さが残る。

 2011年にはデジタル放送に移行するというが、さて、その頃にはどのくらいまた画質は進化しているだろう。

 リアルな画質で見ることは、僕は実は好きだ。より鮮明に記憶に残るからだ。

 いずれは薄型テレビを買おうとは思っている。しかしまだ、その決断は僕にはできない。

 最高に厳しい目で、僕は薄型テレビを進化を見守っている。

 買うお金もなく、まだ一台も持っていないのだけれど。。



「街々」
'07.8/16

 昨日、下北沢の街まで友達のライブででかけた。

 僕の住んでいるのは、杉並区の高円寺。

 ここ数年、高円寺はだんだんと下北沢に近くなっているような気がしていたが、

 やっぱり何かちがう。

 大きな中華屋さんに入って、若者たちを多く眺めてみた。

 高円寺の若者たちとどこかちがう。

 うまく言葉では言えないのだけれど、渋谷系というか、、。

 高円寺はやっぱり中央線系なのかな。

 そこで僕は思った。

 この違和感は、下北沢のひとたちが高円寺に来ても、その思うのだろうなぁと。

 ・・・やっぱり何かちがう・・と。

 僕は少し安心した。

 高円寺は下北沢にはならないだろうと。

 そして下北沢も高円寺にはならないだろう。

 好きずきはそれぞれだ。



「トンビのことを忘れていた」
'07.8/14

 実家にいた頃は、空にはいつもトンビがいたものだった。

 びぃーーーーと、ゆっくり回りながら鳴くトンビ。

 (あれは鷹ではないんだ・・)と、思うくらいしか知識はなかった。

 実家の僕の空には、トンビがいつもいた。

 東京に出てきてから、あらゆるものが忙しく、ライブや友達とのつきあい、

 外仕事での疲れ、欲しいものの多い電化製品、欲しい本、そして古本。。

 約30年ほど東京にいて、僕はやっと、空にトンビがいないことに気が付いた。

 友達が言うには、トンビは海沿いの鳥なのだからという。そうなのかな?

 小さい頃、空にトンビがいる事が、なぜか僕の自慢だった。

 僕の空には、大きな鳥がいるんだとね。

 トンビが空をゆっくり回り、その下で僕の日々があった。

 どこにいてもどこにいても。

 東京に出てきて、地上のことでずっと忙しかった。

 やっと今、トンビの事を思い出した。

 見上げてみれば、僕の空にはトンビがいる。



「日本のフォーク」
'07.8/12

 「どんな歌、歌っているんですか?」と、よくきかれる。

 そんなときはいつも、「まあ、アコースティックだよ」と、答えることは多かった。

 なんというか、ジャンルをどう言っていいかかわからないのだ。

 しかし、この年になって、考えるに、「日本のフォーク」でもよいかなと思っている。

 だいたい「日本のフォーク」というのは、なんとも抽象的な表現だ。

 「フォーク」というのは、民族的な音楽のことを本来は言うのだけれど、

 「日本のフォーク」というのだから、これという定義はない。

 その昔、「日本のフォーク」というひとつのイメージがあったが、

 それだって、これという定義はない。

 僕のアルバムを置くとしたら、ノンジャンルが希望ではあったけれど、

 今は「日本のフォーク」でぜんぜんかまわない。

 あえて、そこに置いて欲しい。

 こだわりなんてない。エレキサウンドであっても。

 「これが日本のフォークですから」



「ソーダアイスのプロ」
'07.8/10

 この夏は暑い。

 外歩きの仕事をしていると、「アイスでも食べていきますか?」という。

 「いえいえ、忙しいので・・」と、丁寧にお断りしたのだが、

 「これだよ」って、言って、小さな棒アイスをくれた。

 それは水色の小さなソーダアイスだった。ひと箱に10本くらい入っているやつ。

 なかなか僕は箱で買うこともないので、どんな味がするのかはなかなかわからなかった。

 それもソーダアイスを食べるのは、久し振りだった。

 ソーダアイスの記憶。。

 僕が小さい頃、二本付きの10円バーがあった。真ん中で割るタイプね。

 よく食べたなぁ。ソーダアイス。しかし、いつしかソーダアイスを食べることは少なくなった。

 おこずかいも増えたからかな。

 そして、この2007年、食べてみたソーダアイスは、まるでそのときの味そのままだった。

 あの甘いシュワっとした味、、。その味は微妙で表現でしない。

 その微妙なソーダアイスの味が、そのまま再現されているのはきっと、

 どこかにソーダアイスのプロがいるにちがいない。

 あの微妙な味のマニュアルを最初に考えたソーダアイスのプロ。



「耳ギター」
'07.8/8

 僕がよくするのが、唄の自宅テーブル録音。

 テーブルに録音機を置いて、そしてギターで歌う。

 新しいギターを買ったとき、そんなふうに日々、録音しては、バイトの行き帰りに聴いたものだった。

 それはギターと唄の練習のためというより、そのギターの音色を楽しむためだった。

 そこまでなら、普通のことなのだけれど、昨日僕は、ある事実に気が付いた。

 ここ数日ギターが弾けないでいたために、僕はギターの音色が懐かしく、好んで録音をイヤホンで聴いた。

 その音源をイヤホンで聴くということは、ギターを弾くということと耳には変わらないのではないかと。

 耳にとってはギター。

 そうなんだよ。楽器を弾けないでいるとき、こうしてイヤホンで聴いてゆくと、

 ギターを弾いている気持ちになるのではないかな。。

 誰かの弾いた音源ではなく、自分の楽器の音源。

 それが大事だ。

 耳ギター。



「窓のメロディ」
'07.8/6

 友達は高円寺の街を歩くたびに、「ミュージシャンが多いなぁ」という。

 たしかに杉並区高円寺には、音楽をやっている人は多いかもしれない。

 それでも一時期のバンドブームの頃に比べたら、減っているかな。

 夜、バイトから帰ってくる帰り道、二階の開いている窓からギターが聞こえている。

 ギターだけではない。蛇三線の音もある。

 ひとつの窓からは、クラシックが、ひとつの窓からはブルースギター。

 なんだか、高円寺らしいなぁと思う。

 そういう僕も部屋でギターを弾いて歌っている一人だ。

 窓は開けていないけれど、あんなふうに聞こえているのかな。

 なま暖かい夏の夜、開いている二階の窓から聞こえてくるギターの音。

 まだポツンポツンと高円寺には残っている。

 ・・このアパートにもひとつ。

 20年後、まだ窓のメロディーは聞こえているか。



「本格インドレストラン」
'07.8/4

 駅からの帰り道の商店街に本格インドレストランが出来た。

 やっているのはホントのインドの人。

 実はその隣に日本の本格インドレストランもある。やっているのは日本の人。

 二軒並んだ本格インドレストラン。これも良し。それも良し。

 先日、オープンしたインドレストランにランチで入った。

 こざっぱりとした、独特の感じ。

 即席で作ったように木のベンチのような椅子。

 レジの上にある神様のイラスト。

 店の奥からゆっくりと歩いてくるインド人。

 かかっているインドポップス。

 インドに僕は四ヶ月いた事があり、その店はほんとインドらしい雰囲気があった。

 庶民レストラン風なのかもしれないが・・。

 余計なものがなく、シンプルというのかな。そしてひっそりとした空気感がある。

 まるでインドにいたときの事を思い出した。サービスもほどほどで。。

 お店にはお客が僕一人。ミックスベジタブルカレーをナンで食べていると、

 かかっているインドミュージックのチャンネルが好みで次々とかえられた。

 それもまたインドらしいと思える不思議さがあった。



「8mm・16mm」
'07.8/2

 '71年に撮られたステージライブの映像を観た。

 その当時はまだビデオカメラは普及していないので、8mmか16mmカメラであったであろう。

 DVDに焼き直され、現代のテレビで観てみるけれど、まるでしっくり来ない。

 8mmや16mmカメラの映像には、光のリアルさがある。

 それは、テレビ画面の中の明るさではなく、8mm・16mm映写機のライトの明るさがある。

 映された紙の白さがある。

 その当時にもし、ビデオカメラがあったなら、映像はビデオカメラ映像になっていたであろう。

 8mm・16mmには、あの独特のカチカチカチと機械音がある。

 DVDに焼かれ、テレビの中の光で観てみるけれど、何かちがう。

 あまりに部屋の中、世界中の映像文化の発達と、重なりあっていないのだ。

 8mm・16mmフィルムの映像を観るには、やっぱり暗闇が必要なのかな。

 僕らの心も戻らねばならない。

 あの映写機のカチカチ音の中に。



「月日は百代の・・」
'07.7/31

 ・・過客にて、行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ・・

 たしか高校三年生のとき、国語(古典)の授業で、暗唱させられたフレーズ。

 松尾芭蕉の「奥の細道」の最初の序文

 そのとき先生は、中間テストでも期末テストでもないのに、序文暗唱のテストをすると言った。

 「えーーーーっ!!!」

 国語の先生は、「まあ、これは有名な・・ふにぁふにぁ・・せっかくね・・もぐもぐ・・このくらいは・・」

 とか、何とか言って、テストすることを僕らに告げた。

 その表情は、どこか楽しそうでもあった。

 古文なんて、その頃の僕らには古いものであり、ラジオでヒットしているフォークの歌詞の方が身近だっただろう。

 たしか二日間くらいしか時間がなかったと思う。

 僕らは、その序文を朝からずっと憶え続けた。

 「月日は百代の過客にて〜・・」

 みんな口々に文句を言いながら。

 僕ももちろん憶えた。そのうちなんだか、いい文章だなぁと思いながら。。

 国語の先生は、どうして憶えさせたのであろう。

 あの僕らの「えーーーっ!!」という声を聞きたかったのかな。

 あれから、約30年たったけれど、文の内容はよく憶えている。

 ほんとは感謝しているんだ。。国語の先生。

 拝啓。お元気にしていますか?

「春はあけぼの、やうやう白く・・」も憶えましたね。



「7月のセブンデイズ」
'07.7/29

 子供の頃、夏休みは、いつも7月23日から始まった。

 虫取りをしたり、海に行ったり、テレビを見たり、自転車で走ったり。。

 いつもいつも不思議だったのは、8月に入るまでの最初の一週間がとても長いのだ。

 「さて、8月だ」と、思って、それからひと月もあるのに、8月はあっとゆうまなのだ。

 思い出すのは、7月のラストのセブンデイズ。あの、永遠に続くようにも思えた時間。

 その一週間は、8月のひと月と比べても、同じだけの喜びがあった。

 海外旅行に行ったようなものかな。

 夏という海外。

 今、思い出しても、あの夏休みの最初の七日間は特別だった。

 7月のセブンデイズ。それを黄金週間とは、言わないだろう。

 名前のないセブンデイズ。

 そこにある7枚のグリーンガム。



「フィンガーピッキングは素晴らしい」
'07.7/27

 ギターの弾き方の話。

 フォークギターの場合、ストローク奏法とフィンガーピッキングがある。

 たとえて言えば、ストローク奏法はチャーハン作りに似ていて、

 フィンガーピッキングは、魚のさしみを切るようなものか。

 極端なたとえだが、、。

 たとえて言えば、ストローク奏法は骨接ぎ治療に似ていて、

 フィンガーピッキングは、指圧やマッサージに似ている。

 僕は料理もマッサージも、まるで出来ないがフィンガーピッキング奏法はできる。

 日本料理の神田川さんの包丁さばきのようにも弾ける。(イメージとして)

 ケーキ職人のようにも、チョコレート職人のようにも、たこやき名人のようにも、、。

 フィンガーピッキングは素晴らしい。ギターとの付き合い方としても。

 僕にもこんなふうに出来るのかと嬉しくなる。



「歌の出身地」
'07.7/25

 「つぎはこうえんじー」

 帰りの満員電車のシートに座り、僕はそのアナウンスを頼りに降りてゆく。

 もう同じ街に18年も住んでいれば、まるで街は母校みたいなものだ。

 中央線・総武線の各駅に乗って行くと、駅名はいつも駅名でしかない。

 もうちょっと、駅名の響きの中に「味」が出てきてもいいかなと思う。

 その街の持っている宝物って何だろう。

 僕の場合だったら、歌を作る事くらいかな。

 僕の作った歌の出身地は、この街ということになる。

 まだ有名な歌は一曲もないけれど、歌の出身地に(高円寺)と、付けてもらってもいいな。

 電車のアナウンスに味が出るように。

 僕にできる母校孝行みたいなものか。



「本」
'07.7/23

 ハリー・ポッターの最終ストーリーの本が発売されたという。

 とても分厚い本であり、買い求めるお客さんの映像のニュースが流れていた。

 中には我慢が出来なくて、最後のページを見て、悲鳴を上げている人もいた。

 最後のページが見られてしまうのは、やっぱり本なんだな。

 物語の本を持ち歩くのは、なんだか、おかしな気分だ。

 もうこれから起こることも、一緒に常に持ち歩いているなんて、、。

 それがいいのかもしれないが。

 新聞の連載小説は、ある程度、書く側も考えながら、続いてゆくだろう。

 待つ時間はあるけれど、そんな発表のされ方が理想かもしれない。

 最後のページを最初に見られてしまうこともない。

 実際の話、ストーリーの途中にストーリーの最後はない。



「0.1秒前、0.1秒後」
'07.7/21

 ここ最近ずっと、自分のライブの音源をバイト先への行き帰りに聞いている。

 最近と言わず、自分のライブ音源はとてもよく聞いている。

 まず、自分の歌は、やっぱり好きな言葉、好きなメロディー、好きな演奏で出来ているということだろう。

 どの曲にも、その曲を作ったときの創作した流れがある。しかけの多い、忍者の家みたいなものか。

 そして、ライブとなると、その楽曲を演奏し、歌うということだ。

 もともとの楽曲の形というものがあり、その歌の形を辿ってゆくとき、自分なりに快感のある音に変えてゆく行為がある。

 「日本昔ばなし」を読むとき、面白みを増すように、強弱を付けてゆくように、

 それは文字が目から入ってきて、声を出す0.1秒前に判断され、声に変換されてゆく。

 演奏も、それととても似ている。

 一曲は、たとえて言えば、庭にある何百もの踏み石を道を、面白くリズミックに渡り歩いてゆくようなものだ。

 もちろん、なにげなくただ踏み石を渡ってゆくことも出来るが、それでは、快感がない。

 自分が楽しいように、見て楽しいように、、そこに音楽という気持ちよさがあるように。

 ひとつのライブというのは、そんな踏み石の長い連続で、気が遠くなるような、フレーズごとのパフォーマンスが含まれている。

 自分が気持ちよく、楽しむために踏まれていった音の踏道。

 それは誰でもない、自分の身の上で起こった出来事。。

 だから、録音された音源を聞いていると、それらの快感に変換された音は、またもう一度、自分の中で変換されるのだ。

 音が鳴ってから、0.1秒後ね。

 仕事疲れは、その快感とともに、なだめられてゆく。



「大昔のツバメ」
'07.7/19

 ここ数日、朝の駅のホームから、ツバメを見ることができている。

 それも10羽以上が樹の回りを乱れ飛んでいる。

 その飛び方に、不思議だなぁと思いながら。。

 スズメたちなどを見ていると、その飛び方にはある程度の意志を感じられるが、

 ツバメはなんとも理解を越えている。

 しかし、そこにはちゃんと理由があり、大昔、ツバメとなったときからそうであったろう。

 さて、大昔。

 人が生まれる前の時代より、ツバメはいたのかな。

 1000年前の文献には、「燕」とあるかな。

 2000年前、3000年前、1万年前、10万年前。。

 もしもタイムトラベルで、大昔に行けたなら、僕はツバメに会いたい。

 あの流れ乱れるような飛び方は変わっていないであう。

 もしや現代と同じツバメじゃないかな?

 朝のホームからそんなことを想っている。



「ギターと中華屋」
'07.7/17

 そんなふうには思ったこともなかったけれど、、。

 ギターと中華屋は似ている。

 ギターは千差万別。ある程度の高いギターはそれなりに音も良い。

 まあ年齢とともに、高いギターに買い換えるということは、しかたのないことだろう。

 僕にも、ずっと使っていたギターから、新しい高級ギターにメインギターを変えた。

 古いギターを弾く機会は少なくなったけれど、以前は、大のお気に入りであったのだ。

 ・・ギターと人生は似ているのかな、、?

 いや、きっとギターと中華屋は似ている。

 若い頃、僕の住んでいたアパートの一階は中華屋であった。

 そこに僕は毎日のように通った。病気のときは、おかゆも作ってもらった。

 今は、住む場所も変わり、お気に入りの中華屋さんというものもある。

 そんなふうにお気に入りだった中華屋さんは、比べることが出来ない存在になっているのだ。

 今でも、僕は若い頃の馴染みの中華屋を訪ねたい。

 味もそうだが、僕の生きるエネルギーになっていたという事実がある。

 若い頃のギターもそうだ。音を比べるという次元を越えている。

 そのギターとともに、僕は生きた。体の血や肉となっている。



「アイス民族、ビール民族」
'07.7/15

 またアイスの話になってしまった。

 昨夜、友達のライブでの打上げの帰り、やっぱりどうしてもアイスが食べたくなった。

 打上げで、飲んで食べた後、何人かの友達と一緒に部屋に帰る途中で、いつもお店に寄る。

 ひとりの友達は、いつも帰ってからはそんなには飲まないのに、必ずビールを買う。

 お店を出てから、ひとりの友達は「やっぱり、アイスが食べたい」と言って、お店に戻っていった。

 こうやって5人ほどで部屋に戻ると、ビール派とアイス派と分かれた。

 あっ、あと、ぶっ倒れ眠たい派ね。

 買って来たアイスは、どうしてもカップがとても似合っている。

 どうしても、木のスプーンでカップをつつかなくては、だめなようだ。

 酔って帰ってくると、我がこころのアイス民族を思い出すようだ。

 そして、ビールをつい買って来てしまう、ビール民族。

 それは民族のなごりのような気がするのだ。

 酔って帰ってきて、思い出す、古代復古。

 古代にカップのアイスがあったかは謎だが、、。

 心のいにしえの声が呼ぶのは、本当のようだ。



「アイスとどん兵衛」
'07.7/13

 (あら、この人、また今日もアイスとどん兵衛買っているわ)

 この人とは僕のこと、、。

 暑くなって、ここ最近はアルバイトでへたばりがちになっている。

 楽しみといえば、部屋に帰ってから食べるアイス。その喜びは格別だ。

 僕の家の冷蔵庫の冷凍室は役に立たないので、毎日買ってこなくてはいけない。

 だから家から一番近いお店で、いつもアイスを買う。

 最近、それに「きつねどん兵衛」のうどんが加わった。

 眠る前くらいに、食べるきつねどん兵衛が、たまらなく美味しいのだ。

 とくに、厚いおあげが・・。幸せを感じる。

 そんな、子供みたいな、、、とか、言わないで欲しい。

 今の僕の生活は、このふたつが支えているのだ。夏はやっぱり仕事でへとへとになってしまう。

 一日のてんびんばかりがあるとしたら、アイスとどん兵衛で、バランスがとれているのだ。

 それでなんとか、毎日がやってこれている。これは嘘ではないよ。

 また、今日も帰りに僕はアイスとどん兵衛を買ってくるだろう。

 (あら、またこの人・・)とか、思われてしかたがない。

 まさか、僕が明日を買っているなんて、想像もつくまい。

 ナイロン袋にゆれる、アイスとどん兵衛という明日を。




「たぶん最高に静かな場所」
'07.7/11

 少し広めな通り沿いにある、半分シャッターのしまった店が下町にある。

 「ごめん下さい」

 用があり声をかけると、奥の部屋にはおばあさんが休んでいた。

 そこは両方の壁が、木製の古びた本棚になっていた。

 以前は本屋さんであったのであろう。そういえば、そんな事を言っていた。

 がらんとして明かりもなく、そこは本当に静かだった。

 ここに本棚いっぱいの本があった。何千という物語があふれていた。

 色とりどりの漫画本の背が見えていた。通っていた多くの人たち。

 今は何もない。電化製品の空箱がはしっこに置かれている。

 僕はおばあさんと小さな話をひとつだけした。

 木製の空の本棚にさびしく響き、がらんとしてて、とても広く感じられた。

 ここに、あふれるほどの話があったのだ。


「ギターのある風景」'07.7/9

 レコードアルバムには、風景が見えてくるものがある。

 ボブ・ディランのファースト・セカンドアルバムには、ニューヨークのストリートの風景が見えてくる。

 確かに歌詞の中にニューヨークの街並みが出てくるということはある。

 しかし'60年代始めのニューヨークでのフォークリバイバルブームとも重なっていて、

 その街並みの中から、歌が生まれて来たように感じられるのだ。

 '69〜'71年くらいの東京もそんな感じだったかもしれない。

 ボブ・ディランもサードアルバム以降らなると、ストリートの匂いも少なくなり、行く先々での生活から歌が生まれて来ているように思う。

 多くのトラディショナルソングが、ニューヨークの街の風景に自然に溶けていた時代があったなんて、とても不思議だ。

 僕は高校を卒業して新潟から東京に出てきた。僕の中では東京がニューヨークのように思えていた。

 四畳半のアパートでの生活は、イメージは違っても、ボブ・ディランのニューヨーク生活と重なっていた。

 どんどん歌が生まれてくるようであった。その頃に作った歌には、街が見えているようではなかったか。

 あれから25年。住んでいる街は、生活のひとつになった。

 歌はきっと、僕の中に残っているストリートから生まれて来ているようだ。


「はや」'07.7/7

 小さい頃、近所の川で魚釣りをよくやった。釣ったのはいつも鮒(ふな)。

 ときたままちがって鯉がつれた。まあ小学生には鮒が似合っていたんだな。

 あるとき橋の上から、川沿いの所に30センチくらいの魚と20センチくらいの魚が並んで休んでいるのを見た。

 (ハヤだ・・)。

 僕はそっと川沿いに降りて行った。そっとのぞいてみると、さっと逃げてしまった。

 30センチの魚なんて小学生には夢のようだ。それからまた橋をあるく度にハヤのいた場所を気にしていた。

 するとやっぱり二匹並んで休んでいた。僕はすぐさま家に帰り、網を持って、川沿いに降りて行った。まだハヤは逃げない。そっと網を出すと、さっと逃げた。

(もうちょっとだったのにな・・)

 それ以来、ハヤは僕にとって幻の魚になった。あんなに近くに見えてもつかまえるにむずかしいものがあるのだ。僕はハヤをつかまえるのはあきらめてしまった。

 先日、川沿いのマンションの上から、大きめの魚と小さな魚の群が泳いでいるのを見た。きっとまちがいない。

 僕にとっての幻の魚は今もそこではっきりと見えていた。それもあんなに群をなして。

 たぶん僕は一生、ハヤをつかまえることはないだろう。しかしあんなにもハヤは近い。


「続きのギター」'07.7/5

 僕の体のどこを叩いても、そんなに良い音はしない。

 東京のどこの街にいても、目をつぶると、見慣れた路地を曲がり、僕は部屋のドアの中にあるギターを思い起こす。

 もう暗い部屋の中にある馴染みのギルドギター。

 部屋にいるときは、いつもギターがそばに置かれている。たった今もパソコンのとなりにギターはある。

 ほんの一分であっても、ギターをぽろぽろと弾きながら、作業を進めている。

 それは基本的な僕の時間の流れだ。

 常に手を伸ばすところにギターがあって欲しい。

 ギターは体の続きだと思っているのだ。

 だからどこの街にいても、ギターと離れている気分なのだ。

 僕の体のどこを叩いても、ギターみたいな音がしない。

 しかしおぼえておいてくれ、体の続きにギターがあるということを。


「インド帰りのようだ」'07.7/3

 7月に入ってから、仕事先の事務所がとてもにぎやかになった。

 パソコンがずらりと列び、事務机にボード、帳簿をしまう棚、名前もわからない社員の人たち、せまくなったロッカー室。

 先月までの三ヶ月間は、本部が他にあり、10人ほどが別に事務所をもらっていた。

 夢のようなその三ヶ月間は終わり、すべてが元に戻った。と、いうかこれで当たり前なのだが・・。

 よく映画で、冒険に巻き込まれた人が、またオフィスに戻ってくるシーンがあるが、それと似ている。

 なんだか、この気持ちには経験があるなぁと、昨日は思っていた。

 ・・・ああ、これはインド帰りと似ている。。

 ずっと10人でいた三ヶ月間の事を思い出すと、それはインドの旅のドミトリーの宿のようだった。

 ドミトリーとは、安い大部屋の宿で、長期旅行のみんながよく利用するシステムだ。

 僕がインドでの最後の街、デリーでのこと、僕は古い宿のドミトリーにいた。

 みんな日本の長期旅行者で、毎日旅の話をしたりして過ごしていた。

 一日、歩き回って帰ってきては、話をして、食事に出かける日々。それはドミトリーならではの楽しい日々だった。

 そして日本へ、ひとりひとり帰国して行ったのだ。日本に帰ってくれば、近代文明がそこにあった。

 昨日までインドのドミトリーにいたのがまるで夢のようだった。

 今は、それと似ている。インドから帰ってきたときのようだ。


「日曜美術館」'07.7/1

 日曜日の午前9時になると、僕はいつもHHK教育の「日曜美術館」を観る。

 知っている画家の特集もあるが、まるで知らなかった画家も出てくる。それなりの特集になっていて、とても勉強になる。

 東京に出てきてからだから、もう25年くらいは観ているだろうなぁ。

 一時間の番組であるけれど、とても内容が濃い。最後の15分ほどの「アートシーン」のコーナーでさえも、見ごたえが充分だ。

 僕にとっては何が面白いかというと、昨日までまるで知らなかった人が、その番組の中では、すでに有名な人だということだ。

 まだまだ知らないんだなぁと、いつも思う。

 「日曜美術館」という番組タイトルが、実はとてもいい。番組は普通のドキュメントな構成になっているが、「美術館」と呼ぶところがね。

 きっと、日曜日にやっている、美術番組という気持ちで、付けたのだろうけど。

 日曜日の午前9時。ちょうどいいんだよね。朝起きて、テレビを付けるとやっている感じが。

 美術のゴールデンタイム?

 ぼんやりといつも見ているけれど、内容的には、とても濃い。一週間分の何かを得る感じ。

 一杯の暑い日本茶のような時間。

 ・・・・・

 NHK教育テレビで、「日曜美術館」と似た感じで、いくつも作って欲しい。

 「金曜コンサート」「土曜演芸タイム」、、etc。・・もうあるか。。

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