青木タカオ「ちょっくら・おん・まい・でいず」

「最近の事」過去ログ'11.4月〜'11.7月

「ギルドがんばった」'11.7/31

 昨日は、録音した100曲を、ひととおり聴いていた。

 アルバム10枚分なのだが、アルバムタイトルを付けなくてはいけないので 、

 聴きながら、アルバムタイトルのイメージをイメージしていたのだ。

 今、7枚ほどタイトルがほぼ決まった。

 100曲のうち、67曲はギルドのギターで録音した。

 通して聴いてみると、よくがんばったなと思えた。

 いろんな歌を、それなりに表現できていた。

 弾き語り100曲のアルバムを作れたのは、ギルドギターの豊かさが可能にしてくれたと思えた。

 言葉で言えば、マーチンとギブソンのサウンドのどちらも出せるような感じか。

 それでいて、ギルド自身のサウンドも出すことも出来る。

 一曲の演奏の中にも、それを表現するのは可能で、

 マーチン風のギターサウンドの途中で、ギブソン風の音を加えることが出来る。

 なんとぜいたくな演奏。

 この100曲録音が出来たのは、ギルドギターのおかげでもある。


「ギターを二本持ってゆく」'11.7/29

 ようやく今日、100曲録音もラストの10曲となった。

 今日は、ギターを二本持ってゆく。

 ギルドF47と、キブソンB25

 40曲目からはずっとギルドF47で録音してきたが、今日のラスト2曲は、ギブソンにしようと思う。

 今回の100曲のうち約60曲は、小さなギブソンB25のギターで作ってきたからだ。

 ギルドギターを買ってからの、ここ4年ほどは、ギターケースにしまってままになっていた。

 しかし、考えてみれば、ほんとにお世話になったギターだ。

 1992年から2007年までかな。ずっと部屋ではギブソンB25を弾いていた。

 創作もこのギター。今回の100曲録音に参加しないのは、ちょっとギターとしてもせつないのではないか。

 それも途中まで僕はギブソンB25のことをすっかり忘れていた。

 わるいことをした。70曲目くらいからは部屋でギブソンでも練習している。

 そして今回のラスト2曲は、ギブソンB25で録音します。


「キーはFなんです」'11.7/27

 僕がいつか作りたいと思っていたアルバムは、

 ギター一本でも豊かなサウンドになっているアルバム。

 低音もどーんと出て、まるでひとつのバンドのようなアルバム。

 そんな想いがずっとあったのだが、実際に録音に入ってると無理があるとわかった。

 僕の歌のキーは「F」なので、必然的にカポが3フレットとか5フレットになってしまう。

 カポなしの歌なんてまずないのだ。

 これがキー「G」で歌えたなら、カポなしで歌えるので、たっぷり低音もギターから出せる。

 友達はキーが「G」か「A」なので、ほぼノーカポで歌えていて、いいなぁといつも思う。

 とにかく僕の思い描いていた、低音がどーんと出るギター演奏はちょっと難しかったということだ。

 (Eの押さえ方で、カポを1フレットにするという方法はあるが・・)

 カポなんて使わなければいいのかな。たぶんそうなんだろう。

 低音のかなる出るギターも買ったのだが、あまり効果がなかった。

 ちょっとせつないFのうた。


「唄いなれたうたほどむずかしい」'11.7/25

 今、100曲録音を続けていて80曲までやって来た。

 作った年代順に録っているので、唄い慣れたレパートリーに入った。

 録音を続けてゆくと、いろんなフレーズが自分の中でもう出来上がって、

 その通りに出来ないと、気になるという苦しみを味わっている。

 以前の曲は、何も決めごとがなかったので楽に録音できた。

 唄い方や弾き方が決まっているほうが、むずかしいんです。

 ライブではいつもベストテイクをこころがけているので、

 録音でよりベストテイクを残すなんて、かなり大変。

 アイススケートのフィギュアの選手の気持ちがわかる。

 細かいところまで決められているのだ。

 だからむずかしい。


「うずまき」'11.7/23

 今、新しいアルバムを同時に10枚作っているが、

 話が来たのが、少し前なので、曲順については集中して決めるしかなかった。

 録音の数日前とかに。(まあ、曲の順番はあとでも替えられるのですが・・)

 一枚は10曲の構成になっている。それもA面、B面仕立て。

 できあがった仮MIXのCD-Rを聴いてみると、まだそれぞれの曲の録音の出来が気になってしまい、

 通して一枚のアルバムとして、聞き流す余裕がない。

 しかし、今のところとてもよい感じだ。

 時間がたつと、アルバムの10曲がうまくMIXされて、ひとつのアルバムの柄や色が出来てくるだろう。

 絵柄のあるレコードを回したときに出来るうずまきのように。

 10曲の曲順がアルバムを回す。

 ひとつの絵柄が徐々に見えてくる。


「参戦」'11.7/19

 100曲録音に取り組んで、やっと70曲目までやってきた。

 ほんと長い歌の旅をしているような気分。

 自分の歌でこんな思いが出来るなんてなんて嬉しいこと。

 ボブ・ディランなら、アルバム30枚は余裕で出しているので、

 その3倍の曲は発表しているのだから、僕の100曲なんて子供みたいなものかもしれない。 

 ただ少しちがうのは、僕の100曲は、ボツ歌まで復活させてまでの100曲だということかな。

 ひとつのアルバムは10曲なのだが、やっぱりキラリと光っているのは、

 ボツ歌から復活した歌たちである。

 まるでオリンピックに常連メンバーで参加している人たちより、

 新しく参加している人たちがとても輝くように。

 ボツ歌たちはとても輝いている。

 この100曲アルバムの魅力は、そこにあるような気がしている。


「老人手前」'11.7/17

 昨日レコーディングが終わったあと、

 ペットボトルの水を、手から落としてしまった。

 「あおきさん、なにやってるの?」

 「いやぁ、おちちゃった、、。もう老人ですよ」

 本当、自分でもびっくりした。

 たぶん手の指の緊張がとけたからであろう。

 「おじいちゃん、なにやってるの!!」

 そんなふうに怒られる日も近いかもしれない。

 ペットボトルの水は、みごとに僕のジーパンを濡らした。


「ラジカセが歌っているのです」'11.7/15

 今、レコーディングをしているが、

 もっぱら携帯CDプレイヤーで、仕事の行き帰りに音源を聴いていた。

  イヤーインナータイプのヘッドホンで。

 自分の歌い方とか、ギターの弾き方とか気になりながら。

 ふと、以前のCDラジカセがあることを思い出し、

 それで聴いてみたら、まるでまた印象がちがった。

 現代は音楽をCDラジカセより、携帯プレーヤーで聴く機会は多いのかもしれないが、

 こうしてCDラジカセで録音した音源を聴いてみると、

 まるで、君、携帯プレーヤーで聴いているときと、ちがうのですよ。

 やっばりこれが基本形かな。

 携帯音楽プレーヤーも、それなりに良いのだけれど。

 一枚のアルバムとしての印象もしっかり見えてくる。

 そうなんです。

 CDラジカセが歌っているのです。

 イヤホンでは感じられないこと。


「オリジナルミックス」'11.7/13

 以前に作った歌を、今回の録音で歌えるように歌詞を直した。

 一度、作り、また作り直して、また作り直していた歌。

 いつも歌っていて、どうもしっくり来ない。なんだかまとまりすぎていて。

 最初に作ったのはもう18年ほど前で、今と歌詞もかなりちがう。

 先日、その映像を見ていたら、オリジナルのこのときの歌詞の方が自然だったことがわかった。

 最初に作ったときの想いがそこにあった。

 まとまり過ぎていた歌詞の言葉を、もう一度バランスを変え、

 オリジナルで作った最初の歌詞を基本に、全体の歌詞のテンションを調整し、

 生まれ変わったように、歌詞全体をまた作った。

 やっと、それでなんとか録音できる歌になった。

 大事なことは、作った当初のオリジナルの歌詞を心のもとにしたことだった。

 何度も作り直した歌であったのだが、

 作って18年後の僕が、その歌をやっと完成させたようだ。

 たぶん今回のようなことは、よくあることなのだと思う。

 ひとつの作品を完成させるヒントは、その最初に書いたものにある。

 原点に帰るというのかな。オリジナルミックス。


「復活歌」'11.7/11

 先日の録音では、予定していた歌を四曲ほど入れ替え、

 お蔵入りになっていた歌を、なんとか復活させて録音した。

 歌詞を少し書きかえたりして。

 何とか録音できて良かった。本当に。

 それらの歌は、作り込みすぎたといった印象のもので、

 何度かいままでも歌詞やメロディーも直してきた。

 それでもだめでお蔵入りとなったのだ。

 悪く言えば「ボツ歌」になった。

 そのうちの一曲は、おおはばに歌詞も変えた。

 録音して、それがアルバムになったときのことをイメージして。

 今回、四曲ほど復活させた。

 それらは、ほんの一日か二日のうちに作り直しもしたのだ。

 こんなことは、普通できない。たいへんな作業だ。

 自分の音楽創作生活40年のすべてでやっているのだ。

 ちょっと今、奇蹟のような時間の中にいるのだな。

 四曲は復活した。録音できてほんとに嬉しい。


「ひとつの考え方」'11.7/9

 この四月から、50人ほど職場の仲間が増えたのだが、

 どうも仲良くなれなそうな人がいる。

 うまく言葉では言えないのだが、馬が合わないというかな。

 自分でも理由はわからないが、なんとなくということ。

 ロッカー室にいたとき、その彼の言葉が聞こえてきた。

 「僕は無駄なことが、一番嫌いなんですよ」

 ・・ああ、なるほどね。

 僕は、無駄の中にすべてがあると思っている。

 快速も良し、各駅停車も良し。グーグルマップも良し、迷い道も良し。

 ネット書店も良し、神田古本街も良し。

 無駄って、いったい何??

 時間のかかること??

 ひとつだけはっきり僕がわかっていることがある。

 失敗せずにして、次には行けません。

 失敗の中に、すべての経験が生まれるのです。

 それを無駄とは言わないだろう。

 彼はいつも、大きなカバンを持ってくるが、

 僕はほぼ手ぶらだ。

 みんなひとつの考え方を持っている。


「アポロ歯科医院」'11.7/7

 実家にいた頃、「アポロ歯科医院」というところがオープンした。

 そのことをふと、思い出したのだが、今思えば、なぜに「アポロ」だったのだろう。

 先端医療を行っているからだろうか?

 アポロが月に着いた年にオープンしたからだろうか? (それはないな)

 歯にかぶせる銀のカバーが、アポロの月着陸機の形に似ているからだろうか?

 診療室が、どこかアポロ号の操縦席と似ているからだろうか?

 診療中の音が、操縦席を想像させるからだろうか?

 それとも、、、

 アポロ宇宙船のように早く診療が終わるということかな?

 他にも何かあるか。

 そもそも、、

 アポロってどういう意味?

 そこに答えがあるかもしれない。


「歌のたましいのようなものを見た」'11.7/5

 昨日、アイリッシュのバイオリンの演奏を聴きにいった。

 ひとつのメロディーをただバイオリンを弾いただけで、こんなにも伝わるものかなと実感した。

 ちょうど行きの電車の中で、ヴァン・モリソンのライブアルバムを聴いていたせいもあるのだが、

 僕には、そのバイオリンの音がヴァン・モリソンのボーカルのように聞こえた。

 こんな体験は初めてだ。

 そしてそのバイオリンのそば、ふわっとしたその歌のたましいのようなものが、

 ほそながく、浮いているように感じられた。

 40年も歌っているけれど、そんなふうに感じられたのは初めてだ。

 そのひとの弾くバイオリンの音は、どのいち音も生きているようであった。

 歌のたましいが、そこに見えたんですよ。

 たぶん、そのたましいが見えるとき、楽器の多さなどは関係がない。

 バンオリンの単音だけでも充分なのだ。

 どのメロディーやうたにも、きっとそんなたましいがある。

 ヴァン・モリソンは、そのうたのたましいを感じているのではないか。

 地面から140センチくらい、そこにふわっとういている、すこしほそながいもの。


「よくあること」'11.7/3

 昨日の録音で、フィンガーピッキングの曲があったのだが、 

 みごとにワンテイク目はボロボロであった。

 この一週間はその歌ばかり、練習したのであったが。

 きっとその曲の、フィンガーピッキングに不安があるからだろう。

 それと同じように、たっぷり練習をしても、良いテイクが録れるとは限らない。

 ライブの場合も、あまり練習できなかったときの方が、良いライブだったりすることはよくある。

 たぶん不安など感じられる余裕がないのであろう。

 練習していないぶんだけ集中するということもあるだろう。

 たとえば、それが日本武道館コンサートだとして、

 たっぷり練習してゆくよりも、ほぼふっつけだった方が、逆にいいライブになる場合はあるだろう。


「最近のギター」'11.7/1

 先日、ほんと久し振りに、

 新品のギルドのギターを楽器屋にて弾かせてもらった。

 いつものように、まずチューニングが合うがどうか、いろいろ試してみたら、

 ほんとに驚くほど、弦が合うように出来ていた。特に六弦が。

 最近のギターは、こんなにチューニングが合うように出来ているんだろうか。

 いや、そんなことはあるまい。

 弾いてみて、ギルド社の心意気を感じた。それはギター全体からも伝わって来た。

 大量生産をしているとしても、一本一本、気を抜いていないのがわかった。

 国産の他のメーカーはどうだろう。

 40年ほど前より、国産の新品ギターなどいろいろ弾いて来た。

 見た目はしっかりしているのに、弦の合にくいギターも多かった。

 ある程度、基準は満たしているのだろうが。

 最近は、いろいろ進化しているのかな。

 ちょっといろいろ弾いてみたくなった。


「旅立ちの日」'11.6/29

 今、毎週10曲ずつ古い曲から録音しているが、

 本格的に練習できるのは、いつも一日だけである。

 それも前日であることが多い。

 30年ほど前の曲は、ノートに歌詞しか書いていないので、

 一曲一曲、コード付け、そして録音用のアレンジをしないといけない。

 フレーズとフレーズのあいだの「間」も決めねばならない。

 古い楽曲は、どれも今、歌うには恥ずかしいものばかり。

 特に歌詞が、、。そのままで歌ったら、ちょっと他のみんなが歌えないだろうと思う。

 自分自身も。

 でも、ちょっとの言葉や「間」を変えるだけで、

 その楽曲が生き生きと現代にも歌えるということもわかっている。

 明日は録音という前日、その10曲の歌詞を、少しずつだが直したり新しく作ったりしている。

 普通であったら、たったひと言を変えるだけでも、一日かがりとなるところだが、

 次々と歌詞を自分が直してゆく。一度歌ったらパッパッパッと。

 明日にはそれで録音してしまう。なんとか歌をずっと聴けて歌えるように直してゆく。

 自分でも、信じられないスピードでそれは行われる。それなりのフレーズが次々と出てくる。

 それは、ほんとに良いこと。いつかいつかと言っていたのでは、できないこと。

 せっぱ詰まっているのだ。そしてかなりの集中。

 明日、急に海外に行くことになった人が、前日にいろいろ用意するように、

 必要なものを見つけてくるように。


「曲順・曲の椅子」'11.6/27

 今、古い曲を10曲ずつ録音しているが、

 当時当時の10曲を選んでいるので、

 その10曲は、おなじ時の同士のような存在だ。

 先日録ったのは27年前の歌なので、今聴くには照れるような歌ばかりである。

 しかし、ひとつのアルバムとして、その10曲を聴いてゆくと、今でも充分に聴けるなぁと思えた。

 全曲、演奏はギター弾き語りである。それも含めて、今でも聴けるアルバムとなったと思っている。

 10曲ではあるけれど、自分の中では、5曲+5曲のA面・B面のレコードと同じ感覚で曲順を作った。

 A面の1曲目、2曲目、3曲目、4曲目、5曲目。B面の1曲目、2曲目、3曲目、4曲目、そしてラストの5曲目。

 それぞれの曲が、それぞれの椅子にいて、お互いが呼び合う。

 言ってみれば、曲順は「聞こえないバック演奏」が一緒にあるとも言える。

 A面の2曲目になったとき、それは1曲目ともつながっているし、3曲目ともつながっているわけだ。

 そしてアルバム全体の中での役割も含まれる。充分にそれで「色」がついている。

 どの曲も、27年もたち古いと思われる歌かもしれないが、心配はいらない。

 1曲目から始まったストーリーを10曲目につなげていけばいい。

 23年前の当時とは、別のストーリーで。


「えもいわれぬもの」'11.6/25

 普段の自分の趣向から少しはなれた作品やパフォーマンスに心ひかれるときがある。

 なぜ自分がそれにひかれるのかはわからないが、えも言われぬ感動をしたりする。

 予想外だったということも言えるだろう。

 自分の歌だって、基本的には弾き語りのファンのための音楽かもしれないが、

 普段、弾き語りなどほとんど聞かぬみんなに歌が届くかもしれない。

 どこかどう良いのか表現しがたいが、、と。

 歌なしの音楽であっても、そのファンがみんな歌なしの音楽好きだとはもちろん言えない。

 マイクの前で歌う。マイクの前で演奏する。

 その音楽から一番遠いと思われるみんなの前でも。

 それがいい。そこがいい。


「こんな生活でも青々としたきゅうりがなる」'11.6/23

 ここ最近、生活がまったくなされていない。

 ぜったいてきに寝る時間が足りないのもわかっている。

 各駅停車のひと駅とひと駅の間に目をつぶってしまうとすっと眠りに入ってしまう。

 どんなひと駅の間であっても。頭の中の処理も追いついていないのだ。

 そんなことだから、部屋の片付けも追いついていない。

 100曲レコーディングもしているので、すべての時間をその準備に使っているのだ。

 余裕のある一日というものが、一日もない。

 友達は、なぜにそんな生活をしているの? ときく。

 いきあたりばったりのような次の一日。

 ・・・・・・・・・・・

 幕末の志士たちのドラマを最近、よく観る。

 坂本龍馬、勝海舟、西郷隆盛、他。

 いろんな偉業はあるのだが、用意周到で成し遂げたようにも思えない。

 なんとかなるの強い意志があったのではないか。

 きっとぎりぎりのところで。

 歴史の残る出来事でさえも、せいいっぱいのところでやっとつかんだものも多いだろう。

 逆に言えば、それだからこそ出来たとも言えるだろう。

 幕末の志士たちと、自分のことを比べるのも変ではあるが、

 自分の中の歴史という意味合いでは同じであろう。

 こんな生活でも、青々としたきゅうりが成れば、

 いいのではないかと思っている。

 みずみずしい時間とともにいつもある。


「目覚まし音」'11.6/21

 新しく買った目覚ましの音が大きい。

 小さい音から四段階でだんだんと大きくれなるのだけれど、

 その最初の音が、とても大きい。

 もうひとつある目覚ましの三段階目くらいの大きさから始まる。

 なんだか、やさしくない。

 最初は、小さなささやきのような音がいいのに。

 最初から、バリバリバリと鳴る。

 その音の大きさに頭に来て、つい起きてしまう。


「俺は泣きそうになった」'11.6/19

 本日、レコーディングするための歌を昨日、用意していた。

 その中の一曲、もう25年ほど前に作った歌、

 その歌詞が、歌詞ノートに入っていなかった。

 たぶん、ライブで歌うためにファイルから抜いたままになったのであろう。

 もう一冊、歌詞ノートはあったので、そちらも見たが、そこにもなかった。

 その頃、自主テープも何本か作ってあったのでその中にあるかなと思ったが、

 そこにもなかった。当時のライブビデオの中でも、たまたま歌っていなかった。

 明日、録音するというのに、歌詞がわからない。これは想定外。

 もしかしたら入っているかなと思うカセットテープがあるのだが、

 そのテープだけが、どこにもない。ありそうなところ、

 ありったけ探したけれど、ない。ないんですよ。

 しっかりと残しておかないとこういうことになってしまう。

 明日は、アルバムの曲順どおりに歌って録音してゆくのだが、

 その曲だけ後日というのは、バランスが悪い.。

 ストリートで歌っていたときの古い歌詞ノートがあるなと思い出した。

 やっとこそのファイルを見つけて、1ページ1ページ見ていった。

 あるかないか。書き直したその一割程度の歌の束の中に。

 そして、歌詞はありました。

 俺は泣きそうになった。

 メロディーも途中不安だったが、全身全霊で思い出した。


「目覚ましはふたつ必要」'11.6/17

 この一週間ほど、目覚ましに失敗している。

 いつもほぼ同じ、目覚ましをふたつかけて眠るのだが、

 この一週間、ひとつが行方不明であった。

 ひとつでも大丈夫かなと思ったが、無理であった。

 止めても5分おきに鳴るスヌーズ機能がついており、

 それを利用するのだが、ひとつでは知らない間に止めてしまう。

 ふたつだと、ふたつとも止めないとだめなので、やがては起きてしまう。

 それもふたつとも同じ電子音なので、止めるときにどちらだろうと探す。

 探すので、意識もはっきりしてくる。そして起きれるのだ。

 この一週間は、目覚ましがひとつではまるでだめであった。

 やっぱりふたつ。ふたつ必要だ。


「宇宙のように」'11.6/15

 今、自分の歌を録音しているのだが、

 とても不思議な気分だ。

 先日は、'82年の歌を録音。歌うことでさえももう何十年ぶりの歌ばかり。

 しかし、いざ歌ってみたら、なんとも自然に歌え、いいテイクが多く録音できた。

 実はアルバム10枚分の録音をこれからするのだが、

 なんだか宇宙のように意識されてきている。

 ひとつの惑星は、全体のバランスと引力の中にあると。

 '82年に作った歌もまた、そこにすでにある惑星のように思えた。

 アルバム一枚目が、すんなりと一日で録音できたので、

 十枚目まで、このままいける予感がする。

 惑星がもうそれぞれに見えているような気がするのだ。

 宇宙のように。


「雨の世界地図」'11.6/13

 今朝、東京も雨であるが、

 世界のどこかもまた雨である。

 テレビの生放送の中継で、その景色を見ると、なんとも不思議な気持ちにもなる。

 同じ気持ちも人もそこにいるのだ。

 そう思うと少しは気持ちも晴れてくる。

 天気予報で、今雨の降っている世界地図を見せてくれないだろうか。

 現代の技術ならそれは可能であろう。

 あっ、ロンドンも雨だ、。

 あっ、インドのデリーも雨だ。

 そう思えるだけでいい。向こうのみんなも僕らのことを思ってくれたらいいな。


「歌作りすらんぷ時代」'11.6/11

 以前作った歌を整理しているところなのだが、

 1982年は、一年で60曲くらい作っていた。

 自分でも、びっくりする。

 訳した歌とか入れると、週に二曲とか増えていっているのだ。

 作った歌の「粒立ち」も良かった。

 その頃、歌うたいの友達に出会ったりして、

 自分の作品の完成度の低さに気付いたこともあり、

 歌も変化していったのだが、

 だんだんと、歌作りが迷路に入ってしまった。

 それでも歌は作り続けていたのだが、

 どうも、パワーがあまりすぎて、歌を練りすぎて、

 変な歌ばかりになってしまった。

 1984年頃かな。作る歌作る歌、満足できなくて、

 結局、以前の歌を歌うのだけれど、それも満足できなくて、

 一曲くらいしか、歌う歌がないように感じられた。

 ・・一曲しかないような気分。それは、歌作りすらんぷ時代。

 ・・・・・・・・・

 今でも、思い出す、その頃の気分を。あの哀しい感じ。

 この先の不安がいっばいになった、あの感じ。

 結局、その歌える一曲をヒントに、

 一年後くらいには、また新しい歌作りが始った。

 今もそんなに歌が出来てはいないが、

 あの頃のような気分ではない。歌ううたがあるからね。

 あの一曲から始まった今と言えるだろう。

 すらんぷ時代のあの一曲から。


「その昔、友達の言った話」'11.6/8

 最近、もーれつに忙しくなってしまってはいるが、

 一日は24時間なので、時間はあるんじゃないかなと思っている。

 ボブ・ディランがニューヨークに出てきた頃を回想した言葉で、

 ・・ぼくはほんのちょっとの時間をつくり、、うたを作り始め・・・

 と言う言葉があるが、そんなふうに僕も今、時間を作ろうと思っている。

 もう20年近く前の話になるが、小学校の同級生が焼肉店をオープンさせて、

 お祝いをかねて、食べに行ったのだ。

 ほんとに、ここ最近は忙しいのだという。僕の生活はいいなぁと言っていた。

 彼はこんなことを言った。

 「最近は、一枚のレコードを聴くのに、眠る前に一日に二曲ずつ聞いてますよ、、あはは」

 すげえな。

 ほんとに時間がないんだな。焼肉屋は忙しいのであろう。

 一日に二曲ずつ。

 でも、それだって「ほんのちょっと時間」を作っているということだろう。

 一日に何枚もアルバムを聞くこともできる。

 その彼にとっては、一日に二曲であっても同じ大きさを持っているにちがいない。

 僕もそんな時間を作ろうと思っている。あはは。


「飽和状態」'11.6/6

 東京に出てきた最初は、寮であったので、

 アパートに移るときは、まだほとんど荷物もなかった。

 両手で荷物を持てるくらいに。

 はじめのアパートは四畳半であった。

 はじめはカラーボックスもなかった。

 ああ、あの頃の部屋に戻れたらなぁ。

 あれから30年。ここは二部屋あるが、もう荷物が飽和状態である。

 ここをピークに、どんどん部屋はシンプルになってゆくのではないかと思っている。

 部屋のことだけではなく。生活も。

 シンプル化現象。

 自らに内在する力で、それは起きると確信する。

 で、ないと、まずい。


「立方体の音楽」'11.6/4

 高校二年から三年のとき、レゲエ音楽にはまっていた。

 '76年から'78年の頃、レゲエ音楽がじわじわと盛り上がってきた頃だ。

 田舎町にある小さなレコード屋に置いてある、国内版レゲエのアルバムを一枚一枚と買っていった。

 ジミー・クリフ、ボブ・マーレー、サードワールド、そしてスティール・パルス

 どのアルバムもほんとによく聞いた。高校時代の集中力とはすごいものである。

 はまったといえば、スティール・パルスのファーストアルバムにははまりまくった。

 濃厚なサウンド。無駄のないアレンジ。朝に夜に毎日聞いた。どの楽曲も耳の中で再現できるほど。

 あれから40年ほどたっているが、今だにその音は耳に残っている。

 ・・・・・・・

 先日、ふと思い立って、インターネットの動画サイトのYou Tubeでステール・パルスを検索したら、

 なんと1978年の映像が残っていた。

 レコードのままの演奏で。それも小さめのスタジオのような空間での演奏。

 ああ、なんとも感動的であった。耳の残っているサウンドがそのまま映像になっているのだ。

 僕にはその小さな部屋が、ひとつのゼリー状の大きなサウンドの塊のように思えた。

 立方体の音楽。ひとかたまりの生き物のようなサウンド。

 不思議なことに他の野外ステージライブの映像には、それは感じられなかった。

 ビートやサウンド的には、リアルではないかもしれないが、

 僕にはその小さな部屋での演奏の空間が、サウンドのゼリーのようなお菓子に思えた。

 美味しい美味しい立方体の音楽。 


「言葉の魔法」'11.6/2

 それは僕が小学校の四年か五年生の頃。

 友達とバスで一時間も離れた大きな街へ遊びに行った。

 住んでいた柏崎から長岡まで。二人きりで。

 長岡には、大きなゲームセンターとかあったのだ。

 二人とも、少しはお金もあった。そんなにはなかったが。

 まあ、冒険みたいなものだ。当時ではありえない話。

 長岡までは無事にバスで着いて、それからゲームセンターに向かった。

 そこで僕らは、ほとんどのお金を使ってしまったのだ。

 馬鹿だから、、。

 二人とも手持ちは、120円くらいしかなくなった。

 それで長岡から柏崎までバスで帰れるか、、無理にもう決まっている。

 でもバスによっては、帰れるかもしれないとか思っていた。

 もう、その頃には日が暮れていて、、。

 僕らは柏崎方面行きのバスを見つけて、車掌さんにこうきいたのだ。

 「このお金で、柏崎まで行けますか?」と。

 車掌さんは、それですべてがわかったのであろう。

 僕らは無事に柏崎までバスで帰ることが出来た。

 しかし、その頃、僕と友達の家では母親どうし、大騒ぎになっていたのだが、、。

 あれから40年もたっているが、今思うことは、よくあの言葉が言えたなぁということ。

 もしあのとき「柏崎まで、いくらかかりますか?」と、きいていたら、僕らはバスに乗れなかったであろう。

 もしあのとき「110円で、柏崎まで行けますか?」と、きいていてもだめだったであろう。

 偶然にも言葉の魔法を使ったのだ。

 「このお金で、柏崎まで行けますか?」と。


「素晴らしかったひと言」'11.5/31

 先日、中野にあるインディーズや自主ものを主に扱っている、某有名なお店に納品に行った。

 そのお店には本当にお世話になっていて、もう20年ほど自主TAPEやCDを置かせてもらっている。

 置かせてもらっているCDには、数年に一枚も出ないものもあるし、

 さすがに他のレーベルの新作も多いことであろうから、古いものは引き取ろうと思っていたのだ。

 「いつもお世話になっています。新作の納品に来ました」

 「あっ、どうも」。そして納品。

 「あのぅ、もう古いCDとか、引き取ろうと思っているんですけれど、、」

 するとこう言ったのだ。

 「その人がまだ活動されているなら、置いていてかまわないですよ」

 「なかには、活動をやめてずいぶんたっている人とかいますし、、それは困るんですけど・・、

  ええ、まだ活動されているなら、、大丈夫です」

 なるほど、在庫は生きているということなのですね。

 そして、つながりを大切にしたビジネスをしている。

 応援してくれているのだ。ありがたい。


「エレキもいいな」'11.5/29

 ずっと小さなスピーカー付きの「ZO-3」(ぞうさん)エレキギターが欲しいと思っていた。

 ライブビデオ編集等をしているので、そのときに一緒に弾けたらなと思っていたのだ。

 しかしZO-3エレキはそこそこの値段がしている。新品なら3万円ほどする。

 中古屋でも、1万2千〜5千くらいは普通するであろう。

 先日、古道具を通りかかると、ZO-3エレキが見えて声をかけると、

 「3500円だよ」って言う。

 (・・んん、小さいからって安い値段を付けたのかな、、)

 3500円なら、即買いでしょう。

 部屋で試してみると、完璧であった。ZO-3エレキは作りもしっかりしていて、弾きやすい。

 しばらくエレキを弾いて、それからまた生ギターを弾くと、びっくりするくらいに音が新鮮に感じられる。

 かと言って、エレキギターの音色がチープに思えるということでもない。

 生ギターからエレキ に持ちかえると、弾き方も変わるので、ちがうフレーズがどんどん出てくる。

 いいじゃないか。どちらも新鮮に感じられるなら。

 ZO-3は、すぐ手が伸びるので、ギターにふれる機会も多くなるだろう。

 ライブビデオ編集している時間も、自分のためになるだろう。

 友達にZO-3エレキを見せると「こんなの邪道だよ」と言った。

 たしかにZO-3エレキは玩具みたいだ。

 でも、その玩具みたいなところに、遊び心がよみがえってくるんだよなぁ。


「そういう会社はなかったものか」'11.5/27

 今の仕事は、もう21年も続けているので、そうとうなプロと言える。

 長いぶんだけ、豊富な知識もある。

 もしこの会社が、ギターのアドリブ配給会社だったらなぁと思う。

 そうしたらギターもプロ中のプロになってうまくなっていたのかなぁと思う。

 かなり無理のある夢だが。

 最初の募集広告には、こう書かれている。

 「ギター弾き求む、初心者から懇切丁寧にご指導致します」と。

 一年・二年はびっちり基礎をやって、あとは細かな事務処理。

 三年目あたりから実演。全国から送られてくる楽曲にギターアドリブを付ける。

 十年を過ぎた頃からは、ギターを極めてくる。

 二十年もやれば、プロ中のプロに。

 そういう会社はなかったものか。

 しかし、、、

 仕事が終わったら、ギターも触りたくないという現実が来るかもしれないが、、。


「時代」'11.5/25

 最近は、スマートホンなるものが流行っている。

 液晶画面が携帯電話よりも、それは大きい。

 カメラ機能もついていて、その大きな液晶画面いっぱいにそれは写る。

 先日のライブをビデオ撮りしているとき、そのスマートホンの液晶画面が、

 ステージのそば、客席のところから動き回るのがどうしても画面に入ってしまった。

 それも何人も。

 客席は暗いので、その大きな液晶画面がとても目立つ。

 スマートホンを常時使っているみなさんには、単純にカメラ機能を使っていると思われるが、

 ビデオ撮影をしていると、映像の中で、それはすごく目立ちます。

 デジタルカメラに液晶画面しかつかなくなってから、もう10年近くたつ。

 以前は、ビデオの映像の中に、お客さんの液晶画面がチラチラ入っていると、

 かなり気になったものだったが、最近は、あきらめかけている。

 そういう時代だということで。

 人によっては、デシタルカメラやスマートホンを、

 ステージに向けて手をあげて写真を撮る人もいる。

 僕には、信じられない光景ではあるけれど、それも時代。

 時代の流れは止められない。

 止められない。


「チャンポン屋で幻のようなものを見た」'11.5/23

 中野にある、とある有名なチャンポン屋のチェーン店に入った。 

 とても清潔感のある店内。そこに吊り下げられてあるライトが、

 赤、青と言った原色のガラスの切り子細工の入ったライトであった。

 長崎と言ったら、チャンポン、そして切り子ガラスも有名だものね。

 実際の長崎のものかはわからないが、異国情緒がそれだけでも店内にかもしだされていた。

 僕は店の奥の席に座ったのだけれど、テーブルの端のところに大きなガラスが仕切られていて、

 そこにカガミに映したように、切り子のライトが店の入口まで続いているのが見えた。

 これは偶然なのか、それともわかっている演出なのか。

 とにかく幻のように、それは綺麗であった。

 わかってやっているなら、そうとうに良い演出である。

 こんな景色をチャンポン屋で見るとは思わなかった。

 何度見ても何度見ても、それは美しかった。


「そうだCDを聞こう」'11.5/21

 最近は自分のライブ音源ばかり聞いていたので、

 それが音源なのか、ライブの再現なのか、あいまいになってしまった。

 まるでDVDのかわりのようにCDRを聞いていた。

 それは音源ではあるけれど、ライブでもあるような微妙なところ。

 映像も一緒についているような。

 最近、仕事が終わり、疲れてへとへとで帰ろうとするとき、

 「そうだ、CDを聞こう」と、思えた。

 まるで、コマーシャルの「そうだ、京都に行こう」のように。

 ライブというものは、聞いているみんなを圧倒するものだけれど、

 CDというものは、疲れをとってくれる面が大きい。

 その人の今していることの時間を奪ったりはしない。

 メロディーと歌詞とサウンドを楽しむ。

 駅に着いて、ホームに列ぶプラスチックの椅子がある。

 そこに座る。隣には誰もいないけれど、そっと音楽さんが座る。

 言葉はなく、静かに、いつのまにか。

 ライブ音源では、なかなかこういう感じにはならない。


「そこはこだわりたい」'11.5/19

 ライブを生音で録音するために、

 携帯型のレコーダーをいくつかそろえた。

 それまでは一万円台のレコーダーを使っていたが、調子悪くなってしまった。

 ここは思い切って最高機種というものを買ってみようと、四万円台のものを買った。

 録音してみると、さすがにクリアな音で入っていて、音像もしっかりしていたが、

 どうしても、ひとつの音が気になった。

 それは自分の生ギターの音が、クリアに仕上がっていた事だ。

 聞きやすいのだけれど、それは僕のギターの音ではなかった。

 そこはこだわりたい。

 馬鹿な男は、もう一台同じタイプのレコーダーを手に入れた。

 それも音像はクリアだったが、やっぱり生ギターの音が再現されていなかった。

 「きれいな音じゃん」と、言われるかもしれません。

 しかし、そこはこだわりたい。

 結局、以前使用していた安いレコーダーを調整して使うことにした。

 そのレコーダーは、ちゃんと同じ生ギターの音に聞こえるので。

 クリアがなんだ。なんだ、なんだってんだ。


「空間の言葉」'11.5/17

 先日、ライブハウスに出かけると、

 ゆっくりと入って来たお客さんがいた。

 その日は沖縄関係のバンドも出演するので、沖縄の人のように思われた。

 その人は、ゆっくりとテーブルの前に立つと、なんとテーブルもの上のものを並べ直したのだ。

 大まかに。まるで会社の自分の机の上を整理するかのように。

 物静かな人なのかなと思っていると、友達を見つけて、「おーうー」と、声をかけた。

 沖縄風のイントネーションで。他の友達も見つけて、同じテープルに集まろうよと言った。

 その声は大きかった。まるで空間を進む立方体のように。

 あっちへ、こっちへ、その立方体の声は進む。

 すると、彼のテーブルの回りがひとつの空間として出来上がってきた。

 気持ちの良い、すきまのある、流れのある、ひとつの空間。

 彼には、空間というものが、見えているようであった。

 その空間を作るには、声は少し大きくないとだめだろうなぁと感じられた。

 空間を言葉で作るみんなは、声がある程度大きいのは、そういうことかな。

 そして、その人はライブのときカメラ撮りをしていた。

 いい写真を撮りそうであった。 


「トキガタツノハ、ハヤイモノデ・・」'11.5/15

 ちょっと目から鱗の話を。

 友達のライブビデオを編集していると、いつもどおりに、

 ラストの曲のときに、こう言った。

 「時の経つのは早いもので、次が最後の歌です」と。

 これはライブに限らず、みんなが使う言葉ではあるが、

 ふと、ライブの時間というものを、

 ひとつの時間という鳥と思ってみたらどうだろう。

 「時が経つ」の意味を「時が飛び立つ」と。

 つまり、ライブの時間は「ひとつ」の時であり、

 流れていないのだ。

 ラストには、その「ひとつの時」が鳥のようにただ飛び立つのだ。

 もし「時」というものを、一羽の「鳥」と思うなら、

 そう思うなら、その鳥がそばにいる間は、時は過ぎていかない。

 ただ、その時間の鳥が飛び立つだけ。

 だから「あなた」という人が、ひとつの時間だとしたら、

 そばにいる間は、時間は過ぎていかないだろう。

 ただ時計の針が移動しているだけ。


「かごの中のかご」'11.5/13

 最近は帰りが遅い。少しだけ遠くまで通っているからだ。

 高円寺から南千住まで。この四月から。

 それまでの20年は、総武線の両国に通っていた。

 南千住を出て、秋葉原で総武線に乗り、高円寺へ。

 「高円寺」と電車のドアの上の電子ボードに名前が出てくると、

 とても安心する。それだけは変わらないので。

 両国に通うのは、とても楽であった。

 総武線で一本か、高円寺から中央線快速に乗り、お茶の水で乗り換えて総武線。

 とてもシンプルだった。

 泣きたいくらいにシンプルであった。

 今はバランスが崩れている。

 なんてことないのかもしれないが、僕には大きい。

 南千住を降りて、15分ほど歩く場所に事務所はある。

 いつも帰ってくるとき、高円寺が遠く感じられる。

 まるで「かごの中のかご」のように。

 「チャンネルの中のチャンネル」のように。

 南千住が遠い。

 ほんの15分しか変わらないのだが。

 自分のバランスが崩れている。


「おれはふしぎだ」'11.5/11

 昨日は帰宅して、30分ほど録画してたテレビを観て、

 それで眠ってしまった。まずい。

 それから6時間ほどして目が覚めたのだが、

 まったく記憶がない。

 疲れているのはわかる、、でもまた朝だなんて、いやだなぁ。

 日々、自分が寝不足だとしても、もうちょっとは起きていたい。

 おれはふしぎだ。なぜ眠るのか。

 たぶん強力にいつも眠っていると思うが、

 体は頭はいったい何をやっているんだろうなぁ。

 ちゃんと自分でわかっていないとな。

 幼稚園の先生も、小学校の先生も、高校の先生も、

 友達も、誰も教えてはくれない。

 おれはふしぎだ。人はなぜ眠るのか。


「短歌を詠む」'11.5/9

 その昔、大切なくぎりのとき、

 そして、想いを伝えるとき、その想いに答えるとき、

 この国では、歌を詠んだ。

 短歌。五七五七七。

 それは「歌」と呼ばれるもの。

 歴史深く、いつもそばにあった文化。

 感謝の気持ちを伝えるときでさえも、

 現代では、電話や電子メールの場合が多い。

 「先日は、ありがとうございました・・」

 そんな言葉で、みんな気持ちを伝えるけれど、

 歌をおくり、歌をかえすという文化はほとんどなくなってしまった。

 生活のそばにあった「短歌」が、今は遠いのだ。

 もったいないなぁ。この文化。

 小学校の頃から、英語やピアニカを習うのが現在の常だが、

 みんなが「短歌」を詠むのも習ったら、どうだろう?

 それもきびしいなら、

 短歌に代わる、新しい表現を作ってもいいな。

 花見やお月見のように、

 自然な形で残していきたい。


「TVスペシャル考」'11.5/7

 ボブ・ディランの1975〜76のローリングサンダーレヴューコンサートは、

 その最後に、テレビスペシャルとして放送された。

 最初は屋内でのコンサートをプロのスタッフが撮ったのだが、

 出来上がった映像が、あまり気に入らず、後日、ディラン側のスタッフによって、

 野外コンサートが撮影されたのだった。

 僕も高校時代にテレビで、そのコンサートの映像を観たが、

 とても迫力があり、圧倒されたのを憶えている。

 最近、その最初に撮られたという屋内でのコンサートの映像を観る機会を得た。

 コンサートの内容は、バラエティーに富んで、豊かなライブであった。

 ディラン自身も演奏も、まったく問題はない。

 ただ、撮り方が、いつもながらの「TVスペシャル」風の映像であった。

 60年代70年代のテレビコンサートのライブ映像としては、普通。

 普通というか、ちょっと派手なのだけれど。

 よくある、よく観る、米国の屋内コンサートの撮り方であった。

 今回、その映像を観て思ったことは、

 もしディラン側が撮り直さなければ、この映像が残ったであろうということ。

 普通に、今もDVDとして発売されていたかもしれない。

 考えてみれば、TVの音楽番組のほとんどは、今も派手な演出が多い。

 テレビ局側が、せっかく作ってくれたものだから、文句を言う人は少ないであろう。

 「ちょっと派手ですけれどね。このくらいでちょうど良いんですよ。

 テレビですから面白みがないとね」と、言われるかもしれない。

 ディランの判断は、ほんと正しかったと思う。

 怒りというものとはちがうかも、しれないが、

 その反動からか、迫力満点の映像を撮ったのだろう。


「現実は現実として受け止める」'11.5/5

 この言葉、なかなかに強いですな。

 いろんな言葉が元気づけにはなっているが、

 この言葉が今、一番強いかもしれない。

 僕は部屋片付けをしているが、

 この部屋の状況もまた、現実である。

 それをまず受け入れて、さて、それからどうするかだ。

 なんで、そうなんだと、思うこともできる。

 いろいろな現実を。

 だが、そこでとどまっていても、先にいけないのだ。

 髪の毛を切るのに失敗したとしても、

 もう切った髪の毛は、すぐには伸びない。

 床屋さんにつめよっても、先には進めない。

 明日、出かけねばならないのだ。

 鏡を見て、まず、現実は現実として受け止める。

 それからどうするかだ。

 元に戻すだけが、方法のひとつではない。


「そんなライブをしてみたい」'11.5/3

 地表や町の歩き、ふと見上げたときの、

 空や雲を印象深く眺めたりすることはあるだろう。

 一杯の熱いインスタントコーヒーでも、

 飲む場所によっては、最高に美味しく感じられるであろう。

 そんなライブをしてみたい。

 メロディーもあるし歌詞もある。

 でも、伝えたいことはまたちょっと別のこと。

 歌を聴いてゆくと、幻のようなものがふと横切ります。

 マジックのように。

 でも、そのマジックをするには、聞いているみんなが、

 たっぷりと歌の中に入らねばならない。

 (あれ、ここライブハウスだっけ・・)

 それで良い。

 (あれ、今、魚が動いた・・)

 それで良い。

 前奏もあるし、ギター演奏もあるし、歌もあるけれど、

 それはほとんど、おまけや体みたいなもので、

 特にそれを伝えたいわけではない。

 ほんとに伝えたいのは、ほんの一瞬の幻こと。


「ロックンロール考」'11.5/1

 アメリカの若手のバンドのライブDVDを観ている。

 (映像自身は、今のものではないが・・)

 三曲目くらいになると、ノリの良いロックンロール風ナンバーが出てくるが、

 それは、このバンドに限ったことではなく、ライブとしてよくある流れだ。

 お客さんの方も、体を揺らしてノッて聞くというのが、ライブの醍醐味なのであろう。

 しかし、僕くらいの年齢になってくると、リズムがかなり早く感じられる。

 そんな映像を観ながら、僕はインドのライブのことを思い浮かべていた。

 インドの演奏では、リズムの早い曲もあるけれど、どちらかというと、とろーんとしたリズムが多い。

 僕なんかには、それが自然に受け入れられる。

 ガザルというジャンルの演奏では、途中で即興部分が入る。

 だんだんと盛り上がってきて、合わせているタブラがもーれつな早打ちになったりする。

 それはロックンロールよりも、きっと早いスピードだ。

 そのとき、心は揺らされる。体は普通かもしれないが。

 僕には、このインドの演奏の流れがぴったり来る。

 ロックンロールと比べては、いけないのだが。

 それもあり、これもあり。


「カウントをあまりとったことがない」'11.4/29

 友達のライブの映像編集をしていると、

 ユニットでやるときは、演奏前にカウントを取っている事が多い。

 「ワン・ツー・スリー・フォー」と。

 それは同時に演奏が入れるようにカウントをとっているのであろう。

 リズムの早さもそれでわかるようにしているのであろう。

 そして、自分の演奏のときのことを思い出してみると、

 ずっとバンドもユニットもやっていたが、ほとんどカウントというものを意識してやったことがない。

 リズムの早さというけれど、その意識もあまりない。

 歌う前や演奏を始める前にカウントを出すなんて、かなり僕には違和感がある。

 同時に始めるためには必要ではあるけれど、それでも、あまり意識したことがない。

 そういえば以前、バンドのメンバーが同じメンバーに、入るタイミングについて、

 「青木さんのステージでの動きを、よく見ていることが大事だよ」って、言っていたのを聞いた。

 そうか、そうやってバンドのメンバーは合わせていたのか、、。

 もちろん、カウントを出した方がよいのは、わかるのだが、

 どうも、自分にはそれがなかなか出来ない。

 ボブ・ディランやウディー・ガスリーも、苦手なのではないかな。

 ・・友川カズキさんとかも。。

 理由を深く考えたことはないのだが、、。

 みんなが同時に演奏を始めるって、不可能の中の可能のような印象がある。

 サウンドというものを別にして、、。

 それに、個人的なことだが、歌の前に「カウント」ってないような気がしている。

 意識として。

 白い画用紙がある。最初のひと筆を書く人がいる。

 意識はまず、ずっとその筆の中にあるだろう。

 その筆を書き出す前に、カウントを意識できるだろうか。

 本日の、つぶやきでした。


「そんなこともある」'11.4/27

 遠い遠い日、ほぼ毎日通っていた小さな雑貨のお店があった。

 実家のすぐ近く、パン屋さんとその雑貨屋さんが僕の世界であった。

 幼稚園の頃から高校三年まで、とてもとてもお世話になった小さなお店。

 お店のおばさんにおじさん、一日に何度も、店の奥から出てきてくれましたね。

 小さい頃の僕の体の20パーセントは、その雑貨屋さんで出来ていたであろう。

 だって、その雑貨屋さんが世界だったのだから。

 やがて、おじさんはおじいさんに、おばさんはおばあさんになった。

 30年ほど前、僕は東京に出てきて、二年に一度くらいは帰郷していたのだが、

 いつのまにか、おばあさんだけになった。そしてそれからお店はしめられ、

 そのあとそこは空地になった。

 空地になってから、もう15年ほどたっただろうか。

 記憶の中にだけある、あの雑貨屋さんと、あのおじさんおばさん。

 ・・・・・・・・・

 それは、つい昨日のこと。

 仕事場にて、帰りがけに声をかけらけた。柏崎出身だと聞いたと。

 その人は新しく仲間になった同僚の女性であった。

 話をしてゆくと、実家のすぐ近くだとわかった。それもかなりの確率であるが。

 驚いたことに、その人は僕のお世話になった雑貨屋さんの娘さんだったのだ。

 娘さんと言っても、僕よりは年上ではあるが。

 顔立ちも声も、面影が残る。

 僕は今でもはっきりと雑貨屋さんの品物の並びや、お店のことを憶えている。

 同じ記憶があるであろう。

 世の中には不思議な出会いがあり、それは巡っている。

 それだけでじゅうぶん。


「たぶんきっと、そのむかしのライブのときは」'11.4/25

 先日、ほぼ生音でのライブで歌った。

 生音で歌うのは、慣れている。

 その昔も、ライブというのは生音であっただろう。

 しかし、先日の僕のライブを、昔の人が観たら、ちがうところに気が付いたはず。

 それはトークだ。

 僕はずいぶんマイクのあるライブに慣れているので、トークのところがつい普通の声になってしまう。

 生音のその昔のライブでは、きっとトークの声も大きかったはず。

 考えてみれば、それが普通ではないかな。

 しかし、僕らはあまりにマイクのあるライブに慣れてしまっている。

 総合的に、やっぱりトークも大きめにしないとな。

 そのむかしのライブはきっとそうだったはずだもの。


「生音でのフィンガーピッキングのギター演奏」'11.4/23

 今日もライブで歌うのだけれど、

 きっと座って歌うと思う。

 自分のライブで座って歌うなんて、きっと25年ぶりくらいかな。

 それも生音ライブ。

 それも、半分はフィンガーピッキングの歌。

 あっ、そのなのって、思うかもしれませんが、

 生音でのフィンガーピッキングのギター演奏って、ほんと難しいんですわ。 

 ピックを使ったギターストロークならまったく問題なし。

 先日も、けっこう広いスペースでフィンガーピッキングの演奏をしたが、

 そのときはそうとうに強い指の力で弾いた。

 ギターにも限界というものがあるし、弦にだって、よい響きの限度というものもある。

 そのかねあいをみながら、フィンガーピッキングをする。

 まあ、どんな状況でも同じように弾く人も多いですけど。

 生音でフィンガーピッキングをするときに大事なことは、

 強く弾いていると、感じられないような響きを出すことかな。

 それはなかなかに、むずかしいんですが。

 やり方はあります。

 サウンドホールの真ん中へんで弾くと大丈夫です。 

 ほぼそれだけ。 

 あとは、まるーく弾くことかな。


「紙飛行機の落ちるところ」'11.4/21

 丘から、ビルの上から、紙飛行機を飛ばしたら、

 同じ場所には、ほぼ落ちないであろう。

 そんなのいやだと、他を追いかける紙飛行機もあるかもしれないが。

 時には、いかだに乗って漂流して、無人島に着くこともあるだろう。

 もしかしたら、誰も来たこともない島かもしれない。

 だから、そこで見たもの、感じたものをしっかり憶えておくように。

 たったひとりとしても、あまり心配しないで。

 紙飛行機は、みんな別のところに落ちるであろう。

 だから、あまり気にしないように。

 落ちたところ、辿り着いたところが、ひとりぼっちだと思えたとしても。

 そこにあるものを、見えるものを大事にするように。


「二時間半後の世界」'11.4/19

 先日、つい夜更かしをして午前2時近くまで起きてしまった。

 目覚ましは4時半にセットされているのだが。

 それからぐっすり眠った。途中で地震もあった。

 二時間半後に目覚ましが鳴った。

 ゆっくりとピピピピと。

 普通に朝の響きであった。

 それからに普通に朝の用意をして出かけた。

 世の中はすっかり今日になっている。

 真夜中から朝まで、不思議な時間が流れている。

 真夜中、僕は真夜中のそはにいた。

 朝には、僕は朝のそばにいる。

 ・・・・・・・・

 (その夜すぐに眠りました)


「じゃんけんポン、あいこでショ!!」'11.4/17

 各停の総武線電車の中、

 ひと組の親子がじゃんけんをしていた。

 まだ3歳ほどの女の子とお父さん。

 席に座るお父さんに向かい、女の子が言う

 「じゃんけんポン、あいこでショ!!」と続けて。

 一回目のじゃんけんの結果はどうでもいいのだ。

 負けようが勝とうが、すぐさま「あいこでショ」と、続ける。

 終わったら、また「じゃんけんしよう!!」と言う。

 お父さんが最初に勝とうが負けようが、

 もう一回じゃんけんがしたいのだ。

 自然でいいじゃないか。

 一回目がどんな結果であれ、それは「あいこでショ」と、言いはる。

 どちらかがくやしいから、もう一回。

 「あいこでショ!!」と、言ってみよう。


「人は外を見る」'11.4/15

 仕事の前に、よく寄る小さな牛丼屋がある。

 最近のことだが、そこでこんな場面を毎日のように見る。

 入口近くの椅子に座るひとりおじいさんが、

 外に向かってお茶をゆっくり飲んでいるのだ。

 食べ終わって、湯飲みのお茶をゆっくりと。

 長いこと、牛丼屋には通っているが、そんな人を見るのは初めてだ。

 しかし考えてみれば、しょうがの箱や醤油や唐辛子を見ながらお茶を飲むのも変ではある。

 何か自分自身の考え事でもするような感じで。

 喫茶店なら、窓際に座って外を見て珈琲を飲むのは自然であろう。

 それが牛丼屋で、あっても自然だ。

 外には陽の光もある。お茶も美味しいであろう。

 太古の人たちが、同じように牛丼屋に入ったら、

 迷わず、外を向いてお茶を飲むのではないか。


「ベートーベンの聞いたもの」'11.4/13

 大震災から発生からひと月、今でも毎日、被災地のニュースが流れている。

 大津波によって流された土地の映像を観ていると胸が痛くなるほど、元の姿を留めてはいない。

 あの土地を前にして、現地の人たちは大きな喪失感を抱えているであろう。

 そしてどう復興していこうかとも。。

 こんなとき、僕は作曲家、ベートーベ ンの有名な話を思い出す。

 20代の後半、ベートーベンは、耳があまり聞こえなくなった現実に絶望し、

 とうとうある夜、遺書まで書いたという。

 もうこれまでかと思えたとき、ベートーベンは耳の奥より聞こえてくる、

 湧きあがるメロディーを聴いたという。

 この話の大事なところは、音楽のことで絶望したベートーベンが、

 音楽によってまた救われたということであろう。

 今、大津波で被災した土地は、元の景色を見せてはいない。

 失ったものは大きい。

 でも、きっとその土地から声が聞こえてきているのではないか。

 復活の大切な力は、同じ土地からもらえるだろう。

 ベートーベンがあの夜に聞いた音楽のように。


「ギター沼」'11.4/11

 ここ数日、ギターを持って何かポロポロと弾くと、

 次々とメロディーやリズムやフレーズが出てくる状態になった。

 まるで、ギターの沼から湧き出てくるように。

 特に今、自分がハイになっているというわけではなく、

 しばらく毎日、創作のためのフレーズを作ってきたからだと思う。

 不思議なのは、ギターの音も素晴らしくなっているように感じられることだ。

 耳がそういう状態なのかな。

 気持ちがそういう状態なのか。

 こんなふうにメロディーが出てくるなんて久し振りだな。

 たぶん時期は巡り巡ってきているのであろう。

 ギターは常にそばに置いておいた方がいい。


「ラジオとのかかわり」'11.4/9

 ここ最近、余震も多いということもあり、

 AMラジオをひとつ買った。

 AMラジオを聴くなんて、とても久し振り。

 中学・高校時代は深夜放送をよく聞いたものだが。

 それからAMラジオは遠くなってしまった。

 音楽を聴くためにFMは今もよく聞いている。

 さて、AMラジオ。35年ぶりくらいにちゃんと聞いてみて感じたことがある。

 現代の感覚だと、ラジオはテレビから映像をなくしたような感覚だが、

 実は、、。

 実は、僕らの日常の会話というものは、ほぼラジオとも一緒なのだと知った。

 誰と話しても、そこには顔はあるが、再現映像があるわけではない。

 考え方によっては、ラジオみたいなものだ。

 テレビが普及するまでは、ラジオが主体であった。

 ラジオの中に喜怒哀楽があり話題があった。今はそれがテレビになってはいるが。。

 目を閉じてみると、それは全部ラジオですよ。


「あっぱれジャック」'11.4/7

 1965年のジャック・エリオットのライブアルバムを聴いている。

 ランブリン・ジャック・エリオット・・通称、さすらいのフォークシンガー。1931年生まれ。

 もう今年で80歳になる。

 最近のアルバムでは、さすがに70歳代の声になって、渋い低音の魅力がいっぱいだが、

 1965年のライブアルバムでは、自由自在にいろんな声を出していた。

 その中にディランの「くよくよするなよ」が入っている。

 ラストのフレーズ「ドンドシンク・トワイス・イッツ・オールライト」が、

 四番分繰り返されるのだが、どの「ドンドシンク〜」も違った響きの歌い方をしていた。

 「思い返すな。これでよかったんだ・・」。直訳でそういう意味だ。

 一番では、不安げな響きなのに、それが四番では、ふっきれたような響きに変わる。

 嫌みがなく、自然に、まるで本当に歩いているように。

 本家のディランの「くよくよするなよ」も、もちろん良いのだが、

 ジャックの「くよくよするなよ」もさすがであった。

 一曲の中に豊かさがある。一番一番まるで絵本をめくり、ちがうイラストが出てくるような。

 ジャックの豊かさは、一曲の中にもあるが、ひとつのライブの中にもある。

 そのライブの45分ほどではあるが、曲順が本当によい。

 何度聞いても、あきさせない構成になっている。みんなフォークの歌には聞こえるが。

 ジャック・エリオットはさすがであった。

 ギター一本で歌われる、このアルバムの豊かさが僕にはよくわかる。

 あっぱれジャック。そう言いたい。


「今は夢の外かもしれないが」'11.4/5

 東北では寒い日がまだ続いている。

 寒いとリアルな夢を見るんだよね。

 今、避難所にいるみなさんは、どんな夢を見ているのだろう。

 家の夢だろうか、町の夢だろうか、、。

 どちらも今はもうないかもしれない。

 起きたとき、まるで夢の外にいるような気持ちにもなるだろう。

 そばにあった何もかもがなくなっているとしても、

 僕は思う。

 それでもきっと、今年の祭りはあるだろうと。

 御輿はないかもしれない。舞いの舞台もないかもしれない。

 それでも、きっと祭りは続くであろう。

 だって、土地のみんながいるのだもの。


「大震災、今、私の思っていること」'11.4/3

 海に囲まれたこの国がひとつの体であるならば、

 今回の大震災が、自分の肌のように感じられたであろう。

 僕は今回、東京の古いアパートにいて、自分の記憶の限りで一番の大きな揺れを経験した。

 一瞬ではあったが、もうだめかもと思えた。

 今回の大地震で、大きな危険を感じた人と、そうでなかった人もいる。

 僕には今もなお、自分のつながりのどこかで今回の震災が今も続いている感覚がある。

 他人事には、まったく思えないというのが本当のところ。

 三週間ほどたち、それからの僕が感じたことを書いてみようと思う。

 ・・・・・・・・・

 それはつい昨日のことだが、ライブハウスに出かけた。

 ライブ前のBGMで、'70年代のアメリカのソウルミュージックがかかっていた。

 50代と思われるひとりが、「これ最高だよ」と言った。

 (そうか、、最高なのか、、)

 心ふるわせる最高なものが外国の音楽にあると言うのだが、

 さて、僕らのソウルミュージックって、こんなリズムなんだろうか、、。

 小さい頃から音楽を聞き、耳と心が探しに探してそこに辿り着いたのだろう。

 でも、きっとそれは僕らが聞いてきた音楽なのだ。

 ・・・・・・・・・

 今回の大地震で僕らの大地が大きく揺れ地面も割れ、

 今まで築き上げてきた町も家も、津波によって流され、そして大きくえぐられた。

 地割れもし、土地をおおっていたものは、むき出しになってしまった。

 ここに住んでいた僕らがいる。土地の上にかぶせたものは、みなはがれてしまった。

 体ひとつでそこから避難した人たちがいる。

 原始の人に戻ったとは言えないが、たぶんみんな自分自身、

 そして土地そのもののありのままと、向かいあっているであろう。

 内側のエネルギーで壊されたものは、同じように内側のエネルギーがきっと復活の鍵となるだろう。

 一人の人はひとつの土地と同じではないか。

 ・・・・・・・・・

 人と町が復活する底力というものがあるなら、それは一番内側に大きくあるだろう。

 今回の大震災で、僕の中でつながっている地表が割れてしまった。

 ひりひりと痛い。その痛みが歌を呼ぶ。

 耳を澄まそう、底にあるリズムとメロディー、そして言葉に。


「長い歴史のあいだには、友達になることも」'11.4/1

 杉並区と南相馬市は交流があり、災害時相互援助協定があると知った。

 そんなふうに市と市に縁が生まれ、助け合うということが、日本にもあるなんて少し驚いた。

 日本とトルコ共和国には、同じような親愛感もあると聞いている。

 世界中の市と市が交流するということも聞いたことがある。

 姉妹都市という言葉も聞いたことがある。

 今回の震災で、被災されたみなさんに、郵便の荷物が個人的に届くようにもなって、

 あるひとりの女性が、その荷物を受け取り、インタビューに答えていた。

 「大学時代の友達からなの」と。親戚もありがたいが、友達もありがたい。

 日本も長い歴史の間には、市と市に縁が生まれ、土地と土地に縁が生まれ、

 お互いが困ったときに、親身になって助け合うということが多くあってもよいのではないか。

 友達は大切だ。とても。

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