青木タカオ「ちょっくら・おん・まい・でいず」

「最近の事」過去ログ'11.12月〜'11.3月


「友よ、それはきっと現地の言葉の中にある」'
11.3/30

 今回は東北地方に大きな震災のダメージがあり、

 ニュースでも、東北の訛りを耳にすることがほとんどだった。

 現地では地元の言葉が話され、その響きの中に安らぎや力づけがあるだろう。

 それが心に添っているのが、よくわかる。

 ニュースでは「がんばろう、がんばろう」と言うが、

 現地の言葉の中に、この状況の中、力になる響きがあるのではないかと思う。

 それはきっと、そこにしかない言葉。そして次に向かう言葉。

 負けない力も、現地の言葉の中にあると信じている。

 その言葉とともにいつもいたのだから。


「ひとつしか持っていけない」'11.3/28

 大津波が、家という家をなぎ倒して、跡形もなく奪ってしまった。

 今、避難している被災者のみなさんは、着の身着のままで逃げて来たのであろう。

 家はもうないのかもしれない。津波はおそろしい。

 一刻をあらそって逃げるとき、あれもこれもと、持っては行けないであろう。

 たぶんひとつしか持っていけない。

 それが自分の命だと思えば、それがひとつ。

 それが隣の人だと思えば、それがひとつ。

 両手につなぐ子供であるなら、それもひとつ。

 通帳や現金であるならば、それもひとつ。

 大事な楽器であるならば、それもひとつ。

 思い出の品であるならば、それもひとつ。

 ふたつ、みっつはきっと無理なのだ。

 そして、ひとつだから持っていけたのだろう。

 津波から命からがら逃れた人たちは、みんな同じだったはず。

 僕らだって、同じ。


「手紙」'11.3/26

 小学校時代の友人より、先日、留守番電話が入っていた。

 「何か送って欲しいものがあれば言って下さい」と。

 ここは東京なので、一応、なんとかなってはいるが、

 もう友達は、言葉を送ってくれたことは本当だ。

 そのメッセージは、この先もずっと留守番電話に残っている気がした。

 ありがとう。

 ・・・・・・・

 先日、歌の友達の「手紙」という歌の動画をYou Tubeにアップさせてもらった。 

 二年前のライブ映像で、バンドでの演奏のアンコールとしてソロで一曲歌ったものだ。

 大震災のあった今のこの状況で、この「手紙」の映像を観ると、

 まるで今回のことを心に想いながら、歌っているようにも思えてくる。

 ひと月前にアップしていたら、また違った印象に思えていただろう。

 ひとつのアップした動画がある。その動画が変わることはないが、

 いつか、リンクすることがある。

 動画が語り出すときがあるんだな。


「何か連ドラをやっているか」'11.3/23

 被災した避難所にはもう電気は来ているか。

 そこにはテレビがあるか。

 そのテレビでは、毎日連続ドラマをやっているか。

 月曜から金曜まで。ちょっと夢中になるくらいの展開で。

 どうしても観てしまうような、そんな毎日。

 明日が待ち遠しい感じ。毎日観られる嬉しさ。

 金曜で終わり、月曜が待ち遠しい感じ。

 そんな連続ドラマが観られているか。

 僕らも、いろんな言葉や作品で伝えることはできるのだが、

 明日への、待ち遠しさがそこには、たぶん足りないだろう。

 そんな気分ではないのかもしれないが、、。

 そんな気分があって欲しい。何か連ドラをやっているか。


「ポケットと外に出よ」'11.3/21

 もう前のこと、一年の海外旅行で、

 インドを一人旅してたとき、小さなギターを買った。

 中学のときからギターを弾き続けていたのに、

 旅に出て三ヶ月半、ギターに触らなかったのだ。

 宿でギターをポロポロと弾いていると、ある効果があることがわかった。

 一人旅で、かなり孤独感もあったのだが、だんだんと落ち着いて来た。

 他、いろいろな満たされぬ気持ちも。

 それはなんというか、ギターで感情が中和されるというか、

 波長が波長でチューニングされるというかな。

 なだらかな波長に変わるようであった。

 ・・・・・・・・・

 大地震から10日。今、被災地では避難生活も続き、

 いろいろなストレスや不安も大きくなって来ているだろう。

 ハーモニカ一本、笛ひとつ、タンバリンひとつそこにあり、音が出せないということであるなら、

 ポケットと一緒に外に出るといい。少し遠くでひとり座り、思うままに演奏するといい。

 楽器でなくてもいいんだ。思うままに歌ってもいい。


「ライブハウスと川の話」'11.3/19

 大地震から一週間。

 昨日、ライブを聞きに行ってきたが、心配していた重みもなく、

 音楽は音楽であった。

 あるバンドは岡林信康の「今日をこえて」をロックアレンジで歌っていた。

 それは、もともとのレパートリーであったのかもしれないが、

 そのボーカルの彼のかたわらをひとつの川が流れているような気がした。

 それはどんな川であるとは表現はしがたいのだが、たぶん幅1メートル位ではないか。

 わかっているんだ。わかっているんだな。

 その川はライブハウスまで、ずっと遠くから流れて来ているようだ。

 そしてまた遠くまで流れ続いている。大きな川に合流しているかもしれない。

 森のような街を南へ歩けば、そこにも川があるだろう。

 北に行っても、川があるだろう。こんなところにあったかと思う川が。

 日本中の川が、そこからきっと歩いていけるところにも流れている。

 次の出演はピアノの弾き語りであったが、

 その彼のうしろにも川が流れているようであった。

 大地震から一週間。心配していた重みはなく、音楽は音楽であった。

 表現者よ安心していい。すぐそばの川を感じられるならば。


「演奏者がんぱれ」'11.3/16

 今回の大きな災害について、いろんな発言をするには、

 多少の時間がかかる。即座に答えることはなかなかできない。

 しかし、それが演奏者であったなら、やってくる想いを音にしてゆくことが出来るだろう。

 計画的な楽曲でなく、自分の先の音も予測できないような、

 そんな即興演奏。拍手のためでなく、表現のためでなく、

 地球の地図のそこにいて、感じられる響きを音に現してゆく。

 自分の波長と合わせることにより、それがメッセージともなるだろう。

 それは、10分でもいい。ピアニストならピアニストで、

 即興演奏を、ラジオやテレビで流したらどうだろう。

 バイオリニストでもいい。ギター演奏者でもいい。

 名前のためでなく、その時間のために。

 今、みんな必死である。今、演奏者に出来ることは多いのではないか。

 日本に今、そんな文化はないが、

 やってみたらどうだろう。こんなニュース、ニュースの合間、合間に。

 演奏者たちの即興演奏を。流してみたらどうだろう。

 必ずや、何か伝わるはずだろう。


「歌はある」'11.3/14

 大地震が来てから二日がたった。

 テレビはずっとニュースをやっているので、ミュージックが遠く感じられる。

 駅前に髪を切りに行き、そこでラジオを聞いたが、音楽が話と話の間に入っていた。

 リクエストに答えてということだったが、僕にはどうにも、リズムが合わなかった。

 何曲が流れた。歌詞の内容は元気を出そうというものだったが、リズムも元気であった。

 そんな気分ではないのだが。

 こんな状況では歌なんてと思うかもしれないが、それでも歌はある。

 ちゃんと歌はある。しっかりと歌はあるのだが、それは流れない。

 どの歌とは、僕にも浮かばないのだが、ギターを持てば、リズムは出てくる。

 1960年代、70年代、80年代、90年代、そして2000年代から2011年。

 山ほど歌は作られて来た。なにかしらの歌はある。 

 ここで何も出来ないなら、歌うたいはいったい何なのか。


「ほんとうにおどろいた」'11.3/12

 昨日の地震は、僕が憶えている限りで一番、大きかった。

 幸運にも横揺れだったために、東京の被害は大きくはならなかったが、

 外に出て、地面が揺れるのを実感した。どこまで大きく揺れるのかと、心配した。

 それから余震もかなり続いたが、夜中に新潟方面で起きた地震には、ほんとうにびっくりした。

 震度5とか6とか言っているし、、そこには僕の実家があるからだ。

 昼間の大地震とは、ちがう場所であった。

 大地震が地震を呼んだのだ。そのとき、とてもこわくなった。

 本格的に、いろいろ用意せねばならぬ。


「六時半開演は早い」'11.3/9

 昨日、早めに仕事が終えたら、芝居に行きたいと思っていた。

 「峠三吉の原爆展物語」いうもので、それは墨田区じゅうにポスターが貼られていた。

 僕は仕事で墨田区を自転車で回っているので、毎日のようにポスターを目にしていた。

 そのポスターはシンプルな鉛筆画であり、最初は多少リアルな感じもしたが、

 数ヶ月も見ているうちに、だんだんその芝居に行きたくなってきた。

 ポスターの力って、すごいものがあるな。訴えてくるものがある。

 それで昨日は、早めに仕事を終えて、なんとか行く予定でいたのだが、

 いろんなことで現場が終わらず、6時前くらいまで現場で仕事をしていた。

 これから事務所に戻り、一時間ほど事務処理をするので、芝居にはまるで間に合わない。

 現場にいて、だんだん哀しくなってしまった。

 たいがい、このパターンだと、何とか間に合うのが普通なのだが、今日はそうはいかない。

 六時半開演は、ちょっと早いな。

 ひとつのポスターが僕の心をとらえて、なんとか行こうと盛り上がっていたのに、

 現実はきびしい。


「雪になるのか」'11.3/7

 今朝は朝から雨。

 お昼頃には雪になるという。

 僕はカッパで外仕事をしているので、きなりきびしい一日になるだろう。

 雪になるのはもうさけられない。

 どんどん体が冷えるばかりだ。

 こんなときは、何か石炭のようなものを体で燃やさねばならない。

 そうしないと、寒さには勝てないであろう。

 天気はこれでもかと言うように、どんどんと寒くなってくるだろう。

 石炭を燃やせ。そうしないと冷えるだけだ。

 冷えたら、動けなくなるよ。


「カレーと材料」'11.3/5

 先日もカレーを作ったが、今朝もカレーを作った。

 先日のカレーはうまく出来なかったからだ。

 ちょっと欲張って、野菜をたっぷりに入れてしまったのだ。

 なんだか、甘い味になってしまった。野菜のうまみが出たのか。

 自分でカレーを作って、30年になる。(ルーを使ってだが・・)

 カレールーの箱の裏に、じゃがいも、にんじん、たまねぎの、組み合わせの量が書いてあるが、

 この30年間、あまりそれは重要ではないと思ってきた。

 でも、やっぱり適量というものがあるんだな。

 じゃがいもは、中一個。(先日は、二個)

 今朝は、箱書きどおりの野菜の量で作ってみた。すると、いつも味になって、安心した。

 カレールーの箱書きの野菜の量には、絶妙なバランスがあるんだな。

 30年目にして気付きました。


「でっこい音、ちっこい音」'11.3/3

 ちっこい音、でっこい音。

 でっこい音からすれば、ちっこい音。

 ちっこい音からすれば、でっこい音。

 どちらも基準がないようなもの。

 つなひきしても、おんなじかも。

 だって、同じ人なんだもの。

 楽曲をギターで演奏するとき、歌うとき、

 僕はいつも、ひとつの呼吸のことを考えている。

 でっこい音でもちっこい音でも、

 同じだけ空間を満たすように。


「'70年代の音源」'11.3/1

 古い喫茶店に入ったら、よしだたくろうの歌が流れていた。

 「ビートルズが教えてくれた」

 いっときではあったが、'70年代の喫茶店に居るような気持ちになった。

 この歌はレコードでも何度も聞いているが、こうして喫茶店で聞いてみると、

 録音やミックスが、実に聞きやすくできているのがわかった。

 同じ音源を、どうミックスするかによって、かなり印象も変わってくる。

 現代であったなら、もっとダイナミックなサウンドに仕上がっているだろう。

 音源をミックスし、そしてマスタリングする人たちは、その音源が流れる場面を想定するのであろう。

 '70年代のよしだたくろうの音源は、喫茶店で聞くと、バンド演奏であっても歌がちゃっと伝わって来た。

 プロの仕事だなぁと感心した。マイナー感はまるでなかった。たっぷりとメジャーであった。

 当時、よしだたくろうは、ポップスの一番前にいたのかもしれない。


「無駄なき無駄」'11.2/27

 古いライブビデオをデジタル化しているが、

 これが実にいろいろとやっかいなことばかり。

 10年20年とたっているのでテープも劣化もしてくる。

 そのために、いろんな機械も買った。

 これが良いよとの噂があれば、とりあえず買ってみて、試す。

 それしか方法がないのだ。

 しかし、買ってみても、うまく使えない場合も多い。

 だからと言って、失敗ではない。

 必ずや、その機械を使うときがくる。

 先日も、買って失敗したと思っていた機械が、思わぬ効果を生んだ。

 誰も教えてくれない、どこにも載っていない効果があった。

 ひとつの楽曲創作のときも、そんなふうにいろんな機械を、

 自分の中で使えるといいのになと思う。

 このやり方がだめでも、他のやり方があると。

 無駄なものなんてきっとないと思える。

 シンプルイズベストとは思えない。


「ギブソン」'11.2/25

 今、聴いている'73年のジョルジュ・ムスタキの日本でのライブアルバムは、

 キブソンというメーカーのギターを使っているが、

 これがなかなかあきさせない良い音で鳴っている。

 ユニットでの演奏になっているのだが、その中で、生ギターの音が混ざらずに、

 じゅうぶんに耳に心地よく響いている。

 その音はとても個性的で、ギブソンギターの音だとすぐにわかる。

 これがマーチンギターだと、もうちょっとふわっとしてて、

 音色的にも、他の楽器とも自然に混ざって聞こえてくるだろう。

 ギブソンギター、よくこんな音を発明したものだと思う。

 発明というか、鳴る音を求めていったら、そうなったのだと思うが、

 あきさせない音を作ったということは、素晴らしいことだ。

 ギブソンの音の良さは、宇宙人にもきっとわかるだろう。


「二時間くらい軽く歩いたであろう」'11.2/23

 先日、自転車がパンクして、一時間くらい自転車をひいて歩いた。

 ふだんは、自転車で10分ほどで行けるところも、30分はかるくかかった。

 歩くしかない状況が起こるのは珍しい。

 思い出すのは、江戸の頃のその地区を描いた劇画のことだ。

 その劇画の中では、町の見回りをかねて、片道1時間くらいのところをよく往復していた。

 途中途中で、お茶屋や食べ物屋に寄ったりして。

 江戸の頃、そうやって町のどこへでも歩いて行ったであろう。

 一時間や一時間半くらいは、歩く範囲として。

 まるで町の地図の上を歩くように。

 今では自転車が足の代わりになっている。

 一日は江戸の頃も24時間であったろう。二時間・三時間と歩いても、それは一日の中の出来事だ。

 今回、自転車がパンクして、とても不自由な思いをしたけれど、

 ちょっとだけ江戸の頃を感じられた。

 そんな遠くはない。歩いていけばやがて着く所ばかり。 


「日本語の歌はどんなふうに聞こえている?」'11.2/21

 最近、フランス語の歌のレコードを聴いている。

 何日か聴いていると、フランス語の響きがとても自然に感じられるようになった。

 もしかしたら英語よりも、人間的かもしれないなぁとか思いながら。

 そこで思うことは、日本語の歌がどんなふうに、それぞれの国の人たちに聞こえているのだろうということ。

 日本語は、きっとカクカクしているのではないか。中途半端な響きもないし。

 いろんな国の人たちに、日本語の歌がどんなふうに聞こえているかたずねてみたい。

 どんな響きがあるのだろう。そこに意味合いを見つけられるといいなぁ。

 希望は薄いのだが、、。

 ひとつだけ、希望があるとすれば、浮世絵のような言葉に聞こえているといいな。

 シンプルでダイナミックで、情緒感があるような、、。

 そんなふうに聞こえていたらいいな。無理かもしれないが。

 標準語よりも、地方地方の言葉のほうが、それに近いかもしれない。


「ムスタキノウタヲキク」'11.2/19

 ふとしたことで、ジョルジュ・ムスタキのライブアルバムをレコードで買った。

 '73年の日本でのライブアルバム。

 その頃、日本でも人気があって、よく音楽雑誌にも出ていた。

 数年前に古くて大きな喫茶店で、ベスト盤の音源を聴いたことがあった。

 サウンドと録音は'70年代そのもののように思われたが、

 シンプルな歌い方とメロディーがとても印象的で、ついつい聴き入ってしまった。

 まあ、そのときは喫茶を出るときに、それが「ジョルジュ・ムスタキ」であると知ったのだが、、。

 そのときの印象もあり、'73年のライブアルバムを買ったのだ。

 とりあえず、仕事の行き帰りに何回か聴いてみると、仕事中に歌ってしまうほど、

 よく憶えてしまった。だんだんとフランス語の響きにはまってきたというか。

 メロディーと、歌詞の響きが呼応しているというのかな。

 英語や日本語とは確かにちがう。フランス語は、やはり言葉の大御所。

 僕はまったくフランス語は話せないが、フランス語の歌をうたっているような気分。

 不思議なものさ。

 ムスタキの歌は、メロディーがわかりやすい。それでいて、印象的だ。

 そのアルバム、実は全曲良かった。たぶん僕の年齢にもよるのだろう。

 ジョルジュ・ムスタキが日本で人気だったのがわかる気がする。

 耳に残るんだよね。


「無理なきボーカル」'11.2/17

 先日から、ジョルジュ・ムスタキのライブアルバムを聴いている。

 '73年の日本でのライブ盤、中古レコードにて見つけた。

 ムスタキの歌はベスト盤で聴いているので、耳なじみがあったが、

 ライブでは、いっそうに親しみの感じる歌の数々であった。

 メロディーもとてもおぼえやすい。

 ライブを聴いていると、ボーカルに無理がなくて、リラックス感が伝わってくる。

 僕なんて、いつも歌うことで必死だ。

 ちょっとでも気をゆるめてしまうと、歌がぼやけてしまう。

 ムスタキのボーカルは、いくらでも歌えそうだ。

 それなりにしっかりと歌われていると思うが。

 この違いは人間性なのか、育ってきた環境なのか。

 それにしても、どうして僕は歌うとき、あんなに必死なんだろう。


「雪景色」'11.2/15

 昨日は、仕事帰りに都心でもかなりの雪が降った。

 突然の雪景色。

 路地に入ると、なんだかクリスマス気分にもなってしまう。

 東京に出て来て30年ほどたっているが、

 生まれは雪国なので、雪景色はとても懐かしい。

 どう懐かしいかを説明するのは難しいが、遠い日にタイムスリップするようである。

 楽しい想い出というわけでもない。

 ずっとこんなだったなぁという気持ち。

 早く家に帰って、こたつに入りたいと思って歩いていた。

 今だって新潟に行けば、雪景色はたっぷりあるだろう。

 しかし、昨日都心で見たのは、

 それとはちょっとちがう雪景色のようだ。

 僕は、そこからやって来たんだ。


「BGM」'11.2/13

 今、一曲作っているが、

 まだ最初のギターリフを探しているところだ。

 なんと言っても、それが一番、肝心なところ。

 たとえば国内旅行に行くとして、北海道にするとか、関西にするとか、

 九州にするとか、四国にするとか、沖縄にするとか、東北にするとか、、。

 そんなイメージが湧くことが大事だ。

 ギターの最初のリフ探しは、あらゆるフレーズを作っては試す。

 なかなかそれは楽しい作業だ。

 まず自分の中でイメージを思い浮かべて、

 あとは、指まかせ。指がどんなフレーズを出すかは、僕も知らない。

 だんだん調子に乗ってきて、創作の歌とは関係なく、

 自分のイメージをどんどん指がフレーズで出してゆく。

 それはなかなかに良い部屋のBGMだ。

 バック・グランド・ミュージックね。

 肩こりをほぐすような、、指の作る音楽。


「ビオーラ・ビオリーノ」'11.2/11

 最近、ある事実を知った。

 世界楽器大辞典によれば、ビオラはバイオリンの祖先などだという。

 violin(バイオリン)は、英語読みであり、イタリア語では、violino(ビオリーノ)、

 ビオリーノとは、ビオーラの縮小形を表す言葉であるという。

 当時のビオーラとは、現在と比べて形も大きさもさまざまだったらしい。

 さて、ビオーラの縮小形として作られた「ビオリーノ」という名称の響き。

 なんとも愛らしくて可愛い名称だ。楽器の響きとも似ているように思う。

 英語読みならバイオリン。日本では、それが一般的であるけれど。

 そして、バイオリンより、少し大きめなのが「ビオラ」。

 そういう認識で僕はいたけれど、ビオラ(ビオーラ)は、バイオリンの祖先だったのですね。

 誰も教えてくれなかった。。僕はすっかり逆だと思っていた。

 バイオリンの少し大きいものが「ビオラ」であると。。

 それにしても「ビオリーノ」とは、いい響きだな。

 そして「ビオーラ」、君の名も呼ぶ。


「そんな話」'11.2/9

 若い頃、日々お酒を飲んでいる友達もいた。

 渋い歌謡ブルース風シンガーたちの歌を聴いては、「最高だな」と、言っていた。

 人生とはまるでそうであるかのように。

 いろんな話もしてみたが、僕の言っていることはいつも、現実離れの話であり、

 まるでおこちゃまのように思われていただろう。

 人生とは、深くてやりきれなくてどろどろとしているものだよ。

 そうまでは言わなかったが、彼らの人生観や恋愛観は、僕とはまるでちがっていた。

 たぶん今もそうであるのだろう。

 若い頃、人生のことなんてもちろんわからなかった。

 あれから30年ほどたっていて、僕は自分の思うままに生きた。

 これもひとつの人生ですわ。


「下克上」'11.2/7

 戦国時代のテレビをやっているのを観た。

 信長、秀吉、家康、のことが出て来るのだが、

 僕の知っているストーリーと、ちがう。

 中学校のとき、社会の先生は、

 「秀吉が信長を倒した。家来が親方を倒すのを下克上と言う。これ試験でるから」と、言ったように思う。

 僕は、高校受験のときも「下克上」の言葉はしっかりと憶えた。

 しかし、それは事実であったのか?

 光秀が謀反を起こして、本能寺で信長をやったのではないか。

 社会の先生は、そんなこと言ったか?

 話がめんどうになるから、信長、秀吉、家康の流れで片付けなかったか。

 「下克上」の言葉ばかり、強調しなかったか。

 おかげで僕は中学からの37年間、秀吉が信長を倒したと思っていたぞ。

 ただ、歴史オンチなのかもしれないが。


「創作ホルモン」'11.2/5

 二ヶ月に一度、定期ライブを続けている。

 ライブ当日の、午後にいつも新曲が出来るのが常なのだけれど、

 さすがに今回は、アイデアはあっても、まるでまとまっていなかったので、

 新曲作りはパスしようと思っていた。くやしいと思いながら。

 新曲作りの時間が空いたので、近くの銭湯に行って体を暖めた。

 良い気分で帰って来て、ギターを手にとれば、なんだが新曲がまとまりそうな気がして来た。

 (もしかしたら、ライブの日の午後には、創作ホルモンでも出ているじゃないか・・)

 そう思いながら、ギターを弾いてみたら、するすると新曲がまとまった。

 だいたいではあったが。

 二ヶ月に一度の定期ライブの日の午後の時間、

 そこに合わせて、創作ホルモンが出ていると確信した。

 しらずしらずのうちに。


「古い原稿・消える魔球」'11.2/3

 もう、30年近くみんなでミニコミを作っている。

 今回、それをひととおりもう一度見直したのたのだが、

 自分の書いた原稿であっても、すっかり忘れてしまっているものもあった。

 しっかりとした原稿であっても。

 自分が書いた力作を、自分で読んでびっくりする。

 なぜに、忘れた??

 しかし、考えてみたら、いよいよ面白くなって来た。

 自分の作品に自分でびっくりするなんて、良いじゃないか。

 どんどんそうなって欲しい。

 まあ、書いてから二十年くらいたっているからね。

 忘れてもしょうがないけれど。

 書いたときは、ずっと先のことを考え原稿を作った。

 未来へと投げたそのボールは、途中で消える魔球となった。


「まる一日あれば」'11.2/1

 今、いろいろ作業しているが、時間がかなりかかっている。

 もうほぼ四日かかっているが、まだ終わらないでいる。

 予定では、二日前に終わっているはずなにのだが。。

 まる一日あれば、何でもできるような気がするのだが、

 そうはいかない。

 300ページ仕上げているのだけれど、1ページ1分かかる作業でも、

 最短で5時間かかる。

 5時間で終わるかなと思って作業していると、10時間かけても、まだ終わらない。

 時間の過ぎ方がおかしいぞ。

 まる一日って、そんなに長くないんだな。

 いや、そうは思いたくはない。


「言葉では言えないが、4弦の響き」'11.1/30

 土曜の夜の新宿駅を出たら、なんだがすごいことになっていた。

 若者でいっばいで。

 文房具屋を探して、まず駅ビルに行ったのだけれど、

 駅ビルのエスカレーターは、女子でいっぱいだった。

 駅の外に出ても、若者がいっぱいだった。

 新宿は人気の街なんだな。ここから電車で10分の高円寺の街は、普通なのに。

 おじさんは、文房具を買いに来たのだけどね。

 知っている大きな文房屋さんは、どこもなくなっていた。

 とおい店まで歩いて行って、やっとスクラップブックを買ってきた。

 帰りは、また若者たちの中を通り抜けて、三鷹行きの電車に乗った。

 僕はもうおじさんの年代に入っていて、考えてみれば、若者が多いのは当然なのだ。

 あの街を歩くには、自分の心を守らねばならない。

 自分の部屋に戻ってきて、ギターを弾いてみた。

 生ギターの響きはとても落ち着いた。あの新宿の街に僕が求めていたのは生ギターの音ではなかったか。

 文房具屋のような、生ギターの音。特に今日は4弦の響きが心に沁みた。

 たぶん僕の心と文具屋さんと生ギターの4弦はつながっている。


「よみがえる店」'11.1/28

 いつも夜遅くに同じ友達から電話がかかってくる。

 二回に一回は眠っているが、友達はこう言う。

 「いつからそんな生活になったんだい」と、、。こりゃ驚いた。

 友達よ、僕の話をいつもちゃんと聴いているのか?

 ・・・・・・・・

 ひとりの元気なおばあさんがやっている小さな古い食料品店を知っている。

 その古いお店も、元気なおばあさんも変わらないのだが、

 ふと気が付いてみれば、その状況で18年以上はたっている。

 18年前も元気なおばあさんで、今も元気なおばあさんって、よく考えればありえない。

 もしかして、もう90歳近いのか。。

 どんな日も変わらずにそこにいるおばあさん。

 僕が知るのは18年前からではあるけれど、そのまた何十年も前からお店をやっているのであろう。

 あの店の古さからして、50年以上はやっているのではないか。

 僕は知っている。もう店先の一部でしか、ほぼ売り物をしていないことを。

 おばあさんは、ほんとにおばあさんになってしまい、体の痛みでうまく動けないことも。

 しかし、印象と声はいつも変わらない。明るい声が店先で響いている。

 その店に通う常連のお客さんには、以前のままのお店、そして元気なおばあさんに映っているのではないか。

 朝になると、ゆらゆらとその店はよみがえる。30年前のように。

 いつ通っても、同じように元気なおばあさんの声が響いている。

 ・・・・・・・・

 友達はきっと、こんなふうに思っているのではないか。

 雨が降っても、また晴れれば元気な声が響くと。

 いつまでもいつまでも、あのおばあさんは元気だと。

 いままでがそうだったように、今も変わらないと。

 僕にとって、おふくろがそんな存在であるように。

 友達よ、よみがえる店って、きっとイメージの記憶なんだよ。


「もぐらの仕事」'11.1/26

 もぐらは、土の中を行く。

 せっせせっせと。それが仕事のように。

 もぐらの仕事は、外からは見えない。

 ときには、もぐらのような気分になることもある。

 そんなときはもぐらの仕事。 


「枕元にはギターと録音器を」'11.1/24

 定位置というわけではないが、

 ギターはいつも枕元か足元にある。

 今、新曲のアイデアがひとつあり、今朝は起きてすぐにギターに手を伸ばしてみた。

 するとフィンガーピッキングで、するするとフレーズが出てきたので、そのまますぐに録音した。

 完成ではないが、メロディーの骨組みは出来た。

 ギターがそばにあったからきっと、そのメロディーは出てきたのではないか。

 それもフィンガーピッキングということは、指が作ったのではないか。

 起きたときに指に記憶があったのではないか。

 起きてから、他の何かをしてしまっては指の記憶は消えてしまうだろう。

 枕元にはギターと録音器を。

 その一瞬を逃すな。


「真夜中のギターの一番最後」'11.1/22

 下町の大通り沿いを仕事で歩いていると、

 ふたりの50代と思われる着飾った女性が、譜面を広げながら、僕を追い越して行った。

 その前日、「5000人の第九コンサート」というポスターを見ていたので、その人たちかもと予感がした。

 楽譜を両手でしっかりと持ちながら、ひとりがこう言った。

 「ここ、真夜中のギターの一番最後よー」

 (そうか、「ベートーベンの第九」ではなくて「真夜中のギター」だったのか、、) 

 なんだか、楽しそうだったな。

 で、真夜中のギターの一番最後って何だろう。

 譜面の右下であることは確かだろうが、、それ以上に意味深い響きがある。

 想像もつかなかったくらいに。。それはどんなギターの音なんだろう。

 ♪じゃらーんか、タタタンターンか。

 もしギターが一日だとしたら、、

 真夜中のギターの一番最後はその、一日の終わりであろう。

 そして、またすぐに夜明けとなる。

 それは夜明けのギターの一番最初である。


「いつしか呼び名はさかさになった」'11.1/20

 江戸の頃、いやそのもっと前、

 人と会い、その名前を憶えている能力は今よりも高かったであろう。

 「あんた、よしぞうさんかい?」

 「そういうあんたは、へえすけさんかい」

 呼び名は、今でいう名字ではなく名前の方だったろう。

 現代では、逆ですね。名字の方で憶えていることが多い。

 でも、考えてみれば、名前の方で憶えるのも、よいのではないかな。

 人と人のつきあいとしても。

 いつしか呼び名はさかさになった。

 明治の頃か。

 さて、外国ではどうなんだろう。


「朝の提案」'11.1/18

 まるで、ゾンビのようにいつも部屋を出てゆく人あり。

 まだ夜明け前、それは私。

 ゾンビは駅の改札を抜け、ホームに立って電車を待つ。

 それから揺られて、また揺られて駅を降り、ふらふらと歩いては、

 だんだんと命が戻ってくる。そんな朝の私のゾンビ生活。

 しかし今朝は、生き返りついでに、ひとつアイデアが湧いた。

 同僚は、朝起きたらストレッチ体操をしていると言っていたが、

 目覚めたら、出かける前に、シャドーボクシングをしてみたらどうだろう。

 「まけるか、くそっ!!」と。

 対戦相手がいるわけではないが、何かに対して、シャドーボクシングしたらどうだろう。

 多少はみんな元気が出るのではないかな。

 出かけに玄関に鏡があり、15秒ほど、みんなシャドーボクシングをする。

 そうしたら、僕も朝ゾンビにならずにすむであろう。


「ギターの弾けるおじいさん」'11.1/16

 '67〜8年頃から、日本ではフォークギターブームが始まった。

 '70年代に入ってからは、爆発的にフォークギターが売れた。

 その頃、20代だった人たちは、今、60歳から70歳近くになっているはずだ。

 あと、数年もしたらギターの弾ける70代の人がかなり出てくることになるだろう。

 ギターの弾けるおじいさん。

 孫がギターを買ってきたとき、おじさいさんが言う。

 「ちょっと貸してごらん、じいさんも弾けるんだよ」

 そして、ぺろぺろぺろぺろ〜と、ギターを弾く。

 そんな日はかならず来る。おじいさんがぺろぺろペろぺろ〜とギターを弾く日が。

 孫にギターを教える日が。夢ではなく。 

 ディープ・パープルの「スモーク・オン・ザ・ウォーター」を弾く日が。

 おじいさんが、急にぺろぺろぺろぺろ〜とギターを弾く日が。


「ちょっとした疑問」'11.1/14

 最近、ひとつの疑問がある。

 もう30年ほど前のこと。

 ひょんなことから大きな劇場に芝居を観に行けることになった。

 僕は19歳だったかな。その芝居には、テレビにも出ている有名な役者さんも出ていた。

 初めて芝居を観る僕でさえも、うまい役者さんはすぐにわかった。

 なんというか、舞台の空間をつかまえているというか、あきさせない時間を作るというか、

 目をひきつけるというか。さすがだなぁと思えた。

 そのかわり、新人さんと思われる役者さんの、ぎこちない感じが逆に伝わってきた。

 たぶん普通なんだと思うけれど、うまい役者さんがうますぎるのか、目立つのか。

 芝居全体としたら、それで良いのかどうなのか。

 みんながそれぞれの役に徹すれば、いいのか。

 芝居全体が自然に流れるように、なにか秘策はないものか。バランスをどうとってゆくのか。

 たぶん何も考えなくてもいいのかもしれない。思う存分、実力を出せばよいのかもしれない。

 しかし、それでよいのか。ちょっとした疑問が残る。


「こんな私でも」'11.1/12

 今年に入ってから、なんだかもーれつに忙しい。

 新年ということもすっかり忘れてしまうほどだ。

 すきますきまの一時間をぐっすりと眠ったりしている。

 何をやるためには、それと同じぶんだけ楽しみを見つけないとだめだ。

 だから楽しいことをするのにも忙しい。

 昨日はさすがに疲れて、早めに横になった。

 すぐには眠らず、しばらくぼーとしていた。いつもなら速攻眠ってしまうのだが。

 ああ、生きてるなぁと実感した。


「こんな日は」'11.1/10

 ふと気が付けば、今日は月曜日の祝日である。

 いつもなら現場に出かけ、もーれつに仕事をしている頃だ。

 年末年始の休みだったときとは、ありがたみが感じられなかったが、

 なんとも平日の休みはのんびりとしていることか。 

 こんな日は、無駄ながらもどこかに出かけたりするのがいい。

 そう思うだけで、実際に出かけるかはわからないが。

 ぽかっと空いた瓶のような、この朝のいっとき。

 今日の瓶は空ですよ。


「いつのまにかみっつになった」'11.1/8

 年明け、まだお正月の第一週のこと。外仕事にて、ある一軒のお店に入った。

 お店と言っても、今はやめてしまった小さな居酒屋で、

 その座敷で初老の夫婦が昼すぎから一杯やりながら過ごしていた。

 もう15年近く仕事で通っているので、僕とはすっかり顔馴染みである。

 お店をやめて、5・6年はたつかな。二人で悠々と暮らしている様子だ。

 さて、年明けに僕が訪ねたとき、すっかり陽気になっていた、お二人さんであった。

 お店の座敷のところで、正月料理を並べて一杯中。

 僕が書類を座敷のところを机代わりにして書いていると、

 「お兄さん、みかんがいい? バナナがいい?」と、きいてきた。

 僕が答える間もなく、奥さんが「バナナより、みかんの方が皮がかたいからいいでしょう」と、決めてしまった。

 そして、書類を書く僕の横に、みかんを一個置いたのだ。

 するとだんなさん、「バナナは、食べ頃なんだよ」と言って、みかんの横にバナナを一本置いた。

 「お兄さん、甘いものも食べたいよねー」と、奥さんが僕にきいた。

 「いいです、いいです」と、ぼくは答えたが、それもきかず、どら焼きみたいものを、バナナの横に並べた。

 僕は書類を書いていて、言われるがままに、食べ物を横に並べられてしまった。

 二人はまだまだ、何か並べそうであったが無理矢理断って、

 並べられたみっつをもらって挨拶してお店を出た。

 みかん、バナナ、どら焼き。

 たしか最初は、みかんがいいかバナナがいいかって、話しではなかったか。

 いつのまにか、みっつになった。いつのまにかみっつになった。


「調子」'11.1/6

 年明け、外仕事を始めてから、どうも体調がいまひとつだ。

 手足の筋肉の力が入らない。同じように胃袋の筋肉も、力が入っていないように思える。

 年末から年明けにかけて、毎日たっぷり眠ってきて、仕事始めから急に半分くらいの睡眠時間になったせいか。

 とても眠い。体の切り替えがうまくいっていないようだ。

 今日は木曜。早く、土日にならないかな。まず眠れるだけ眠ってみたい。

 今のこんな感じ「調子が出ない」っていう表現がぴったりだ。

 なにげなく「調子が出ない」って言葉を使っているけれど、どういう意味だろうかね。

 考えるに、三味線等で「本調子」の言葉が使われるように、ある程度決まった音の雰囲気なのかな。

 つい体が拍子をとってしまうような。

 もうずっと「調子」という言葉を使ってきているけれど、もうひとつ意味がわからない。

 「調子が悪い」「調子がよくない」「調子がいい」「絶好調」など。

 やっぱり音楽のことなのかな。

 調子が悪いって、いまひとつ決まらない、ふにゃふにゃとした音楽なのかもしれない。

 体も楽器か、メロディーか。。

 今日の君が歩いてくる。音楽のように。


「チューニング」'11.1/4

 輸入物のギルド社のギターを使って、もう四年ほどたつ。

 冬は木が乾燥しているせいか、とても良い音で鳴ってくれている。

 一年通して、こんなにも音が変わるのかと思うほど、ギルドギターの音色が変わる。

 最近、気が付いたことがある。

 それはチューニングをばっちり合わせると、とてもよい響きになるということ。

 特に低音の六弦をきちんと合わせると、いっそうによい音になることがわかった。

 チューニングって大事なんだな。ぴったり合わせると、ふんわりとした響きが出るんだよね。

 理論的にも、それは合っているだろう。

 響きを愛するなら、まずチューニング。

 それはギターだけではなくて、生ピアノにも、他の楽器にも言えるだろう。

 もしかしたら、ライブのときの自分自身にも言えるかもしれない。


「そうでもないかな」'11.1/2

 先日、スマートホン携帯をことをいろいろ見せてもらって、

 その実力を思い知った。

 スマートホン携帯は、インターネットパソコンをどこにでも持ち歩けるようなものである。

 友達が言うには、そのうち音楽でもなんでも、携帯の中には保存しないで、

 インターネットの大元にストックしてあり、それを聴いたり見たりする権利を買うことになっているだろうと言う。

 それは言える。そうなれば、無限大に音楽や映像をどこでも楽しめることになる。

 僕は、あらゆる詩が携帯で読めるようになったら、いいなと思っているが、それだって可能だ。

 時代は変わりつつあるかもね。

 音楽に関して言えば、世界図書館のようなものが出来るわけだ。

 いつだって、どこだって聴きたい歌が聴けるとなると、もう鼻歌が必要なくなるのではないか。

 僕は常日頃から、憶えられて歌えるように、歌詞を作るように心がけてはいるが、

 「えっ、なんでそんなことするの?」とか、言われる時代も来るかもしれない。

 聴くということと、歌うということはちがうんだけどなぁ。

 文化を残そうよ。歌う文化を。

 でも、あらゆる音楽がどこでも聴けたら、それはいいな。

 だって、歌えるように憶えられるからね。


「コードの川底」'10.12/31

 ここ数年、なかなか歌が憶えられなくなった。

 中学・高校・そして卒業してからも、ほんとよく歌をおぼえてきたのに、

 ここに来て、普通に聞いていたんでは、歌がおぼえられなくなった。

 年齢のせいなのか。脳のメモリー機能が衰退してきたのか。

 あまりに多くの歌を聴いてきたので、脳が混乱しているのか。。

 まいったな。

 自分の歌なら、なんとか記憶出来るのだが。

 ここ最近も、友達の歌をいくつか憶えることになった。

 憶えることは憶えるのだけれど、すっと記憶から呼び戻せなくなるときもあった。

 それでわかったことは、自分は今、コードで歌をおぼえているんだということ。

 だからいったんコードをつけ、自分で歌ったみて、自分の歌にしてからでないと、

 歌が入ってこないのがわかった。

 コードを体が憶えるわけね。それから、やっと。

 自分が作ったと思えば、歌えるわけだ。

 流れがある。川がある。その下の川底がある。

 コードの川底を感じながらでないと、もう歌えないみたい。

 やっぱり歌うにはギターが必要だな。


「ねっから」'10.12/29

 先日、ドラマを観ていて、思いもがげず良い言葉を聞いた。

 「あんたは根っからの医者だなぁ」という言葉。

 それは江戸の頃の話であったが、江戸の頃から「根っから」という言い回しがあったのだろうか。

 そうだとして、めぐりめぐって今は「根っからの馬鹿」と、いう言葉がよく使われている。

 「根っからの天才」とはあまり言わないが、「根っからの役者」とは言うね。

 「根っからのミュージシャン」とも、あまり言わないが、

 そんなふうに思えたなら、人生の強い味方になるだろう。

 根っこは、最初に作られるものではあるが、長い年月の間には、細胞も入れかわり、

 根っこも体と一緒になるであろう。

 さて、自分の根っこは何? と、考えたことが今まであまりなかった。

 それは「小さい頃」とか「最初に影響を受けたもの」という表現上のことではなく、

 リアルな根っことしての根っこ。この足からつながっている根っこ。

 根っこがあると想ってみる。その根っこを信じてみる。

 「根っからの馬鹿」とは、よく言ったものだと思う。


「DVD」'10.12/27

 すっかり最近のレコーダーは、ブルーレイディスクが前提のようになっている。

 DVDレコーダーはもう古いのだと。

 たしかにハイビジョン放送をそのまま録画保存するには、ブルーレイでないと無理がある。

 時代はブルーレイとなるかと思えるところだが、今だに映像作品の発売は「DVD」が中心になっている。

 たぶんまだまだこの先も続くであろう。

 さて「DVD」。DVDはビデオテープに変わるメディアとして登場して来たわけだが、

 相当に強い名前のパワーを持っていると思える。

 シンプルであり、字面も呼び名もいい。ほぼ完璧。時代は「DVD」とまで言わせたメディア。

 それなのに今、レコーダーとしては、もう完全に役不足ように扱われている。

 もう「DVDの時代じゃないよ」と。

 しかし僕が思うに、「DVD」はまだまだ強い。

 「CD」と「DVD」も名コンビであるし、それにもましてネーミングのパワーがある。

 子供もいっぱいいるからね。まだまだ。


「店屋」'10.12/25

 ふと思うことがある。

 もしみんながそれぞれの店屋だったらと。

 それは創作販売店とも言ってもいいだろう。

 大きなデパートのようにもなる店もあるだろう。

 それぞれの階にある、それぞれの売り場。

 こぎれいで。

 創作も続けているとメジャーになり、世界中のお客さんもやってくるだろう。

 パッケージされ、通販も充実。

 さて、僕ならどんな店? 

 小さい頃、近所に「勉強堂」という小さな雑貨屋があった。

 ほんと小さなお店ではあったけれど、何でもあった。

 店の奥から、何でも出てきたのだ。びっくりするくらい。

 商品は雑然と列んでいたようだったけれど、場所は決まっていた。

 僕はあんな店になりたいし、そんな店でありたい。

 僕がなりたい店が、とても近くにあった。不思議なことに。

 世界中は広い、ありとあらゆる店がある。

 オーナーがいる店もある。チェーン店もある。デパートもある。

 若い頃は、巨大な創作のデパートでも作りたいと思っていた。

 でも、やっぱり自分でなくちゃね。

 いらっしゃいませ。


「ポプラ社」'10.12/23

 最近、「ポプラ社」の名前をよく耳にする。

 ・・・・・・

 小学校の頃、図書館で借りて読んだ本と言えば、、江戸川乱歩のシリーズがとても多かった。

 あの表紙のイラストも印象的だったが、ぶあついハードカバーの表紙や厚めの本だったことも良かった。

 まるで本格本でも読んでいるような気持ちになった。

 たぶん僕が本を真剣に読んだというのは、このシリーズが最初であろう。

 そのどれも、裏表紙のすみっこに「ポプラ社」と書かれてあった。

 いつも「いい響きだなぁ」と思いながら。。

 小学生の僕に夢をくれた。

 イツカ ボクモ ポプラシャ カラ ホン ヲ ダスンダ ト

 なんというか、「ポプラ社」という名前が気に入っていたのだ。

 きっと、僕と同じ年代の人たちは「ポプラ社」に対して、特別の想いがあるはずだ。

 明智小五郎がヒーローだった子供たちには。そうヒーローだったんだよ。

 今では、内容もほとんど忘れた。ただ雰囲気だけはよく憶えている。

 僕は押し入れの中で、探偵本をよく読んだりしたんだ。

 かあちゃん、とうちゃん、の存在が大きかったように、ポプラ社の存在も大きかった。

 かあちゃん、とうちゃん、ポプラ社、、

 少年は、いつかポプラ社から本を出したかった。あのハードカバーで。


「地味なアルバムと思っていたが」'10.12/21

 ライブハウスのマスターが、終了後にかけてくれた音楽はボブ・ディランであった。

 カセットテープに録音されていたのであろう。こもった音質で、それもB面から始まったようだ。

 ボブ・ディランのアルバムを全部ききつくしている自分にも、

 それが何のアルバムの何の歌が最初ピンと来なかった。もしかしてプライベート盤か。。

 それにしてもディランは感覚のすべてで歌っているように聞こえた。

 (えーっと何だって、この歌・・、そうだ)

 ボブ・ディランのアルバムでも、とても地味と言われている「ジョン・ウエズリーハーディング」だった。

 1967年のリリース.。「ブロンド・オン・ブロンド」というロックの名盤を作ったあと、

 交通事故にあって休養したあと、発表されてフォーク・トラッド・カントリー雰囲気のあるアルバム。

 僕が高校時代、ディランのアルバムを集めていたとき、「地味な一枚」という印象が強かった。

 マスターの持っているテープのB面から始まった歌は「悪意の使者」という歌だった。

 飛び跳ねるようなメロディーの一曲。約30年振りに聞いた。

 30年振りに聞いてみると、なんともあふれる感覚でレコーディングされていたのがわかった。

 歌い慣れることなく、まるで一発録りのように。。レコーディングなのに、こんなにも荒削りふうな声で。

 軽いブルージーに歌も、しっかりと雰囲気を出して歌っていた。カントリーふうの歌も。

 こんな声で録音していたのかと、、あらためてぴっくりした。

 地味だ地味だと言われてきたアルバムであるけれど、そんなことはなかった。

 そのボーカルには、耳をすっかり吸い取られてしまった。

 一枚の紙に下書きなしで描いてゆくような絵の感じ。

 今、そこで録音しているようにも聞こえた。


「シンプルに食べもん飲み屋」'10.12/19

 最近、出来たその居酒屋のような食べ物屋は、とてもシンプルだ。

 アジア大陸のような名前が付いているのだが、

 注文に関することがとても気に入っている。

 昼も夜も、中華屋のようでいて、飲み屋のよう。

 居酒屋のようでもあるけれど、シンプルに食べ物屋でもある。

 お通しが出てくるわけでもなく、まず飲み物と言われるわけでもない。

 そういう作られた慣習のようなものがない。

 ぎょうざ一枚でも、なんの問題もなしだ。

 ラーメン一杯でも、なんの問題もなしだ。

 解放的でいい。大陸的でいい。

 夜でも、普通に定食もある。それがいい。


「続・マスターの言ったこと」'10.12/17

 もう午後11時はとうに過ぎていた。

 その日はライブがあり、終わってから軽くお店で打ち上げていた。

 いつもなら、11時ちょいすぎくらいにお店を出るのだけれど、まだまだ話しは続きそうであった。

 居酒屋ではないのだし、もうマスターだって帰りたいだろうに、、。 

 僕はマスターに、「もうそろそろですか?」ときいてみた。

 すると「レコードが終わるまで大丈夫だよ」と言った。レコードとは、LPレコードのことである。

 「ああ、いい言葉ですね。マスターの名言に入れましょう!!」

 すると、マスターは笑いながら、

 「レコードだと片面でちょうどいいんだよ。ただこの言葉はCDだと言えないんだけどね、長いから。」

 かかっていたレコードはジャズ名盤のレコードであった。

 ライブをするときも、マスターはBGMでかかっている曲の途中で切るはない。

 マスターは、レコードなら片面を全部かける。時間が来たからって、針をあげない。

 きっと、いままでだって、僕らが11時過ぎに帰ったあと、一人でレコードを最後まで聞いていたのだろう。

 CDの場合は、それにあてはまらないらしいが。


「ビデオやカセットテープ」'10.12/15

 いろいろな音源、そしてライブのビデオなど、

 僕もたっぷり持っているけれど、みんなもきっと持っているだろう。

 ライブの音源など、タイトルしか書いていないものも多く、実際に聞いてみたいとわからないものばかりだ。

 ライブのビデオも棚の奥にしまったままになっているかもしれない。

 それらは大事なものなので、ぜひデジタル化をしておいて欲しいものだ。

 デジタル化はめんどうでも、捨てないで欲しい。

 特にライブのビデオテープ。大元の録画テープがもう、劣化でだめになっている場合が多いからだ。

 大元があるからいいや、なんて思わないで欲しい。もうそれしか残っていない場合も多い。

 映像の場合は、インターネットでアップも出来る。音源も何かの形で残すこともあるだろう。

 '80年代、'90年代、ほぼ全部の記録がビデオとカセットテープとなっているはずだ。

 それらはみな貴重なものだ。古いからテープだからと言って、捨てないで欲しい。

 日本じゅう、世界じゅうにそれらはたっぷりある。


「フォークブームの頃」'10.12/13

 日本でのフォークブームといえば、'69年から'75年くらいのことだろうか。

 ピークは'73年'74年かな。僕はちょうどその頃、中学生であった。

 あのフォークブームの頃のことは、新潟の実家にいても、しっかりと記憶している。

 でも考えてみれば、それから35年ほどたっているわけだ。

 今、30代のみんなにフォークブームのことを言っても、実感としてたぶんないではないのかな。

 いろんな映像や雑誌や音源は残っているけれど、あの全体の空気は伝わるのかなって思う。

 ラジオから流れていた、あのフォークヒットの数々。音楽雑誌に新曲として載っていた歌たち。

 楽器屋に所狭しと列んでいたフォークギター。本屋さんに列んでいた音楽雑誌。

 ギターメーカーの型録。それらのギター比較の音楽雑誌の特集。

 都心では、もっと別の盛り上がりもあったであろう。

 そんなフォークブームの頃の事を実感としてわかるのは、今や40代半ばの人たちからなのだ。

 いつのまにかそうなってしまった。

 しかし、なんとなくは伝わっているかもしれない

 そんなフォークブームの頃を描いた映画とかあるといいな。


「シングアウト」'10.12/11

 「シングアウト」という言葉がある。

 一緒に歌うというか、みんなで歌い上げるというか、、、ちょっと活動的な意味合いもある。

 日本でも、1960年代後半頃、かなりのシングアウトブームとなった。

 合唱とも似ているかもね。思い出してみれば、音楽の授業ではいつもみんなで一緒で歌っていたなぁ。

 あれもひとつのシングアウトだったのかな。踊りだって、フォークダンスだって、ひとつのシングアウトかもしれない。

 もともとの「歌」という存在も、一体感のためのひとつの役割のものだったかも。

 ライブに行くと、なぜかこの「シングアウト」の一体感を、そこに生まれさせようとする場面に遭遇するけれど、

 あれは伝統なのかな。同じ空間を共有するという喜びというのか、それもライブの良さであると思うけれど、、。

 ・・・・・・・・

 先日、ライブにて、友達と一曲をふたりで歌った。一番ごとにボーカルを替えて。

 歌い方はまるでちがっていたが、その歌を自分のものにして、ちがう風景ちがう場面を感じるくらいに歌ってくれた。

 それで良い。一緒に歌うということとはまた別なのかもしれないが、ひとつの歌を軸にして、ふたつの違う形があった。

 たまたまそのふたりで歌ったということで、その組み合わせは無限大だ。

 みんなに手渡された歌詞とメロディー譜の紙を見て、歌ったわけではない。

 歌の素は、それぞれの胸の中にあり、そこから声となった。違う言葉のリズムとなって、それは生まれる。それで良い。

 ・・・・・・・・

 ライブではなかなか、シングアウトのお誘いに答えられず、手拍子さえもなかなか出来ない自分ではあるが、

 創作のときは常に「シングアウト」のことを、深く考えている。

 歌って本当に素晴らしいんだ。電池ひとつなくても、どこにでも連れていかれる。そして再生できる。 

 電池ひとつなくても、そこに風景が生まれる。ポケットに本がなくても、ストーリー再現できる。

 バンド演奏、楽器ひとつなくても、それをバックにどこででも歌える。

 そこにあるシングアウト。鼻歌とはちょっとちがう。

 なんというか、一番ごと歌うような。一緒に歌うような。。そんなシングアウト。


「本を読んでいる」'10.12/9

 東横線に乗っていった。

 僕は中央線の街に住んでいるが、何かやっぱりちがう感じがした。

 なんかね。おしゃれというか。。たぶんイメージなのだろうけれど。

 中央線の方が、もうちょっと人間くさいというか。。

 東横線に乗っているみんなが、シートに座って本を読んでいるが、

 それは東横線のドラマのような気がした。

 つまり、東横線に住んでいるみんなは東横線の本をきっと読んでいるのだ。

 その一大ドラマ。

 そして中央線はまた別の本。

 別の本の中のドラマなのだから、きっと何かがちがう。

 電車の中で本を読んでいる。ふと、目を休めるために、窓の外を眺める。

 そこまでも、ドラマのひとつのようだ。


「続々・ハーモニカ」'10.12/7

 昨日、お茶の水に寄って、いろいろ見ていたら、

 「HONER」製のハーモニカが安かったので、つい一本買ってしまった。

 たぶん28年ぶりくらいに。

 「HONER」は、ハーモニカの老舗中の老舗で、レコードで耳馴染みのある音と言えば、

 このメーカーである。

 上京して働くようになり僕はすぐに、お茶の水で「HONER」製のハーモニカを買った。

 高かったけれど、そこから出てくる音は、ボブ・ディランのレコードで聞ける音と一緒であった。

 当時出ていたトンボの「フォークブルース」というハーモニカとはやっぱり音が違う。

 僕はレコードで聴く同じ音のハーモニカを、同じように吹いて相当に幸せになった。

 吸う力具合、吐く力具合も独特であった。

 その頃、僕は激しくハーモニカを吹いていたので、そのホーナーのハーモニカでさえも、

 半年ともたずに壊れてしまった。吹き方がへただったのだ。

 その後、トンボから耐久性のあるハーモニカが発売されて、その後はトンボになった。

 28年振りに「HONER」製のハーモニカを昨日はしみじみと吹いてみた。

 その独特の音を味わった。品のある「HONER」の音。すっかりこの音のことは忘れていた。

 やっぱりいいね。マーチンのギターを弾いているような感覚だ。

 こんなにしみじみハーモニカを吹いたのは、やっぱり28年振りかもしれない。


「続・ハーモニカ 〜そんなやさしさを知っているか〜」'10.12/5

 僕の使っているハーモニカは、日本製で定番と呼ばれるメーカーを使っている。

 1980年頃、そのメーカーで新しいシリーズが発表された。

 いままでのハーモニカよりも丈夫で、より音量が出るというものだ。

 強めに吹く人にとって、その丈夫さは、たぶん二倍くらい長持ちしたんじゃないかな。

 発売当時から、よく言われたことがあった。

 「このハーモニカはピッチが高めだから・・」と。

 ピッチとは、全体の音程微妙な高さ低さのことである。

 それがどんな意味合いがあるのか、よくわからないままで、30年ほど使ってきた。

 いろんな意味合いがあり、ピッチが高めに調整されているのであろう。

 ・・・・・・・・・

 先日のライブでのこと。

 ギターの二本のデュオで演奏する機会があった。

 キーが「F」の曲で、僕は5カポの「C」、友達はカポなしの「F」での演奏となった。

 (カポとは、フレットを押さえるゴムで、音程を上げることが出来るものである)

 しかし、じゃらーんと弾いてみると、音程が微妙に合わない。

 友達はチューニングメーターで、ギターを合わせているので音程はパッチリのはず。

 僕はすぐに、(ああ、5カポにしているせいなんだな)と理解した。

 アコースティックギターは特に、5カポくらいすると、ほんのちょっとだけピッチが上がるのだ。

 プロの人とかは調整ばっちりのギターを使っていると思うが、普通のギターだと弦高が高めになっているので、

 カポをつけてピッチが少し上がるのはしかたがない。弾き語りシンガーにはカポは必需品だ。

 僕なんかほとんどのレパートリーで、カポを使っている。

 そのときピンと来たのが、ハーモニカのことだった。

 ・・・そうか、そういう意味合いもあったのだな。

 (ほんとのところはわからないが・・)

 とにかくカポをよく使うシンガーには、ピッチの高めのハーモニカはとてもありがたい。

 もしも本当にカポを付けることを考えてピッチが高めになっているとしたら、、

 それはちょっと涙もののやさしさである。


「ハーモニカ」'10.12/3

 ハーモニカをギターに乗せて最初に吹いたのは、中学3年のときかな。

 とにかくプカプカと吹いていた記憶がある。

 それからだから、35年くらい僕はハーモニカを吹いていることになる。

 高校を卒業する頃には、かなり早くも吹けるようになり、かなりなめらかにも吹けるようにもなっていた。

 最近は、音数がかなり少ない。高校卒業の頃に比べてよりシンプルにはなった。

 先日観た、弾き語りのライブの人のハーモニカは、よく聴く「いかにも」と、いうハーモニカの吹き方であった。

 それはそれなりではあるけれど、とても固く感じられた。型にはまっているというか。。

 ハーモニカはもっと自由な楽器であると思う。そのときどきの新鮮な声のように、吹いてみるのがいいだろう。

 一度、全部、ハーモニカの観念を壊してみるときっといいだろう。

 毎回、造りあげる粘土のように吹くとよいだろう。毎回、そう思うことが大事。

 僕にはハーモニカは隙間の響きではないかと思える。

 片手の中に入る、自由の響き。


「不思議なんだ」'10.12/1

 少し大きなスペースで先日ライブをした。

 ひと月以上まえより、毎日部屋で唄い、かなり準備してきたライブであった。

 その中の一曲は17年振りに唄ううたでもあり、かなりギターが難しく、日々指ならしをした。

、その楽曲は単音弾きになるフレーズが多い楽曲であった。

 部屋で弾いている分には、まったく問題なかったのだが、

 少し大きめのスペースだと、単音弾きのフレーズが極端に音量が小さく感じられた。

 (あれっ)と、心がそれに反応してしまった。

 即座に弾き方を変えようとしたが、それはやめた。

 しっかり唄って、ライブのひとつのメインにしようと思っていたが、

 かなりギターがボロボロであった。

 不思議なんだ。ひと月も毎日練習した楽曲であるのに、、。

 こういうことはよくある。

 もう一回弾き方を考えて、ライブで自然に歌えるようにしないとな。

 楽曲のためにも。

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