青木タカオ「ちょっくら・おん・まい・でいず」

「最近の事」過去ログ'10.8月〜'10.11月


「詩人の実力」'
10.11/29

 レナード・コーエンの新しいライブDVDを観た。

 対訳の字幕付きの映像なので、英語であっても何を言っているかよく伝わってくる。

 どの曲もよく知っていて、歌詞もよく知っているのだけれど、

 ライブの対訳字幕を観ていると、歌がほんとによく伝わってくる。

 レナード・コーエンは、もうすっかりおじいさんの姿になってしまっているが、

 もともとは詩人として名を成した人でもあり、さすがにその言葉づかいは無駄がなく、

 どんどんと、歌の世界を広げてゆく。

 何度も何度も日本語訳の歌詞を見て聞き、自分でも訳して唄っている歌もあったが、

 レナードが直接唄うと、まるで歌詞のひとつひとつが立体的で、

 何重にも歌詞どうしが呼応しているのに、それでいて、とてもシンプルに聞こえてくる。

 歌詞と歌詞の間の余韻もまた、芳醇な響きを作り上げていた。

 これが詩人の実力なのかと思い知った。

 歌は風になびいている旗のようであった。


「走ると非常に疲れる」'10.11/27

 先日、10分以上走ったり歩いたりを繰り返したのだが、

 非常に疲れてしまった。非常に。

 普段走ったりしないからね。

 でも走ったと言っても、ただの小走りで、ちょっと走っては休み、また休み、、。

 つい昨日もかなり急がなくてはいけなくなったのだが、今回は走らずに、

 早歩きでがんばった。早歩きって、意外と疲れないんだよね。

 早歩きをしていて調子良くなったので、どんどんスピードを上げてみた。

 スピードって上がるものだね。なんだか、普段の歩くスピードの二倍くらいに早さになった。

 二倍のスピードなら問題はないだろう。10分なら5分。7分のところなら3分半。

 特に走ることもあるまい。

 でも、、早歩きをしてゆく姿って、なんか変ですけどね。


「小説の読み方を忘れる」'10.11/25

 ここ最近、小説を読んでいる。

 以前、映画で観た「ロード・オブ・ザ・リング」の原作、「指輪物語」だ。

 全部で9巻。そのうちの6巻が100円で売られていたので、ついつい集めてしまった。

 映画で観ていると、かなりイメージが固定されてしまっていた。それがいいのかわるいのか。

 とにかく小説って文字ばっかりで、それを自分の中でどう進めていけばいいのか。

 エッセイや評論のようなものは、普通に読めるのだけれど、小説はもともと読むのが苦手であった。

 しかし、小説はひとつひとつ自分の中でイメージを作らねばならないので、

 かなりイメージ作成の訓練にはなるとわかった。これって大事なんだよね。

 ただ読むのが大変。小説ってこんなに読むのが大変だったっけ。

 そして考えてみれば、文字で映画のような世界が作れるのだから、それは素晴らしい。

 ・・・・・・・・

 今回は舞台がヨーロッパということもあり、読むのむが大変なのかもしれないな。

 これが日本が舞台なら、かなり楽なのだろう。


「断片記憶」'10.11/23

 ここ数ヶ月、とくにそうなのだが、

 いろいろな断片記憶のシーンが突然によみがえることが多くなった。

 人と話していても、何かをしていても、眠り間際でも、

 本を読んでいても、テレビを見ていても、、。

 たぶん何かのキーワードで、記憶がよみがえるのだろうけれど、

 それがさて、いつの出来事の何のときのシーンだったか、思い出せない。

 ふわっとやって来て、すぐに消える。

 まったくなぜそのシーンがよみがえるのか不明。

 いつもいつも突然なので驚かされっぱなしだ。

 遠い遠いいつかの記憶も、ふいにやって来る。

 そしてすっと去る。友達と話しているときも。

 それを追いかけることも出来ない。

 しかしなんとも懐かしいことよ。すっかり忘れてしまっているものばかり。


「最近、よくカップのものをこぼす」'10.11/21

 昨日も、珈琲カップを倒してしまった。。

 たっぷり入っていたので後が大変だった。

 それは取っ手のとれたカップで、つかもうとしてすべったのだ。

 あるでしょ。こういうこと。

 そっか、珈琲カップに取っ手は大事。

 昨日だけじゃない。同じテーブルの上のコップに指がさわってしまい、

 倒すことも多い。

 遠近感がおかしいのか。目が悪くなったのか。

 どっちの感覚もにぶっているんだな。

 こぼさないまでも、カップやコップに指が触れて、びっくりすることはある。

 お店の水のコップをよくこぼしそうになる。

 あやうく。

 そんなことなかったのにな。

 おじさんになった証拠か、、おじさんはさびしいよ。 


「ゴールドブレンドとのつながり」'10.11/19

 僕はなんと言っても、インスタント珈琲のゴールドブレンドが好きだ。

 他のいろんなインスタント珈琲ももちろん飲んでいるが、特別な味わいがある。

 最初は豆がいいのかなと思ってきたが、最近はやっぱりブレンドに秘密があるのではないかなとわかるようになって来た。

 なにしろゴールドブレンドだからね。フレンドひとつの中に、ゴールデンがある。

 先日入った駅の立ち喰いそば屋さんは、いつもそうだが特別に美味しく感じられた。

 その店はチェーン店ではあるが、やっている人は、もうかなり長くやっている人であった。

 最近は、立ち喰いそばと言っても本格的な店も多くなってきた。かきあげもふっくらと大きい。

 そのチェーン店は昔ながらの立ち喰いそばやさんで、かきあげはそんなにふっくらではない。

 ほんとに普通の小さなお店だ。しかし、とても美味く感じられる。

 そばのゆで具合、つゆの熱さ、他いろいろな条件がグットなのであろう。

 ゴールドブレンド、、。ここにも絶妙なブレンドがある。

 高いならばそれなりものはできるだろう。

 しかしあるものでもきっとなんとかなる。ブレンドしだいで。


「170円で思い出すこと」'10.11/17

 この2010年、170円と言ったら何が食べられるだろう。

 僕には170円の想い出がある。

 新潟から東京に出てきた1979年のこと。レコード店に僕は就職した。

 昼休みが1時間あったのだけれど、その休みを有効に使いたいために、よく立ち喰いそば屋さんに寄った。

 ほんと小さい店で、8人も立てばいっぱいになるような店。気のいいおばさんがふたりでやっていた。

 最初はかけそばが160円だったかな。そのうち170円になったと記憶している。

 夏の頃のこと、僕は定期券を落としてしまい、ほんとお金がなくなってしまった。

 昼は連日、170円のかけそばであった。さすがに毎日、かけそばを注文していると変だと思ったらしくて、

 そっと、一品のせてくれた。何も言わないで。それはほんとに暑い夏の日で、

 立ち喰いそば屋さんでは、扇風機が強く回っていた。

 レコード店にいた約8ヶ月間、ほんとによく通った。かけそばは170円。いか天を入れると240円だったかな。

 今、立ち喰いそばは、かけそば一杯250円が相場である。缶コーヒーは120円。

 手のひらに170円があると、僕は今でも、30年前のあの立ち喰いそば屋さんを夏の日を思い出す。

 おばさんふたりの笑顔。今も170円の中にあふれている。


「水飲み鳥は知っている・2」'10.11/15

 いっとき寒くなったが、ここ数日またあたたかくなり、

 水飲み鳥も元気に水を飲んでいた。

 ふと気付けば、またコップの水のところで止まっていた。

 よく見れば、コップの水にちょっとだけくちばしをつけた状態のままであった。

 水がへって頭を押し上げるにはちょっとだけ水が足りない。

 コップの水を少し足してあげると、また水飲み鳥は起きあがる。

 確実に水を飲んでいるという証明ではある。

 コップの水はいっぱいになみなみとあるのに、重要なのは上の1センチほどである。

 その1センチがへり、ぎりぎりになってしまうと、水飲み鳥は止まってしまう。

 水飲み鳥はコップの水の上1センチしか飲むことが出来ないのだ。

 ほんのちょっとのことで、その活動は止まってしまう。

 そしてほんのちょっとのプラスで、また活動を始めるのだ。

 水飲み鳥は知っている。


「サバイバル」'10.11/13

 シュークリームを食べたり、たい焼き食べたり、アイスも食べたり、楽しかったな。

 もし、無人島にひとり着いたなら、しばらくは唖然とするだろうけれど、

 すぐに生きてゆくための努力を始めるだろう。夜には悲しさが湧いてくるだろうが、

 どうにかしなくてはいけない。住むところ、食べるもの、そして着るもの。

 とにかく、何もないからね。

 誰かがやって来て、食べ物を持ってきてくれるわけでもない。

 ただひたすらに何も考えずに眠り、働くだろう。生き延びるために。

 何年も何年もひとりぼっちであっても、無人島なのでしかたがない。

 そのうち、楽器を作るだろう。そのうち、自分なりの祭りを始めるだろう。日を決めて。

 誕生日をまだ憶えていたら、人類のはじめの日とするだろう。

 年とってきたら、ここに自分がいた証に何かを残そうとするだろう。

 文字ではなくて、絵になるだろう。きっと洞穴の壁に描くだろう。

 自分でわかることは、どんな状況であれ、それなりに楽しむであろうということ。

 生活激変サバイバル。まあ、なんとかなりますよ。


「ベートーベンの響き・続き」'10.11/10

 ここずっとクラシックの音楽ばかり聴いているが、

 半年ほど前、テレビで「のだめカンタービレ」というドラマをやっていた。

 それはクラシック音楽を中心としたドラマで、なかなかに見所が多かった。

 そのオープニングのテーマソングが、ベートーベンの交響曲第7番であった。

 他にも、メインとなる曲にベートーベン「悲愴」のピアノソナタも使われていた。

 現代ドラマではあるのに、ベートーベンをメイン曲に持ってくるなんて、ぴっくりした。

 しかしなんとも、ドラマの内容とピッタリの選曲と思った。

 ドラマの内容は、クラシック音楽をめざす若者たちが、

 苦悩しながらもそれを乗り越え、曲を理解し、本物に向かってゆくというような、

 おおまかに言えばそんな感じである。いや、恋愛と音楽と人のつながりも描かれている。

 ドラマでは毎回必ず何か出来事が起こり、音楽生活がストップしかける。

 そしてまたがんばる。

 その繰り返しではあるが、若者たちがそれでも音楽に助けられながら一歩一歩進んでゆく。

 実に、テーマ音楽としてベートーベンがぴったりとくる。

 (登場する音楽は、さまざまな作曲家が出て来ますが、、)

 テーマ音楽が、もしモーツアルトやバッハ、他の作曲家の作品であったなら、

 ドラマのイメージミュージックとして、それ以上の意味は出てこなかったかもしれない。

 知ってのとおり、ベートーベンは苦悩を乗り越えた人としても知られている。

 それもまたイメージなのかもしれないが、ひとつひとつの曲に、独特の響きを出していて、

 ドラマの内容とも呼応しているように思えた。

 ベートーベンって不思議な人だ。


「それは人という・・」'10.11/8

 夕方前の現場からの仕事帰り、疲れて事務所に歩き向かっているとき、

 小学生低学年と思う自転車の女の子二人と、舗道ですれちがった。

 髪の長い方の女の子が、隣の自転車の女の子に笑いながら話しかけていた。

 たぶん小二くらいだと思うのだけれど、もう自転車に乗れるようになって、、

 よそ見しては危ないので、まっすぐ前を向いて話しながら、、

 夕暮れの前の自転車で起きる風を、髪とまぶたに感じながら、、

 気の合う友達と帰るということの、楽しさを思いながら、、

 それも自転車で一緒に列んで、帰り道をゆくということをしながら、、

 どのくらいのスピードがいいか、わかりながら、、

 友達の話を心でも聞きながら、うなずくように笑いかえし、、

 僕にはふたりの話していることがらが、

 ぽわっとした何気ない気持ちの変化についてのことのように思われた。

 そうそうそうだよね・・と、、

 まだ小学年低学年ではあるけれど、じゅうぶんに大人のようであった。

 それは人という、、大人の小さい人。


「古い歌を直す」'10.11/6

 15年以上前の古い自分のライブ映像を見ていたら、

 すでにボツにしていて、今は歌っていない歌がひとつのライブで三曲もあった。

 すっかり忘れていた歌だったので、まるで初めて聞く歌のようであった。

 初めて聞く歌のように自分のボツにしてしまった歌を聴いていると、そんなに悪くはなかった。

 ちょっと歌詞を直せば、今でも歌えると思えた。

 あの部分と、あの部分と、この部分。

 作った当時は、歌詞のフレーズが頭から離れず、その歌詞を変えるなんて考えもしなかったのだろう。

 すっかり忘れていたので、自分で観ていて、まるで観客のように聞くことが出来た。

 すると曲のイメージがはっきりとわかり、歌詞の直したい部分がはっきりとわかった。

 おとといから、歌詞の直しをしているが、大きくは変えないで言葉を選ぶくらいにしている。

 より良い歌にしようと思わず、歌える歌にできるように。

 当時は磁力の強い言葉を選んでいたのだ。


「同級生の歌たち」'10.11/4

 約半年に一度、少し大きめのライブハウスで20年ほど前から定期的に歌ってきた。

 そのときは半年の間に作った歌を、主に歌うようにしてきたので、毎回、曲目が変わることになった。

 '94年11月の自分のライブのビデオを視ていたら、三曲ほどすっかり忘れている歌があった。

 いつしかボツにしてしまって、歌わなくなったのだ。

 そのとき新しく歌ったうたが8曲ほどあった。今でも歌っている歌が5曲。

 ビデオを観ながら、すっかり忘れていた歌を聴いていると、意外にもみんな良くてびっくりしてしまった。

 作品のアイデアも、歌詞もメロディーも、リズムもフレーズも、他の作品と同じだけ魅力があった。

 なぜボツにしたんだろう。またいくらでも作れると思ったのかな、きっとそうだな。

 その半年に作られ、同じにステージに立った歌たち。仲間なんだよね。

 歌の同級生と言ってもいいだろう。

 もし同じ創作ノートに書かれていたら、いつでも隣に居れたかもしれないが、

 僕の場合はすっかり忘れてしまった。

 このときのライブはす9曲ほど歌ったが、どの曲にも役割があった。サッカーの選手のように、

 バレーボールの選手のように。はっきり言って、この三曲がボツになった理由が自分でもわからない。

 バス停に置いていかれた歌たち。その後の長い旅に、つれていかなかった歌たち。

 もう一度、はるばるとそのバス停に寄ってみると、しっかりとまだそこにいてくれた。

 15年間も。。ありがとう、待っていてくれて。


「いまだに行けない」'10.11/2

 高円寺に昨日、ひとつの店がオープンしたので、

 行ってみようと思ったが、その店にたどり着けなかった。

 高円寺に住んで、もう20年ほどたっているのに。

 ときどき、ほんとにたどり着けないときがある。

 具体的に言いますと、ずばり、庚申通りと純情商店街の重なるあたりですね。

 たぶん似ている角のところが多いのだろう。

 はっきり言って、地図が書けない。

 昨日は、オープンした店を探して二回も戻ってうろうろしたが、

 結局、店は見つからなかった。今度、友達と行こうと思っているのに。

 実際、友達とその店に向かうときが来るだろう。

 そのとき、きっと迷うだろう。ご了解あれ。


「ギターの音が良くなる」'10.10/31

 ここ数ヶ月、ギターの音がなかなか鳴らない日々が続いていた。

 暑さのせいか、弦の古さのせいか、、それとも弦高が低くなったせいか。

 とにかく以前の響きが出なくなったのは、本当だった。

 しかし、ここ数日、たっぷりギターを弾いていたら夏前の響きに戻った。

 こんなことってあるんだよね。ギターのしくみはよくわからないのだけれど。

 以前も、スタジオに入って、数時間大きな音で鳴らすと、いつも響きがよくなった。

 木が反応するのかな。そんなことってあるのかな。

 人で言えば、スポーツをするとき準備運動をたっぷりすると、体の動きがよくなるようなものか。

 木が生き物であるということか。これが謎なんですよ。

 もしかしたら僕の耳が変わるのかもしれない。その可能性も高いのだが。

 とにかくギターの音が戻ったのは、嬉しい限り。


「記憶の本」'10.10/29

 今、以前のライブビデオをずっとデジタル化していて、

 やっと1995年までやって来た。

 ノイズのチェック、曲名のチェックもしているので、じっくりと観ている。

 目を凝らして。

 いつノイズが出るか、はらはらしているので、ライブをリルタイムで観ているような感覚になってしまう。

 憶えているものだね。あまりに目を凝らしているので、実際に観たような気持ちになってしまった。

 今が2010年なので1995年は15年前なのだが、まるで遠く感じられない。

 これから、ビデオ編集がだんだんと今に近付いてきても、時間の距離感が変わらないのではないかな。

 本棚に本が並んでいるように。


「のっぺりと吹いたら、おでんの大根になるよ。」'10.10/27

 先日、聞いたライブで、使っていたハーモニカはとても良い音であった。

 澄んで、のびやかで、、ぱっと聞いて艶のある音色だとわかる。

 ハーモニカ独特のざらざらとした音色が、あまり目立たない。

 同じハーモニカでも、ここまで音色が変わるのか。。

 おでんでいえば、、あつぎりの大根のような、、そんな大きな存在を感じる音色。

 普通に吹くと、おでんの大根のようなぶあつい音が出てくる。

 のっぺりと吹いたならね。

 のっぺりと吹いたら、どれも、おでんの大根になるよ。

 一曲・二曲・三曲・四曲、、。

 多少の変化は必要だ。


「微妙なところにこだわって」'10.10/25

 先日、クラシックのレコードを10枚ほど持って友達が来てくれた。

 僕が最近ずっと、クラシックばかり聞いていると知っているからだ。

 その友達が熱中して聞いたというレコードを持って来てくれた。ありがたい。

 僕がこの半年に集めたCDアルバムを見て、気になったものをCDラジカセでかけていった。

 それはベートーベンのピアノソナタの「熱情」の第三楽章であった。

 「きいてきいて、ここここ、ここの弾き方のバランスね、

 ターン、タタ、ターン、タタ、、これがうまくいっているのと、

 そうでないのがあるんだよね。俺はいつも、ここを聞くんだよ」

 僕は友達のいうフレーズに耳を傾けてみたが、ちょっとわからなかった。

 それでも、友達が言っていることがよくわかった。

 僕もまた同じように、ベートーベンのピアノソナタ「悲愴」の第二楽章で、

 こだわっているフレーズがあるからだ。

 クラシックの場合は、同じ楽曲をいろんな人が弾いているので、

 そんなふうな聞き比べ方ができるのだ。

 僕が思うに、クラシック好きな人は、みんな自分なりのこだわり部分があるのではないかな。

 そのフレーズだけで、その人の演奏を判断することなんて出来ないのだが、

 曲全体の理解として、そのフレーズの弾き方が、変わってくるということもある。

 そんなこだわりの微妙なフレーズ。

 気持ち、わかるなぁ。。

 僕が一番気に入っている「熱情」を、友達に聞いてもらった。

 普通の人はきいたことがないようなピアノ弾きであった。

 友達は耳をすまし、その「熱情」ピアノを聞いていた。

 「うん、このピアノ弾きの『熱情』はいいね」と、ひと言いった。

 こだわりフレーズで、判断したのであろう。

 僕には、それがわからないのだが。


「傘の持ち方に関する考察」'10.10/23

 歩道を歩いていると、

 たたんである傘を後ろまで振っている人に会うが、

 ほんと危かなくてしかたがない。なぜ本人は気付かないのかな。

 歩くとき、手を振るとおなじように傘も振っているのだ。

 ふと、自分のことを見てみると、柄が丸くなっている傘の場合は、

 柄を強く握らずに隙間を作って、傘の柄が自由に回るようにして持ち歩いていた。

 そうすると、手が多少振れても、傘の柄は自由に回れるので、30センチくらいの振れ幅でおさまる。

 ・・・おわかりいただけるだろうか、、。

 つまり傘の柄と手のひらの間に隙間を作っているのだ。

 もう、僕自身は小学生の頃からやっているので、あたり前かなと思っていたが、

 雨上がりの、歩くみんなを見ているいると、ほとんど誰もそうしていない。

 と、いうか、ひとりも会えなかった。

 (あれ、おかしいな・・)

 僕自身の中では、あたり前だと思っていたのに。

 あたり前ではなかった。


「価値本レベル」'10.10/21

 もう前のこと。

 たいへんに珍しく、値段も高い古い文庫本を売りに行った。

 それはセットものだったので、集めるときに二冊になっしまったからだ。

 文学系の古本屋さんに持ってゆくと、こう言われてしまった。

 「この本は誰も買わないので、買い取れないな、、10円でいいなら置いていって。」

 古本屋さんの言っていることにも一理あるが、

 その本の価値は10円ではない。とんでもなく貴重な本だ。

 現代なら、インターネットオークションに出すであろう。

 必要な人に渡るのは一番いい。

 その本を売りに行ったのは、もう25年も前のことだが、

 今だに、深く記憶に残っている。

 値段とは別に、価値本のレベルをつけてもらえないだろうか。


「ベートーベンは鷹のようではなかったか」'10.10/19

 この半年ほど、ずっとベートーベンを聴いて来て、

 最近は弦楽四重奏にはまりつつある。

 ピアノソナタばかりを聴いて来たので、

 弦楽器の音の重なりが、生き生きと感じられる。

 聴いていると、まるでベートーベンが指揮をしているようなイメージとも重なる。

 弦楽器は音は切れ上がり方がなんとも、ぶるっとしてて、

 まるで鳥の羽が震えるように感じられた。

 ベートーベンの伝記本も一緒に今、読んでいて、その集中力や荒々しさは、

 動物などに例えたら「鷹」が一番近いように思えた。

 ベートーベンは鷹のようではなかったか。

 弦楽四重奏を聴いていると、その鷹が飛んでるような感じがしてくる。

 飛び立ったり止まったり、旋回したり、方向を変えたり・・。

 それはピアノソナタよりも、イメージがはっきりと感じられる。

 ピアノ曲のときは、ベートーベンがピアノを弾いている姿が思い浮かぶ。

 弦楽四重奏のときは、ベートーベンの指揮の仕草が思い浮かぶ。

 どちらも、実際に見たことはないのですが。


「自販機にBlu-rayディスクを加えて欲しい」'10.10/17

 ここ最近ずっと、昔のライブ映像をBlu-ray ディスクに保存している。

 Blu-ray ディスクは、情報の容量がDVDの五倍ほどあり、

 その分、きめ細かくデータを保存することが出来るのだ。

 以前は一枚の値段が500円ほどと高かったそのBlu-rayディスクも、

 安いところで、とうとう一枚150円ほどで買えるようになった。

 150円といえば、120円の缶ジュース+30円ほどの値段だ。

 まあ、ほぼ一緒の値段だ。

 ほんとは、いくらでも今、Blu -rayディスクが欲しい状況にある。

 できれば、二枚ずつ保存しておきたいのだ。

 外仕事をしていると、いつも無駄に缶ジュースを飲んでしまうときも多い。

 わかっているのだけれど、ついボタンを押してしまう。

 その120円があれば・・と、いつも思う、思いながらもボタンを押してしまう。

 ああ、自販機の中に、Blu-rayディスクもあればなぁ。

 きっと缶ジュースを飲んだ気持ちで、Blu-rayデイスクを押すだろう。

 「またBlu-rayディスクを買っちゃったよ・・」とか、言いながら。

 自販機としたら、きっといいアイデアだと思うんだな。

 Blu-rayディスクを買った人は、缶ジュースが少し安くなることにすれば、

 きっと缶ジュースも買うと思う。


「まったくわからないところ」'10.10/15

 「ベートーベンはピアノソナタもいいけれど、四重奏もいいよね」

 「はぁ、、」

 ベートーベンの話をしていて、マスターはそう言った。

 僕はなんとなく「はぁ、、」と答えたが、ベートーベンの四重奏は、

 ほとんど聞いてきていないのだ。

 ピアノソナタばかりで。

 マスターが良いというのだから、何かしらそこにあるのであろう。

 今日からでも、バイトへの電車の行き帰りに聞いてみようと思っている。

 一度じやだめだ。一度聞いて、またしばらくして聞いて、また聞いて。

 ふと、聞いて、思い出して聞いて、忘れた頃に聞いて、朝夕に聞いて、

 いろんな聞き方をして、何かピンと来るのを待つ。

 (これかぁ・・)

 それも、これから聞いてみての話だが。。

 見つけたら、みっけものだよね。


「秋の夜長」'10.10/13

 とは言うけれど、冬だって夜は長い。

 しかし、いつも朝5時前に起きる生活をしていると、

 夜が長いとか、あまり関係なくなってしまう。

 いつだって眠いので。

 そして、朝5時前には、体が自然と目覚めてしまう。

 秋の夜長というのは、夜更かしをするということであろう。

 冬の夜は寒いしね。

 僕は今、変な時間に住んでいるようだ。

 夜が遠い。


「鳴る下敷き」'10.10/11

 以前にも何度か書いたが、

 もし人類がいなくなるとしたら、

 次は猿たちの時代が来るのであろうか。

 いずれ進化して、人類になるとしても、

 CDやDVDやブルーレイを再生できるには、

 どれだけの時間がかかるであろう。

 20億年くらいだろうか???

 考えてみると、やっぱりレコードが一番、

 音源再生となる可能性高いであろう。

 その前に楽譜を理解する可能性の方がもっと高いが、、。

 もっとちがう形の保存方法というものがないだろうか。

 猿でも、犬でも、猫でも再生できるものがいい。

 できるなら電気や電池がなくても再生できるものがいい。

 宇宙人が来たときにも、わかるように。

 下敷きのようなものにならないものか。

 音の鳴る下敷き。

 音質にはこだわらない。

 半永久的なしくみで。

 スイッチは下敷きをひっくり返す。

 映像も映ったりすればいいな。


「妖怪という名のもとに」'10.10/9

 まあ、これは個人的な話ではあります。

 とある音楽の先輩が、僕らのライブのとき、こんなことを言った。

 「あおきちゃんもやましたくんも、妖怪だからね・・」

 そのときは、ピンと来なかったが、、今頃になってじわじわと来ている。

 アーティストの生活、ミュージシャンの生活、他、いろいろあるだろうけれど、

 妖怪の生活って、いったいどんなだろう?

 それも想像も出来ないのだが、、。

 しぶとく生きるのは確かだろう。

 妖怪は妖怪らしく。。

 とんでもないパワーを出してみたい。


「美味しいパン」'10.10/7

 コンビニエンスストアーで、美味しいパンというものを買った。

 レーズンパン、ふた切れで140円ほどした。

 それがいかにも美味しいそうだと思えたのだ。

 お気に入りの缶コーヒーも買って、食べてみた。

 ちょっと今まで食べたことがないほど、うまかった。

 なぜ、うまいのか理由はわからないが、何かがうまいのだ。

 ほんの数分で、そのパンはお腹の中へと消えてしまった。

 こんなぜいたくもたまにはいいだろう。

 そして、こころは思った。

 (また明日も食べたりしてね・・)

 そして、次の日。

 ふらふらふらと、ついついまた買ってしまった。

 そのふた切れのパンを。。

 そういう唄をうたいたい。


「誰かの切符がはらりと落ちて」'10.10/5

 夕方の時間は、電車はいつもほぼ満員、

 ドアがあけば、人が流れをつくり改札へ向かう。

 大きな階段で、ゆっくりながらもみんなが降りてゆく。

 僕から、少し離れたところの誰かの切符がはらりと落ちた。

 「切符落ちましたよ」と、声をかけても良かったが、

 誰かは特定できなかった。

 はらりと落ちたその切符。

 すぐ後ろの女子校生がひろった。

 やっぱり声をかけずに、、、。

 一緒に僕も改札に向かっていったが、

 心配などひとつもすることはないとわかった。

 結局、改札で切符を探す人がいるならば、その人が落し主だからだ。

 僕はちょっと遅れ気味に改札に向かったが、

 誰も、切符を探している様子はなかった。

 それはそれで良い。

 もしかして、あの女子校生の切符だったのかな。

 僕もよく、改札前で切符を探すことがあるが、

 幸運にもいつもどこかのポッケにある。


「壁一枚くらいな感じで」'10.10/3

 ピアニスト、グレン・グールドの

 「ベートーヴェンを弾く」と、いうビデオを観た。

 音源で知っている曲であっても映像で見ると、

 かなり印象がちがう。音が生きてるっていうのかな。

 そこで音が生まれているっていう感じがする。

 まあ、生まれているのは「音」そのものではあるのだけどね。

 しかしやっぱり、その「音」が映像だと、見えてくるようだ。

 しかしやっぱり、その見えてくる映像に「音」はしばられてはいけない。

 遠くまで飛べるように、、音源はあるのだろう。

 こむずかしい話になってしまった。。

 ・・・・・・・・・

 ベートーヴェンは35年で80回近く引越しをしたという。

 隣の部屋に住む人は、そのピアノの音に悩まされたかもしれない。

 音楽が好きな住人ならば、壁に耳をつけて聞いていたであろう。

 壁の向こうのベートヴェンの姿をイメージしながら。

 音しか、聞こえない。しかし見えてくる。

 僕もそんなイメージ訓練をしてみようかな。


「押入の上の方がやさしい件について」'10.10/1

 ひと季節前のこと、

 いつものように、くずれるように眠っていると、

 お腹の上に、何か30センチくらいものが落ちて来た。

 ねこか・・??? ねこなんかいないのだが・・。

 びっくりした。

 見てみると、それは押入の上の方からすべり落ちてきた枕であった。

 そうなんです。押入の前でいつも寝ているのです。

 それは昨夜のこと。

 いつものように、くずれるように眠っていると、

 ふわっと、上から毛布が落ちてきた。

 まるで秋の夜は寒いよと、いわんばかりに、、。

 ありがとう・・。

 押入の上のほう、、。


「あの人は驚いたでしょう」'10.9/29

 こんなことがありました。

 夕方前、駅前の歩道を歩いていて、

 チャリンと後ろで音がしたので、振り返ったんです。

 するとすぐ後ろ女性の、そのまた後ろに、

 カギがいくつかついた束が落ちていました。

 イヤホンをしている女性は気付きません。

 「あっ、落としましたよ!」

 「あっ、どうも」

 あの人は驚いたでしょう。

 この話、普通は前後が逆だよね。

 前を歩く人がこう言う。

 「あっ、落としましたよ」と。

 実際にあります。


「秋の風」'10.9/26

 ここ数日は気温も下がって、やっと秋らしくなったが、

 それまでは、まるで真夏のように暑かった。

 さっき富山の友達と外に出たら、また太陽の光がまぶしくて、

 また夏に戻ったようであった。

 富山の友達は言った。

 「さすがにもう秋の風が吹いてますね」

 「えっ、そうなの?」

 「日差しはあるけれど、秋の風じゃないですか? 」

 「なんでわかるの?」

 「だって冷たいじゃないですか〜、夏にはこんな風吹きませんよ、、」

 そうか、そうなのか、これは秋の風なのか、、。

 僕は、今までこの風に気付かなかった。

 風の体感温度は、風力の大きさに比例するんだと思っていた。

 そうか、風自身が冷たいのか。

 富山の友達は当たり前ですよというふうに言った。

 友達には風が見えているんだな。

 僕もこれからは、注意して風を見てみよう。


「ざっくりさかげん」'10.9/24

 友達の古いライブ映像を観ていたら、

 ああ、いい歌だなぁと思わせる歌があった。

 20年ほどたっても色褪せず、今聞いても新鮮。

 本人も歌っていないが、もったいない話だ。

 歌の内容は、一般的というより、ちょっとだけマニアックなものだが、

 歌がざっくりとしてて、シンプルに伝わってくる。

 みっつくらいのことが記憶にとどまれば、歌全体のテーマにたどりつける。

 小学校の高学年くらいならば、この歌を楽しめるだろう。

 歌の途中で、歌のしかけにハッと気が付いて。。

 いい歌だな。

 ざっくりさかげんが、いいんだよ。

 7分近い歌なんだけどね。それを感じさせない。


「もしかしたらそうなんじゃないか」'10.9/22

 20年ほどの前のライブビデオをデジタル化していると前にも書いたが、

 実にいろいろ発見することがある。

 自分でもほんと驚いたことがあった。

 それは、今はもうボツにしてしまった歌のことだが、

 初めて歌ったときは、メロディーがちがっていたのだ。

 そうそう、このあと、メロディーを変え、歌詞も変えて、

 歌っていたけど、なんだかしっくり来なくて、いつしか歌わなくなってしまったのだ。

 しかし、こうして最初のオリジナルを聞いてみると、

 歌詞とメロディーがちゃんとしっくりきているじゃないか。

 僕はもっと良い歌にしようと、メロディーと歌詞を変えた記憶がある。

 たぶん、それがまちがいだった。自然のままが良かったのだな。。

 こういうことって、きっとあるよね。

 かまえばかまうほど、不自然になってしまってゆくこと。

 そんなとき、ふと思い出してみると、

 オリジナルのオリジナルがあったかもしれない。

 そこまで戻ってみることかも。


「ボツウタガヨブ」'10.9/20

 20年ほど前のライブビデオを今、デシタル化している。

 自分のライブももちろんあるのだけれど、

 そのビデオを観るのも、20年ぶりとなった。

 懐かしい気持ちで観ていると、「新曲です」と言って、

 今はもうボツ歌にしてしまった歌をやっていた。

 自分で作って、そしてボツにする。僕の場合はとても多いことだ。

 そしてもう歌うことはほとんどなく、何十年も過ぎてしまう。

 ほとんど記憶から消えて、、。

 そして、こうしてボツ歌になった歌を演奏したときのビデオを観るとき、

 僕の記憶からほとんど消えかかっていた歌は、ビデオの中に住んでいたのだとわかる。

 ボツ歌が、もう一度、僕を呼ぶ。

 今は誰も歌わない歌を、僕が僕のために。

 きいてみると、わるくない。ぎゃくに、よいくらい。。

 今なら歌える。歌おうと思った。

 このときを待っていたのだ。


「どんな人が来るのだろう」'10.9/18

 今はインターネットには動画サイトがあり、

 いろんな動画を見ることが出来る。

 関連動画でたどって行けば、自分の好きな動画や歌を見られるだろう。

 どんな地方に住んでいても、ピンと来るアーティストを見つけられるだろう。

 中学・高校の頃は、誰でもお金がないので、なかなかCDアルバムも買えない。

 それでも動画サイトで、歌やアーティストに出会えるだろう。

 テレビやラジオ、雑誌では会えないみんなと。

 ここから5年10年ほどたって、知り合える若者シンガーたちに、

 「歌いはじめたきっかけは?」とか、尋ねたなら、

 「出会いは動画サイトで見て・・」と、答える人も多いかもしれない。

 動画サイトは、再生回数は差はあるものの、基本的に誰も同じ位置にある。

 テレビやラジオなどは、そうはいかない。

 僕の中学・高校時代にインターネットが見られたならば、

 好きなアーティストを食い入るように、見ていただろう。

 たぶん歌にもそうとう影響が出ているはずだろう。

 そして東京に出て歌い出す。その流れ。

 もうちょっと待ってみれば、いろんな若者シンガーと出会えるんじゃないか。

 きっかけはもうじゅうぶんにある。

 あとはピンと来ればいい。

 高校を卒業し、上京して来て、ライブに聞きにきてくれたりしてね。

 僕らがいろんなシンガーを聞きに行ったように。。

 そのうち、きっと会える気がする。

 もう僕らは出会っているのだ。


「やせたい」'10.9/16

 20年ほど前の自分のライブビデオを見ていると、

 今よりかなりやせていたのがわかる。

 最近のライブを見ると、まるで別人のようにも見える。

 どうしてこんなことになったのか。

 やせたい。

 本気で。

 日々、そんなに食べていないんだけどな。

 この夏だって、かなり夏バテもしそたのに体重は変わらなかった。

 食生活かな。肉食べているから? ジュースとか飲んでるから?

 ベジタリアンにでもなるかな。

 僕はほとんど鏡を見ない生活をしているので、

 自分の中の自分のイメージは、若い頃のままだ。

 おかしい、、。今の自分はきっと別人だ。

 専門家が僕の食生活のメニューを見たら、すぐに原因がわかるんだろうなぁ。

 そんなに食べていないだけどなぁ。


「コードをまちがえる」'10.9/14

 先日のライブで、部屋で練習で歌っていたとき、

 思わぬところでギターコードをまちがえた。

 (あれっ)と、思ったが、すぐに気が付いて自分で訂正した。

 何度も何度も歌っている歌なので、、歌詞にはコードも書いていなかった。

 さて、ライブ。

 約1時間ほど歌ったのだが、一カ所だけギターコードを間違えてしまった。

 1番・2番と大丈夫だったのだが、3番で間違えてしまった。

 その間違えた感覚というのが、一瞬、ほんと一瞬、

 この辺でそういえば練習のとき間違えたかな、、と思ってしまったのだ)

 すると指が迷ってしまった。

 つまり間違える前に、迷いが出たんだね。

 迷ったから間違えるんだよね。それがわかった。

 「迷いの看板」を見たら、だめなんだ。

 看板を見る前に、次を思い出すこと。

 それしかない。


「セットリスト」'10.9/12

 そんなことは思いもしなかったものだけどね。

 自分の歌のレパートリーがあり、

 ひとつのライブのどうセットリストを作ってゆくかということ。

 若い頃は歌もどんどん出来て、ライブはほぼ毎回違うセットリストで歌っていた。

 だいたいみんなここ一二年に作っていた歌を歌っていた。

 一曲目だって、二曲目だって、ラスト二曲目だって、ラストの歌だって、

 お得意のナンバーというものは決めていなかった。

 ライブというのは、季節季節のものであり、

 ひとつのアルバムと同じで、一曲目からはじまり、終わりの曲までの流れというものがあると、

 そんなふうに普通に思っていた。

 さて、どんなライブがよいライブなのか。

 そんな定義はひとつもないのではあるが、

 自分のレパートリーの中でも、ベストな曲の流れを作るというのはありがちだ。

 もしかしたら一度しか自分のライブを聴けない人もいるわけだから、

 いい歌をそのライブで歌いたい、伝えたいというのは普通だ。

 普通だよね。困った。

 ちがうんだよ。ちがわないかもしれない。

 自分もそうなろうとしている。

 そうなろうとしていないのかもしれない。


「未来をためた話」'10.9/10

 来年のことは誰もわからない。

 もしかしたら、生活が激変するかもしれない。

 それは誰にもわからない。

 ずっとスムースな時間が流れていても、

 冬の季節になるかもしれない。ハードな時代だからね。

 ふとこんなことを思った。

 20代から40代にかけて、山ほど本を買ったし、

 レコードも、ギターも、服も買った。

 電化製品も買った。

 もう、本もいっぱいあるし、服もレコードもいっぱいある。

 これ以上買わなくてもいいほど。

 読んでいない本は、この先20年ほどある。

 たぶん、未来のために買いためたのだな。

 それはそれで、いいんじゃない?

 お金はためなかったが、

 未来をためたのだ。


「Sさんの歌はもう風のようになった」'10.9/8

 先日、ブルース魂あふれる古いシンガーのSさんのライブを観た。

 もう35年ほど前から聞いているが、ほぼ今も同じ声のステージであった。

 ギターも歌も完成度が高く、ふと目を閉じればレコードを聞いているようだった。

 しばらくライブを観ていると、どの歌にも風が吹いているように思えて来た。

 歌詞と歌詞のすきま、メロディーとメロディーの間に、、。

 思ってみれば「風」というのは、いろんな風があるものだ。

 朝の風、夜の風、旅の風、嵐の風、一人風、ほこり風、。

 まるで生き物であるかのように、風は吹いてくる。

 風もまた、完成された風格を持っている。

 そんなことを想っていたら、Sさんの歌がどれも風にように思えてきた。

 僕は自分の歌にはそんなことを思ってもみないのだが、

 歌がどれもひとつの風になるものいいな。

 日本じゅうをめぐりめぐり。

 すれちがったりして。


「おぼえがきファイル」'10.9/6

 数年前に「おぼえがきファイル」というファイルを作った。

 パソコンの中の話ではなくて、文房具のルーズリーフのファイルね。

 そこには、パソコンが調子悪くなったときの対処や、

 ビデオデッキ、DVDレコーダー、ブルーレイレコーダーのダビング時の注意や、

 オーディオのこと、ビデオカメラ撮影の時の注意のことなど、

 いろいろと書いてあるファイルだ。

 デジタル作業には、いろんな機械との相性もあり、たいへんに難しいことがある。

 失敗しながらもいろんなアイデアが出て解決するときもあり、

 それを忘れないように書いておくのだ。書いておかないと、忘れてしまう。

 そのときは憶えていても、時がたつと忘れてしまい、また同じ失敗をしてしまうことがある。

 せっかくの知恵なのだから、書いておこうと思ったのだ。

 記憶力も悪くなって来ているし、、。

 今はまだ「おぼえがきファイル」の中には、デジタルのことばかりだが、

 そのうち、いろんなファイルが増えてゆくだろう。

 日々の細々としたことにまで、、。物のしまった場所とかね。


「ギルドらしい音」'10.9/4

 ギルドのギターをライブで弾いていると、

 友達から「とても良い音だったよ」と、言われる。

 まあ、もともと音量のあるギターなので、パワフルさが出てるのであろう。

 ふだん部屋でもギルドのギターを弾いているが、

 ギルドらしい音は、微妙な弾き方からいつもふわっと出てくる。

 それはほんとほれぼれする音。

 ライブでそれが伝わるといいなと思う。

 レコーディングでそれが伝わればなと思う。

 リッチー・ヘブンスというシンガーはいつもギルドのギターの音を伝えている。

 そうとうにそれは素晴らしい。

 僕もそうありたい。

 しかしライブでは、なかなかそれが出来ない。

 それをライブで伝えねばならない。

 日本中の人、世界中の人に伝えねばならない。

 過去の人、未来の人にも伝えねばならない。

 子供たちにも、老人にも伝えねばならない。

 美味しい梨のひとかじりのように。


「フォークシンガー」'10.9/2

 歌を歌うって、とてもシンプルなことだよね。

 歌が作れるって言っても、そんなに技術がいるわけでもない。

 ギターが弾けると言っても、コードが押さえられれば、大丈夫だ。

 歌を弾き語ると言っても、そんなたいそうなことでもない。

 歌い出すってことだって、ほんのちょっとの勇気だけだ。

 オリジナルの歌を作ると言っても、

 それはブログを書く八百屋のおじさんと、そんなには変わらない。

 フォークシンガーと呼ばれる人たちが、みんなより、

 よく多くのことを体験し、思慮深く、人生を達観しているなんて、

 ありえないでしょ。そうであって欲しいという願望はあるけれど、

 そうでいけないなんてない。

 こう感じた。それを歌う。

 それでよい。

 歌を眺め、気持ちで感じることができますように。


「夏の終わり」'10.8/31

 インドを旅行していた頃、大晦日と元旦の朝の街が、

 ほとんど同じように感じられた。

 あまり西暦が意識の中にないのかもしれない。

 今日は8月31日。そして明日から9月。

 さて、明日から「夏」と呼べるのだろうか。

 「8月のような9月」という感じではないだろうか。

 もう今日で、夏が終わるのではないかな。

 誰が決めたわけではないけれど。

 残暑ですよ。心は秋に向かう。

 9月なので。

 今日までは夏。明日からは、夏のような秋。

 おかしいよね。

 やっぱり、、、秋一番とか吹かないとだめかね。


「それはサウンドだった」'10.8/29

 高校を卒業して東京の小さなレコード店に就職した。

 そこにいた先輩は、とても歌謡曲が好きであった。

 「もう、最高だぜ」。そんな言葉もよく聞いた。

 先輩の話を聞いていると、なんとなくわかるような気持ちにもなった。

 歌謡曲のアレンジって、時代によって特徴的なものがある。

 '60年代、'70年代、'80年代、'90年代、etc、、と。

 それが青春時代と重なってしまうと、「最高だぜ」と、なってしまうであろうか。

 歌というよりサウンドが、、。

 先日観たバンドは、たぶん'80年代後半の歌謡曲サウンドを再現していた。

 そうか、あれはひとつのサウンドだったのだな。

 そう気付かせてくれた。

 あの音をかけながら友達とドライブしたら雰囲気出るだろうなぁと感じられた。

 「最高だぜ」の言葉とともに。

 それは青春への懐古ということではなく、そう思わせる何かがあるのだ。

 トータル的なもので。

 ここまでくると、ひとつのサウンドなんだな。

 響きね。サウンドって、いっぱいあるんだな。


「カポかくし」'10.8/27

 ギターを弾いていると、カポタストがよく見つからなくなる。

 昨日も、忙しいのにカポ探しをしてしまった。

 あるはずのところにまるで見つからない。

 神隠しではなく、「カポかくし」だ。

 ピックもよく見つからなくなるが、ピックは余分に持っているので、困ることはあまりない。

 カポはないととても困る。

 ライブ中、リハ中にもよく見つからなくなる。

 「あれっ、カポがない・・」と、探し出すと、

 お客さんの方から、「あそこにあるよ」と、見つけてもらうこともめある。

 ピックもそうだが、、。

 それに対して、ハーモニカがなくなることはほとんどない。

 あれはケースがあるからね。

 だから結局、どこに置いたかを憶えておけばいいことなんですけどね。

 一曲唄うと忘れちゃうんですよ。

 一度どこかに置いたら、もう一度持ち上げて、もう一度置くか。。


「窓をつけて欲しい」'10.8/25

 この夏はほんとに暑くて大変であった。

 外仕事をしていると、どうにもならないほど服の中が蒸してしまう。

 ズボンもまた同じだ。

 一度、ズボンのすそを少しまくっみたら、とても涼しくなった。

 空気の逃げ道があるからね。

 今年の夏、いつも僕の思考回路の中にあったのは、

 服やスボンに窓をつけて欲しいということだ。

 それもふたつずつ。

 窓さえあれば、、窓さえあれば、空気が逃げてゆくだろうに。

 それにもしかしたら、風も吹くかもしれない。

 いや、風が起きるかもしれない。

 ああ、、服に窓が欲しい。 

 「あなた、窓を作りましょうよ」


「まさかの探し物」'10.8/23

 ギターに自分用の保護ピックガードを付ける作業をした。

 両面テープを使うために、文房具屋さんで有名メーカーのものを買ってきた。

 しかし何か違う。。いままで使っていたのは、透明に近いものだった。

 (そうか、、あの100円ショップで買った両面テープを使っていたのか・・)

 その両面テープは、奥の部屋のテーブルの上に置いてあったはずなのだけれど、

 さて、見つからない。。

 つい一昨日、奥の部屋を片付けて、とてもきれいになっていたのに、

 また探し物をして、大変な状態になった。

 しかし見つからない。100円ショップで買った他の両面テープがあったが、

 それでもない。やっぱり、テープルの上に置いてあった両面テープがベストだ。

 きっと、普通より薄いんだろうなぁ。

 まさか、あの両面テープをこんなに探すとは思いもしなかった。

 先日、使いきったような気もするが、、。

 そしたらあるわけがないのだが、、。

 人生とは、何が必要になるかわからないものだね。


「ベートベン後期ソナタ」'10.8/21

 インターネットで、ベートベンのファンサイトを見つけた。

 「どの曲が好きか」というテーマでは、実にさまざまな曲が選ばれていた。

 僕なんか、まだまだファンになったばかりなので、有名な曲ばかりを聴いている。

 ピアノソナタは全部で32番まであり、3大ソナタ、7大ソナタはとても有名なのだが、

 最後の30・31・32番のピアノソナタをとても気に入っている人が多いことがわかった。

 30・32・31番は、特別な位置にある曲であるのも伝わってくる。

 僕も30・31・32番の聴いてみるけれど、うまくつかめない。

 たぶん、もっともっと聴いていくと、その良さがわかってくるのかな。

 今、聴き込んでいる途中であるが、それでも道が遠いことがわかる。

 ベートーベン自身はよくわかって作っているのであろう。

 そこまでにゆくのに、僕はどれくらいかかるのか。。

 まあ、聴いていってみよう。

 ある日、突然に、はっとわかるかもしれない。

 その日が来るのを楽しみにしている。


「しんけんというのは」'10.8/19

 下町で、夏休みのまだ小さい小学生のふたりとすれちがった。

 ひとりがこんなことを言った。

 「しんけんのときはしんけんでしんけんでないんだよ」と、、。

 おお、これはなんとも深い言葉を。

 何をテーマに言っているのであろうか。遊びのことかな。

 ちょっと考えてみたけれど、なんだかむずかしくて意味がわかんないぞ。

 しんけんのときというのは、しんけんでないということにしんけん、、と、言うことか。

 いやっ、、しんけんでないとときこそがしんけんなときと言うことか、、。

 いやっもっと深い、、しんけんなときという言うのは、「しんけんでしんけんでない」ということか。

 いやっ、、たぶんもっとシンプルなはずだ。

 そうだ、遊びのことを言っているのだな。

 遊びとはなんぞや。

 遊びとは、子供いわく、

 「しんけんでしんけんでないしんけん」


「疲労のバロメーター」'10.8/17

 どのくらい疲れているか、それは計ることはできないものだが、

 最近、はっきりとわかる現象が出てきた。

 それは、目の焦点が合わなくなるのだ。

 疲労は目に出るって言うけれど、本当かな。

 昨日は目の焦点が合わなくて、大変であった。

 たぶん寝不足というせいもあるのだろうけれど。

 疲労のバロメーターがひとつはっきりとはわかった。

 ここ5年くらいの話かな、、。

 同年代のみんなそうではないでしょうか。


「ココハひとつ犬にきいてみたい」'10.8/15

 今年の夏はとても暑くて、人も大変だけど、

 毛皮をつけている犬たちも大変であろう。

 実はそうとうにばてているのではないか?

 犬も熱中症にならないのであろうか?

 実家で犬を飼っていた頃、夏場はほんと大変そうであった。

 いつでも舌を出して、ハアハアとしていたっけ。

 先日はそのことを思い出し、自分も舌を出してハアハアとしてみた。

 実はこれ、かなりの効果があるのではないの?

 みんなやらないだけで。

 さて、犬のこころに戻ってみよう。 

 この夏の日、犬たちは何を思っているのか。

 暑いさかりに丸くなり、うでに顎をのせて。

 僕が思うに、きっと冬の日々のことを思っているのではないか。

 あの毎日が寒かった頃。

 その寒さを思いながら、暑さに耐えているのでないかな。

 寒いよりは良いよと、、ね。


「つばめの巣立ち」'10.8/13

 近くの商店街につばめの巣があり、

 朝、通りかかるたびに気にしている。

 ほんの二週間前に、小さなひなが生まれたなと思っていたら、

 今や、親と同じほどにまで大きくなり、巣立ちの頃となった。

 この成長の早さにはびっくりした。

 親つばめは、そうとうにがんばって餌を口うつしで渡したのであろう。

 それは昨日のこと。

 朝につばめの巣に通りかかると、ふらふらと円を描いて飛んでいるつばめを見た。

 おっ、やったね。

 よちよち歩きならぬ、ふらふら飛びだな。

 巣の方をのぞいていると、飛んでいたつばめがすっと戻ってきた。

 そして、なんと、他のつばめに口うつしの真似をしたんだよね。

 あれは、親つばめ? いやいやそんなことはないだろう。

 思うに、親つばめの真似をしたのであろう。

 そこまでがきっとワンセットだと意識されているのかな。

 巣立ちって、飛ぶことだと思っていた。

 でも、もしかしたら、えさを運ぶ親の真似をするのかもしれない。


「最近の楽しみは」'10.8/11

 今年の夏は大変に暑く、外仕事をしていると、ほんとへとになってしまう。

 そんな中、僕にはいつも仕事帰りにひとつ楽しみがある。

 それは携帯音楽プレーヤーで、ベートーヴェンを聴くことだ。

 今から200年前の人ではあるけれど、こうして2010年の僕の耳に聴かせているということの不思議さ。

 そして僕がそれを聴いているというこの気持ち。

 この200年の間、毎年夏も来て、もっと暑い年もあったであろう。

 しかし、そんな時の流れを越えたものに触れていると、

 なんとも、しっかりと人間というものを実感させてくれるのだ。

 大げさな言い方をすれば、流行というものに僕が流されず、

 こうして聴きたい音楽を聴いているということ。

 仕事が終わり、帰りの外に出る。

 僕は携帯プレーヤーのメニューのベートーヴェンを選択する。

 どんなにへとへとでも、僕はこの音楽を聴く。

 それでよい。


「はっと気付いたこんなこと」'10.8/9

 昔のライブビデオを編集していたら、自分のライブも入っていた。

 約30年前の自分のライブ、そこにはすっかり歌詞の展開を忘れていた歌もあった。

 そんなふうに自分の歌を聴くなんて、ちょっとありえないのだけれど。。

 そんなふうに自分の歌を聴いてみると、まるでちがったように聴くことができた。

 すっと、歌にひきこまれたんだよね。

 あっ、こんな感じに聞こえているんだなってわかった。

 常日頃、僕は自分のライブを客席で観るようにビデオで観たりするけれど、

 なんだかいつも、実感がない。それもそのはずだ。

 だって、歌の展開を知っているのだもの、歌のひきこまれがないんだよね。

 そのことにはっと気が付いた。

 自分の歌って、ほんとはこんな印象なんだな。

 すっかり忘れた歌が、それを見せてくれた。


「ビデオにしていないすべてのことが」'10.8/7

 飲み屋さんで、ひとりでお酒を飲む光景はよくあるが、

 若い頃の僕であったら、話し相手がいないのかなぁと思うことも多かっただろう。

 しかし、僕もけっこうな年齢になり、いくらでもそれはできる自信がある。

 何をするかというと、自分の中にある映像をビデオのように再生するのだ。

 海外でのこととか、小さい頃のこととか、、。

 それは全部ビデオカメラで撮ってはいないが、自分の中でははっきりとビデオ再生できるのだ。

 しかし、それはダビングできない。だから思い出すしかない。

 いくらでも、それは思い出せる。まだ今は、、。

 飲み屋さんで、いくらでもそれは再生できる。

 話し相手がいないという世界ではない。

 「何をしていますか?」「ビデオを観ているんです」


「自分の古いライブの映像を観て」'10.8/5

 約25年ほど前のライブ映像の編集している。

 その中には自分の歌う映像もあるのだが、

 撮ってから20年くらいは、とても恥ずかしくて観ることが出来なかった。

 25年ほど前ならなおさらだったろう。

 まだいろんなことが途中だったからね。

 歌の作品としても、まだまだのものが多い。

 しかし、その前の5年間の流れが感じられ、その先5年間の流れも感じられた。

 歌の完成度や歌い方はまだまだとしても、しっかり、創作のつながりを見ることかが出来る。

 そういうふうに思うと、かろうじて、なんとか自分の古いライブを観ることが出来る。

 やっと、ここまで感情というものが押さえられた。

 その時期があって、確実に今があるんだな。

 一曲一曲、一所懸命に作ってきたかいがあったということかな。


「四時間半」'10.8/3

 日々、体力を使っているせいか、

 横になったら、ほぼすぐに熟睡である。

 中学三年のときの担任の先生は、一日3時間睡眠だと伝えてくれていたが、

 この三時間というのは、なかなかにうなずける。

 人の睡眠は、90分のサイクルになっていると聞いているからだ。

 昨夜は12時に眠ったが、4時に目覚ましをセットして失敗した。

 ほんと強力に眠かった。いつもは4時間半。

 朝に目覚ましをかけるとき、やっぱり90分周期を考えた方がいいな。

 こんなふうに中途半端に起きると、一日きっと眠たいであろう。

 僕が目覚ましを四時間に設定した時点で、体はどう眠っていいのかわからなくなるだろう。

 四時間半に設定すれば、安心して眠れるだろう。体のためにもね。

 眠るとき、安心するってたいせつなんだ。


「25年前の自分のライブ」'10.8/1

 古いビデオの編集のため、25年前の自分のライブ映像を観た。

 20代前半の頃、ギター弾き語り。

 ホントに歌がへたであった。びっくりするほど。

 当時、歌の友達にいろいろ影響も受けていたので、

 自分でも知らず知らず、それが歌い方やギターにも出ていた。

 1曲目から聞いていられず、映像を観ながらのたうち回った。

 当時歌っていた歌は、今ではとても恥ずかしくて歌えないものばかりだ。

 楽曲の内容も若すぎて恥ずかしい。

 しかし、、ギターとハーモニカはとても上手であった。

 相当な時間、ギターを弾き、ハーモニカを吹いていたせいだろう。

 強弱があり、表情があり、間も自然であった。

 自分でも忘れていた楽曲ばかりであったが、

 歌のアイデア、構成、言葉とメロディーのつながり、

 メロディーの流れと変化、それに合わせたギター奏法、、。

 それはなかなかに良かった。自分でも驚いた。

 今では作れないほどの豊かなメロディーとギターであった。

 それにどの楽曲もじゅうぶんに「歌」を感じられた。

 当時、きっと歌に包まれた生活をしていたんだな。

 どの作品もそれなりにとても良かったよ、あおきくん。

 歌はおもっきりへたであったが。

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