青木タカオ「ちょっくら・おん・まい・でいず」最近の事・過去ログ・'02-7月〜10月

「記憶力と珈琲カップ」10/29

 以前、友達の家に遊びに行ったとき、本棚にコップがズラリと並んでいた。

 「あれ、何?」

 「あれねぇ、んー、あれわねぇ・・、コップ」

 聞けば、台所に行くたびに、新しいコップをどうしても持ってきてしまうのだという。

 「へーえ」と、そのときは半分驚いたものだった。しかし、、

 それが今の僕だ・・。

 ただの物忘れと言ってしまえばそれで終わる話だけれど、それには、それなりの理由も考えられる。

 お客さん用の珈琲カップが、みんな同じで、いくつもあるのだ。

 もし珈琲カップがたったひとつなら、きっと気付くだろう。

 いくつも同じ珈琲カップが台所にあるから、永遠に繰り返してしまうのだ。

 もし珈琲カップがひとつだったら・・、ホラ、繰り返してるって!!

 しかし、そういう問題か? ただ単に、記憶力が悪くなっただけではないのか?

 しかし、ここでもうひとつ、仮説を唱えておこう。

 珈琲を飲みたいときっていうのは、記憶力がにぶっているときではないのか?

 ・・記憶力とカップの関係については、いまだちゃんとした定説がない。


「100円ショップ四畳半」10/26

 先日、大きな100円ショップに寄ってみた。二階にあるのだけれど、その登り口の看板は実に地味だ。

 それは大変に不思議。

 昇ってみると、とても大きい。近くにも同じ系列の100円ショップはあるのだけれど、品揃えは比べものにならない。

 びっくり価格とかいうレベルではない。日常生活に関係あることなら、基本的になんでも揃うだろう。

 また階段を一階に降りながら、ひとつの夢を想像してみた。

 (100円ショップのものだけで、部屋のもの揃えてみたいな・・。それも借りたばかりの部屋で・・ )

 生活雑貨はすべてOK、そして衣類関係もなんとかなるだろう。問題は「食」だ。

 ここまで揃えられるのだから、ぜひ「食」の方もめんどうみて欲しいものだ。

 ・・こんなのはどうだろう・・

 食堂の食券メニューが、基本的に100円。「ごはんセット・100円」「おかずよりどり・100円」

 あと、銭湯券があるといいなぁ。

 そしてテレビは? 洗濯機は? まだ道は遠いようだ。

 100円定期券。100円旅行。100円パソコン。100円マッサージ。100円病院。

 100円教習所。100円英会話。100円ベット。100円お見合い。100円ウエディング。100円家賃・・。

 100円ローン。。


「プラズママジック」10/23

 電気屋の前でのフリーズ。

 最近、プラズマテレビの前に立つと、自分が固まってしまう。

 あの大画面の前に立つと、自分が子どもになってしまう。まるでショーウインドーの中のサキソフォンを見つめる、子どものようだ。(なぜ、エピソードはいつもこのシーンなんだ)

 ああ、プラズマテレビ。

 ああ、大画面で映画がみたい。

 みたい。みたい。みたい。

 700000円・・。

 クソ!!

 プラズマプラズマプラズマプラズマ・・。

 電気屋の前で、呪文を唱えてみても、プラズマテレビは手に入りそうにない。

 その昔、みんなはこんなふうに、テレビに憧れていたのだろう。

 中学のとき、僕はマーチン・ギブソンのギターに憧れた。そして実際に買ってみたならば、本当に良かった。考えていたとうりに最高だった。

 プラズマテレビにも、そんな匂いがする。

 しかし700000円。

 いつか、50000円くらいになる日が来るだろうか?

 商店街のくじ引きで、当たらないかな。

 「ああ、俺んち、プラズマあるよ」

 三年後には、そう、言っていたい。

 電気屋の前で、フリーズしている人がいる。


「長い夢と現実」10/20

 手のひらに汗をかくなんてことは、ほとんどないのに・・。

 徹夜したせいもあり、昨日は、夕方の5時まで眠ってしまった。すごく寝たのだ。そのあと、ちょっと起きてまた、横になり、夜は夜で普通の時間に眠ってしまった。

 すると・・。

 長編の夢を見た。ながーいながーいストーリーの続きのある夢だ。それももの凄くリアル。夢自身が今の現実から始まっているので、それを夢だと気がつくことは出来なかった。

 どんどんと夢は進み、なにげないが、とんでもないことになってしまった。しかしそれは長いストーリーの続きであり、夢の中では確実に現実であり、もうくつがえすことは無理だったのだ。

 (あ〜あ、もう戻れないのか、、)

 どんなに考えても、元に戻る可能性はゼロだった。起きてしまったことは取り返しがつかない。

 町の角の石に座り込み考え続けてみる。

 (たったひとつだけ方法がある・・それは・・)そう思った瞬間に、キューンと布団の中に戻ってこれた。それから夢の中で出来上がった現実をひとつずつ、元に戻していった。

 (あっ、良かった!!)。気つけば、手のひらに汗をかいていた。こんな事はまずない。よほど現実感をもって夢を見ていたのだろう。

 しかし、物語はこれからである。

 またさらに現実の現実を戻ってゆくと、ずっと前もそのまたずっと前にも、リアルな同じ内容の夢を見ていることを思い出した。たくさん眠ったときにそれは用意されているようだ。夢の中の出来事はもちろんちがう。でも全体的なストーリー展開は同じ。

 ♪そういことって、あるだろう。

 ーーーまたまた物語は、これからだーーー

 僕は布団の中のまどろみの中でひとつの現実に気が付いた。

 そのリアルな夢のせいで、僕は普段の生活で、何が大切なのか、ちゃんと気が付いているのだ。つまり現実が夢に支配されているってことだ。

 ギャーー!!


「神秘」10/17

 10/15日は、何の日がご存じだろうか?

 それは、僕の飼っている、みどり亀の一匹が砂ももぐり、冬眠に入る日である。

 今年は、ずっと暑かった。10月15日の日も、秋としたら、暖かい日になった。みどり亀たちはその数日前まで、えさを食べまくっていたのだ。

 (今年は無理だろう・・)

 しかし、今年も10月15日に、亀は冬眠した。約束どうりだ。

 何かがみどり亀をそうさせたのだ。暖かい、寒いの気温差ではないようだ。

 亀の水槽にはカレンダーはない。そしてこの部屋にはカレンダーがはってないので、亀がこっそり横目で見るというのも不可能だ。

 テレビの音は聞こえているかもしれない。

 それとも、毎日、亀は日数を数えていたのか?

 不思議だ。太陽と月の関係か?

 そして、冬眠から目が覚めるのは、来年の3月27日頃(いやその日?)なのだ。


「いくつもの帰り道」10/14

 久し振りに、ホント久し振りに、池袋に歌いに行った。ずっと、レコーディングで行けなかったのだ。

 僕は歌うことよりも、その行き帰りの雰囲気をいつも感じようとしている。

 ここ高円寺を出るとき、何か雑誌を一冊買って、ぼんやりと読みながら電車で向かうのだ。

 そんなぼんやりとした空気を久し振りに感じて、駅まで歩いてゆくと、何か変だ。まるで時間が、20年前の歌い出した頃に戻っているのだ。

 タイムトンネルは、ここにあった。

 世界とのつながりをまったく感じない、たった一人の世界。そこには音が聞こえない。そして駅前へ行く。

 気が付いてみれば、20年前と歩いている人は変わった。しかし、僕が今、18・19才だったら、同じ空気を感じているだろう。

 電車の行き帰りの見えてくる光景は、20年前と変わっていない。気持ちもまた一緒のままだ。

 僕は思った。いくつもの帰り道が、実は数多く待っているのだ。


「代々のラジカセ」10/13

 「代々木のラジカセ」ではない。

 最初は、普通のカセットだった。そしてラジオはラジオで別で買った。

 そうそう、そのラジカセのことだ。最近は、MDCDが付いているものが多い。先日、使っているものが壊れて新しいのを手に入れた。古いラジカセは奥の部屋にしまわれた。。

 ラジカセの交代だ。思えば、こうやって代々ラジカセの交代が行われてきた。

 もう約30年近くもラジカセの旅を続けていることになる。ひとつのラジカセはだいたい3年で引退となる。使用頻度が高いせいもあるのだろう。

 ちょっと思い出してみるだけで、何台も目に浮かんで来る。そのどのラジカセも懐かしい。全部、使いすぎて壊れてしまった。そして引退をしていった。

 音楽を聴くとき、なぜかラジカセやスピーカーを見つめてしまうことは多い。新しいCDを買ってきたとき、そうやってラジカセを見つめてきた。

 代々のラジカセは、それぞれに役目を担ってきた。僕のハートに近い所にあった。そのどれも忘れられない。忘れるわけがない。

 忘れはしないけれれど、あまり思い出すことはない。

 思い出すことはあまりないけれど、忘れたりはしない。

 ラジカセはすでに、時間の中に溶けているのだろう。


「忍者とプラズマテレビ」10/10

 先日、DVDの映画ソフトを、買った。大作「ロード・オブ・ザ・リング」だ。

 この映画は気に入って、二回も劇場に観に出かけた。

 DVDは当然のことだったけれど、細長いビスタサイズだ。僕のテレビは12型なので、さすがに小さい。映画館での印象もあるので、下敷きくらいのイメージに見えてしまう。

 「ロード・オブ・ザ・リング」は、やっぱり映画館が観るのがいい・・。せめて、せめて大きな画面のプラズマテレビだったらなぁ。

 ああ、プラズマが欲しい・・・。

 悲しくなったので、12型テレビの画面に顔を近づけて見てみたけれど、どうも調子良くない。

 その昔、忍者は、障子に張り付いている虫が、巨大に見えるまで訓練したという。(ホントか?)

 僕も頑張れば、12型のテレビでも、大画面プラズマのように見えるかもしれない。

 回りから、固めてゆくか? 小さな客席を作るか? 暗くしてみるか?


「みどり亀の日々」10/6

 ふと、見ると飼ってるみどり亀が、水槽から這い出ようとしていた。

 まるで、鉄棒で体を上に起き上げるようにして、両手を水槽の端に付け自分の体を乗せようとしている。

 ものすごい頑張りだ。

 振り子の原理で、自分の体の重さで、またドボンと、水槽に落ちてしまうのだが、水槽から半分体が出ている姿は、僕をおののかせる。

 飼い始めた頃のみどり亀は、とにかく動きが早かった。常に起きている間はくるくる回っていた。水槽の中にいるのに、外の世界とのつながりが理解できないようだった。透明なプラスチックのケースの外に行けると信じているようだ。

 そんな時期が約3年ほど、さすがに最近はそれがわかったようだ。

 そして体が大きくなり、二匹の亀が強力して、外の世界に出ようとしていた。

 (下の亀はどうすんの?)

 僕はどんなに亀が、水槽の外に憧れていたかを知っている。

 (ときどきは散歩に連れてゆくかな)


「当たり外れ」10/3

 先日買った、CDプレーヤーは、使って1時間で壊れてしまった。表示がバカになった。

 最近の電化製品には不満だ。

 今、CDラジカセが壊れている。先日まで完璧だった。CD-Rのレコーダーの読みとりも変だ。先日まで完璧だった。部屋の電話が変だ。押せないボタンがときどき現れる。先日まで完璧だったのに・・。

 DATも調子悪い、テープデッキも変だ。MDウォークマンも原因不明で止まってしまう。CDウォークマンの充電が壊れている。。

 困っちゃうんだよね・・。もう壊れるのが当たり前みたいで。

 だいたいどうして壊れちゃうのか?

 当たった電化製品は、なんだかそれだけで、幸せな気分になってしまう。

 毎日使う、ウォークマンは一度も当たったことがない。

 (ずいぶん長く使ったなぁ・・)

 いつかこの言葉をウォークマンで言ってみたい。


「本屋さん探し」9/30

 本屋さんなんてすぐに見つかると思っていた。

 昨日、上野にて本屋さんを探して歩いた。アメ横の方に渡り、大通りをまず歩いて、御徒町まで行き、アメ横の中に入り、また上野に戻って来たけれど、僕の目に入る限り「本屋」さんは見えなかった。

 ・・・「ABAB」にもなかった・・。

 (いや、そんなことはないな)。そんなことはないはずだ。しかし探そうとして見つけられなかったのは事実。靴屋と服屋はあんなにあるのに。

 今「本屋」さんは、どうなっているんだろうか? ここ高円寺でも、最近、小さな本屋さんがなくなってしまった。いろんな町の通りを思い出してみる。新宿とかも探しにくいかもしれない。秋葉原は、僕だって一軒しかしらない。

 部屋の中を見回してみれば、実に本が多いことがわかる。しかし、町の商店の構成はそれとは比例していない。大きな本屋さんばかりに人が集中しているのだろう。

 ひとつの町にこれだけ本屋さんが少なくなったのなら、ぜひ駅前のどこかに案内を付けて欲しい。区役所と同じレベルだ。

 まあ、誰かにきけば、すむ話だったんですけど・・。
 


「音という生き物」9/27

 僕には不思議でしかたがない。

 ライブを聞きに出かけて、いつも思うことがある。

 動物の動きには無駄がなく、「押し」と「引き」の繰り返しで、出来ているのに、演奏という「動作」には、なぜかその感覚が、あまり生かされていないように思うのだ。

 生き物であるならば、クッションとなる「引き」の「間」があって自然なのだ。それが「生き物」としての、動作の「息」となっているはずなのに・・。

 ライブに出かけると、ときどき「押し」(OUT)のみと、思われる演奏プレイを、聞くことがある。それは、生き物としての、動作に見えないのだ。

 「音」という生き物に聞こえない。。

 「どうして音が、生き物なんだ?」

 そう、言われてしまいそうだけれど・・・・。


「こんな夢やだな」9/23

 夢にもテーマがあってもいいだろう。

 友達数人と、郊外の町まで遊びに出かけた。そこまでは良かった。

 なぜか僕は、写真を取りに帰ることになった。廊下を歩いていると、僕はパンツ姿ではないか? そんなばかな。それも下にずり落ちている姿だ。(ああ、恥ずかしい・・)

 やって来た電車にのる。なぜか超満員だ。ぎゅうぎゅう詰めなんてものじゃない。人の上に人が乗っているのだ。それも「超快速」とか言ってる。壮絶な思いをして、新宿で降りると、なぜか駅から遠い。すぐさま駅員さんがみんなを呼び止めている。

 お金が無くなったので、財布検査だと言う。みんなの財布をひっくり返し、ひとつの山へ。これでは、どれが自分のお金かわからない。。

 もういいからと、新宿駅へ歩き出すと、一緒に行こうという足の不自由なおじさんに声を掛けられた。

 これでは、いつまでたっても、先に進めないじゃないか!!

 そんな中、目が覚めてしまった。こんな夢やだな。何か昨日、夢になるような事があったか思い出してみた。

 ・・そうだ、映画「害虫」のビデオを観たのだった。


「どさんこラーメン」9/20

 北海道味噌ラーメンは独特の位置にある。

 と言っても、ラーメンを語るだけの実力もないような自分ではあるが・・・。さあ、もう一回。

 北海道味噌ラーメンは独特の位置にあり、昨今のラーメンブームの中でも、その存在感をアピールし続けている。僕も時々、ふらっと入りたいと思う。東京に来て初めて入ったラーメン屋さんも、北海道味噌ラーメンの店だった。

 先日、たまたまゆく町で、夜、ふらふらと「どさんこチェーン」の店に入った。寒かったので、味噌ラーメンが食べたいと思ったのだ。

 入ってみると、なんとも癖のある、おやじさんがやっている店で、見ようにもよくわからないメニューの紙が壁中に貼られている。その区分がたいへんに細かい。「みそコーン」「みそバタコーン」etc・・

 おやじさんは、それなりに忙しそうだ。たぶん20年以上は、ここでお店をやっているのだろう。この店の雰囲気からもわかるように、とてもラーメン独立精神に満ちた野心家というふうではなさそうだ。

 「北海道味噌ラーメン」のチェーン店のおやじさんたちは、同じような人生観があるような気がする。

 それは、まちがっているかもしれない。しかし、なんだか、同じような店内の感じになっているようだ。

 僕もまた、それを望んで店に入ってゆく。妙にこぎれいになってなくて、そこがいいのだ。そして、普通とも思えるラーメン業のおやじさん。

 「はいよ、お待ち!!」

 その言葉には、同じ立場からの優しさが感じられる。

 このラーメン業界激戦の時代でさえも、軽く乗り越えそうな、不思議な「北海道味噌ラーメン」の世界だ。


「途中の服」9/17

 僕の場合、一年中、基本的に長袖のシャツだ。

 残暑も終わった頃、着る服が微妙になる。なんともちょうどいい服がない。なぜならば、いいジャケットがないからだ。

 秋本番ともなれば、コーディロイのシャツでいい。もう少し待てば、ハーフコートのジャケットも着れる。しかし夏の終わり、秋のはじめの肌寒さの日は、ハーフコートはまだ早い。 

 「じゃー、ジャケット着ればいいじゃん」

 あることはある。しかしどうも中途半端で、着ることが出来ない。着ることが出来ないと思うので、厚手のコーデュロイの服を着てきた。しかし、それもちょっと早いかなと思える、気温22・3度の頃。

 気温が20度になれば、みんな「もう、すっかり秋だ・・」と思ってくれる。少しくらいの厚手の服も「秋だしねぇ」ということになる。そうなるのが理想だ。

 ここには、ジャケットが、数えれば10枚は出てくるだろう。しかし、ここ10年くらいは、ほとんど袖を通していない。

 かわいそうな、ジャケット。そのチャンスとなる、22・3度のときだけが勝負だなんて。(ふーっ)と、ため息をつき、また一年待つことになるなるなんて。ひどい、ひどいよ。


「幻聴電車」9/12

 誰でもがそうなのか・・?

 帰りの電車で、疲れと寝不足からウトウトとすると、みんなの話声がそのままの声で、別の話になってしまうのだ。

 これは、幻聴か妄聴か?

 半分夢うつつの状態の中、斜め前の女子校生の話声が、僕の悪口になっている。サラリーマンのみなさんの話声もみんな何か僕の事を言っている。

 (そんなはずはない。あるわけがない)

 目が開くと、女子高生もサラリーマンも普通の話に戻っている。(幻聴だ・・) そして、またウトウトっとすると、悪魔の話に早変わりする。

 ・・悪魔の話声・・。

 ほんと、怖いんですけど。


「飼ってる亀の小さな話」9/8

 飼ってる二匹のみどり亀の大きさに差が出てしまった。

 と言ってもまだ、5センチ弱くらいなものだが。。まあ、最初から少しの大きさの違いはあった。しかしこの夏、一気に差が出た。

 コレは、シッパイだった・・。

 同じようにエサをあげていたのに、なぜ差が出てしまったのか? 考えられることが、ひとつある。

 一匹がバカなのである。

 前にも書いたことがあると思うが、エサをくわえたままで、またエサをもらおうとするのだ。その結果は、亀自身「?」になってしまうのだ。

 (あれれエサ欲しいのに、このくわえているエサはどうしたらいいの?)

 ・・言語能力さえ、ないかもしれない。

 そして、口を開くと必然的に前のエサが、口から墜ちてしまう。バカだ。みごとなバカだ。

 水槽の中に浮かぶエサ。もう一匹が、それをパクリ。

 で、必然的に、大きさに差が・・・。

 ・・・・・・・・・・・・・

 それは小さな小さな話。

 みどり亀の一匹が、エサをもらおうとやってくるとき、大きなみどり亀が、もう一匹を、手で押しのけたのだ。ひっくり返る、ちょっと小さめな亀。ひっくり返る、ちょっと小さめな亀。

 それはそれは小さな話。


「大きな古時計・3」9/3

 もっと堂々と、みんな「大きな古時計」を歌おうよ。

 (そうか、照れてるんだな・・)それならば・・、

 ・・それならば、考えがある。

 世界的に「おじいさんの古時計DAY」というのを、作るというのはどうだろうか?

 その日が来たら「おじいさんの古時計」を世界中の人が歌うのだ。街じゅうで、流れている「大きな古時計」。まるで、クリスマスの日のように。。

 そうすれば、誰もが照れずに「大きな古時計」を、歌うことが出来るだろう。録音だって、名目が立つ。

 世界中のシンガーの「大きな古時計」が聞きたいな。ヴァン・モリソンとか、ポール・マッカトニーとか、ジョー・コッカーとか・・。

 僕だって、録音したい。みんなも録音しよう。そしてその日に、次々流すのだ。そして、その日は「おじいさん、おばあさん、そして古時計」を大切にする日にしたい。

 日付はずばり、6月12日だ。10月10日でも、いいな。

 さて、誰が「大きな古時計」のカバーを、続いて出すかな。


「大きな古時計・2」8/31

 先日のエッセイで「大きな古時計」を、日本のソウルシンガーが歌っていると書いた。

 たまたま歌っているんだと思ったけれど、実は新曲なのだと知った。新曲?

 そうか・・。それならそれで、ここで少し盛り上げないと、美味しいところを全部、持って行かれてしまいそうだ。

 現在のところ、そのソウルシンガーのバージョンが、いちばん新鮮な位置にあるだろう。ここは思い切って、数社から出して、(こっちもいいな・・)って、思うようにしないと、やばい。みんな急げ、急ぐんだ。

 でもなぁ・・。誰がいるかなぁ。。まず、対抗できるシンガーを見つけないと。美空ひばりとか、数多い録音の中で、「大きな古時計」を歌っていないだろうか。 江利チエミなら歌っていそうだ。

 「北島三郎、愛唱歌を歌う」のCDとかないかな。全国時計協会合唱隊とかね・・。

 「大きな古時計ファン倶楽部」とか・・。

 実力のあるシンガーに依頼しても、「ちょっと照れますね〜」と、言われてしまう可能性大だ。ならば、人ではなくて、柱時計のボンボン鐘の音を、ドレミでならべて、古時計の歌にしてしまう。とか・・。

 ここはもう思いきって、「大きな古時計」だけの、オムニバスCDを作るしかない。最初に発売された、日本のレコードとか、フランクシナトラとか(歌っているか不明)・・。

 まあ、自分で歌うのが早いのかな。


「大きな古時計」8/28

 とある日本のソウルシンガーが、「大きな古時計」を歌っているプロモーションビデオを見た。

 演奏のアレンジは、まったく普通なのだけれど、なんだか、とてもハートが伝わって来た。これは何なんだろう。歌い方が、ソウルチックだからだろうか?

「大きな古時計」を現代の歌手が、歌っているのは何度も聞いた。いつも(それなりにいいな)とは、思ったけれど、もうひとつしっくり聞こえてこなかったのだ。しかし今回は、はまっていた。なぜだ?・・

 その理由は、予測もできないが、いろんなシンガーに「大きな古時計」を歌って欲しい。そして聞いてみたい。だって、ちゃんと「歌」にできるシンガーは、そんなに多くないと思うからだ。むずかしい歌なのだ。

 松鶴家千とせは、かなりトップにゆくだろう。

 浜崎あゆみも歌いこなしそうだ。

 サンコンさんも、いい線ゆくだろう。

 ゴスペラーズは、歌い過ぎてしまうだろう。

 桑田佳祐は、おしいだろう。

 森繁久弥は、一番を二回歌うだろう。

 僕は、ひねらずに、時計の歌として歌いたい。


「フランダースの犬」8/25

 昭和44年発売の「フランダースの犬」の本がここにある。

 そこに描かれてあるイラストのフランダースの犬は、茶色でさえない犬だ。そしてネッロ(本ではそう呼ばれている) は、とても貧乏そうな少年。一般的な印象では、パトラッシュは白、ネロは愛らしい少年のイラストだった。

 (そうだよな、ストーリー的には、貧乏少年だし、しょっちゅう道に座り込んでるし・・)

 TVの影響とは、強いものだ。実際の物語ではないとしても、やっぱりある程度は、服や犬が汚れていないと、この話は、終わりに向かっていかない。

 最近、漫画で連載されている「宮本武蔵」もまた、「武蔵」とても美形な青年として描いている。残されている絵を見ても、かなり無骨な男だったように見えるのだが・・。これが現代というものなのか・・?

 服をかけるホックが、柱に付いて並んでいる。やって来たみんなは、あたりまえのように服を掛けてゆく。

 さて、主人公の服のホックは、ひとつ残っているのか、それとも全部うまっているのか、あるのに壊れているのか。

 そのどれもが話としたら不完全だ。


「クソ!! 考察 」(8/16)

 「クソ!!」はメジャーな言葉である。

 頭に来たときに、たいがいは発せられる言葉だ。

 「クソ!!」=「糞!!」=もちろん「体から出る有名な異物」である。

 漫画の吹き出しにも、よく登場する「クソ!!」

 ほとんどの日本人が、使っている、この「クソ!!」という言葉。もちろん「糞」のことだ。

 さて「クソ!!」とは、いかなる言葉の使いようなのか?

  1.(おまえなんて、最低だよ。役にもたたない。まるで糞だ!!)

  2.(俺は今、何やってんだ? まるで糞の気分だ!!)

  3.(終わった・・。ジ・エンドだ。糞だ!!)

  4.(糞!! こんな言葉でも、言わないともう、気分がやりきれないよ)

  5.(結果が、これか? まるで、糞じゃないか? )

 と、まあ、こんな感じかな。実際の発音は、、

 「クッ〜ソ〜ウ!!」だ。

 男女ともに、これだ。「糞」だ。メジャーな言葉だ。

 さて、この「糞」はもしかしたら「クサイ」からの変化か?

 ・・あっ、もうひとつ「クソ!!」の意味が見つかった。

  6.(道に落ちている、動物の「糞」を誤って、踏んでしまったとき。)

 「糞踏んじゃったよ〜っ、クソ!!」

 なんだか、これが一番、近そうだ。


「カレーの日」(8/13 )

 先日、カレーを鍋いっぱいに作った。

 だから続けてカレーである。今は夏なので、早めに食べないと、と思ってしまったのだ。

 いくらカレー好きでも、毎食2杯ずつは厳しい。でも、まだ半分残っている。

 (また次も食べないと・・)

 次の日、アルバイト中、何が食べようと思い、なぜかカレー屋に入ってしまった。注文したあとで、失敗したと気が付いた。

 (なぜだろう?・・)

 その日のカレーは、クレスチョンのカレーとなった。

 その夕方のことだ。友達が夕食に誘ってくれた。友達は、どうしてもカレーを食べたいという。店に入ってから、昼もカレーだったことを思い出した。

 (そういう日なのか?・・)

 いや、頭の中から、カレーの記憶が消えているのだ・・。

 家に帰っても、カレーが待っていた。


「チュウチュウアイスの先っぽ」(8/10)

 ここ数日、チュウチュウアイスを食べている。バイト先の冷蔵庫にあるのだ。

 細長い先の部分を、歯でちぎる。それは道での話。ちぎったビニールの先の部分が、道のどこかに飛んでしまった。

 道に物を捨てるのはあまり好きではないので、とりあえず探してみる。目をこらしてみる歩道。

 ・・この光景は、よくテレビでみたことがある。そう、コンタクトレンズを探しているシーンだ・・

 「どうしたんですか?」「ええ、ちょっとコンタクトレンズを・・」「それは大変ですね、一緒に探しましょう」そして集まってくる人。

 「どうしたんですか?」「ええ、ちょっとチュウチュウアイスの先っぽが・・」「それは大変ですね、一緒に探しましょう」とは、絶対にならないだろう。

 同じシーン、似てる物。でも、違いすぎだ。

 今日、チュウチュウアイスの先っぽを探した人は、全国でどのくらいいただろう。


「蝉の先生」8/6

 8月だというのに、杉並区高円寺北のこの場所では、まったく蝉が鳴かない。

 近くの公園を通りかかると、時々鳴いていたりするくらいだ。

 (蝉の声のない朝ここにあり)

 想い出してみれば、夏の朝には、蝉がいつも鳴いていた。

 蝉の方が早起きである。。

 蝉は働き者である。。

 蝉は時間を急いでいる。。

 蝉には、陽が昇ったら、もう一日の始まりである。。

 蝉は頑張り屋だ。。

 とか、小さな頃、ふと、思っていた。蝉こそ、人生の先生と呼ぶにふさわしい。。

 ・・人生の先生、戻ってきて下さい。


「たこの舞」8/2

 先日、朝の電車が遅れた。それはいつものことである。

 お茶の水の乗り換えでは、ホームに人がいっぱい。秋葉原ではどうなってしまうのだろう。

 地獄の秋葉原。これでもか言うほど人が乗ってくる。

 (おい、もう人が乗れないよ!!)

 それでも乗ろうとする人たちおかげで、ギュウギュウじゃないか。

 そして両国。ここは意外と朝は人が降りる。電車のみんなはいっせいの外に出る。そうでないともちろん、奥の人は降りれないのだ。

 僕の隣に、メガネの小太りのサラリーマン風のおじさんがいた。そのおじさんは、先の駅で降りるつもりだったのだろう。吊革につかっまったままで、降りようとしないのだ。

 (おーい、無理だよ!!)

 おじさんは、吊革につかまっていたけれど、口を半分あけ、クルクルと回りながら、電車の外に追い出されていた。それはまるで、たこの舞だった。

 朝から、スペクタクル映画を見られるとは、思わなかった。


「コタツの夢」(7/30)

 おとといから、富山の友達が泊まっている。

 で、その間は奥の部屋のコタツ兼テーブルの方にいつも眠ることになるのだ。

 暑くて寝苦しい夜の明け方、僕は夢を見た・・。

 そこは、どこかの都心の4・5階建てのビルの並ぶところである。例によって僕は誰かに追われていた。追われ追われて、ビルの屋上まで来てしまった。

 (もう、これでおしまいかぁ・・)

 追いつめられたとはいえ、よく見ると、幸運にも隣のビルの屋上になんとか飛び移れそうなのである。(これはラッキーだ!!)。そう思いながら僕は、隣のビルに飛び移ろうとした・・。

 隣のビルに飛び移ろうとした時、どこからか、誰かの声が僕を引き留めた。

 (そう、簡単にはいかないよ!!) 「それは、いったい?」

 全然言われた意味がわからなかったが、僕は意を決して、隣のビルの屋上へと、飛び移った。

 その時だ・・。

 なんだか異次元の中に巻き込まれてしまった。

 (うわっっっっ!!)

 それは、直感がわかったことだが、隣のビルに移るということは、隣のビルの空間にコピーされるということだったのだ。なぜコピーなのか、よくわからない。

 6階は6階、4階4階、3階は3階・・。そのコピーされている異次元の瞬間、僕自身の行き場が無くなってしまった。

 ビルからビルへのコピー。僕はその時、とても平たい、薄っぺらの場所を体を平たくして通り抜けることになった。そして無理矢理の自分の空間移動。。その恐怖・・。

 (うわっっっっ!!) そして、目が覚めた。(すげぇ、怖かった・・)

 10分くらいして、やっと気がついた。平たいコタツでの夢だった。


せつない亀」(7/26)

 小さなみどり亀を二匹飼っている。

 小さな棒状の餌を、直接指から食べさせているのだけれど、一匹が最近変だ。

 今までは、すぐに食べてから、もうひとつとというふうに食べていたのだけれど、最近、一匹がずっと餌をくわえたまま、また欲しがるのだ。

 自分が餌をくわえているので、新しい餌を新しくくわえることが出来ない。ついには、くわえていた餌をはなしてしまう。せつないじゃないか・・。

 なぜ気付いてくれないんだ。なんとなく、その理由はわかる。・・もう一匹に餌をあげている時間が我慢できないで、顔を出してしまうのだ。

 餌を前にして、口があけられなくて、どうしていいのかわからない、亀くん。想い出してごらん。ずっと、君がやってきたことを、忘れてしまったのかい?

 今少し待ってみるけれど、このままでは、餌のあげかたを変えなくてはいけない。

 ♪も〜う、無理な〜あのかぁ〜。


「安くて大きなスイカ」(7/21)

 昨日、スイカを買った。商店街の真ん中あたりの安い八百屋さんで。。

 四分の一で、380円というのだからかなり安い。そして買って帰り、食べてみたのだけれど、正直言って美味しくスイカとはいえなかった。まあ、値段から言ってもしかたがないのだけれど、あんまりだった。

 「スイカなんて、そんなにかわらないよ〜」そう、おっしゃる方々もいるだろう。。

 僕はスイカにはちょっと詳しい。その八百屋さんにスイカの産地の箱を見せてもらえば、どのくらいのレベルなのかすぐわかる。

 しかしなかなか、産地まで載せているスイカは売っていない。(1個売りならシールも張ってあるし、わかるのだが・・)「あま〜いスイカ」と書いてあるケースはある。昨日のスイカには書いてなかった。

 たしかに・・、安くて大きなスイカは、売れるかもしれない。高いスイカの方は売れないかもしれない。しかしスイカは見た目はかわらないけれど、おいしさがかなり差がでる。値段も差が出る。

 もう少し、薄くてもいいから美味しいスイカが食べたかった。これは、僕が八百屋に素人だから選べなかったのだろうか? 実は大きなスーパーに、いい銘柄のスイカが入っているのをよく見かける。町の八百屋の方が、いいスイカであって欲しいのだけれど。。

 僕は日本中のスイカを、市場で働いていた頃に、食べに食べた。食べるごとに、そのスイカの味を比べて覚えていったのだ。8月に入ると、甘いスイカの種類も出てくる。まあ、そのスイカなら、それなりに美味しいだろう。

 最近は、なんでも価格破壊になって、安くてもおかしくないような錯覚に襲われてしまうけれど、スイカだけは別だ。安いスイカに、美味しさは求められないだろう。

 美味しいスイカは実は高い。なんと言っても山形のスイカは最高だ。「尾花沢」のスイカは日本一と言われている。誰でも一度は、「尾花沢」のスイカを食べてみるべきだ。色からして美味しそうだけどね・・。

 まあ、細かいことを言ってもしたかがないので、「あま〜いスイカ」と書かれているのを信じてみようか。

 この夏はスイカ探しの夏になりそうだ。


「時間」(7/18)

 どうしよう・・。

 確か、昨夜は1時半に眠った。そして5時半前には、起きてしまうのだけれど、ついさっきまで、起きていたようだ。布団に上には、ギターと譜面。そのまま横になってしまったのだ。

 僕が今朝、悲しいのは、昨日と今日がつながっているように思えたことだ。

 これは困る・・。

 よほど疲れていたのだろう。しかし、4時間は寝てるしなぁ。これは、だんだんと自分の体内時間感覚が、短くなっているのではないか。

 昨日と今日がつながるなんて、まるで48時間、起きているようじょないか。いや、ちょっと計算がおかしい。

 そのうち、ホントにつながってしまったりして。。


「大きな声」7/15

 はじめてのことだったが、京浜東北線に乗って、終点の「大船」まで行った。

 大森を過ぎて、若者が乗ってきたのだけれど、なんだかみんな、話声が大きかった。気のせいだろうか。それとも、その日の僕の気分が、敏感だったのだろうか?

 しかし、どうして、すぐ近くにいる人に大きな声で話さなくてはいけないのだろう? だぶん学校文化の延長線上にあるからだろうとは思う。

 よく言われることだけれど、ファミリーレストランに行くと、若者たちが集まっては、教室のように騒いでいる。全然、他のお客さんのことは気になっていないようだ。

 この姿は、全国共通変わらないだろう。人間とはそういう人種であるかのようだ。いや、世界共通かもしれない。気持ちわかる・・しかし、なぜ大声で話すのだろう。それはみんなひとつの解けない魔法にかかっているようだ。

 いや、それは本当か? 年取った僕らの方が、何か魔法にかかっているのかもしれない。


「暑がりの人」(7/12)

 暑い・・。毎年、同じことを言っているが・・。昨年は、6月の末が暑かった。

 友達に暑がりの男がいる。僕はどちらかというと、暑がりではない。汗もそんなにはかかない方だ。

 その友達が、僕の部屋に来ると、扇風機の前にドカッと座り、ボタンを「強」にする。そして一言。

 「よく青木さん、我慢できるね。信じられないよ!!」

 よほど彼には暑いのだろう。・・・これは夏の話。

 冬になると、僕は厚着になる。そして彼は、いつも言う。

 「なんでそんなに着るんだよ。信じられないよ!!」

 ただ単に体温の差だろうか? 僕が新潟生まれだからだろうか?

 扇風機の「強」なんて、いつ使うんだろうと思っていた。


麦茶の気分」(7/9)

 もう、知ってるかな? 最近、サントリーから、『涼屋』というペットボトルの麦茶が出た。

 どう味がちがうのかは、よくわからないのだが、これがうまい。

 いままでにない、いくつかのアイデアがあり、はじめはびっくりした。江戸時代の柄の手ぬぐいが、巻いてあるように見えるのだ。つや消しで印刷されたプラスチックがそう思わせてしまう。それから紙をひねって作った紐が飲み口に付いていて、それも本物の細縄のように見える。

 手ぬぐいの柄というのは、今まであまり気にしなかったけれど、なかなかに大胆でいい。夏の日に飲む、麦茶と手ぬぐいの柄との関係。うまく説明できないが、そこには関連性があるに思う。

 麦茶→ジュースより安い→(この一杯は安いけれど、夏だし、これでいいんじゃないの?)

 手ぬぐいの柄→ちゃんとしたデザインより雑に見える→(まあ、手ぬぐいだしこれでいいんじゃないの?)

 そんな共通感があるように思える。考えすぎか・・。

 でも、なぜか美味しく飲めてしまう不思議。


「ある日30年」(7/6)

 いつも通っているのに、ある日突然に気がつくことがある。もちろん知っているのだけれど、あらためてそれに気がつくというものだ。それはよくある話。しかし20年とか30年たったあととなると、それは、それなりに意味があるように思える。

 最近、30年前の録音のCDを聞いている。ながい間、廃盤になっていたが、最近CD化されたのだ。サウンドは、みごとに30年前の音。本人は意識しているということではないだろう。

 当時もそこそこにヒットしたと思われるが、「誰々に似てるね」と言われて、そのまま過ぎていったにちがいない。しかし楽曲の良さからか『幻の名盤』と言われてきたのだ。

 と、考えてきてみると、今こうして、僕の耳に届くためには、あらかじめ30年の時間が用意されていたようにも思える。

 以前住んでいたアパートの部屋のガラス戸の模様を、10年間毎日、目にしていたのに、その模様に気が付いたのは、そのアパートを出る少し前だった。

 いろいろとタイマーセットされているものがある。10年、20年、30年・・。彼らはそーっと静かにそこにいてくれる。


「静かな朝」(7/3)

 ときどき柱時計が止まっていて、とても静かな朝になるときがある。

 (♪しずかだねぇ・・う〜うう・・)と、つい口ずさんでしまう。

 静かな朝と言えば、小さな頃、田舎の家に遊びに行ったときの朝だ。あのなんとも言えないヒンヤリとした感じ。にわとりの鳴き声。古い家屋の匂い。庭にある池の揺れてる水面から続く、田舎道とそこに見えているうすく煙っている山。

 ふと目覚めただけでも、そこから広がる空気を感じた。そしてすっと起きあがり、虫探しに出かける楽しみ。

 ここ東京にいて、365日、朝、目が覚めても、あの感覚は味わえないだろう。

 東京で目が覚める。そのとき、寝床から駅まで道を想像したり、ホームの空気を感じたりすることはない。と、言うか、駅の空気がこの部屋まで忍び込んでくることがないのだ。

 なぜなんだろう。窓を閉め切っているせいかな・・。

 ずっと、田舎に住んでる人は、東京では、別の目覚め方をするのかもしれない。それも面白い話だけれど。

「最近の事・過去ログ '02年・4月〜6月まで」

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