青木タカオ「ちょっくら・おん・まい・でいず」最近の事・過去ログ・'02-4月〜6月

「また弦の話」(6/29)

 新宿にギターの弦を買いに行った。600円だと思っていた、マーチンの弦は480円になっていた。そして見たこともない、スペシャルなマーチン弦が発売されていた。こちらは高い。明日はレコーディングなので、買ってもいいのだけれど、もし本当に良かったら、戻ってこれないだろう。

 ギブソンのフォーク弦は、たまたま置いていなかった。ギブソンの方は相変わらずだろう。高校生の頃、いろんな弦に挑戦したことがあった。本当なら、そうでなくてはいけないのだけれど、そこまで元気がない。ちょっと老人になったという事か・・。

 普段、部屋ではギブソンの小さなギターを使っている。ギブソンのギターは優秀で、弦が古くなっても、それなりに味が出る。古くなった弦の低音は、なかなかに良い。モコっとした感じがたまらない。部屋ギターなので、なるべく響かないほうが、ちょっと強く弾けるという面もある。

 と、変な理由をつけながら、普段はまったくギブソンのギターの弦を交換したりしない。今回も2年くらい張ったままだ。しかしいつも、素晴らしい音をくれている。古い弦と相性はいいようだ。

 しかし、ステージギターの方は、しょっしゅう弦を変えている。これでいいのか。ギターも嫉妬するかもしれない。今回、マーチンの弦を何セットか多く買ったので、ギブソンギターの弦も替えることにした。いざ替えようとすると、ギブソンギターの「今のままでもいいよ・・」という心の声が聞こえるようだ。

 たしかに、こもったギブソンの音は捨てがたい。しかし新しい弦に替えてみよう。

 新しい弦のギブソンギターは、なんだか恥ずかしいような響き。しかし、それなりに嬉しそうだった。


「今朝のドリップコーヒー」(6/26)

 今朝のたわごとを聞いて下さい。

 ドリップコーヒーを買った。300円で8パック入っている。あえて、そのメーカーの名前はふせておこう。有名な「モン・カフェ」は5パックだ。

 (おっ、3パックの差はでかいぞ!! )

 3パックの差といえど味は大丈夫だろう。その袋には「〜〜・PREMIUM」とか、書いてある。何か特別な努力をして、3パック分をがんばったにちがいない。そして私は今日の朝を待った。袋を開けてみる。カップへの乗せ方が全然わからない。書かれている説明を見てやっとわかったくらいだ。

 ・・多くのドリップコーヒーを試してきたけれど、かなりこれは難しい。なぜ、こんなに難しいドリップコーヒーを作ったのか? しかしこれが3パック増を達成できた秘訣なのかもしれない・・。

 いつもどうり普通に、ドリップしてみた。いつもどうり普通に、パソコンのそばに置いて、飲んでみた。

 (まずい・・)

 インスタントコーヒーよりまずい。嘘じゃない。いやぁ、やっぱり嘘かなぁ。僕は書いてあるとうりに入れただけだ。おかしい。こんなはずではないはずだ。袋の説明には「本格レギュラーコーヒーが、簡単にドリップできます」「おいしい飲み方」とも書かれている。

 僕は、このドリップコーヒーをちゃんと美味しく入れられる人に会いたい。それとも「モン・カフェ」マジックにはまってしまっているのか。

 「まぁ、8パックで300円ですから・・」

 そんな言葉は聞きたくない。僕がききたいのは、どうして美味しく入れられないのかということだ。ただ単に、僕の入れ方が良くないのかもしれない。しかしコンビニに行って、僕と同じように、このメーカーのドリップコーヒーを買ってしまう人は多いだろう。

 (おっ、3パック差はでかいぞ!!) また、その声が聞こえてくる。


「不思議のポケット」(6/23)

 バイトではいている作業ズボンの後ろポケットが変だ。

 それは、特別安そうなズボンではない。どちらかといえば、高い方に入るだろう。だが。そのポケットが。。

 必ずしばらくすると、穴が空いてしまう。ポケットに穴が空くというのは、大変に困る。基本的に、これ以上に困る出来事はないだろう。大切なものが、落ちてしまうなんて・・。

 穴の空いた ポケットは大変に危険だ。それは、一日でも半日でも危険だ。それならば、思い切ってとってしまった方がいい。

 と言うわけで、僕はすぐに作業ズボンのポケットを取ってしまう。右。そして財布は、左へ。二三日もしないうちに、左のポケットがとれて来てしまう・・。

 いったい何度、ポケットを取っただろう。10回どころではない。そのメーカーの作業ズボン全部だ。先日、気が付いてみれば、財布が半分、ポケットから落ちかけていた。ラッキーだった。こんなことがあっていいのか!!

 完全な欠陥ポケットだ。だいたいこれではポケットの意味がない・・。

 ポケットの意味のないポケット。。これほどの不思議はないだろう。


「古い電気屋さん」(6/16)

 その電気屋さんは古い。どうやって生計を立てているのかはわからないけれど、そのショーウインドには 、古いラジカセが置いてある。

 それは10年前の話だ。そのときもそのラジカセは置いてあった。(あはぁ、売れ残ってらぁ・・)と、思ったものだ。しかしあれから10年、そのラジカセは今ではノスタルジックで、欲しくなる要素がいっぱいだ。

 知っているのか、知っていないのか。

 いや、ここでひとつ考え方を変えてみよう。そのラジカセは、1974年くらいの製品だ。そのラジカセから僕は、いろんな音楽を感動的に聞いた。そのイメージが強く僕の中に残っているのではないか。

 でも確かに、昔のラジカセには味がある。なんともいえないシルバーの色がゴージャスだ。そのショーウインドーから、ラジカセが売れる日はきっとやってくるだろう。

 案外、自分が買ったりして・・。


「インスピレーションの不思議」(6/16)

 僕の中の七不思議がある。

 それは、世にこんなに歌や本や創作ものがあふれているのに、自分のための歌のヒントは、なかなかやって来ないということだ。こんなに不思議なことはない。次々に歌は出来そうな気がするのに・・。

 いろいろと調子の悪い日がある。時間やお金を無駄に使ってしまうときがある。(サイテー)とか、思いながら、ふて寝をしてしまうときもある。そんなとき、ふと新曲のアイデアが浮かぶときがある。それはそれでとても嬉しい。

 新曲がいつやって来るかは、自分ではわからない。新曲のアイデアにも、いろいろあって、いい作品になると確信できるときもある。そうでないものもある。最初のインスピレーションが大事だ。

 インスピレーションが来る。こんな幸せなことはない。人生を感じてしまう。その新曲が自分にどれだけ多くのものをくれるか知っている。損をしてても、何事にも代えられない。

 でも、なかなか思うように、やって来てくれないのが、僕の中の七不思議たるゆえんだ。


「自販機の前で」(6/13)

 先日、自販機で、ジュースを買おうとボタンをボタンを押したら、下の受け取り口に違うジュースが出てきた。

 「なんだよ、これ!!」そう言って、コーラではなくて、お茶のペットボトルを仕方なく手に取った。

  (入れまちがえてるんだよなぁ・・)そう言って、お茶のペットボトルを持って歩き出してみる。

  (今年もう、二回目だよ!!) そう言ってみたものの、(もしかしたら・・)と、ふと気付いた。

  自販機に戻って、よーく見たら、取り出し口にコーラのペットボトルが出て来ているではないか。

  (そうか・・)。僕は、はじめてこんなシンプルなことに気付いた。ホント、感情に流されるとはこのことだ。


「ニッキ飴」(6/10)

 二ヶ月に一度その家に寄ると、おばあさんがいつもお菓子をくれる。それもニッキ飴だ。

 「あ、どうも・・」と、いつも答えるのだけれど、内心は(またニッキ飴かぁ)と、思ってしまう。ニッキ飴は独特だ。だいたいニッキというものを僕はよく理解していないのだけれど、あの独特の苦さに関係あるのだろう。

 ニッキ飴と言えばニッキ水だろう。しかしニッキ水は飲んだことがない。大正時代の詩の中に、街でニッキ水を飲んだと書かれているので、その頃は、夏のソフトドリンクだったのだろう。

 現在の子供たちは、ニッキ飴を「美味しくないなぁ」と表現しそうだ。この先ニッキに未来はあるのか。しかしニッキには、何かあるとわかる。

 ニッキ飴をなめていると、どんどん文明が戻ってゆく。どんどん戻っていって、駄菓子屋の店先に到着する。ポケットに50円しかなかった頃だ。必要なものは少ないとわかる。


「10円足りない話」(6/7)

 ときどき財布の中に、お金がない日がある。昨日もそうだ。特に理由があるわけではなく、ただお金を下ろし忘れているだけだ。

 (まあ、いいか・・) だいがいは、そう思ってしまい、朝定とか食べて、あとはジュースを一本・・。そして帰り道、ポケットの小銭を見つけて、ジュースを買おうと自販機の前に立って、コインを入れてゆくと・・。

 10円足りない。それは90円の苦しみ。いつもそうだ。カバンにもポケットにもない。ああ、ジュースが飲みたい。しかし、なぜ10円足りないのか、そこに人生を感じてしまう。

 10円足りない法則というものがあるのだろう。ちょうどピッタリというのは、偶然すぎる。

 結局、ジュースを買えないままで、帰りの電車に乗る。その残った90円はいつか僕を助けてくれるだろうか。

 全世界がある。僕は10円足りない。


「電車の中の外人さん」(6/4)

 ワールドカップが始まって、電車の中は、さすがに外人さんが多い。

 先日の夜の、新宿駅のホームは、にぎやかだった。もちろんサッカー観戦帰りだろう。それも、まとまっているので、とてもリラックスして話していた。

 電車の中で出会う外人さんたちも、普通の観光に来ている人とは確実にちがう。それはちょっとしたことだけれど、なんだか違う。まるで、僕らの方が、向こうの国の電車に乗っているような錯覚を起こしてしまう。

 リラックスしている外人さんたちを見ているのは、とても勉強になる。嬉しさの表現がそれぞれに違う。サッカーのサポーターたちだろうから、ちょっと僕もそれぞれの国の色くらいはわかるようにしたいな。

 電車の中、なにげなく吊革につかまっている姿もまた、味があっていい。


「始まりの予感」(6/1)

 最近、とてもいい天気だ。雨も降らなくて、これからやって来る梅雨の季節の予感がする。

 予感・・。少しムシムシするこの気候の中、僕は何かを始めようとしている。やっとまとまってきた、新しい音を作ってみようと思っている。部屋もシンプルにしておこうと思っている。

 今日でもう何日間、雨が降っていないのだろう。今、空の上を、飛行機が飛んでいった音がした。飛行機? ヘリコプターか? 

 このなんともいえない、手のひらが、ほてっているような気分は、きっと僕だけではないだろう。かかっていてるCDラジカセも、陽に当たっているサッシ戸もきっと同じだろう。いや、サッシ戸だけではない、この空もまた、同じ気分にちがいない。

 何かはじめようとしているにちがいない。


「風呂屋の体重計」(5/29)

 最近、少し太ってぃる気がして、やせたいと思っていた。

 近くにある風呂屋に行くたびに、体重計に乗ってみるのだけれど、いっこうに体重が減るようすがない。自分では、いつもどうりに生活しているので、どうやせていいのかわからない。しかし体重は多い。。

 たまたま少し離れた風呂屋まで出かけたとき、体重計に乗ってみたら、いつもより2キロほど少ないのだ。

 (やせたじゃ〜ん) と、嬉しくなっみたものの、そんなに突然にやせるのもおかしい。また次の日、いつもの風呂屋で計ってみると、昨日よりも2キロも多い。これは変だ・・。

 どちらが正しいのかは、わからない。よく、考えてみると、今の自分が太っているとも思えなくなってきてしまった。僕はほとんど、小食だ。これ以上、食事をしないというのもせつない。

 真実は、もう一軒の風呂屋で決まるだろう。


「長かった冬」(5/26) 

 もうずっと冬だったような気がする。

 夏日もチラホラあり、ようやく暖かい日もあるのだけれど、僕の中では、まだ寒いままだ。こんなに長かった冬もない。

 理由のひとつは、あったかいコートを買ったことがある。いつもは薄いコートを寒そうに来ていたのだけれど、今回の冬はフード付きのフカフカなコートを買って、ポケットに手を入れながら街を歩いていた。それはなかなか楽しいものだった。

 いつもなら、ふるえながら街に出かけていたのに、この冬は、コートに身を包んで外に出かけるのが嬉しかった。そしてポケットには、携帯CD再生マシン・・。

 数年前のことだけれど、夏が長かった年があった。その時は、春先くらいから10月頃まで暑かったのだ。だが今年の冬は、そんなに寒かったわけでもない。来年の冬もまた、長そうだ。。


「朝の電車で」(5/23)

 こういうのって、アリか?

 朝の総武線の電車は、それなりに混んでいて、座席の前のつり革にも、ずらりと人が立っていた。

 アナウンスと共に扉が開いたとき、ひとりの髪の長い女性が、隣のシートの方からやって来て、「すいません、すいません」と言いながら、窓際のつり革を使っている人の前を通ろうとしていた。僕らは何ごとかと思って、彼女を通してあげると、空いている席にスッと座ったのだ。

 普通だったら、席が空いたら後ろから回るだろう。つり革に掴まっている人の前を通ってゆくのは、相当無理がある。その空いてる席の前にいたおじさんも、彼女の気迫に押され、前を通してあげようとして、座られてしまった。

 狐につままれたような、表情をしているそのおじさんの前で、彼女は1秒と間をあけずに、コミックを読み出した。早い。信じられないほど早い。目の前のおじさんのことは見ずに、まるきり知らん顔だ。総武線には、ずいぶん長いこと乗っているけれど、前から回って、席を取った人を初めて見た。

 (あんまりだなぁ・・)とか思って、見ていると、おじさんは、ひと言何か彼女に言って、隣のシートの方へ移動して行った。そして、ゲーム攻略本を立ちながら読んでいた。

 おじさんの気持ちはわかる。朝は、気持ちよくいきたい。


「電光天気予報」(5/20)

 高円寺の改札を出ると、左側に明日の天気が、電光掲示板に出ている。

 その表示の仕方は、「明日の天気」→「晴れ(マーク)」→「ときどき」→「雨(マーク)」と、期待させるような、裏切るような表示の仕方だ。雨の一日の場合は、「明日の天気」→「雨(マーク)」→「明日の天気」と、最高にがっかりさせてくれる。

 バイトで疲れて帰って来て、改札を抜けると見えてくる、電光掲示板の雨マーク。ちょっと待ってみるけれど、「ときどき」のマークは出ない。ものすごくがっかりして、改札口近くで、僕は崩れそうになってしまう。

 しかし、その電光掲示板の外れる可能性は高い。ぜひ「雨」のときは、「でも、外れるかも・・」と表示して欲しい。


「ポケットのメロディー」(5/17)

 いつもポケットには、録音できるICレコーダーが入っている。言葉もそうだが、ときには、ギターの音とかもいれてある。大変に便利で気に入っている。ただ。ひとつだけ困ることがある。それは、ロックし忘れてしまうと、勝手にボタンが押されて、ポケットの中で鳴ってしまうのだ。これは恥ずかしい。。

 先日の朝、喫茶店に用があり入った。まだお客さんはまばらで、のんびりとモーニングを食べている。ママさんと僕が話しているときだ。なんだか腰のあたりから、音楽が聞こえてきたのだ。まずった。ポケットのICレコーダーが鳴ってしまったのだ。

 あせってもどうにもならない。そのうち止まると信じてみるけれど、なかなか止まらない。しかしよくそのメロディーを聴いてみると、なんと「笑点」のテーマではないか。これは違う。♪タンタカ・タカタカ・ンッタタ・キュ〜

 「はい、もしもし。あっ、切れちゃったよ」

 モーニングを食べてるのそのオヤジさんは、きっとママさんに、携帯メロディーの「笑点」を聞かせたかったのだろう。困るなぁ。近くのICレコーダーをポケットに持ってる人がいるかもしれないじゃないか。


「傾いた家」(5/12)

 その家は左右が駐車場の場所にあった。通りかかったとき、壁が傾いているように見えて、(あれ、目の錯覚かな?) と思ったけれど、本当だった。二階建てのモルタル造りのちょっと大きなその家は、大変なことになっていた。

 そこは印刷会社であり、人も住んでいる。サッシから明かりも見えているけれど、そのサッシの回りの壁が、隙間ができてしまっていた。壁だけではない、屋根を見るとへこんでしまっていて、小さなVの字になっているではないか。家の壁は、みんなはがれてしまって、裸の状態だ。サッシというサッシはみな傾いて、閉まらない様子だ。

 あの家はどうなるのだろう。家全体がもう傾いているのだ。家の中はどうなっているのだろう。

 僕は用があり、その家の右横にある、小さなブロックを外さなければならなかった。そのブロックは壁の中に挟まれていた。外すとき、本当に怖かった。。僕の人生がかかっていた。


「実家のギター」(5/9)

 一年ぶりに実家に帰って、一年ぶりに実家のギターを弾いた。いつも弾くのは、ヤマハの6万円のギターと、ギブソンモデルの3万円の二本。

 ずっと、ずっとヤマハのギターを弾いてて、それで満足だったのだけれど、20年以上たって、ギブソンモデルのギターが、なんとも味わい深い音になっていることに気付いた。今回の実家帰りでは、そのギブソンモデルの方を主に弾いていた。

 すると、高校時代、悲しみも嬉しさも一緒にしてきた、ヤマハのギターが、うまく鳴ってくれないのだ。と、言うか、良い音に聞こえなくなってしまった。あんなに会いたかったヤマハのギターなのに。

 ギターの音って、微妙なんだと知った。


「柏崎の映画館」(5/6)

 実家(柏崎)に帰って、久しぶりに映画を観た。前回来たときも観たのだけれど、とてもすいてて気持ちがいい。

 受付の人も映画館のスタッフも、みんな柏崎の人なので、なんだかプレゼントでももらってるような気分だ。今回観たのは「ロード・オブ・ザ・リング」この映画だけは、ぜったい映画観で観ようと決めてて、やっと実現できた。

 今までもいろんな映画を観てきたけれど、僕なりに楽しんで観られた。やはり同じ長編の、映画「タイタニック」を多少意識したシーンもあり、それがとても映画の中で、いい味になっていた。

 スペクタクルのシーンはやっぱり映画館で観て良かった。もう一回観にゆこうと思う。映画館を出ると誰もいない夜の商店街。なんだか自分も姿も透明になったような錯覚を起こした。


「草大福」(5/3)

 一軒の和菓子屋さんに、たまたま用事で入った。するとそこには、作ったばかりと思われる「草大福」が、並んでいた。

 そこのおやじさんは、とても人がいい。人が良くて頑固だ。それはよく知っていた。そして並んでいた「草大福」は、普通の形ではなく、真ん中がふくらみ端が平たい。まるで丸いギョーザのよう・・。

 今日は「草大福」の日なのだろう。それは (はい、今作りましたよ)と、言っているかのようだった。くやしいくらいに食べたかった。自信に満ちた店の奥のおやじの顔が目に浮かぶ。

 すっかり一本とられてしまった。


「近くのラーメン屋」(4/28)

 近くのラーメン屋はちよっと有名だ。一見恐そうなオヤジが、店をやっていて、なかなか入りずらい雰囲気もある。

 しかし、このオヤジ、ホント注文の忘れが多い。何回か、通っているのだが、毎回そうだ。そしてお金を払うときは、「何食べたっけ?」ときくのだ。

 昨日もまた「煮玉子」って、言ったのにすっかり忘れられてしまった。照れながら持ってくるオヤジ。そして帰り際に、そのオヤジは言う。

 「忘れ物に気をつけて!!」

 極上のスープ。極上の麺。極上のジョーク(?)ってところかな。


「ブルドック」(4/25)

 待ち合わせで、改札口にいたら、おばさんがオシャレなブルドックを連れて来た。白と薄茶の混じったブルドックだ。おばさんの手袋には、BULL-DOGと書かれていたのでまちがいないだろう。誰かの帰りを待っているのだろう、ずっと改札の方を見ていた。

 (おっ、カワイイナ・・) そう思いながら、僕がすぐそばに立っていると、女性二人組がやって来て「カッワイイー」と声を出して、そばに来た。するとブルちゃんは嬉しそうに、しっぽを振ってじゃれているではないか。女性が行ってしまうと、また改札口を見ている。

 あぁぁあ。僕のことは見向きもしない・・。30センチくらいそばに行ってるのになぁ。


「トゥナイト2」(4/22)

 テレビ朝日の「トゥナイト2」が終了して、もうひと月くらいたった。

 東京に来た頃は「23時ショー」と、言う名前でやってて、「11PM」に比べて、けっこうローカルな話題もやっていた。ある夜、最近のライブハウスシーンの紹介という事で、「 RC サクセション」「シャネルズ」「アナーキー」「友川かずき」と出演した。確か「シャネルズ」「アナーキー」もデビュー前の話('79年)で、今でも、語りぐさになっているはずだ。「アナーキー」のボーカルは、歌の終わりに、マイクを放り投げた。友川かずきはとりつかれているように唄った。

 まあ、その話は置いておいて、その流れを次いだ「トゥナイト」は、実にさまざまな人たちを登場させてくれた。あのなんともいえない夜の時間の流れ方がいい。とりあえず「トゥナイト」がテレビで付いていると、安心していたものだった。

 しかし、もうそんな、ちょっとアングラ的な番組はなくなってしまい、なんだかテレビがつまらなくなった。大きなものを無くしてしまった気がする。もう深夜の番組は、ほとんどお笑いじゃないか。「トゥナイト2」は転校していった、生徒のようだ。


「おみやげのインスタントコーヒー」(4/19)

 あれは数ヶ月前、下町の奥さんが「ちょっと待っててね」と言って、僕におみやげとして、インスタントコーヒーを二瓶くれた。「あ、どうもう!!」そう言ってもらったものの、それは缶コーヒーと同じ名前のインスタントコーヒーだった。その家は、大きな家なので、その缶コーヒー銘柄のコーヒーは誰も飲まないのだろう。きっともらいものだったにちがいない・・。

 さて、僕も基本的にはインスタントコーヒー派なのだが、もうこの15年くらいは「ゴールド・ブレンド」ばかり買っている。その味に慣れてしまっているので、僕もまたもらったインスタントコーヒーを飲めないでいた。しかし最近、生活が苦しくなってきて、そのもらった缶コーヒー銘柄のインスタントコーヒーを飲み始めた。そして二ヶ月・・。

 慣れるとは恐いものだ。(ああ!! 美味しい!!)とは思わないまでも、朝とか、(美味しい!!) と思えるようになってしまった。しかし、しかしだ!! なんと、このひと月くらい、自動販売機の缶コーヒーが、(意外と美味しいなぁ)とか、ふと、思えてしまうのだ。今までは、そう思えなかったのに・・。これはきっと缶コーヒー銘柄インスタントコーヒー飲み続け効果だろう。まさか、こんな効果があるとは知らなかった。


「木のまま亭」(4/15)

 ここに引越して来て、もう5年になる。台所、みんな部屋、そして自分部屋の三つに分かれているが、「みんな部屋」の方は、引越してからすぐに完成して、とても気に入ったのでポスターも配置もこのままにしょうと「木のまま亭」(このままてい)と名付けた。その日以来、名前どうり「このまま」だ。こんなことは珍しい。この先も「木のまま亭」 なんだろうなぁ・・


「シューズの穴」(4/12)

 先日、久し振りにアルバイト中に、雨となった。外歩きのため、シューズが雨で沁みてくる。(ああ、沁みてきたなぁ・・) そして、ふとシューズを見ると、なんとカカトがすり切れ過ぎて、穴になっていた。こんなにひとつのシューズをはいたのは、初めてだ。そういえば、ここ最近ずっとバイト中、雨にならなかったのだ。今月も先月もその前の月も、ほとんど雨にならなかった。シューズをよく見れば、横が3センチほど切れていた。本当は、(まだ大丈夫かなと)と思っていたのだ。

 こんなに雨が降らなかったのも、たまたまならば、こんなにシューズをはけたのも、そうそうないことだろう。


「バリ島の音楽」(4/6)

 友達より、いくつかバリ島の音源をもらった。ガムランあり、弦楽器あり、しかし何度聞いても、同じ音楽に聞こえてしまう。現地の人たちは、これをすぐに聞き分けられているのだろうか? それとも、わからないのだろうか? まず、それを知りたい。バリ島の音楽って、でも回りがあって、音楽ありという感じだなぁ。

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