青木タカオ「ちょっくら・おん・まい・でいず」

「最近の事」過去ログ'10.4月〜'10.7月

「オニヤンマ」'10.7/30

 バスに乗って、小さい頃によく行った田舎に行った。

 現在では舗装された道になっていたが、僕が行った頃は普通の土道であった。

 そこを歩くと、向こうからオニヤンマギンヤンマと飛んで来たのだった。

 その道の片側は山になっているので、トンボにとっても通り道になっていたのであろう。

 オニヤンマとは、よくそこで出会った。

 もちろんそこだけではない。住んでいた町でも、オナヤンマはよく見かけた。

 夏の象徴は、もちろん蝉ではあるけれど、僕にとってはオニヤンマがその次くらいに来ていた。

 オニヤンマは、道の向こう、正面からやって来る。目と同じ高さで。

 会えたら、もちろん、追いかけるんですよ。

 あの10センチくらいある、でかいオニヤンマを。

 それが夏でしょ。

 さて、そのオニヤンマを、僕は東京に来てから見ていないな。

 だから30年ね。

 今も田舎では、オニヤンマが飛んでいるか。

 子供らは、夏の道で出会っているか。


「誰もいない景色」'10.7/28

 実家に帰ってきて、夜に外に出ると、道には誰もいなく、電灯が並びついていた。

 田舎町ではあるけども家は続いていて、ひっそりとしているのは、静かさを増して感じられる。

 電灯がひとつひとつ、もわっとひろがっていてね。夜空の色も深い紫のよう。

 振り返ると、銀色のような薄い雲に満月がそこにあった。

 きらきらというより黄色に近くて、まるで美味しいお菓子のよう。

 なんとも隙間のある優雅な景色であった。

 なんとかランドのように、アトラクションもまるでないが、

 こちらは絵本の世界のよう。なにしろ誰もいなくてね。

 写真に撮ろうと思ったが、うまくは撮れないであろう。


「電車の向こうの電車」'10.7/26

 電車のドア付近に立っていると、向こうのホームが見える。

 そこにもまた電車がやって来て、多くの人が乗り降りしている。

 その風景。たぶん僕が東京にやって来て、これが都心だと感じた風景。

 30年たっても、それはまるで変わっていない。

 ぼんやりと風景もあり、ぼんやりと自分もいる。

 その風景のこちらの電車に今は乗っているけれど、さてそれはいつまで続くことやら。

 僕だっていつの日か、この風景から、ふっと消えてしまうのだ。

 そう思うと、心の底から、じわじわと湧いてくるものがある。

 やりたいことをしっかりやっておかなくてはということ。

 そんなことを思い出させてくれる、この風景。

 あわただしくて、ぼんやりとして、、。

 都心に生活をしていて、そんなふうに思える風景は、なかなかない。

 と、いうか、今はこれしか思い浮かばない。

 しかし全国は広い。日々の生活の中で電車に乗らない人も多いであろう。

 その日常の中、「電車の向こうの電車」のよう感覚になる場面もあるだろう。

 それはどんな場面であろう。そんな話をいつか聞いてみたい。


「歌も失速する。」'10.7/24

 そして復活もする。

 歌を作ったばかりのときは、思い入れもあり、かなり力強く歌ってしまうものだ。

 だからライブのときは、なるべく落ち着いて歌う。そのくらいでちょうどいい。

 しばらくして、またライブで歌うと、いつもどおりに歌っているのに、

 なんだか、歌が失速しているじゃないかと、歌いながら気付いてしまう。

 それはもうしょうがない。それは通らねばならない道。

 そしたら一度しばらく歌を置いておいて、また自然に歌う日を待つ。

 ちょっと忘れることは大事だ。歌詞もメロディーも。

 雨のあとにキノコがはえてくるように、言葉のキノコもそっとはえてくる。

 これが大事。そしたらもう大丈夫だ。

 あとは自然にまかせておけばいい。

 土が出来たのだ。


「田舎のバス路線」'10.7/22

 ほんと小さい頃から、母の実家へはバスで一緒に向かった。

 駅から1時間くらいバスに乗ったかな。

 いくつもいくつもバス停があり、やがては到着する。

 最後に乗ってから、もう38年くらいたった。

 しかし昨日、なぜか、そのバス停の名前をいくつも思い出した。

 38年ぶりくらいに。

 小さい頃の記憶って、すごいな。

 今度、実家に帰ったら、そのバスに乗ってみようと思う。

 バス停の名前を記憶で辿りながら。

 母の実家のバス停で降りてみようと思う。

 あの山道は今もあるだろうか。。


「四ページでいいから」'10.7/20

 今年も本格的に夏になった。

 いつも思うことだけれど、暑くなると冬の頃のことが遠くなってしまう。

 冬の頃には、夏の日が遠く感じられる。

 毎年が、そんな繰り返し。

 「今年の夏はほんと暑かったねー」と、憶えていても、

 数年たてば、その記憶もいつのことだったか忘れてしまう。

 それでこんなことを考えてみた。

 一年を季節季節の4ページにして、その季節にあったことを書いておけば、

 一年にあったことは、しっかりと記憶にとどめられるのではないかな。

 「今年の夏はほんと暑かった・・」とかね。他、いろいろ。

 一年4ページでいいから。

 今からでも作ってみるかな。


「音が出て来ました」'10.7/18

 先日、観たライブで、ビオラ弾きの人がこんなことを言った。

 「部屋にいると、音が出てきまして、、」

 僕のイメージでは、それは古そうな部屋での出来事のように思えました。

 それで一曲出来たとのことだったが。。

 音が出てきた、とは、、。どんな感触なのであろう。

 まるでおばけさんでも出てくるようなイメージであろうか。

 もしそうだったら、音も人のようなものかもしれないな。

 僕はそんなふうに音を意識したことはないけれど、

 そんなふうに感じてみたいものだ。

 部屋にいると、ふわっと音が現れる。お客さんのように。

 メロディーで出来ている、その体はどうなっているのであろう。


「最初の携帯電話」'10.7/16

 今使っている携帯電話は二台目である。

 一台目は雨に濡れて、画面さえも出なくなってしまった。

 二年半ほど使っていたかな。

 今の携帯もそれなりに良いのだけれど、僕が思うのは、

 一台目の携帯は、いろんな表示が、実にそれなりだったこと。

 メールが届くとき、メールを送るとき、そして呼び出しのときの表示も、

 とてもセンスが良かった。特に液晶画面の絵柄が。

 メールを送るとき、ワンちゃんが運んでくれるし、

 メールが届くのも、ワンちゃんが届けてくれる。

 他、もろもろ。

 たぶん、、。

 最初の携帯のいろんな表示は、僕だけじゃなく、みんな、

 実にそれなりだったと感じているじゃないだろうか。

 最初の嬉しさや、感情とつながっているので。

 実感があったんだろうね。


「創作中に文字がちゃんと書けるか」'10.7/14

 ベートーヴェンの直筆の楽譜のことが話題ののぼった。

 第九の楽譜。あれ、なぐり書いたように、すごいんだよね。

 それを汚いと言うか、流れるようだと言うかは、見る人それぞれ見解だろう。

 僕も新しい歌の歌詞を歌いながら作っているときのノートはほんと文字が汚い。

 自分でも読めないほどだ。

 ほんとに集中して歌を創作していると、文字がしっかり書けなくなってしまうんだよね。

 カクッカクッとした文字がまるで書けなくなる。

 なぐり書きになる。

 それって、ベートーヴェンと似てないか。

 たぶん、ベートーヴェンの場合は書く譜面が多すぎて、時間をかけていられなかったのであろう。。

 しかし僕は、ベートヴェンが創作に集中しすぎて、きちんと書けなかったと思いたい。

 それほどテンションが高かったと。

 創作中、きれいな文字のかける人は、テンションの次元がちがうのかもしれないが。。


「ウイスキー、芋焼酎、梅酒、そして」'10.7/12

 バーに行くと、壁にはいろんな銘柄のアルコールが並んでいる。

 飲み助たちは、その中のひとつを選ぶ。

 粋なマスターが、すっとそのボトルを手にする。

 まるでかけ馴れたロックのアルバムのように。

 そうか、ロッカーやブルースマンにとっての憧れは、あのボトルのひとつになることかもしれないな。

 それもどの店にも置いてある定番の一本。バーに愛される定番の一枚。

 ウイスキーやスコッチ、ラムにテキーラ。種類もいろいろ。

 友達はきっと、あのアルコールの定番のボトルになりたいのだな。

 あいつならきっと、地方の祭りに並ぶ、芋焼酎かな。

 あの人は、家で作られる梅酒かな。

 そして僕なら何だろう。何になりたいのかな。

 レモンスカッシュか。

 訳してレスカ。

 まあ未定でいこう。

 バーに行くと、壁にはいろんな銘柄のアルコールが並んでいる。


「シンガーたちの横顔」'10.7/10

 歌の創作についてのエッセイを書こうかなと、ふと思った。

 そうなふうに思うなんて、僕はなにさまなんだとも思う。

 歌を作る人は果てなく多いというのに。

 中学時代、弾き語りシンガーにとても憧れた。音楽雑誌にもよく載っていたシンガーたち。

 なんと言っても、そのシンガーたちの横顔の写真のカッコヨカッタこと。

 それは、歌い人の象徴のようであった。

 素晴らしい作品を作るみんなの、そんなカッコ良さのある歌う横顔。

 憧れたなぁ。何か想像を超えた創作者の誇りのようなものを感じさせてくれた。

 あの人もあの人もあの人も。。

 偉大なる歴史本の表紙を見るような、そんな想いがあった。

 それぞれの憧れのシンガーたちの横顔が、いつも心にあった頃。

 僕はきっと池を自由に泳ぐカエルのようだった。

 上京して、実際の人に会ったり、めまぐるしい日々が続いて、

 30年くらい続いて、そんな横顔もすっかり遠くなった。

 遠くなったというか、思い出し忘れた。

 それで本当に良かった。30年も思い出し忘れたおかげで、

 いつだって、ほら、なんにもない。だれもいない。


「歌詞のない国歌」'10.7/8

 サッカーのワールドカップを観ている。

 試合前には「国歌」が流れるのだが、

 スペインは「歌詞のない国歌」であることがわかった。

 選手たちは聞いているようにも思えたが、こころで歌っているようにも見えた。

 自分たちの国歌。ながいながい間には、自分の歌詞というものが出来るだろう。

 そういうのっていいな。

 理想じゃないか。

 そして歌ったっていい。


「記憶のない眠り」'10.7/6

 確かに目をつぶったまでは憶えているのだが、

 それ以降の記憶がまったくない。そんな眠り。

 僕はどんな状態で眠っているのか。

 きっといびきをかいていたにちがいない。

 5時間ほどたって、目が覚めてみるけれど、

 ついさっき眠ったようである。

 5時間も眠ったという実感がまったくない。

 眠った時間を感じる感覚にも反応しなかったようだ。

 それ以上に、あと10時間くらい眠れそうだ。

 途中で起きたか。

 強力に疲れていたのであろう。


「弦とバナナの関係」'10.7/4

 ギターの弦を交換したばかりの時は、

 どこか張りが強く感じられる。

 そして、数ヶ月もすると、こころなしか弦の張りもやわらかくなるように感じる。

 きっと、少しだけ弦が伸びるのだろうと思うが、ほんとうのところは不明。

 僕はいつもライトゲージを使っている。それはアタックがちょうどいいからだ。

 そして、数ヶ月張ったあとの弦は、少しだけそのアタックがゆるむ。

 それは微妙にふわっとしてて、音の反応のほんのわずかだが、遅れるようにも思う。

 (実際はそんなことはないだろうけど、、)

 弾いている僕の感覚によるものだろう。

 その弦をばじいたときのふわっと感は、なんとも言えず豊かな響きを出す。

 まるで、熟したバナナのような、、そんな柔らかさと甘さがある。

 弦も熟すのかな。

 この時期を過ぎると、、きっと。


「サッカー部の友達」'10.7/2

 今、サッカーのワールドカップをやっている。

 中学のとき、仲の良かった友達がサッカー部に入っていた。

 僕は卓球部。

 教室の席も近くて、友達は僕に、どんなにかサッカーが素晴らしいかを言っていた。

 友達は陽にも焼けて、僕よりカッコ良く、女子にももてた。

 友達は、サッカーがどんなに素晴らしいを、僕に毎日言っていた。

 サッカーでは、試合が終わったあと、対戦相手と抱き合うのだよと。

 そこがいいんだよと、何度も言った。

 卓球も、握手はするけどね。抱き合うというほどではない。

 友達は、ますますカッコ良くなっていった。

 会うたびにサッカーの素晴らしさを僕に語った。

 あれから36年。友達は今もカッコいいだろう。

 ワールドカップに熱中しているかな。


「録音・録画技術が家庭になかった頃」'10.6/30

 今、サッカーのワールドカップをやっているが、

 録画機能をうまく使えば、試合結果を知らずにそこを再現することは出来る。

 せっかくこれから試合の録画を観ようというのに、結果を知っては楽しみ半減だ。

 しかし、考えてみると、こんな録音・録画機能が自宅になかった頃のみんなは、

 試合結果を知らないままで、その内容を再現することは、ほぼなかったであろう。

 誰かに聞いたって、どっちが勝ったとまず伝えたあとで、試合内容を話すであろう。

 すべての新聞も、みだしに結果を大きく載せてしまうので、録画のような楽しみ方はまずできない。

 誰に聞いてもだめだし、新聞を見てもだめだし、ラジオでも、だめだろう。

 みーんな、結果をまず伝えてしまう。

 当たり前であるかのように。

 結果をみだしに書かない新聞があったっていいんだよね。

 ひとつの小説のように。

 人に尋ねられたら、まず「結果を聞く? 聞かない?」って、言ってもいいんだよね。

 録画されたビデオは、けっして結果から伝えない。

 知っているけれど。


 

「時間の止まった喫茶店」'10.6/28

 もう何十年もそこでやっている音楽喫茶。

 路地から奥まったところにひっそりとしてあり、

 ここを知っている人しかきっと訪れないであろう。

 先日も、そこでお茶を飲んでいると、ゆっくりとドアを開けて入ってくる人が続いた。

 ほんと、しばらくすると、ゆっくりとひとりひとり。

 そのドアのひらき方が、ほんとゆっくりなのがわかった。

 中の空気は、ドアが開いても、そんなに変わらない。

 たぶんここは時間が止まっているんだな。

 みんなそこを訪ねてくる。

 店の外は、あわただしい時間の流れがある。

 ドアを開けたなら、お店の空気も外に逃げていきそうだが、

 それは感じられない。

 ふわっとしてて、ドアを押した瞬間から時間は消えるのだ。


「言葉の海」'10.6/26

 歌を作るとき、歌詞はもちろん大事だ。

 ある程度は最初に、言葉はつなげられるのだけれど、

 どうもメロディーとしっくり来ないときも多い。

 しっくり来ないというか、もっとぴったりくる言葉があるだろう思うわけだ。

 その言葉選びをするとき、脳は言葉の世界に入らねばならない。

 以前なら、それでもある程度考えれば、ぱっと浮かんだりもしたものだけれど、

 ここ数年は、ほんと苦労するようになった。

 結局は、ひとつの言葉に辿り着くわけだけれど、時間がかかるんだよね。

 思い返せば、音楽は以前と同じだけ聞いているが、

 あれだけ読んでいた詩集などは、本棚から出なくなってしまった。

 本自身も以前ほどは読んではいないのは事実だ。

 言葉を探すとき実感するのは、

 「言葉は海だなぁ・・」と、言うこと。

 音楽と同じくらいに、広い豊かな世界があるのを感じる。

 ここ数年、いやもっとか、、僕はかなり言葉の勉強をおろそかにしてしまった。

 また少しずつ、言葉の海に戻らねばならない。

 そこに海が見えているようにしたい。

 音楽と同じくらい。まったく同じくらいに。


「本当の3Dをみんな知らない」'10.6/24

 先日、家電量販店にて、はじめて「3D」映像なるものを体験した。

 特別のメガネをかけて特殊なテレビを見ると、立体に見えるというものである。

 もうちょっといいかげんかなと思ったら、意外と完成されていて驚いた。

 僕が見たのは「アニメ」であったが、それはそれで別世界が広がっていた。

 すごいテクニックだな。どーやって作っているんだろ。。

 しかしこれで驚いていはいけない。

 昨夜のこと、僕は本当の3Dを体験した。(と言っていいのかな?)

 夜遅く、あるピアニストのドキュメンタリーのビデオを観ていて、

 ついうとうととそのまま眠ってしまった。

 そのまま僕は夢を見た。場面は僕の実家であった。

 な、なんとそこにビデオで観ていたピアニストが訪ねて来たのだ。

 こりや、びっくり。さっきまでビデオで観ていた人が。。

 実家の居間で、ゆっくりといろいろと話した。ああ、至福の時間。

 それはそれはとてもリアルな夢であった。

 こういうことはある。本当の3D。


「犬に追いつめられる」'10.6/22

 外仕事をしていて、いつももーれつに吠えられる犬ちゃんがいる。

 大きなスペースに10メーターほどの綱がついていて、

 僕が通りかかると、すごい勢いで向かってる。そのまま30分以上は吠えるのだ。

 中型犬より、少し大きいくらい犬ちゃん。よほど相性が悪いらしい。

 さて、それは昨日のこと。

 いつもように、僕を見つけると、もーれつに向かってきた。

 しかし、昨日はちがった。途中で止まらず、そのまま僕のところに来たのだ。

 綱を切ってね。いつもなら、目の前あたりで止まるのに。。

 ちょうど、荷物置き場とガレージの門の間にはさまれて、だんだんと追いつめられてしまった。

 この10年ほど、吠えられ続けたきた積年のパワーが、ここぞとばかりに爆発してるようだ。

 歯をむき出しにして、30センチほど近くで吠え続ける。だんだんとそして奥に追いつめられた。

 どうすりゃいいの?

 積年の怒りはとてもおさまりそうもない。

 すると奥からご主人が追いかけてきて、なんとか犬ちゃんを抱きかかえてくれた。

 危機一髪だったな。

 誰も悪くはないけれど。完全に僕の負けだ。追いつめられた。

 犬ちゃんの勝ちである。次からは向かってこないといいな。

 次も綱を切ったりしてね。


「ずっとそうだったもの」'10.6/20

 このひと月、ずっと一曲を創作していた。

 ある程度は出来たけれど、まだ虫食いのように、

 ところどころの言葉が見つからなかった。

 昨日は、10時間以上集中して、その言葉探しをしてた。

 7つほどの言葉探し。

 代用の歌詞はつけてあるけれど、どうもしっくりこないし、

 言葉選びが甘い。

 それは、相撲でいったら、みんな歌詞の中の大関・関脇クラスの役目があって、

 しっかりと存在感を出していないといけない。

 だからなおさら、言葉選びに苦労してしまう。

 昨日は、ほんとがんばって、言葉を探した。

 なんだか久し振りだったな。こんなに一曲にがんばったのは。

 30代の頃、いつも一曲を仕上げるときは、それなりの苦労があった。

 ずっとそうだった。

 探しものっていつもこうなんだよね。


「名前のない変なもの」'10.6/18

 クラシックをよく聴くきっかけになったピアノ曲がある。

 ベートーベンの。

 ひと月まえは、朝、夕に何度もその曲を聴いて仕事に行き、帰ってきた。

 いろんな人が弾く、音源も聴き比べたりもした。

 毎回、新鮮に感動しながら。

 そしてひと月たって、またその曲を聴いてみるけれど、

 ひと月前のようには、どうしても聞こえてこない。

 あんなに凸凹して、手触りたっぷりだったのに、

 今は、ふつうのピアノの音符のように聞こえる。

 そうだ、聴きすぎて、一度はピアノの音ではなくて、水のようにも聞こえていたっけ。

 あの、ぐっと来て聴いていた頃、自分がどんな気持ちで聴いていたのか、

 何だか思い出せない。すっかり忘れた。

 それは名前のない変なもの。

 今度はいつ、聞き始めのように、新鮮に聞こえてくるのだろう。

 聞こえてくる日、その場面も楽しみにしていよう。


「電車ノート」'10.6/16

 電車の中で創作することは多い。

 小さめのノートを出して。

 それでも、なんだか目立つような気もしていた。

 昨日も、カバンからA5くらいのノートを出して、創作。

 いかにも歌詞を作っているのが、わかってしまうような感じで。

 あんまり気にはしていないのだが、ちょっとだけ恥ずかしい。

 ふと気付くと、僕の左の女性も右の女性も、

 スマートフォンと呼ばれる携帯電話で、メールを打っていた。

 ボタンを押すのてはく、画面を触って。

 その真ん中の僕は、A5のノートにボールペン。

 完全に古いおじさん状態。アナログ全開。

 俺も手のひらサイズのあの機械が欲し。

 もしも、メモノートのように使えるなら。

 創作も出来るだろう。

 そんなに憧れてはいないのだが。

 かなり集中できるかもしれない。


「ギターが信じられないくらいに」'10.6/14

 良い音で、今鳴っている。

 何、手入れしているわけではないのにね。

 ひとりで良い音を出している。

 気候や、僕の耳の具合や体調なども関係があるのだろう。

 ギターそのものの木の具合と、湿気の具合も関係あるのだろう。

 とにかく、最高の鳴りを出しているのだ。

 弾いてて、感動する。

 CDアルバムの音がそんなふうによくなったり、

 オーディオのスピーカーの音がそんふうによく聞こえることはあまりないであろう。

 (スピーカーやレコードはあるかもしれないが・・)

 しかし、そんなふうに思わないで、音が日々変化すると思ってみよう。

 たとえば、飾ってある、ひとつの絵が、よく見える季節があるとか、

 柱時計の音が、ここちよく聞こえる日があるとか、

 その本の文字が、素晴らしく生き生きと見える日はないか。

 そんなふうに思ってみるのが、あたりまえだといいのに。


「記憶」'10.6/12

 ライブの前にはいつも、

 自分のレパートリーに全部を目を通して、

 ちらちらと歌いながら、曲出しをしている。

 今回も、いろいろ歌ってみたのだけれど、

 途中のメロディーが出てこないオリジナルの歌がかなり出てきた。

 いっせいに。

 ああ、、記憶ってそういうしくみになっているのか。

 忘れる順番が曲の古さとかではなくて、憶えにくいところが、

 いっせいに忘れかけてくるのだな。

 途中のメロディー思い出せなくて、古いビデオの中で探そうにも、

 さて、どこに入っているか。。

 やっぱりきちんと、曲名とか書いて残しておかないとな。。

 聴けば、すぐに思い出すのはわかっているのだが、

 その曲がどのビデオに入っているのが、

 お も い だ せ な い


「創作」'10.6/10

 新曲を作っている。

 ここしばらく。

 思えば遠くに来たもんだ。

 最初はギターのフレーズひとつだったのが。

 作るもとになった歌のアイデアは、

 途中でまったくちがうものになってしまった。

 それでも、まったくかまわない。

 どこかに行こうとして、ちがうところに行った。

 でも、まるでそれはかまわない。

 実に実がある。

 パンを買ったのに、中におにぎりが入っていたようなものか。

 いや、ちがう。パンの中におにぎりが入っていたようなものだ。

 おにぎりの中に、また何が入っているのか。。


「場所」'10.6/8

 先日、古物屋でクラシックのレコードが安く出ていたので、

 ついつい見てしまった。

 同じ人が大量に出したものであるようすだったが、ベートーベンのLPもけっこうあった。

 交響曲5番、6番、7番、9番と。

 そのうちの一枚、交響曲7番のLPジャケットは珍しくイラストであり、

 色合いといい、僕の趣味に合うものだった。

 いいなぁなんて思いながら、200円だったので三枚ほど買って帰った。

 交響曲7番のイラストジャケットが気にいったので、壁上に飾ってみた。

 実になんとも、それが部屋に自然になじんでいて、まるでずっとそこにあったかのようである。

 ちょうど、眠る場所からそのジャケットが見えていて、この先、ずっと眺めることになるだろう。

 それがよくわかる。

 まるでそのジャケットのためにその場所がとってあったかのようだ。

 こんなことってあるんだな。

 こんなことってあるんだよ。

 魔法にかかったような感じだ。それはついおとといのこと。


「道」'10.6/6

 いつもゆくストアーへの道の途中で、

 車も来ない、草も生え放題の細道があることを知った。

 それは、この部屋から意外と近くに。

 近くのことなら何でも知っているような気がしていたが、

 まだまだ知らない道がそこにある。

 こんな簡単なことも、ときにはわからなくなる。

 自分の足が向かうところではなくて、

 そこに知らない道があるということ。

 ある日、ふと、その道が出来ていたかのように、

 目に見えてくるということ。

 こつぜんと現れるように。実際にそういうことはないか?

 人生は不思議なことに満ちている。

 もともと僕らだって、

 そうやってやってきたひとつの道なのだから。


「ぜいたくでないのなら」'10.6/4

 クラシックの楽曲は、楽章がいくつかまとまっていることが多い。

 第一楽章、第二楽章、第三楽章と。

 ベートーヴェンのピアノソナタなら、20分前後で落ち着いているものが多い。

 普通のCDアルバムなら、たいがい楽曲がみっつほど入っている。

 思い出すのは、ボブ・ディランの「ブロンド・オン・ブロンド」という二枚組アルバム。

 「ローランドの哀しい目の乙女」という歌がアルバムの一面一曲で入っていた。

 10分ちょいの歌ではあるが、現在のCDでは、一枚のラストに入っている。

 一面一曲であったレコードの頃はぜいたくではあるけれど、実にそれが良かった。

 クラシックの楽曲も、レコードであったなら、片面にひとつというのが、一番いいな。

 20分くらいではあるが。

 CDだと、最後の楽章に続いて、他の楽曲の第一楽章がすぐに始まってしまう。

 ほんの数秒後に。

 せめて一分二分の間があっても良いのに。

 どう考えても、それが正解だ。

 ほんとうなら、レコードの一面にだけに入れて欲しい。

 CD一枚でもかまわない。

 まあ、カセットテープやMDを自分で作ればいいのだけれど。

 クラシックの楽曲を聴いていると、たとえ20分であっても、

 時間としたら無限大とも言える。その前後の時間も合わせて。

 レコードにもう一度焼くなんていうことはできないのかしら。


「バーゲンジーンズ」'10.6/2

 先日、自分としては、初めての挑戦とも言える、 

 バーゲンセール中のジーンズを買った。

 今流行りの、ブランド物の安ジーンズではなくてね。

 どこかの無名のメーカーの値札の半値以下セール。

 いつもどおりのウエストのサイズを試着で持って行ったら、

 ウエストはゆるめなのに、ももがきつきつであった。

 しかたがないので、人生初、その上のサイズのウエスト33をまた試着した。

 それでも、ももがやっと入る感じだ。ウエストはもっとゆるゆる。

 ・・でも、まあいいか。。安いし。

 しかし、そのジーンズ。はいていると、だんだん生地がゆるくなってきたんだよね。

 もうウエストなんて、こぶしふたつくらい入るほどになった。

 ついベルトをしないで外に出たら、だんだんとジーンズが下がってきて、

 若者のずりおちジーンズのようになってしまった。

 もしかしてそれ用?

 こんなにウエストがゆるゆるジーンズをはいたのも人生初かも。

 ももはぴったりなんだけどね。

 ベルトが忘れられない、ちょっと困ったジーンズ。

 でも、なんだかちょっと嬉しいね。

 小学生の頃みたいで。


「初期のがんこもの家電」'10.5/31

 この25年、ビデオカメラにはかなりお世話になっている。

 最初はベータビデオテープに直接録画するところから始まり、

 やがては8mmビデオテープの時代へ。

 それからデジタルのミニDVテープ時代へ。

 テープからデジタルテープに変わったとき、

 それはアナログ親父の時代が終わったようであった。

 今はテープなしのタイプのものが主流になっている。

 あれだけ最新型であったDVタイプのビデオカメラも、今はもうなくなりつつある。

 僕がよく使っているミニDVテープのビデオカメラは、発売当初のもので、

 重く大変に作りもしっかりとしている。10年以上はたっているかな。

 不調のところもあり、先日、修理に出したところ、

 「もう、部品がありません」と、言われてしまった。

 DVデジタルビデオカメラも、ひとつ前の機械になってしまったのだ。

 あんなに最近型だったこのビデオカメラも古いのだ。

 もう直せないけれど、機械の作りがシンプルでしっかりしているので、

 もうしばらくは、現役でいられるだろう。

 初期のがんこもの家電なので。

 デジタルも時がたつと、がんこ親父になるのだな。


「はっとするところ」'10.5/28

 住んでいる街の駅前に、大きめの書店が出来た。

 いつ行っても人がいて、人気は続いている。

 僕もつられて入ってしまう。

 人のいっぱいいる本屋さん。

 それは僕らが学校帰りにいつも寄った光景。

 いつもいつも毎日毎日、本屋さんに寄ったんだよ。

 まのであのときのよう。

 ふと目を閉じて、もし学校時代に戻れるとしたら、

 僕はきっと本屋さんに立っているだろう。

 僕らにとって新しいものは、みな本屋さんにあった。

 そこでいつもはっとしていたんだよ。

 時間や、すべての景色が、みるみる鮮やかになっていったんだ。

 それは本屋さんだったんだ。

 2010年、本屋さんに寄る。人がいる。

 まるで強力な磁石のように、学校帰りがよみがえる。

 はっとしたところ。

 僕のトランプカードの半分の絵柄は、

 本屋さんに立つ絵かもしれない。


「部屋に戻ったらすぐに」'10.5/26

 どうしますか?

 うがい? 手洗い? メールチェック?

 それらのことは、さっさ、さっさとすらりとすませて、

 君よ、僕よ、友達よ。レコーダーの録音ボタンを押して、とりあえず

 創作の続きをせよ。

 それを僕は悟った。ほんと、ほんとだって。

 インディーマン、ウソイワナイ。

 部屋に戻ってきて、まずギターを持って、即興のように、

 作りかけの歌をうたってみよ。録音ボタンを押しながら。

 ほぼ88パーセントは、何かしらすっと出てくるから。

 それはやっぱり、最初でないとだめなんだな。

 ホームページをずらりと見たあとではだめなんだな。

 インディーマン、ウソイワナイ。


「平均気温」'10.5/24

 今朝起きたら、こりゃまた体が冷えていた。

 昨日はもうTシャツ、短パンで過ごしたのに。

 冷房をつけようか、扇風機を出そうかとしていたのに。

 雨も降ったせいもあり、急に寒くなったのかな。

 また、今はセーターを着ている。

 僕は思い出す。仕事で、もう冬服なんていらないよとみんなで話したのを。

 笑っていたけれど、やっぱり寒い日もある。

 実際は寒くないのだけれど、温度差が出たのであろう。

 やっぱり平均気温というものを、しっかりと認識してた方が体にいいな。

 みんなの意見や感覚は、ひとまず置いておいて。

 平均気温を体と頭がわかっていれば、自分自身が対処できると思うんだな。

 すっかり夏みたいな気分になるなんて、やっぱり自分が甘いんだな。

 昨日はTシャツ、今朝はセーター。どっちがほんとうなんだ。


「耳を澄ませ」'10.5/21

 耳は外の物音を聞くためにあるわけだが、

 それは内側につながっていると言ってもおかしくはないだろう。

 よく「体の声に耳を澄ませ」と言うが、

 実にその言葉どおりだと思う。

 「心の声を聴く」とも言うが、

 僕らは、心の声を心や頭で聴こうとしていないだろうか。

 ここはひとつ、体や心の声を我が耳で聴いてみようじゃないか。

 外の小さな音に耳を澄ますように。

 声にならないかすかな声を聴くように。

 ほんとにほんとに耳で聴くんだよ。

 一緒に遠く遠くの音も聞こえてくるかもしれない。


「夏移動」'10.5/20

 ここ数日、暑い日が続き、ほんとよく眠っている。

 いつもの二倍。

 昨日もよく眠ったのだから、今日は起きていられるかなと思ってみるが、

 またすぐ眠ってしまう。季節の変わり目であるのだろう。

 体も頭もきっと夏用に変わろうとしているのではないかな。

 きっと、そうにちがいない。

 だって、ここ最近の変化といえば、毎日よく汗をかいたことしかない。

 よく眠って、何もしていないようだが、

 きっと頭は超忙しいのであろう。


「ピアノ弾きの記憶力」'10.5/18

 僕なんて、自分の歌の歌詞やコードでさえも、

 おぼえられないでいるのに、

 ピアニストは楽譜を見ずによくすらすらと弾くものだなと思う。

 楽譜見たっていいのにな。

 あんなに早弾きをしてさ。

 ピアニストの記憶力ってどうなっているんだろうと思う。

 ピアニストにいつかきいてみたい。

 「ひたすらに練習ですよ」と言われるかもしれない。

 暗譜するってどういうことなんだろうか?

 一度憶えたものは、ずっと忘れないのだろうか。

 それとも指がかってに動いているのだろうか。

 5分の曲だって、同じ繰り返しではないので、

 一曲だって大変だ。

 それも右手と左手とちがうし。

 もしかして、パソコンのキーボードを打つようなものか。

 ぜんぜん、ちがうか。

 いつかテレビのドキュメンタリー学習番組で、

 ピアノ弾きの記憶の謎の特番をやって欲しい。


「小瓶効果」'10.5/16

 僕はインスタント珈琲はいつも「ゴールド・ブレンド」派だ。

 ずーと前から。

 いつも格安スーパーに行き、100gの瓶を買ってくるのだが、

 その約600円ほどのお金が手持ちでなくて、

 近場の店で、30gの一番小さな小瓶を315円ほどで買った。

 うわーっもったいない、、とも声が聞こえるが、

 どうしてもゴールド・ブレンド珈琲が飲みたかったのだ。

 一杯ごとにもったいないような気がするかなーと思っていたが、、

 これが実は逆であった。 

 100gの瓶を飲んでいると、無限大にインスタント珈琲が作れるような気がして、

 ありがたみの何もなく、どんどん飲んでしまっていた。お茶感覚で。

 しかし30gの瓶だと、単純に「100円の缶コーヒーなら三つ分の値段」

 「喫茶店なら一杯分の値段」と意識されるので、

 インスタント珈琲を入れるたびにその安さに感動してしまう。

 「300円で何杯飲めるんだ」と。。

 大瓶では、そんなことはあまり意識しない。

 小瓶効果ってあるんだな。

 「小瓶効果」って、広辞苑に載っていないかな。


「私と世間のギャップ」'10.5/14

 今朝は、5月なのに、なんだか妙に寒かった。

 部屋の温度計を見れば15度はあったので、そんなでもないのだろう。

 つい先日までは夏のようであったし、Tシャツ姿の人もいた。

 でも、今朝は冷えるのでセーターでも来て行こうかな。

 ちょっとセーターじゃ可笑しいか。。

 きっとみんなは今日も夏服なんだろうな。

 しかし、僕は我が道を行く。今日はセーターだぜ。

 駅のホームに行き、電車が来て、電車に乗ったみた。

 電車に乗ってみたー。

 なんかさ、みんな冬みたいな格好しているじゃん。

 僕以上に。

 そうか、そうなのか。

 みんな夏服だったじゃん。


「心の茶屋」'10.5/12

 インドを旅していたとき、道のいたるところにチャイ屋があった。

 簡単な長椅子のある道かどのチヤイ屋。2ルピーくらいだったかな。

 朝早くからやっている。夜おそくまでやっている。

 こっちだと自動販売機の缶コーヒーみたいな感覚か。

 僕もあちこちのチャイ屋に座っては、ひと休みをした。

 その度(旅)に声をかけられて。

 チャイ屋に座るみんなは、誰であれ「おはよう」だ。

 ちょっと気軽な話をふわっと。

 なんで今の日本には、そんな場所がないんだろ。

 気軽にはあまり話せない空気もある。

 基本がそこになってしまった。

 心の茶屋がないんだな。

 インドのみんなは、チャイ屋を心の基本にしているような気がする。

 その良さを知っているんだ。

 僕らもまた、そう言えないのはなんだかさびしい。

 そんな場所を作らなくちゃね。


「ノックしてごらん」'10.5/10

 中学一年の頃、学年で近場の一泊旅行に行った。

 わいわいと。旅館に泊まったとき、僕は壁沿いであった。

 夜中にこっそり壁をひとつ小さく叩いてみたら、同じように小さく叩き返ってきた。

 「コン コン」「コン コン」

 ふたつ叩けば、ふたつ返ってきた。

 まるでモールス信号のように。

 そんなやりとりが10分ほど。信じられないほど、面白かった。

 壁の向こうにはとなりのクラスのみんなが泊まっていた。

 なんとも気の合う奴が壁の向こうにいたものだ。

 それは誰だったのであろう。

 次の朝、隣のクラスの親友にそのことを話すと、

 親友は「それ、おれだよ」と言った。

 これは今では笑い話ではあるけれど、

 気の合う友達ってこういうものだなって思う。

 夜にかべがある。ノックしてごらん。 


「同じ演奏はないんだな」'10.5/8

 いままであまりクラシックをちゃんと聞いてこなかったが、

 同じ曲でも、演奏者によってこんなに印象がちがうのだなと知った。

 楽譜はかわらないのだろうけれど、ほんと、演奏者の理解のしかたで変わってくる。

 それはまあ、歌でも一緒かもしれないけれど。。

 きっと、歌と一緒かな。

 クラシックは、同じ楽譜でやっているところが、良さでもあるなと思える。

 当然のことかもしれないが。

 もっと自由でもいいなと思うが、これが微妙なところ。

 同じピアノ曲の演奏を五六人聞いてみたが、みなちがっていた。

 ほんの5分の曲が、こんなにも長く感じられる。

 聞き手がしっくりくるものもある。

 僕が聞いて、一番良かったのは100円のCDの音源であった。

 不思議だが、そのテイクが一番しっくりときた。

 テクニックとはまた別の話かもしれない。

 もしかして歌舞伎と近いのか。

 観たことがないんだけれど。


「200年」'10.5/6

 先日、1965年に製作されたレコードを中古で買ったが、

 ほぼ傷もなく、まったく問題なくかけることが出来た。

 45年ほど前のレコードだが、保存が良かったのであろう。

 僕自身、もう かなり年をとって来ている。

 小学校の頃に拾ったガラス製のライオンのお宝が、本棚に置いてあるが、

 今だって何も変わらず、そこにある。

 40年50年なんて、あっと言うまではなかったか。

 その二倍で100年。あと50年が二回で、もう100年。

 200年は、50年がよっつ。

 あっと言うまの50年がよっつ。

 1800年のことなんて、想像も出来ないけれど、

 意外と最近のことかもしれない。

 ここから、駅へ行くくらいの感じ。

 振り返ると200年くらいは見えてくる。 


「音楽の授業」'10.5/4

 もうずいぶん前のこと。

 「こどものクラシック」という10枚組の古いレコードを激安で買った。

 いつか創作に役立つと思って。

 そのレコードは語りも入っていて、学校の授業でそのまま流しても大丈夫なものであった。

 もしかして学校の教材用なのかな。

 そのレコードには、僕が小学校の音楽の授業で聞いたり、演ったりした作品が多く入っていた。

 ナツカシイナ。音楽鑑賞で聞いたクラシックの数々。

 でも、小学校の頃の僕は音楽の授業が大変に苦手であった。

 人前で歌を歌うなんて。。笛を楽譜どおりに吹くなんて。

 低音・中音・高音のコーラスで、三人並んで試験を受けるなんて。

 最高に苦手であった。だから音楽の授業なんて楽しいはずがない。

 なんでだろ? 楽しいはずなのにね。

 それでも、あれから40年ほどたっても、こうして歌やメロディーを憶えているなんて、

 よほど楽曲が良かったのだな。

 ・・・・・・・・

 歌の試験は最高に苦手であった。

 大の大の大の苦手であった。 

 それでも、何十回と歌うことになる歌の試験。

 一人で歌うならまだしも、コーラスをさせられるなんて、地獄であった。

 だって、相手に悪いじゃん。

 だから、それなりに僕も何度も歌って練習した。ほんとに嫌であったが。

 学校帰りにずっと歌って帰った。そのうちすっかりと憶えて。

 何度も何度も歌っているうちに、だんだんとその歌の良さが少しだけわかってきた。

 我ながらに意外であったが。。

 学校の帰り道、川沿いにひとり、朗々と歌ってみた。

 気分良く、声楽の歌手のように。。

 だが、試験が近づくと、そんな気分も吹き飛んでしまった。

 小学校の頃、後にも先にも、あんなに気持ちよく良く歌ったのは、

 あの一度きりであった。


「凧上げをしなくちゃ」'10.5/2

 近くの銭湯では恒例の、鯉のぼりがあがっていた。

 風になびいて。

 あがると言えば、小さい頃に、よく凧上げをした。

 正月といわず、一年中。海沿いの町であったので、風もあった。

 あるとき授業中、ふと、オリジナルの凧のアイデアが生まれ、ひとり作ってみた。

 けっこう大きな凧。80センチはあったかな。カメムシみたいな形の。

 その凧は奇蹟のように、ぐんぐん上がった。かつて僕があげた事もないほどの高さまで。

 そのときは友達と一緒ではなかったので、それを見ているのは僕だけであった。

 奇蹟って起きるんだな。。

 そろそろ降ろそうかなと、引いていったら、こともあろうに、高いライトの上にひっかかってしまった。

 カメムシ凧は、しばらくそこにあった。

 その凧を作った証拠に見に、友達をその場所に連れていった。

 「すごく高く上がったんだよ」と、言ったら、「なんとなくわかる」と言われた。

 そんなことを風呂屋の鯉のぼりを見ていたら、思い出した。

 ・・・・・・・・・

 思い出ばなしは、思い出ではあるが、

 凧上げって、いいなと思う。

 もう35年くらい凧上げをしていない。

 あれはいい。風をつかまえてね。

 最初、走るんだよ。凧を持ってね。

 風をつかむんだよ。うまくね。


「遠くはなれて」'10.4/30

 日本をはなれて半年ほどたち、

 トルコ共和国を旅してたときのこと。

 パムッカレだったかな。ひとり山道をどんどんと登って行った。

 ひとり旅だったせいもあり、どこまでも登っていった。

 町から遠く。ここはどこなんだろうと思うほど山の中へ。

 人なんてどこにもいない。畑のような野原のようなそこに、座りこごちの良さそうに石があった。

 石にひとり座り、しばらくぼんやりとしてみた。

 トルコの空がある。僕が今、ここに居るだなんて、日本の友達は知っているだろうか。

 日本の友達のことを想ってみた。

 すると、友達はすぐそばで感じられた。まるで僕の体を包むように。

 それははっきりと感じられた。

 ふうせんよりももうちょっとふわっとしたかんじで。

 それがいくつも、かさなるように。

 これはなんなんだろう。たましいとかではない。

 ふわっとして、すぐそばにそれは確実にあった。


「歌詞が聞こえた日」'10.4/28

 ここ二週間ほど、歌なしの音楽を聴いていた。

 それもクラシック。

 いつも携帯音楽プレーヤーで聴いているので、

 久し振りに歌ありを聴いてみようと、ボブ・ディランをクリックした。

 それも、1963年の弾き語りライブ。

 久し振りに聴いてみたボブ・ディラン、すると驚くなかれ

 英語の単語のひとつひとつがくっきりと聞こえ、歌詞の内容もしっかりと伝わってきた。

 もともと訳詞は知っているせいもあるが、はっきりと言葉がわかった。

 もう35年もボブ・ディランを聴いているが、こんな経験は初めてだ。

 よほど耳が歌詞に飢えていたのか、それともクラシックを聴いて耳の感性が鋭くなっていたのか。

 とにかく、何を言っているのかはっきりわかったのだ。

 まるで日本語でも聴いているかのように。

 (おお、すげー、すげー)

 人生がぱっと開けたような気がした。もしかしたら、このまま英語が聞き取れるかもしれない。

 それは、仕事へ行く途中の話であった。

 たっぷり期待して、仕事帰りにまたボブ・ディランを聴いてみたら、、

 また元に戻っていた。がっくし。


「目覚ましの順番」'10.4/26

 朝、というか夜明け前、目覚ましが鳴る。

 ひとつ、ふたつ、みっつ、繰り返し何度も。

 もうずっと前の前のこと、教材売りの説得をビルで受けたことがあった。

 ひとり出てきて、奥に下がり、また別の人が出て来て奥に下がり、

 また別の人が次々と出て来た。結局、だめではあったけれど。

 目覚まし時計にも、もしかしたらそんなふうな感情があるかもしれない。

 ないかもしれない。

 さっき教材売りの話をしたけれど、ちょっとたとえが悪かった。

 あやまる。

 僕が言いたかったのは、目覚ましの順番ということだけだ。

 それぞれの個性に人のイメージがあってもいいになと。

 実際、電話器は女性の声で呼びかけてくる。

 30代の声で。。

 最初の目覚ましではなかなか僕は起きない。

 そしてバトンタッチ、またバトンタッチ。

 小さなドラマ。小さな朝のたたかい。


「ちょっとした事件」'10.4/24

 先日、カレー屋に入った。チェーン店の。

 いろいろな組み合わせで注文できるのだけれど、

 ついついソーセージカレーを注文してしまった。

 かなりの確率で、僕はソーセージカレーを注文している。

 それにはある事件があったからだ。

 もう10年ほど前のこと。。

 そのカレーチェーン店に入ったとき、隣の席の小柄な男性が、

 超大盛りジャンボカレー(食べたら無料)に挑戦したのだ。

 何あせることなく、その小柄の青年は、僕の隣で淡々とカレーを食べ続けた。

 それもそのカレーはソーセージカレーだったのだ。

 その青年は、ときどき美味しそうに、ソーセージをひとつずつ食べた。

 僕の隣で、、。

 それ以来、僕はソーセージカレーを注文し続けている。

 ああ、、。

 ・・・・・・・・・

 それは、僕が東京に来て1年ほどたった頃のこと。

 その頃はよく牛丼屋に入っていた。その夕方も大盛りを注文。

 僕の斜め前のおじさんが、並盛りに玉子をとろーりとかけて、

 その上にとおがらしをたっぷり、そしてしょうがを少々。

 それが本当に美味しそうだったんだ。

 それは僕にとってはちょっとした事件。

 それ以来の僕はいつも、、

 並盛りに玉子をとろーりと、、。


「ベートーベン」'10.4/22

 最近、よくベートーベンの楽曲を耳にする。

 先日、100円ショップに寄ったら、ベートーベンのCDがあったので、

 ついつい買ってしまった。

 その100円ショップには、ベートーベンが何枚かあった。

 今、ベートーベンが流行っているのか、、。

 自慢ではないが、クラシックのアルバムを買ったのは初めてだ。

 ベートーベン、ちゃんと聞いてみたら、、良かった。

 思い出すのは、ほんとに小さい頃のこと。

 僕の意識の中にとどまった最初の作曲家はベートーべンだったと思う。

 みんなそうじゃないかな。

 あの印象的な顔。そして、じゃじゃじゃじゃーん

 漫画にも、テレビにもCMにもよく出てきていた。

 ひとりのキャラクターとして。

 あれから40年以上はたっている。

 僕の中で、最初に認識された作曲家。

 ベートーベンを今頃聞いている。

 人生とは巡り巡ると言うけれど、

 巡ってきてくれて良かった。 


「作っていないプラモデルがあるわけじゃない」'10.4/20

 小さい頃、プラモデルをよく作った。

 買ってきたら、もうすぐにね。作らないでとっておくなんてありえなかった。

 そういう人もいるだろうけど。

 ほんとなんだよ。作っていないプラモデルがわるわけじゃないんだ。

 電車に乗って、駅で降りて、路地で曲がって、部屋に着いても。

 なにもない。

 それはほんとうなんだ。

 最初から。。作っていないプラモデルなんて、ないんだよ。

 考えても、考えても、、やっぱりないんだよ。


「何か楽しみを見つけること」'10.4/18

 雨の中、濡れながら仕事をするのに必要なものには、

 根性以上に大切なものがある。

 それは「楽しみ」ということだ。

 その雨の日も、ひとつ「楽しみ」を見つけて頑張ってみた。

 帰ったら、サッポロ一番・塩らーめんに、玉子を二個入れようと。。

 久し振りにキャベツが手もとにあったので「塩らーめん」を買ってみたのだ。

 玉子を二個も入れるなんて、いままでなかったこと。

 そのうまさと驚きを考えながら、雨の中を頑張った。

 それはとんでもなく美味しいだろうと。

 頭の中にはあったかな塩らーめん。

 それで良い。


「怒りの自動洗濯機」'10.4/16

 下町の路地の奥へ入ってゆくと、

 ひとりのおばあさんが、しきりに文句を言っていた。

 バケツで洗濯機に水を入れながら。

 「こんちくしょう、こんちくしょう!!」と。

 「どうしたんですか?」

 「この自動洗濯機はつかいものにならんわー」

 「どうしたんですかー」

 「ほんと、便利だ便利だっていいながら、ぜんぜん便利じゃないわ、こんなものー」

 話を聞けば、便利だからと自動洗濯機をもらったのだけど、ホースが合わなくて、

 水をバケツで毎回入れているのだという。

 それはそれは、大変であろうに。

 怒りの自動洗濯機。

 「ホースは売っていますよ」と、教えてあげたのだけれど、

 おばあさんの怒りのおさまらない。信じてくれないようだ。

 「こんな不便なものくれやがってー」 

 こんちくしょうのバケツはつづく。

 おばあさんはまだまだ元気だ。


「ボブ・ディラン・ゴールデン・ベスト30」'10.4/14

 だったかな? レコードの名前の方は忘れてしまったが、

 高校二年のときに二枚組のボブ・ディランのベスト盤を買った。

 1976年のこと。

 ボブ・ディランをラジオで知って、最初に買ったのは、

 「ボブ・ディラン グレーテストヒット」というアルバムだった。

 それは二枚組でなく一枚で、'67年頃までの初期のベスト盤ね。

 さてその次の何のアルバムを買って良いものやらと悩み、

 とりあえずいろんなアルバムから入っている日本で出した二枚組のベスト盤を買ったのだ。

 これがもう、なんというか、いろんなタイプの歌が入っていて、

 それもけっこうマニアックな歌も選ばれていて、相当に楽しめた。

 解説もよかった。タイトルの横に「アルバム 〜より」とあり、

 そのアルバムが欲しくて欲しくて。。

 結局、それから全部集めることになってしまった。

 その頃はインターネットもなく、試聴をするなんて出来ない。

 注文してレコードを取り寄せた。

 何のレコードにするかは、その二枚組のベスト盤が頼りであった。

 その二枚組のベスト盤で夢は大きく広がった。

 日本で作ったベスト盤なんて、正式盤ではないので、

 誰に言っても、そんなに通用するものではないが、

 今、思い出すと、僕にとっては、最高のアルバムであった。

 曲の選曲が良かった。そして夢中になって聞いた。

 とんでもなく大きなレコードであった。

 今は実家の押入の中にあるのだが。。


「四日間」'10.4/12

 この四日間、ちょっとお祭りのようであった。

 自分を含め、三回のライブに行き、三回の打ち上げ。

 ライブから帰ってきても、すぐ電話がなり突然の友達も訪ねてきた。

 そしてご飯を食べたり、お茶を飲んだり。

 残りの一日は仕事だったが、前日のライブの編集で、もう一度ライブを観たり。

 息つくひまもなかったな。

 久し振りに連日、お酒も飲んだし、いろいろ食べた。

 毎日ツアーを続ける人たちは、こんなふうに忙しいのであろうか。

 毎日、打ち合わせをしている人たちはこんな日々を送っているのであろうか。

 充実していたが、四日前がかなり前のようでもある。

 濃厚ジュースのようでもある。

 二週間くらいかけて、ゆっくりうすめて飲まねばならぬ。


「ポケットに開けた缶コーヒーを入れてはいけない」'10.4/10

 寒い朝は、駅までの道の途中で、

 缶コーヒーを買うので常になっている。

 手に缶コーヒーを持っている人によくすれちがう。

 僕なんか、ほぼ毎朝、缶コーヒーを買っている。

 昨日の朝のこと、たまたま乾電池を自販機で買おうとした。

 (まあ、部屋に戻れば、単三くらいあるのだけどね)

 すると、缶コーヒーの持ちどころに困ってしまった。

 自販機の次にまた自販機で買うなんて、なかなかないことだものね。

 缶コーヒーの置きどころに困ってしまい、ついついジャンパーのポケットに入れた。

 胸ポケットではない方ね。

 ここがまず僕の失敗の大きな原因であった。

 出てきた乾電池を取ろうとかがんだときだ。 

 その悲劇は起きた。

 缶コーヒーがポケットの中で倒れ、ジーパンの方まで流れてしまったのだ。

 このまま電車に乗ってしまうと、すごい缶コーヒーの匂いがするからね。

 しかたがないので、また部屋に戻った。

 外で乾電池を買った意味もなく。なさけなー。

 ポケットに開けた缶コーヒーを入れてはいけない。


「西新宿レコードタウン」'10.4/8

 2001年にボブ・ディランが日本に来たとき、

 僕も観に行ったわけだけれど、そのときの内容をかなり忘れてしまった。

 いったいなぜなんだろうと思う。きっかけがたぶんないんだな。

 そのきっかけを探しに、西新宿レコードタウンに出かけてみようと思う。

 そこにはプライベート盤を扱う店が多くそろっている。

 もしかしたら2001年のディランの来日音源のプライベート盤もあるかもしれない。

 最初に西新宿のレコード屋に行ったのは、1980年かな。

 そこには数多くの輸入盤、中古盤、プライベート盤があった。

 西新宿には、ほんとよく通った。

 あれから30年。

 今は、どんなふうになっているのであろう。まったくの未知だ。

 近々、西新宿に出かけてみよう。

 欲しいプライベート盤があるのだ。それを探しに。


「暖房」'10.4/6

 4月になったといっても、まだまだ寒い日はある。

 コタツもしまい、ストーブは押入の奥すぎて出せず、、

 あるのは電気毛布のみ、、と、言いたいところだが、

 先日、その電気毛布が壊れてしまった。

 昨夜はほんと寒かった。

 部屋に戻ってきても、ダウンジャケットを着たまま、

 マフラーをしたまま、ふつうの毛布をひざかけにしても、

 やっぱり寒い。だって、暖かくなるものがないんだもの。

 しかたがないので、布団の中にもぐってみた。

 それでも寒いので、寝袋を出してもぐってみた。

 みのむし症候群。そのまま眠ってしまった。

 電気毛布が壊れてから、生活がガタガタだ。

 やっぱりね。多少なりとも、あたたかいものが必要なんだな。

 昔の日本なら囲炉裏とかね。

 また今日も自分がみのむしになるのではないかと心配している。


「最近出来た書店」'10.4/4

 住んでいる街の駅前に、大きめの本屋さんが出来た。

 今日でオープン四日目。僕もまったく知らぬままに、

 突然に本屋が出来ていた。

 入口はそんなに広くはないのだけれど、中は広くなっていた。

 オープンしたばかりというせいもあるのだろうけれど、人が多く入っていた。

 僕がまず向かうのは、趣味・文化のコーナーで、そこには探していた本が揃っていた。

 見れば、かなりマニアックな本も揃っていたけれど厳選されているように思えた。

 店内もとても見やすく、大げさな言い方かもしれないが、本屋さんの楽しみに満ちた配列になっていると思えた。

 入口が狭いというのも、逆手にとっているように思えた。

 入ってすぐ左に話題の新刊本。そして右には全国の旅行ガイドがずらり列んでいた。

 入口にある旅行ガイドのコーナーって素晴らしいアイデアだ。

 だいたい旅行ガイドの本って、とても派手で目立つんだよね。

 そこにあるのは「行きたい」と言う感覚。

 その「行きたい」という感情が生まれたまま、つい本屋に「入りたい」となってしまうようだ。

 たぶん人は旅行に出かけるときの気分のまま、本屋に入ると、とてもいろんなものが新鮮に見えるのではないかな。

 なかなか考えているなぁ。

 ・・・・・・・・・・・・・

 それにもまして、書店に人が多くいるって、なんだかとても懐かしかった。

 最近、書店がにぎわいがなくなって来ているのは僕にも実感出来ていた。

 そういうものかなと思ってみたりもしたけれど、実際、こうしてにぎわっていると、

 夢でも見ているような気分になった。

 きっとみんな、にぎわっている本屋さんが実は好きなんだな。

 この街に、文化が戻ってきたような気分にもなった。

 とりあえず、毎日寄ってみようかな。


「子供の心、大人は知らず」

 下町の100円コンビニストアーに寄ったときのこと。

 買い物をすまして店を出ようとしていたら、

 まだ小さい小学生の男の子がレジのところで、何か言われていた。

 「あと10円、あと10円たりないの。ある? 10円」

 たぶん100円の物をふたつ選んだのであろう。消費税でブラス10円なのかな。

 「あと10円ないの?」

 男の子は返事をしないままだ。。100円玉二枚だけ持ってきたのかな。

 まだ消費税という意識がないのかもしれない。

 10円10円という声の小さな時間が流れたあと、

 男の子は、ポケットから50円玉を出した。

 「あるじゃない、それで大丈夫よ」

 僕はついつい店から出れず、入口のところでかたまってしまっていた。

 子供の心、大人は知らず。

 君は、10円など持っていなかったのだね。

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