「最近の事」過去ログ'09.12月〜'10.3月
「チューニングの件」'10.3/31
最近はチューニングメーターも安くなり、
ギターに関しては、以前よりはかなりいい感じで音が合うようになった。
(ただ、チューニングメーター+微調整が必要なのだが・・)
チューニングがよく合っているギターは、和音の響きがきれいだし、
実に気持ちよく弾くことが出来る。
僕が東京に出てきた頃、ライブでよくギターのチューニングが甘く、
ひとライブまるまるチューニングがずれていたライブを観ることがよくあった。
「チューニングが変だよー」って声をかけて、本人が合わせるのだけれど、
結局、またずれてしまうということも多くあった。
'80年代までは、そういうことが普通だった。
みんなフレットを押さえて、チューニングを合わせていた。
今、思い出す、中学、高校の頃のギターの音。
なんだが、あれはみんなチューニングが微妙にずれていなかったか。
そんなギターの音が聞こえてくる。
なんだかどこかが、プロのギターとちがうみたいな感じがしていた。
あれは、やっぱりチューニングが微妙にずれていたんだな。
「ディラン最終日」'10.3/29
ボブ・ディランが来日して、今日で14回目のライブとなる。
そして最終日。
僕はもう4日も前に観に行ったので、満足はしているのだけれど、
最終日の今日は、そっと観に行きたい気持ちで満ちている。
ただ、ありがとうと言いたいために。
今回のディランはとにかく、ライブハウスということもあり、
毎日、曲目が多く変わった。昨日は昨日で5曲ほど今回初出の歌をやったという。
こんなに曲目を変えてくるなんて誰も想像できなかったであろう。
僕はその一日に行ったわけで、その一日もまた同じように貴重な一日だった。
大物アーチストがどうあるべきという定義などあるわけはないが、
ディランが、何かを伝えたかったのはよくわかる。
思うことを実行するって、さすがだな。
とてもシンプルでわかりやすいことだった。
今日は最終日。かなり盛り上がるのではないかな。
「3mmの目玉のおやじは見つかるだろうか」'10.3/27
今、僕のパソコン机の目の前には、
鬼太郎と、ねずみ男が将棋をしている小さなフィギュアが置いてある。
お菓子のおまけについて来たものだ。これが実によく出来ていてね。。
その真ん中の将棋盤に、2mmほどの目玉のおやじが立ってついている。
ふだんはそのフィギュアはパソコン机の中でバラバラになってしまうのだが、
僕が部屋を片付けるたあとは、いつも必ずそのセットを目の前に置くようにしている。
さて、今回も目の前に並べようかなと思ったら、
こともあろうに、将棋盤から目玉のおやじがいなくなっていた。
3mmほどしかない目玉のおやじが、、。
さてさてさて、目玉のおやじは見つかるだろうか。
さすがにこんなパソコン机にはいられないと、目玉のおやじは出かけてしまったのであろうか。
ああ、部屋が片付いたとしても、目玉のおやじが帰って来ないと意味がないように思う。
でもね、、目玉のおやじはもしかしたら、掃除機に吸い取られてしまった可能性は高い。
(おーい、きたろー!! )と、叫びながら、、。
まあ、目玉のおやじがいなくなったのは、僕への試練でなのであろう。
それから探しました。
3mmの目玉のおやじさんは、机の下のすみにいらっしゃいました。
「せっかく会いに来たので」'10.3/25
やっとなんとか部屋を片付ける方向に向かっている。
奥の部屋には、山ほど本やレコードがあるので、
どうしても取り出せるようにしたかったのだ。
インターネットの世界は広くて、いろいろ出てくるけれど、やっぱり情報ばかりが多い。
本の中身のようなものは絶対的に少ないと思う。
考えてみれば、その昔の人たちはインターネットのない世界にいたわけで、
それでも時を越えて、こうして僕の部屋まで本として来てくれたわけだ。
そんなすばらしい本。
最近、携帯電話を持っているのも持っていない人も同じなんじゃないかと思えている。
不便、便利という括りではなくてね。
50年60年と時を越えて、僕の部屋に来た本たち。
せっかく会いに来てくれたので、それに答えたいと思う。
バランスは大事だ。
インターネットをやっていると現代ばかりが大きい。
そのもうちょっと前、そのまたもうちょっと前とも友達でいよう。
「コタツ引力」'10.3/23
やっと昨日、コタツをしまった。
昨年の暮れ、ずっと出していなかったコタツを
友達が寒い寒いというので、しかたなく出したのだ。
しかしコタツを一度出してしまうと、ずっとコタツで眠ってしまうことは知っていた。
そのとおり、それからの約四ヶ月、ずっとコタツ寝てしまった。
実家にいた頃は、ほんとコタツ少年だったので、
最初は懐かしいなと思っていたが、また例によってコタツ生活になってしまった。
これをコタツ引力と呼びたいな。
それはコタツだけではなくて、わかっていても、すっと引き込まれてしまうものを、
コタツ引力と呼びたい。
「K・I 」でもいいが。
それにしてもコタツの引力は恐ろしい。
「回想ボブ・ディラン」'10.3/21
僕が最初にボブ・ディランを意識したのは、
中学1年の時、1973年のことだった。
その頃、フォーク系の雑誌はかなり盛り上がっていて僕も買い始めていたが、
Bob Dylanと言うと当時、かなり伝説に近いイメージになっていた。
たしかに1974年からのディランは再始動という感じで、アルバムを作り、
ツアーを再開させるので、そのちょうど前の頃であった。
まだディランが伝説だった頃、フォークの神様と日本で、とりあえず言われていた頃。
「 Bob Dylan」という字面は、なんだか遠く、ひと時代向こうの古い響きがあった。
まあ、それも1974年の全米ツアーで、みごとにイメージを変えるわけだけれど。。
1974年からのディランはほぼツアーを続けているようなものかもしれない。
1973年は映画には出ていたけれど、音楽的には、かなり地味だったんだよね。
サウンドトラックは作ったけれど。
最初に、とある有名な音楽雑誌で、ボブ・ディランが生ギターをステージで弾いている姿の写真を見た。
それはかなりかっこ良かったが、伝説の人のようであった。
僕の中で「Bob Dylan」の字面もそんなふうに見えた。確かに。
1974年以降にディランのファンになったみんなは、「Bob Dylan」の字面を観ると、
ツアーバンドを引き連れたパワーいっぱいのイメージのまず持ったかもしれない。
最初に出会った年で、イメージも変わるのだろう。
この2010年3月、ボブ・ディランは来日している。来週にはそのライブを観にゆく予定だ。
僕にはなんだかいまだに不思議な気分が抜けない。
古い雑誌の写真の中から人が出てきて、エレキを弾いているようだ。
もうすぐライブにゆく。ひとり静かにいろんなことを想うだろう。
「バラッダー」'10.3/19
ひとつの語り歌を、バラッドと言うが、
僕の印象では、なるべく短く、そして短すぎず、
シンプルに淡々と歌うというイメージだ。
それもあきないように、何度も歌えるように。
「こんな人がいた。こんなことがあった。こんなことになった。」というように。
そんなバラッドを歌う人を「バラッダー」というかは不明だが、
僕はバラッドを作る人、歌う人をあえて「バラッダー」と呼んでみたい。
ひとつの物語を作るのは、ひとつの物語を話すようなものかもしれない。
でも、たぶん話すとしたら、多くの言葉と、多少の時間がかかるであろう。
やっぱりある程度構成して、シンプルにストーリーをまとめることが、
バラッダーとして大事だ。
物語の最初には、その最後の展開は想像もつかないことになっていることがほとんど。
それがバラッドの魅力でもある。
ひとつの出来事を伝えるには、いくらでも方法がある。
小説にもなるだろうし、映像にもなる。
日記のようにもなるだろう。インタビューのようにもなるだろう。
「4対3、16対9」'10.3/16
今、テレビ放送はデジタル放送に移行中で、
横長の画面になりつつある。
よく言われる16対9の画面のことだ。
いままでのアナログは4対3の写真サイズの画面。
今はビデオカメラも横長画面ばかりになりつつあるけれど、
僕は少し疑問に思う。
いくら映像がみんな横長になったとしても、写真はまだまだ4対3のままであろう。
そのうち写真も横長になるのかな。
しかし考えてみれば、目が見えている視野の世界は、横長というより写真サイズではないか。
むりやり横長と思ってみても、左右はほとんどぼやけている状態だ。
シネマサイズというものもある。映画の画面サイズは、
きっと映画館の作りの関係が大きいように思う。
映像も写真サイズで問題はないと思うんだな。だって目が見ている世界と似ているからね。
横長であっても、左右はなんとなくぼやけていてもいい。
横長の画面を全部くっきりと使う画面は、逆に不自然かもしれない。
写真もそのうち、16対9の印画紙になるのかな。
それはないと思いたい。
僕は4対3の映像が古いなんて思っていない。
「中学生が言っていたこと」'10.3/14
とある下町の大きなコンクリ空地の階段のところでの話。
中学1年か2年生かと思われる学校帰りの男子諸君が、階段のところに座り、
みんなでカップラーメンを食べながら話していた。
それぞれの好きな女のコのタイプの話を大きな声で。
僕はその回りを外回りで歩いていたので、自然と聞こえてしまった。
思い出すのは、自分が中学生なりたての頃。
僕もよく友達と、好きなコの話をしたものだ。
まあ最初はみんな、CMに出ている女性とかね。
昨日の男子のひとりはまだ好きなタイプの女のコがいないようすであった。
みんなにせめられ、なんとか自分なりに見つけて答えていた。
CMによく出ている女性を。
「おれもそのコをカワイイと思う!!」
ようやく自分の好きなコを決定したようすであった。
ほんの1時間のあいだに。
「おれもそのコをカワイイと思う!!」
「旅人シンガー」'10.3/12
夕暮れ過ぎの街はずれを、ギターのハードケースを片手にして、
ジーンズ姿の男が歩いていった。
いかにもフォークを歌いそうな表情と長めの髪で、年は30歳くらいか。
街を歩き通り過ぎてゆくような様子であった。
彼はどんな歌を歌うのであろうか。
ジャガジャガと弾き、またフィンガーピッキングのレパートリーもあるのだろう。
彼には古い創作ノートがあり、お得意のレパートリーが5曲ほどありそうだ。
全国を歌い回る旅人シンガーのように見えた。
その横顔が街をそっと通り過ぎる。
有名メジャーなシンガーもいる。ひとつのライブハウスにずっと出るシンガーもいる。
仲間うちの飲み会で歌うシンガーもいる。ギターを抱えて。
それと同じように旅人シンガーもいる。
旅人シンガーたちは、そっと街を眺める。同じように音楽シーンも眺める。
ハードケースのギターと自分をしっかりと持っている。
我ながらの傑作の歌も持っている。
メジャーシーンにはなかなか出て来なかったが、
たしかにいる。旅人シンガーという人生はたしかにある。
「プラネット・ウエイブス」'10.3/10
ディランの'74年に出したアルバムタイトルは
「プラネット・ウエイブス」だ。
同名のタイトル曲があるわけではなかったが、そういうアルバム名であった。
当時の事を振り返ってボブ・ディランが
「宇宙からの波動を感じたんだ」と、いつかのインタビューで発言していたのを憶えている。
たしかに'74年からのボブ・ディランはとてもびっくりするほど活動的になった。
まあ、僕も最近「プラネット・ウエイブス」らしきものを、なんとなく感じることがあった。
ディランが言っているものとは別のものかもしれないけれど、、僕なりに。
もう僕も、ある程度の年齢となったので、やりたいこともシンプルになって来た。
それをやるだけだなと。
わかった。
ほんとにそうなのかは、わかりませんが、やっておきたいことがわかった。
歯車がひとつ動いた。
「余白のある歌」'10.3/8
先日、絵も描ける友達の歌のライブを聴いた。
その歌を聴いていると、その彼の描くイラストや絵が浮かんでくるようであった。
僕も歌をうたっているが、歌いながら思い浮かべているイメージはオールカラーである。
単純に言えば、映画のカメラを回しているようなものだ。
今回、友達の歌を聴いていたら、イラストの回りの余白まで感じられた。
余白にある余韻というか、響きというか。
僕なんか、ついつい全部オールカラーにしてしまうものな。。
サービス精神のようなもので、ついつい。
でも考えてみれば、余白にこそ、響きがあるのかもしれないな。
描かずにして、響きあうもの。そんな歌を僕も作ってみたい。
「眼鏡の行く先」'10.3/6
眠るとき、眼鏡をコタツの上の置く。
起きたとき、コタツの上に手を伸ばせば、眼鏡はそこにあるはずなのだが、、。
今朝はどうしても見つからなかった。
コタツの上、コタツの横。パソコンのキーボードの上。
枕の後ろ、枕の横、掛け布団、敷き布団、毛布の中、
そしてコタツの中もさぐってみたけれど、どこを探してもない。
たいがいはそのどこかにあるのだが。。
メガネ探しのときは、むやみに歩いてはいけないのが鉄則だ。
なぜなら、 メガネを踏んでしまう可能性があるからだ。
今回はかなれり探したが、メガネがどこにもない。
・・・・・・
もしやと思って、コタツにもぐって、奥をさぐってみた。
手のさわったのはメガネのフレーム。
これはもしや最悪の事態か。当然、僕の足がそこまで運んだということであろう。
おそるおそるフレームを見てみると、フレームは大丈夫であった。
ラッキーではあるが、なぜミコタツの奥にメガネは行ったのか。
ぜったい、コタツの中にメガネを僕が入れたのであろう。
ありえるか。ありえたんだろうなあ。でもフレームが無事でよかった。
「中村先生」'10.3/4
思い出したのは、高校一年のときの担当の中村先生のこと。
もうこの年で、定年になるというときに僕らの担当になった。
日に焼けた顔の髪の毛のもう薄い、小柄な中村先生。
少しだけだが、よぼよぼっと歩く。
授業中、よく面白い話をしてくれた。
もう、話をするときは授業はストップではあるが、
中村先生はおかまいなしだ。
まあ、他の先生もそうであったが。。
いろんな話をきいたが、そのうちのふたつはよく憶えている。
ひとつは寒冷地に行ったとき、そこで「くそたけ」を見たという話。
汲み取り式のトイレに行ったら、得体の知れないものが便器から生えていたのだという。
驚いて戻ったら、家の人に「それはくそたけだ。棒で折って用を足すんだよ」と言われたという話。
もうひとつは、若い頃、トラブルに巻き込まれて、どっかの原っぱか何かで、
1対50人くらいの対決になったのだという。
中村先生は、その対決の話しをたっぷりとリアルに話してくれた。
そしていいところで、チャイムが鳴った。
「じゃあ、この続きはまた」と、言って、机にノートを縦にトントンと叩いて行ってしまった。
中村せんせい、この話の続きは忘れてしまったよ。
僕は商業高校だった。学校の古い写真を見る機会があった。
もう、そのときより20年くらい前の、、。
先生たちの集合写真の中に、髪の毛がしっかり黒く、
ネクタイをした40代と思われる中村先生が写っていた。
よぼよぼの中村先生ではなく、精悍な感じであった。
(対決はこのころの話かな・・)
中村先生の定年の一年前。ラスト一年は僕らしいたのだ。
「どびゅっしぃー」'10.3/2
高校一年のとき、もう今年で定年になるという先生が担任になった。
髪の毛のほとんどなかった、中村先生。
先生はいろんな話をしてくれた。そのどれもこれもが印象的であった。
そして何回も出て気た言葉が、
「どびゅっしいー」である。
それは作曲家の「ドビッシー」のことではあるが、、。
中村先生はほんと言いにくそうに「どびゅっしいー」と言う。
とにかくその作曲家に出会い、とても衝撃をうけたのだという。
先生は「どびゅっしぃー、どびゅっしいー」と言う。
すごいすごいって言うけれど、どんな風にすごいかはまったく伝わってこなかった。
ただその名前は響きはすごかった。
「雨の東京マラソン」'10.2/28
今日は東京マラソンの日であるという。
でも、朝から本降りの雨。
こりゃきついね。
今日の日をずっと楽しみにしていた人も多いであろう。
運動会なら雨天順延ということにもなるが、東京マラソンは雨天決行だ。
3万人ほどの人が参加するというが、3万人が朝の雨にがっかりしたであろう。
でもまあ、天気は悪いのはどうしょうもない。
午前中いっぱいは降るというのだ。
午後にマラソンというのは出来ないのであろうか。
まあ、来年は晴れるさ。
僕も仕事がら、冬の雨の日に外仕事をするときがあるが、
そんなときは、仕事前が大切である。
一番、良いのが、ニンニク入りの味噌とんこつラーメンね。
東京じゅうのらーめん屋さんが、朝から営業してくれないかな。
ニンニク入りの味噌とんこつラーメン出してくれるといいのに。
「ギターの天然水」'10.2/26
ほぼ三日ぶりにギルドのギターを弾いてみた。
冬は乾燥しているのでギターの音色も良いのは知っている。
知っているが、自分が思っているよりも音の反応がとても早い。
サウンドホールから、ふわんっと音があふれる感じがわかる。
ピック弾きが、そのままあまり力を入れずにさわさわっと弾いてみる。
数分間。
このギターの音色は、いつも想像を超える新鮮さがある。
木がほんとによく鳴っているということなのであろう。
音のはねかえりというものが、僕が思っているよりも少し早い。
たぶん三日ぶりに弾いているというせいもあるのだろう。
世間には、いろんな天然水が売られているが、
ギターの音色というのも、ひとつの天然水ではないかな。
まあ、それは僕にとっての事ではあるが。
忙しくなると、ときに部屋じゅうのものが、ほこりをかぶり、
古く感じられることもあるが、
「手帖」'10.2/24
深緑色の小さめの手帖をもう、もう20年以上使っている。
毎年、暮れになると、同じ手帖を買ってしまう。
シンプルでとても、使いやすいからだ。
思い返せば、この20年、この深緑色の手帖とともにやってきたのだ。
あまり書き込まなかった時期もあったが、今年はこまごまいろいろ書いている。
最近は物忘れもひどく、名前をきいても、ひと月もたつと思い出せないことも多いし、
やっぱりね手帖に書いておかないとね。
以前は、録音できるICレコーダーを使っていたが、今は手帖がぴったりきている。
外仕事中も持ち歩いている。そして毎日手帖がうまってゆく。
「かき回しのスプーンを使わない珈琲の入れ方」'10.2/22
もう25年ほど前、僕は青果市場で働いていました。
それはそれはとても小さな仲買のお店に。
一階には人ひとり入れる事務の部屋があり、
長年、ベテランの女の人がいつもいた。
その人はいろいろとダイナミックであった。
ひと休みに入ると珈琲を入れてくれるのだけれど、
いつもかきまわしのスプーンを使わなかった。
まず、スプーンでインスタント珈琲を一杯、
砂糖を一杯、粉末ミルクを一杯。
それがまったく同じ量なんだな。
だから入れのが早い早い。
そしてお湯を少しだけまず注いで、
そのあと一気にぐわっと、お湯を注いだ。
すると、砂糖もミルクも無事混ざっているんだよね。
とにかく、珈琲を出すまでが早かった。
ときどきそんな事を思い出すわけだ。
「500マイルも離れて」'10.2/20
友達が、'65年のピーター・ポール・アンド・マリーのツアービデオを貸してくれた。
白黒で、まるで三人の幽霊のようではあるが、、
その幽霊のような三人が良い唄をうたうこと、うたうこと。
古いとか、フォークだとか、そんな次元を越えている。
白黒フィルムでしあるけれど、まったく色褪せていない。
その中の一曲に「500miles」があった。
邦題では「500マイルも離れて」だ。
この唄、僕も路上でかなり唄ったんだよね。
歌詞はとてもシンプルだ。だいたいこんな感じ。
もし僕が離れていったとしても100マイルまでは汽笛は届くだろう。
でも、500マイルも離れてしまった。500マイル、500マイル・・
メロディーはシンプルだが、とてもものがなしい。
それでいて、マイナーではない。
コンサート会場で、この歌をP.P.Mは唄っているけれど、
この唄は、やっぱり遠くはなれて唄ううたであるような気がする。
もう30年ほど僕はこの500milesを唄ってはいない。
この唄のメロディーはあんまりにもさびしいからだ。
新幹線も出来たし、遠くも近くなった。
この唄は、今も離れた先にある。遠いどこかの道の風のようにある。
とて良い唄ではあるけれど、いつも500マイルの先にいるようだ。
「夕暮れ前を待つ鳩」'10.2/17
ときどき鳩が一羽、家のコンクリート敷きのところにいたりするよね。
みんなと離れて、たった一羽で。
考えるにあれはやっぱり、みんなとはぐれてしまったのだろうか。。
じっとしていたり、ちょこちょこっと動いたり。。
ふつうならば迷い鳩ということになるのだろうが、
僕には、まったく心配がいらないように思う。
ただ夕暮れ前を待てばいいんだよね。
みんなが空を飛んでいる中に、入っていけばいい。
それでまた会える。
みんなとはぐれてしまったら、ただ夕暮れ前を待てばいい。
どこを探さなくてよい。
「明治時代の夜汽車」'10.2/15
そうだ、僕は小学校時代、石川啄木の短歌が好きだったのだ。
なんだかね。小学校時代の僕にはわかりやすかったのだろう。
自分でも三行詩の短歌を多く書いた。
東京に出てきて、石川啄木の故郷を訪ねたりした。
「一握の砂」の本は、暗記するほど読んだ。
すっかり忘れていたけれどね。
'81年だったかな、テレビで石川啄木のドラマシリーズををやっていて、
僕はそのドラマを目をこらして見た。
何度も何度も出てきたのが、明治時代の夜汽車のシーン。
石川啄木といえば、夜汽車のシーン。
いろんな出来事もあり、やるせなさもあり、少しの希望もあり。。
そんな明治時代の夜汽車のシーン。
・・・・・・・・
今は2010年。事務所の蛍光灯の下、現代文明のものばかりである。
ふと、なぜか自分は、実は明治の夜汽車に乗っているような気がした。
まぶたをとじてみると、、。
その明るい事務所にいても、同時に夜汽車にいるようであった。
僕は年齢的にはおじさんではあるけれど、明治の人でないのはわかっている。
「明るいペンライトの効用」'10.2/13
僕はつい最近、仕事でペンライトをLEDに変えた。
使ってびっくりLEDライトって明るいね。
友達はもう何年も前から、使っているのに、なぜ僕は使い遅れたのだろう。
LEDライトは白い光で、物がよく見える。
それに光量が強いので目をこらす必要もなくなった。
使い始めて、今ふた月目なのだが、明るいペンライトについての発見が実に多い。
人は集中すると、たぶん2センチくらいしか、物のピントが合わなくなるとして、
明るいペンライトにすると、それが4センチくらいに広がる。
カメラのしぼりの原理とたぶん同じなのだろう。
つまり一度により多くの情報を見ることが出来るんだな。
これが困ったことでもあるが、気付かなかったことも見つけられる。
だから、最近、部屋で探しものをするときに、LEDペンライトを使っている。
これが効果抜群なんだな。
「三杯珈琲チューニング」'10.2/11
ギターのチューニングをばっちり合わせると、
想像できないほど、ギターが良いサウンドになることがある。
チューニングって大事だなと思う。
そんなふうに、僕らの体もチューニングを実はしているのではないかと思っている。
僕自身のことに関して言えば、朝起きて仕事を始めるまでに、
なんとか体をチューニングしているのではないかな。
夜眠るのも遅いのだけれど、朝は早い。
5分おきになる目覚まし時計がだいたい20分が続く。
そして起きて、珈琲を一杯。
駅に向かう間に、缶コーヒーを一缶。
30分、電車に乗り、事務所まで15分歩く間に、また缶コーヒーをひと缶。
僕には、この三回の珈琲タイムが、ちがう珈琲タイムに感じられる。
目覚めの一杯。動きの一杯。微調整の一杯。
えへへへへ、そんなことがチューニングと言えるかい?
と、言う人も多いと思うが、これがまた本当のような気がしている。
コーヒタイムは、息の吸い込みに特徴がある。
一杯目はなんとなくのチューニング。二杯目はだいたいのチューニング。
三杯目で、仕上げの微調整チューニング。
やっぱりさ、一杯じゃ無理なんだよね。
コーヒ飲み過ぎって言われるかもしれないが。。
「何か忘れている」'10.2/9
昨日の帰り、高円寺の駅を降りると、
どこかに寄るような気がしたが、さてまったく思い出せない。
しばらく駅前にとどまり、行く予定のありそうなところを頭の中でひと巡りした。
(オリンピックでもないし、99イチバでもないし、100円ショップでもないし、本屋でもないし、ビデオ屋でもないし・・)
「よし、大丈夫」。そう自信を持って家に向かった。
それにしても、何でそう思ったのだろう。それも、確実にそう思ったなんて、、。
部屋に戻って、あれこれやっていた。だんだんお腹も空いてきた。
そして思い出した。
昨日、中華屋で買った350円弁当を、今日も買おうと思っていたのだ。
そしてまた思い出した。
その350円弁当を何にしようか、帰りの電車の中で考えていたのだった。
そして、何を買おうかまで決めていたのだ。
高円寺駅を降りる少し前まで。やべっ。
何か忘れていると思えるときは、やっぱり何か忘れているものだね。
「同じ唄など作るわけがない」'10.2/7
人はみな同じで、国がちがっても基本的に変わらない。
そう思うこともできるが、やっぱり育った土地は大事であろう。
江戸の頃の「おひけえなすって てまえしょうごくとはっしまするところ・・」の言葉を想う。
どこの土地に生まれたとしても、堂々としていていい。田舎も町も比べることもない。
自信を持って土地の名前を告げるといい。
そんなふうにみな、どこからかやって来た。まるで遠出してきているワンちゃんのように。
見知らぬ町に来たとしても、何恥じることがあるだろう。
越後の犬。蝦夷の犬。肥後の犬。筑前の犬。。
あなたがどこかの土地のワンちゃんならば、それはワタシト同じこと。
海の向こうのどこかの土地のワンちゃんと並んだとしても、
堂々としていればいい。
だって、たとえ似ていたとしても、同じ唄など作るわけがないんだ。
同じ唄を作ったつもりでも、かならずやちがう。
そう思ってみることだ。
みな誰しも、その根っこに堂々とせよ。
「銭湯」'10.2/5
近くに人気のある銭湯があり、
先日行ったときは、空いているロッカーもなかなかなかったほどであった。
人気があるのもよいのだけれど、飛び入りのお客さんも多くなるようだ。
とくにわかものが、、。
銭湯でも入ルカー、みたいなノリであろうか。
一番、困るのが、高校生の修学旅行のような騒ぎ方をするみんなだ。
あれがうるさいうるさい。水風呂に入っては。つめたいと言って騒ぐ。
おまけにね、湯船の入り口に並び座って喋る喋る。
先日は、ほんとに銭湯が混んでいて、洗い場もうまっていた。
おっ、空いているところがあるなと思ったら、小さなシャンプーとリンスが並んでいた。
小さなシャンプーとリンスというのは、30円くらいで売っている飛び込みの人用もものだ。
まあ、たぶん使ったまま、そこに置いてあるのだろうが、
はたして、その人はいるのかいないのか、、。
こまっちゃうんだよね。
確認できないし。ちっこいシャンプーとリンスは、
「古い写真」'10.2/3
仕事先の自転車置き場の近くに、小さな株式会社がある。
その看板を目印に、いつも路地を曲がるのだけれど、その看板はまるで20年前と変わっていない。
ふと20年前にタイムトリップしてしまう気分だ。
20年前の風景は少し色褪せた感じで。。
・・・・・・・
そういえば、ずっと思っているひとつの疑問がある。
ここ10年くらい、35mmフィルムカメラで焼いて出来てくる写真はとても色がきれいだと思う。
20年前のカラー写真は、もう少し色がくすんでいた。
表面も編み目仕上げになっていたしね。
もしかしたら、同じフィルムを今もう一度焼きに出したら、きれいに焼けてくるかもしれない。
もしかしたらではなくて、本当かな。まだ焼きに出してはいないけれど。
20年前に撮った写真は、どれもそんなふうに少し色褪せている。
当時でさえも、写真って、そんなものだなと思っていた。
つい先日の出来事であっても、どんなに楽しい出来事であっても、
思い出になるときは少し色褪せる。それが20年前であった。
・・・・・今のデジタル写真は、ちがうね。
20年前の東京に出てきた頃を想うとき、僕自身でさえも、少し色褪せた動画の中にいる。
商店街には古くからの店の手書きの看板もあり。。
もしかしたら、デジタルカメラになってからの今の若者の思い出は、色褪せていないのかもしれないな。
・・・・・・・・・
そうだ、今日はカメラの話を書こうとしたのではないんだよ。
僕らの大切だった時間は、僕らの中では、すべて少し色褪せているということなんだ。
その感覚はまだ、僕の世代は残っている。
写真にしたとたん、すべてが色褪せてしまうことは知っているが、
ストーリーは、そのまま残っている。そのストーリーは色褪せないことを知っている。
写真で足りないところは言葉で。
・・・・・・・・・
ここ10年のデジタル文化に、かなり押されぎみではあるが、
僕は少し古い人でありたい。
駅で会う。君が改札向こうで手を振っている。
「一週間」'10.2/1
この五日間ほど、仕事はお休みであった。
いろんな事をしよう決めてはいたのだが、
かなりの時間を映像や音源編集についやした。
DVDやCDを15枚ほど編集した。チラシも作った。
予定では部屋もかなり片付いているはずなのだが、そこまでは出来なかった。
友達とも会い、映像のことを相談にのったり機械を貸してあげたり、、。
それらも、それなりになんとかなった。
この一週間、予定通りにはいかなかったことも多いが、
しっかりと形になったことも多い。
まあ、予定は予定だし。。
「職人技」'10.1/30
今使っている財布はチャックが調子悪い。
調子悪いというか、ほぼ壊れているのかな。
以前、小銭が多く入った状態で、無理矢理チャックをしめたら、
途中が壊れてしまった。
それでも、うまくしめるとなんとかチャックはうまくしまった。
それが四ヶ月くらい続いたかな。
今度はまたさらにチャックが調子悪くなって、いままでやり方ではだめになった。
そろそろ替えどきかなと思ったが、チャック以外は壊れていないので、
なんとかしめ方を開発してみた。これが難しいんだな。
力を入れれば失敗する。まさに職人技。
だから最近は財布のチャックをしめるたびに職人技を出さねばならない。
自販機でジュースを買っても、職人技。
パンを買っても、職人技。
まあ、それもよし。
そうやって、数ヶ月がんばれるだろう。
「寄ったところ」'10.1/28
僕の本棚には、古典や江戸の頃の文学作品も多く並んでいる。
江戸の頃の俳句など、影響を受けてきたとはっきりと言えるし、
今でもとても身近にそれらの本を感じている。
しかし、あっというまに時はたってしまい、ここ10年ほどは、あまりそれらの本を開かなくなった。
不思議だが、その10年はあっというまだったので、今も同じ気持ちのままなのだが。
このまま、あまり本も開かずに、また10年20年とたってしまいそうな予感もする。
ほんとうにそうかもしれない。
それでも遠く感じられないのは、そこは通った町だったからだろうか。
それとも、そういうひとつのパズルが僕の中を埋めたということことだろうか。
それとも、そこに自分を探し、見つけたので、僕がそこにもいるということだろうか。
いやいや、それとも僕はその町に自分から訪ね、寄ってきたのかな。
10年20年と、僕は何度もその町を訪ねたことがある。
持ち歩くカバンの中に、その町はずっと入っていたことがある。
「ビデオ撮り、いろいろな失敗」'10.1/26
先日、ライブのビデオ撮りを任された。
ライブのビデオ撮りはかれこれもう25年ほどやっている。
仕事ではもちろんないが。
数々の失敗がもちろんある。
ビデオ撮りに失敗したときの悔しさは言葉では言えないほどだ。
ときには、スタートボタンの押し忘れなんてものもあるし。
天井を撮っていたなんてときもあった。
こまごまとした、いろんな失敗防止のためのテクニックを、
自分なりに見つけることになった。
ビデオ撮りはみんな失敗する。それはしかたがない。
最新型のビデオカメラは、うまく出来ていて、
なかなか失敗しないようになっているという。
それはいいことだ。くやしくないし。
「ストーリー」 '10.1/24
先日観た紙芝居には、そうとうにひきこまれた。
三作品どれも良かったが、そのひとつが特に良かった。
物語の展開と話術もうまく、かなり印象的であった。
実は今も僕自身がそのストーリーを憶えていて、
ほぼリピートできるように思えている。
7分か8分くらいの作品であったろう。でも忘れられないほどに印象的であった。
ああ、ストーリーのある作品っていいなと実感した。
こんなにも、人をひきこむことが出来るなんて。
僕の唄も物語になるものが多いけれど、あんなふうに聞いてもらえたら最高だな。
ほんの5分6分で。
フィギュアスケートのフリースケーティングの約4分半が、
忘れられないひとつの物語に思えたときのような。
「あかぎれ予防」 '10.1/22
冬になると、指のあちこちが切れて大変に困っていた。
外仕事の作業で、常に指があたるところが、あか切れになった。
一度切れるとこれが痛い痛い。。
毎年、このあか切れに苦しんで、うん10年たった。
あか切れになったら、もちろん絆創膏を貼った。
しかし、一昨年からほぼ指のあか切れはなくすことに成功している。
それは、あが切れが出来るところに最初から絆創膏を貼っておくのだ。
別にその場所が痛いわけでもないのだが、絆創膏を貼る。
これが一番、あか切れ予防になるようだ。
そのかわり、毎日毎日、何カ所も貼るのだけどね。
「傷には絆創膏」、これはもちろん。
「弦・なんかちがう」 '10.1/20
先日、ギターの弦を新しく張り替えた。
一週間ほどたっているが、またハリハリした音で鳴っている。
コタツに入り、ポロポロとギターを弾いてみるるが、
どうも新しい弦だとしっくり来ない。
中学生の頃は、新しい弦だと喜んでいたものだが・・。
今は、弦は馴染んだ音の方がしっくりと来る。
もしかしたらさびない程度にかなり馴染んだ音の方がいいな。
「夜に出かける」 '10.1/18
年に数回、いや1回かな、この季節、
まだ夜明け前に出かけることある。
普通は、夜が少し明けたくらいの時間になるが、
少し早めに出るときなどはまだ暗い。
星も出ていることもある。
以前は、こんな夜明け前に出かけるなんてと思っていたが、
ここ数年は、一度でも二度でもそんな日があると安心した気分になる。
夜のうちに出かけるのは、なんとも味がある。
なんだか、早く家を出る人だけの特権のような気もしてくる。
駅に着いて、ホームで待っているとうっすらと夜が明けてくる。
その時間もなかなかいい。
「目覚まし時計スイッチ事情」 '10.1/16
昨日、目覚まし時計を買いに大きなデパートに寄った。
国内で出ているあらゆる目覚まし時計があったのだが、
スイッチに関して、ひとつの共通しているところを見つけた。
この目覚ましも、あの目覚ましも、目覚ましの小さなオン・オフが、右横についていた。
そっちの目覚ましも、向こうの目覚ましも。。
今僕が使っているのは、オン・オフスイッチは上にあるので、
オンのときは、スイッチが上に出ているので、目覚ましをかけているとわかる。
1メートルくらい離れてねもわかる。1メートル半くらい離れてもわかる。
しかし、右横にボッチのようについていたら、目覚ましがかかっているわからないじゃないか。
わからないよね。熊本もみなさん、北海道のみなさん、新潟のみなさん、
わからないよね。
おじさんは、目覚ましを一度セットしても、しばらくすると忘れてしまうので、
ちゃんと眠る前にセットしてあるか、よく眺めるんだ。
だから、目覚ましをセットしてあるか、1メートル半くらい遠くからでもわかるようにして欲しいんだ。
右横にボッチがあってもいい。遠目に見ても、セットしてあるかわかるようにして欲しいんだ。
目覚まし時計なんだから、その辺は大事なんだと思うのだが。。
・・・・・・
1980年代に入った頃から、止めてもまた鳴るスヌーズ機能が目覚ましには付くようになった。
押せば何度もなるスヌーズ、完全に止めるのは押してひねるタイプのものが多かった。
あれから30年たった。
僕はその間、ずっと遠目でも、セットしてあるかわかる目覚ましをつかってきた。
「原曲より良かった」 '10.1/14
ボブ・ディランが以前、レコードにした唄の原曲を聴いた。
普通はオリジナルの方が良く思えるものだが、
今回に関しては、ディランの方が楽曲をうまく歌えているように思えた。
唄のイメージがよりはっきりするように唄っているし、、。
さすがだ、、おどろいたよ。
オリジナルのレコードの方は、マイクがあって、レコーディングしましたという感じなのだが、
ディランの方は、マイクがあって、唄があって、そのスタジオの空気があって、
その空気の中で唄っているという感じなのだ。
なんというか、口からマイクまでの距離ではなくて、
スタジオ全体の雰囲気をマイクが拾っているという感じなのだ。
単純に、ライブ感があるというのかな。
僕も先日、ひとつの楽曲を自分なりにアレンジしようとがんばったが、
うまくいかなかったかもと思っている。
「ハウス・ジャワカレー」 '10.1/12
最近は100円ショップ等で、カレーのルーを買うことも多い。
そんなときは、とりあえず売っているカレールーの辛口を選ぶこともあった。
最近のコンビニエンスストアーでは、中辛と甘口ばかりが置いてあり、どうも納得がいかない。
以前はちゃんと辛口も置いてあったじゃないか。。
僕が東京に出て来た'80年より、アパート暮らしでカレーを作るときはいつも、
ハウス・ジャワカレーであった。もちろん辛口。
初めて作るカレーではあるので、その美味しさは格別であった。
実家にいた頃は、バーモンドカレーの甘口であったので、なおさらだ。
当時、ハウス・ジャワカレーはどの店でも見つけることが出来た。
'80年代最初から、僕がカレーを作るといえば、ジャワカレー、、。
ここ数年はついつい激安ショップで、最近のカレールーなどを買っていたが、
先日は、大きなスーパーマーケットに出かけ、ジャワカレーの辛口を買ってきた。
久し振りのジャワカレーはやっぱり美味しかったなー。
これは、僕がひとりでカレーを作り出した味なんだよな。(今もひとりだが・・)
他にもいろいろ出ているよ。こくまろカレーとか、ゴールデンカレーとか、とろけるカレーとかね、
'80年代最初、僕はたしかに近くのコンビニで、ジャワカレーの辛口のルーを買った。
おじさんにとって、ひとりで作るカレーはジャワカレーなんだよ。
ジャワカレーは何かが違うんだよ。
こくまろとかとろけるとかごーるでんとかとかなにかちがうんだよ。
おじさんは、ジャワカレーにこだわろうと思う。
「貝のみそ汁」 '10.1/10
体調がいまひとつで、胃の調子もいまひとつだった。
お弁当を買ったついでに、しじみのみそ汁も買った。
ほんとのしじみ貝入りね。
貝のみそ汁って、うまいね。胃にしみるというか、体が求めるというか。
目に浮かぶのが、古代の遺跡で、貝がらがよく出土される写真だ。
昔の人はやっぱり、貝が好きだったんだろうな。
そのときにみそ汁があったかはまるで不明だが。
似たような貝汁を飲んでいたのではないかな。
体にいい、体にいい、と思いながら、、
胃にいい、胃にいい、と思いながら、、
疲労にいい、疲労にいい、思いながら、、
「目覚まし」 '10.1/8
いつも使っている目覚ましが調子が悪くなった。
近くのディスカウントストアーに、目覚ましが多く置いてあり、
まあ、どれかに決めようと出かけてみたが、決めることが出来なかった。
デザインは良いのだけれど、いまひとつ使い勝手の難しいものもあった。
それは、目覚まし時刻セットのつまみと、普通の時刻調整のつまみが並んでいるものだ。
そのつまみは並んでいて、まちがって回す可能性も高いのだ。
だいたい、眠る前や起きたときは頭がぼやっとしているので、
まちがって回してしまうこともあるだろう。
まちがって回してしまったら、ほんとの時間がわからなくなってしまうし、
目覚ましをセットしてもそれが合わなくなってしまう、、。
大問題ではないですか。
時刻セットのつまみをひっぱって調整するタイプなら大丈夫そうだけれど。
ぼやっとした頭でも、しっかり使える目覚ましであって欲しい。
・・・・・・・・
そういえば、カセットテープレコーダーでも、
まちがって録音ボタンを押しそうになる機種もあった。
なぜ、まちがって録音ボタンを押しそうになる機種を作るのか、、。
「ステンレスのカップ」 '10.1/6
もう20年も前に買った、ステンレス製のカップがある。
登山用品屋で売っているようなマグカップである。
20年たってもまったく壊れていないので、この先の20年も壊れなそうだ。
ステンレスのカップってほんと長持ちするんだな。
南インドを旅したとき、小さなステンレス工場の多い町があった。
カンカンと作っていた。インドでは、ステンレスのカップがよく出てきたが、
大事に使えば、かなりの年数使えるだろう。
こんなにステンレスのカップがもつならば、もし小学校に使っていたカップを、
おじいさんになるまで使うことも可能だろう。
それも毎日毎日使って。そういうことも可能だろう。
毎朝毎朝、一杯の熱い珈琲を、そのカップで飲むことも可能だろう。
「アパートの階段」 '10.1/4
友達のアパートはとても古い。
ほんとならば、建て直しされてもおかしくない建物だ。
玄関から廊下も古い。扉も古い天井も古い。
僕が東京に出てきた頃には、まだ多かった古いアパート。
その古い階段から外に出ると、すっかり2010年の街である。
その階段は急で、ゆっくりと降りないといけない。
ゆっくりと降りて、そとから外に出る。
その急な階段のゆっくり感に、僕はかなり思い出がある。
何度も何度もそんなアパートを訪ねたことがある。
2010年になっても、その階段は早くは登り降りできない。
そんな時間を通り、友達の部屋に行く。
僕の東京生活の始まりにまた、奇蹟的に行くことが出来ている。
「最初のおとも」 '10.1/2
最近作った新しい曲は、何度も歌詞を書き直してやっと出来た。
一度完成して、何かイメージとちがって、それでまた書き直して、
ライブでも一度歌ったあとで、また書き直した。
最初の最初、歌のイメージがやって来たとき、即興で歌ってみて、
いくつかのフレーズが出てきた。
それはまるで、桃太郎が最初に出会った、犬・雉・猿みたいなもので、
偶然とはいえ、オリジナルの大事な仲間である。
歌の歌詞を作り直してゆくとき、思い切り変えてゆくこともできるし、
新しいイメージやフレーズを足してゆくことも出来る。
でも、今回の歌に関しては、最初のイメージにこだわってみた。
桃太郎が犬・雉・猿に助けられたように。
なんとか言葉を並べ替えたりして、歌は完成した。
犬と雉と猿のおかげだろうか。
「出会いと別れ」 '09.12/31
ここ数日、富山から来た友達にとても会いたい友達がいた。
説明するのも、めんどうなわけだけれど。
最初に来た日に、まず、友達の勤めるハンバーグ店に突然に訪ねた。
たぶん10年ぶり。。
友達は、かなりびっくりした様子ではあったが、働く姿も見られて、
再会としたら最高のシチュエーションであったろう。
その日はライブであったが、終わってからまた会う約束をした。
これまた突然に、友達が最近借りたアパートに訪ねることになった。
突然だったので、少し前に電話をしておいたら、すっかり友達は部屋を片付け、
なおかつファンヒーターでぽかぽかにして待っていてくれた。
そして珈琲を出してくれた。夜中の1時すぎであったが、
その珈琲の美味しかったこと、、。
友達は、それから富山の友を写真に撮った。
そして今日の大晦日、予定にはなかったけれど、ほんの少しの空き時間に、
友達と古い喫茶で、富山の友達も一緒にお茶を飲んだ。
ほんの少しの時間。思い返せば、一昨日、ここに来たときも会ったのだ。
なんだが絵に描いたような、出会いと別れであった。
「アルバム」 '09.12/29
ボブ・ディランが今年作ったクリスマスをよく聞いた。
15曲入りのアルバム。
1曲1曲はそんなに長くないとしても、15曲聞かせるとなると、なかなかに大変だ。
友達とも、こうして一枚のアルバムを何度も聞かせるのはさすがだねと話していた。
もし僕が15曲入りのクリスマスアルバムを作ったなら、もっと気負ったアルバムになっていただろう。
2回も聞けば、へとへとになっていたかも。
どうやったら、こんなふうに15曲アルバムを何度も聞かせることが出来るのだろうと思う。
曲順の良さだけではなく、ちょうどいい空気を作っているんだな。
ふと気付けば鳴っているようなそんな自然さ。
ディランのこのクリスマスを最初に聞いたとき、いつもディラン節がひかえめで、
なんとなく物足りない印象もあったのだけど、こうして何度も聞いてみると、
実にうまく歌っていることがわかる。
「一曲」 '09.12/27
年末になって、お気に入りの楽曲を見つけた。
ここ数年は友達の歌をよく口ずさんでいたのだけれど、
久し振りに外国の歌を気に入って歌っている。
その一曲に出会ったおかげで、実に年末という気分になってきた。
不思議不思議、、。
ノーマルな焼き直しのようなアルバム。
それはまるで今年の自分のようではなかったか。
それでも、そんな日々をひっくり返すほどの力を楽曲は持っている。
その一曲は、何もかも越えて僕らに届いた。
いろんなことがたしかにあったし、つかれもたまったし、おかねもなくなったし、
そんなここともひっくるめて、その一曲はまとめてくれた。
この充実感は何だろうと思う。
たった一曲で、こんなに充実するなんて、
歌の力をもう一度、実感した。そんな大きな扉。
「鍵」 '09.12/25
友達は、やっとアパートの鍵を不動産屋さんからもらった。
いろいろと契約に必要な書類が揃うのに、手間がかかってしまったという。
毎日、今日か今日かと書類が届くのを友達は待っていた。
気をもみながら。。
そして、友達はやっと鍵をもらってきた。
その鍵は、友達にとって、とても大切な始まりとなるのはわかる。
この街に住んでる証でもあるし。
その一本の鍵のために、どんなに苦労したことか。
その鍵は未来の扉を開ける鍵でもあるだろう。
友達は「ほら、見てくださいよ、鍵」と言って、僕に見せてくれた。
鍵はどこから落ちてきたのか。。
「冬の」 '09.12/23
実家にいた頃は、犬を飼っていた。
そんなに大きくないワンちゃん。
そこは新潟であるので、冬には雪も多く降った。
・・・・・・
僕の部屋には今、ストーブ等がないので、布団に入るととても寒い。
体を自然に丸めたりするわけだけれど、なんだか、実家のワンちゃんとか思い出したってわけ。
犬小屋は一応、家の裏の物置のところにあったけれど、外に出るための隙間もあったりして、
冬なんかかなり寒かったであろう。
小屋の中でいつも丸まっていた。
雪とか降る日なんて、零度にもなつたであろう。それでもがんばれるんだな。
でも、それもあんまりなので、たいがいの冬の寒い日は、部屋にあげた。
足を拭いて綱をは放すと、台所を抜けまっしぐらにテレビの部屋に走り、
コタツの中にもぐった。その早さときたら、尋常ではなかった。
そんな寒かったのか、、。おまえは、、。
ワンちゃんはそれから30分ほど出てこない。それからふらふらになってコタツから出てくる。
・・・・・・
冬の日、日本中のワンちゃんは夜にこごえていないだろうか。
「明かりの消えた部屋のCDラジカセ」 '09.12/21
明かりの消した部屋から音楽がなっていた。
それも友達のライブの音源が。。
暗い中、小さなCDラジカセが鳴っていた。
その部屋には誰もいない。
まるで暗闇の部屋に向かって歌っているように。
その状況はたまたまではあるけれど、
友達の歌はそんな状況でもとても自然に聞こえた。
まさかそんな暗い部屋で自分が歌っているなんて想像もしていないだろう。
だって、誰もいない暗闇に歌うんだもの。
歌はそんな場所でも聞こえてくる。
「慣習」 '09.12/19
先日入った、中華料理の店は、日本の人がやってはいなかった。
本場の味ということにもなるのかな。
ニラレバ炒め定食を頼んだのだが、ほとんどがもやしばかりで、
あんまりニラが入っていなかった。
それにもまして、みそ汁がぬるかった。
みそ汁がぬるいなんてありえるか?
しかし、それでも良いと思っているのなら仕方がない。
ニラレバのニラの量だって、それが普通なのかもしれない。
同じように、向こうの人がやっている中華屋で、
辛い麻婆豆腐定食に水はなく、スープ一杯にお茶のみであった。
辛くて水が必要だなと思うけれど、向こう人たちは水は飲まないと思える。
それに辛くないかもしれないし。
カレーのときにも水が出てこないときがある。
カレーという観念も、カレーに水という観念もないのかもしれない。
その国にそういう慣習がないなら、それもまた味か。
その国の人たちもまた、水がなぜ出てくるのか不思議なのかもしれない。
「待ち遠しいクリスマス」(Merry Kogachin Koenji) '09.12/17
誰しもクリスマスは待ち遠しいもの。
ケーキ、プレゼント。そしていっぺえ飲むひともおるべや。
その嬉しさかげんが、とんでもなく大きい友人を知っている。
それは、、それはKogachinである。
Kogachinはクリスマスの日、いよいよKoenjiにアパート引越します。
僕の部屋から。。
Kogachinは突然にこの部屋にやって来た。それから三ヶ月。
予定ではすぐにKoengiの寮に入れるはずであった。
しかし思うように進まず、この部屋に三ヶ月。
15年前まで住んでいた懐かしいKonujiに。
どんなにかどんなにか、アパートを持つ日を楽しみにしていたことか。
そしてクリスマスの日、ちょうど仕事は休みで、その日に引越をする。
いよいよKoenjiのアパートに。
日本一、その日を楽しみにしているKogachin。
だから、日本じゅうで、それを祝ってあげないといけない。
祝ってあげましょうよ。
Merry Christmas そしてMerry Kogachin Koenji
日本じゅうの人が祝うのです。
言葉に出来る人は言葉にして、
ちょっとはずかしい人は、心で言いましょう。
「目覚まし」'09.12/15
朝、5時40分頃になると、
どこかでかすかにピピピ ピピピと鳴っているのが聞こえる。
奥の部屋のどこかで。
デジタルの腕時計が鳴っているのだろう。
もう何年もつけていない。
部屋の奥にありすぎて、まったくどこにあるか想像がつかないが、
こうして朝になるると目覚ましを鳴らしている。
ほんのかすかな音で。
以前は目覚まし音であったものが、今はヘルプ音になっている。
おかげでいつか探し出せるであろう。
「'70年代の音」'09.12/13
普段そんなに大きな音でギターを弾くことはないが、
先日のライブのとき友達が、大きな音でギターを弾いた。
'74年製のギルドのギターを。
そのギターから出てきた音ときたら、まさに'70年代のギターの音であった。
'70年代というより、40年前という感じか。
良い音だなぁと思うと同時に、僕には'70年代のフォークブームの音が聞こえた。
みんなにはあの'70年代の音が聞こえただろうか。
それとも、2009年の良い音のギターとして聞こえただろうか。
僕には、そのギターの音がひとつの森のように聞こえた。
ずっと奥の見えない森。
良く鳴るギターっていうのは、とんでもない実力を持っているんだな。
「おいしいラーメン」'09.12/11
高円寺に「ラーメン横丁」が出来るらしい。
と、いうかもうすぐオープンだ。(12/20)
地下1階にあるので、横丁でもなんでもないのだが(笑)
高円寺には、美味しいラーメン店は確かにある。昨日も友達と入ったら、
「ラーメンというものの認識が変わりましたよ」と、言っていた。
そのラーメン屋には、ほんと時々入っている。何かとても嬉しいことがあったときとか。
ああ、美味いなあと、思いながら、そのまままた半年は行かない。
そのくらいがちょうどいい。
たまたま偶然入って、そのラーメンのとりこになってみたい。
そういうラーメン店が、住んでる街にいくつかあって欲しい。
半年に一度くらい通いたい。
「工事現場、あまり語られない功労者」'09.12/9
今、墨田区で新タワーを建築中である。
仕事で、その回りをいつもぐるぐると回っているので、新タワーがどんどん出来てゆくのを目の当たりにしている。
その建築中のタワーの一番上には、今クレーンが三台活躍している。
あのクレーンは最初から活躍している様子だ。
いろんな建築資材を引き上げているのがいつも見える。
新タワーがどんどん出来ていっても、たぶんあの三台のクレーンはそのまま上にいるだろう。
やがては二台になり、一台になるかもしれないが、、。
完全に出来てしまうとクレーンは解体され、エレベータで部品となって降ろされるのであろう。
新タワーが完成したとき、設計者や施工業者、総監督などの名前は記載それるであろうが、
あの三台のクレーンの事はたぶん触れられないであろう。
ものすごい功労者であると思うのだが、、。
まあ実際は、そのクレーンを使っている人だが。。
この先、まだまだあのクレーンたちには、試練が続くだろう。
610メートルの高さが待っている。
さすがに、高すぎて、その頃にはないかもしれないが、、
あるかもしれない。
「ミュージックでなくておじさん」'09.12/6
ジョージ・ハリスンが'70年に出したアルバムを久し振りに聞いた。
ギターとか歌とかベースとかドラムとかいろいろ入っているけれど、
一枚のアルバムの懐かしさは、まるで一人のおじさんのようであった。
顔にしわのある。。
声が当時より老けたということではない。
懐かしさが、おじさんのようであるということかな。
もうそれはミュージックというものを越えているような気がした。
小さい頃からアルバムはずっと聞いてきたけれど、
まさかアルバムがおじさんになるなんて思ってもみなかった。
ずいぶんと聞いていないアルバムなら山ほどある。
「インタビューの背景」'09.12/5
ミュージックビデオの中で、インタビューのシーンがあったが、
どの人も、部屋の後ろの方にギターが置かれていた。
友達にきいたら、きっとギターを持ったインタビューと、ギターを置いたインタビューをふたつ演出でやったら、
ギターを置いた方が良かったのでしょうと言った。
そういえば、どのビデオでもミュージシャンのインタビューでは、ギターが映っていることが多い。
それは定番なのだな。
なんだか、すぐ後ろにギターがあったりすると、いつでも手の届くところに楽器があり、
創作を常にしているような印象があるものね。
いかにもミュージシャンという感じで。
僕も先日、インタビューを受けたりしたけれど、ギターなんてどこにもなかったな。
座布団とかあったりして。
楽器がないと、なんだかやっぱり変なのかな。
インタビューの後ろに映っているものは、なんだか、その人の生活をあらわしているものが多い。
物書きであったなら、本棚とか、、。物書きさんの演出のときは本棚なのかな。
インタビューの背景は、なんだか妙なメッセージが多く入っている、
「立ち喰い蕎麦やとAMラジオの関係」'09.12/3
いつも行く立ち喰い蕎麦屋では、AMラジオがいつも流れている。
同じ番組だと思うけれど、ほんの10分の間の放送がしっかり耳に聞こえてくる。
なぜかわからないほど、しっかりと。
その立ち喰い蕎麦屋は広く、スピーカーもどこにあるかは不明だが、
音の反響がとても良いのであろう。
蕎麦屋のお姉さんの声だってしっかりと聞こえるし。
こんなに聞こえてくるのは、アナウンサーの実力なのかもしれないが、、。
立ち喰い蕎麦屋に限らず、食事のときにかかるラジオはよく聞こえる。
太古の昔。。
人は食事中、集中して食べるために、外の音に大変注意していたのではないか。
外敵に襲われないために、、。一番襲われる可能性が高かったのではないか。
そんなわけで、黙々と食事をするとき、耳は回りの音を良く聞くようになったのではないか。
「12月」'09.12/1
今年も12月になった。
早いという言葉で言うにはなんだかもったいない12月。
僕はこれからの一ヶ月を、ほんと充実して過ごそうと思っている。
一日一日を、確かめながら。。それしかない。
旅の終わり、フランスのパリに三ヶ月居た頃、軽いホームシックになった。
帰国までの2週間の長かったこと、長かったこと。
あの時間を過ごせたらと思う。
そして電車の行き帰りに今年あったことを、細かく思い出してみようかな。
思い出せるだけ思い出して。
キュルキュルと縮んだフィルムを伸ばすように。。
サンタクロースはまだ、これから服を縫うところだ。