青木タカオ「ちょっくら・おん・まい・でいず」

「最近の事」過去ログ'09.8月〜'09.11月

「アルバムデザイナー」'09.11/29

 先日、アルバム「レナード・コーエン 1970年ワイト島で歌う。」を買った。

 それは、DVDとCDのセットになっているものであったが、実にアルバムデザインが良かった。

 色といい、文字の並べといい、写真といい、、。

 やっぱりデザイナーさんて、うまいんだなーと実感した。

 それで飯を食べているのだものね。

 僕のアルバムを三枚ほど自主で作ったけれど、いかにも自主という感じに仕上がっている。

 それはそれでいいのだけれど。

 文字の並べ具合がやっぱりプロは違うな。

 かっちりと、アルバムとしてまとまっているものなー。

 本の装丁とかもそうかしれないけれど。

 素人には真似できないから、食べていけるわけで。。

 それにしてもレナードのこのアルバムのデザインは本当にいい。

 色と写真と文字のバランスが。。

 つい買いたくなるものな。つい買ってしまったし。

 プロがいるんだな。

 中学・高校時代に二枚組のレコードジャケットを、

 何度も開いたことを思い出した。


「ディランのクリスマスアルバム」'09.11/27

 ボブ・ディランのニューアルバムはクリスマスアルバムであった。

 発売前から、ニュースにもなり、かなり話題になっていたアルバム。

 本国アメリカでは、ひと月前には発売されていて、輸入盤もすでに出ているのに、

 なぜかそんなに日本のファンは盛り上がっていないように感じていた。

 そんなに期待はせずに昨日買ってきたが、みごとすぎて唖然としてしまった。

 かれこれ35年ほど、ディランのファンでいて、アルバムも聞き過ぎているが、

 今回は、ひしひしと歌からハートが伝わってくるのがわかった。

 どの楽曲も有名であり、僕でさえも知っているクリスマスソングもあるが、

 ディランはほんとよく歌いこなしていた。一曲一曲に個性を持たせていて、

 アルバム全体の流れもとても良い。

 かなり前からこのアルバムの企画はあったのだという。

 僕にはどの楽曲も、充分に内熟されてあるように感じられた。

 さすがなんだな。他の人の作品、それもみんなが知っている楽曲を歌うのはむずかしい。

 なおかつ、定番曲の一曲に仕上げるというのは。。

 サウンドも生演奏のようで、それも気持ち良いし、自然さがある。

 (あっぱれ、ディラン)

 僕もいつの日か、こんなアルバムを出したいものだ。


「追いかけて来た唄」'09.11/25

 東京に出て来てから買った日本のフォークのレコードも多い。

 それぞれの楽曲は親しんだ唄として、認識されているのだけれど、

 中学・高校時代に聞いたアルバムと比べると、かなり聞いた回数は少ない。

 三十分の一くらいかもしれない。

 それでも、唄の重さは一曲一曲変わらないくらいに感じられている。

 ほんと五回くらいしか聞いていないアルバムもあるんじゃないかな。

 しかし、思い返してみると、どの唄も僕の生活の中を追いかけて来たのだった。

 僕におおいかぶさるように追いかけて来た。

 そんな時を過ぎて、どこかのライブハウスでアルバムが流れたとき、

 その歌々が、しっかりとイメージの中に定着してきた。

 何百回も聞いた歌のように。


「断固として25歳」'09.11/23

 人間はどうやったらやせるのか、

 それを考えたこともなかったが、少し考えてみようと思う。

 さすがに自分にも限界が来た。数年前の13キロオーバーだなんて、

 ありえないでしょ。

 だんだん自分に頭に来ている。でもどうやったらやせるのか方法は知らないのだが・・。

 先日、27歳の男性にポイと肩を叩かれた。まるで年寄りのように。

 それもかなり頭に来たので、その男より若くなってやろうと思った。

 25歳だなんて、そりゃ無茶だろうと言うかもしれないが、

 僕はなってみようと思う。

 変なホルモンを出して。

 どうやったら出るのか知らないが、絶対25歳になってやろうと思う。

 昨日、銭湯に行ってカガミを見た。なんとか行けると思った

 そんなことがあってもいいだろう。

 僕は頭に来たので、25歳にならねばならない。

 30歳、40歳ではだめだ。断固として25歳。


「4万ギター」'09.11/21

 友達と'70年代の国産フォークギターの話題で盛り上がった。

 当時のカタログのサイトを見ていると、

 4万円くらいがひとつの上級品のめどになっているのがわかる。

 デザインもかなり良い。外国製の有名メーカーの35万円くらいギターだ。

 それがモデルが4万円で買える。

 ほぼ40年前の4万円。

 以前もエッセイで書いたが、当時の国産ギターの値段のしくみは細かくわかれていて、

 12000円、15000円、18000円、20000円、22000円、25000円、

 28000円、30000円、32000円、35000円、38000円、

 そして4万円となる。

 今見れば、ほんの3000円の差でと思うかもしれないが、その3000円の差が大きいこと大きいこと。

 あれからほぼ40年たって、3000円の価値も4万円の大きさも変わった。

 変わったか??

 今、国産ギターの値段には、そんなにいろいろな決まりがあるわけではないだろう。

 4万円なら、そこそこという値段かな。もっと上も山ほどあり。。

 僕がギターを弾き始めた頃、憧れは4万円にあった。

 そこが良かった。

 なんてやさしかったんだろう。


「アノラック帽子の内側の小さな世界」'09.11/19

 仕事で新しい雨合羽をもらった。

 が、誰かのほぼ新品のお古であり、使ってみると帽子がなかった。

 「帽子がなくて、どうするんですか?」と、仲間も言う。

 「さて、どうしよう??」

 雨合羽の帽子は、僕なりに好きな所がある。

 実家のある柏崎は雪も多く、冬はアノラックを小さい頃から着ていた。

 帽子を目深にかぶり、口のあたりまでぎゅっと紐でしめて。。

 息を吐くと、ちょっとだけあたたかい。

 言葉を喋ると、耳にいい具合に響いてくる。

 その小さな世界は、外の寒さから少しだけ遠い。

 まるでコタツのある部屋のように。。

 大雨の降る寒い日、雨合羽の帽子の内側の世界はふわっとしている。

 何か喋ると、耳に快く響く。

 やっぱり帽子は欲しいな。

 そうでないと、雨の世界だけになりそうだ。


「アンデルセンの夜」'09.11/17

 友達が絵本を出版した。

 先日、その記念とも言える展覧会に出かけた。

 その絵本とはアンデルセンのお話であった。

 展覧会はギャラリーであったので、そのイラストがひととおり飾られてあった。

 ひととおりイラストを見てしまうと、やっぱり絵本が欲しくなるのは常であろう。

 みながそうであるように、僕も一冊買った。

 そのストーリーを僕は知らなかったが、有名であるらしい。

 部屋に帰ったら、ゆっくり読もうと思っていた。

 しかしなんだかすぐに読むのももったいなくて、それはテーブルの上に置いたままにしてある。

 今しばらく待ってみようと思う。

 アンデルセンの夜が来たら読もうと思っている。


「階段」'09.11/15

 昨日、寄ったギャラリーは三階にあったのだが、

 その階段がなんとも懐かしかった。

 以前通っていた仕事場と同じ色、同じ雰囲気だったのだ。

 そこもちょうど三階にあって。

 その仕事場を後にしたとき、僕にはその階段が一番いとおしく思われた。

 18年も通った階段だったので。

 三階というのは、意外と階段が長い。

 下から見上げたときの、あの高さ。

 その暗さ具合。

 床の色。

 昨日寄った階段は、懐かしさにあふれていた。

 登っていっても、あの仕事場があるわけではないのだが。

 階段というのは、途中で止まることがほとんどない。

 一歩進んだら、そのまま上まで登る。

 それがなんとも、映像的だ。

 階段を登るとき、あのときの時間が戻って来るのを感じた。

 ほんの30秒ではあるが。


「ぷくぷく」'09.11/13

 会う人会う人に、まるくなったねと言われる。

 そう、先月からですでに3キロは太ってしまった。

 いつもどおりの食生活であるのだけれど、

 原因がわからない。

 ・・・・・

 20歳頃からの25年間、僕は体重が変わらなかった。

 いつもやせていた。食事もきちんとしていたし、

 今と同じはずなのに、太らなかった。

 どうやったら太るのだろうなんと思っていた。

 それがあれよあれよというまに、その頃より12キロも太ってしまった。

 友達は缶コーヒーが原因ですよと言うけれど、

 たしかに毎日一本は飲んでいるが、それが原因とも思えない。

 昼はかなり歩いているので、基本的に運動不足ということもない。

 なぜ、やせていかないのだろう。

 原因がわからない。

 ・・・・・・

 年か。


「老舗の眼鏡店」'09.11/11

 とある老舗の大きな眼鏡店で、何度もメガネを作ったことがある。

 そして大変にお世話になったことがある。

 高級メーカーの眼鏡フレームはやっぱり良いからだ。

 僕は相当にメガネにはこだわりがあった。

 だって、顔の一部だものね。

 今は安い眼鏡がいろんな所で作れるけれど、

 自分に似合うフレームがあるかは別問題だろう。

 高くたっていいんだよ。良いフレームは長持ちするし、

 老舗の眼鏡店は、あとあとの安心がある。

 ・・・・・・・

 つい先日、フレームが壊れてしまい、

 その「あとあとの安心」を信じて、その老舗の眼鏡店を訪ねて行った。

 すると、眼鏡店あった場所には、他の店舗が入っていた。

 そんな、、日本でも何番目かに有名な老舗なのに。。

 考えてみれば、この10年ほどで激安メガネ店が相当に増えた。

 その影響が相当にあったと考えられる。

 壊れたフレームは、やっぱり眼鏡を作ったところにしか持っていけないな。

 過去何回も持って行ったことがある。さて、どこに持っていけばいいの?

・・・・・・・

 その老舗の眼鏡店には、大変お世話になった。

 言葉では言えないくらいに、親身になって眼鏡の事に相談のってくれた。

 その店がなくなってしまった。

 その街には激安メガネ店が、いくつも出来ているけれど、

 老舗は老舗で残って欲しかった。

 すっかりがっかりしたけれど、ネット調べてみると1店舗だけ東京に残っているとわかった。

 こわれたフレームを持って、そこに出かけて行った。

 ・・・・・・・

 なくなった店舗の40分の一くらいの広さ店舗がそこに見えてきた。

 店員さんも、ひとりしかいなかった。

 声をかけ、事情を説明すると、たいへん丁寧な対応で接してくれた。

 僕がフレームを見せると、すぐさまに「あっ、ニコルですね」と、言い当てた。

 その早さはさすがであった。かなりのベテランであるのだろう。

 こわれたフレームを預かってくれて、責任を持って必ず直してくれると約束してくれた。

 (まあ、直せるフレームの場所であったのはわかっていたが・・)

 その店舗を見てみても、激安店に勝てるような雰囲気があったようには見えなかった。

 かなり厳しい状況が今もあるのではないか。

 店員さんはひとりであった。

 あの老舗の眼鏡店の人が、東京に一人であった。

 それでも、僕には安心をくれた。以前と同じように。

 なくなっちゃだめなんだよ。老舗の眼鏡店が。

 ぼくらはなにかだいじなものをうしないつつあるんだ。


「良く鳴る楽器」'09.11/9

 先日、訪ねたライブで、よく鳴るギターを聞いた。

 友達の使っているギターはホントによく鳴っていた。

 それは、ギターのサウンドというより、木そのものの鳴りの良さを感じた。

 僕の使っているギターも良く鳴るけれど、それとはちがった軽さのある音。

 隣で聞いていた打楽器使いのプロの人も、しきりに「良い音のギターだ」と言っていた。

 そうか、、木が鳴っている楽器の音にはひとつの特徴があるのかもしれないな。

 きっとあるんだ。

 それは木だを叩いてみただけでもわかるのかもしれない。

 その友達のギターの音は、表現は変だが風船のようであった。

 くやしいくらいに、鳴っていた。

 それはギターの回りを包む風船のようであった。


「耳に住みたい願望」'09.11/7

 電車では、さまざまな人がイヤホンで音楽で聞いている。

 いろんな世代の人たち。僕なんかとは、まるでかかわりのないような世界の人も。

 イヤホンで聴いている音楽は何 だろうと思う。

 まるでスナック菓子でも食べるように、僕のアルバムも聴いてもらえないものかと思う。

 ジャンルとか、まったく別にして。まあ、今の僕のレベルではまるで無理なのはわかっているが。

 なにげなく聞いてもらえるアルバムを作れないものか。

 やきそばやチャーハンでも食べるように。

 僕のアルバムを聞いてもらいたい。

 フォークのアルバムなんて、ほとんど聞かない人も聞けるようなフォークのアルバム。

 ちょっとつまむ名作のスナック菓子のような。

 スーパーマーケットに買い物に行った人が、ついカゴに入れてしまう名作のスナック菓子。

 「カール」のカレー味のような。「カッパえびせん」のような。

 まだまだ道は遠いけれど、がんばってみよう。

 耳に住みたい願望がある。


「1円玉5円玉をなくすには」'09.11/5

 1円玉と5円玉がどうしてもたまってしまう。

 極力、支払いのときに小銭を出すようにしているが、それでもたまってしまう。

 まだ小銭を出し切れないときが多いからだ。

 その原因について、最近思うことがあった。

 きっと、財布の中に50円玉が少ないからではないか。

 財布の中にすっと50円玉が見つからないために、ついつい千円札のに出してしまうことはないか。

 財布の中の小銭を減らすためには、多くの50円玉が必要なのだ。

 それに気付いたので、今度50円玉を多く両替してこようと思う。

 小銭を出すために、50円玉が必要なことは、ほとんど書かれていない。

 僕はもう気が付いた。発見者である。


「アパートのビンク電話」'09.11/3

 友達とアパートのピンク電話の話になった。

 この一行には今は聞かない言葉がふたつある。

 ひとつはアパートに電話があったということ。

 もうひとつはピンク電話という、コインが入れられる電話のこと。

 そうなんです。アパートには共同のピンク電話が入口にあった。

 友達の住んでいたアパートにもピンク電話があったというけれど、

 鳴っても誰も出なかったらしい。。

 僕が最初に住んでいたアパートでは、下の大家さんの所に電話があり、

 そのたびに大家さんがドアを叩いて教えてくれた。

 今では信じられないこと。まだ固定電話を付けるのに7万8万かかっていた頃。

 面白いと思ったのは、アパートにあったというピンク電話の事。

 たぶん'60年代'70年代の共同アパートには多かったことと思う。

 アパートのピンク電話がなっても誰も出ない。

 みんな誰か出るだうと思うのだろう。そして誰も出ないと決まって、

 どこかの部屋の人が出るのであろう。その暗黙の了解。

 かけている側の人は、どうして誰も出ないのかなと思う。

 やがてあきらめる。そしてまたしばらくしてかける。

 アパートに鳴る大きな呼び出し音。今ではもうないだろうな。

 大家さんが階段を上がり、電話ですよと言ってくれた。

 めったに電話もこなかった。

 アパートのピンク電話は、まだあるんだろうか。


「いつかの歌」'09.11/1

 先日、ライブハウスで、'70年代の日本のバンドのアルバムがかかっていた。

 有名なアルバムではあったけれど、聞いたのははじめてであった。

 しかし、その中の一曲を、僕はいつか聞いたことがあった。

 たぶんテレビ番組で、そのバンドメンバーがギターで弾き語るのを見たように思う。

 そのときは、ふつうにギターの音色に耳を奪われていた。

 歌詞もおどろくような感じではなかった。一年くらい前だったかな。

 それなのに、こうしてこんなに耳に残っているなんて、曲の力ってすごい。

 ネットで調べてみると、名曲と呼ばれているらしい。

 ぜんぜん知らなかったけれど。。

 その歌は、特にヒットしたわけではない。

 みんなが知っているわけではない。

 その歌は名曲なんだな。

 一度聞いてから、僕の中で自然発酵したように思う。

 二度目に聞いたときには、すでに心に深く残っていた。

 すごいパワーだ。パワーがありすぎるかもしれない。

 うたはまだまだそこふかいね。


「新曲創作」'09.10/30

 つい先日、ライブに合わせて新曲を作った。

 と、言ってもまだ完成はしていない。

 いつものことではあるけれど、ライブ会場に着いてから、歌詞を書いたりしていた。

 なんとか仕上げて、歌ってみたものの、完成までは、あと少しのがんばりが必要だ。

 なんとか、今回の歌はちゃんと歌えるようにしたいと思っている。

 そのまま、何年も作りかけになってしまう歌もある。

 では、しっかりと計画的に作ればと言うかもしれないが、

 中学生の頃から歌を作ってきて、歌作りに大切なのは、

 「集中」と「集中しすぎないこと」だと思えている。

 集中しすぎると、歌を作り過ぎてしまうからだ。

 歌詞の言葉だって、他にいろいろあるはずなのに、

 使った言葉から出られなくなってしまう。

 そうなると、なかなか出口が見つけられなくなってしまう。

 とりあえず作った新曲を、これから毎日、歌詞ノートを見ずに、

 歌詞をうろおぼえで歌ってゆく。

 すると、だんだんと言葉が言葉をつなげてゆく。

 言葉の順番を変えてもいい。

 毎日、集中して二三回ずつ新曲を歌ってみる。

 録音テープを回しながら。それが大事だ。


「名画のパワー」'09.10/28

 近く、フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」の絵がやって来るという。

 東京にも来るというので、いたる所でポスターを見かけることになると思う。

 電車の中吊りや、駅のホームや地下鉄の通路、、。

 いつもながら、大きなポスターも見かけるだろう。

 巨大なポスターも出来るだろう。

 何度も何度も見たとしても、

 多くの人は、それでも本物を見に出かける。

 ポスターを見れば見るほど、行きたい気持ちはつのるだろう。

 その存在感に圧倒されて。

 それは普通のことだし、小さい頃から本で見慣れた絵なら、

 僕も見に行きたい気持ちが強い。

 そして本物の絵を見たら見たで、いろんなことを感じるだろう。

 しかしそれはどけだけポスターとちがっていることか。

 名画に集まるみんなは、それでも何を感じ得るだろう。

 「フェルメールの真珠の耳飾りの少女を見たよ。いやぁ、よかった。」と、友達に言うだろう。

 その「良かった」には、底知れぬものがある。


「フィンガーに感謝」'09.10/26

 ここ数日、ギターをずっと弾いている。

 それもフィンガーピッキングで。

 弦も換えたので、音にも艶が出て気持ちがいい。

 創作中であるので、いろんな弾き方やコード進行やリズムを、

 試し試し歌を作ってゆく。

 それに合わせてフィンガーピッキングもそれに答える。

 最近はほぼイメージどおりに、フィンガーピッキングを弾けるようになった。

 テクニックはすごいというわけではないが。

 突然のコード進行であっても、指はそれを自然につなげようと、

 自分で流れを作り上げる。

 それは僕自身が想像もしていない展開のときも多い。

 もう、指が独立しているんだな。

 自分で聞いていて、自分の指にうっとりする。

 指はそのたびにいろんなイメージを作りあげる。

 僕の想像を超えたとこで。

 指はいつしか職人になった。

 フィンガーピッキングが、僕を楽しませている。

 それは本当にありがたい。感謝感謝だ。


「創作部屋」'09.10/24

 やっぱり創作部屋が欲しいな。

 屋根裏部屋でもいいので。

 そこから歌が出来るまで出てこない。

 よく作家さんが、「ホテルに缶詰」と言うけれど、

 それと似たようなものか。

 歌を仕上げるには、集中しすぎないことも大事ではあるけれど、

 歌の世界に入り込むということはもっと大事だ。

 映画館で映画を観るように。

 三日くらい余裕が欲しいな。それともひと晩か。

 壁じゅうに好きなアーティストのポスターとか貼って。

 ノートとテープレコーダーら向かう。

 そして出来るまで出てこない。

 トイレはあった方がいいな。

 ギターは、ギブソンのJ-200、マーチンのD-35、ギルドのF-47、

 そして、YAMAHAのF-180を置いておこう。

 とにかくギターしかないところへ。

 そこへ入りたい。


「いつから帽子」'09.10/22

 10月も後半になった。

 もうそろそろ帽子をかぶっても良いかなと思っているけれど、

 まだちょっと早い。マフラーがまだまだ早いように。

 僕にとって、今までの季節は「帽子をしていない時期」だと認識している。

 一日も早く帽子をかぶりたいと思っている。

 でも、またちょっと早い。 

 ホントなら、一年じゅうかぶっていても良いのだけれど、

 みんながかぶっていないので帽子をしないだけだ。

 帽子とマフラーをすると、やっと落ち着く季節になったと思う。

 雪国生まれというせいもあるかもしれない。

 早くみんながマフラーをぐるぐる巻いている姿が見たいな。

 みんなが毛糸の帽子をかぶっている顔が見たいな。

 太古の大昔、そんなふうに冬に友と会った懐かしい

 遺伝情報があるのかもしれない。


「ボールペン」'09.10/20

 日々お世話になっているものに「ボールペン」がある。

 ボールペンは画期的な発明だったろう。

 1950年代より本格的に実用されたとある。

 それまでは、鉛筆と万年筆が筆が主流だったのだろう。

 僕は'61年生まれで、気付いたときには、すでにポールペンはあった。

 もう究極まで安く手頃な値段で。

 万年筆も好きであったが、僕は鉛筆よりもだんぜんポールペン派だった。

 社会人になってからは、ほぼすべてボールペン生活になった。

 今は仕事で、ずっと一日ボールペンを使っている。

 こんなにも生活に密着しているボールペンは、天才だと思う。

 今も日本名がないけれど。

 鉛筆・万年筆・眼鏡・靴下・・

 「球筆」では変だな。

 当たり前すぎて、その発明の素晴らしさを忘れそうだが、

 僕はボールペンに日々感謝している一人である。


「好きこそギターの上手なれ」'09.10/18

 部屋でギターを弾いているときは、

 ほとんどフィンガーピッキングで弾いている。

 いろいろと新しいアイデアを出しながら弾いているが、

 二度と出来ないような弾き方も多い。

 それを難しいテクニックとは呼べないのはわかっているが、

 真似するのは大変であろう。

 もし、友達のそんなギターテクニックを同じように弾いてくださいと言われたら、

 まず無理だ。

 小面倒な弾き方であっても、なぜ、自分で使うギターテクニックだとそんなふうに思えないのか。

 不思議だけど、これはありがたい。

 何か自分に魔法がかかっているにちがいない。

 細かい指の動き。こんなにも面倒なのに。。

 苦にならないなんて、なぜだろう。

 こんなふうに、いろんなことが出来たらな。


「武道館をめざす」'09.10/16

 今使っているギターは、住んでいる街の中古楽器屋で買ったものだ。

 輸入物のギルド社のギターで値段もそこそこした。

 半年以上も悩んでやっと買ったものだった。'74年製。

 相当に弾き込まれていたギターであった。

 良い音であったけれど、弾き込まれすぎていて、

 サウンドホール近くは、板の厚さが半分になっていた。

 どんなギター人生を送ってきたのか、、

 それは想像できないけれど、僕の部屋に来たのも何かの縁であろう。

 ギタースタンドに乗せて、部屋の真ん中に置き、その姿を眺めたとき、

 なぜか日本武道館コンサートを目指そうと思った。

 武道館コンサートなんて、中学・高校の頃はかなり憧れていたけれど、

 二十歳を超えてからは夢のまた夢となった。

 しかし今、僕は本気で武道館コンサートを目指している。

 そのためには、かなりの努力も必要なのだが、

 歌だけは、まずそろえようと思っている。

 心はいつも武道館だ。ギターとの約束の旅だからね。

 青年は武道館をめざす。


「ギターを借りる」'09.10/14

 遠出をして、数曲歌うことになったのだが、

 ギターも貸してくれるというし、その日はその言葉に甘えることにした。

 まあ大丈夫だろうと考えていたが、思ったようにはいかなかった。

 その日は、二曲フィンガーピッキングの歌をやろうと決めていた。

 それなのに、なぜ僕は自分のギターを持っていかなかったのか。

 現地にて本番、アコースティックギターを貸してもらった。

 まず、ストラップ(肩かけ)の長さが合わなかった。予想よりも長い。

 フィンガーピッキングをするには、ちょいとだけ長い。

 マイクで音をひろってもらうつもりだったが、コードをギターのお尻にさされてしまった。

 ピックアップマイクは自由に動けていいのだけれど、僕は自分ではつかったことがない。

 そして弾き出してみたのだけれど、やっぱりいつものようではなかった。

 張ってある弦の強さもちがうと、指がなんだか変だ。

 ねらった弦に、指を当てているつもりなのに当たっていなかったり、、。

 二曲目になり、ストラップも自分で短くできたので、こんどはばっちりだと思った。

 ストロークの曲だし。しかしこれがまたうまく弾けなかった。

 マグネット式のピックアップマイクは、音を良くひろうので、

 強弱の感覚がうまくつかめなくなった。

 やっぱり弾き慣れたギターに限るなと思い知った。

 特にフィンガーピッキングの歌をやるならね。

 たとえ一曲・二曲でも。

 ギターだって、一緒に行きたかっただろうにね。。


「歌の時刻」'09.10/12

 歌の時刻のことなんて、考えたこともなかった。

 地方のライブハウスで寄り合いライブのあと、みんな雑魚寝で眠ることになった。

 中には明け方まで飲んでいた人もいたが、、。

 そして、遅めの朝、軽い朝食が用意されているなか、

 ジャニス・ジョップリンがかかっていた。

 それは、飲み過ぎて疲れた朝の、耳の疲れを癒すものだった。

 こんな朝にも、無理なく聞こえてくる音楽もあるんだな。 

 考えてみれば、ライブの始まる時間というのは、みんなひと仕事終えて、

 ライブハウスに来るわけで、目も耳も体も疲れていることは多い。

 そんなところから、始まる歌、始まるライブがある。

 始まるアルバムがある。そんな歌の時刻。

 歌の始まる時間。

 そんなことを僕は考えたこともなかった。


「ゴールドブレンドの日々」'09.10/10

 ここ10日ほど、友達が泊まっている。

 初日にスーパーに行ったとき、ゴールドブレンド珈琲が激安だったので、

 三瓶も買った。友達も僕もインスタント珈琲はゴールドブレンド派だ。

 朝に昼に夜に飲み、もう、一瓶なくなってしまった。

 今、二瓶目の封を開けたところ。

 この一週間は、友達にとっていろいろとラッキーなこともあり、

 印象深い日々だったことだろう。予想外の展開で、予想外の所で今仕事をしている。

 毎日、いろいろ話し、ゴールドフレンド珈琲はひと瓶はなくなった。

 僕らの胃の中に消えた。

 それをどう証明することもできないけれど。

 ひと瓶は空になった。素晴らしかった珈琲の一週間だった。

 それは伝えることは、なかなかにむずかしい。

 「ゴールドブレンドの日々」と言うのが一番似合っている。


「一杯のラーメン」'09.10/8

 外仕事の移動中に、何か食べようと思った。

 いままで行ったことのない道を自転車で行く。

 目に入ってきたのは、看板に書かれた大きな「らーめん」の文字。

 普通の小さな中華屋にも見えるその店舗は、よほどラーメンがおすすめらしい。

 自転車を止め、入ってみると、小柄な45歳くらいおじさんがやっていて、

 入るなり「もう、ごはんがないんですよー」と言う。

 「ああ、大丈夫ですよ。ラーメンください」

 ラーメンは500円であった。

 Lの字型のカウンターのみのお店である。

 おじさんは僕のラーメンを作っている。とても集中して。

 スープを入れるとき、麺をゆでるとき、

 そのすべてが丁寧で、集中しているのがこちらにも伝わった。

 お店がオープンしてから、きっと10年以上はたっているであろう。

 その続きの今、一杯のラーメンのために、こんなに丁寧に集中するのは、

 かなりの気持ちが必要だろう。さすが、看板に大きく「らーめん」と書くだけのことはあった。

 出てきた醤油ラーメンは、スープの量も多めであり、チャーシューも二枚乗っていた。

 食べてみるとうまい。麺もうまい。

 と、僕がそう感じたのかもしれないが、、。500円というのは嬉しいな。

 僕も今の仕事をして、20年になるけれど、最近は特に集中して丁寧にやっている。

 そうしないと、うっかりミスをしてしまうからだ。

 また、リズムを作ってやることが、集中するコツでもあるからだ。

 僕は「気」の入っているラーメンが好きだ。

 力を入れるというわけではない。

 逆に力を抜くのだ。やわらかくしなやかに。

 それは逆に疲れない。


「俺たちの大声」'09.10/6

 先日聞いた楽曲で、途中で入る本人のかけ声が、

 僕には祭りの声に聞こえた。

 考えてみれば、僕らが大声を自然に出すときといえば、

 それはお祭りのときではなかったか。

 お祭りの歴史はとても古く長いので、

 僕らの遺伝子に入っているのではないかと思う。

 日本でもアジアでも、ヨーロッパでもアメリカでも、そしてアフリカでも。

 きっとお腹から大きな声を出すときは、祭りだったのではないか。

 そこにはそれぞれの国、地方独特のノリや声の出し方があるだろう。

 自然に小さい頃から身についている、、。

 今、音楽で大声を出すことは多い。

 ロック風やらパンク風、、。

 同じように、昔の人たちが歌で大声を出したなら、

 みな、地元のお祭り風になっていたかもしれない。

 息のため方とかで、、。


「物語は変わらない」'09.10/4

 映画を見続けている友達が部屋に来ている。

 僕の部屋にある32型の液晶テレビと、DVD・ブルーレイのレコーダーを見て言った。

 「ブルーレイってきれいに映って、良いですか?」と。

 「うん、いいよ。ただブラウン管のテレビでは同じく映るけどね」

 「おれ、映像をきれいに細かく見ようとは思わないですよ。だって、、

 だって、物語は変わらないじゃないですか」

 「そりゃそうだけど・・」

 そうか、映画ファンの彼にはストーリーが大事なんだな。

 考えてみれば、ストーリーを聞くだけの場合も多いわけで、

 そんなときは画質などは関係なく、話だけだ。

 話の画質にこだわる人は少ないであろう。

 僕らは日々、ストーリーと共に暮らしている。

 液晶テレビ、地上デジタル放送に変わってきて、

 画質向上の素晴らしさが語られているけれど、

 ストーリーの素晴らしさは、あまり語られない。

 画質がいまひとつのテレビであっても、

 それがどうと言われるのは、心外なことであろう。


「岩ゆりの花のうた」'09.10/2

 高校時代、僕がまだ実家の柏崎にいたときのこと。

 新潟のテレビ局NSTかBSNで、日曜の夕方かな、

 曜日は、はっきりしないのだけれど、風景と一緒に音楽が流れた。

 ただ淡々と。

 それも一ヶ月に一度とかのサイクルで。同じ歌を何回も聴いた。

 今も、よく憶えている歌に「岩ゆりの花」という歌があった。

 たぶんそういうタイトルだとは思うのだけれど。。

 スリーフィンガーピッキングで、確実に地元のシンガーが歌っていると思われた。

 歌詞の内容はまったく忘れてしまった。

 ただ、終わりの歌詞が「♪いわゆり〜のはながある〜」だった。

 まあ、岩ゆりは、岩場に咲いている花だということだろう。

 風に打たれ、なかなか人の目にもふれず、、。

 ・・・・・・・

 そのね。ギターのフィンガーピッキングが、すごく良かったんですよ。

 ヤマハのギターの音ようであった。

 とにかく、そのスリーフィンガーピッキングのギターと歌が、

 ほんとに、歌詞とメロディーと風景にぴったりだった。

 それが高校生の僕の心に深く残った。

 フィンガーピッキング弾き語りって、、なんて、かっこいいんだと。

 ・・・・・・・・

 ♪いわゆりのーはながあるー

 僕もいつか、スリーフィンガーピッキングであんなふうに歌ってみたいと思った。

 そして今、僕はライブで、そんなふうに歌っている。

 なんだか、あの「岩ゆりの花」の歌を、自分で再現しているようである。

 あのときの僕が聞こえたように、いつも歌ってみる。

 その幸せ感って、なかなかのものだ。

 イメージははっきりつかんでいる。

 その最後のフレーズしか憶えていなかったおかげで。


「外のちから、内のちから」'09.9/30

 いつしか、なんだか少し太ってしまった。また戻りたいと思う。

 ・・・・・・・・

 若い頃のことを考える。

 何か、外からの力を感じて「運命」のようなものを思っていなかったか。

 ひとつの流れに沿って。

 手持ちのトランプカードの勝負の行方のように。

 出会いも多く、出会いが出会いを生んでくれた。

 ひしひしと外からちからを感じたりしたものだった。

 それは線路を押して走るトロッコの最初のひと押しだったような気がする。

 気が付けば今、トロッコは止まったままだ。

 風景の草花は茂り、トロッコの中、僕はインスタントコーヒーを飲んでいる。

 ・・・・・・・

 最近、東洋医学の本を読んでいるが、

 自分の内のちからが大切をあることを知った。

 そこで思えたことは、これからの変化は、

 自分の内がわのちからの流れを自分で作るしかないなということ。

 行きたいところがあるならば、外にたよっていても、もうきっと動かない。

 誰がトロッコを押してくれると言うんだ。この茂りの中で。

 みんなきっともう忙しいんだよ。

 自分の内がわで変化してゆくしかない。そのちからはあるんだよ。

 トロッコを降りて、歩いて。


「何かひとつの法則が」'09.9/28

 先日、コニビニエンスストアーに寄ったとき、

 つい「東洋医学のしくみ」という図解カラーの1600円もする本を買ってしまった。

 普通、こんな本がコンビニエンスに置いてあるだうかと思うけれど、置いてあり買ってしまった。

 完全にねらいにはまってしまった。

 10年ほど前、駅の小さなキオスクに500円の雑学文庫本を、ついふらふらと良く買った。

 「ここまでわかった宇宙の神秘」とか、「東京に残る江戸のなんとか・・」とかね。

 つい買ってしまうんだよね。そのときもねらわれているなと思った。

 きっと僕はついふらふらと買ってしまう、あるひとつのターゲットのねらわれ人なんだな。

 そこにはひとつの法則があるにちがいない。

 鬼平犯科帖の文庫本だって、最初に1巻・2巻が置かれてあり、つい買ってしまったら、

 しばらくしたら「3巻・4巻」が置かれていて、そのときもねらわれていた。

 もちろん買ってしまったけれど。

 たぶん出版社業界や、コンビンエンスの本担当の人たちには、

 僕のようなターゲットの人を、ある呼び方で呼ばれているのだろうな。

 業界ではすごく有名な呼び方なのだろうな。 


「牛筋スープランチ」'09.9/26

 先日、韓国料理店のランチで、牛筋スープランチを食べた。

 イメージ的には、クッパのようなものを想像していたのだが、

 出てきたものは、小さな鍋の熱々の辛い具入りのスープであった。

 よくこんなに辛くて熱いのが食べられるなぁと思いながら、食べていった。

 時間はなかったけれど、ゆっくりとしか食べられなかった。

 いままで食べたことがないような食べ物だったな。

 だんだんと癖になる味というか。

 あの辛さが食べていると脳とお腹に響いてきた。

 食べているとハイになってくるような感じである。

 それから6時間以上は、お腹に味が残っていた。

 幸せ感が続いたというか。

 まだまだ知らない料理ってあるんだな。

 胃袋よ、まだまだ知らない料理はある。



「フェンダーの白ピック」'09.9/24

 以前から疑問に思っていたことがある。

 フェンダーの白のミディアムピックを僕も使っているが、

 完全なホワイトと少しアイボリーっぽい色があるとわかった。

 先日買った物は完全なホワイトのピックで、思い返せばここずっとこのピックだったなと思う。

 1980年頃から、僕はフェンダーの白のミディアムピックを使っているが、

 当時は、少しアイボリーっぽい白ピックだった。

 気に入っている理由として、そのアイボリーっぽい色のフェンダーの白は、

 僕の指にはすべらず、握りやすかったのだ。

 微妙な弦との当たり具合の感覚も気持ちが良かった。

 いつからか、フェンダーの白ピックミディアムの、色が変わっていたので、

 僕はフェンダーってピックって、工場によってちがうのかなぁなんて思っていた。

 それでも、フェンダーの白ピックが一番だと思って使ってきた。

 今、机の上に、少しアイボリーっぽい白ピックと完全な白色のミディアムピックがあるが、

 弾いてみると、少し弦に当たるタッチがちがう。指にしっくりくる感じもちがう。

 どうがどうちがうのかと言われると微妙であるのだが、、。

 僕の指には、アイボリーっぽい白ピックがぴったりくるようだ。

 完全な白ピックの方は、それなりの音にはなるのだが、僕のイメージとは微妙にちがう。

 こっちの音の方が好みという人も多いと思うが、、。

 もう、アイボリーっぽい白ピックは出てこないのかな。

 なんだか、そんなような気がして来た。

 フェンダーの白のミディアムピックを使ってきた人は、地球規模で、相当な利用者がいるはずだ。

 定番と言われているしね。その材質がちがったりしているのに、そんなに話題にはなっていない。

 すごく不思議なことではある。長年、フェンダーの白のミディアムピックを使っている人なら、

 みんな知っていることなのにな。

 僕はなんと言ってもアイボリーっぽい白ピック派だ。

 泣きたいくらいにアイボリーっぽい白ピック派だ。


「かっこいい服、かっこいいメロディー」'09.9/22

 僕の気持ちとしては、メロディーとは歌詞が付けている服のように思っている。

 だからどこまでも、歌詞に似合った服を着せてあげたいなと思う。

 かっこいい歌詞を書いたと思うなら、かっこいいメロディーでもいいだろう。

 しかし、僕の場合はとくに、かっこよさをイメージして書いた歌詞はまずない。

 メロディーを作るとき、その歌詞の個性に沿って、ひとつの服を作りたいと願う。

 かこっよいというのものも、ひとつの落ち着く場所ではあるけれど、

 あくまで自然であるのがよい。

 イギリスの人なんかは、もしかしてみんなある程度かっこいいのではないかと、

 僕は偏見を持っている。きちっとしててね。それは個性であるだろう。

 ・・・・・・

 歌の話になるけれど、日本の童謡や唱歌などを聞いていると、

 かっこいいメロディーで作られているとは思えないが、それなりであっていいと思う。

 その昔は、かっこいいメロディーという観念がなかったのかもしれない。

 世の中、さまざまな音楽があり、実にさまざまだが、

 ヒット曲に関しては、誰かというわけでなく、

 かっこいいメロディーであふれているように思える。

 いつからかは知らないが、そうなってしまった。

 どこか聞いたことがあるような、ぱっと聞いてかっこよさげなメロディー。

 クリーニングに出したあとのパンクの服のような。

 こぎれいというか、どっかでヒットしたようなメロディー。

 スタイルというか、市販服というか。

 ・・・・・・

 ぱっと聞いて、かっこいいメロディーである必要なんてどこにもないのになと思う。

 母ちゃんの手作りの服であっていい。


「堅いパネルの開き方」'09.9/20

 仕事がら、壁のパネルを開くことが多い。

 しかし、塗装やさびなどで、なかなか開かないことがある。

 そんなときどうするか。もちろん力の限りで取っ手を引くことには変わらないのだが、

 思いきり引いてだめなことが多い。

 そんなときどうするか。一種の火事場のばか力的なパワーを出すしかない。

 僕はこんなふうに、堅いパネルを開けている。

 まず、パネルの前で、自分の体の力を抜き、

 そのパネルと、同化するのだ。

 まるでもう、その場から立ち去ったように。

 次のパネルの取っ手を持ち、また力を抜き、しばらくじっとして、

 もう一度パネルと同化。

 そしていよいよ、取っ手を引くときがくるのだが、ここからが肝心だ。

 パネルも開けられまいと必死なのだだから。

 まるで首をひこっめた亀みたいなものか。

 さて、いつ自分が取っ手を引くか。ここからが難しい。

 脳から手に命令がゆくわけだけれど、それにしたがって、そのまま引くと、

 パネルの方も身を固めてしまうのだ。

 自分がパネルを開こうと思ったことがパネルに伝わるその一瞬前に、

 パネルの取っ手を思い切り引くのだ。脳の命令より、一瞬早く。

 パネルの方も身構えるのが一瞬遅れる。

 その瞬間に、パネルは開く。

 そうやっていつも僕は堅いパネルを開けている。

 これ本当の話。

 固まった瓶のふたにも応用できます。


「音色いろいろ」'09.9/18

 中学の頃、ギター雑誌をずっと読んでいた。

 ギターそれぞれの音の特徴について、いろいろ書かれていて、

 目をピックにして、読んだものであった。

 低音弦はより鳴るほうが良いし、

 高音弦はきれいに澄んだ音色がある方がもちろん良いとされた。

 それはひとつの僕の中の基準にもなってしまった。

 高校時代、20代、30代と、、。

 でも近年、僕が思っていることは、

 弾き語りには、澄んだ高音弦の音は逆効果の場合があると。

 僕もそれに気が付きはじめていて、弾き語りをするときは、

 なるべく高音弦を弾き方で調整して弾いている。

 きらきらとした高音弦の音は、よく目立つからね。

 そんな高音弦が弾き語りに良いなんて、誰れも言っていないと思うんだけれど、

 僕はそう30年以上信じていた。

 もう、大丈夫です。


「ギターの音色判断」'09.9/16

 自分でも不思議なことがある。

 アコースティックのフォークギターの音色の違いは、とてもよくわかるのに、

 これがエレキギターやクラシックギター、ピックアップ付きのギターになると、

 ほとんどその音の違いがわからないのだ。

 まあ、ある程度はわかるのだけれど。

 それは僕だけではないと思っているのだけれど、そうでもないのだろうか。

 フォークギターは、音色の違いがはっきりしているからね。

 まだまだ僕は修行が足りないのだろう。

 しかし、ずっとエレキギターを弾いてきた人ならば、

 そのサウンドを聴いて、どこのメーカーのエレキギターとか判断できるだろう。

 それとも出来ないか。

 クラシックギターの違いも僕には、ほとんどわからない。

 よく鳴るなーと、思うくらいしか。

 逆にフォークギターに詳しくないみんなは、

 フォークギターの音の違いをそんなには感じないのだろうか。

 そんなことはないと思うのだが。。そんなこともあるのかな。

 ギター全般にほんとはわかるようになりたかったけれど、

 そうもいかなかった。

 なぜ、わからないんだろうと考えてみる。

 ギター好きと言っても、こんなにもいろいろある。

 僕もギターについてはわかったような顔は出来ない。


「あしたのために、その1」'09.9/14

 劇画「あしたのジョー」の中の有名な言葉。

 「あしたのために、その1」「その2」

 牢獄に入った矢吹丈に、丹下段平が送った葉書に書いてあったタイトルである。

 内容はボクシングの基本。

 昨夜は、久し振りに終電で帰ってきた。午前1時半ごろ帰宅。

 朝、5時過ぎには起きなくてはいけないので、

 さすがに早く眠ろうと思った。

 「あしたのために、その1」

 もうちょっと起きていたいと思ったが、寝ないと明日がぼろぼろになるだろう。

 明日のために、僕は眠ろうと判断した。

 素直に。

 若い頃は、同じように終電で帰ってきても、そのようには考えなかった。

 今日のために、もっと起きていようと夜更かしをした。


「ゴールドブレンド」'09.9/12

 僕の中の七不思議のひとつ。

 インスタントコーヒーの老舗ブランド、

 ネスカフェ・ゴールドブレンドの僕は大ファンである。

 新品を買ってきて、密封されているシールに穴を開けると、

 ぷーんと挽きたてのような香りがするが、

 それがなんとも、いつも最高の気分にさせてくれる。

 そして、いつもいつも思うことがある。

 もしかして、いい香りを閉じこめてから密封しているのではないかと。

 だって、それ以降、その香りを感じることが出来ないからだ。

 ずっと毎回、ふたを開けるたびに、その香りを感じられるといいのだけれど。

 それは無理のようだ。

 無理であるので、やっぱり最初のひと香りに、疑問が生まれる。

 あれはサービスで閉じこめているのではないかと、、。

 いやいや、その詮索はなしにしよう。

 それも含めて、ゴールドブレンドの魅力なのだから。

 企業秘密なのであろう。


「止まった部屋」'09.9/10

 ここ10日ほど、なんだかとても忙しい。

 イベントもあったが、生活リズムが完全に崩れてしまった。

 夜8時半に帰宅したあと、いつしか眠くなって横になっている。

 ふと目が覚めると、夜中の1時頃。それから2時位まで、いろいろ。

 またどうしても眠くなり、目覚ましを4時前にセットして、

 4時から6時半にかけて、作業。

 6時半には、また部屋を出て仕事にゆく毎日。

 しなければいけない作業の方は、少しは進んでいるのだが、

 部屋の片付けというのが、まるで進んでいない。

 そこにぼんやりと住む、ひとりの男。

 かさこそと動き、明かりが付き、明かりが消え、、

 この10日ほど部屋の時間が止まっている。

 早くぜんまいを巻かねばならぬ。


「言葉」'09.9/8

 先日、特急電車に乗っていたときのこと、

 5歳ほどの子供が、すぐ近くの席で話し続けていた。

 途切れることなく、降りるまでの1時間半。

 言葉ならなんでもいいというように、思いついたことを何でも話していた。

 ああやって、子供らは言葉を憶えていくのかな。

 父親と一緒であった。

 でもさすがにその話声は車両中に響いていて、ちょっと迷惑な感じであった。

 父親は「静かに・・」「シーッ」と、約100回ほど言っていたが、

 まるで効果がなかった。

 言葉は いっぱい憶えているのに、「しずかに」と言葉はわからないのかな。。

 それも可笑しい。

 それにしても、ずっとずっと喋り続ける子供のパワーには驚いた。

 僕も小さい頃はそうであったか、ちょっと想像は出来ないのだが・・。

 その子供は電車に乗れたことが、ほんと嬉しいと言う。

 その嬉しさが、あふれる言葉になったのかな。

 大人になって、妙にテンションが高い人もいるけれど、

 子供時代がああであったなら、それも理解できる。

 大人の中に入っている子供の姿を見た。


「リンクぎれ」'09.9/6

 先日、カレー店にて、

 大学生と思われるグループとテーブルが隣になった。

 僕には大学時代というものはなかったが、

 その頃のことをいろいろ思い出していた。

 僕が高校を卒業してから、22・23歳までは、

 日本の詩や外国の詩、日本の俳句など、むさぼり読んでいたものだった。

 思い出してみたのは、なぜそれらを読むようになったかということだ。

 好きなシンガーソングライターに、好きな詩人がいて、

 僕もその詩人をの本を読むようになり、他の詩人も読むようになったのだ。

 そこからいろいろ詩や古典を読むようにもなった。

 考えると、自分から探して見つけたというより、

 そこにリンクがあったからという感じではなかったか。

 読み出すきっかけって、いろいろあるけれど、

 やっぱり好きなシンガーや作家の影響が強い。

 僕の中では、高校を卒業したら、古い文学へというのが、

 ひとつの流れであるように認識しているけれど、

 今の若者には、あてはまらないのかもしれない。

 もしかして、リンクが切れているかな。

 リンク切れというより、リンクがないのかもしれない。

 ひとめぐりして。


「目覚まし」'09.9/4

 ここ最近の特徴として、

 政権交代という出来事もあったが、

 もっと生活に密着した大事なこととして、

 僕が目覚ましで、起きれないということがある。

 以前は電子目覚ましが鳴ると同時に、ぱっと目が覚めたものだった。

 それが今は、鳴ってなら10分ほどたってから起きることがよくある。

 ピッ ピッ ピッ ではなく、

 ピピピピピピピピと、鳴ってからである。

 それもときには、鳴り止まるまでずっと眠っていたこともあった。

 30分は鳴り続けていただろう。

 これは大事件だ。だって、大変なことだって起きるだろう。

 僕は最近の自分の特徴として、ひとつのことが思い当たった。

 それは目覚ましをセットするときに、こころが、

 (どうせ起きないかもしれないなと・・)と、つぶやくことが多いのだ。

 それが原因ではないかと思う。

 きっと原因だ。

 原因でまちがいない。


「独特のフォークの匂い」'09.9/2

 先日、住宅街にあるライブハウスまで出かけた。

 駅から15分ほど歩くところ。

 最近は、ライブハウスも、駅から近くにあることが多いけれど、

 駅から少し歩くところも多かった。

 北千住にあった「甚六屋」も、不思議な場所にあった。

 夜7時開演だったかな。夜7時に北千住に到着するというのも、ぎりぎりだった。

 北千住に着いて、細い商店街を抜けて、大通りを渡り、それからビルの三階まで歩いたかな。

 友達も何人かは出演していたので、月に二回は訪ねていた。

 両国のフォークロアセンターも、駅から少し遠かった。

 それでも普通に夜7時には到着していた。

 そこにライブハウスあるのだから、不思議ともなんとも思わなかった。

 遠いななんて思ったことは一度もなかった。

 今思えば、駅から道も全部含めて、全部フォークだったような気がするな。

 独特のフォークの匂い。

 先日行ったライブハウスの道にはそこは感じられなかった。


「阿波おどり」'09.8/31

 東京・高円寺に住んでいる。

 8月の終わりには毎年、阿波おどりの祭りがある。

 昨年も雨であったが、今年も雨に降られてしまった。

 今年の8/30。始まりの頃には外は雨が降り出していて、

 これは中止かなと思っていた。

 昨年も雨であったが、ラスト1時間が奇跡的に雨はあがった。

 今年はどうであろう。

 高円寺に住んで長いので、雨であっても一応、見に行こうと出かけた。

 傘を持って。あとラスト30分というときに。

 だんだんと音が聞こえてきて、やっているんだなとわかった。

 近づくにつれて、もう傘もいらないくらいに雨が上がってきた。

 あと30分であったが、、昨年と同じパターンである。

 阿波おどりはかなり盛り上がっていて、その活気に圧倒された。

 さっきまでは、雨の中、頑張っていたのであろう。

 それとも待機していたのかもしれない。

 今はまるで雨などなかったかのように盛り上がっている。

 空を見ればまだ一面の雨雲である。

 たまたま今、雨が上がっているのだ。奇蹟のように。

 もし今、僕が部屋にいたら、雨で中止だと思っていただろう。

 しかしこんなふうに、雨の隙間に祭りは盛り上がっているのだ。

 人のこころにも、それはあるようだ。

 こころの町まで、出かけねばならぬ。

 祭りもあと少しになった頃、僕は部屋に向かった。

 するとまた雨が降り出した。


「780円のやかん」'09.8/29

 先日、10年ほど使ったやかんが壊れた。

 それなりに高かったやかん。

 また、買うにはお金がかかるので、とりあえず他のやかんを物入れから出した。

 それは、壊れたやかんを買う前に買った、特売品のやかんであった。

 780円だったかな。

 注ぎ口かとても細いやかん。

 (ああ、これがあるじゃん)と、とりあえずお湯を沸かしてみた。

 すると不思議なことが起こる。

 沸かし始めと同時に、もう沸いたような音を立てるのだ。

 そして実際、お湯が沸くと、すっと静かになる。

 思い出したよ、、このやかん。

 そしてやかんをお湯を注いでゆくと、ふたが、下に落ちてしまった。

 あちちちち!!!

 思い出したよ、、このやかん。

 それで、新しいのを買ったのだ。

 完全な設計ミスであろう。

 それにしても、このやかんが出来る前に、試したりしなかったのだろうか。

 実際にお湯を沸かしたり、注いだりしなかったのであろうか。

 物理的に出来なかったのかもしれないな。

 「こんなはずじゃー・・」


「笑って、ローズマリーちゃん」'09.8/27

 小学三年の頃。

 なぜか歌無しのLPをよく聞いた。

 「世界のヒットポップス」という感じのタイトル。

 それでも大きなレコードということで、感動的にいつも聞いていた。

 その中の一曲に「笑って、ローズマリーちゃん」という曲があった。

 最初のホーンの響きがとても印象的な楽曲である。

 ステレオセットの前で、僕はこの曲を歌無しでずっと聞いていた。

 せっかく買ったLPを無駄にするものかと。

 ターンテーブルにLPが乗って回っているだけで嬉しかったのだ。

 歌無しの音楽というのは、やっぱりもの足りない。

 それでも何度も聞いていると、好きになってくるメロディーもある。

 「笑って、ローズマリーちゃん」がそうだった。

 そんなイージーリスニングのLPを聞いていた時期も過ぎて、

 歌入りのレコードを今度はまっしぐらに聞いた。

 それからずーーーっと。

 はじめて聞いてから38年ほどたって、最近、歌入りで、

 「笑って、ローズマリーちゃん」を聞いた。

 僕の脳裏の中では、歌無しだったメロディー。

 ステレオセットの前で、じっと聞いていたメロディー。

 楽曲を越えて、不思議な響きで満ちていた。

 筋肉疲労に最初に貼った湿布薬のような。

 爽やかな心地よい懐かしいような響き。

 40年も会っていない近所の幼なじみの笑顔のような。


「学ぶ」'09.8/25

 僕は機械は捨てないタイプだ。

 必ず、何かで役に立つと思っている。

 先日も、動画のことで、どうにも行き詰まっていたのだが、

 自分の持っているいくつかの機械や、

 忘れかけていたパソコンソフトでそれはなんとかなった。

 ずっと捨てないでいて、それらはホント役に立った。

 最新型の機械だけが万能ではない。

 小さなメーカーのパソコンソフトも役に立つ。

 それはいくつかがまとまとって、ひとつの流れを作ってくれた。

 有名メーカーは、ひとつでそれをやろうとする。

 大きな道路が、工事中になったとき、

 いくつかの路地をゆくしかない。

 アイデアが出るとき、必ずや助けてくれる。

 古い機械をひっぱり出して、、。


「50円か100円か10円かそれが問題だ」'09.8/23

 この時期になると仕事がら、かなり自販機にはお世話にはなる。

 水分をとるために。。

 ついには財布の中の小銭もなくなってきてしまう。

 財布の中のお札もなくなってしまう。

 でも、まあ、たいがいポケットの中に小銭が入っていることは多い。

 それはあまりに自販機を使うことが多いので、

 急ぎでお釣りをポケットにしまうことが多いのだ。

 さて、仕事帰り、からっぽの財布をひらき、

 自販機の前に立って、ポケットの中を探す。

 50円か100円か10円か、それが問題だ。

 かつて、テレビの『がっちり買いまショウ』で、

 「10万円、7万円、5万円、運命の分かれ道!」というのがあったが、そんな気分だ。

 こんな場面が実によくある。

 そのたびに心は、こう言う。

 (50円か100円か10円か、それが問題だ)

 シェークピアもがっかりする言葉かな。


「地サイダー」'09.8/21

 先日、コンビニエンスストアーに寄ったら、

 数種類の地サイダーが冷やされて売られていた。

 少々値段は高めではあったが、どんな感じなのかなと一本買ってみた。

 公園でしみじみと飲んでみたけれど、さて、その味をどう判断したらいものか。

 うまいと言えば、うまいのだけれど、もうちょっと違う「味」というものがあっていい。

 その土地の歴史が感じられるような。。

 ラベルに、土地の話を載せてもらえたら「味」も出てきたのかな。

 僕のいた柏崎にも、地サイダーがあって、よく飲んでいた。

 それは500mlだったかな。普通より大きな瓶で、お得な値段だったはずだ。

 お得なんだもの、飲んでしまうよ。

 そんな「味」があった。

 どんな味だったかは思い出せないのだけれど・・。

 その地サイダーを飲んだという記憶はある

 今もとても飲んでみたい。

 そこにはやっぱりオリジナルな味があるだろう。

 どんな味かは思い出せない。

 地サイダーのラベルの裏に、小さな古め写真をいくつも印刷するというのはどうだろう。

 レンズ効果で、大きく見えるような気がするのだが、

 それを見て、飲む。

 多少、それなりの味がするのではないか。


「道の昔」'09.8/19

 銭湯まで行く夜道の間、

 誰にも会わないことだってある。

 すると、道の昔の姿がふと重なって見えるときがある。

 明治の頃、江戸の頃、、。

 最近、ずっと江戸が舞台の漫画を読んでいて、

 なんとなく自分の中に江戸の景色が出来てきたのだ。

 昭和・大正・明治の頃もなんとなく、思い浮かぶし。。

 この道の昔、、ぽくぽくと歩いていた。

 確かにこの道を。

 江戸の頃の夜ならば、提灯がいるかな。

 そんなふうに、そっと道の昔を行く。

 そして、どうしても未来の道だけは想像がつかない。


「データを失う」'09.8/17

 それはほんの勘違いからだったのだけれど、

 デジタルカメラのデータを消去してしまった。

 いつも撮るたびに保存はしてあるので、撮影2回分くらいなのだけれど、

 それでも、その時の写真がなくなったのは悲しい。

 最初は、たぶん保存してあるだろうと、パソコンの中を探しまくったが、

 やっぱりなかった。

 デジタルカメラを買ってから、まだ一年ほどなので、

 データを失ったのは今回が初めてだった。

 ほんと悲しいね。

 フィルムを使っていた頃は考えられなかったこと。

 いい写真も多かったはずなのだけれど、それはもうない。

 50枚ほど失ってしまった。

 トラブルで失ったのではない。

 自分の手でカメラの「全消去」のボタンを押したのだ。

 これも悲しい。

 もうデータはこの世のどこにもない。


「僕がいいなと思ったものは」'09.8/15

 昨年の夏は、 ダイドーから出ていた、

 キウイドリンクで、なんとか乗り切った。

 この飲み物はほんとに夏ののどに涼しさをくれた。

 (名作ドリンクを作ってくれたものだ、やったねダイドー!!)

とか思っていたものだ。

 しかし、今年はどういうわけか、自販機の中には見あたらなくなってしまった。

 なぜだ、なぜなんだろう。。

 なんだか、いじわるされているような気もする。

 キウイドリンクは評判がいまひとつだったのだろうか。

 いままで、こういうことが何回もあった。

 僕がこれぞと思ったものは、長続きしないことが多い。

 なぜだろう。

 目覚まし時計にしても、眼鏡にしても、なんでも、

 いいなぁと思うものは、なくなることが多い。

 きっと企業と僕のセンスにズレがあるのであろう。

 お願いだから、キウイドリンクを復活させてください。

 いじわるしないで。


「集中読み」'09.8/13

 先日「サバイバル」という、さいとうたかをの漫画を全巻読んだ。

 厚めの文庫本で10巻。通販で買ったのだ。

 毎日、少しずつ読むつもりでいたのに、土日にかけていっきに読んでしまった。

 これ以上ないくらいに一気に。

 あんなに集中して読んだのは久し振りだった。

 内容的にも、その先が気になって気になって。。

 一気に読んでしまった。

 一週間ほどたって、あまりに早く読んだことを後悔して、もう一度最初から読み始めてみた。

 すると、どのシーンもよく憶えていて、ストーリーも話せるほど憶えていたので、やめてしまった。

 よほど集中して読んだのであろう。

 それからまたひと月ほどたっているけれど、まだ記憶は鮮明だ。

 まだまだ続きそうな気配。

 すっかりストーリーを忘れたら、また全巻読みたいのにな。

 それはいつのことになるんだろう。

 それが心配だ。


「蝉の必死」'09.8/11

 昨日は午前中は大雨であった。

 外仕事をしていると、蝉の声もそのときは聞こえなくなっていた。

 雨が上がると、またいろんな場所で蝉は鳴き出した。

 時間をうめるように。

 今日もまた雨という予想だが、蝉も必死だろう。

 なぜ必死なのかは自分たちで、知っているかはわからないが。

 きっと知らないのであろう。

 そんなふうに自分では知らないのに、必死なことってないか?

 自分では知らないのに。。


「僕らのきいている声」'09.8/9

 最近のこと、声に関するふたつのことがあった。

 ひとつは、インドレストランでかかっている女性ボーカルの声が、

 僕には同じく聞こえるのに、インドの人には、まるでちがって聞こえるとわかったこと。

 ふたつめは、ハンバーグ屋さんに入って、ふたりの韓国の店員さんに丁寧に注文をきかれたのに、

 ふたりの日本語がよくわからず、聞き返したこと。それはサラダの種類であった。

 ・・・・・・・

 その韓国の人は、たぶん応対のしかたを、韓国の先輩店員さんから、教えてもらったのではないかな。

 その間に、日本の店員さんが入らないと、言葉の発音は、うまく訂正されていかないような気がした。

 まあ、日本語をしゃべるのだから、日本語に近い方がいい。

 と、ここまでは、普通に僕の思考は進んだのだけれど、ここでふと、インドレストランでのことを思い出した。

 僕らはもしかして、、自分たちでは気がつかないけれど、韓国の人が話すように発音しているのかもしれないと。

 だいたい、日本人の耳はうまくヒアリングが出来ていないのは、以前からわかっていることだ。

 犬の鳴き声が「ワンワン」だし、鶏の鳴き声が「コケコッコー」だし、

 赤ん坊の声だって、「オギャー」だし。。

 実際、そんなふうに聞こえてしまっているような気もしてくる。このヒヤリング力のあいまいさ。

 インドポップスのボーカルが同じに聞こえるくらいだからね。

 逆に言えば、僕らの話している声も、日本人なりの耳のセンスで聞こえているということだ。

 そこには、日本人耳のフィルターがあるのではないかな。

 犬の鳴き声が「ワン」と聞こえるような。。

 ・・・・・・

 うん、だから、僕らの話している声や言葉には、

 僕らには聞こえない、微妙な響きが含まれているだろうということ。

 その微妙な響きが、それぞれの国の耳のヒヤリング力によって、

 言葉の響きに変えられ、また発音されるということ。

 この夏にあった世界水泳の選手はみなカタカナに直されて表示されていたけれど、

 あれはひどいものだった。日本語のカタカナに直すなんて無理があるんだよな。

 しかし、僕らはそうやって響きを憶え、そして発音する。

 それが日本人の発音変換変化なのであろう。それはそれでいい。

 そして、その発音変換変化が、どの国にも起こるのであろうということ。

 それぞれの国の人たちが、日本語をどう聞こえているか、

 それぞれの国の人になって聞いてみたい。

 ・・・・・・・

 世界一、ヒヤリング力があるのは、きっとインド人だとは思う。

 だって、インド人、すごく日本語うまいもの。


「電蓄のマッシュマッカーン」'09.8/7

 '70年の終わりから'71年にかけて、

 カナダのマッシュマッカーンというグループの「霧の中の二人」という歌が日本で大ヒットした。

 オリコンチャートでも1位になり、40万枚の洋楽ヒットだったという。

 その頃、僕の実家はちょうど建て替えの最中で、家族で部屋を借りていた。

 5歳ちがいの兄キが、「霧の中の二人」の大ブームのことを聞きつけて、

 いてもたってもいられないという様子で、シングル盤を買ってきたのだった。

 僕は9歳だった。家が建つのと同時にステレオセットをそろえたのだが、

 その前は、「ポータブル電蓄」と呼ばれる、小さなモノラルプレーヤーしかなかった。

 「電蓄」とは電気蓄音機のことであろう。

 「霧の中の二人」を買ってきた兄キは、その電蓄でかけ続けた。

 それまでもシングル盤は買っていたが、加山雄三とかの邦楽ばかりだった。

 洋楽のヒットシングルを買うっていうことも初めてだったけれど、

 それが日本で大ヒットしているということが、夢中にさせてくれた。

 シンセオルガンのような印象的なフレーズから始まるこの歌。

 ダイナミックなリズム展開も快感であった。今聞くと、ちょっと日本的なメロディーでもある。

 今思い出すのは、あの畳の部屋のすみでかかっていた電蓄の音である。

 僕にとっては、洋楽ポップスという初ジャンルの世界であったし、

 この歌が日本中の若者を夢中にしているという事実が、また僕を夢中にさせた。

 マッシュマッカーンの「霧の中の二人」が洋楽として40万枚も大ヒットしたのに、

 あまりその事実は、みんなが知っているというふうでもない。

 隠れ大ヒットだったのかもしれない。

 電蓄なので、音が良かったというわけでもない。

 しかし、素晴らしい響きがあった。


「子供らの夏休み」'09.8/5

 子供らは今、夏休みだ。

 昼間に下町にいると、子供らが路地をかけてゆく。

 窓々から、声を上げる。

 昨日はとても暑い一日であった。

 子供らは疲れ知らずのようだ。

 なんだか、子供らは夏の深い時間の中にいるような気がした。

 それもずっと続いている時間。

 夏休みではあるけれど、子供らには休みなしであるようだ。

 一番忙しい。

 大事な大事な大きな時間。


「世界を目指す選手は大変だ」'09.8/3

 今年の競泳の世界大会の記録は、次々と世界新の記録が続出した。

 約1秒以上も記録が更新された種目もあった。 

 水着が進化したというせいもあるのだろう。

 ほんの数年前の世界記録では、追いつけなくなってしまった。

 そのときに世界一だった人もいるのに。

 ここまでくると、人間の筋肉の限界もきているのではないか。

 世界を目指す選手も大変だ。

 泳ぎ方の研究もされているのだろうか。

 それとも筋肉勝負なのか。

 筋肉勝負で世界と戦っていたら、体はボロボロになってしまうのではないか。

 それでも君は世界へ向かう。

 走る人も大変だ。

 みんな大変だ。


「ライブの映像」'09.8/1

 先日、日本武道館ライブの映像の番組を観た。

 少し前に、サイモン&ガーファンンクルの武道館公演に自分も行っているので、

 映像を観ながら、実際の武道館での雰囲気が手にとるようにわかった。

 武道館って、ステージのあの黒い色がなんとも印象的。

 テレビで観た、武道館ライブの映像は普通にテレビ局が制作していて、

 いかにも民放のテレビ局ふうに撮られていた。

 ここ一週間ほど、いろんなライブビデオも観たけれど、

 DVDで発売されるライブ映像って、それなり撮り方ってあるんだなと感じた。

 誰かか、考えたのはわからないが、、音楽的というか、、。

 テレビ番組的な撮り方とは少しちがう感じがした。

 テレビ番組では、主役の歌い手がメインで撮られているけれど、

 DVDでの映像では、それぞれの楽器プレーヤーも同じような扱いで、

 大事に撮られているのがわかる。

 こんなにも、ひとつのバンドの撮り方がちがうのかなと思う。

 僕は、やっぱりじっくり落ち着いた撮り方が好きだな。

 長い歴史があって、民放テレビのドキュメンタリーライブ映像の撮り方も出来たと思う。

 自信に満ちた感じがする。でも、どこかテレビふうなんだよね。

 しかたのないことではあるけれど。

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