「最近の事」過去ログ'09.4月〜'09.7月
「そんな気持ちになるまで」'09.7/30
先日、'65年のP.P.Mのコンサートの映像を観た。
P.P.Mとは単位のことではなく、ピーター、ポール、アンド、マリーというフォークグループのことだ。
中学の頃、P.P.Mとは出会ったが、僕は最初からP.P.M派ではなかった。
それからずいぶんと長い間。。
よく歌っているライブハウスのマスターが、こんなことを言っていた。
「昔の音源って、今聞くと意外と良いものだよ。聞いてごらん」と。
マスターもしみじみとそう言っていたので、本当なのだろう。
今、P.P.Mを聞いてみると、良いところが実に多い。
そんな気持ちになるまで、35年ほどかかったな。
なぜ、普通な聞けるようになったか、理由はわからない。
理由を探ろうとも思わない。
ただわかることは、当時、ちゃんと聞いていなかったということ。
「僕の職場」'09.7/28
新人さんが仕事場に三人ほど入った。
新人さんなので、はじめてからいろいろ教わっている。
おぼえることは山ほどあるのだけれど、ひとつひとつやってゆくだろう。
こわい先輩がいるわけでもない。
仕事に関しては、手取り足取りという表現がぴったりだ。
わからないことがあれば、となりの先輩が何でも教えてくれる。
僕の職場に来たら、何の心配もなく仕事が出来るであろう。
僕の仕事の大変さは、外仕事であるために、なんと言っても気力。
エンジンで言えば、ガソリンが気力となるだろう。
仕事は二ヶ月もすれば、おぼえるだろう。
それ以降は、どう気力を持続させるかが問題だ。
そこが肝心なところ。
「僕らがなくしつつある文化」'09.7/26
先日、近くのインドレストランに入ったときのこと。
どこのインドレストランにもあるように、飾りの絵が貼られてあった。
たいがいは、インドの古い物語「ラーマヤナ」のワンシーンだったりするのだ。
「ラーマヤナ」の物語は、インド人なら、たぶんみんな知っていると思う。
有名な猿の「ハヌマーン」も登場する。
そのレストランに飾られていた絵は、何かの有名な話のワンシーンだとはわかる。
僕ら日本人にはわからないが、インド人なら、簡単に説明することが出来るだろう。
とても味わいのある物語のワンシーン。
いろいろな教訓を含んでいる物語のワンシーン。
その事を語らせたら、何時間でも語られるようなワンシーン。
日本の物語で言ったら、桃太郎が桃から出てくるシーンか。
日本には掛け軸があり、そこには少なからずワンシーンの文化が残っていた。
しかしいつしか西洋の絵画の影響なのか、オリジナルの絵を飾るのが普通となった。
西洋の宗教絵画にも、多くの物語のワンシーンが出てくる。
神社に行けば、語られる伝承の絵を多く見ることが出来るが、多少説明文が必要だ。
今だって、小説にはイラストがついていて、ワンシーンの絵は多く見ることができる。
しかし、誰でも知っている物語のワンシーンを絵として飾るという文化が、なくなりつつある。
日本人なら誰でもが知っているワンシーンの絵。
「引っ越してきた人」'09.7/24
実家にいた頃の話。僕の家は町はずれの通り沿いにあった。
家々の奥には畑があった。
僕の家のそば、通りから少し入った所に平屋の小さな家があり、
しばらくは空家になっていた。
そのうち、まだ若いお姉さんが、引っ越してきていたのだった。
あるとき、窓のところに大きな文字で突然に、
「書道 みずぐき」と白い紙に墨文字で書かれてあった。
僕はまだ小さかったけれど、そんな僕にでも、
書道教室を始めるのだなとわかった。
こんな町はずれの、通りから少し入った畑のところで。
まだ若いお姉さんは町内の一人となった。
通りのみんなとも挨拶を交わしていた。
それから何年かたった。
書道教室は、軌道にのったのかのらなかったのか、
まあ、窓には同じように「書道 みずぐき」と書かれてあった。
僕は高校を卒業して東京に行った。
それでも、それから何年もたっても、「書道 みずぐき」の文字はあり、
続いているのだなとわかった。
もし僕に書道の心得があり、それなりにうまかったなら、
そんなふうに、生活を始めるこも出来るだろう。
どこかの町に行き、通りから見える窓に
白い紙に墨文字で書けばいい。
ちょっとだけ生活費をためておいて、
何年もかけて、生徒が集まればいい。
なんという素晴らしい時間の生活。
「友達と乾燥牛糞」'09.7/22
皆既日食があるという。
小学校の頃、中庭に出て、先生と部分日食についての説明があったのを思い出す。
その同じ中庭での話。その同じ先生だったかな。
理科の授業の一環で、中庭でヘチマを育てていたときのこと。
その肥料として、乾燥牛糞がまかれた。
先生がまじめに説明していると、友達が、
「わーっ、くそだ、くそだーっ!!」と騒いだのだ。
怒った先生は、その友達の手をとり、
だんだんと乾燥牛糞に近づけていった。
「なにが、汚いだー、牛糞をばかにするなー、にぎろー!!」
友達は、うわーっ、顔をゆがめながら、
その手を乾燥牛糞に近づけられ、結局、にぎってしまった。
「うわーーーーっ」と、友達。
「わかったかーー!!」と、先生。
その光景と話は、あとあとまで語り草になった。
いまだって、はっきりとおぼえているよ。
「鱈の親子漬け」'09.7/20
先日、新潟・柏崎に帰ったとき、お土産コーナーに寄ってみた。
そこに小さい頃からよく食べていた「鱈の親子漬け」を見つけた。
鱈の親子漬けは、ほんとに美味しい。僕の大好物だ。
自分でもひと瓶買ってみた。
鱈の白身とたら卵、生姜・キクラゲを甘酢で漬けたもの。
実家にいた頃、気付いたときから、もう食べていたので、
僕にとっては当たり前の美味しい食べ物であった。
日本全国、どこに行っても食べられて、日本全国の人が食べていると信じていた。
東京に出てきてからも、しょっちゅう食べていたような気がしていたが、
それは僕の勘違いか。。
とにかく、今回、「鱈の親子漬け」は柏崎の名産の珍味なのだと知った。
ほんとかなー??
みんな食べているのじゃないのー?
まだ信じていないのだが。。
鱈の親子漬けは美味しいよ。毎日でも食べられる。
日本全国の人がこの味を知らないなんて、、僕には信じられない。
地元の味って、よく紹介されるけれど、
「日付のない記憶」'09.7/18
この一週間で、二回もサイモン&ガーファンクルのコンサートを観に行った。
つい三日前に、日本武道館に観に行ったのだけれど、
なぜだろう、もうずいぶんと時間がたったような気がしている。
武道館に行ったときも、三日前に一度観ているはずなのに、
そのときもずっと前の記憶だったように思えた。
なぜだろう。不思議でたまらなかった。
頭の中のカレンダーのちがう場所に記憶されているのかな。
遠い時間がふたつもあったのに、
さて、生活時間を思うと、やっぱり普通の一週間である。
おかしいな。。
ふたつのコンサートの記憶はどこにあるのだろう。
僕はその時間、ずっと未来まで憶えておこうと意識した。
永遠に色褪せないように。
それなのに、三日目でずっとたったように思えているなんて。。
なんだかそれは、はっきり観た夢のようではなかったか。
たぶん、夢を憶えている記憶のフォルダにあるのではないか。
「武道館」'09.7/16
日本武道館にコンサートを聴きに行った。
武道館はいいな。九段下で降りてから、特別な感じがある。
1986年に初めて、ボブ・ディランコンサートを武道館に観に行った。
ちゃんと聞いていたはずだけれど、断片的に記憶に残っている。
二回目の武道館は、1994年、またボブ・ディランで観に行った。
また、武道館に来たなという印象。
友達も一緒で、終わってから入口待ち合わせて、写真を撮ったり、帰り道を行ったり。
大きな門をくぐって行く、あの独特の帰り道。
武道館には行き慣れているわけではないので、はっきりと前回のイメージがよみがえってくる。
今回は東京ドームから四日後に武道館に観に行った。
東京ドームは、なんだかおしゃれが感じであった。
きらきらというか、、。
四日後、日本武道館に向かっていると、ほんとにしみじみとしてきた。
武道館の席に着くと、なおさらにしみじみしてきた。
おしゃれには遠いけれど、モダンな感じは残っている。
それは古さを感じさせない。
武道館には、なんだが再会の良さがある。
ステージの人もそれは同じなのではないかな。
東京ドームは、どこか未来も感じさせてくれるが、
武道館は、つながっている今という時間の頂上にいるようだ。
頂上という感じではないな、あの武道館の八角屋根のような。
「僕の知っているアメリカ」'09.7/14
小学3年から4年とき、洋楽のヒットシングルを集めた。
その頃ヒットチャートに出てきた歌に、サイモン&ガーファンクルの「アメリカ」があった。
それは小学生の僕にとっては、とても変なメロディーであった。
シングル盤を買ってきたのは良かったけれど、慣れるまで時間がかかった。
その頃の僕にとって大事だったのは、その歌がヒットしているということ。
せっかく買ったのだし、何度も何度もレコードをかけてはメロディーをおぼえた。
そのうち、すっかりメロディーをおぼえて歌えるようになった。
この変なメロディーの「アメリカ」を。
歌詞カードの裏には、日本語の訳詞も載っていた。
「アメリカを探しにやってきたんだ・・」
それだけでこの歌はなんとなく理解できた。
だんだんと歌のイメージが伝わってきて、すっかり自分なりのドラマを作った。
かってにメロディーと似非英語を歌いながら、、。
こんな妙なメロディーでも、しっかりとイメージがつくのだなと感じながら。
そんな思い出多い歌であった。
先日、サイモン&ガーファンクルのコンサートを観に行ったとき、
この「アメリカ」を歌ってくれたとき、
僕は双眼鏡のピントを合わせたりして、集中できなかった。
失敗した。せっかく生で「アメリカ」を歌ってくれたのに。。
今も僕の中では、この歌「アメリカ」のドラマが、
「東京ドームから学んだこと」'09.7/12
先日、サイモン&ガーファンクルの東京ドームコンサートに出かけた。
東京ドームでコンサートを観たのは僕は初めてだった。
スタンド席から観ていたのだが、さすがにステージに立つ、みんなが小さく見えた。
音はなかなかに良くて言葉も演奏もばっちり聞こえていたのだけれど、
本物を観ているという実感がなかなか湧かなかった。
日本武道館なら、それでも生を実感で感じてきたのだが。。
アート・ガーファンクルが、「アノー、アノー」と、話し始めたときは、さすがに受けていた。
そんなふうに言葉がわかると、遠いステージであっても、身近に感じられるものだと知った。
身近に感じること、、。これがポイントだと思って、しばらくはコンサートに集中していた。
それでも、やっぱり、あまりにステージが遠い。。
僕なんかはスタンドの前の方であったけれど、三階席の後ろなんかは、もっと遠く見えるだろう。
コンサートも後半になって来たとき、だんだんと僕の気持ちが変わって来た。
遠く感じているのは、観ている僕等だけではなくて、ステージのみんなも同じだろうということ。
伝える側にも同じ「もどかしさ」があるだろう。
その同じ「もどかしさ」を感じたとき、やっとステージが身近に感じられた。
向こうからも小さく見えているのだ。
僕がいつか東京ドームのステージに立つときがあれば、それを実感するだろう。
「遠くから聞こえる音楽」'09.7/9
ここ最近、ジュルジュ・ムスタキのベスト盤を聞いている。
ジョルジュ・ムスタキって言えば、'70年代の音楽雑誌によく出ていた白髭の人である。
名前はよく知っていたけれど、歌は聴く機会がなかった。
先日、とある古い喫茶で、妙に懐かしいサウンドと歌が流れていて、
それがジョルジュ・ムスタキだと知ったのだった。
ベスト盤を聞いていると、どの歌も、いろんな場所でかけられていて、
耳なじみがあるのがわかる。
それはどこで聞いたのであろうか。
ラジオか、テレビか、、。
気が付かないうちに、いつしか聞いていたのだろう。
それらの名前のない、遠くから聞こえていた歌たち。
それが集まっているベスト盤。
しばらく聞いてみると、実に不思議な感覚がめぐってくる。
その歌の回りで、あそぶ夏の日や、人たちや、子供たちや、
時代や、テレビや、ラジオなどがぼんやりと見えてくる。
ムスタキの歌は、みんながどこかで聞いた歌が多い。
夏の日の小さな工場のラジオから流れる、ノリのいいフレンチポップス。
自然と、体が揺れ、口ずさむ。
このうた知っているなぁ・・と、思いながら。。
「ふらふらであるけれど」'09.7/7
週に何日かは、ぐっすりと眠ることはあるが、
ほとんどの日は、あっという間に朝が来てしまう。
外仕事をやっているが、そんなに楽ではなく、
8時半から5時すぎまで、急ぎ足で歩きぱなしだ。
自分でも、こんなにがんばって大丈夫かなと思うほど。
あんまりがんばってもだめなので、それ以外の時間は、なるべく力を抜くようにしている。
朝、出かけるとき、寝不足ということもあり、
そうとうに疲れた様子で、歩いてゆくことも多い。
毎朝、多くの人とすれちがうが、
(あら、あの人、もっとしっかりと歩けないのかしら、一日の始まりなのにね。
ぼんやりときっと一日を過ごしているにちがいないわ。もっとしゃんとしなさいよ。)
と、こころで思う人も多いだろう。
まさか、この人が日中、9時間ほど、しゃきしゃきともーれつに仕事をしているなんて想像もしないだろう。
その真逆の人と、確実に思われているだろう。
仕事中の僕に会ったら、
「弾き語りアルバム」'09.7/5
ギター弾き語りアルバムがある。
それは単純に、弾き語りアルバムであり、まるで文句はないのだが、
聞いてゆくと、なぜか5曲目くらいで、バンド演奏で聞きたくなってしまう。
そのアルバムは弾き語りだと知っているのだから、バンド演奏にはならないのだが、
その5曲目くらいを過ぎると、なんだか、アルバムの印象が急に暗く感じてしまう。。
それは弾き語りアルバム、独特の暗さだ。
理由はもうひとつ不明なのだが、、。
たぶん、作っている本人も、作ろうとした最初も、作っている途中も、
そんなふうに聞こえるなんて、想像もつかないだろう。
ひとつのアルバム作品として、構成もしっかりしていて、まったく問題はないのに。
聞き始めて25分くらいたつと、独特の暗さがアルバムにおそってくる。
なぜなんだろうなぁ、、??
たとえば、CDショップで、アルバムジャケットを裏返し、ソロ弾き語りアルバムだとわかると、
どこか、そのアルバムが少し重く感じるんだよね。
喫茶店で、向かい合って座るような、そんな感じね。
特に気にしてはいないのだけれど。。
まあ、逆に、弾き語りっていいねって、思う人も多いだろう。
弾き語りのアルバムを作るとき、
25分すぎのことを、僕なら、ちゃんと考えようと思う。
レコードで言ったら、A面のラストの曲が、バンド演奏になっていると、
意外とアルバムがしっくりくるような感じかな。
もしかしたら、僕はレコード世代だからかもしれない。
「突然を答えてくれた人」'09.7/3
その人は人生の先輩であった。
まるで何でも知っているかのようであったので、
僕は突然に何でも言ったものだ。
それでも先輩は、すぐさまにそれなりの事を答えてくれた。
すぐさまに答えてくれるので、僕はいつも突然に話をした。
ほんの短い、ふた駅の間とかで。
その先輩はおととしに他界してしまったが、
写真に問いかけると、いつだって答えてくれそうである。
突然に問いかけても、すぐさまに先輩の声が聞こえてくるようだ。
内容もしっかりとしている。
これは、突然にいつも人生を話しかけてきたせいだろう。
不思議だ。
「ギターの旅音」'09.7/1
いつも弾いているギターであっても、
なかなか音と向き合って聞くことはない。
ボデイ側から聞いているというか。。
友達が弾いているのを、目の前で聞いたりするとき、
そのギターの音を正面から聞くことになる。
弦を短音で弾いたり、コードを弾いたりする音を聞くとき、
もうそれだけで、そのギターの旅の音が聞こえる。
弦は新しいとしても、やっぱり音の響きの中には旅がある。
そのギターは造られて35年がたった。
それなりの音が出ていて、それは隠しきれない。
どんなに新しい歌をうたっても、弾いても。
僕らの歌声の中にも、そんな旅の音があるだろうとも言える、
しかし、それは範囲が広すぎて、僕の耳では追いつけない。
ギターの旅の音は、立体で聞こえてくる。
「ハーモニカの旅」'09.6/29
ギター用にハーモニカを吹き始めたのは、
高校一年だったかな。
まず楽器屋で、ブルースハープという種類を買ってこなくてはいけなかった。
それがなくては練習もできない。
僕は一日、ぷかぷかと吹いていたら、なんとなくギターにつけて吹けるようになった。
高校時代は、ずっとハーモニカを吹いていたわけだ。
お手本は、もちろんボブ・ディランであった。
高校を卒業する頃には、相当に早く吹けるようになっていた。
いろんな表情のある吹き方もできた。
ボブ・ディラン風で。
早く吹けば、なんだかとてもうまそうには聞こえる。
24歳くらいまでは、ボブ・ディラン風に吹いていた。
でも、やっぱりそれでは、オリジナルと言えないのだよね。
そう思い始めてからが、ハーモニカの旅であった。
まずハーモニカは、早く吹く必要はどこにもない。
じっくり自分なりのハーモニカをメロディーを作ることにした。
その作業はかなり独自の感覚が必要になった。
なるべく何も考えないことが大事であった。
自分の感覚を信じて、無の心で吹くことも大事だ。
自分なりのハーモニカの吹き方はいつのまにか出来ていることが多い。
それは真似しようとして、真似できなかったものであるのかもしれないが。。
若いミュージシャンでもハーモニカを吹く人は多い。
ハーモニカの旅は、なかなかに面白いよ。
「電線の鳥はもう歌われましたか」'09.6/27
レナード・コーエンのライブDVDが発売された。2008年ツアー。
国内盤DVDには、訳詞者でもある三浦久さんの長い解説が付いていて、大変に良い文章であった。
レナードのライブを三日続けて観たという。その再会の物語がまず語られていた。
その文の中で特に印象的だったのは、交通渋滞のため会場に遅れてきたインド系の一人の人が、
隣の席の三浦さんに「もう、電線の鳥は歌われましたか?」と、きいたという。
電線の鳥はレナードの初期の代表曲のひとつで、私は電線の鳥のように自由になろうとしたと出だしではじまる歌だ。
「残念ながら、さっき歌ってしまいましたよ」「そうですか、、」
彼はかなり落胆した様子だったという。きけば、若い頃、「電線の鳥」を聴いて、レナードのファンになったという。
これは小さなエピソードではあるけれど、僕には大変に印象的な話であった。
レナードのファンであるならば、彼の落胆さがよくわかるだろう。
そしてレナードの代表作ではあるけれど、コンサートでは、最初の方に歌われる可能性が高いことも。。
「電線の鳥」は、短めの歌で、たいへんに地味な歌ではあるけれど、実にレナードの歌い方が味わい深い一曲だ。
僕もときどき、この歌を聞くと、その歌唱に耳を奪われてしまう。
「電線の鳥」は、名曲にふさわしい。
僕もまたレナードの生声で、この歌を聞けたら、どんなにか嬉しいだろうと思う。
「健康ドリンクの効果」'09.6/25
さすがにこの年になると、パワー不足を感じるときが多くなった。
そんなとき健康ドリンクは、気分転換にも、よい効果がある。
以前は、オロナミンCを、よく飲んでいたけれど、あれは元気ドリンクというか、
よるやるかドリンクという感じだ。
最近、健康ドリンクをいろいろ飲んでみて、どんな効果があるのかなぁなんて、
思いながらちがう種類のものを飲んでみた。
300円くらいまでのものしか飲んだことがないが、大きくわけて二種あるなと感じた。
ひとつはパワーアップ派。これは「ファイトー」とか、「ヤルゾー」とか、
渇を入れてくれる部活の先輩のような健康ドリンクだ。
もうひとつは、飲むと、頭がぽーとしてくるタイプ。
これはこれで、無心の境地になるというか、漂う感じになって、
足腰の痛みが、すーっと感じられなくなってゆく。
たとえて言えば、無我の境地を知る老人のようなドリンク。
僕には、後者の方のドリンクの方があっているようだとわかった。
このドリンクには、不思議な効用もあった。
それは、小さかった頃、まったく忘れたいた記憶を思い出したということ。
いつか見た夢のことを、ふと思い出したこと。
どれも大変懐かしいものであった。
「なくなった響き」'09.6/23
日本の'70年代フォークブームの頃を思うと、
僕のイメージの中では、塗装の匂いの残るギターの音が聞こえる。
弦も張ったばかりで新しい。それもミディアムゲージ。
ボディ材料はローズウッドがハカランダ。
ビィーーーンと、長く響く弦の音。
フィンガーピッキングの時でも、よく指にフィンガーピックをはめたものだった。
先日、ふと'70年代の流行りの弾き方のことを思い出した。
少しゆっくりめのスリーフィンガーピッキング。
最初の1音は、低音弦の単音弾きで、、
Em D C Em
と、繰り返してみると、'70年代フォークの独特の響きがする。
これに新しいギターと新しい弦なら完璧だ。
「創作の歌と散歩せよ」'09.6/21
ちゃんと椅子があり、そこに座り、
歌っているとき、どこにも行かず、その歌を聴く。
耳と目をかたむけ。。
これ以上に、ベストな環境ってあるだろうか。
ストリートで歌っていた頃なんて、みんな歩いているという環境であった。
しっかりとその歌に集中して聞いているわけなのに、
歌詞が伝わって来ないことが多くて、残念だと思うことが多い。
こんなにしっかりと聞いているのになと思う。
いろんな原因もあると思うけれど、、
たぶん歌詞の構成が、うまくいっていない要因もあるのではないかと思う。
歌に限らず、昔ばなしを語るとしても、
それなりに必要なキーワードや、順序があると思う。
季節とかね、夜なのか、昼なのかとかね、、若いのか、年とっているのかとかね。
自分では、十分にイメージが出来ているんだろうなと思うけれど、
それが伝わらないのはもったいないと思うんだな。
(そういう次元ではないよ、、と言われる人もいるだろうけれど・・)
僕は自分の歌を作るとき、ある程度、歌詞を作ったあとで、
実際に歩きながら歌ってみて、ちゃんとイメージ化できるか、検証している。
これは大事な作業だ。
自分でもわかっていて、聞いている人にも、伝わるっていいと思うんだな。
老若男女、誰が聞いても、それなりにわかるように。
外で口ずさみながら、検証するわけね。
オリジナルのままでいいときもあるし、
ぼやっとしたイメージのときがいいときもある。
作ったままがいいときもある。
それも全部含めて、歩きながら歌い試してみる。
そして、無理があるところは、少し言葉を選んでみる。
「もうひとりの自分映像」'09.6/20
三年ほど前の自分のライブ映像を見ていた。
すると、自分もすっかり忘れていた歌を、自分が歌っていた。
その歌は、二回ほ歌って「ボツ作品」にしてしまった歌であった。
メロディーが似ている作品があったので。。
僕の記憶からすっかりなくなくっていた歌。
メロディーが似ているからってボツにしてしまった歌。
なんとも驚きに満ちて、僕はその映像を見たことか。
その驚きと新鮮さは、いままでどの自分のライブ映像を、
見たときにもなかったものだ。
自分のライブを、ライブハウスで席に座って見てみたいと、常日頃、思っている。
自分がどんな感じで歌っているか、見てみたいのだ。
ビデオでは、どうも実感がわかないからだ。
初めて、僕のライブを観るような人の感覚を味わってみたい。
考えてみれば、それは不可能であった。
しかし、今回、疑似体験ではあるけれど、自分の歌を初めてみたいに聞いて、観た。
もうひとりの自分の映像を観たような気分。
なぜ、僕はこの歌をボツにしたのか、、。
作ったことさえも、歌ったことさえも忘れられた歌であるが、、
たいへんに良い歌であった。
「そんなことがあった」'09.6/18
携帯音楽プレーヤー文化も定着したものだと思う。
僕も'80年代からカセットテープを聞いて、帰り道を行ったものだ。
もう、16年ほど前のこと。
いつものように、カセットテープを聞いて帰りの商店街を歩いていた。
その歌に感動しながら。。
「なんて、いい歌なんだ」。つい、口がしゃべってしまった。
すると、通りすがりの知らないおじさんに声をかけられた。
「はい」。僕はイヤホンを外した。
「何の歌が、そんなにいいですか??」
「あっ、これですか、、僕の歌なんです。。」
お互い笑って、挨拶をした。
先日の自分のライブの録音のテープを聞いていたのだ。
それは「台車をひいて」という歌であった。
よほど、僕の声に感動の響きがあったのだろう。
それはありえるんだ。
まあ、後にも先にも、そんなふうに声をかけられたのは、
「行き帰りふわふわ」'09.6/16
アルバイトの仕事先に行くために30分電車に乗る。
行きは、ほとんど半分眠っている状態。
仕事先が見えてきたら、やって起きる感じだ。
それまで、シャキとするなんてありえない。
仕事が終わっての帰りは、ほとんど携帯プレーヤーで音楽を聴いていて、
帰りの電車の中では、その音楽イメージの中に入り込んでいる。
その状態を思うと、僕は電車の中で、
幽霊のような存在になっているのではないかと思う。
「今お店に流れているアルバムの題名もアーティストもわからないまま、音源を部屋で聞く方法」'09.6/14
先日、行ったライブハウスで、実に素晴らしいアルバムが、
ライブの合間にかかっていた。
ほんとそれはギター一本の弾き語りではあるけれど、かつて聞いたことのないセンスを持っていた。
かかる曲、全部良かった。
こんなアルバムをかけるなんて、ライブ自身にも影響があるのではないと思えたほど。。
実はそのライブハウスでかかっていたBGMのアルバムが気に入って、
二回ほどアルバム名をたずねたことがあった。
もしこれできいたら、三回目になる。
うまく言葉では言えないが、それがくやしい。。
なんとか、かかっている歌をヒントにインターネット検索で探せないものかと思う。
うーーん、探せるか??? なんだか、もうぜったい探せない気がした。
この素晴らしいアルバムといつ、僕はまた出会うのだろう。。
そんなことを思いながら、友達のライブを見ていた。
そして合間には、またアルバムがかかった。そこでふと、思いもしなかったアイデアが浮かんだ。
今ここに流れているアルバムの題名もアーティストもわからないまま、音源を部屋で聞く方法。
簡単。今、録音しておけばいいんだよ。ちょうどレコーダーを持っているし。
そう思い、すぐにレコーダーの録音スイッチを入れた。
「マスターのアンプ叩き」'09.6/12
知り合いのライブハウスにて使っているオーディオアンプ。
いい音で鳴ってくれているのだけれど、ボリュームの接触が少し悪い。
まあ、使用年数のことを考えれば、仕方のないことだろう。
僕が知っているだけでも、25年は同じアンプを使っている。
ボリュームの接触が悪くなって、軽く20年はたっているだろう。
ほぼ毎日使用しているので、きっと中身に関しては壊れるひまがないのかな。
ただボリュームだけは、いじらなければいけない。そこが壊れて当然かな。
マスターは微妙にボリュームのつまみを叩いて、アンプの音を調整する。
ほんとに微妙な感覚を使って。
あのマスターの姿もまた、20年見ている。
もう、その感覚は、職人の域に達しているとしか思えなかった。
現役なアンプも素晴らしいが、マスターのアンプ叩きも素晴らしい。
もう今はないメーカーのアンプなので、修理するにもきびしいだろう。
客観的に見て、そろそろアンプの限界に来ているのかもしれないが、、
あとはマスターのアンプのボリュームのつまみ叩きにかかっている。
長いつきあいだろうな。あのアンプとマスター。
「練習の仕方」'09.6/10
これは大変微妙な感覚の話ではあります。
先日、テレビで素人さんの弾く、かなりうまいギター演奏を見た。
たぶんテレビで演奏をするのは、初めてではないかな。
気合いが入っていたというか、相当に自宅で練習したのではないかなと思えた。
その映像の雰囲気を見ていて、失礼にあたるかもしれないが、
ふと、僕が中学のときの器楽クラブでの発表会のことを思い出してしまった。
みんな発表会のために、がんばって練習をしてきた。なんとか間違えないように。
それは独特の空気間がある。
緊張しているというか、全体が堅いというか、、
自宅での練習姿が目に浮かんでくるようだ。
・・・・・・・
でもまあ、そこで思うことは、、「気」の向け方のことだ。
中学時代の自分のことを思い出すと、発表会のための練習で、
何が足りなかったかというと、それは、
「気」を、自分たちの演奏のことばかりに向けていて、
ぜんぜん、お客さんの方に向けていなかったな。
やっぱり、練習のときから、「気」は、
半分半分の気持ちでやった方がいい。
「15分の道」'09.6/8
ここは駅から7分。目白にいた頃は駅から20分ほどだった。
さすがに20分というのは遠く感じられた。
仕事先は今、駅から15分のところにある。
この15分というのは、そんなに遠くは感じられない。
15分の道というのは、微妙に遠くない距離だ。
なぜかは不明だが。
先日も、友人の家から駅までの15分の道を歩いた。
その道は途中から商店街になり、あきずに駅まで行くことが出来た。
友人もまた、そんなに遠くなく、この15分を感じているのだろうと思えた。
そう思える道を歩くのは楽しい。
なんだか、時間が5分から7分くらいなくなってしまうようだ。
15分の道は、不思議な時間の中にある。
「アルバム」'09.6/6
先日、買った音楽アルバムは、
実に1曲目と2曲目のつながりが良かった。
いいまで経験で言えば、1曲目と2曲目の流れがしっかりしているアルバムは、
アルバム全体の構成も素晴らしく、十分に楽しめるアルバムのなっていいることは多かった。
レコード時代で言えば、A面の最初、2曲目、そして、A面のラストから2曲目、A面ラスト。
B面トップ、B面2曲目、B面のラストから2曲目、そしてアルバムのラスト。
それぞれに役割的に歌が入っていた。
まあ、現代では、そんなにこだわっていないのかもしれないが・・。
今回のそのアルバムに関しては、16曲も入っていて、新録音ではあるけれど、
ベスト盤的なものでもあった。
アルバム全体でみると、個人的には、三曲目から、ちょいとがっかりしてしまった。
僕がアルバムを作るとしたら、かなり曲順や構成には、こだわる。
出来た歌を、なんとなくアルバムに並べるなんてできないな。
1曲目、2曲目流れで、期待させた流れは、せめてA面くらいはつないでいきたい。
将来的にも、僕はそれを実行したい。
しっかりと構成のできたアルバムを作るだろう。
「夢って数分」'09.6/4
朝、5分おきに目覚ましが鳴るようになっている。
その5分の間に夢を見た。
友達が楽器を弾いていて、その横でいろいろと話していた。
何か部品が足りないというので、彼は車で街へ出かけた。
友達が泊まっていという、教室のような場所の荷物置き場に行き、
それからみんなと話した。
一カ所に工事で使う、赤いカラーコーンが置いてあり、
ずらしてみると、30センチほどの穴が空いていた。
仕事先の友達と偶然に会い、その場所に行って話していたら、
友達が、その穴に落ちてしまった。大変だあ、
手を伸ばして、なんとか引き上げた。ふーーーう。
そんな夢を、5分の間に見ていた
確実に5分の間であった。
ひとつのドラマのようであったが、夢って短いんだな。
ほんの数分の間であったなら、脳も集中できるだろう。
「古い喫茶」'09.6/2
60周年の古い喫茶店に入った。
落ち着いた店内に流れていたのは、これまた30年ほど前のうた。
実にそれは自然に店内にとけていた。
ふと想像してみれば、最近の日本のポップスとか、ビートが早くて、
この喫茶店に流れるには、似合わないかなと思えた。
ビートが早くて。。歌詞の唄い方も早くて。
そこで流れていた音楽は、ゆったりとして、歌詞もしかっりと聞こえる音楽であった。
まあ、流行遅れと言えば、そうかもしれないが。。
僕は音楽を聴きながら、靴のことを思っていた。
ひも靴。
最近は、いろいろと便利な世の中になっていて、
本来の自然さが消えてしまっているところが多い。
たとえば遠足なら、基本、歩いてゆくとか。。
ジャガイモなら、皮を剥くとか。
なんというか、人間の基本というかな。
そういう音楽は、実に、この古い喫茶店に似合っている。
生きているというか、息づかいがするというか。
この感覚を忘れないようにしないとな。
30年前だとしても、古い音だねぇ、だなんて言わない方がいいな。
「忘れていない大事なこと」'09.5/31
ちょっとした謎があった。
朝、起きるとなんとなく、その謎がとけた。
・・・・・・
先日、大好きなアーティストの音楽アルバムを同時に何枚か買った。
ひとりは、僕も影響を受けた大御所のニューアルバム。
ひとりは、その大御所にやっぱり影響を受けたシンガーの最新アルバム。
大御所の出したニューアルバムは、僕の手の届かない渋いアルバムになっていた。
大御所から影響を受けたシンガーのアルバムは、
かつて大御所のアルバムを彷彿とさせる出来となっていた。
聞いていると、僕がアルバムに求める大事な要素を忘れていなかった。
なんというか、ダイナミックなアルバム作りというか。。
「やっぱり、こうであって欲しいよなー」
・・・・・・
夜にアルバムを何度か聴いて、ぐっすりと眠った。
朝、起きるとなんとなく、ふとわかった。
大御所から影響を受けたシンガーが、影響を受けた大事なことを忘れていないように、
大御所もまた、影響を受けた大事なことを忘れていないのではないかということ。
単純に。
自分が、これだけは忘れないと感じた大事なこと。
大御所のニューアルバムは、シンプルに、
「サスペンス番組」'09.5/29
日々、テレビ番組などは見ていないので、
たまたまテレビを付けると、サスペンス番組をやっていることはよくある。
それも始まり。まったく観る予定もないのに、ついつい気になって観てしまう。
こんなことはなかったのにな。
サスペンス番組を作る側も、手がこんでいるような気がする。
何か、秘密があるぞ、、。
まったく観る気もない僕まで、観させるとは。。
アニメの最初に、字幕で「部屋を明るくしてみましょう」と出るが、
サスペンス番組にも
「これはサスペンス番組です。つい見てしまうので気をつけましょう」と、出して欲しい。
なぜ、見てしまうのか?
それがサスペンスだよ。
たぶんね。僕が日々の生活にサスペンスを求めているんじゃないかな。
「ちょっとしたこと」'09.5/27
外国のシンガーの唄っている歌を、
僕も訳して唄わせてもらっている。
しかし、原曲のようには、なかなかうまくは唄うことは出来ない。
アルバムを聴いていると、ほんと、ちょっとした間や、ちょっとした歌詞のアクセント、
ちょっとしたギターの強弱、それらが実にうまく唄を表現しているのかよくわかる。
アルバムを聴いていると。。
そう、最近アルバムをよく聴いているのだ。
少し前までは、映像を観ていた。
映像だと、どうしても唄や表情に目が行ってしまって、
ちょっとした音の変化に気が付きにくい。
もったいないよね。
肝心なのは、ほんのちょっとした音の変化。
「みみなれギター」'09.5/25
僕はギルドというメーカーのギターを使っている。
しかし、これが不思議なことにライブスペースによって、
まるで音がちがって聞こえるのだ。
リッチー・ヘブンスという有名なシンガーがいるが、
彼もずっとギルドのギターを使っていて、どのステージを観ても、良い音でならしている。
すごいなぁと思う。
ステージに立つとき、マーチンやギブソンのギターは、どの人の耳にも慣れていて、
それなりに良い音で聞こえてくる。
しかしギルドのギターは、それなりの音で伝えることが難しい。
弾いている本人がよく知っていても、それが伝わるかというと別だ。
マーチンのD-35とか、いつでもそれなりの音が聞こえてくる。
音が無理していないんだよね。素直というか。。
聞いているみんなも、シンプルに音を理解できる。
リッチー・ヘブンスはすごいな。
さすがにギルドギター使いのベテランだ。
それでも満足できないことは多いだろうが。
「ありがたかったこと」'09.5/23
最近、また音楽を聴くようになった。
まあ、一年くらい、映像ばかり観ていたかな。
自分でも、不思議だったけれど、なぜか音だけだと物足りなくなったのだ。
存在やキャラクターや、メロディーや歌詞がメインになってしまった。
そんなとき、友達から「にほんのうた(全曲試聴可)」シリーズのアルバム第一集・二集をプレゼントされた。
いろんな人たちが、にほんのうたを、現代風、自分たち風にアレンジして歌っているアルバムだ。
現在では、第三集まで出ていて、それは自分でも買った。
各アルバムに11曲、11組のアーティストが参加してるのだが、
あれこれ、シンプルな歌を、サウンドとイメージそれてリズムで努力して、ひとつの作品に仕上げていた。
元歌をよく知っているだけに、よくここまで変化させてなぁと、感心しながら聞いていた。
面白いのは、聞いている人、歌っている人、そのみんなが原曲を良く知っていながら
同時に、聞いたり演奏したり唄ったりしているということ。
二倍楽しめるというのかな。
聞いていると、そのアレンジが、ミックス作業も含めて、リアルに感じられた。
ははあ、こんにふうにしているんだな、、と。
一週間ほど、アルバムを聴き続けていたら、耳にはとてもよいリハビリになった。
すると、他のどのアルバムも、音だけでちゃんと楽しめるようになった。
感覚が戻ってきたというのかな。
知らない間に、戻してくれたこのアルバムには感謝。プレゼントしてくれた友達にも感謝。
これは思わぬ効果だった。久し振りに生活に音楽が戻ってきたようだ。
耳には、すばらしくいいリハビリとなった。
三枚のアルバム、33組のアーティストの感覚は、膨大な情報量であった。
すばらしいリハビリアルバム。
「にほんのうた」プロジェクト。応援しています。
「帰り道SONG」'09.5/21
サイモン&ガーファンクルに、1969年のライブ盤があり、
今、仕事の行き帰りに携帯プレーヤーで聞いている。
駅からの帰り道、商店街をけ抜けて、暗い路地に入ったとき、
ちょうどアルコールのラストの歌となった。とても地味な歌。
その歌が実に、暗い帰り道と似合っていた。
(おやっ)
僕も歌をうたっているが、帰り道のことはイメージにあまりなかった。
とても大きな会場でのライブ、そのアンコール曲が、実に帰り道に似合っていた。
そんなプレゼントもあるんだな。
ついつい盛り上がる歌を、アンコールで唄いたくなってしまうが、、。
大きなライブ会場に集まったみんなも、それぞれの家に着く前には、
暗い帰り道があるだろう。そこに響いてくる歌。
耳にさいごに残っている歌。
「音源を聞く」'09.5/19
自分のCDアルバムを録音していた頃は、
ほんとよく音源を聞いて、耳も敏感になった。
デシタル携帯プレーヤーを買った頃も、よく音源を聞いた。
それが何かのきっかけで、あまり音源を聞かなくなってしまった。
毎日、ライブ映像の編集をしたりしているせいかもしれない。
それがまた今、毎日、音源を聞くようになっている。
ちょっとしたきっかけで、アルバムを連日で聞いたせいだろう。
久し振りに音だけで聞いていると、やっぱり感覚が映像とはちがうだなとわかる。
映像だと、全体的にイメージや、歌詞、メロディーがより聞こえてくるが、
音源だけだと、音が細分化されてくるのがわかる。
各楽器のからみかとかね。
ちゃんとミックスされた音源であれば、特に。
ミキサーのいろいろなやさしさやアイデアが伝わってくる。
映像だと、そこまで感じられない。
というか、ライブだものね。
音源はまた、楽しみ方がちがうんだな。
「町ギター、田舎ギター」'09.5/17
先日、国産の良く鳴るギターの音を聞いた。
それはもう、まるでちがっていた。
たしかに造られて40年はたっているしね。
なんて言うんだろうなぁ、ギターから、ふわっと鳴っているというのかな。
僕も外国製のよく鳴るギターを持っているけれど、
まさにそれと似ている。その国産ギターの方は20分の1の値段ではあるけれど。
その国産ギターは、ギターとつながる回りの空気や風景と自然にとけていた。
弾いている本人を含めて、その国産のギターがよく鳴っているのは、
きっと、回りの空気をふわっと響かせているんだな。
その土地の空気を吸って、気候の変化と一体になりながらね。
町ギター、田舎ギター。
その町の角にある、古い文房具屋のような。
田舎の山のふもとにある、古いバス停のような。
その風景と時の流れが、かもしだす香ばしさ。
もう、完璧で、比べることなんてできない。
僕の持っている外国製のギターの場合は、なんだか、
アメリカのハイウエイに、ギターケースと一緒に立っている風景の匂いがする。
「どんなライブだろ?」'09.5/15
ライブハウスで、初めて観る人がいる。
30分とか観ているうちに、だんだんと印象が変わってくる。
たぶん、それは本人も気付かない本人らしさというのかな。
歌が良かったということとは別に、人間が感じられたというか。
初めて会って、聞いて、変わっているなぁと思えて、、
バイト先の変わった先輩のような、、。
・・・・・・
僕もライブハウスで唄ったりしているけれど、
さて、僕のライブはどんな印象なのであろう。
初めて聞く人は、どんなふうに感じるのかな。
毎回毎回、ビデオで撮って、自分でも観るけれど、
たぶん、聞く人には、違う印象があるのじゃないいかなと思う。
自分のことは、なかなか自分ではわからないものだから。。
・・・・・・
近所のアウトレットの電気屋さんで、
パイオニアのKUROの50型プラズマテレビが激安で並んでいる。
その店の前を通るたびに、このテレビが欲しく欲しくてたまらなくなる。
なんだかさあ、このテレビで、自分のライブを観たら、
どんなライブを自分がやっているか、わかるような気がして、、。
「ある日、記憶がなくなる」'09.5/13
おとといのこと、仕事で失敗をした。
その場面での機械の操作をまちがえたのだ。
なぜ、まちがえたのか、、それがわからない。
過去15年間、僕はそう処理してきたはずなのだが、
それでは、だめだと知った。
機械のシステムが急に変わったと信じたが、
どうも、前々からそうだという。
・・・では、過去15年、僕はどう処理していたのか?
それがまったく思い出せない。
おい、、15年間、ほぼ毎日、それも毎回10回はやってきたんだぜ。
完全に記憶が消えてしまっている。
ありえないと思うが、事実だ。
こんなことってあるんだな。
帰り道にそんなことを思っていた。
ある日、突然、帰り道がわからなくなることもあるかもね。
そんなことも思っていた。
ある日、記憶が全部なくなる。
「メカ、名作ものを待つ」'09.5/11
10年ほど前のライブの映像を編集していた。
それは大きめの会場でのライブであったが、
その日、そんなにお客さんは来てはいなかったのだ。
でもライブ映像を観ると出演のみんなは力が入っていて、実に良いテイクばかりであった。
ビデオをちゃんと撮っていて良かったと思う。
ビデオ撮るなんて、めんどうなことも多かったけれど、現代ではホント楽になった。
小さなデジタルカメラであっても、動画が撮れるようにもなった。
どんな形であっても、動画を残しておければ、その夜は記録されるだろう。
そっと、棚の上に置いて、ステージを撮れればなと思う。
しかし現在発売されている録画できるものは、いかにもという機械が多い。
もうちょっと、角度とか自由自在で、目立たないようにはできないかな。
これだけ機械も進化しているのだからね。
メカという感じを乗り越えて欲しい。
とぎとき、メカは名作ものを残す。
かなりいい感じにはなってきた。
「ジョニー・キャッシュ」'09.5/9
ライブハウスのBGMにて、ジョニー・キャッシュを聞いた。
そのお店では、次の出演の人が出るまで、毎回違う一曲をかけていた。
(おっ、ジョニー・キャッシュだ・・)。その店でかかるなんて珍しい。
それも、あの名曲の「Danny Boy 」であった。
ジュニー・キャッシュはもう亡くなってしまったが、アメリカのカントリーの大御所の歌手で、
その低音のボーカルが魅力的なシンガーである。
その「Danny Boy 」は、ジョニーのシンプルなボーカルとシンサイザーのみのテイクであった。
しかしだ。ライブハウスいっぱいにジョニーのボーカルが満ちて、
名曲「Danny Boy 」のメロディーの良さがじんじんと伝わってきた。
いやぁ、驚いたな。ジョニー・キャッシュの歌は山ほど聞いてきたけれど、
こんなにボーカルに、説得力があるなんて、いまさらにわかった。
それもバックはほんとにシンプルなシンセの音のみ。
それでも「Danny Boy 」歌の豊かさに満ちていた。
まるで、そこで歌っているような録音の良さにも感動。
ここまでは普通の流れではあるけれど、僕が本当にあらためて驚いたのは、
ジョニーのボーカルは、そんなにメロディを強調して歌っているわけはないのに、
なぜ、こんなにもメロディーが伝わってくるのかということ。
そして、そのボーカルマジックに、つい聞き惚れてしまうので、
バックはシンセのみでも十分だと思えたこと。
ジョニー・キャッシュのボーカルには、底知れぬものがある。
つい聞き惚れてしまうが、そのマジックがわからない。
ジョニーは歌のことをよく知っているのだな。
「オロナミンC」'09.5/6
1965年発売の健康ドリンクの「オロナミンC」ドリンク。
最近は、駅のホームの自販機の中によく入っていて、よく飲むことがある。
もともとオロナミンCは好きだったけれど、こんなにまた飲むとは思わなかったな。
どこかに出かけるとき、駅のホームで飲むにはちょうどいいんだよね。
そんなに極端に、パワーアップするというほどでもなく、
まあ、電車が来る前に、飲んでおこうかという感じだ。
120mlというのもいいし。炭酸というのも好みだ。
110円というところも。(なぜ120円ではないのだろう・・)
ひくタイプのキャップになってからは、それも好きだな。
どこかに出かけるとき、行きと帰りで飲むこともある。
疲れたからとか、頑張るとか、そんなに深く考えないで。
それにしても、「オロナミンC」が今でもこんなに売れるなんて、
みんな想像していただろうか。。
もっとパワーのある健康ドリンクもさまざま出たのにな。
「日本卓球黄金時代」'09.5/4
・・まあ、そんなにというか、まったく詳しくないんですけどね。
ここ数日、ずっと世界卓球のテレビを観ている。
僕も中学時代は卓球部で、かなりのめり込んだ一人だ。
世界卓球で今回、男子シングルスが24年振りにベスト8に入ったという。
僕にはこのことが、かなり大きなショックであった。
24年間も、卓球男子シングルスはベスト8に入れなかったのか。。
24年間ですよ、、。それは知らなかった。。
世界卓球といえば、中国がとにかく圧倒的に強いのは知っていた。
向こうではプロリーグとかあるからね。
世界にはまだまだ強い選手がいるなんて、やりがいのあるスポーツだ。
日本卓球は、いままで二回ほど黄金時代があったという。
僕が卓球をしていたのは'73〜'75年。中国もヨーロッパも強かった。
世界の壁は厚いと感じていたが、そのうち日本は必ずや復活すると信じていた。
卓球って、体操と似ているかもね。
四人五人と日本代表のスター選手が出てくる時期というものがあるだろう。
僕の中学時代、僕のいた新潟の上越地区は、信じられないが、全国のトップレベルであった。
なんだろう、あの盛り上がりは。映画や漫画にしたいくらいのドラマがあった。
僕の学校にも、ものすごく強い選手が二人もいた。
わかるんだよね。ライバルがいるってことのすばらしさが。
いろんな渦があり、僕らの上越地区は卓球の黄金時代を迎えた。
・・・・・・
先日観た、世界卓球の試合。
日本男子には、若い天才型の選手が確実に三人いた。
全体的に日本の卓球選手の層が厚くなっているのであろう。
あと、数年。。必ずや、日本男子の卓球は黄金時代を迎えるであろう。
役者はそろいつつある。
しかしだ。その先に見えてくるのは、中国、韓国などとの壮絶な試合。
ヨーロッパ諸国も負けていないだろう。
がんばってがんばって、それでも、きっとトップに行くだろう。
「こんな時間に名前を付けよう」'09.5/2
今、昔のビデオをデジタル化しているが、
一番、苦しめられるのが、謎のノイズである。
謎のノイズは、ときどきパッと出る。
たぶん静電気か何かが関係しているのであろう。
そして、謎のノイズが僕の生活まで常に不安にしてしまう。
いつも心臓から、少しずつ水でも沁み出ているかのようである。
そんなときは、思い出さないことが一番である。
「他のことに集中する時間」
これはなかなか難しい。しかし、これが一番、不安には効果がある。
一日不安になっていたら、心臓がおかしくなってしまうからだ。
今、僕は常に暗記力と確認力が必要な仕事をしている。
その数字の確認作業に集中するだけで、思い事などできなくなってしまう。
僕は不安におそわれそうになるとき、極力、何も考えない時間を作る。
9時から6時まで、不安を考えない時間を作れれば、かなり楽になるのだ。
とくかく仕事で、めいっぱい確認作業に集中するやり方で。
数日、いや、明日になれば心はかなり楽になるだろう。
こんなふうに、「他のことに集中する時間」は、とても大切だ。
この時間は、僕の中ではっきりと意識されているが、
一般的なネーミングがまだないように思う。
「忘れる時間」は必要だ。
「スポーツとビデオカメラ」'09.4/30
ここ数日、卓球の試合をテレビを観ている。
世界を相手に戦う日本の選手たち。みんなうまくて強いな。
試合が終わると、三脚付きの小さなビデオカメラのスイッチを切り、
片手に抱えながら、インタビューを選手が受けていた。
今は、ビデオカメラで試合を撮るのが当たり前なんだな。
たしかに、ビデオも今はとても便利になった。小さいし。
ああ、僕の中学時代の卓球の映像はひとつもないな。
ひとつでもあったら、良かったけれど、ビデオなんていう時代ではなかったし。
中学時代、もしビデオカメラがあったなら、何度も見たであろう。
しかし、今の中学生は、試合をビデオに撮っているだろうか、
気にもしていない人も多いかもしれないが。。
僕が戦った、上越大会での試合はビデオに撮っておきたかったな。
勝った試合だからね。負けた試合のDVDとか観たくないだろうね。
わけわかんなくなってきたよ。
スポーツとビデオカメラ。
「きのこSONG」'09.4/28
飴玉をなめていると、飴玉の存在っていいなぁと思う。
そんなふうに歌も楽しめればいいのにと思いながら。
歌の一曲は、小さなシングルCDにもなるけれど、
美味しいおせんべいにもならないかなと思う。
朝起きたら、僕の作った歌が、きのこのように、
全国のいたるところで、ぽつぽつと生えていないものかと思う。
古くなったり、懐メロとか呼ばれる歌ではなくて。
いつもそんなふうな気持ちで、歌を作ってきてはいるけれど、
いまだに、それはまるで実現されていない。
メディアとか、ヒットとか、あまり気にしてはいないんだ。
僕は、きのこのような歌を作ってきたつもりなのだが、、
うまいぐあいに増えていない。
「ほんちょっとだけ」'09.4/26
いつもようにギターを弾いていると、
妙に弾きずらくなっていた。
よく見ると、弦高が少し高いようであった。
まあ、毎日弦は張りっぱなしにしているし、ネックがそってしまったのかもしれない。
いや、でもおかしいな。ネックは、大丈夫のはずだが。。
弦高が少しだけ高くなっても、相当に弾きずらく感じる。
音色も変わる。指の当たり具合もまるで変わる。
ネックが少しだけそってしまったときは、
まだ、アジャスターの調整をしなくてはならない。
しかし、普通に使っていて、アジャスターを使うということは、
これからも、定期的にアジャスターをしめて回すということになる。
それはまずい。何にでも限界はある。
ああ、ギターのネックよ、どうしたんだ。
いよいよ、あきらめていたところ。
チューナーで、音程を調べたら、ほんのちょっと、じつにちょっとだけ、
高くチューニングを合わせているのだとわかった。
あわてて、少しだけ低くしてみる。弦の糸巻きにしたら、ほんのちょっとかな。
そうして音程を少しだけ低くして、三日・四日したら、
ネックは元通りになった。弦高は下がった。弾きやすさも戻った。音色も戻った。
ほんのちょっとだけ、ほんのちょっだけの音程も差であったのに。。
「藤のはなし」'09.4/24
もう藤が咲いていますね。
知っての通り、藤は日本古来の花でもある。
なんというか、見ていると、いつしか、ひきこまれてゆきますね。
桜もそうですが、、。
名前に「藤」が付く人は、とても多い。
佐藤、加藤、伊藤、藤原、藤本、などなど。。
まあ、藤原氏の流れもあるのであろうが。。
これだけ名前に「藤」が付いているのだから、
日本での「藤」の花の位置は、かなり特別なものだったのではないかな。
いまでは、普通に樹の一種のようではあるけれど。
もっともっと、現代よりも特別な花であったのではないかな。
誰も現代ではあまり語ってくれないが、、。
いったい、いつの時代までさかのぼればいいのだろう。
「缶コーヒー、珈琲牛乳説」'09.4/22
駅までの道、ほぼ毎日、缶コーヒーを飲ーんでいる。
誰かはきっと、「そんなに缶コーヒーって美味しい?」と、
言うだろうかな。
それは、レギュラー珈琲と比べてのことだと思うが、
缶コーヒーはまた別の飲み物だと、思っている。
まあ、どちらかと言えば、珈琲牛乳に近いかなと、、。
そんなことを思い始めていた先日、
紙パックの珈琲を飲んだ。
缶コーヒーでも発売されている、同じものだ。
なぜだ、なぜたろう? それは、とてもとても美味しく感じられた。
思うに、紙パックで飲む珈琲は、基本的に珈琲牛乳だったから、
珈琲牛乳としては、相当に珈琲に近いからであろう。
紙パックで飲むとき、感覚は珈琲牛乳と認識するのではないか。
小さい頃、珈琲牛乳の存在は、珈琲を楽しむものであった。
つまり僕らにとっては、珈琲の代わりだったのであろう。
紙パックで飲む缶コーヒーは、最高に美味い珈琲牛乳となるのではないか。
うん、うん。
「懐かしい友のように」'09.4/20
もうインターネットが部屋につながって、どのくらいたつだろう。
ほぼ8年かな。8年って、けっこう長いな。
最初は電話回線であった。今とちがい、つないでいる時間だけお金がかかった。
一日一回、ドアを開け、のぞくようにして見ていたホームページ。
パソコン不良になったりして、何度かシステム入れ替えをしたりすると、
ホームページのブックマークもリセットされて、それまで見ていたページも、
ふと、忘れてしまったりする。
しばらくして、(ああ、あのページ、よく見ていたなぁ)と、思い出す。
そんなふうにして、お世話になったホームページが、かなりの数になった。
不思議なもので、ずっと忘れていたホームページを、
ふいに見つけることもあるようになった。
まるで、懐かしい友に会ったかのように。
一度も、書き込みや、コンタクトもとったこともないページではあるが。。
ホームページはだんだんと、人格を持って来ているようだ。
「メロディー」'09.4/18
先日、ライブでアイルランドの有名作曲家のメロディーを聞いた。
晩年に作られたという1曲が特に印象的であった。
フレーズの前半では、えっと思えるくらいな意外なメロディーであるのに、
フレーズの後半は、うまくそのメロディーを生かして、まとめてあるのだ。
うまい!! と、思わず言いたくなるように。
まるで二階から投げた猫が、体をうまくひねって着地するような感じで。
体操競技で言うならば、どんなふうに猫を投げたとしても、
たぶん10.00の点数が出るのではないかな。
そのアイランドの曲は、前半のフレーズが微妙な感情をよく描き出していた。
あれっと思うくらいに。
しかし後半のフレーズは、自然で実に美しく感じた。
そしてまた、繰り返される前半のフレーズ。
それはとても印象的でもあり、
世界中でその曲が、たったひとつであることもわかった。
前半はとっぴなくらい、意外なメロディーであるのに、
全体では、とても美しいメロディー。
「夕方の音」'09.4/16
外回りの仕事をしていると、ほぼ毎日夕方になる。
すると、いろんなところに自転車が止まり、
子供らも帰ってくる。親も帰ってくる。
台所の音も聞こえてくる。
それらの流れは、平日、ほぼ同じように繰り返しているのであろう。
そして、そんなふうに3年、5年、10年・・。
僕も実家にいた頃は、夕方の音というものがあった。
朝の音があるようなものかな。
父の自転車が止まり、それから母の自転車が止まる。
ブレーキ音で、それはわかった。
玄関の開く音。台所の音、、。それは、何十年も続いた。
夕方の音だ。
「銭湯で」'09.4/14
いつもゆく銭湯では、いつもグッドミュージックがかかっている。
クラシック、唱歌、イージーリスニングが多い。
その中に混じって、誰かのオリジナル弾き語りの唄がよく流れる。
生ギターとハーモニカでの弾き語りだ。
たぶん個人録音であるのであろうか、音量が低くて歌詞がうまく聞き取れない。
何回も聞いているのだけれどね。
あるとき、掲示板のご意見コーナーに、
「音楽がの音量が大きくて、お風呂でゆっくりできません」と、書かれてあり、
その答えとして「わかりました、調整いたします」とも書かれていた。
たしかに、それから音量は、少し下がったようだった。
そうなると、例の弾き語りソングは、ほぼかすかに聞こえる程度になった。
歌詞の聴き取りに関しては、ほぼ不可能。
音量が低すぎて、その歌はなんだが「虫の声」のように響いてくる。
無限大のイメージで。
こうなると、歌詞の世界も無限大に広がる。
「ふるさと」'09.4/12
映像でこんなに苦労するとすは思わなかった。
ビデオカメラで、約30年ほどライブ映像を撮って来た。
機械はいろいろ進化して、やがては最高機種と呼ばれるものも登場する。
テレビ局で使うような業務用は値段が高すぎて手が出ないが、
古いビデオテープをきれいに再生するために、手に入る限り最高機種をそろえた。
しかし、それでも古いテープは、うまく再生できないことが多い。
原因不明のノイズとなると、もうお手上げ状態。
しかし、そんな原因不明のノイズも、実際に撮ったビデオカメラで再生すると、
大丈夫なことが多いとわかった。カセットテープもそうだったように。。
言ってみれば、撮ったビデオカメラは、録画テープの故郷みたいなものかもしれない。
撮ったビデオカメラは、ほぼ壊れかけている。
いつまでもつかかは不明だが、できれば全部それで再生し、デジタル化しておきたい。
「ちょっとサーフィンのような」'09.4/10
まあ、サーフィンは一度もしたことがないのですが・・。
新曲作りの話。
以前、CDにするための、マスタリングにつきあったことがある。
大きなスピーカーで聞いたり、小さなスピーカーで聞いたり。
その音源が、どんなスピーカーで再生されても、それなり聞こえるように試していたのだろう。
僕もまた、新曲を作るときは、いろいろと持ち歩き、自分で歌ってみる。
いろんな場所を歩きながら唄い。歌詞の言葉の順序を入れ替えたりね。。
大事なことは、歌詞を決めないこと。
入れ替え自由にしておくこと。
まあ、パズルを組み合わせてゆくようなものかな。
そのために、自由にしておく。我慢強く。
まるでちょっとサーフィンのように、作らないということを守る。
これはオッケーだと決めてしまうと、ラストのパズル合わなくなることがあるからだ。
なぜだなぜだといいながら。。
原因は、これはオッケーだと思った、パズルの場所だったりするからだ。
「いろいろな角度」'09.4/8
今、国立博物館にて、阿修羅展をやっている。
以前、京都の興福寺で観たときは、ガラスケースの中であった。
今回は、阿修羅像を囲むように、360度観れるのだ。
ほんと「いろいろな角度から」とは、このことであろう。
特に阿修羅像の場合は、正面だけを見ているわけではないので。
真横とか、後ろからなんて、まず見ることはなんだろうし、
ぜひ訪ねたいと思っている。
「いろんな角度から考える」というけれど、
それは言葉の表現になってしまっているのではないか。
しっかりと自分の体を移動してみる必要がある。
「古い映像」'09.4/6
奇蹟的にも、26年前よりのライブ映像が残っている。
ビデオテープは劣化してくるので、今、デジタル化しているのだ。
どの映像も、25年以上たっていると貴重に思えてくる。
まあ、映像も古く、音もそんなに良くはないのだが、空気感がよく出ている。
映っている当の本人は、若くて恥ずかしいだろうが・・。
5年くらいたった頃、これらの映像は、もう昔のことのように思えていた。
そんなこともあったね、と。
振り返ることもないビデオであったが、やっぱりこのまま劣化してしまうのはせつない。
なんとかデジタル化しておこうと思っている。
ここで思うことは、若い頃の映像というものに味わいがあるとすれば、
年とってからの映像もまた、味わいがあるのだろう。
まだよくわからないが。。
そしてたぶん、どんな時の映像も同じような味があるのではないかと思ってしまう。
「大学ノートの素晴らしかったところ」'09.4/4
大学ノートを買いに文具屋に出かけた。
「大学ノート」を欲しがるだなんて、僕はもう古いのかな。。
僕が、大学ノートを欲しがる理由がある。
それは、ノートの背に、書き込める白いところがあるからだ。
それが大事。
以前、日記をずっとつけていた頃は、この背のところに、「日記1」とか書いたものだ。
考えてごらん、この背に書き込めるからこそ、何のノートがわかるのだ。
大学ノートの素晴らしいところ。
しかしさあ、文具屋に行ってみると、大学ノートは一種類あっただけだったし、
その一種類は、背に書き込める白いところが付いていなかった。
ががががががーん。
たまたまだったのかもしれないが、僕がショックを受けているのは、
ノートの背に書き込めるか、書き込めないかの意識だ。
すべての本の背にタイトルがついているのはなぜ?
それは、やっぱり何の本だか、わかるからだろう。
それなのに、ノートの世界では、わからなくてもいいという。
誰がそう判断したのか???
大学ノートには、ちゃんとついていたじゃないか。
ノートを探す手間が、そのぶん省けるじゃないか。
ノートに書くという行為は、わかりやすくまとめておくという、行為である。
それなのに、かんじんなところが、わかりにくくなってしまっている。
文具会社は、それについて、どう思っているのか???
「おぼえがきノート」'09.4/2
以前はよくノートを作ったものだった。
最近はノートも書かないし、なんとなく憶えていることが多い。
パソコンのどこかに書いておいても、結局、探せなくなってしまうし。。
そういえば、パソコン不良になったときのためのノートが一冊あり、
それはパソコン不良の度に大活躍している。
そのノートは「パソコンノート」として、売られていたものだった。
最初にパソコンを買ったとき、おぼえがきノートが絶対必要だと思ったのだ。
電化製品のノートが作ってあるのは、パソコンくらいなものだけれど、
考えてみれば、もっともっと必要だ。
最近の電化製品はデジタル化していて、ほぼパソコンとも変わらないからだ。
特にレコーダーとか。。
どれもぶあつい説明書がついているし。
そろそろ憶えるには、僕の頭がついていけなくなってしまった。
「おぼえがきノート」を作ろう。
パソコン保存ではだめなんだ。
手書きのノートがいい。おじさんはもう忘れっぽいのだ。