青木タカオ「ちょっくら・おん・まい・でいず」

「最近の事」過去ログ'08.3月〜6月

「怪獣と電気街」'08.6/27

 秋葉原には電気街口がある。

 高校時代から家電は大好きだったので、東京に出てきてからは、

 すぐに秋葉原に通った。まず電気街口に降りて。。

 石丸電気、LAOX、サトームセン、オノデン、、etc

 どの店舗の巨大であった。特に石丸電気は、何店舗も秋葉原にあった。

 秋葉といえば、石丸電気であった。

 ほとんどの電化製品は石丸で買っていた。

 そして今、昭和通り出口方向に、もっと巨大な「ヨドバシカメラ」が出来た。

 アクセスが良いこともあり、先日も寄らせてもらった。

 帰り道、ふと、石丸電気のことを思った。

 家電量販店はまるで、怪獣のようだと。。

 秋葉にやって来たヨドバシカメラもまた、怪獣のようだと。

 怪獣はみんな強い。電気街口に出ると、その怪獣の姿が見られる。

 僕は、どの怪獣もやさしかったなとか、思いながら。


「ひとつの感じ」'08.6/25

 下町の路地の奥に仕事で行ったときのこと。

 その家の玄関のそばにいるといつも、60才くらいの奥さんが出てきて、

 対応してくれるのだが、その日はちがった。

 「なになに?」と言って、だんなさんが一緒に窓から顔を出したのだ。

 その言葉は、東北地方の訛りがあった。

 約2分間、僕の仕事や今日の天気のことやいろいろと、冗談まじりでしゃべり続けた。

 内容なんて、あってないようなものだった。

 とにかく、窓から顔を出して、何が冗談ぽいことを、言い続けたのだ。

 これでは仕事にもならないので、奥さんは、だんなさんに、

 「もう、いいから」と、言って、奥にひっこめた。

 まるで一人冗談の数分間。そういう動物みたいな、、ひとつの感じ。

 しかし、なんともそれの自然だったこと。

 僕とは初対面だったはずだが、あんなふうに話せるなんてすごいな。

 魔法のようでもあった。


「若い頃」'08.6/23

 20才前のこと、先輩のブールスライブを聞きに行った。

 そこはブルース好きの集まるライブハウスであった。

 ライブが終わり、みなでわいわいとお酒を飲んでいるとき、

 僕はジュースでひとり話相手もなく、ぼんやりとしていた。

 そして何を思ったか、マスターに一曲唄わせて欲しいとお願いしたのだ。

 「あっ、いいよ。自信があるんだ」

 僕は小さなステージに行き、フォークブルースの唄を日本語でうたい始めた。

 しかし、途中で歌詞を忘れてしまい。一度止めてしまった。

 マスターが言う。「いい感じだったけれど、唄を途中でやめてはいけないよ」

 「すいません」。それで、唄わずにひっこんでしまった。

 でも、ブルース好きの輩たちは、みな一応に親切にしてくれた。

 ジュースを飲んでる僕に。。

 先日、同じような状況で、僕が先輩という立場があった。

 東京に出てきたばかりの青年が唄った。

 彼がどんな時間の中にいるかは、想像ができた。

 今夜という日はひとつの経験になるだろう。

 誰にも、そんな日がある。


「僕がラッキーだったこと」'08.6/21

 二ヶ月に一度、僕は「道草ライブ」を続けている。

 もう16年。小さめのライブハウスではあるが。

 先日もあったのだが、いつもリハをライブ前に3〜4時間とっている。

 マスターは、店を開けにきて、そのあとのリハは僕らに任せてくれる。

 もう数時間の間、僕はいつもたっぷりとリハをして、そして新曲も作る。

 先日も、ずっと新曲を作っていた。まだ出来ていない歌詞があつたのだ。

 実際にマイクの前で、唄ってゆくと、その虫食いになっているところの歌詞は自然と出てくることが多い。

 そして新曲は出来る。

 ふと、思い返してみれば、そうやってほとんど新曲は出来てきた。

 こんなふうにお店でリハが出来るってありがたいな。

 気が付けば、100曲以上はそうやって唄が生まれてきた。

 僕はラッキーだった。

 あたり前のようであったけれど、あたり前ではなかったかもしれない。


「太古の判断」'08.6/19

 みかん、オレンジ、グレープフルーツ。

 朝、まだ眠いとき、その鮮やかな色を見ていると、だんだんと目が覚めてくる。

 理由はわからない。想像するに、森の中で鮮やかな果実の色は、

 僕らの目をひきつける色をしているからだろうかな。

 目覚めのコーヒーを飲んだりすることも出来るけれど、それはその昔の話ではないだろう。

 太古の昔、僕らが実践していたことは、とても体に効き目があると僕は信じる。

 たとえば体調不良のとき、太古の人たちはやっぱり、果物を持って来たのではないかと思う。

 実際のその果物の効果が、どうかという話ではなく、

 その頃の気持ちに、自分が戻ってみるということが、効果があるのではないかな。

 文明という文明を乗り捨てて。

 あれやこれや、方法を考えずに。

 ワンちゃんとかを見ていると、実にそう思う。

 僕は健康の秘訣は、歩くことだと確信している。

 体にとって歩くことは、刈りや漁に出かけること判断されるのではないか。

 特に男が歩かなくなったとき、それは、もう漁に行かなくなったという事ではないか。

 現役であることは大事だ。太古の判断として。

 僕はいつもそんなふうにして、自分の体を思ってみる。

 現代文明がなかった頃を思ってみる。

 そう思ってみることに効果があると思ってみる。


「新しい店」'08.6/17

 住んでいる町の商店街が、どんどん変わっている。

 昨年くらいから、新しい店が次々とオープンしているのだ。

 商店街は毎日歩いているので、どんな店が出来るのかはいつも注目している。

 オープン前から、オープン、そしてその後と。。

 にぎわいの出来る店もあれば、オープンしてもひっそりとしている店もある。

 入りやすい店、入りにくい店、、チェーン店は、やっぱり強いなとも思う。

 大事なことは、ちょっとのぞいてお客がいるかという事かもしれない。

 人気がありそうな店は自然とうまくゆくし、人気がなさそうな店は、いつも静かだ。

 ちょっとした事なんだけどね。

 せっかく店をオープンさせたのだから、それなりに続いて欲しいが、

 街の人は意外とシビアだ。大事なのは、人気があるかという事。

 これにつきるな。

 今、大きな食べ物屋が、けっこう駅から歩くところに出来た。

 僕の感じでは、そこで成功するなら、すごいなと思えるところだ。

 オープンして、人は入り続けている。

 商売って大変だな、、そう思う日々である。


「武蔵野の空」'08.6/15

 中央線、国立での友達のライブに出かけるとき、

 一度、忘れものを思い出して、部屋に戻った。

 これで完璧だと思っていたが、電車に乗ってから、

 カメラを忘れたことに気が付いた。

 もう三鷹を過ぎて、武蔵野に入っていた。

 電車のドアのところにもたれて、ガラス越しに空を見た。

 夕暮れすぎの薄暗い雲が、広く広くそこに見えていた。

 カメラを忘れたけれど、何か良い方法はないものかと考えていた。

 駅前にレンタルカメラ屋とかあればなと思う。偶然、友達がカメラを持ってきてないかな。

 携帯電話のカメラ機能ではだめだし、、何とかならないものかと思っていた。

 たぶん、何とかならないだろう。

 広い広い武蔵野のどんよりとした空じゅうにアイデアを探してみたけれど、

 何もなかった。

 中央線はどんどん走ってゆく。

 気がつけば、座席のシートは空いていた。ドアに居る理由はなかった。

 シートに座り、僕は思った。

 何にもない空がある。武蔵野にはある。


「ライブ録音」'08.6/13

 最近、デジタルICレコーダーをライブ録音に使うようになった。

 いままで録音機は、弾き語り録音は良く録れていたが、バンド録音は苦手だった。

 特にドラムセットが入る録音は、うまく録音するのは無理があった。

 レベルが振り切ってしまうからだ。

 もう20年も、バンド録音には苦労してきた。

 やっと、ほんと、やっと、ここ最近、デジタルICレコーダーで、なんとか録れるようになった。

 いろいろ細かな設定ができる。嬉しい、嬉しくてしかたがない。

 あんなに苦しんできたことが、ほぼ解決したのだ。

 あっぱれICレコーダー。

 2008年になって、やっと未来が生まれた。

 大音量バンドも、これで大丈夫だろう。

 宝物の宝物だ。


「そして起きると」'08.6/11

 しばらく眠ったあと、目が覚めてみると、

 テレビも明かりもついていた。

 それならば、いつものことではあるのだけれど、

 今がいつなのか、どんな状況であるのか、まるでわからなかった。

 夜なのか、朝なのか、二日後なのか、遅刻なのか、、。

 こんなことはまずないのに。。

 そういえば、とてもリアルな夢を見た。友達とレストランに入る夢。

 それが理由か?

 ふと思ってみると、自分がなぜ眠ったのか、まるでわからない。

 大好きなテレビ番組が始まって、その10分後には記憶がない。

 その番組の途中で眠るなんてありえないのに。

 ふらふらと横になったのかな。そこの部分の記憶がまるでない。

 強力に眠かったのか。強力に眠ったのか。

 眠りの最初の記憶がないと、目覚めがこうなってしまうのかな?

 可能性はある。


「新曲創作」'08.6/9

 この土日、いろいろ、やることをやった。

 同時に新曲も作ろうと思っていたが、それはできなかった。

 メロディーは出来ていて、歌詞のイメージも出来ている。

 ちょうど10日後のライブに向けて作っているのだが、

 あとは、新曲のことだけ考えようと思う。

 ちよっとずつ、フレーズを増やしてゆくのだ。

 仕事中も、仕事場へ向かうときも、駅までの行き帰りも、

 銭湯に行くときも、お風呂に入っているときも、

 ずっと新曲のことを考えよう。

 言葉を出してゆくのだ。

 言葉を選んでゆくのだ。

 やがては、歌詞のところどころが虫食いになる。

 その部分をまた集中して考える。

 完成はライブの直前であろう。


「銭湯値段、俺は泣きそうになるよ」'08.6/7

 平成18年、6月15日から、また東京の銭湯料金が上がる。

 今の430円から450円に。思えば、430円時代は2年間と意外と長かった。

 燃料費等の値上げにより、それでも厳しい状況下にあるという。

 まあ、銭湯が値上げするのは、いつもことだと思うが、さすがに450円だと高いな。

 申し遅れましたが、当方、風呂なしアパート住まいを'79年よりしております。

 上京してきて四畳半のアパートを借り、そして銭湯通いの生活が始まった。

 僕は最初の銭湯値段は、170円、それからすぐに180円になった。

 1979年のこと。あれから29年がたった。

 調べてみると、平成9年('96年)までは、ほぼ毎年10円くらいずつ上がっていった。

 平成9年から11年までは、385円、平成12年から16年までは400円。

 この頃は落ちついていた。

 僕としては、180円時代、230円時代、260円時代、385円時代が印象に残っている。

 お風呂は、生活になくてはならないものなのにな。

 風呂なしアパートに住んでいる家族は大変だ。

 銭湯に行くとき、財布の中の小銭をパラパラッと集めて、握ってゆくのがいいのにな。

 450円じゃ、小銭とは言えないな、、。

 430円とは、そんなに変わらないのだが・・。

 もう500円にしてもいいな。ワンコイン銭湯。それはそれでいいかも。

 1975年、東京の銭湯は100円で、ワンコインだった。


「旅立ちの前」'08.6/5

 駅から帰ってくる途中、商店街の電気店にツバメの巣がある。

 最近、飛んでいる姿も見かけないので、もう旅立ったのかなと、夜、のぞいてみた。

 すると、その小さな巣に、四羽のツバメが左右に二羽、正面に二羽、

 ぴったりと体を寄せ、体半分を巣に顔からのめり込むようにしていた。

 体は常に少し震えている。夜はあんなふうにしているとは思わなかった。

 四羽のうち、二羽は子ツバメだろうか。もうほとんど同じ大きさであった。

 なんだか、見ていると、精一杯に自分たちの準備をしているようであった。

 毎日、飛ぶ練習をしたりして、忙しいのであろうか。

 これから、海の向こうへの長い長い旅が待っているのだ。

 僕は思い出していた。

 25歳の頃、長期海外旅行への準備をしてて、必死だったこと。

 英語を勉強したり、情報を集めたり、、。

 ツバメたちも、準備万端で行かねばならない。

 夜はゆっくり休め休め。明日も忙しい。


「遠くの響き」'08.6/3

 いつもゆく銭湯では、いろんな音楽がかかる。

 ジャズ・他 

 最近、その中に混じって、弾き語りの日本の人の唄がよく流れている。

 銭湯に行くたびに流れるので、銭湯ライブでもやって人の音源なのかな。

 その音がほんと、かすかなんだ。。

 音量の問題でもあるのだろうけれど、かすかにギターとボーカル、そしてハーモニカが聞こえる。

 歌詞はまったく聞こえない。しかしメロディーはわかる。

 何度も繰り返す、おなじメロディーと、それに沿い唄うボーカルとハーモニカ。

 大地的な音を感じる。歌詞は聞こえないが、いいなぁと思う。

 その僕がいいなぁと思う部分は、当の本人もいいなぁと思っているところでもあるだろう。

 僕が若い頃にストリートで唄っていた歌は、今思えば歌詞ははずかしいものばかりだ。

 それでも、知り合った多くの人が、多くの歌を好きだと言ってくれた。

 それらの歌のどこが良かったのかなぁと思う。

 きっとそれはかすかに聞こえる、遠くの響きだったのではないかな。


「宝物の一枚」'08.6/1

 古いフォルクローレのアルバムを一枚持っている。

 古いと言っても、伝統的なという音である。

 その音を聞いていると、大地の音がしてくるのだ。

 遠く海外の旅をしているとき、朝、目が覚めて、そこで演奏されているように。

 朝の鳥や、樹々の風鳴りのような音。繰り返す波のような音。

 僕らは、それらの音を飽かずに聞くことができる。

 それは長く長く、もともとそこある大地の音だからだろう。

 商業的というものからは遠く、そこにある音。

 もう数年、聞き続けているが、だんだんと大地の音に思えてきた。

 古く古く新鮮な音、ずっと飽きない音。そんなアルバム。

 それは、僕の宝物の一枚でもある。


「弁当屋に行ったら」'08.5/30

 はじめて入った弁当屋で驚愕した。

 なんと、弁当メニューが壁一面に写真入りで貼ってあるのだ。

 そしてスペシャルなのか、ガラスケースの中には見本のモデル弁当がいくつか入っていた。

 めんどうなので、それを注文してしまった。ちょっと高めだったけれど。

 考えてみても、すっと入って、80もあるメニューの中からさっと選ぶなんて無理だ。

 それもいろいろと文字も書かれてある。鮭入り可とか。。

 まあ、注文して待っている間に、それらのメニューを細かく見ることは可能だが。。

 よーく、見てみれば、いろんな具材の組み合わせがそれだけ出来るということかもしれないが。。

 それにしても、読むべき文字が多すぎる。

 先日、入った、立ちそば屋も、すごい量の文字が書かれていた。

 いろんなサービスが追加されているらしいが、それを一瞬で理解するのは無理だ。

 壁一面に紙が貼ってあるしね。

 先日、通った新しい中華店も、入口に貼れるだけ紙を貼っていた。

 それを全部見るなんて無理だ。

 無理だけれど、どこかかわいい。


「日々」'08.5/28

 ここ数日、ギターを弾いてみると、また音色が変わっていた。

 持っているギルドのギターは、気候の影響をとても受けやすい。

 ちょっと前は、乾燥していたせいか、鳴りが信じられないほど良かった。

 今はまたちがう感じになった。

 (ギターではなくて、僕の鼓膜が気候で変わっているのかもしれないが・・)

 音が変わってくると、必然的に弾き方も変わってくる。

 そこまで気にしてギターを弾いているのも妙かもしれないが。。

 日々、変わっているギターを僕は弾いている。

 いや、もしかしたらそれは僕の方の問題なのかもしれない。

 いつも歩く駅までも道も、そんなふうに見え方も変わっているのかもしれない。

 ただ、ギターだと、それがわかるというだけで。。

 プロになると、道具にもそれを感じるだろう。

 プロになると、はいている靴にもそれを感じるだろう。

 プロになると、鞄にもそれを感じるだろう。

 プロになると、スピーカーにもそれを感じるだろう。

 日々を感じることはいいことだ。

 君は何に日々を感じているのだろう。


「東京の朝」'08.5/26

 寝不足のまま、朝5時過ぎの電車に乗ってみたら、

 もう座席がほぼうまっていた。

 まあ、新宿に近いということもあるだろうけれど、

 もうちょっと、すいてていいんじゃないか。

 もしかしたら、東京の朝は忙しくなっているのかもしれない。

 小さい頃の夏、かぶと虫を探して朝の道を行った。

 あのひゃっとした朝の感じは、どこにあるのかと思う。

 それでも、朝の新聞配達の人たちは、夜明けに走っているのであろう。

 それは何時頃なのか。

 4時か、3時か、、。

 せわしない東京の朝。

 スズメたちも、変化に気が付いているのかもしれない。

 僕らの時間が少ないと。

 都心の深夜は、数時間しかないのかもしれない。


「BANKふるさと」'08.5/24

 東京に出てきて、アパートを借りて、

 いちばん近い駅のそばの銀行で通帳を作った。

 「太陽神戸銀行」

 それから知っての通り、どんどんと銀行は合併されて行った。

 「太陽神戸三井銀行」。それではあまり名前が長いと思ったのか、

 「さくら銀行」になった。

 「さくら銀行」時代は長く、とても落ちついていた。

 ネーミングもみじかくわかりやすかった。そしてまた合併。

 「三井住友銀行」

 あなたもまた今は「三井住友銀行」かもしれないが、

 もともとはちがう銀行であったであろう。

 僕の生まれ故郷が新潟であるように、

 きっとBANKふるさとは「太陽神戸銀行」なのだ。

 「UFJ銀行」の人は「三和銀行」が故郷の人も多いだろう。

 「三井住友銀行」の待合所で、こんな会話があってもいい。

 「おたくはどこから来られました?」

 「わたしは、住友からですわ、、」

 みんなふるさとがある。それは変わらない。


「小ジキル博士と小ハイド氏」'08.5/22

 朝の気分はなかなか素晴らしい。

 さわやかとか、気持ちが良いとか、ではなくて。。

 とても自分が計画的なのだ。

 いろんな事をしようとモリモリと計画する。

 そして仕事。昼になり、夕方にになり、夜になり、帰宅へと向かう。

 すると朝、計画していた事はほとんど出来ないのだ。

 パワーダウンしているというか、ヘトヘトになっているというか。。

 活動といえば、休日の午後くらいからしか動けない。

 それでも、朝になると復活する。

 朝、メロメロだったことは、ほとんどない。

 朝の自分と夜の自分。同じ自分であるのに、この差はなんだろう。

 まるで、ジキル博士とハイド氏。。そこまではいかないので、

 小ジキル博士と小ハイド氏って、感じか。。

 多少、そういうことはあるだろう。


「中辛主義」'08.5/20

 パワーダウンしているときは、カレーが食べたくなる。

 最近はレトルトものでも、なかなか美味しいものもあるので、

 前に見つけたスーパーまで出かけると、、

 辛口があったはずなのに、中辛になっていた。

 まあ、以前より、お店では中辛がならぶ傾向があるけれど、

 見てみれば、みんな中辛ではないか。。

 中辛ならば、みんな自然に食べられるということだろうか。。

 でも、辛口と言っても、そんなに辛くはないぞ。

 中辛は、ほとんどもう甘口だ。

 辛口というネーミングが良くないのか。

 辛口イコール辛いという感じではないか。

 辛口は辛い口ではない、ハーハーという程ではない。

 それは「大辛」ならわかる。

 カレーって、辛いものだぜ。辛口で普通だ。

 中辛主義は、よくない。

 中辛のネーミングが良くない。

 半辛だ。辛口は1辛だ。


「シャーベット」'08.5/18

 暖かくなり、先日、シヤーベットを食べることになった。

 そのシャーベットはとてもよく作られていた。

 ・・・そういえば小さい頃、シャーベットをよく作ったなー。

 夏休みはひまなので、冷蔵庫の冷凍室の角氷を作るケースで作るのだ。

 ・・早く出来ないかなー? 、そう思っては何度も冷凍室をのぞく。

 もう、いいかなー、もういいかー。

 そして氷ケースを出して、ガラス皿に移してみるけれど、8割ほどしか固まっていない。

 まあ、いいかなー、まあいいかー。

 そして食べてゆくけれど、後悔することがほとんど。

 ・・もう二時間待てば。。

 そのうちアイデアが出て、氷ひとつの大きさを薄くするやり方を考案。

 しかし、食べてみると物足りない。

 僕はシャーベット造りは、ほんとへただった。

 ただ待つことが出来ないだけで。。


「ツバメ」'08.5/16

 商店街にある、最新家電の電気店の店頭に、

 今年もまたツバメが来ていた。

 僕がこの街に来たときには、もうあったので、かれこれ25年かな。

 きっと、その前からあったとは思われる。

 電気店にしてたみら、毎年のことなので、慣れたものかもしれないが、

 電気店とツバメの巣の組み合わせは、さすがに妙だ。 

 毎年毎年、最新家電を店頭に並べている電化店。

 僕はそこに通う一人でもある。

 この先、2011年にはテレビのアナログ放送も終了してしまうが、

 どんどんデジタル化も進んでしまうだろうが、

 ツバメは変わらずにまた巣にやって来るだろう。

 自分たちのリズムを崩さずに。

 ツバメには、電気部品はひとつもないが、最新文明の場所にまたやって来る。

 電気店の人たちはいつも忙しく、ツバメも忙しい。

 どこまでも進化してゆく電化店。

 ツバメには僕らが忘れているものがすべてある。


「空き地」'08.5/14

 実家の道向かいは、以前、空き地であった。

 家一軒分。

 そこで僕は、生まれてからずっと遊んだ。

 乳母車もそこで乗った。幼稚園、小学校とも、ずっとそこで遊んだ。

 縄跳びをしたり、かくれんぼをしたり。

 今、そこは貸アパートのようになっていて、何軒かが住んでいる。

 空き地だった同じ場所に。

 空き地だった場所が今もないわけではない。

 場所はある。だが空き地でないというだけだ。

 お店がなくなるということはある。

 だか、空き地の場合はなくなったような、今もあるような、、。

 またいつか新築されるとき、空き地には会えるだろう。


「本の時間」'08.5/12

 先日、寮住まいだった友人が訪ねてきた。

 寮にいる間は、暇なので「本」を多く読んだという。

 その話をきいて、いいなぁと思えた。

 なんだか「本」というものから遠くなっているからだ。

 雑誌はいろいろと読んでいるのだが、ちゃんとした本は読んでいない。

 日々寝不足ということもあり、すぐ熟睡するので、

 眠る前に読むということはまず出来ない。

 読んでいない本は山ほどあるのに。

 これは一大事だ。なんだか生活の問題ではなくて、

 時間の問題のような気がする。

 もしかしたら僕は今、雑誌の時間にいるのではないかなと思う。

 寝起きから就寝まで、ずっと。

 本の時間、卵から始めないとな。


「良い音」'08.5/10

 最近、ギターが良く鳴ってくれている。

 季節的に乾燥しているせいもあるのであろう。

 そんなときは、さらさらと軽くストローク奏法をすると、その音の良さが実感できる。

 いくら弾いてもいくら弾いても、その音にほれぼれしてしまう。

 いつまでも、何も考えずに、弾く幸せ。

 ・・・・・

 中学時代に買ってもらったギターは、4万円であった。

 それまでは、兄の持っていた1万5千円のギターを弾いていた。

 4万円のギターになると表板が単板になり、鳴りも変わってくる。

 僕は中学三年のとき、4万円のギターを弾くたびに、その鳴りの良さにほれぼれしていた。

 さすがに二万円とはちがうなぁと。。

 高校入学のときは、お祝いに8万円のギブソンモデルのギターを買ってもらった。

 僕は弾くたびにその音の違いにほれぼれとした。

 さすがに4万円とはちがうなぁと。。

 ストロークの幸せの気持ちは一緒だったろうなぁと思う。

 良い音の定義なんてないんだよね。

 思い返せば、ギター買いの旅も長い。どのギターも好きだった。

 思い返せば、ずっと幸せに弾いていたのだ。


「あのときの音」'08.5/8

 先日、アルバム7枚分の弾き語りのライブ音源を聞いた。

 '70年代フォークブームの頃。

 生ギターの音はマイクで拾っていて、ギターの音もよくわかる。

 その頃、僕は中学生であり、フォークアルバムもよく聴いた。

 マーチン・ギブソンの生ギターの音に感動しながら・・。

 そして今回、当時の生ギターの音源を聞いてみているが、

 どうも、あのときの音のように聞こえて来ないのだ。

 それなりの音にはなっているのだけれど、感動的な音には思えなくなってしまった。

 それでも数人の弾くギターは、音が粒立っていて感動的だった。

 もしかしたら弾き方かもしれないな。

 僕はもうギターを弾いて35年たった。そのアルバムが出た頃、

 みんなはギターを弾いて、5・6年か、7年くらいだったんじゃないかな。

 うまくは言えないが、そんなことも関係しているのかもしれない。

 みんなマーチンかギブソンの輸入ギターを弾いているけれど、

 マーチンらしくギブソンらしく、まだ弾けていないのかもしれない。

 そういう僕も、中学の頃は、全部のレコードの生ギターの音が良く聞こえていた。

 いい音だ、いい音だと、全部に思いながら。。


「レコードの溝」'08.5/6

 ・・1曲の重さは何グラム?

 シングルレコードは1曲にしてはちょっと大きいかなと思うけれど、

 LPレコードの中の1曲は、ちょうどいい位の面積がある。

 CDやテープでは、音の中身はわからないが、レコードだけは目に見える。

 歌の実感がある。歌がそこにあるのがわかる。

 レコードっていいな。

 時間の流れも見えるし、歌と歌の間の無音も見える。

 CDのレコード化もいいじゃないか?

 部屋での、歌の居場所もわかるし。

 いいことずくめだな。

 たとえぱ文章だとしたら、ノート1ページくらいは使ってしまうのは当たり前だろう。

 1曲だって、そのくらいの面積があってもいいじゃないか。

 ちょうど、手のこひらにのるくらいの面積。


「高いギター」'08.5/4

 友達は高いギターが欲しいという。

 「いくら?」

 「120万」「えーっ?」

 それはマーチンD-45という、ギター世界の中でも、最高器種と呼ばれるギターだ。

 「職人が作った、こてこての一本が欲しいんだよ。そのギターがあれば一生の他のギターはいらない」

 「でも120万だよ〜」

 まあ、ほんとに買うならすごいな。予想もしなかった

 僕なんか、18万ギターを買うだけでも一大決心だったのに。

 そしてやっとローンも払い終わったのに、120万なんて夢の中の夢だ。

 今まで考えた事みなかったけれども、その考えもありだなと思う。

 僕だって欲しい。あればあったで、必ずプラスになるのはわかる。

 欲しいギターをやっぱり買わなくちゃね。せっかく買うのであったら。

 僕はたまたま、他のギターが欲しいなと思っただけ。

 もし僕がマーチンD45が本当に欲しいと思っていたら、今頃は部屋にあるだろう。

 友達はギターコレクターではない。

 欲しいと思えるギターが120万円だということだけ。


「同じ靴」'08.5/2

 外仕事のときは疲れない靴が一番だ。

 軽い、すべらない、耐久性、他。

 僕はもう15年ほど同じ靴(ジャガーΣ)を履いているが、これが実に素晴らしい。

 きっと、もう足が慣れてしまったのだろうね。

 その靴は、少し値段は高めなので、今回、安い靴をふたつほど買ってみたが、

 どうも足に合わず、だめであった。

 足に合わないというか、ジャガーΣのようではないのだ。

 軽さの面が大きいかな。

 結局また、ジャガーΣを買ってしまった。

 以前も他の靴を試みたが、だめであった。

 通勤用の靴は、大丈夫なのにね。

 これはひとつの不幸なのかな。。

 いやいや、そんな靴に会えたことは、素晴らしいことだ。

 まるで自分の足のようだもの。


「エッセンス」'08.4/30

 20年ほど前に、スタンダードになった歌があり、

 それをもう一度録音している音源もある。

 その録音を聞いていると、真似をしているというより、

 歌のエッセンスをもらっていると言っていい。

 本歌を知っているので、僕なんかはつい比べてしまうけれど、

 始めて聞く人には、充分に個性的な歌に聞こえるはずだ。

 細かいことはこだわらず、歌のエッセンスを引き継いでいるんだよね。

 また20年ほどたったとき、その歌は聞いたみんなが唄い出すだろう。

 そのとき、実に良いテイクだったと思えるだろう。


「僕がきっと希望していること」'08.4/28

 先日、仕事にて下町のクリーニング店に寄った。

 そこには二槽式の洗濯機があり、お店の人がせっせと作業をしていた。

 (全自動ではないんだな・・)

 考えてみれば、二槽式であれば、洗濯時間、水の量、脱水時間も自分で調整できる。

 いわばマニュアル洗濯機だ。

 クリーニング店であれば、微妙な調整が大事なのであろう。

 汚れの落ち具合を見ながら、またさらに微調整しているのであろう。

 二槽式を活用するクリーニング屋さんの姿を見ていると、

 なんだか僕みたいだなと思ってしまった。

 僕がいつもこだわって、主張していることと似ている。

 なんだか、それはギターとも似ていた。

 全自動演奏ギターというものはないけれど、あったら嫌だな。

 僕はよく古い機械を探し、活用することが多い。

 これぞ最高と思いながら。その姿はまるで、、。


「マスターが録音したもの」'08.4/26

 リハーサルの時間がたっぷりあったので、

 高円寺グッドマンのマスターとしばらくのんびりと話をした。

 聞いていたのは、荻窪グッドマンから移転する前にマスターが録音したという音源。

 「これ、グッドマンで録ったもの?」

 「そう。荻窪の頃ね」

 「へーえ、よく録れているね」

 「このマイクで録音したんだよ」

 それはモノラル音質であったが、しっかりとしていた。

 「普段、よほどではないと録音しようとは思わないんだけど、

 その日はなんだか録音しようと思ってね」

 椅子に座って、ふたりでライブを音を聞いた。

 それは実によい音源であった。

 ちらっと録音レベルを見ると、かなり低く録音されていたが、

 それでも充分にその場にいるようであった。グラスを洗う音や、いろいろと入っている。

 マスターはいつも通りに気負うことなく、さっと録音したのであろう。

 僕も毎回、グッドマンでのライブを録音をしているが、こんなふうに録音できていない。

 モノラル音質は無限大の時間とつながっているようであった。


「青春ギター」'08.4/24

 インターネットの映像サイトをよく見る。

 その中で出てくる'70年代頃の音楽映像。

 僕にはその中に出てくるギターがとても愛しく思えてくる。

 その頃のギターはたぶん今の現役であるだろう。

 35年くらいなら、まだまだギターは弾ける。

 '70年代最初、野外のイベントで弾かれたギターは、今はどこにあるの?

 陽射しをいっぱいにあび、日焼けしたギター。

 僕の使っているギターは、'73年製であり、とても日に焼けている。

 陽当たりもそんなよくないこの部屋のすみにちょこんを置かれている。

 その表板の焼け具合から見て、野外でも多く弾かれていたであろうことはよくわかる。

 ひとつのギターが語る、そんなイメージ。

 ギターって不思議だ。

 生まれた時から、まるで二十歳のようだ。

 青春から始まるようだ。

 幼稚園とか、中学時代とかはないようだ。

 きっとギターは青春から作られている。


「980円の靴との戦い」'08.4/22

 教訓は生かされなかった。

 いつも仕事で履いている「ジャガーΣ」の運動靴が限界に来てしまった。

 現場で、安い靴を買おと思って少し探したら、最近の980円の靴はずいぶんと良くなったんだなぁとわかった。

 2980円の靴と変わらないほどだ。

 しかし、いままで何回か980円の靴を買ってみたが、ほぼ失敗している。

 僕の靴のサイズは26.5だが、どうもそのサイズが合わないことが多い。

 大きめだったことが多い。

 「安い靴を買うときは、履いて確認しないとなー」と、強くそのときは思ったものだ。

 しかし、教訓は生かされなかった。。 

 ぶかっと感じで、作りもしっかりしていたので、つい大丈夫だと思ったのだ。

 実際にはいてみたら、指先かなんだか痛い。。

 ・・・・・・・

 そして現場。

 少しくらい小さくても、はいているうちに、合成皮革も伸びてくるケースは多いものだ。

 (無理して二三日はいてみるかな・・。)

 しかしやっぱり指先が痛い。

 でも、靴全体は特に小さいということでもなく、靴の先が細っているわけでもない。

 指が痛いのは不思議だ。かかとだって、余裕があるのに。

 何か方法はないものか。。

 まず、靴の紐を少しゆるめてみた。

 ・・効果なし。

 しばらくしてまたアイデアが出た。

 「靴敷をはいでみようか・・」

 靴の中にあるクッションをはがしてみたら、少しはひろくなるかもしれない。

 かすかに接着それている靴敷をはがしてみた。

 多少楽になったような気がしたが、そうでもなかった。

 「よーし、靴下も脱いでみよう、これでどうだ!!」

 これは少しは効果があった。が、まだまだ指先は痛い。

 不思議な痛みだ。

 しばらくそれでがんばってみたけれど、やっぱり痛い。

 なぜだろうなぜだろうと考えてみた。

 靴のかかとの方が高くなっているので、靴自身の中身が少し斜めになっていて、

 それで指先の方に、足がのめってしまうのではないかな。。

 そして僕はふと思った。

 (靴の紐をしめてみようか)

 そしてしっかりと靴の紐をしめてみた。すると靴の中で足が固定されて、靴先は楽になった。

 そうか、、こういうこともあるんだな。

 とりあえず一件落着はした。一日、靴との戦いであった。

 どっちにしろ、靴はやっぱり履いて買わなくっちゃね。


「テレビ画面と、日曜の夜の話」'08.4/20

 普段は21型のブラウン管テレビを見ているが、

 押入には、14型の小さめテレビもある。

 久し振りに押入れのテレビを出して見てみた。

 その14型の画面を見ていると、実にいろんな事を思い出した。

 いつもちょこんと、ついていたテレビ。人物もみんな小さかったな。

 14型のテレビには、ずいぶんと長い間、お世話になった。

 アパート暮らしを始めてからだから、25年くらいかな。

 四畳半だけのアパートのカラーボックスの上にあったテレビ。

 僕はコタツに入っていた。夏にはテーブルになる

 日曜の夜は池袋で唄って、そして夜の1時すぎに帰って来た。

 そして付けるテレビ。日曜の夜の番組。

 唄い疲れて帰って来て見る、クイズ番組や音楽番組。

 ちょこんと部屋にあった14型テレビ。

 その隣にはレコードプレーヤー。そしてギター。

 どれもテレビよりも大きかったな。部屋がちゃんとあって。

 14型テレビはスナック菓子のようではなかったか。


「部活動」'08.4/18

 ふと、帰りの電車で、部活動のことを思い出し疑問が起こった。

 部活動とは、中学・高校のときの放課後のスポーツや文芸部活動のことだ。

 6限の授業が終わるのが午後3時5分かな。卓球部だった。

 それから部活動の準備をして、だいたい4時。それから部活動。

 二時間やったとしても6時。それから着替えて家に向かっても、6時台だ。

 えっ、僕は6時台の商店街を歩いていたのかな。

 家に着いたのは7時だったのかな。。もうちょっと早くなかったかなぁ。

 記憶がない。。

 あと、屋内での活動場所のことが疑問になった。

 中学のとき運動場はふたつあり、そのひとつに卓球部はあった。

 運動場の半分は卓球部、もう無半分は剣道部で、一年中使っていた。

 では、残るひとつの運動場で、他の部がみな使っていたのであろうか。

 それは不可能だ。

 バレーボール部、バスケットボール部、体操部。

 雨が降ったとき、野球部や陸上部、テニス部等は、どこにいたのかな。

 まるで記憶がない。

 謎だらけの部活動の思い出。

 あの頃、もし7時くらいに家に帰っていたのなら、

 生活は、今とほとんど変わらないんだよね。


「そこにいる人」'08.4/16

 下町に住んでいる、ひとり暮らしのおばあさんの家を仕事で訪ねた。

 「はいはい、こちらですよ」

 少々広い家はがらんとしている。今は普通の家ではあるけれど、以前は小さな町工場だったことがわかった。

 その昔、ここでは機械の音が響いていたのであろう。

 従業員の人もいて、まだ元気な旦那さんもいて、そして娘さんもまだ小さくて、ねこもいたかもしれない。

 他に住んでいる娘さんにも僕は会ったことがある。そのおばあさんは、入院もいていたこともある。

 今は元気になって良かった。こうして僕は時々仕事で訪ねるけれど、その明るさは変わらない。

 がらんとした家にいても、おばあさんはいつも忙しそうだ。

 ・・・・・・

 その家の中を通るとき、僕には以前にあった工場の響きが聞こえてくるようだ。

 どのシーンにも、おばあさんの姿が一緒に映っている。

 若い若い頃から、この家にいて、いろんな出来事があったであろう。

 足を痛めたネコが訪ねていたときがあったのかもしれない。

 縁あって、勤めることになった従業員の人がいたかもしれない。

 みんなみんないなくなってしまったけれど、訪ねてくる日もあるかもしれない。

 ふすまの影から、あのときのネコちゃんがにゃ〜と鳴く日があるかもしれない。

 それはどういう理由かははっきりはしないが、みんな遠い時を経て、訪ねてくるのではないかな。

 「あら、おひさしぶりねー」

 そこで待っている人がいる。それは嬉しいことだ。


「ビデオリピート」'08.4/14

 ライブビデオを編集のために20時間ほど見ることになった。

 今までならば、普通に通りすぎたかもしれない映像であるかもしれないのだが、

 20時間も見ていると、そのどのシーンやフレーズも憶えてしまい、

 なんだが、どの曲もどのパフォーマンスも、味わい深く思えて来た。

 たぶんそれは、唄っているときの本人の感じと似ているのではないかなと思えた。

 本人たちは、その歌を何度も歌い、気に入っていて、ライブでは、それなりに唄っていたはずだからね。

 たぶん、音楽のビデオに限らず、何度もビデオをリピートして見てると、そういう感覚に入ってくるのかな。

 それはまるで、塗り絵を何度も同じように塗る楽しみとも似ているのかなぁ。

 リピートするといえば、落語や漫才のネタも何度の観ると、それなりにあきなくて楽しい。

 人には、まだはっきりとはあかされていない感覚があるんだな。


「お好み焼き」'08.4/12

 ずっと通っていたお好み焼き屋は、みな自分で焼く店であった。

 そして先日、寄った店では、お店の人が「焼きましょうか?」と言ってくれる。

 「モダン焼き」は、自分でなかなか焼けないので、お店の人に焼いてもらった。

 値段は同じで。

 その店はひとりの女性がやっていて、僕か知っているだけでも、25年は続いている。

 その長い年月での焼き方で焼いてくれたお好み焼き。

 出来てきたモダン焼きの、美味しかったこと!!

 それはもう、値段以上のものだろう。

 でも自分で焼く楽しみはない。あたりまえだが・・。

 お店の焼くのお好み焼きは、いわば完成形であろう。

 それには追いつけない、自分のお好み焼き。

 が、しかし、時には、越えるかもしれない。

 そんな楽しみもある。

 遠足を自動車でゆくようなものかな。

 飛行機も同じことなのかな。

 大昔の人は、僕らにいろいろと伝えたいことがあるだろう。

 うまく伝えられない、そんなとき「お好み焼き」の例がある。

 「ほら、お好み焼きってさぁ・・」


「作りたいSONG BOOKI」'08.4/10

 中学の頃は、フォークブームだったのでソングブックが多く出ていた。

 僕の好きだったマイナー系のシンガーでも、ソングブックが出ていた。

 そんな時代。

 僕はそのソングブックを一曲一曲練習して、今のギターテクニックの80パーセントくらいが完成した。

 あとは、耳コピーをしたりして来たけれど、最初のあのソングブックには感謝している。

 やっぱり好きな歌い手のソングブックはいい。

 ・・・・・

 中村十兵衛というシンガーの若い頃の弾き語りアルバムを、先日、企画でまとめた。

 16曲。そのどの楽曲も弾き語りのテクニックとしては、完成されているものばかりだ。

 時間がたっぷりあれば、耳コピーをしたい気持でいっぱいだ。

 ああ、あのアルバムのソングブックがあればなぁ。

 中村さんが、僕の中学時代にデビューしてたなら、きっとソングブックが出ていたでろう。

 そして僕は、必死に練習したにちがいない。

 どの曲も、練習するのにあたいする楽曲ばかりだ。

 僕にソングブックが書ける実力があったらなぁ。

 ぜったい作りたい。

 僕のために。そして、すべてのフォークファンのためにも。


「ストック映画」'08.4/8

 部屋にある映画のビデオテープ。

 そのどれも何度も観ているものが多い。

 もともと、好きな映画だったことはあるが、、。

 その観るという理由が、いつも決まっていた。

 ビデオの機械の色調整などの理由で、たまたまビデオ入れてみたとき、

 ついつい最後まで観てしまうのだ。

 その映画のビデオを観ようと思ってのことはほとんどない。

 しかし、ちらっと観て、最後まで観させるなんてすごいな。

 それも何度も観ている映画なのに。

 これが、CDアルバムだと、なかなかそうはならない。

 聞くことは聞くけれど、最後まで聞くということはまれだ。

 映画はやっぱりストーリーがあるからかな。

 そして、観れぱ観るほど発見と味が出てくる。

 シーンがそれぞれに輝いてくるのだ。

 本もそんなふうに、さっとページをこ開くと、最後まで読んでしまうのがいいな。

 なかなかないんだけれど。。

 音楽アルバムも、そうだといいな。

 そうでなきゃね。


「ライブ音源の旬」'08.4/6

 いつも自分のライブは録音して、

 携帯プレーヤーに入れて何度も聞いている。

 しかし次のライブをまた録音してしまうと、前のライブは急に聞かなくなってしまう。

 ライブ音源というものは、そういうものかもしれない。

 たまたま僕の携帯プレーヤーに、友人の古いライブがひとつ入っていて、

 僕はそのライブを、ほんとに何度も何度も聞いた。

 ライブアルバム用というわけではなくて、ほんとに普通のライブ。

 本人にとっては、普通の一度のライブだったのであろう。

 「あのときのライブがほんとに良くてねー」、なんて言っても、

 「ああ、そう、ありがとう!!」と、答えられるくらいなものであろう。

 そんなライブ音源。僕のライブもそんなふうに何度も聞いてくれている人はいるのかな。

 「あのときのライブがほんとに良くてねー」、なんて言われても

 「ああ、そう、ありがとう!!」と、答えるくらいなものであろう。

 そんなライブ音源。

 先日、友人から、こんなことを言われた。

 「前にもらった、あのライブのテープ、今聞いたら、みんな良かったよ」、と。

 それは自分にも言えるかもしれない。

 ずっとたつと、良くなるのかもしれない。

 ずっと携帯プレーヤーに入れておくと、熟してくるかもしれない。


「ライブの時間」'08.4/4

 ライブをよくビデオカメラで撮る。

 すると、撮っている時間が画面に出てくる。

 たいがいは、自分の感じている時間の過ぎ方と、ビデオの時間は一致しているのだが、

 ひきつけられたライブでは、それが合わなくなってくる。

 もうそろそろ55分くらいかなぁと思って、見ると40分ちょいなのだ。

 先日もそんな体験をした。

 充分にそのライブを楽しんでいるときにそれは起こる。

 40分で約55分くらい楽しんだということだろうか。

 30分のテレビ番組でも、たっぷり見たなぁと感じるときがある。

 それと似ているのかな。

 落語家の時間の過ぎ方とも似ているかもしれない。

 人はいつもある程度、時間の流れを感じながら暮らしているが、

 ひきこまれると、それすら忘れてしまうのかな。

 ひきこまれ時間というものもあるかもしれない。

 だいたいそれは、40分が55分くらい。

 そんな時間への入り方を学びたいな。

 僕もそんなライブをしてみたい。


「DVDでいいじゃないか」'08.4/2

 映像はビデオテープから、DVDにだいたい変わってきた。

 しかし今、ハイビジョン放送やフルハイビジョンの時代にもなりつつあるという。

 大画面テレビ等では、DVD画質では画質が粗くなってしまうのだ。

 雑誌等でも、将来的にはブルーレイディスクに変わってゆくだろうという。

 DVD画質のことを「標準画質」とも呼ぶ。

 いままで残っている映像は、まあだいたい標準画質ばかりだろう。

 DVDの時代はそれなりに良い面も多かった。まだ10年くらいなものだろう。

 友達にDVDであげるとしても、それでは十分ではなくなる日が来るのか。

 大画面テレビで見るには、たしかに不十分であるかもしれないが、

 できればDVDで、このまま行きたい。

 せめて32型薄型テレビで、もともとの映像が再現できるようになって欲しい。

 標準画質の名の通りに。

 DVDでいいじゃないか。


「前奏とタイトル」'08.3/31

 最近になってやっと、ライブの保存物に曲目をつけるようになった。

 そうでもしないと、そのとき何の曲をやったのか、さっぱりわからなくなってしまうのだ。

 幸いにも、僕ら界隈のみんなは唄う前にタイトルを言ってくれるので助かっている。

 しかし、ロックの有名ミュージシャンともなると、ほとんどの人は言わないであろう。

 前奏が始まる。たぶん、もうそれがタイトルとなっているのであろう。

 考えてみれば、たぶんどの曲もむファンであるならば、知っているだろう。

 前奏がその歌のタイトル。。それは言えている。

 理想だなぁ。その前奏が流れただけで、その歌がわかるなんて。

 そしてそのタイトルが前奏となっているなんて。。

 「あっ、あの曲だ」

 ライブやコンサートでは、とても自然な流れが出来るだろう。

 それは有名ミュージャンだからというわけではなくて、、。

 でも、僕なんかは、ついついタイトルを言ってしまうだろう。

 みんな前奏が似ているしね。

 イントロクイズがある。

 「答えは?」「あの曲!!」

 「正解!!」


「雨の後の金曜の夜」'08.3/29

 高円寺の街は、いつもそこそこには人がいる。

 雨のあとの金曜の夜、僕は駅前まで出かけた。

 いつも寄る安いメディアショップには、誰もお客がいなかった。

 その先の大きな電化の店に寄ってみると、なんと僕ひとりがお客であった。

 いくらなんでも、そんなことってありえるのか?

 そういえば昨日、ラーメン屋で、「最近、お店、流行ってる?」と、突然にきかれた?

 そのときも、お客は僕ひとりであった。

 駅前の路地を少し入り、有名なエスニック衣装の店の前を通った。

 その店もなんだかこっそりとしていた。

 僕がこの街に来た当初(25年前)は、いつ寄ってもにぎわっていた店だった。

 その先にある、古本屋街にも寄ってみた。

 いつもいつも来るたびに、寄っては探していた古本屋街。

 そこにある本もなんだが100年、そこにあるような感じであった。

 街を歩いているみんなはどこに寄っているのだろう?

 新しくオシャレな定食屋さんとかにいるのかな?

 そのまままた、いつもの商店街に戻ってきて、最近オープンしたばかりのラーメン屋さんをのぞいた。

 この間までお客さんが列ぶほどの人気であったのに、今夜はがらがらではないか。

 店主もなんだかさびしそうだ。

 その先にある一軒の古い古い中華屋さんにもお客さんはいなかったが、僕はその店に入った。

 まるで25年前と変わっていない中華屋さん。

 時の流れがあるような、ないような店。

 お客さんはみなどこに行ったのであろう。

 あたらしくオシャレなスパゲッティ屋にでもいるのかな。

 それとも家路を急いでいるのか。雨の後の金曜の夜。

 おかしいぞ。店に人がいない。

 なんだか街のパズルが崩れている。


「40年後」'08.3/27

 1967年頃の音源を横になって聞いていた。

 フォークに、エレキサウンドが入って来たころである。

 あれから40年。当時、この歌を歌っていた人が、40年後も聞かれていると思っていただろうか。

 実際、聞いてみても、何に違和感もない。

 古いサウンドとも思えない。

 それは、僕自身がそのサウンドとずっと触れてきたことにあるからかな。

 今は2004年。その40年後、2040年も、今の音楽が聴かれているだろうか?

 それは想像が出来ない。あまりに未来すぎて。

 それを聞いている人がいるかどうか。

 40年後までには、音楽はもっともっと増えるだろう。今の二倍以上だ。

 その頃、僕はいるかもしれない。いないかもしれない。

 僕がいる間は、そんなには音楽は変わらないだろう。


「'70年代ライブハウスの音」'08.3/25

 僕が中学生の頃に聞いたライブアルバムはホールでの録音が多かった。

 まあ、みんなメジャーな歌い手であったし、ライブというよりコンサートであったのだろう。

 一曲ごとの大きな拍手。

 新潟にいた中学生の僕はそういうものだと思っていた。

 そんな同じ時期、東京のライブハウス(当時そう呼ばれたいたかはわからないが・・)でも、

 多くのライブが行われていた。人気があるないに関わらずに、、。

 数人のお客さんだったこともあるだろう。

 僕が東京に出てきてライブハウスに通うようになったのは、もう'80年代になってからである。

 それからは自分で録音したりして、多くの音源が残っている。その最初の録音は'81年頃から。

 その友達の古いレパートリーを聞いていると、どこか'70年代のライブハウスの音が聞こえてくるようなのだ。

 それがどんな感じなのかは、僕もうまく言葉では表せない。

 でもその空気は感じることができる。

 '70年代のライブハウスの音。その音源も大量にあるはずだ。

 なかなか聞く機会は少ないのだけれど。。


「夢と希望」'08.3/23

 中学生の頃、将来になりたい職業というアンケートがあり、

 僕は「フォークシンガー」と書いた。

 そのあと、昼休み、先生に呼び出されてしまったが。。

 そして今、オリジナルを歌っているので、ある程度願いは叶ったわけだ。

 予定では、日本全国、ギター一本で巡り行くはずではあったけれど、それは叶っていない。

 夢。すばらしいギターが一本が欲しいと思った。それは実現した。

 夢。自分なりに気に入った歌が作りたかった。それはある程度実現した。

 プロではないし、ツアーも出来ていないけれど、

 目指した道からは外れなかった。

 それ以上の夢は見なかった。

 大金持ちになるとか、スーパースターになるとか。

 お金があっても、自分の欲しいギターと出会えるわけではない。

 スーパースターになっても、自分の満足する歌が歌えているとは限らない。

 それを夢見ていたのならば別ではあるが。。

 どんなにお金があっても、欲しいギターは見つからない。

 「それでもないよ」と言う人もいる。

 ある程度は、希望のギターは見つかる。

 でも、希望のギターは、夢のギターではない。


「日が暮れると」'08.3/21

 目のピントが合わない。

 街を歩いていると、看板という看板の文字が読めない。

 大きな文字、光で明るい文字でさえも。

 最近の花粉症で、目が疲れていることは確かだ。

 それにしても、ピントが合わなすぎる。

 メガネを外した状態ともちがう。

 メガネの度は合っているのだから、これ以上はどうしようもない。

 昨日も友達と夜、中華屋を探して街を歩いたが、

 僕の目はまるで探せなかった。

 日中は大丈夫なのに、夜には、まるで弱い。

 街がなんとも哀しい景色に変わる。

 自分の思うように、目のピントが合わない。

 世界中が「あらら」になってしまう。

 不思議不思議不思議。


「帽子」'08.3/19

 先日、15年ほど使っているライブ用の帽子をなくした。 

 たぶんライブハウスか、そのあとのラーメン屋に置いてきたのかな。

 問い合わせも良いけれど、見つからない可能性もある。

 しかし15年もなくなさないでかぶってきたなんて、すごいな。

 15年もなくさないできたのだから、もう忘れてきてもおかしくないのだ。

 しかし、15年もなくさなかった帽子なので、部屋にあるかもしれない。

 さがしてもさがしてもやっぱりない。

 やっぱりないのか、、。あとはラッキーをいのるしかない。

 帽子をなくさない限界は、15年なのではないか、、。

 あきめるか。。

 しかし、、、なくしたはずの帽子は座布団の下にあった。

 なくしたはずだったので、たぶんまた15年は大丈夫だろう。


「海の向こう」'08.3/17

 今ではインターネットもあり、海外のニュースはほぼ同日に知ることができる。

 でも以前は、なかなか海の向こうのことは、わからなかったことであろう。

 約45年前はね。

 ボブ・ディランの古いアルバムを聴いてみた。

 そのアルバムは、'64年に発売されていたが、日本での発売になるのはずっとたってからだ。

 そのアルバムが録音されていたとき、僕はもう生まれていて、同じ時間の中にいたのだ。

 日本の新潟にいて、それもまだ言葉もよく話せない僕が、そのことを感じられるかというと疑問ではある。

 しかし、地球の同じ時間にいたことは確かだ。

 それがどれだけの意味があるのかは僕もよくわからない。

 だがアルバムを聴くと今は、(ああ、僕も生きていたんだ)と、実感する。

 だって事実だもの。

 僕がこんなふうに嬉しい気持ちになるのと同じように、若い世代の人たちも同じように感じるだろう。

 同じように、僕らより上の世代の人たちもそう感じているだろう。

 嬉しいことにはちがいない。


「東西南北」'08.3/15

 「とうざいなんぼく」「とんなんしゃあぺい」

 「WEST ・EAST・SOUTH・NORTH」

 実にこの四つの文字は味わいがあり、それぞれにイメージが独立していて、素晴らしいと思う。

 この中では「北」が、一番強そうではあるれけれど、バランスの面では公平だ。

 漢字の字面をみても、なんとも完璧な感じがする。

 江戸よりももっともっと前の古地図にも出てくるだろう。

 漢字の作られた順で言っても、かなり早い方なのではないか。

 もしかしたら最初かもしれない。

 僕が素晴らしいと思うのは、この四つの漢字が、それぞれに負けていないというところだ。

 そして、どのひと文字が欠けてもだめなところ。

  『NEWS』が偶然にも「東西南北」と重なっているところも素晴らしい。

 でもね。

 「東西南北」は語呂の良さから、この順になったのであろうか。

 その辺の事情には、ひとつの旅がありそうだ。


「99ショップ」'08.3/13

 帰り道に99ショップが出来たので、ここ数日買いに行っている。

 買う予定のなかったものも、ついつい買ってしまう。特にお菓子類ね。

 それで食べるときもついつ多く食べてしまうのだ。

 これも全部、99円だと思うからだ。

 逆に言えば、それでなりたっているのかもしれないが。。

 普通の定価をもういちど認識できるように、何か工夫をしてもらいたいものだ。

 買うときだって、99円のものを買ったと思うよりは、定価のものを買ったと思いたい。

 それなら、大事に僕も食べるだろう。99円だと思うからだめなのだ。

 買うときは安く、食べるときは高くが理想だ。

 99ショップで買って、部屋に着くまでに普通の定価に戻るといいのに。


「大相撲の楽しみ」'08.3/11

 また今、大相撲が始まった。

 15日間毎日取り組みがあるのだ。今日は三日目。

 関取にとっては、長い二週間であろうか、短い二週間であろうか。

 まあ、取り組み自体は、数分で終わってしまうわけだけれど、その集中は大変なものであろう。

 勝ったり負けたり。一喜一憂。ひとつの長い旅のようではないか。

 悔しかったり、嬉しかったり。

 それが二週間も続くのだ。

 がんばろうと思っても運も必要だ。

 今も昔も。

 その昔はテレビやビデオなどなかっただろうから、

 それぞれの頭の中でビデオが再生されていただろう。

 そんな15日間。それは、なんだか中学生の部活のようだ。

 そんな15日間をみんなでもっと楽しんでいいんじゃないかなと思う。


「古い音源」'08.3/9

 先日、友人の古い音源をまとめたアルバムを制作した。

 録音素材は、小さなカセットレコーダーだったものが多かった。

 ちゃんとステレオで録音されたものもあった。

 ひと苦労、ふた苦労したあと、アルバムは完成した。

 そのアルバムをライブハウスを聞くことがあった。

 最初から流してもらうと、こもったモノラルの音源の方が逆に伝わってくるものが多いことがわかった。

 中途半端なステレオ音質より、こもった感じの音源の方が、価値感や古さがよく出てくるのだ。

 そして、とても聞きやすい。

 味も出ているし、逆にライブ感も感じられた。

 これは意外だった。

 例はちがうかもしれないが、「遠足」の良さは、歩くところにありという感じだ。


「寒いのはだめだ」'08.3/7

 もう三月ではあるけれど、やっぱり寒い。

 とくに夜は。

 僕はよく、半分倒れながら眠ってしまうので、布団のかけかたが甘いときがある。

 そんな夜は、夜中がとても寒い。。

 寒い寒いと思いながら、朝になってしまう。体は冷えきっている。

 疲れもまるでとれていない。大失敗だ。

 やっぱり夜中はあたたかかくなくてはね。

 その昔は、しっちゅうコタツで眠っていた。

 あれはあれで、幸せだった。


「肝心なところ」'08.3/5

 録音物のTAPEの包装は、できるだけ簡単に開かなくてはいけない。

 録音に遅れたときはあせってしまい、なかなか包装があれられないからだ。

 それで大事な録音に遅れることはよくある。

 自転車のベル。

 最近安めの自転車についているベルは、困ったところがひとつがある。

 雨の日にベルの中に雨が入ってしまい、ベルがうまく鳴らないのだ。

 じょりじょりとかは言うけれど。。それでは困る。

 構造上、無理があるのだけれど、なぜこうなってしまうのかなと思う。

 雨の日はブレーキの効きが甘くなるので、そんなときこそベルが必要なのだ。

 一番肝心なところで、使えないとなぁ。

 さて、雨の日に鳴らなくなるベルは、認められていいのかと思う。


「残り雪」'08.3/2

 先日、東京で降った雪が、いつまでも近くマンションの角に残っていた。

 来る日も来る日も。一週間、二週間たっても。

 ほかのどの景色にも、雪などないのに。

 気温の関係もあるのだろう。

 名残雪という、言葉はあるが、その角に残った雪に対しては、的確な名前がない。

 名前がないので、うまく、呼ぶことが出来ない。

 「残り雪」ってどうだろう。ひとつの季語みたいに。

 駅までゆく途中、僕はいつも「残り雪」を眺める。

 まるで花見でも、するかのように。

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