青木タカオ「ちょっくら・おん・まい・でいず」

「最近の事」過去ログ'07.11〜'08.2月

「有名ギターの不思議」'08.2/29

 先日、小さなライブハウスに友達を聞きに行った。

 共演の人は、とても古くから弾いている様子のギブソンの生ギターを使っていた。

 ああ、ギブソンギターが好きなんだろうなぁと、よく伝わってくる感じであった。

 いろんなタイプの歌を歌っていたが、ギブソンギターはよくそれに答えていた。

 それらの歌を、その人が歌いこなすという事も大事であるが、

 ギターもまた、それらの歌を弾きこなしていたのであろう。

 長くギターを弾いていると、だんだんとギターと自分が一体化してきてしまうものだ。

 だから、もしかしたら、ギブソンギターの方でも、歌いこなす力をくれていたのかもしれない。

 ギブソンギターは多くのレコーディングで使われていて、その音は、みんなの耳にも届いている。

 (まあ、マーチンギターも同じではあるが・・)

 それらのギターの音を耳が覚えていて、どんなタイプの歌も、歌い手にうまく歌わせてしまうのかもしれない。

 これは、ありえる話。

 どんな歌も、うまく歌えたなぁと思えるときと、力が入ったりして、うまく歌えないときがある。

 それは微妙なところで、ギターとの、ちょっとした感覚で、うまく歌えたりもするのだ。

 有名ギターには、すでに実力がある。

 すべてのレコーディングに参加した数だけね。



「財布の恩返し」
'08.2/27

 朝には銀行に行っていて、財布にはそれなりに入っていた。

 それからいろいろと使うこともあり、たしかに使ったのだが、まさか、お札が一枚もないとは思わなかった。

 夕ご飯のために入って、ぎょうざも食べたあとの、札幌味噌らーめん店にて。

 「950円です」「あれっ、ちょっと待って・・」

 この言葉を言ったとき、奥さんの表情がくもったこと。。

 あとは、小銭にかけるしかない。500円玉は一枚見える。

 (しかし、こんな日に限って、ぎょうざを注文するなんて、、)

 100円、200円、300円・・。

 微妙だ。微妙すぎて、まいってしまうな。850円しかなかったら、どうしようか。。

 僕は長い経験で言うと、こんなときは880円くらいしかないものだ。

 しかし、今回は運良く、950円はあった。ちょうどぎりぎりくらいで。

 あと残りは、70円くらいであった。すべては事なきを得た。

 財布を持っていて、一番、どきどきするときだ。

 ほんとうにラッキーだった。900円ではだめだったのだ。

 僕の財布は良い財布だ。

 これは、財布の恩返しだったのかもしれない。



「指」'08.2/25

 新曲を作るとき、相当な時間を使っている。

 その間にギター演奏の方は、だんだんと出来てきてシンプルになってゆく。

 1時間・2時間では出来ない。リハだけでも出来ない。

 全体の流れをちゃんとつかんでから、また、ひとつひとつに戻ってきて、

 なおかつ、変化をつけていかなければならない。

 それでいて、僕自身が唄うための無理があってはいけない。

 ある程度、弾き続けないと、流れが出来て来ない。

 僕の実力はその程度。

 指は、指なりに時間が必要だ。

 それは新曲を作るのと、同じくらいの時間。



「銭湯」'08.2/23

 下町の外歩きの仕事をしている。

 夕方近くになると、銭湯セットを持った人たちが道向こうからやって来る。

 オープンする少し前に、待っているのだ。

 その銭湯は、僕の知る限り、この20年はまるで変わっていない。

 入口も中の感じも、外からみると、木が朽ちているのも見える。

 だいたいオープンと同時に訪ねてくるのは、年寄りが多い。

 下町の銭湯は今、どんどんとマンション化していて、あるいはなくなったりもしている。

 かと思えば、ずっと変わらないままで残っていたりもしている。

 下町の銭湯は、経営的にも厳しい状況にあるのかもしれない。

 銭湯によっては、まるで変わっていないところもある。

 そのおかげなのか、たぶん、ここ30年以上はそのままであるようだ。

 その変わらない場所に、毎日のように通えるなんて、いいなと思う。

 お年寄りたちのそれは楽しみと思うが、、

 どこの町の銭湯でも、オープン前に列んでいるお年寄りは多い。新しくなった銭湯であっても。

 古い新しいの関係ではなく、きつと、お風呂が好きなのかな。

 僕は二百年前の銭湯に毎日、通いたいな。



「新生物」'08.2/21

 南極の海底で、新種の生物が約700種、見つかったというニュースが届いた。

 テレビでも紹介され、10本ほどある手の長い生物が泳いでいる姿が流されていた。

 それは、僕らがかつて見たこともない生き物であった。

 そして一度見たら、忘れられない映像であった。

 現代では、CGも発達して、映画の中では、新生物がリアルにどんどん作られている。

 しかし新生物がひとつ出来てくるには、環境に生き抜くための進化があり、

 その姿は完璧なところがあるのだろう。

 それは驚きに値するものばかり。

 ただ新種と言っても、それはずっと昔から存在していた生物である。

 そのへんが妙で可笑しい。

 見たこともない、ずっと古いもの。



「夜明けは近い」
'08.2/19

 今日は、映像の話ですいません。

 ライブを映像で残すということは大事なことだ。僕らも25年前からライブを映像で残してきた。

 最初はVHSテープでの録画。そしてベータビデオ、それから8mmビデオテープ、それからminiDVテープ。

 8mmビデオテープの時代がとても長かったのだが、8mmビデオは、とにかくノイズに苦しめられた。

 そして劣化。miniDVはデジタルなので、これは完璧だと思いきや、これがまたいろいろとやっかいなノイズが時々入ってしまう。

 テープとしては、VHSが画質では劣るものの、ノイズには強かった。そしてテープ自身も強かった。

 しかしカビには弱い。VHSだけではない、テープ類はすべてカビに弱い。

 ・・・・・・・

 ここ数年、ブルー・レイのディスクが、だんだんと一般化しつつある。

 ブルー・レイは容量も大きく、DVDよりもすぐれている。ブルー・レイに直接、ビデオカメラが付いていれば一番良い。

 最近はハードディスク付きのビデオカメラが、だんだんと主流になりつつある。

 しかしまだ高級機は、miniDVのままだ。高級機のビデオカメラにハードディスクがつけば、

 それをブルー・レイに移して、映像としてほぼ完璧に残るであろう。

 もうテープノイズに苦しめられなくても済むだろう。

 岡林信康の歌ではないが、友よ、夜明けは近い。



「生まれ育ち」
'08.2/17

 ひとつのマンションがある。

 僕はそこにマンションが出来る前から知っていて、更地に、そして工事中のことも知っている。

 やがて立派なマンションが出来上がると、そこに人が越して来て、自分の城とする。

 僕がここが更地の頃から知ったいたとしても、それはあまり関係がない。

 「あなた誰?」ときかれ、「ここを知る古い人です」と、答えたとしても、ピンとこないだろう。

 ただのひとりのインタホンを押す、訪問者でしかなくなるのだ。

 ・・・・・・

 新築マンションであっても、やがては10年、15年とたつ。

 いつもように訪ねれば、子供らがマンションの中をかけまわっているのを見かける。

 ここで生まれ育った子供らだ。彼らにとっては、ここが故郷となっているのであろう。

 エレベーターや階段、ひとつひとつの備品が故郷の一部となっているのだ。

 ここが故郷となっているみんなにとっては、僕はただほんとに客。

 ・・・・・・

 どんな場所であっても、そこで生まれ育った人にとってはかけがいのないものだろう。

 なにげないものでも、僕とは見える景色がまるでちがっているのだ。

 たとえ1000年のここを知っていたとしても、ここで生まれ育った君には勝てないだろう。

 子供らはみな、そこにある風景を変えてゆく。



「ひっそりと」
'08.2/15

 ここ数日、とても寒い。

 爆弾低気圧というものが来ているらしい。

 飼っている小さなミドリ亀も、ほんと静かに冬眠している。

 ギターを弾いてみると、驚くほど鳴りが良くなっている。

 この寒さで空気がとても乾燥しているせいもあるのだろう。

 それがギターにとって、良いか悪いかはまた別として、鳴りがぐんと今良く鳴っていたことは事実だ。

 たぶん、僕の部屋にある他の生ギターもそうであろう。

 あの鳴りの響きの美しさは表現しがたい。

 僕の手の指には、あかぎれができ、耳は凍るように冷たい。

 街々や村々の電線は北風にふるえている。

 そして家々のギターは、宝石のような音の鳴りに身を変えている。

 ひっそりと。



「30才」
'08.2/13

 10代があり、20代もあった。

 10代は卓球にも燃え歌い出した。20代は出会いと海外旅行かな。

 10代にも歌はたくさん作ったし、20代はもっともっと作った。

 そして30代。僕は、それまでの作った歌を、一度無しにして新しく作り始めた。

 それからが、僕の創作の旅となるのだった。

 今、歌っている歌の99パーセントは、30代からの歌だ。

 人にはそれぞれの時期というものがあるけれど、僕にとっては30代からがすべての始まりだった。

 (個人的に言えば、荻窪グッドマンで定期ライブを始めた頃・・)

 それから長い長い旅の時間が過ぎて、山ほど歌を作った。

 10代20代のときも、歌を多く作ったけれど、それは僕には予行練習だった。

 25才くらいから歌がゆきずまり、旅の後の二三年は、すべてボツ歌だった。

 それにはひとつの流れがある。そうなってしまう原因があったのだ。

 だから、それまでの歌を一度無しにした。それで良かった。

 あたらしく来た船は、今も元気で進んでいる。



「価値値段」'08.2/11

 古本の文庫本であるなら、ワゴンで100円で買えたりする。

 値段は100円ではあるけれど、それを全編読むことはそれなり時間がかかる。

 僕は思う。その本を読み終えたとき、ふと裏の値段を見ると、2700円くらいになっていないものかと。

 もちろん、買ったのは100円であるけれど。

 音楽アルバムも同じで、いくらで買ったとしても、たぶん値段はない。

 聴いて、楽しんだ分だけ、その価値が上がっていかないものかと思う。

 アルバムは一度出来てしまえば、あとは再生を繰り返すだけだ。

 それに比べて、聴くという行為は同じではない。

 何度も聴かれたアルバムには、ちがう意味の価値の値段がついていい。

 本当だよ、本当。

 500円で買った、インスタント珈琲の値段の価値が500円ではないように。



「大きな音」'08.2/9

 昨日、小さなライブ喫茶で、大きな音でジャズを聴いた。

 (いい音だなぁ・・)

 しばらくして、マスターはガチャッとカセットテープをひっくり返した。

 カセットだったのだ。

 今は、カセットテープというと、デジタル音源より、ひとランク下がるようなイメージがある。

 しかし、大きな音で聴くと、こんなにも良い音なのだ。

 まったく問題がない。僕はすっかり大きな音で聴くことを忘れてしまっていた。

 小学校時代から、家には大きなステレオセットがあり、僕はそれで聴いてきた。

 中学時代はフォークを。高校時代は洋楽を。大きな音で聴いた。

 カセットテープでも聴いた。大きな音のとき問題はまるでなかった。

 感動はそのまま入っていた。

 カセットの力は絶大だった。疑う余地もなかった。

 レコードになる前の録音は、だいたいテープ録音なのだし。

 僕らが忘れてしまったのは、カセットテープ自身の力の方ではないのだろう。

 きっと、大きな音で聴くということの方なのだ。



「雪の帰り道」'08.2/7

 突然の雪となった。

 普段は都会の人として生活しているが、雪が降ると新潟県民に戻ってしまう。

 傘ではなく、アノラック姿で学校から帰る、あの日々。

 同じような状況になって、実感として思い出すのは、本屋さんとレコード店、そして楽器屋さんだ。

 小学校の頃は、お金も持っていなかったので、お店もあまり寄らなかったのだろう。

 本屋さんで見たのは「ギター雑誌」。すべてのギター雑誌。

 レコード店で見たのは「フォークアルバム」。すべてのフォークアルバム。

 楽器屋さんで見たのは「アコーステッィクギター」。すべてのアコーステッィクギター。

 中学から高校にかけての雪のある学校から帰り道。僕にはそんな記憶しかない。

 雪があって、ザクザクッと靴が鳴って、あとはギター、そしてフォークアルバムのことばかり。

 「あっ、雪だ」と、都心の子供らが、空を見上げる。

 (あっ、ほんとだ・・)、そう思う僕は同時にギターの事を思う。



「第三の音」'08.2/5

 先日、スタジオリハにて録音して音源を聴いた。

 そのときはピンと来ないのだけれど、録音で聴いてみると、実に良い音でギターが鳴っているのがわかった。

 ギルドF-47。

 ギルドのギターと言えば、かつてマーチン、ギブソンと並んで「第三の音」と呼ばれたメーカーである。

 聴いてみると、その音はマーチンでもなく、ギブソンでもなく、ギルドの音だとはっきりわかる。

 この「はっきりわかる」ということが、どんなに素晴らしいか。。

 (もちろん、オベイションギターのラインの音も、古いヤマハの音も、わかるといえば、わかるのだが・・)

 古いヤマハの音はマニアックすぎて、ふつうはわからないかもしれない。

 現代では、ギブソン系の音かマーチン系の音、そしてライン系の音かキラキラ粒立ち系の音がほとんどだ。

 (国産ギター系というのもあるが・・)

 ギルド系というのは、まあほとんどない。

 ギルド系の音は「田舎くさく、品のある音」だ。(とも、ひと言では言えないが・・)

 僕はこの「第三の音」が、ほとんど聴く機会がなくなっているのが、実にさびしい。

 1970年代はギルドギターも名を広めていて、有名シンガーも使用している人も多かった。

 今は、ほとんど見かけなくなった。

 なんて惜しいことだ。ギルドギター「第三の音」が復活しないものかと思う。

 ギターを弾くみんなが「これ、ギルドの音でしょ」と すっと言える日がまた来ないものかち思う。



「保存会」'08.2/3

 今、せっせと映像をデジタル化している。

 ひとつの保存という作業ではあるけれど、これは保存なのかな? と、疑問にも思ってみる。

 よく言われる「保存会」のみなさんの集まりがある。

 それも正しい形とも言いがたいのかもしれないが、僕のしているデジタル化とはやっぱりちがう。

 まだDVDもTAPEもレコードもなかった頃、保存といえば、文字にしたり絵を描いたりするよりなかったであろう。

 保存という考えは今とちがっていて、「継ぐ」という形であったろう。

 デジタル化ではなくて、「継ぐ」ということ。

 ギターの弾き方だって、見たんじゃわからない。何でもそうだ。

 「保存会」は、DVDを作る集まりではないだろう。

 それも大事ではあるけれど。

 僕らは、ある意味、みんな「保存会」の一員であるんだ。

 それは、DVDとはまた別の流れ。



「ライブ音源」'08.2/1

 友達や自分のライブ音源をせっせと今、CD-R化している。

 編集から始めて、友達の分までダビングをすると。四五回は、音源を聴くことになる。

 耳にもよく残り、そのライブの良さを実感することが多い。

 しかし、やっぱり時がたってしまうと、それは聴かなくなってしまう。

 自分のライブ音源もまたそうだ。

 ライブ音源の旬はそう長くはない。だから、その間に何かをつかむように耳をこらして聴く。

 ときどきはハイになりながら。

 ある程度の時間がたったライブ音源はなぜか旬を過ぎてしまう。。

 そんなふうなライブ音源を、僕はせっせとCD-R化している。

 しかし、ライブ音源は、なんだか不思議な旅をすることが多い。

 何十年もたってから、何度も聴く人が出てくることもある。

 そしてめぐりめぐる。

 ライブ音源にはきっと、旅の羽根がはえているのだ。

 そう信じている。



「実際はちがうけれど」'08.1/30

 今なら、一日ギターを弾いていられる。

 そして一日、新曲作りもできる。

 実際はちがうのだけどね。。

 いろいろとやることが多くて、そうも出来ていない。

 一日休みがあったとしても、僕は一日ギターを弾くわけでもないし、

 一日、新曲を作るわけでもない。いろいろとやることが多いのだ。

 高校時代には想像もしていなかった、いろいろなこと。

 CD-Rを作ったり、DVDを作ったり、チラシを作ったり、ホームページを更新したり、、。

 部屋を片付けたり、郵便を出しに行ったり、、。

 仕事に行ったり、睡眠不足だったり、電化製品が壊れたり、、。

 ほんとは、一日ギターを弾いていたいな。

 でも今は、そう思えるということだけで充分だ。

 僕の中で、石炭みたいなものが燃えている。




 

「良かった歌」'08.1/28

 ライブを聴いていて「これは」と思う歌がある。

 それはなにげない一曲であっても、名作の匂いがぷんぷんとする。

 イントロから、一行目の始まりの歌詞、そして歌の展開、全体のイメージ、そして歌の終わったときの余韻。

 何がどうなのか、僕にもよくわからないのだけれど、ちょうどいい感じで出来てる歌がある。

 完成されすぎていなくて、何度も聞けて、快感があり、さらっと聞き流しても、確実に伝わるイメージのある歌。

 そんなふうに聴いた歌は、何年かたつと、その人の一番メインで唄われる歌によくなっていることがある。

 友達が以前のライブで唄った歌があり、僕はその歌がとても良いと思った。

 僕だけじゃない、一緒にいた古い歌の友達も、同じように感じていた。

 それは、そのときに唄われた新曲のひとつだった。とても地味な歌。

 あれはまちがいなく、名曲になると思えた。僕も唄いたいくらいだ。

 友達に「あの歌良かったよ」とそのときに伝えたけれど、それ以降一度も唄われていない。

 歌詞ノートの一枚になっているのだろうな。

 しかし、僕は思う。あと何年かたち、また何年かたち、きっとその歌をメインで歌う日が来てるだろうと。

 とっても地味な歌であったけれど。。



「青木さんだけだよ」'08.1/26

 冬の外回りの仕事は寒い。

 僕もそんな仕事をしているが、友達は一日、自転車に乗る役割だ。

 なんと、編んだ帽子をみっつもかぶっていたのだ。一番下は耳あてだが。。

 「えーっ、帽子みっつもかぶっているの?」

 「いやぁ、これがあったかいんですよ。」

 僕は半信半疑であった。

 その日は特に北風が冷たく、帽子を忘れてしまった耳が激寒になってしまった。

 近くで安く帽子を売っていたのを思い出して、僕は向かった。

 デザインがいろいろあり、お気に入りがふたつあったので、僕はふたつ買った。

 ふたつ買ったので、友達の言葉を思い出して、ふたつかぶってみた。

 ・・・これが、たいへんにあたたかい。

 シンプルなことだが、なんだか、とてもあたたかいのだ。

 これはびっくりした。

 次の朝、友達に僕は言った。

 「昨日、帽子二枚重ねたけれど、あたたかかったねー」

 「ねえ、そうでしょ。そんなこと試してくれたの、青木さんだけだよ」

 僕だけなのか・・。

 帽子をふたつかぶるくらい、へいちゃらだけどね。



「飛んで来た球」'08.1/24

 中学の頃は日本のフォークに夢中であった。

 それは、言ってみれば、国内からひゅーんと飛んで来た球のようなものだ。

 僕はその球に熱中した。

 そして高校時代は、ボブ・ディランやウディ・ガスリー、洋楽ロックに夢中であった。

 それは、言ってみれば外国からひゅーんと飛んできた球であった。

 その球はどうにも強く燃えていて、手があついあつい。

 僕はわけのわからないまま何年間も、その球に夢中になり、憧れた。

 そしてなんとか、自分なりに真似をするところから始まった。

 まだ骨が固まっていなかった頃。

 外国からひゅーんと飛んで来た球は、長い時間をかけてやっと落ちついてくれた。

 それが創作に良かったのかどうかはわからないが、

 結局はプラスだったろう。

 その球は、僕を長い間喜ばし、苦しめた。

 しかし、これだけは言えるだろう。

 はるばる外国から飛んで来た球が、届いたこと、

 それは無条件で素晴らしい。



「弾き語りアルバム」'08.1/22

 先日、若い頃によく聞いていた弾き語りのライブアルバムを聴き直した。

 中学・高校の頃は、ほんとよく弾き語りアルバムを聴いた。

 ギターとハーモニカと歌。熱中して聴いた多くの弾き語りアルバム。

 今、思うと、みんなギターがうまかったなぁ。

 そして一曲一曲、豊か弾き方をしていた。

 熟した美味しい果実のように。

 今、弾き語りアルバムというと、何度も聴くには物足りないという感じがあるが、

 以前はそんなことはなかった。

 おかしな話で、今でもライブでは、弾き語りソロはとても多いのに、

 アルバムとなると少ない。

 ちょっと地味だ。

 不思議だが、聴く機会も少なくなる。

 それを何とか越えてみたい。

 まったく新しい気持ちで。



「水入り」
'08.1/20

 僕の辞書には、確実に「水入り」はある。

 そして当たり前のように「水入り」という言葉は使う。

 さて現代、どの位「水入り」の言葉の認知度はあるのだろうか。

 若者はこの言葉を知っているたろうか。

 「えっ、水入り? ミネラルウォーター入りのこと?」

 なーんて、答えられるかもしれない。

 ここまで書いてきて、やっと「水入り」のことを書くと、

 (大相撲で、組んで、がっぷりになってしまい、四分くらい動きがないと、

 その体の間に「水」を入れて、しばらくしてからまた、その状態から始めることだ)

  思い出してみると、僕が中学か高校のとき、「水入りの大一番」を観たことがある。

 それがすごく印象的で、そのまま僕の記憶の中にはしっかりと残っている。

 誰と誰だったかな?

 たった一回の取り組みを観て、それは僕の辞書の言葉になった。

 今の若者はどの位、知っているのかなー? 聞いてみたいなー。

 「水割りじゃないの? 」なーんて、答えたりしてね。

 (P.S..データを見ると、毎年一回は水入りの取り組みはあるみたいです)



「新曲のメロディー」
'08.1/18

 僕の場合、歌の創作はギターのフレーズから始まる。

 正確に言えば、ギターフレーズの指からだ。

 耳は、自分の指が弾くフレーズを聴く。

 (もう、ちょっと、まるくて、ぽんとして、ふわっとしたかんじにならないかなぁ)

 (はいよ )

 指はまた歌のフレーズを作る。

 (そうそう、でも、ちょっと、たりないんだよなぁ・・)

 (はいよ)

 指がまた歌のフレーズで答える。

 創作はいつも指まかせだ。

 指は、いくつでもフレーズを作る。

 でも、毎日、ギターを弾かないと、こうはならない。

 常にぽろぽろやっていることが大切だ。



「30年の進化」
'08.1/16

 国産の生ギターは、国産ギターの音の鳴り方がある。

 そして30年くらい弾いていると、それなりの響きがついてくる。

 でもやっぱり、基本は国産ギターの音の顔をしている。

 (まあ、この場合は、5万円くらいまでのギターのことではあるけれど・・)

 どんどん、ギターの音も良くなっていけばいいのになぁと思うのに、そうはならない。

 でも考えみれば、弾く側は30年も弾いているのだから、良く鳴らすことはできるようになるだろう。

 それは可能だ。

 国産のギターには、国産ギターなりの弾き方、鳴らし方がある。

 それがわかってくると、高いギターにも負けない個性のある響きも出せる。

 そのギターの個性の鳴りの良いところをわかることも大事だ。

 国産ギターの進化は可能なのになぁ。。

 それは、弾く側にかかっている。



「老舗の職人」
'08.1/14

 一年半前にセカンドハンド買ったギルドのギター。

 毎日、弾いているし、ライブでも弾いているのだけれど、まだ一度も弦が切れていない。

 不思議で不思議でしかたがないのだが、そういうこともあるのだな思っている。

 ギターを弾きだした中学時代から僕き弦ばかり切っていた。

 それ以来、何十本とギターを買い、弾いてきたけれど、弦は切れ続けた。

 特に5弦、3弦、1弦。。

 マーチンのギターも切れた、ギブソンのギターも切れた。ヤマハのギターも切れた。

 生ギターの弦は僕にとって、必ず切れるものだとあきらめていた。

 しかし、そんな僕が弾くギルドのギターは、まだ一度も切れていない。

 理由はわからない。弦の切れる理由ならいくらでもあるのに。

 ただ、老舗のギターメーカーでもあるし、造ったのは職人なのだから、

 僕の想像を越える出来事があってもおかしくはないだろう。

 それは弦だけの話ではなく、音にも現れているだろう。

 老舗の職人は、僕らの想像を超えたものを作品に預けている。

 なにげなく、あたりまえのように。



「太陽になった人」
'08.1/12

 冬の朝の総武線の窓から、陽が昇ってゆくのが見える。

 それはまぶしいほどに金色に輝いていて、ちょうど、目の高さにある。

 ドアにもたれながら、じっとその太陽の金色を眺めていると、

 なんだか、そこに多くの人たちが帰っていったように思えた。

 考えてみれば、地球の法則から外れて、太陽だけは明日も巡ってくるのだ。

 (ああ、太陽になりたい・・)。そう思いながら、今日に去っていった人たちは多いだろう。

 そんなみんなはきっと、太陽になったにちがいない。。

 太陽は大きいから、いくらでも受け入れ可能であろう。

 太陽になった人たちはそこに生きているというわけではない。もう太陽そのものなのだ。

 いつも思うのだが、夜ぐっすり眠り、朝にまた目が覚めるなんて、

 太陽パワーと呼応しているのであろう。

 ・・・・・・・・・・

 人はその最期に、なりたいものになれるのではないかと思う。

 役目を終え、もうぐっすり眠りたいと、土に戻ろうと思う人。

 懐かしい人の待っている、空に帰りたいと思う人。

 そして明日にあこがれ、太陽になりたいと思う人。

 僕はそんなふうに思う。

 あの人はきっと太陽になった。


「元旦から」'08.1/10

 ずっと歌のことを考えている。

 いろいろしなくてはいけないこともあるのだが、まだ手をつけてはいない。

 仕事も始まり、疲れてへとへとではあるが、ずっと歌のことを考えている。

 おかげで得ることが多く、大漁の日々である。

 次のライブから、また僕の歌が少し変わるだろう。

 これもみんな普通以上に集中し、歌を聴いたおかげだ。

 そのテイクを最高と思い、最高と思う気持ちで、そのテイクを聞く。

 これが大事なのだ。その集中に、歌が見えてくる。

 元旦からだとしても、200時間は、歌の中にいたことになる。

 毎日、大漁にいろんな事を感じている。

 中学時代、高校時代もそうだったなぁ。

 あれやこれやと、いろいろとしなくてはいけないこともある。

 しかしここで、旅を外れては意味がないのだ。 

 そろそろ戻ってきます。 



「帽子」'08.1/8

 冬になった。

 原始の人も帽子をかぶっていただろうか。

 きっとかぶっていたのだろう。

 それにしてもなぜあったかいのかな。脳に近いからかな。

 先日、遠出したときに、僕は帽子をどこかに置き忘れてしまった。

 とてもあったかくて気に入っていた帽子だったが、電車の時間がなくてあきらめた。

 しかし他人の帽子なんて、誰も持っていったりはしない。

 必ず通る受付のところに、帽子はちょこんと置かれていた。

 「あっ、その帽子、僕のです」

 受付の人も、何も疑うことなく僕の帽子を渡してくれた。

 そして僕の頭に帽子は無事戻って来た。

 よく道に帽子がわかるように置かれていたりするが、

 帽子はほとんどの場合、見つかるのではないかな。

 実際、僕のいままでの経験でもそうだった。

 「あっ、帽子が落ちてる・・」

 探しているのは持ち主もそうだが、帽子もそうなのだ。



「ミスター・ボージャングル三昧」'08.1/5

 世界中で、いろんな人が「ミスター・ボージャグルス」を歌っている。

 オリジナルは、ジェリー・ジェフ・ウォーカーで、実話をもとにして作られているという。

 バンドでダイナミックに演奏されたニッティ・グリッティ・ダートバンドでヒットしたテイクもある。

 そして、サミー・デイビズ・JRの、軽やかにそして思い入れたっぷりに歌いあげているテイクもある。

 僕が最初に知ったのは、ボブ・ディランのテイクからだった。

 いろいろと聞いてきて、やっぱり一番、地味に語り歌っているのは、

 作者本人のジェリー・ジェフ・ウォーカーのテイクのようだ。

 エレキで歌う映像は見たことはあったが、先日、生ギターで歌う演奏を見た。

 ギターで、デビッドブロムバーグが参加している映像。

 このテイクを聞いていると、まるでちがう歌のように聞こえてしまう。

 しかし、実にこのメロディーラインにぴったりだ。

 ミスター・ボージャングルスは、歌の構成がとても魅力的。

 語り出しは今であり、そして出来事のあった場面に移ってゆく。

 僕もこの歌っていると、ついついボージャグルスと出会った場面に感情が流れてしまう。

 まるでそれがこの歌のメインであるかのように。。大作映画のシーンのように。。

 オリジナルのジェリー・ジェフ・ウォーカーのテイクを聞いていると、

 小さな木の船のような響きがある。

 その船に乗り、歌とボージャングルが来るようだ。

   P.S・・・歌を再現ドラマにした、こんな映像もありました。



「キロタメカード」'08.1/3

 よく「マイルがたまる」という言葉をきく。

 マイルがたまると、そのマイル分の飛行代が無料になるということだろう。

 それと同じことを、JRで「キロがたまる」という事をやって欲しい。

 買い物したり、定期を買ったり、いろんな事でキロがたまる。

 カード形式になると思うけれど、、。お店によっては店頭に「キロたまります」と看板付けてもいい。

 「キロタメカード」を作って、買い物をしたらどんどんたまるようにならないかな。

 そのキロタメポイントは、JR系列のホテルや旅館で使えるといいな。

 半年に一度くらいは、遠出の旅が出来ると嬉しい。それは、半年働いたご褒美みたいな感覚で。

 家族で使えてもいいな。帰省の頃は使えないということにしてもいい。

 「キロタメカード」をいやがる人はまずいないだろう。

 日本中の人が賛成するにちがいない。


「年越し」'08.1/1

 大晦日は、夜9時に眠ってしまった。

 朝に起きて、最初に布団の横にあったギターを弾いた。

 年越し。1/1になって夢からさめても、ギターがあるという夢。

 僕には、メインギターが三本ある。

 ギルドF-47は、'72年製、36才。

 ギブソン B-25は、'64年製、44才。

 ヤマハF-180は、'69年製、39才。

 どれもまだ現役だ。ネックも大丈夫。

 ギターメーカーは、こんなにも長く弾けるギターを作る予定でいたのだろうか。

 それは想像を越えたところにあるのであろう。

 しかし現役。

 すでに夢の領域に入っているのだ。

 不思議なことだが、その事を僕は忘れたことがない。

 弾くたびに、ギター年齢のことを感じている。



「洗濯ハンガー物語」'07.12/30

 下宿という言葉は、もうほとんど使われなくなった。

 〜アパート。〜荘。それはまだ生きている。

 僕自身も木造アパート暮らしが、今年で28年となった。

 その暮らしとともにあったのが、角形洗濯ハンガーだ。

 あのカチャカチャと洗濯ばさみが重なり鳴る音。

 窓の外に干すと斜めになるあのバランス感。

 一人暮らしのアパートのどの窓にもある、あの角形ハンガー。

 僕が東京に出てきた頃は、金物製の角形ハンガーが主流だった。

 それは、干すものが多すぎると、斜めに曲がってしまった。

 今はプラスチック製が主流だ。

 プラスチック製は、4年5年もすると、なぜかボロボロになってきてしまう。

 洗濯ばさみが折れたり、とれたり。。

 そのうち、洗濯ばさみの数が少なくなってきてしまう。

 それでも、なかなか洗濯ハンガーはすてられない。

 まだ使えるじやないかという気持ちからだ。

 6つ、8つになっても使ってしまう。

 どうどうと、窓からつるして。



「一年小説」
'07.12/28

 今年はいろいろあった。

 昨日もアルバイト先の仕事納めだったが、そのなにげない挨拶が出来るのは、想像も出来なかったことだった。

 一年はまるで小説みたいだったなぁと思う。

 そして、今、読めているのは、そのページのみという感じかな。

 僕はまるで、一年小説の中を進んでゆく文字みたいなものか。

 日記を書くということは、よくあるけれど、毎日小説を書くということはあまりない。

 でも、それもいいかもしれないなと思う。

 ストーリーがあるようで、ストーリーのない小説。

 壮大な、タイトルとか付けてもいいな。

 「翔ぶが如く・1」 みたいな。

 出世する社長さんたちは、そんな一年小説を書いているのかもしれない。

 実際、書くかどうかは別にして、日々、自分が文字を書いていることはちがいないようだ。



「You Tube治療」'07.12/26

 僕は体調不良になったとき、体の声をきくようにしている。

 ・・・・・・

 先週のことであるが、突然胃が不調になってしまった。普段のバランスが崩れたのであろう。

 ふつう怪我ならば、怪我をしたところを大事にして、第一に想うということが大切であろう。

 さて、胃の場合もそうであろうか。胃のことを考えると逆によくない気がするのだ。

 僕はなるべく、胃のことを忘れることにした。それがストレスにならないように。

 さて、どうやったら、いいのだろう。

 インターネットの動画サイトに「You Tube」というサイトがあり、見たいジャンルの映像がほぼ見ることが出来る。

 僕がすっかり忘れている、いつか映像なども。。検索すると何でも探すこともできる。

 テレビではそうはいかないし、持っているビデオは、みな観たことのあるものだ。

 You Tubeならば、一日見ていても大丈夫だ。

 音楽だけではなくて、テレビドラマからお笑いまでなんでもある。

 僕は心に浮かぶまま、動画を見続けた。

 なるべく胃のことからは、遠くはなれて。。

 ・・・・・・

 もし全国民がインターネットを使えるならば、おじいさんもおばあさんも、You Tubeが見られるといいのになと思う。

 それぞれに好きな映像を巡ることが出来るだろう。(多少、著作権の問題はあるかもしれないが・・)

 それを抜きにしても、体調や気持ちをプラスの方向に持ってゆくのは本当じゃないかと思う。

 とくにストレスがかかわってくるものに関しては、効果がかなりあるのではないか。

 安静が一番なことはまちがいないが、、好きなことを没頭する時間も必要だろう。



「チューニングに想う」'07.12/24

 ギターのチューニングを、慎重にちゃんとやってみた。

 特に6弦。

 6弦の合わせ方は、いろいろあるのだけれど、開放と、12フレットのハーモニックス、そして12フレットを押さえたときの中間をとってみた。

 すると、どうだろう。まるでボディの響きがちがって聞こえるのだ。

 いままでだって、合っていなかったわけではないのに。

 開放の音より、コードを押さえたときの音を優先で合わせてきていた。

 しかし、そうでもないんだな。

 共鳴感がこれだけちがって感じられるのには、驚いた。

 いつも弾いている音の二倍くらいの響きのちがいを感じる。

 うそじゃないよ。

 どんなギターも6弦のチューニング次第で、すごく響きが変わるんじゃないかと思う。

 ギターを貸してもらって、ぴったりと、6弦の音の響くところを見つけるのは大変だ。

 何かいい方法があると思う。それは、これから探して行こう。

 これは「6弦治療」と呼ぶのにふさわしいかもしれない。

 ギターだけではなくて、いろんな事にそれはあるんじゃないかな。

 まだ言葉にはできないが。。



「故郷」
'07.12/22

 年末といえば、帰郷の季節かもしれない。

 故郷に帰るというけれど、さて、僕にとっての故郷の響きってどんなだろうと思う。

 海沿いの町だったので、やっぱり、波のざぶーんという音かなぁ。

 学校の帰り道にいつも寄った、小さな本屋さんの、サッシ戸を開けるときの音とか。

 ほぼそんな所かな。

 今、先日の自分のライブ映像を観ているが、実に生ギターの響きがいい。

 ビデオカメラの音は、カメラ自身のマイクで録っているので、ライン録りの音ではない。

 こうして聞いていると、その生ギターの良い響きは、

 僕には、ギターのサウンドホールの中、7・8センチくらいの所か響いてくるように感じる。

 その響きはまるで、僕の故郷のような響きがある。

 実家にいた頃、僕は中・高生時代、ずっと生ギターの響きを聞き、弾いて来た。

 だから僕にとっては故郷なんだろうなぁ。僕の生まれた場所(ところ)?

 僕を惹き付けた生ギターの良い響きは、サウンドホールの内側、7・8センチの所にある響き。

 たぶん、その音を僕は伝えたいのだ。そしてビデオにはその音が響いている。

 生ギターの音をラインで拾う事が、ライブでは今、主流ではある。

 でも僕はやっぱりマイク録りの音にこだわっている。

 とてもとても懐かしい響きがそこにはあるからだ。

 それはサウンドホールの内側、7・8センチにある。



「冬のロボット小学生」'07.12/20

 新潟・柏崎の実家にいた頃は、冬のそれなりに雪が降った。

 中学・高校の頃は格好にちょっとは気にしたが、小学校の頃はあたたかさ優先であった。

 すぐ体も大きくなるので、アノラックも大きめだ。

 セーターは着ていた。マフラーをしていたかは記憶はないが、、

 とにかく着ぶくれして、ロボットみたいにしか歩けなかったのだ。

 後ろを振り向くにも、信号を見るにも、ひと苦労だ。

 そんなふうにして、20分の通学路を行った。

 今でも、そんな冬のロボット小学生は多いだろう。

 東京の電車にはあまり見かけないが。



「氷の世界」'07.12/18

 新潟の実家にいた頃。

 冬になると、氷の世界になった。まあ、北海道ほどではないが。。

 校舎の屋根には、大きなつららが出来たいた。

 家々の屋根には、30センチほどのつららが出来ていた。

 通り道のトタンには、10センチくらいのつららが出来ていた。

 バケツには、氷が張っていた。

 僕は着込んだ上にアノラックを顔まですっぽりかぶり、顔の中心だけを出していた。

 ビニール製の手袋、ロボットみたいな長靴。

 今も実家の冬はそんな冬が続いているのであろう。

 東京ではつららには、なかなか会えない。

 つららは不思議だ。朝には生まれて、昼には溶けてゆく。

 おおきなクリオネみたいだ。



「奇跡のハッポウスチロール」
'07.12/16

 冬になると、ハッポウスチロールの不思議さを実感する。

 どんなに寒い日であっても、ほぼそのあたたかさが変わらないからだ。

 たぶん100パーセント風は通さないだろうし。

 猫たちがぐっすりとハッポスチロールの箱の中で眠っているのをよく見る。

 あれ、きっと、すごくあたたかいのじゃないかな。

 まったく外気の影響を受けていない様子だ。

 そんなハッポウスチロール。

 その中に入れば、自分の体温もまた逃がさないであろう。

 僕は思う、ハッポウスチロールのが寝袋のようになっていて、

 口だけ外気に出していたら、どんな寒い場所にいても大丈夫じゃないかって。

 冬、全国の犬小屋で過ごす犬君たちに、ハッポウスチロールの箱のをあげたいな。

 奇跡のハッポウスチロール。

  ハッポウスチロールのかまくらはあたたかいのではないか。

 天才ハッポウスチロール・奇跡のハッポウスチロール。

 冬の夜、ハッポウスチロール布団ってないものか。



「響き」'07.12/14

 聞いて楽しむ歌もあれば、自分で歌いたい歌もある。

 自分で歌いたい歌は、どんなことをしても自分で歌いたい。

 それは一度聞いてみれば、すぐにわかる。

 自分に歌えそうかどうかは。

 外国の聞いて良い歌の場合、なんとか自分で訳することで、歌える歌に直すことはできる。

 自然に作って、自然に歌いつがれてゆく歌ももちろんある。

 そして、歌を作る最初の段階で、歌いつぐことを、意識に入れて作られる場合もある。

 そこには「願い」というものが、歌の響きの中に感じられる。

 歌いつぐということは、何度も何度も歌うということなので、シンプルすぎてもあきてしまう。

 何かしら、あきない構成の努力も、ある程度必要だ。

 それも歌の「願い」の響きになっている。

 歌が自分の手元を離れてゆくことに、何の迷いもない。

 知らない遠くのみんなが、自由に歌うことに迷いがない。

 僕もそんな歌を作っているつもりでいるつもりなのだが、

 まだほとんど誰にも歌われていない。

 ただ「響き」だけは聞こえる。



「カタカナ文化」
'07.12/12

 小さい頃、カタカナになっているものは外来語だと理解した。

 外国からやって来た言葉たちはカタカナ。なんてわかりやすいだろうと。

 1980年代までは、音楽アルバムや楽曲には「邦題」が付けられることも多かった。

 しかし今はほとんど、カタカナのままのタイトルになっている。

 もう僕らは、日本名を付けることを忘れてしまったのかな。

 タイトルだけではない。最近はみーんなカタカナだ。

 インターネット、プリンター、スキャナー、シーデーアール、デーブイデー、タミフル、ジェイアール、

 ビテオデッキ、デジタルレコーダー、ウォークマン、アイポッド、プレーステーション、ブルーレイ、etc、、。

 この中には、日本生まれのものも多いだろうに、最初からカタカナ表記だ。

 もう僕らは、日本語にすることを忘れてしまっているのかな。

 日本名を付けることを忘れてしまったのかな。

 せめて日本生まれのものには、日本名を付けて欲しいな。

 日本から来たものなのだからさ。

 カタカナ文化になる前に遺産は、僕らの宝になっている。

 自転車・自動車・炊飯器・洗濯機・冷蔵庫・電車・飛行機・入場券・etc、、。



「時間のしくみ」'07.12/10

 ギターを弾き始めた'73年頃、僕は'69年から'72年頃のフォークを聴いていた。中学2年の頃ね。

 そのころは、フォークヒットもけっこうあったので、昨年、一昨年の歌を好んで聴いていたということになる。

 まるで、古い歌を聴いているような感じで。

 現代で言うなら、昨年、一昨年の歌謡ヒット曲に夢中になっているようなものか。

 まだ僕の感覚が、歌謡曲感覚だったのかもしれない。

 フォークヒットのアルバムだって、もう古く感じられていた。ほんの二三年なんだけれどね。

 先日、僕がライブで歌ったうたは、作ってからもう15年もたっている歌であった。

 しかしそれでも新鮮に歌うことができた。

 これは年齢によるものなのか。それとも、この15年は時がほとんど動いていないのか。

 確かに中1から中3年にかけては、一年一年が大きかった。

 今、中1のみんなが、二年くらい前の歌を聞いていたら、あの頃の僕と同じ感覚になっているのかな。

 そんな気がする。

 ここまで書いてきたけれど、'69年から'73年のフォークの流れに関しては、一年一年が大きかった。

 二年前三年前のフォークヒットは、古いという感じが大人でもあったのではないか。

 ブームとはそういうことなのかな。不思議なことだけれど。



「巌流島異論」'07.12/8

 宮本武蔵と佐々木小次郎が刀を交えたという巌流島。

 いつか長時間ドラマを見たことがあるが、決闘の前日、佐々木小次郎は、お酒を飲んだりしていたのだ。

 そして一方の宮本武蔵は、いろいろと思案をしていた。

 わざと時間に遅れたという武蔵、「遅いぞ武蔵!!」と小次郎。「小次郎破れたりー!!」とかけてゆく、武蔵。

 そして武蔵が勝ってしまう。まあ、巌流島の決闘の流れはこんな感じだ。

 このケースの場合は、武蔵が勝ってしまうのだが、僕の意見では、小次郎が勝つという方向もあったと思う。

 ・・・・・・

 歌のライブの場合、少し練習不足だったりする方が、意外と良いライブになったりすることが多い。

 最初は、それは不思議だったのだけれど、だんだんと理由がわかってきた気がする。

 それは練習不足な分、ライブに集中するし、なんとかしようとするパワーが、自分から出てくるんだよね。

 それが逆にたっぷりと練習したりすると、歌と演奏に「慣れ」が出てきて、新鮮さ、そして伝わり感がへったりするんだと思う。

 学校の先生はそんなぜったいに教えなかったけれど。。

 歌作りだって、歌詞の出来てない部分が、あたふたとした本番のリハのときに、良いフレーズが出てきたりする。

 さて、その良いフレーズはたっぷりと時間をかけても出てきたかどうかはわからない。

 ・・・・・・

 巌流島の武蔵と小次郎の話。その話の流れは、がんばった武蔵の作戦勝ちになってしまっている。

 小次郎は、勉強不足だったような話になっている。学校の先生も、とても教えやすい内容だ。

 でも、僕は思うんだな。「気迫」と「直カン」と「アイデア」は、多少練習不足であった方が鋭くなるだろうと。

 10万の兵に対する6万の兵の方が二倍以上のパワーがあるような気がする。

 巌流島異論。。小次郎が勝っていた可能性も高い。



「街DVD」'07.12/6

 ちょっと歩かないと、近頃は街に新しい店がどんどんできてしまう。

 そしてその前の店が思い出せなくなってしまう。

 1年前、5年前、10年前、20年前、30年前。。

 街を映したDVDがあったらなぁと思う。

 ただ、街並みを撮ってゆくだけでもいい。ちよっとゆっくりめに歩いて。

 今年なら今年の商店街を。

 僕が高円寺に初めて来た1982年の「街DVD」が欲しいな。

 ああ、こんな店あったなぁと見てみたい。

 そんなDVD、誰が買うのかなと思うけれど、意外と売れるかもしれない。

 1000円くらいで。街興しにひと役?

 まあ、自分で撮ってもいいんだけどね。



「一枚のCDビスケット」'07.12/3

 ちょっと考え方を変えてみて、ライブアルバムは時間なんじゃないかなと思ってみた。

 ひとつの映画がひとつの時間であるようにね。

 たとえ音がちがっていたとしても、それは一瞬あとには、実はもう空気の中から見つけることはできないだろう。

 ライブCDが、もし一枚のビスケットだったのなら、それは一枚の時間であろう。

 先日、小さなお店のライブで歌った。その日は、なんだか、美味しい一枚のビスケットが作れたような気がした。

 歌だけではなく、お店の大きさや会話のつながり、そして笑い声まで、、。

 僕はそれを残そうと思った。そしてアルバムを作った。

 なかなかひとつのライブがビスケットになることはむずかしい。

 大きなライブハウスやホールでは、かなり大変かもしれない。

 「全7曲入り」なのだが、ひとつの時間のアルバムと思いたい。

 「37分入り」という表記がいいのかな。中身はビスケット。



「フルハイビジョン」
'07.12/1

 最近の、薄型テレビの売り文句は「ハイビジョン」そして「フルハイビジョン」ばかりだ。

 「こんなにきれいー」とか驚くけれど、まあ、よく考えみれば、

 僕らはいつもフルハイビジョン以上の画面で、世の中を見ているわけだ。

 普通に、ほんと普通に。

 とくにテレビを見て驚くということでもないと思うが・・。

 とある人が、こんなことを言っていた。

 「記録とは、その出来事を思い出すためのもの」と。

 写真や映像文化のなかった頃は、文とイラストで、その事を伝えた。

 その文を読んだみんなは自分なりのフルハイビジョン以上の映像を想像して、想い描いたことであろう。

 画質というものはきっと存在しなかったのではないかな。

 文章の方がよりリアルな場合もあるだろう。

 言うなればフルハイビジョン文章かな。

 そして、この時代、写真って不思議だ。

 手帖ほどの大きさでその役割を果たしている。

 そのバランスが、どうか崩れませんように。


「レコーディング、僕の場合」'07.11/29

 久し振りに「レコーディング」というものに参加した。

 スタジオでの一発録り。と、言っても何回か録るのだけれど。

 僕自身で言えば、一番最初のテイクとラストテイクが良く録音できた。

 もうアルバム三枚ほどレコーディングした事があるので、レコーディングの特徴が思い出された。

 大事なことは、力みすぎないということかな。やっぱり良いテイクは、自然さがある。

 今回も、「とりあえず一回録音しようか・・」というものと「じゃあ、ラストにもう一回だけ・・」と、録ったものが、僕自身はとても良かった。

 僕の場合はいつもそうだなぁと思う。以前のレコーディングでも、「時間が余ったから、次の曲録ってみよっか・・」というテイクに良いものがあった。

 理由は良くわかる。力が抜けていて自然なんだよね。

 またある友達の場合は、一発目の録音が一番良い人もいる。

 ライブ録音はたいがい力が入ってしまう。僕の場合はそうだ。

 「さあ、録音してますよ。ちゃんと歌ってください」という設定は、どうもまじめな音になってしまう。

 人によってはOKテイクなのかもしれないが、リラックス感が足りない。

 プロの人たちは、ちゃんと歌えるのだろうなぁ。「お願いしまーす」と声がかかり、しっかりと歌えるのだろうなぁ。

 どうなんだろう。僕の場合はリラックステイクの中に、OKテイクがいつもある。



「ゲゲゲの鬼太郎ラーメン」'07.11/27

 ゲゲゲの鬼太郎ラーメンというものが目に入った。

 (いった何が鬼太郎ラーメンなんだろうなぁ。なるとが目玉のおやじなのかなー。。)

 とか思いながら、ひとつ買ってみた。

 家に帰って食べてみると、ほんと普通の味噌ラーメンで、まあ辛さが自分で調節できるというところが特徴らしい。

 「子泣き爺、特製・辛味パウダー」付き。でもそれがさて、どれほど鬼太郎と関係があるのか。。

 食べてみても、普通にちょい辛の味噌ラーメンであり、カップのふたに鬼太郎たちのイラストが付いているとのが第一の楽しみなのかな。

 40歳代にもなって、今さら鬼太郎ラーメンでもないなと思って、食べながら少しさびしくなってしまった。

 ふたにだけついている鬼太郎のイラスト。。

 しかし、よく思い出してみると、アイスキャンデーにしても、ガムにしても、他のお菓子にしても、包装にそのキャラクターがついていた。

 たしかにガムの味とは、キャラクターはほとんど無関係であった。

 それでも僕らは充分に楽しめた。そしてすごく喜んだ。

 食べ物だけではない。自転車や、靴、カバン、他もろもろ。

 その流れの続きに「ゲゲゲの鬼太郎ラーメン」はあるのであろう。

 小さい頃、それに不思議さなど考えもしなかった。そのことで、より美味しさが増していた。

 当たり前のことかもしれないが、もう今の僕には魔法がとけていたのだ。



「二時間の街歩き」
'07.11/25

 先日、新宿にて2時間の時間つぶしをした。

 いろんなものを見ようとうきうきとして、僕は早めに出かけた。

 大型電器店にて小さな買い物。そして薄型テレビ売り場にむて20分ほど見て回った。

 そのあと、来年の手帖を探して紀伊国屋書店へ。そのついでにまた大型家電により、小さな買い物をひとつ。

 本日発売の有機ELテレビに目をみはって驚く。そのあと、PEPEの書店に行こうと行ったが、もう書店がないことが判明。

 また戻ってくるときにドンキホーテにて、安い家電をまたいろいろ見て回った。

 そのあと大きな書店「ジュンク堂」にて、美術書を30分ほど見ていた。

 ここで2時間。午後5時半から7時半まで。

 僕は仕事で一日歩いているので、2時間歩くなんて、たいしたことはないのであるが、とても歩き疲れた。

 そしてなんて長い2時間だったのだろうと思う。

 いつもなら部屋で、テレビを見たり、インターネットをやっていて、あっというまに2時間なんてたってしまう。

 買い物だってインターネットでよく注文している。

 そういえば、こうやって仕事帰りに街に寄ってあちこち見てまわるのは、かつて当たり前だった。

 なんてリアルでいい経験なんだろう。しかし、今、僕はそこから遠い。

 ジュンク堂書店にて、本を一冊、レジに列んで買った。

 五千円出して、お釣りをもらい財布に入れた。

 「お客さん、すいませーん」

 僕は買った本を受け取るのを忘れてしまった。

 忘れてしまった。


「時代は変る」'07.11/23

 '81年頃から'83年くらいまで、ダウンジャケットがとても流行った。

 その頃の流行は、ぷっくぷっくなダウンジャケット。本物の羽毛が入っているものが多く、3万くらいしているものも多かった。

 あれから25年、 ダウンジャケットは、一度は見かけなくなったが、また徐々に復活してきた。

 もしかして、今の若者は、25年前のダウンジャケットブームのことは知らないのかもしれない。

 ・・・・・・

 それは、やっぱり25年ほど前の話。友達と一緒に冬に東京の郊外に遊びにいったときのことだ。

 僕はその頃、ダウンジャケットは着ていなくて、普通のコートで過ごしていた。

 一緒にいたふたりの友達はダウンジャケットであった。

 冷たく風も吹いていて、とても寒い。「うー、さむいねー」と話していた。

 見れば、二人とも、ダウンジャケットの前のチャックをしめていないのだ。

 新潟から上京して来た僕には、それは信じられないこと。アノラックはきちっと、チャックをしめてあたたかいものだ。

 「寒いなら、なんで、前のチャックをしめないの?」と、きいてみた。

 「だって、、かっこわるいんだもん」と、友達。

 よく見れば、他の歩いているみんなも、ダウンジャケットは前はしめていない。

 25年前のダウンジャケットブームの頃、都心のみんなは、前のチャックはしめなかったのだ。(のはず)

 それは、かっこわるいと理由で。。(と思われる)

 今、それが事実であったかということを証明することは、記憶の中にしかないのであるが。。

 ・・・・・・

 さて、、、この2007年、また寒くなって、僕はふと、その頃の事を思い出して町なかを見回してみる。

 ダウンジャケットを着ているみんなは、当たり前のように前のチャックをしめている。

 時代は変わったのだ。

 ダウンジャケットはファッションでなくなったのかな。めぐりめぐって今。。

 僕はもちろんダウンジャケットの前チャックをしめている。

 それも首の上まで。



「偉業」
'07.11/21

 今、CD-Rに直したい音源が1000ほどある。それ以上かもしれない。

 DVDにしておきたい映像も、それくらいある。

 音源の方は、まあ、なんとかなるかもしれないが、映像の方はかなり大変だ。

 チェックをそれぞれ二回はしなくていけない。想像を超える時間がかかる。

 エラーやノイズを気にしなければ、普通にできるのだが。。

 ちゃんと残そうとすると、それはもう偉業というしかない。

 計画では、もえずいぶん進んでいる予定なのだが、、今年に入ってからは止まったままだ。

 来年からは、また始めようと思う。

 結局、それは誰かがしなくてはいけないことだと思うのだが、さて、誰がそんなことをするだろう。

 機材もすべて揃えた。あとは作業にかかるだけだ。

 偉業に向けて。



「冬」'07.11/19

 11月も中旬を過ぎて、急に寒くなった。

 と、言っても、まだ部屋の温度は12度ある。

 ストーブはつけていないので、あたたかい格好をしているが、真冬のような気分である。

 ぜったいにそんなことはないのに。

 東京は一番寒いときで、部屋の中は2度くらいなので、10度はあたたかいはずなのだ。

 いつも限界ぎりぎりまでストーブはつけないのだが、今年は近々につける事になりそうだ。

 僕は新潟の生まれなので、冬のことは体がよく知っているつもりだ。

 しかし今年は、その記憶がよみがえらない。

 夏が長かったせいで、体が寒さにびっくりしているのかな。

 ほんとはまだ冬の生活に入るのには早いのだけどね。

 体の信号に素直に従い、冬ごもりをしようと思う。



「記憶」'07.11/17

 高校生の頃、テレビアニメ「キャンディ・キャンディ」を毎週必ず観ていた。

 しかし今、そのストーリーをひとつも思い出せない。

 中学の頃からテレビ刑事ドラマ「太陽にほえろ」もよく観ていたが、

 今、その事件のストーリーはひとつも思い出せない。なぜだろうと思うけれど、記憶とはそういうものであろう。

 それにくらべ、唄の事はよく憶えている。

 自分も唄もそうであるが、内容を忘れることははまずない。

 こんな内容だったっけ? などと思うこともない。しっかりと記憶の中にある。

 友人の唄もそうだ。

 携帯デジタルプレーヤーの中に友人の唄も入っているのだけれど、ある程度聞くと、しっかり耳に残っていて、

 テレビのアニメやドラマのように、その唄を忘れてしまうということはないだろう。

 10年たっても、15年たっても20年たっても、ほぼ忘れない。

 しっかりと記憶にとどまるのだ。

 僕は映画のストーリーも今や忘れてしまっている。

 なぜ、唄のことは忘れないのだろう。これは不思議だ。

 たぶん何回も聞くからだとは思う。きっとただそれだけの理由だ。

 でも、それが素晴らしい。




「スヌーズ機能」
'07.11/15

 目覚まし時計には、スヌーズ機能というのが付いている。

 ピピピピという電子音が、小さな音から始まりだんだんと大きくなるのだ。

 そして、ボタンを押すと一度止まり、また5分後に小さな音から鳴り出す機能だ。

 どちらも、とても起きるのにはやさしい機能だ。

 僕はかなりそれで救われている。

 月末には、いつも5日ほど仕事が休みになるが、その休み明けに鳴る目覚ましはまるで、地獄のサインのようにも思える。

 異国の音のように鳴っている。

  (ああ、スヌーズ機能があって良かったな・・)と、心から思う。

 なんてやさしいんだろう。

 その昔、目覚ましといえば鳴り響くベル音だった。すぐさまに止め、しばらくウトウトとしながら、自主的に起きていた。

 古い目覚ましは今もそうであろう。もしかしたら、世界中の目覚ましで、スヌーズ機能が一般的なのは日本だけかもしれない。

 多くの国では今もジリリリと鳴っているだろう。

 スヌーズ機能の目覚ましは、やさしい目覚ましだ。

 ジリリリリとなる目覚ましは、きびしい目覚ましだ。

 慣れれば一緒かもしれないが。



「最初のテープレコーダー」
'07.11/13

 先日、中学時代によく聞いていて唄を聞いた。

 中学時代のいろんな事が思い浮かんだのも確かだが、

 それと同時に、当時使っていた最初のテープレコーダーの感覚がよみがえった。

 僕が最初に買ってもらったのは、SONY製の縦型のラジオの付いていないタイプだった。色は黒。

 プレイスイッチを押すと斜めに下がるタイプで、とてもなめらかだった。

 カセットのイジェクトボタンもそこに付いていた。それを押してカセットテープが出る感じ、

 そしてカセットテープをひっくり返す感覚。

 録音するには、プレイボタンと録音ボタンを同時に押すのだけれど、少しだけ力が必要だった。

 失敗しないように、慎重に押していたあの感じ。

 小さなVUメーターが付いていて、そこでレベルを合わせていたこと。。

 当時はオートリバースタイプではないので、片面が終わると、すくにカセットをひっくり返した。

 その手慣れた感じ。すべてがよみがえった。

 高校三年になるまで、そのテープレコーダーはがんばった。

 最初のカセットテープレコーダーはみんな、指がよく憶えているのでないかな。

 何十年たっても、微妙なところまで。。



「町内の」'07.11/11

 アパートでギターを弾いていると、つい不思議な気持ちになる。

 時代遅れなのかなと、、。

 アパートには、25人くらい住んでいるはずだけれど、みんなはどう思っているのかなぁ。

 ギターが好きなんだろうなぁと思っているのかな。

 夜10時過ぎ、今、この町内でギターを弾いているのは、僕だけかなと思う。

 町内で、たった一人がギターを弾いているというのも味があっていいな。

 そうなんだよ。いろんな事を家族やアパート単位で考えるよりも、町内単位で考える方がいいのかもしれない。

 区内とか市内とか都内で考えるのは、区域が広すぎる。

 僕は町内のギター弾きでいいのかもしれないな。

 町内のピアノ弾き、町内の大工さん、町内の写真家、町内の虫博士、etc、、。

 今は2007年ではあるけれど、100年前のこの町内にもギター弾きがいたと思う。

 ピアノの弾きもいただろう。

 今は、ライブハウスでライブをやっているけれど、その昔は町内で発表会をしてたであろう。

 夜10時、この町内でギターが鳴っている。それでいいんじゃないか。



「保存あれこれ」
'07.11/9

 今、いろいろ音源や映像を保存している。

 カセットテープはいろいろ問題もあったけれど、録音が簡単でいい。

 一度録音されたものは、カビに気を付ければ、何十年でも持つみたいだ。

 まだ、35年くらいの実験期間しかないが、僕が中学時代に録音したものもそのままだ。

 レコードは、レコードでいい面は多いのだけれど、それを保存するとなると、やっかいだろうなぁと思う。

 針飛びとか、ノイズとかあるからねぇ。相当な時間がかかるだろう。針飛びを気にしないなら別ではあるが。。

 ただレコード盤の方は、ほぼ劣化しないようだ。

 VHSのビデオ。これは偉い。さすがにレンタルされるだけある。ほぼ同じ状態で保存される。

 ただまだ25年くらいの実験期間しかないが。。

 一番の問題が8mmビデオカセット。。これが、、問題中の問題だ。小さくていいメディアなんだけどなぁ。

 ちゃんと残そうとするとつききっきりで映像チェックしないとだめだ。

 たぶん日本中の8mmビデオカセット保存者は苦労しているだろう。

 製作者でもあるSONYは、もう製造はしませんとか言わないで、保存に関してもいろいろなアイデアを出して欲しかったな。

 ミニDV・・デジタルのビデオカセット。これは、長持ちしそうだな。まだ15年とかしか実験期間はないけれど。。

 そしてDVD・・これは、どうなんだろう。。盤自身は持つのだろうけれど、圧縮されているからなぁ。でもきれいだけどね。

 MDも長持ちであろう。CDも素晴らしい。裏のプラスチックは、さてどの位持つのかな。

 いろいろ書いてきたけれど、カセットテープは意外と保存には素晴らしい面を持っていた。

 8mmビデオテープを編集保存しているとホントにそう思う。



「江戸の時間」
'07.11/7

 11月になって、ほんと日暮れが早くなった。

 外仕事をしているので、普通にやっていたら終了が間に合わなくなることも多い。

 何度も何度も時計を見る毎日だ。

 江戸時代は、夜明けと日暮れに一日を分けていた。冬の日中はひとつの刻が短くなり、夜は逆に長くなるのだ。

 昼と夜を12刻に分けた考え。

 それがどんなふうな感覚なのか、ちょっと想像がつかない。

 時という観念が今とちがうのはあきらかだ。同じことをするのに、冬は早めにするということで調整できたのかな。

 今はすっかり正確な時計通りに生活を送っているが、江戸の時間であれば、体はそれなりに慣れていったであろう。

 人里離れた田舎に住んでいたら、それは今も可能かもね。

 そして江戸までの長い間、日本人はそうやって暮らして来たのではないかな。

 人以外の動物はきっと今もそう暮らしているのかな。

 動物園の食事もその方が良いのかもね。

 こっそり、そんなふうに暮らしてみようかな。



「ふわふわとしたうた」'07.11/5

 中学製の頃から唄を作ってきた。

 その頃は、いわゆるメッセージソングと呼ばれる唄がほとんどで、

 しっかりと唄の内容をわかりやすく伝えてることを目指していた。

 あれから35年も唄を作ってきて、近頃は、聞く人がそれぞれ唄を感じられればいいなぁと思っている。

 歌う側もいろんな意味を感じて、聞く側も聞くたびにちがうテーマを感じられる唄。

 そんな唄がいいなぁ。

 何度も歌えるし、何度聞いても新鮮だし。

 かといって、あいまいな内容にはなっていない唄。

 そんな唄をもっともっと作りたい。



「時期なので」
'07.11/3

 もう前のことだけれど、古本市にでかけたとき、

 新聞の連載小説を切り抜いて、一冊にまとめた手作りの本が並んでいた。

 見るからに手間がかかっていそうな本であった。それもほんときれいな仕上りで。。

 普通に考えたら、手作り本なので、多少は高いかなと思ってしまうが、、

 なんと1500円か2000円くらいの値段であった。

 買う人はいないと思ったのかな? 全部イラスト入りなのにな。

 値段は1500円だとしても、そのまとめるパワーは1500円ではないだろう。

 今日のエッセイは、その本の内容ではなく、「時期」の話である。

 他の人から見れば、「よくここまでしたね・・」と思えることがある。

 作った本人も、「今、もう一度やれって言われてもできないかもね」と答えるであろう。

 しかし、作っていた当時は熱中していて、手間のことなど考えもよらなったのかもしれない。

 そういう「時期」だったからこそできたのだろう。

 高校時代に憶えたことって、すごく集中していて、自分でもよく憶えたと思えることがある。

 話は飛んでしまったが、僕はあとから思うと、よくここまでやったなぁと思えることがある。

 今、やれって言われてもとてもできない。「時期」だから出来たんだよね。

 まあ、あの新聞小説の切り抜き本みたいなものかもしれないが。。



「探し物」'07.11/1

 ここ二週間ほど、部屋でずっと探し物をしていた。

 ぜったい捨てたりしないものなので、部屋のどこかにあると思っていた。

 MDという、5センチほどの薄い小さなものである。しかしすみずみまで探してみれば、必ずあるだろう。

 たいがいはいつもそれで見つかった。しかし今回は関しては、どんなに探しても見つからない。

 CDの中身がない場合は、普通、どこかのCDケースに入っていたりする。その可能性はあるからね。

 さて、探しているものはどこにあるのかな。ここまでくると、ほんと意外なところにあるものだ。

 想像もつかないところに。

 かつて見つからなかったいろんなもの。

 いつも持ち歩いていて、ある日見つからなくなったICレコーダー。それは礼服のズボンのポケットに入っていて二年後に見つかった。

 昨日まで、かぶっていた帽子が、見つからなかったこともある。それは、前日に脱いだTシャツの内側にあった。

 どちらも、すごく探したものだ。

 「あっ、こんなところにあった!!」

 その言葉が、自分の口から出るのを楽しみにしている。

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