「最近の事」過去ログ'07.7〜'07.10月
古くから伝わる歌を「トラディショナル」と呼ぶ。
それはまあ、「みんなのうた」ということなのであろう。
カセットテープレコーダーなどの録音器のなかった頃は、レコードを何度も聞いて自分のレパートリーにしたのであろう。
またライブの後、直接、弾き方や歌詞やメロディーを教えてもらったこともあるだろう。
「その歌を教えてもらえないか・・?」「オーライ、プリーズ!!」。そんな会話がかわされたはずだ。
現代ならば、自分で録音しコピーして歌うということになるのだろう。
その歌がその人のオリジナルであったとしても、「歌っていいいですか?」と聞かれれば、「ああ、いいよ」と答えるであろう。
自分のライブで、その歌の作者の名前を言わないとしても、歌は伝わり、
聞いたみんなが、(ああ、自分も歌いたい・・)と、思う確率は高い。
「あの歌、歌っていいですか?」「ああ、あれ僕も憶えたんだ」。そんな会話があるだろう。
礼儀として、その歌を自分のライブのメインに持ってくるのは「?」ではあるが、紹介するという気持ちで歌うのは問題はないと思う。
僕自身の楽曲に関して言えば、多くのみんなに歌って欲しい気持ちで、いつも作っているので、どんどん歌って欲しい。
本当は「アオキタカオのうたで・・」と一言、あって欲しいが、特に気にはしない。
歌があり、それがまた伝わっていくことは嬉しい限りなのだ。
ただ、人によっては「次はコピーした歌で・・」という言葉がライブで言えないアーティストも多いだろう。
そこで提案だが、『なじみうた』と呼ぶのはどうだろう。
「カセットの音」'07.10/28
最近では、デジタルでの録音が主流になっている。
'90年頃になるまでは、ライブはカセットテープで録音していた。
アナログ録音ということだ。ライブ会場にカセットテープレコーダーで録音してきた。
最近、古い音源を編集のために、いろいろ聞いているけれど、カセット時代の音は良いなぁと思う。
聞きやすいというのかな。弾き語りのライブに限ってのことかもしれないが、
ボーカルが聞きやすいのだ。それには、いろいろ理由もあるのだけれど。。
実はビデオカメラの音源もそうなのだ。デジタルでなかった頃の方がボーカルが聞きやすいのだ。
それにもいろいろ理由はあるのだけれど。。
カセットテープレコーダーには、昔は当たり前のようにコンデンサーマイクが付いていた。
それで録音した人は相当数いるじゃないかな。声がとても聞きやすくなかったか。
ジーーーと、いうカセットが回る音がノイズで入ってしまったが。。
「100円ショップに」'07.10/26
先日のライブでは、ギターを肩にかけるストラップを部屋に忘れてしまった。
たまたま今回は部屋に戻ることができた。
しかし、普通だったら紐が何かで代用するだろう。
そしてみんな「100円ショップに何かいい紐あるかなぁ・・」と答えるだろう。
ギター弾きはよく肩かけのストラップを忘れる。
ここまで来たら、100円ショップにギターストラップを置いてもらうというのはどうだろう。
どんなものでもいい。二三本置いてくれればいい。できれば、弦を止めるカポタストを置いて欲しい。
ピックも置いて欲しい。弦は微妙なところだが・・。
そんなふうに、どうしても急に必要になってしまうものを100円ショップで置いてもらえないだろうか。
各業界より、100円ショップに置いて欲しいものを提案してはどうだろう。
「人間で言えば?歳」'07.10/24
もう長いこと飼っていると思われるワンちゃんがいた。
「どのくらい飼っているんですか?」
「どのくらいかなぁ。。人間で言えばおじいちゃんだね」
よく「人間で言えば?歳」と、動物の年令を表現することがあるけれど、
これはわかりやすいようで、微妙な表現だ。
昨日のワンちゃんだって10年くらいだって言っていたが、人で言えば90歳くらいなんだろうか。
ワンちゃんの方は(人で言えば、、おれって、90歳なのかぁ・・)って、思うだろうか。
それを言うなら人だって「犬で言えば、10歳くらい・・」と言う表現もありえるだろう。
犬は10年たって、(おれはずいぶん長いこと生きたなぁ・・)なんて、思っているだうか。
やっぱり10年は10年であろう。
ワンちゃんたちは自分が年老いるなんて、想像もできなかったのではないか。
予想や想像しながら年を感じているのは、人の特徴ではないか。
人はおじいさんになるべくして、おじいさんになり、
ワンちゃんたちは、なるつもりもなくてなっている。
「安さ物語」'07.10/22
アルバイト先から駅へと向かう途中、以前、安売り屋があった。
僕は用がなくても、その安売り店に寄るのが楽しみであった。
安いと言っても、100円ショップのような安さではない。
定価はとても高く、その10分の1とかいう安さだ。
そこには何か、物語があるように思われるものばかりだ。
「これはアイデアは売れる!!」と、確信したものの、
想像とは逆に売れなかったんじゃないかと思われるものとかね。
どれも、売れそうで、作りすぎて、売れなかったと思われるものと思われるものが多い。
実際に使ってみると、とても便利だったりするんだよね。
そんな意外な発見もある安売り屋。100円の驚きとは、ちがうんだよねー。
わけあり品って感じかなー。
「一枚のビスケット」'07.10/20
'87年。神戸から船に乗って上海へ。
そこから陸路での旅。西安そして成都へ。二週間後、そして僕はチベットにいた。
一年の旅のまだ始まったばかりではあったけれど、充分に日本から離れ、異国に来ていた気がしていた。
ドミトリーと呼ばれる大部屋に僕は宿をとった。隣のベッドにいたのは、ドイツ人の「ベン」。
夜、ベンは何か美味しそうにお菓子を食べていた。「プリーズ・プリーズ」と言って、
僕にもくれたものは、小さな四角いビスケットであった。
ずっと中華料理を食べてきたので、その味は表現しがたいほど新鮮で美味しかった。
ビスケットには「メイド・イン・ネパール」と書かれていた。包装はなんとも西洋風。
なるほど、チベットとネパールは近くなので、こうしてビスケットも入ってくるのだろう。
どこに売っているかとベンにたずねると、宿の前の小さな店にあるのだという。
ちゃんと買えるか不安だったが、ベンによれば、買い物に言葉はいらないっていう。
もう11時頃になっていたかな。僕は宿を出て、大通り向こうに灯りのついている小さな店に向かった。
行ってみれば、並んでいるものの中にそのビスケットはあった。値段も指で教えてくれた。言葉はいらなかった。
ビスケットの包装に書かれている英語の表記。さすがメイド・イン・ネパールだ。値段は30円くらいだったかな。
大部屋のベッドの中、僕はひとりビスケットを食べた。その甘さは、とてもとても懐かしい甘さであった。
中華料理や屋台のお菓子にはなかった味。小さい頃から食べていた味がそこにあった。僕は自然に涙が出てきた。
ほんの一枚の小さなビスケット。夜中、世界の半分がとけるほどに、それは甘く美味しかった。
「10番もあるような」'07.10/18
歌詞の話。
歌を作っているとき、ある程度作ってしまうと、なかなかその中から抜け出せなくなってしまうものだ。
おもいきって、歌詞をいろいろ変えてみたり、メロディーを初めから作り直せたりすることが出来たなら、かなり歌作りも変化してゆくだろう。
そうできたらと思うけれど、実際は、虫食いをうめるうめるように、歌詞を直してゆく。
現代の歌詞は、たいがいは二番から三番の歌になる場合が多い。
アメリカのフォークソングを聴いたりしていると、平気で10番とか、それ以上になっている。
メロディーの構成が短いというせいもあるだろう。
もともとひとつのメロディーに、いろんなタイプの歌詞をつけてゆく楽しみがあるのが、世界中のフォークソングの特徴でもある。
一曲が、二番か三番が当たり前というのはポップスそして日本の歌謡曲が、作り上げてきたもののような気がする。
ホントは10番くらにいあったっていいんだよね。一曲が20分くらいになっても、問題なんてひとつもない。
歌を作ってゆくとき、3分とか4分とかにしばられず、二番とか三番にしばられず、最初から10番くらい作るつもりでいいんじゃないかなと思う。
僕自身にも言えることだ。ひとつのメロディーがあり、それに歌詞をつけてゆく楽しみを忘れないことだ。
そんな気持ちをまず持っていれば、歌詞につまったときも、煮詰めないで、新しい歌詞をふたつみっつ作っていけたらいい。
「世界一の図書館、世界一の博物館」'07.10/16
僕の読みたい本ばかりがそろっている図書館はないものか。
弁当持って探しに行きたい、そんな世界一の図書館。
僕の探し物ばかりがそろっている博物館はないものか。
こと細かいおもちゃから、電化製品や本棚まで。。
どの図書館リストをみても、そんな図書館、ありっこないさ。
100年探しても、ありっこないさ。
そして、もしあったのなら、泣きたいほど嬉しいだろう。
でも、もうみんなは気がついている。
それは、僕自身の部屋のことだと。
世界中の誰も作ってくれない、そんな図書館と博物館。
「第1号機」'07.10/14
カセットテープレコーダーを日本で最初に作ったのはアイワだったはずだ。
第1号機と呼ばれるものだ。1968年。
僕の兄が最初にカセットテープレコーダーを買ったのが、1971年だったかな。
そこには小さな録音マイクが付属でついていた。プラスチック製の黒。8センチくらいだったかな。
内蔵マイクはまだ機械にはついていなかった。レコードを録音するときは、プレーヤーのそばに置いて録音していた。
僕自身が最初にカセットテープレコーダーを買ったのは、1974年のとき。ソニー製。内蔵マイク付き。
これは、とても便利だった。やっぱり最初は、レコードプレーヤーのそばに置いて、そのまま録音した。
今日のテーマは、そんな録音やマイクの話ではなくて「第1号機」ということ。
第1号機という名称は、通常は初めて作られたという意味合いで使われるが、
それぞれに持っていたものが、第1号機と呼んでいいんじゃないかなと思う。
今、よく見てみると、カセットテープレコーダーの場合、初期の頃からして、すでに完成された形をしている。
1962年製のフィリップ社の世界初のものでさえ、とてもシンプルな仕上がりをしている。45年たった今もその形は継承されている。
それ以降のカセットテープレコーダーの進化は、ラジカセとなり複雑になっていった。
機械は壊れ、次々と買いかえてゆくことになるが、思いかえせば、第一号機はとてもシンプルではなかったか。
「古物屋」'07.10/12
最初に借りたアパートのある目白に10年ほど住んでいたときも、近くに大きな古物屋があった。
ちょうど交差点にあったので、信号待ちのときなんかはよく覗いていた。ギターを何本も買ったなぁ。
高円寺のここに引越してきた当時、近くにやっぱり大きなリサイクルショップがあった。
とても広くて、そこで電化製品をいくつか買った。
また商店街から少し入ったところには、ミュージック関係の古物のショーウインドーがあった。
ギターが並び、録音機、アンプ他、何でも置かれていた。そこでもギター、他、けっこう買った。
帰り道には、そのショーウインドウに寄るようにしていつもチェックしてた。
古物はたいがいどこかだめなところがあったが、良いものもあった。それはしかたのないことだ。
僕の人生を考えると、古物屋が常にそばにあったような気がする。
古物屋のなかった人生の日々なんて考えられない。
今でいうところのネットオークションとは、少し意味合いがちがう。
帰り道の時間のひとつということかな。
古本屋に寄るのと、似ているのかもしれない。
食欲、他、人にはいろんな欲があるが、「古物屋をのぞく欲」というものも確実にあるのではないか。
「図鑑」'07.10/10
小さい頃、いくつも図鑑を持っていた。
昆虫の図鑑、魚の図鑑、動物の図鑑、植物の図鑑、、、。小学館から出ていたシリーズだ。
今出ているものは、2000円以上するようだが、僕も持っていたものは、350円と書かれていた。
値段は6倍くらいになったのだな。あれから35年ほどたっているし。。
小学校の頃、一番よく読んだ本といえば、やっぱり図鑑だ。
特に昆虫、魚の図鑑は、憶えるほど、日常的に見ていた。
小学館の図鑑シリーズは、ただの図鑑とはちがって、トピックスや読み物も多かった。
子供らが読んで興味をそそるように楽しく作られていた。
僕の人生の中で、何度も何度も開いた生きた本。
・・・・・
小さい頃は、図鑑なら何でも欲しいと思っていた。
その図鑑シリーズが全巻そろって、ほんとに役に立つと思っていた。
僕は今、創作活動をしているが、あの図鑑の一冊になりたいな。
ずっと目指していたものは、全巻シリーズのような創作活動であった。
しかし、そのどれか一冊でもいい。
あまり欲張らず、あの完璧な楽しさに満ちていた一冊になりたい。
「昔の台風」'07.10/8
その昔、台風はどのように伝わっていったのであろうか。
現代であれば、天気予報を見て、予想も立てられるのであろうが、江戸時代まではラジオもなかったであろう。
しかし、台風は来る。当時は大風と呼ばれていたのかな。
江戸時代は江戸時代なりに、台風情報を伝えていったのであろう。
台風より早く、飛脚が走ったのかもしれない。
それとも、天気見も専門職があり、何かの気配から台風を予測してたのか。
来たら来たで、なんとかするとい考え方だったのかもしれない。
僕は思う。江戸時代までは、台風はもっと「生き物」のように扱われていたのではないか。
ひとつの生き物のくせのように、台風のことを詳しくとらえていたのではないか。
今よりももっともっと。
「イメージがあるということ」'07.10/6
日中ずっと、仕事で数字を扱っていて、ときには叫びたくなる。
ふと、数字が顔だったら、どんなに憶えやすいのかなと思う。
1のくらい、10のくらい、できれば100のくらいまで。
フランスのパリの町は、どんな細い路地にも名前がついている。
「マックス・ジャコブ通り」とか、「アポリネール通り」とか。。
実在した人物の名前がついている場合は、何かしら由来があるのかもしれない。
日本では、商店街くらいにしか、名前がついていなくて、名前がない道がほとんどだ。
名前があれば、イメージもわくのにな。
僕らの名前だって、ほんとは言葉通りの意味のイメージで憶えることもできるんだよね。
そこで数字の話。
1〜10までは、人物ではなく、色にしてもいい。職業にしてもいいな。地方系にしてもいい。髪型でもいい。
11〜99までは、顔がイメージできるほうがいい。ほら、百人一首ってあるよね。あんな感じで。
三桁の場合は、そのイメージする人物に色の服を着てもらってもいい。
1は赤、2は青、3は黄色、4は紫、5は緑、6は茶色、7は水色、8はピンク、9は白、10は黒。とかね。
そんなふうに、数字が憶えられたら、楽で確実なんだけどな。
「ライブ映像」'07.10/4
先日、古いライブ映像の編集をしていて、同じライブを5回くらい見た。
最初の場面で言えば、30回くらい見たかな。
たった45分のライブであるけれど、映像で何回も見ていると、実に味わい深いということがわかる。
ちょっとした話や仕草とかね。
ライブは生で見るものであり、普通は、ビテオで撮っても1回通して見るくらいではないだろうか。
しかし、編集のため、5回も6回も、いや10回くらい見ていると、また違う良さが出てくるようだ。
ひとりの歌い手やユニットは、どこから来るのであろう?
ひとつ前のライブハウスから、来るのであろうか。
そこには長いライブ活動生活や、ギターを弾き始めた頃、楽器をやりはじめて頃、歌い始めた頃、、。
何回も映像を見ていると、そんな旅の長さを感じられる。
「新品ギターのにおい」'07.10/2
久し振りに、ほんと久し振りに、ギター雑誌でギターを練習した。
中学時代は毎月ギター雑誌を買っていて、練習曲もよく弾いた。
TAB譜と呼ばれる譜面をギターで追いながら音を探していった。
一番よく練習したのは、そう新品ギターを買った頃だ。
嬉しくて嬉しくて、練習したのであろう。
そして、先日久し振りにギターを雑誌で練習していると、
なんだか新品ギターの匂いがしたのだ。
新品ギターの匂いは、ニスとも違う、独特の匂いがある。
やがては消えてしまうその新品ギターの匂い。
そのギターの匂いが残っている間、一番ギターも練習した。
「最高だった部屋」'07.9/30
もう、どうにも荷物が多くなってしまって、いまやどうにもならないでいる。
それでもなんとか、整理しようとがんばってはいるのだけれど。。
自分で部屋を借りた頃、まだレコードもテープも本も少なくて、シンプルに整理できていた。
ああ、そのくらいがちょうど良かったのに。。
僕の部屋には、音源も映像も本もたっぷりあり、もしこれがちゃんと整理できているならば、
素晴らしい部屋になるのになぁ、と思うのに、それにはすでに時が遅いかもしれない。
ああ、中学二年のときに作った、半畳の僕の部屋は完璧だった。
そこには、カセットレコーダー、ラジオが置かれ、勉強机でもあり、寝床にもなっていた。
そこにあったまだ、10本前後のカセットテープ。
まだ10本だよ、みんな!!
その10本を録音したり消したりして、使っていた。本だってまだ少なかった。レコードだって、10枚ちょっとであった。
すべての物に手が届いた、あの半畳の部屋。。
帰ってきて、カセットテープレコーダーに、カチッとテープを入れ、再生ボタンを押す。
「W-40」'07.9/28
お茶の水の楽器店にて、久し振りに欲しいなぁと思えた中古のギターがあった。
それは1970年代前半の国産のギターで、ギルドギターの忠実なコピーをしているものだ。
そのギターのことは、ギター雑誌に載っていて僕はよく知っていた。
当時の値段で、4万円。そのメーカーでは4万円からのギターを扱っていた。
表板はスプルース単板。
今日は国産ギルドギターコピーモデルの話ではなくて、'73年〜75年頃の4万円のギターの話。
その頃、国産ギターの値段には妙な決まり事があった。
ボデイの小さなフォークタイプのギターが1万2千円から始まるなら、
大きなウエスタンタイプのギターは1万5千円から始まるとかね。
各メーカーの、まあ最高機種と呼ばれるギターはだいたい8万円だったりね。
そんなギター価格の中で、4万円というのは、ひとつの段階的ステータスがあった。
「高級とまではいかないけれど、本格的な低音が出ますよ」みたいな感じかなぁ。
だいたい表板は合板ではなく単板になった。単板になるということは、弾くほどに音が鳴ってくるということになる。
そんな4万円のギター。6万円になると、手工製となってきて、8万円になると、各メーカーの代表ギターとなっていた。
ギターを始める中学生には、とても4万円ギターは買えなくて、みんな高くても2万5千円止まりだった。
ちょっとがんばれば、手が届くけれど、ちょっと手が届かなかった4万円のギター。
そんなわけで、友達もまた持ってはいなかった。
ただ、僕らの持っているギターに低音をプラスすると、4万円のギターの音になる予想はついた。
ギターカタログの中で、リアルに鳴っていた4万円のギター。W-40。
「ヤマハギター」'07.9/26
昨年、ギルド社のギターを買ってから、ライブではギルド使っている。
もう一年かな。それまでの16年は、ヤマハのFG-160がメインギターであった。
ギルドギターは、ヤマハとはまるで音の出方がちがい、弾き方も同じようにはできない。
同じ曲であっても、ヤマハで弾くとなると、ヤマハに合わせて僕は弾いている。
先日、ヤマハのギターにて、ライブをした。
まあ、16年もヤマハを弾いているので、弾き方を思い出すのも時間はかからなかった。
個人的には、ギルドの方が豊かな音色が出せるので、どの歌もギルドで弾きたいところだった。
何度も何度も、ギルドで弾こうかなと思ったけれど、今回はヤマハで弾いた。
もう10年以上も続けているユニットであり、その最初からヤマハで弾いて来たからだ。
メンバーはふたりであるけれど、ヤマハのギターもずっと一緒にいたのだ。
ライブがあるのに、部屋に置いてはこれないな。
「お茶の水」'07.9/24
日曜日、秋葉原はすごい人であったが、お茶の水は静かなものだった。
喫茶店なんかは日曜休みになっているところが多かった。
まあ古書店街が、日曜が休みというせいもあるだろうけれど。。
隣街の人々がお茶の水に少しは流れてこないものだろうかと思う。渋谷と原宿みたいに。。
楽器と古書は、やっぱり電化製品には勝てないのかな。
僕が東京に出て来た頃、秋葉原とお茶の水は自分にとって二大街だった。
欲しい古本はお茶の水から続く神保町の古書店街でしかみつからなかった。
楽器だってそうだった。
楽器はやっぱり何か趣味の一部なのかな。電化製品とは基本的にちがうのかな。
古書も今はインターネットで探せる時代になってしまった。とてもとてもさびしいけど、しかたがないのかな。
大きな大きな三省堂書店に向かって歩いていった日々。そんなお茶の水。
そこで僕の提案。
お茶の水の楽器店は多いが、修理専門の店がなかなか見つけられない。
使っている楽器を直したいと思っている人はとても多いだろう。
修理は確かに値段が高い。買った方が安いと思う人もいるけれど、きっと楽器はその考えには値しない。
お茶の水に、そんな修理専門店が並ぶといいなぁ。
25年以上通っている、僕でさえ、修理の店がどこにあるのか、わからないくらいなので。
あと、カレーだな。カレー専門店がどんどんできないかな。カレーと言えばお茶の水と呼ばれるような。。
カレーを食べたいために、お茶の水で降りようかなと思える程のカレーね。
「ちょっと前の映像」'07.9/22
今、ビデオカメラはデジタルが主流で、僕も使って3年目となる。
かなり実際に見ているものに近くなってきたなぁという印象だ。
デジタルの前が、8mmビデオ。
この8mmビデオで撮っていた時期が、実に長い。15年ほどはライブを8mmビデオで撮っていた。
その当時は、それが主流だったし、撮れた映像も、こんなものかなぁといつも思っていた。
しかし、今もう一度見直すと、かなり実際の見ていたものとは、色合いも含め、違うなぁという印象だ。
まあ、暗い場所だったので、光量不足という原因も大きいのだけれど。。
それは8mmビデオの映像世界というものがあるように思える。
なんだか、しめっていて、さびしいような、映像。。
それでも、当時は、現実を再現しているように思えていたが、やっぱりかなり違う。
僕らが、客席にいて、見ていたステージの感じとは少し違う。
今はだいたい一緒になった。
8mmビデオで撮った映像は、どれも独特だ。古ぼけた感じが印象に残る。
夢の中の映像シーンでも見ているかのようだ。
そんな8mmビデオが15年分以上ある。
時代を感じる色だ。
「三時間の使い方」'07.9/20
二十歳の頃、焼き肉屋をオープンさせた、友人がこんなことを言っていた。
「毎日、ほんと家に帰って眠るだけですよ。レコードなんて、一日二曲づつ聞いているからねー。
LPを一枚聞くのに、一週間かかっちゃうよ。あはははは!!」
その頃の僕は、まだたっぷりと時間があり、そんな生活のことなんて想像もできなかった。
今、僕は友達ほどではないが、夜9時くらいに帰って来ているので、一日三時間ちょっとが、夜の自由時間となっている。
なんだか、あっというまに11時になってしまい、何かしょうとすると12時、、。
結局、何もできないで、また眠ってしまう。毎日、ちょっとずつやるしかないのかな。
僕は、あの焼き肉屋をオープンした友人ほどではないなと、自分を納得させているが、
もうちょっと、うまく三時間を使わないとなぁと思う。
時間のない時間に住まないとなぁ。
しみじみと三時間を過ごしてみるかな。
「靴屋」'07.9/18
駅からの帰り道に靴屋がある。
最近は靴屋も少なくなり、目立った靴屋はその一軒である。
店の中になかなか入ることはないが、店先に特価の靴が並んでいる。
それも、週変わりくらいで、出ている靴も変わる。
昨日とても、いい感じの靴を見つけた。明日。買おうかなと思う。
そこで、欲しい靴を見つけるためには、毎日、店頭を眺めていないといけない。
そして、一年に一度くらいは欲しい靴が見つかり買うのだ。
よく考えてみると、靴屋はその一軒しかないのだから、
僕だけではなく、他のみんなもそうなのではないかな。
この街の人しか知らない、靴事情。
「しみじみと語った次の日」'07.9/16
とうとう携帯電話が壊れてしまった。
まだ何とか使えるが、調子悪くなったことは確かだ。
昨日は、初めて携帯ショップにて声をかけた。
思えば、買ってから3年、ハードに使っていてもまったく壊れる様子もなく、
こんなに長持ちする電化製品もないなと思っていたところだ。
それも前日に友達としみじみその事を話したばかりだった。
おまけに、少し不満も語ってしまった。
そして次の日に壊れた。。こういうことはよくある事。。
とても気に入っていた携帯だったので、機種を変えるのは、とても残念だ。
それにしてるも、よくここまで壊れることもなく使えたものだと思う。
まるで一生、壊れないようにも思えたものだった。
しかし、やっぱり壊れる。どんなにお気に入りだったものも。
その事をしみじみと話した次の日に、、。
僕はこの経験が初めてではない。
しみじみ眺めたり、語ったりすると、なくしたり、壊れたりするのだ。
なぜだろうと思ってみる。
次の日に、大事なものを置き忘れることはよくある。
安心してしまうのかな。それとも教訓か。。
だから、僕は一番大事なものは、しみじみと眺めたり、語ったりしないようにしている。
まじないみたいな気持ちかな。
今回はつい話してしまった。それも必然だったのかもしれないが。。
「朝珈琲ブラック」'07.9/14
いろいろな妖魔がいる。
夜の続き、夜明けまで。
誰を呼べばいいのか。正義の味方はどこに。
どんな本を見つければいいのか。謎を解く呪文を探すためには。
妖魔たちは、夜の続きで、頭の中を駆け回っている。
僕の頭の中から生まれてきたのであるから、僕にはなかなか消せないのだ。
アイデアはなかなか出てこない。
しかし、こんなとき熱い朝珈琲が効く。
あばれていた妖魔たちは、静かに画面から消えてゆく。
他の誰もが、何もできかった、夜の残り。
「ひと息」'07.9/12
先月末より、ずっといろいろと忙しかった。
あまり眠らずに次の日に出かけたことも多かった。
自転車に乗り続けているような毎日というのかな。
ときには休みの時間もあったけれど、それは日々の休憩という感じであった。
まだ部屋も片付いていなく、今週の仕事も続いているけれど、
夜中、時間がやっと止まったのがわかった。
部屋の中、椅子に座っていると、時がゆっくりと下に落ちているのがわかった。
やっとひと段落したのだ。そして、ひと息をつく。
今年は目が回るような時間の流れがあった。天候の変化も激しいものがあった。
また数日したら、あたふたとするのはわかっている。
忙しさは空の雲のように流れてゆく風景と似ている。
「ドリームギター」'07.9/9
大切にしているギターが、ボゴンッと音を立てた。
表板の方を見てみると、弦を止めるブリッジから、はがれていた。
ブリッジだけではない。サウンドホールの回りの、表板がそっくりはげていた。
はげた表板の内側には、プラスチック風の板がついていて、これがサウンドの秘密かと思った。
ギターの表板がはげたショックからか、ボディの下の方がはげてしまった。
その中からボロボロと出てくるギターの内側の木の部品。まるで小さなピアノ部品のよう。
(ああ・・、こんなになってしまった。いい音で鳴っていたけれど、やっぱり古かったのだな。
(それにしても修理できるかな、、。修理が出来ても、音が変わってしまうだろうな・・)
僕は立ち上がれないほどダメージを受けた。
とても良い音で鳴ってくれていたのに、、ライブも近いというのにな。
ギターを触れど触れど、壊れたギターは、悲しみをくれた。
心はほとんどあきらめかけた。
ピピピピピピ・・
「はっ」
目が覚めると、足元には、そのギターが。。表板を見れば、元のままである。
夢だったのだ。すっかり壊れたギターも元通り。
「カエルの知恵」'07.9/7
人は、池のカエルを見て平泳ぎを学んだのであろう。
しかし、オリンピックの解説でも、そのことには触れられていない。
無駄な力を使わずして、泳ぎゆくための「平泳ぎ」
カエルは偉大な発明家でもあるのだ。
そして、ぴょんぴょんと飛ぶ。歩く時間を最大限に縮めるために。
このどしゃ振りの中、カエルは、ちょこんと池から顔を出しているだろう。
これに限るよと。
それとも、日々、見つけてある最高の隠れ家にすっと入っているだろう。
ここは、最高な場所だよと。。
「我々は知恵の王者である。」と、誇らしい表情と風格で、カエルは雨を見る。
そして鳴く。
ケロケロケロ。
(無駄はだめだよ・・)
エコエコエコ。
「各弦ファンクラブ」'07.9/4
ギターを弾き始めた中学生の頃は、ギターの弦の中でも5弦が好きであった。
音程を合わせるのも5弦から。僕は5弦を中心にギターを弾いていたと思う。
しかし今は、ギターのそれぞれの弦の魅力を感じている。
細い弦の方が値段が安いとか、それは関係ない。
6弦の方が力強いとかいう話でもない。
細い弦からだんだんと太い弦という基準ではない。
それぞれの弦には、それぞれの長い歴史と、そして伝説があるように思う。
みな兄弟ではあるけれど、道は別々であるようだ。
それぞれの弦が好きでしかたがない人がいるような気がしてならない。
各弦ファンクラブだ。
もうあるのかな? ないのかな?
僕はとりあえず、4弦ファンクラブに入ろうかな。
「人間の耳」'07.8/31
ここ数日、最近、録り(撮り)ためた、音源や映像を編集している。
ライブの録音をしているわけだけれど、やっぱり実際の臨場感を
再現するってむずかしいんだなと、実感している。
人間の耳や目は、相当にハイレベルなんだな。
そこそこのマイクで録音しているわけだし、ちゃんと録音されてもいいんじゃないかと思うけれど、
そうもいかない。ステレオ効果の差なのかな。
ライブ録音盤のアルバムは、ほんと大変な努力をして、リアルな音を再現しているのだなとよくわかる。
映像にしても、やっぱり実際に見ているようには、なかなか撮ることはできないなと思う。
やっぱりどこか、映像っぽいというかね。あの空間の奥行きというものはなかなか出せない。
普段、簡単にいつも僕らが見たり、聴いたりしているものなのに。
まあ、映像は別物だとして、音だけはもっとリアルに録音できないものかな。
人の顔の形と同じ感じのマイクセットとかね。
せっかく毎回録音しているのだから、ちゃんと残しておきたいのだ。
奇跡の録音箱ってできないかな。置いておくだけで、録音再現してくれる箱。
「コトン」'07.8/29
昨日の事、半年前に録音したテープを探すことになった。
いつもまとめて置いている場所に必ずあると思っていた。
ビデオテープの方は、ほとんどすべてにラベルを付けてあるのだが、
音源の方は、ついついラベルを書くのを忘れてしまい、もういちど音源を聴いて確かめるしかない。
以前はカセットテープがそういう状態になっていた事があるなぁ。
今回はもっと小さな「DAT」と呼ばれるテープである。
10本以上ラベル書きをしていないテープがあったので、そのどれかにあるだろうと確信していた。
が、全部聴いてみても、探している音源ではなかった。
ここまでで、もう一時間はかかってしまった。さて、テープはどこにあるのか。
カバンの中、机の中、いろいろと探してみるがテープは見つからない。
そして、思い出したのが、もう何ヶ月も前の「コトン」と言う音、、。
出かけにパソコンのある机から、「コトン」と何かが落ちた音がしたのだ。
(何かが落ちたな、、後で拾っておこう。でも忘れるとあとで困るんだよね・・)
そんなふうに思ったことを思い出した。
そして、パソコン机の下の隙間を見てみると、そこにテープが落ちていた。
聴いてみれば、まさに探しているテープだった。
「忘れてしまう事」'07.8/27
弾き語りのライブと言えば、マイクと丸椅子が必需品だ。
丸椅子の上には、ハーモニカを置いたり、カポタカトを置いたり、ピックを置いたり、、。
それは理想だ。そうでなくてはいけない。
先日、僕はライブ中に、カポタストが見つからなくなくなった。
黒いカポで、たまたま机の影に入ってしまったのだ。
あせったあせった。
物忘れが年とともにひどくなっているので、いつかこんな時が来ると思っていた。
たまたまお客さんから、指摘されて見つかったのはラッキーだった。
やっぱり丸椅子がひとつ必要なんだよね。そこには水も置いて。。
どんなに小さな店でも、大きなホールでも、丸椅子は必要だ。
「図画工作」'07.8/25
僕の部屋には、小学5年のときに作った木の作品がある。
一枚の木の板を形に削り、それに色を塗り、ニスをかけた魚の作品。
小学5年のときに作った作品が、はるばると36年間も部屋に飾られているなんて僕は想像しただろうか。
しかし現実は、そうなってしまった。
誰かにほめられたわけでもなく、まるで風景のように、36年間も。
ほんの何日間か考え、アイデアを出し、何週間かかけて作った図画工作の作品。
糸ノコを使って、線に沿って切っていった作品。
自分の好きな絵柄と形、せっかく作るのだからと、傑作にしようとがんばった作品。
この世に生まれ、ずっと僕のそばにいるその作品。
作り上げたときの喜びと、これは傑作だと確信した作品。
誰かがきっと部屋に来たときにその作品をことを尋ねるだろう。
「あれ、誰が作ったの?」
「ああ、、小5のオレ」
「猛暑の夏」'07.8/23
「いつだったか、あつかった夏があったねー」
そんなふうに思い出す夏に今年はなるのかな。
北国育ちだったせいもあるが、小さかった頃、僕はホントに夏が好きだった。
蝉の鳴き続ける夏休みの日々。
さて、今年の僕は連日の暑さのために、汗をかいては、ひぃひぃとがんばった。
日中はほぼ一日蝉の鳴く外にいるので。。
もう少しは涼しくてもいいかなと思いなから、、。
しかし夏休みの子供たちにとっては、素晴らしくスーパーな夏になったことであろう。
夏休みはこうでなくちゃね。
僕の記憶の中にもある、特別なひと月。毎日休みという最高な日々。
こんなふうに連日が猛暑でも、僕が家に帰ってすぐ横になってしまっていても、
子供たちには幸せなこの夏。
とくに僕がこの夏をプレゼントするわけではないが、それならいいかな。
きっと夏のひと月は子供たちのためにあるのであろう。
僕はそんなふうに思うことにした。僕ももらってきた最高の夏休み。
「赤胴鈴之介」'07.8/21
今年は猛暑の夏となった。
外仕事をしていると、気力こそが大事だと思い知らされた。
結局、自分自身との戦いになる。
こんなとき、友達が欲しい。
そんなとき、ふと思い出したのが、「赤胴鈴之介」である。
日本一の剣者を目指す、赤胴鈴之介。その剣道の胴には「鈴」が描かれていた。
「♪♪がんばれ、つよいぞ、僕らの仲間 赤胴鈴之介」
と最後に歌われる。僕らの仲間というおおざっぱな定義ではあるが、
赤胴鈴之介は、僕らの仲間なのだ。
気力がめげそうになるとき、僕は赤胴鈴之介の事を思う。
「街ギター、田舎ギター」'07.8/19
昨今の流行のギターといえば、綺麗な音が主流である。
値段が高くなると、その音の豪華さも増す。
弾き方にもよるけれど、それはまるで、いかにも高級そうなお皿。
ドバジャーンと鳴るそのサウンド。
シンプルからは遠くはなれたその豪華さ。
それはまるで高級レストランでの食事みたいものか。
僕なんかは、自分の歌にそんなサウンドをつける自信がない。
でも、それは昨今の流行。
そして芋くさいギターの音もある。
田舎風というのかな。音の豪華さは消えているけれど、懐かしさあふれる音。
よく乾いた田舎の木材。田んぼや畑から吹いてくる風の匂い。
そんなふうに思わせる田舎ギターがある。
少しまちがえれば、鳴らない、こもった音のギター。
いやいや、そんな事はないんだよ。そこには良く跳ぶ、グライダーみたいな軽さがある。
そうなんだ、良く飛ぶグライダーみたいな音なんだ。
そこにはちょっとだけ、飛ばし方がある。
グライダーの方から「そんなに力はいらないよ」とメッセージがくるからだ。
まあ、三回くらいはうまくコツがつかめないだろう。
コツがわかれば、気持ちよく空を飛んでゆく。
そして街ギターは、街ギターでいい響きがある。
また、だいたいライブハウスは街中にあるからね。
「夏らしい夏」'07.8/17
今年は毎日が暑い。
大人たちには、厳しい夏の日々だが、子供たちにとっては、最高の夏休みかもしれない。
夏休みは暑い。そして暑いから夏休み。。
僕が小さい頃、そうだったように、夏休みはひとつのイメージとともに存在する。
まるで一人の人格のように。
来る日も来る日も、蝉が鳴き、晴れている日々。
そうではない8月もあった。
そううでない8月は、そうでない夏休み。
夏休みの基本的な約束のレベルは高い。
今年、その約束は守られた。
子供らの中に、深く記憶にとどまるであろう。
僕らの記憶にもある夏らしい夏。
「ここぞというときに」'07.8/15
先日、どうしても見逃せないライブがあった。
しかしそんな日に限って、仕事に時間がかかり、予定よりもかなり遅れて会社を出た。
お茶の水で快速を待つ。
このままでは開演に間に合わないのは、さけられない。
どうしても見たいライブというときなのに、またこの状況だ。
人生って、こんな感じでできているみたい。
新宿に着いて、都営新宿線に乗り換えるのだが、僕には、詳しい知識がなく、
改札を出ても、どこに都営新宿線があるのかわからない。
わからないでうろうろする。
もうすぐ開演時間になろうとしてているのに、都営新宿線が、よりよりによってわからない。
人生だなっ思いながら。
やっと、京王線の方に見つけたけれど、もうライブは開演時間になっていた。
友達し最初に出ているはずであるから、ラスト一曲でも聴ければいいかな。
それでも間に合えば嬉しい。
15分ほどお遅れてやっとライブ会場に着いた。友達の出演は、二番目になっていた。
なんとか僕は間に合った。とてもラッキーだった。
ここぞというときは、何かバランスが崩れて、行く先行く先に不都合が起こり、ラッキーも起こる。
「真横の音」'07.8/13
先日、友達のライブで僕のギターが弾かれた。
コーラスを頼まれていたので、同じステージのすぐ隣に座った。
友達は立って歌っていたので、ちょうどギターのボディの横が僕の耳のあたりとなった。
そして、こそばゆいほど聞こえてきた、ギターの音。
こんなふうにボディの真横でギターを聴くなんて、なかなかないものだ。
そのギターは、作られて38年ほどたっており、僕が弾いてからも20年たっている。
どんな音がするかは誰よりも知っているはずなのに、それでもまだ未知の音がそこに聞こえた。
真横の音。
普通に弾いていたのでは、聞こえない音。
38年の年月が鳴らすそのサウンドは、
「人はなぜ汗をかくのか」'07.8/11
僕はずっと、汗をかくのは、こんなふうに思ってきた。
夏の日に僕らがプールに入るようなものかと。
火事のとき、水をかけるようなものかと。
そして肌が乾燥しないためにと。
暑い国の家の窓のところには、水だめがあり、
それが蒸発するとき、回りの熱を吸収するので、部屋の中が温度が下がるだという。
打ち水をすると、涼しくなるのと同じ原理だ。
汗もそうだよなぁ、、。
そんなことに、今年の夏に気が付いた僕は、汗を何だと思ってきたのかな。
人は体温を一定にしなくてはいけないために汗をかく。それは当然だ。
汗が蒸発するときに、体温は下がってゆく。
小さい頃、先生はそんなことを教えてくれなかった。
僕だけ知らなかった?
水浴びと同じことではないのだな。
こんなに大事なことは、早く気が付くべきだった。
「バーニーズ・マウンテン・ドッグ」'07.8/9
この夏、ワンちゃんたちもとても暑いにちがいないな。
先日、朝の道を歩いてゆくと、茶色と黒の毛のふさふさとした大型犬と一緒になった。
調べてみれば、バーニーズ・マウンテン・ドッグという名前だ。
その歩き方は堂々としていて、なんだかイギリスの紳士のようでもある。
きれい好きみたいだし、、。
僕の部屋のように片付けべたではないであろう。
散歩のない時間も、それなりに時間を無駄に使っていないのではないか。
きっと日記をつけているのではないかな。
毎日毎日、頭のどこかのノートにね。
(あの人だれだったっけな、、? そうだそうだ、ヨシダさんだ)
そんなふうに、役だつ日記。。
犬文字?
「塩のタブレット」'07.8/7
夏になって、仕事先で「塩のタブレット」が、用意された。
僕は外仕事をしているので、熱中症にならないためにも塩分は必要なのだ。
「塩のタブレット」は。まさに塩そのまま。
体の事も考え、汗をかいたら、塩のタブレットをなめている。
「塩のタブレット」は、海の味。
僕は海育ちなので、なめるたびに、小さい頃の事を思い出してしまう。
それは、すっかり忘れていたことばかり。それも夏休みの想い出とともに。
海岸の砂浜で、横になっていた事。沖まで一人で泳いでいったこと。
ジュースがうまかった事。海水パンツの匂い。ビーチサンダルが暑かったこと。
ボートの影。日焼け。目のしみる感じ。ソフトクリーム。ビニール棒アイス。
はったようになった頬。潜り。水中メガネのはりつき。シュノーケルのゴムの味。
夏休みの出来事。自転車走り。
「塩タブレット」は、そんな味がする。
中学・高校時代、僕の憧れと言えば輸入ギターであった。
ギブソン・マーチン・ギルド、etc
ほぼ値段は25万円〜35万円の間であった。
それが、だいたい輸入ギターの値段の相場。
一番安い国産は1万五千円、初心者用は2万五千円、表板が単板に変わってくると、4万円くらい。
手工ギターになると、6万円からくらい、国内メーカーの最高器種となると、10万から12万円くらい。
国産オーダーメイドとなると、20万くらい。
そして、輸入ギターは安くて25万くらいから。普通で30万から35万。
'70年代初頭、そんな値段の流れが、ギターにはあった。
あれから、30年以上たっているが、輸入ギターの値段はほとんど変わっていない。
だいたい新品で、30万から35万円くらい。
不思議なもので、僕にはそれがちょうどいい値段の相場に思えている。
新品でそのくらいの値段であるから、中古輸入ギターは、18万くらいから25万円くらいで落ちついている。
それもちょうどいい。また新品で40万円代になってくると、あまりに高いという印象だ。
20万円代に下がってくると、中古が10万円を切ってくるので、
そうすると、国産新品ギターを買う人が少なくなってきてしまうだろう。
楽器業界全体で相場があるのかもしれない。
新品の輸入ギターは30万円ほどでなかなか手が出ない。
手を伸ばしても、ちょっとだけ届かないところ。
「僕の向かうところ」'07.8/3
混んだ総武線の電車で、やっと座れたあと、
僕はカバンの中から読みかけのギターマガジンを取り出す。
耳には、先日から聞いているニール・ヤングの'71年の音源。
普通に本を出して読んでいるつもりなのだが、ギターがずらりと並んだその本のページ。
ふと、客観的になって思うと、僕の中学生のときのようではないか。
ただのギター好きと言えば、それまでの話だが、、。
僕はこの同じ電車に乗っていながら、どこへ向かっているのか。
まるで'70年代から止まったような、その時間。
時代遅れ、はなはだしいのかもしれない。
中学・高校のとき、あれだけギターカタログを見て、まだあきないでいるなんて。
いいじゃないか、青木君。
「クラフツマン」'07.8/1
世界的に有名なギターメーカーがある。
その昔は名を馳せたが、一時期は低迷した時期もあった。
大量生産によるいろんな迷いからだろう。
それをまた、ここ数年で復活させたクラフツマンがいるという。
そのクラフツマンは、オールドギターのことを、誰よりもよく知っていた。
そんなふうに、世界的に有名なギターメーカーであっても、たった一人のクラフツマンが大きな仕事をすることがある。
そういうものなのだろうなと思う。
そして素晴らしく強力な研究開発スタッフが一人いるという。
やっぱり一人。
世界的有名メーカーを支える人。とんでもなく、腕のある人。
絶対的な信頼のもとで、ギターは作られてゆく。
スタッフのひとりが欠けても、うまくはいかないだろう。
音を知り、腕のあるクラフツマンが居なくなるとき、また少しずつ迷いが出てくるだろう。
また長いトンネルの時代に入るかもしれない。
しかし、音を知り技のある、たった一人のクラフツマンがその会社にいる限り、メーカーは迷うことはない。
「伝えられるもの」'07.7/30
父のコレクションは、記念コインだった。
僕の財布には、その一枚が入っている。
それは、父が残してくれたものだ。
僕に限らず、みんなが残せるものって何だろうって思う。
いろいろなコレクションの中で、とても価値があるものって何だろう。
最近思っていることがある。とても価値あるコレクションとは、、。
それは、テレビ録画ものではないかと思う。
今はビデオカセットデッキから、DVDレコーダーに変わりつつあり、
DVDソフトも一枚がとても安くなっているので、僕もよく録画している。
ぜったいこの先もその番組が、DVDとして発売される可能性がないと思うものを。
ちょっとした特集もの、音楽番組、お笑い、その他、、。
それらのいろいろが、ずっと先、伝えられる一番の価値あるものになるかもしれないなって思う。
「おかえりとジーンズが言った」'07.7/28
僕のジーンズライフは、小学校の頃から始まっていた。
最初は「ボブソン」だったのは、しかたがないとして、すぐに「リーバイス」をはいた。
やがてはブラックジーンズにはまり、その色落ち具合にも、かなりこだわった。
ずっと「リーバイス」派であったのだが、あるとき「Lee」のジーンズを買ってみたら、
実にこれが自分にぴったりだったのだ。生地のだれ方もね。
それからは「Lee」のブラックジーンズばかりをはいていたのだ。
その肌触りは、なんとも言えず良かった。
しかしそのうち、経済的に高いジーンズが買えなくなってしまった。
中古のリーバイスのジーンズや、ボブソンのブラックジーンズ。
4000円以上は、金額的にかけられなくなった。
そんなふうにして、もう12年。
あんなにジーンズにこだわっていた自分が、これでいいのかと思いながら。。
そして昨日、4000円のジーンズが見つけられなかったことを理由に、Leeのジーンズを買った。
はいてみると、うーん、ぜんぜんちがう。
懐かしいというか、、「おかえり」っと言われた気がした。
「すらっと立った音」'07.7/26
そのサウンドは、すらっと四人が立っていた。
そこは、どこか夕暮れの丘であろうか、それともお祭り明けの朝の街角であろうか。
古いトラッドの歌をアイリッシュの楽隊がゆっくりと演奏している。
その四人は、自分のリズムで思いのままにメロディーを奏でる。
ボーカルは確かに歌っているが、四人とも声を持っているようだ。
堂々と胸をはって。。
演奏隊の送り出すメロディーは、ボーカルにもリズムにもずれているが、
それは目立とうとか、わざとではない。自分の心の響きに沿っただけだろう。
音はすらっと、真上に立っているのだ。
四人いたら、四人の顔も髪型もちがうように、
お互いを認め、お互いの干渉もなく、演奏隊は行く。
「帰り道の必殺技」'07.7/24
秋葉原で久し振りに、家電を買って、大きな箱に取っ手を付けてもらった。
そして帰り道。
総武線の電車の中は、席の端っこに座り、出入り口の隅っこに箱を置いておく。
さて、住んでいる高円寺駅に降りてからが少し長い。
普通で7分ではあるけれど、荷物があるので12分かな。
まず商店街をまっすぐに歩く。あとは、左の路地に曲がれば、あとは一本道で部屋に着いてしまう。
なんだか、ここまで来ると、家にもう着いたような気がしてくるけれど、
実際は、今来た商店街と同じくらい長いのだ。
大きな箱を持ってゆくと、必ず途中で降ろし、休んでしまう。
あと残り3分か4分のところが最高にきつい。。
時はもう夜、電信柱の蛍光灯が並び付いている。
そこで僕は、最後の必殺技を出す。
それは市場時代に身につけた、片肩の上に荷物を乗せる方法である。
首を少し斜めにして、片手は荷物の下で支えにして、、。
これだと荷物が体の体重の一部のようになって、重心がとれて楽なのだ。
見た目は実に市場の人みたいだけれど。。
それでなんとか部屋に辿り着ける。
「ツバメの飛行」'07.7/22
朝の駅のホームから、最近、ツバメが集まって飛んでいる姿を目撃している。
いつもそのホームにいて、そのみごとな飛行能力に驚いている。
そして、なぜ、朝にこんなにツバメが集まって飛んでいるのかを考えた。
インターネットで調べてみたけれど、これと言って出ていない。
ただツバメは飛行のスペシャリストということはわかった。
僕なりに理由を想像してみる。
観察その氈E・日によってその数はちがっていたが、ある日は15羽くらいまとまって飛んでいた。いつも6時半すぎにホームから見えているが、6時45分ほどに行ったときは汢Hもホームから見ることが出来なかった。
想像その氈E・たぶん、朝のホームから見えていたツバメの群は、その街に来ているツバメたちが集まっているのではないか。きっと集会みたいなものかな。
観察その2・・ツバメは自由に飛び回っていたが、ホームの線路のところまで来ては、どのツバメも確実にUターンをしていった。そこにはまるで見えない壁があるようであった。つまりツバメたちには、空気の中に壁が見えているのだなと思う。
想像その2・・あれは自分たちのなわばりを示しているのか、、? そして線路からこちらは、僕らのなわばりと自覚しているのかもしれない。
観察その3・・その飛行テクニックは相当なものだ。ありとあらゆる飛行テクニックを僕らに見せつけているようだ。
想像その3・・あれは考え方によれば、僕らを威嚇しているのではないか。朝の駅に集まる来る人々に対して、威嚇しているのではないかな。それも自分たちの飛行テクニックを見せつけて。その威嚇は、空気中のひとつの大きな怪物を作っているようだ。
想像その4・・ツバメは飛行のスペシャリストだという。それはギターやピアノやバイオリンの世界的プレイヤーと同じだろう。そのスペシャルな飛行テクニックで飛ぶには、日々、あらゆる飛行テクニックを練習していないとその実力が落ちてしまうはずだ。あらゆる風を我が物にしないと飛べないはずだ。だから毎朝、飛行テクニックの練習をしているのではないかな。
以上のことから総合的に考えて、僕はこう考えた。
「ツバメは飛行のスペシャリストであり続けるために、毎朝、飛行の練習を怠らない。それもみんなで切磋琢磨している。お互いそれを回りの僕らに見せつけることで、なわばり、そして威嚇しているのではないか。」
シンプルに言えば、『ツバメは朝練の鬼』
「つけ麺屋にて」'07.7/20
先日、下町で人気の「つけ麺」屋に入った。
僕の隣にいた、おじさんは、実に江戸っ子という感じで、短髪に半袖の下着、そして雪駄履きであった。
おじさんはやがてやってきたつけ麺を食べ始めた。
大きな店じゅうに響くくらいの音を立てて。そうそうまるでざる蕎麦のようにね。
まあ、それはひとそれぞそれなので、食べ方は自由であるわけだけれど、
あなたの食べ方は、とても大きな音がしていた。
つけ麺もざる蕎麦も一緒といえば一緒だが。。
たぶん、くちびるの快感がそこにあるのかな、、?
僕はちらりと一瞬、おじさんを見てみた。
そして僕は思った。
おじさんはきっと、そんなふうに蕎麦やつけ麺を食べるために、生まれてきたのではないかと。
あの音を店じゅうに響かせるために。
「最初のひと弾き」'07.7/18
毎日、ギターは2分でも5分でも、弾くようにしている。
そうしないと、指使いがうまく次の日につながらないからだ。
それ以前にギターと会話をしたいという気持ちもあるのだが。。
その2分とか5分に弾いているのは、たぶん毎日ほとんど一緒だと気がついた。
お得意ナンバーというのかな。
どんなギター弾きにもきっとあるだろう。
楽器店でギターを新しく弾くとき、最初のひと弾きに弾くギタープレイ。
それは、きっと毎日最初に弾いているフレーズのなのではないかな。
僕は場合、きっとこの25年くらい同じフレーズからギターを弾き始めている。
それは感覚の入口というのかなぁ。
その最初のひと弾きは、たぶんすべてのギター弾きにある。
「喫茶店の風景」'07.7/16
先日、古い喫茶店にみんなでいると、リュックを背負った若者が入って来た。
その人は、席に座り、メニューを見回して探し、そして注文していた。
それはほぼ常連さんが来る店なので、僕の目にはとても新鮮に感じられた。
初めてと思われるお客さんは、席を探し、ぎこちなくそっと座り、リュックをおろし、メニューをさがし、
モーニングセットの中からそして選び、注文、それからグラスの水をひと口。。
初めての人ってわかるものだなぁ。そしてこれが喫茶店の良さでもあると知った。
僕も旅行先で、かつて一人で喫茶店にはよく入った。それはきっと彼とも同じ姿であったろう。
あれが、数人であったならまたちがった感じであろう。
わいわいとして。
僕には、初めてのお客さんを迎える、珈琲人形や、喫茶店らしい置物やポスターが、
なんて彼と馴染んでいるんだろうと思えた。
古い喫茶に初めてのお客さん。
「指の一日」'07.7/14
今、仕事では、ずっと小さな機械を使っている。
そして、いろんな作業も含め、指はハイスピード状態だ。
よくパソコン使いの人のキーボードでの打ち込みが、すごく早いけれど、今、僕の指は日中、そのくらい忙しい。
数ヶ月前までは、けっこう普通のスピードで作業していたのだけどね。
あまりのスピードに我ながらびっくりすることが最近ある。
でも、今日はそんな仕事の忙しさの話ではないんだ。
夜、部屋に帰ってきてから、ギターを弾く。コードチェンジをしている指は日中と同じ指なのだ。
無意識という意味では、同じような、それでいて日中とは違うような忙しさだ。
こんな一日をなんとかやっていけるのも、指がプロだからかな。
ほぼ間違いもなく、よくがんばっている。指はあっぱれだ。
僕らが夜眠っているとき、指も休んでいるに違いない。
・・・・・
僕らのお腹が美味しいものを食べると嬉しいのがわかるように、
指も嬉しいことがあるのであろう。それを考えなくてはいけない。
「道中の一泊」'07.7/12
テレビ東京の「何でも鑑定団」と「田舎に泊まろう」は、なぜかつい見てしまう番組だ。
「田舎に泊まろう」は、有名人が、田舎に行き、民家にお泊まり交渉をするという内容。
現代では、ほとんど民家にお泊まり交渉をすることは、あまりなくなってしまった。
江戸時代までは、そんな話も多々あったであろう。
・・・・・
昔の旅といえば、街道沿いを行き、日が暮れたら宿をとり、また朝に歩くというものだったろう。
道の途中、「次の宿場まで夜までに着けませんよ」と道の人に言われることもあったであろう。
「今夜はうちで、泊まりなせぇ」と話が進むことも多かっただろう。
峠では、ひと休みの茶屋もあり、先々で、その場所にあった店が待っていたばすだ。
そんな道中。
現代では、飛行機もあり、旅の移動手段は何でもある。店ならば24時間あいている。
宿もネットで予約。
それは旅の話だけではなくて、あらゆるものがそうなっているのではないか。
「この時間からは無理だから、ここで一泊してきなせえ」
「かたじけない」。どこに行くにも、そんな時間は必要だ。
「新曲の旅人」'07.7/10
昨夜は新曲を作っていた。夜中の1時くらいから。
もう眠くて眠くてしかたがないのに、作り出したら、言葉が出てくるのだ。
8割くらいできたところで、さすがに限界で、また今度と横になったけれど、
心のどこかで、(いまでないとだめだよ・・)と、声がして、また起き出した。
なるほど、、残りの歌詞も出てきて、2時すぎには、ひととおり出来た。
一昨日、新曲のアイデアが出てから、ずっと考えていた。ゆっくりじっくりあせらないで作るつもりでいたのだ。
久し振りにそんな楽しい時間の中にいた。やっぱり新曲のアイデアがあるのはいい。
新曲のアイデアは、はるばる遠く訪ねてくる旅の人のようだと思っている。
せっかく来てくれたのだから、お茶を一杯出して、旅の人は、また行ってしまう。
「ギターの顔」'07.7/8
実家に置いてあるギターがある。
一年振りに弾いてみると、その音色の特徴がとても良くわかる。低音の響きぐあいや、高音の伸び。全体の鳴り。
YAMAHAの6万のギターなのでそこそこの音はするのだけれど、なんとも国産らしい音がする。
ハカランダ材のせいもあって、ボリュームがあって明るいのが特徴だ。
それはまるで、このギターの顔の表情のようだ。声と言うよりもね。友達の顔をまちがえないように。僕の中では、その音色で、このギターだとすぐにわかる。
実家にただ弾けるギターがあるというだけでなく、はっきりと、このギター個人として会いに来ているのだ。
一年たつと多少は顔にも年をとり、その表情にも味が出てくる。
安いギターであっても弾き方ひとつで十分に弾く事はできる。だからどんなギターでも、人格があり顔がある。
一度弾かせてもらえれば、僕の中では、ちゃんと音の顔として記憶される。
嬉しいことに、生ギターであったなら、どんなに高いギターであっても、しっかりと顔が浮かぶところまで来た。
この世にあるギターの数だけ、音の顔がある。
「オートバイのようなアルバム」'07.7/6
下町を歩いていると、そこに外国製のオートバイが置かれていた。
排気量はそんなに大きくはない。街で乗るには、ちょうどいい位であろう。
僕もまるで知らないメーカーだ。しかし、その部品部品はどれも魅力的であった。
オートバイのメーカーであるのだから、ちゃんとしているであろう。
そのマシンに乗って、道を走り、どこへでも行けることは素晴らしい。
僕も高校時代はお気に入りのバイクに乗っていたので、その気持ちはわかる。
しかし、その気持ちをすっかりと忘れていた。
そんなオートバイのような、アルバムは作れないものか。
すべてのパーツがオリジナルで、それでいて公道も走れる。どこへでも行ける。
外国のどの街でも、ガソリンとオイルさえあれば走っていける。
そんなアルバムを作ってみたい。
エンジンがかかり、そのまま道を走っていけるような。
「減らない録音」'07.7/4
先日、ライブハウスにて、ウディ・ガスリーのアルバムがかかっていた。
「ダスト・ボール・パラッツ」。1940年代に録音された、自作の歌で歌われたトラッドな弾き語りアルバムだ。
僕は18才の頃、ほんとによく聞いた。古くさい録音ではあるけれど、実に味があるなぁと思っていた。
しかし先日、ライブハウスのスピーカーで聞いてみると、あらびっくり、ギターの音、そして歌、ハーモニカまで、音が生き生きとしているのだ。
不思議なくらい。なぜなんだろうと考えてみた。まるで最近の録音とはちがう響きがあった。
マイクという存在が感じられなく、歌われた音が何も減っていないように思えた。
ウディは、マイクのことは意識しないで歌ったのではないかな。
僕らはマイクの存在をちゃんと意識して、音を吹き込んで再生しているけれど、
本来は、マイクに入った音は、マイクに吹き込んだ音ではなく、ライブなこちら側そのままではないか。
マイクはただ、音の出ているものをそっと、録っているだけなのではないかな。
マイクがあったとしても、出ている音が減るわけではないだろう。
ウディの弾くギターはシンプルではあるけれど、まるで生き物のように弾かれていた。
とても自然に。それを録音できているのは、とても素晴らしい。
まるで違う響きがそこにはあった。
今はきっとみんな、マイクの事を意識しすぎているんだよね。マイクの存在が実際の音に勝っているようだ。
「ほんのちょっとのチューニング」'07.7/2
外国製のギルド社のギターを使ってから、その音の微妙な変化を実感している。
弦を替えたあとはもちろんのこと、その日の天候や、リハの後など、音の変化を常に感じた。
それが本当に音がちがっているのか、僕自身の耳や感覚の方が変化しているのか、判断には苦しんでいる。
・・・・・
このひと月、部屋を何とか片付けて、シンプルにテーブルの横にギターだけを置こうと計画していた。
やっと今週の土日、思い腰をあげて部屋を片付け、テーブルの横にギターだけを置いた。
やっとの実現。落ちついたところで、ギターを弾いてみると、あら不思議、音かまるでちがって聞こえるのだ。
まるでばっちりにチューニングを合わせたように、落ちついたハーモニーを出してくれていた。
・・・不思議だなぁ。ついさっきもギターを弾いて、それからチューニングは変えていないのに、、。
部屋を片付け、まるで、僕の心の方のチューニングの方が合わせられたようだ。
やっぱり気持ちの問題なのかな。
耳もまた、手作りの楽器?
ギターでもそうなのだから、音楽アルバムも、違って聞こえてくるかもしれない。
一杯のコーヒーや、ひと皿のカレーもね。