「最近の事」過去ログ'05.5〜7月
僕か高円寺で、一番おいしいと思っているラーメン店がある。
ちょっと前くらいまでは、よく行列が小さくできていた。
二年位前に、オープンしたとき、ドアのところに
「必ず味のとりこにしてみせます」と、たしか書かれてあった。
それはまんざら嘘ではなく、実際に僕もそうなった。
まず、僕が気に入ったのは、その店長さんだ。
とにかく、その動作にすきがないというか、気合いが入っているのだ。
「どんぶり入魂」という感じかな。
さすがに、この店長あって、このラーメン。食べる方も身がひきしまってくる。
しかし、ここ最近は定休日がなくなったせいもあり、
店長さん以外の人もお店をやっている。
まだ若いと思われる人が作ってくれる。その人はビゲなんかはやしている。
同じように、ラーメンを作ってはくれているけれど、どうもその動作にすきが多い。
できあがるラーメンの味は同じかもしれないけれど、僕は少し損した気分にもなる。
あの店長さんの集中力こそ、このラーメン店の良さだと思うからだ。
そのへんをどう考えているのだろう。
「やん八とアタ郎」05.7/26「もう、やけっぱちだよ!!」
みんな「やけっぱち」と言うけれど、あれは「やけのやん八」からきてるのだろうか。
(やん八は実在の人物だろうか。。)なんて、よく考える。
たぶん相当に、思い切りのよい人物だったのだろう。
その言葉には自分が、その人物になれる強みがあっていい。
「やけっぱち」と、いう状況になりそうなとき、もうひとつ言葉が浮かぶ。
それは「あたってくだけろ!!」だ。
僕としたら、こっちの方が好きだな。
「あたってくだけろ!!」にも、人の名前をつけたい。
そう。「あたってくだけ郎」だ。
それでは長いので「アタ郎」でいいだろう。
(アタ郎?、赤塚不二夫の漫画に「もーれつア太郎」ってあった。)
「もーれつア太郎」は「あたってくだけろ」の意味合いだったかもしれない。
「よし、アタ郎でゆくか!!」
「あたってくだけろ」には、人名がついてた方がいい。
「曲おぼえ」05.7/24
中学・高校の頃はよく歌を覚えていた。
いつもギターで歌っていたせいだろう。
今は歌詞ノートがないと、どんな歌もなかなか歌えない。
口ずさむ歌も少なくなってきたかもしれない。
しかし、今日はこんな事を思ってみた。
もし歌詞をちゃんと覚えていたなら、頭の中で再生できるのでないかと。
最近、デジタルオーディオプレーヤーを使っているが、それと同じように、
聞きたい歌なら、ちゃんと覚えていれば、頭の中で聞く事はできるだろう。
僕はいつも口ずさむばかりで、そんなふうには思ってこなかった。
好きな歌はみんなそうやって聞くことができるのになぁ。
外国の歌ばかり聞いてるので、その感覚を思い出すことができなかった。
いまごろ気づいてしまった。
「ギターひろい」05.7/22
よくギターをひろったものだった。
だって、そのまま大きな車に持っていかれるなんて、いやだったのだ。
何万円もかけて修理して、使えるようにしたギターも何本もあった。
やがて押入れもいっぱいに。。
しかし、ここ数年は一本もギターをひろってはいない。
歩いていて、道のギターが目にとまることがある。
(あっ、、)。
どうしても、そばには行ってしまう。
しかし僕は、そこであるストーリーを思い浮かべる。
・・・ギターに興味を持ち始めていたひとりの中学一年生がいる。
学校にゆく途中でたまたまギターをひろい、そして弾き始める。。
まだギターを持っている友だちはいなかった。。
自分なりになんとか、コードも憶えてみた。あれも弾ける。これも弾ける。
そしてオリジナルもやがて作り始めた。。ギターは友となり長いつきあいとなる。
思い出せば、あの朝、学校に行く途中・・・・
(そうだ、そうだ。そうなることはあるだろう)
僕は納得し、ギターを残してそこを後にする。
「Songs From A Room」05.7/18
レナード・コーエンの'69年に出たセカンドアルバムがある。
このアルバムは、白黒の実にシンプルなジャケットで、サウンドも歌もたいへんに地味な方だ。
普通に買ってきて、そしてかけたとしたら、まあ弾き語りの古くさいアルバムに聞こえるかもしない。
裏ジャケットには、ギリシャのイドラ島で撮られた広い部屋の写真。
曲目はタイプライターで打たれた文字。
持っている人はわかるかもしれないが、独特な空気感のあるアルバムだ。
ゆっくりとした声で唄われる一曲目「電線の鳥」。
かすれた声にもなっているが、とても自然。
何度聞いても新鮮であり、名唱だと言ってもいいだろう。
最近、レナード・コーエンの伝記を読んでいて、
このアルバムがとてもよい環境の中で録音されたということがわかった。
とてもリラックスして唄われているのがよく伝わってくる。
街角の貼られているポスターのようではなく、
いわゆるライブハウスと呼ばれる場所ではなく、
現代なら大きなCD屋さんでなく、
木の椅子に座って、すぐそばで歌ってくれているようなアルバム。
「Songs From A Room」。チケット代もなく、僕もまたその部屋に座っている。
多くのアルバムを聴いてきたけれど、このアルバムの空気感は独特だ。
いくつかの事がちょうど良い感じで重なり、このアルバムが出来上がったと思う。
夕暮れの広い時間を感じる、そんなアルバムだ。
邦題は「ひとり部屋にうたう」。
「ホッペタ・フォーエバー・ヤング」05.7/16
最近、僕はある妄想にかられている。
年々、だんだんまた若くなったりしないかなと。
そんなことは無理だけれどね。。
夜、ついつい横になってしまい、夜中に目がさめた。
ぼんやりとしていると、自分の感覚がほっぺたとつながっていると知った。
体中の中で、ほっぺたがいつも意識されているようだ。
若い頃にくらべると、たしかにほっぺたが重くなったように感じられている。
いろんな事を忘れがちな僕であっても、だいたい自分の年齢はわかっている。
時の流れとは、ほっぺたの意識の中にあるのかもしれない。
逆を言えば、ほっぺたをもっとあげると、年齢意識も若くなるかもしれない。
「なんか俺、20才くらいみたい!!」。そんなふうに思えるかも。
まだ先の話だが、自分が老人になったという感覚も、ほっぺたで感じていそうだ。
何年生まれだとか、何歳だとかの記憶ではなく。。
さて、ほぺった体操でも始めるかな。
「フォーエバー・ヤング、フォーエバー・ヤング」と、
「各駅よりも遅い電車」05.7/13
最近、各駅停車を利用している。
ちょうど今、厚い伝記の本を読んでいて、電車の中が読書時間になっているのだ。
伝記も中盤に入り、ストーリー的にも面白くなってきた。
いままでよりも同じ時間で、ページの読む枚数が増えている。ストーリーもそのぶん進む。
集中して本の世界に入っているので、まるで違う世界にいっているようだ。
ひと駅ひと駅が長い長い。両国から新宿まで、なかなかつかない。
各駅停車よりも遅い電車に乗っているようだ。
本の伝記のほうは、乗っている間に二三年は進む。
時の流れが、早いのか遅いのか。
アインシュタインの理論がそこにあるようだ。
伝記を読むのは不思議だ。時に各駅で読む伝記は、、。
時間はきっと各駅よりもゆっくり流れているんだな。
「最初の自転車」05.7/10補助車をつけて走った、
君は最初の自転車を憶えているか。
半年くらいで補助車はとれ、そして町を乗りまくった。
あの最初の自転車。記念すべき一台目。
僕は今も毎日、仕事で自転車に乗り続けている。
家に帰ってからも、どこにゆくにも自転車だ。
最初に買った自転車は、ナショナル製で、
フレームが青、タイヤカバーはクリーム色だった。
その自転車で、僕は町のどこへでも行った。
やがては小さくなり、それはもう乗れなくなった。
僕はウインカー付きの自転車に心をゥキゥキとさせた。
古くなれば、また新しい自転車をずっと買ってきた。
しかし外にいるときはすべて、
僕は今もあの最初の自転車に乗っている気がする。
歩いているとき、お店にいるとき、
あの青いナショナルの自転車を感じる。
「夜道、わたしの姿」05.7/8
元気そうにしていても、疲れはたまってくる。
夏になって、心も頭もぼんやりとしてきた。
夜中、近くのストアーまで買い物に出かける。
ナイロン袋を片手に夜道をまた帰ってくるけれど、ふらふらぎみだ。
私の姿は、見た目は人間でありながら、
その内側は崩れ、得体の知れない生き物になっている気がした。
家のガラスには、そう映っているかもしれない。
それが真実でありながら、私の姿はいまだ人間のままだ。
ふとした次元の隙間に入ってしまえば、逆になるだろう。
「はやくにんげんになりたい・・」
しかし、いずれまた戻ってくる。
「板ガム時計の毎日」05.7/6
ふと、気がつくと横になっている。
最近は年齢のせいか、何かひとつやるたびに、横にならないと次に進めない。
そして数時間眠ってしまう。もちろん時計も進む。
昨日はそんな繰り返しだった。目覚めれば、寝床に自分がいる。
なんだか僕の住んでる時間は、布団という板ガムのような気がした。
アナログ時計でもなく、デジタル時計でもなく、板ガム時計。。
板ガムはだいたい8枚くらいが重なっている。
その厚さは24時間ではなく、だいたい1.5センチ。
実感のない、妙に早い一日。
何度でも、板ガムになってしまう自分。
いやだなぁ。こんな時間はいやだ。
僕はもう一度、柱時計の時間に戻りたい。
「一日の終わりとは」05.7/4
何かしようと思うとき、どうしても夜の12時を回ってしまう。
それでもまだぼんやりとしてて、1時を過ぎたくらいから、何かしようと思う。
「さて、やるか!!」と、思うのだけれど、当然、眠たい。。
結局、何もやれずに横になってしまう。
まだ若かった頃、すべてのテレビチャンネルが放送終了になってから、
よくノートに向かったものだった。
それは一日が終わったあとの時間だったのだ。
一日は24時間と言うけれど、一日にも睡眠時間をあげてはどうだろうか。
「今日が今終わりました。もう明日の時間です」では、どうも無理がある。
僕は今日にオヤスミを言ってから、そっと何か自分の事を考えたい。
極端な話、僕自身が眠りに着いてから、何か考えたい。
(それは無理だ。。)
朝、電話器が「時間です。」と言って僕を起こす。
それならば、今日の終わりも告げてくれないかな。
「一日が終わりました。おやすみなさい。」
「素晴らしきギターケース」05.7/2
ギターも買ったが、ギターケースもかなり買った。
僕はハードケース派ではなくソフトケース派である。
ソフトケースにもいろいろあるが、合成皮革派である。
東京に出てきてすぐに買ったケースは、持つ所がすぐにだめになった。
ケース全体にスポンジもついているが、ギターを守ってくれる感じではなかった。
持つ所が取れたので、僕は自分で縫って補強して使っていたが、また取れてしまった。
教訓は「持つところが弱いケースはだめだな」と言う事。
次に買ったケースは、肩掛けのベルトがついていた。
これならバッチリと思って使っていたが、ベルトとケースをつなぐところが切れてきてしまった。
また糸で補強して使っていたが、それにも限界があった。
教訓は「肩かけベルトとケースをつなぐところが丈夫でないとだめだな」と言う事。
あるとき僕はお茶の水の楽器店で、素晴らしいギターケースを見つけた。
それはソフトケースの欠点と思われるところが、すべてクリアーされていた。
壊れそうなところは、強く丈夫に最初から補強されていた。
誰が作ったのであろう。これこそ、楽器を愛する者たちのケースだ。
そのケースは予想通り大変に丈夫であった。10年以上使っているが、まだまだ使えている。
本当に素晴らしいケースを作ってくれたものだ。
ふと気がつけば、この人もあの人もそのメーカーのギターケースを使っていた。
・・・・
小さい頃に見た時代劇で、こんな話があった。
ある武士が、とても丈夫な「わらじ」を作って生活の糧にしていたら、
本業の人たちが会いにきて、「おまえの作るわらじは丈夫すぎるんだよ!!」と文句を言った。
たしかに、商売という面から言ったら、ある程度で壊れてくれた方が良いのだろう。
電化製品にも言えるけれど、僕はそういう事はあるなと思っていた。
しかし、あのギターケースのメーカーはすべてを裏切り、丈夫すぎるケースを作った。
あの武士と一緒だ。
それも値段はそんなに高くはない。
そのうちNHKの「プロジェクトX」で取り上げて欲しい。
「メーカー栄誉賞」をあげて欲しい。
「教科書」にも載せて欲しい。
そのギターケースの素晴らしさは、僕らの強い味方だ。
「地球ゴマのバランス」05.6/29
部屋の中には、ずいぶんと読んでいない本もたまってしまった。
時間はあるはずなのに、むだに過ごしていることが多い。
僕が小さい頃に思い描いていた生活はこうだったろうか。
どうもこう集中力にかけてるというか。。
いろんな原因が考えられる。疲れという理由もある。
しかし、今日はこんなふうに考えてみた。
僕の生活の中にある地球ゴマのバランスがうまくいっていないのではないかと。。
「地球ゴマ」は以前、縁日でよく売っていた、中心で回転しながらバランスをとる金属製のコマだ。
ななめになった状態でもそのままでいられるバランスの良いコマである。
小さい頃、「地球ゴマ」を使い、その不思議さに驚いていたものだった。
手のひらや、指の先に乗せて回して遊んだ。みんなもきっとそうだろう。
あの磁石のような空間の重さ。
僕は、誰の生活の中にも、きっと「地球ゴマ」が回っているのではないかと思う。
地球ゴマは微妙な調整で出来ていて、ほんの少しの調整の違いでも回り方に揺れが出てしまう。
きれいに回らず、止まったように見えない。
生活の中にある「地球ゴマ」が、その人の人生の中でぶれずに回っているとき、
いろんな出来事や気持ちも、ひとつのつながりが止まったように、うまく見えるのではないか。
迷いもなくシンプルに暮らしていけるのではないか。
その中心の地球ゴマが揺れながら回っているとき、また回転スピードがゆっくりなとき、
何か空間にすきまが出来てしまうのだろう。
「文字も長いこと・・」'05.6/27
先日、新しい本の古い文字を見た。
古い文字と言っても、古い漢字表記ではなく印刷書体のこと。
たぶん1950年代半ばくらいの印刷文字であろう。
新しい本でありながら、一見して古い印刷の本だとわかる。
もっと古い本はきっと漢字表記も新しくなり、新しい書体で印刷されているであろう。
その本はきっとぎりぎりで、現代まで残っているのだ。
たぶん今のまま、この先も、その本は生き残るであろう。
何十版も再印刷され、ある意味、もう長老の本だ。
はるばると50年。
数多くの人に読まれ、もう文字が文字を越えて、
生き物になっているように、僕には見えた。
文字の方だって、長いこと同じ文章をやっていれば、何か極めてくるのではないか。
その文を眺めた、数多くの人たちの思い浮かべたイメージ。
その一文のもってる役割どころ。
50年もやっていれば、素晴らしい名役者なっているようだ。
なかなか読み応えがある。
「OFFうた」'05.6/25
先日のライブでは、とある事情でライブ前に体力をかなり使ってしまった。
その日は長めのライブで、50分を過ぎたくらいからパワーダウンしてるのがわかり、
曲を飛ばしてラストの一曲に集中した。
自分ではもう90分くらいたったかなと思ってしまった。
録画したビデオをみると、5曲目くらいまで、いい感じで歌っていた。
しかし、一曲一曲に集中しすぎていたのだろう。後半から疲れが出ていた。
これは問題だ。
途中で「OFFうた」を入れたほうがいいな。
「OFFうた」とは、今日、僕が作った造語である。
静かめな曲、ピッキング演奏の曲、短めの歌でもない。
僕はいつも、ライブでは、静かめな歌をはさむようにしているが、
結局、歌詞に演奏に集中して歌っていることは一緒だ。
これでは、歌う方も聴く方も疲れてしまうだろう。
そこで、疲れをとる休憩ソングとして「OFFうた」をはさんでみたい。
僕はどうやって歌ったらいいんだろう。どうやって演奏したらいいんだろう。
仕事でひと休みをしているとき、流れてくるような歌とメロディー。
歌い手も聞き手も感覚の疲労がとれてくるような歌。
そんな歌を途中で歌ってみたい。
そうすれば、疲れずに最後まで唄えそうだ。
しかしそんな「OFFうた」は、いままで作ったことがない。
僕のレパートリーの中にはない。
「ひとやすみSONG」のタイトルで作ってみるかな。
「あの店で」'05.6/22
実家の近くにあった「勉強堂」は、もうとっくにない。
小さい頃の僕には、広く感じていたけれど、
今、思い返せば、ほんとに小さな店だった。
小さな店だったけれど、なんでもあった。
勉強堂というくらいだから、文具はもちろんあった。
(勉強という意味合いは違うかもしれないが・・)
プラモデルもあった。生活雑貨もなんでもあった。
食料品はチョコとかガムだった。
表には小さなショーウインドウがあった。
僕は小さい頃から通いつめていたので、店のどこに何があるかよく知っていた。
店の奥のどこから何が出てくるかも知っていた。
僕はホントに良いお得意さんだったのだろう。
「ツケでお願いします」と言えば、お金はいらなかった。
メガネの小柄のおじいさんと、おばあさんがやっていた。
その声はいまもよく憶えている。
・・・僕は今日、目を閉じて、自分の頭の中を探ってみた。
するとどうだろう。まだあの「勉強堂」が頭のすみの近くにあったのだ。
まるで実家のそばにあったように。
あのメガネのおじいさんはとうに亡くなった。
そして「勉強堂」のあった場所は今、コンクリの空地になっている。
空地になって、もう10年くらいたっている。
でも、僕も頭のすみには今もあり、何でも買うことができる。
そこには、あの、おじいさんもおばあさんもいる。
「古来からあるもの」'05.6/20
携帯デジタルオーディオプレーヤの話題で申し訳ない。
僕もまだ使い初めて一週間くらいなものだが、いろんな発見がある。
約20枚ほどのアルバムが入り、その中の曲を選ぶのが実に簡単なのだ。
だから、そのときの気分で聴きたい曲を、即座に出せて聴く事ができる。
そしてまた聴きたい曲を選ぶ。これは、いままでになかったことだ。
なんだか、次々と歌う鼻歌の逆のようだ。
・・・・
いままでの携帯プレーヤでは、アルバムを一枚聴いてゆくのが普通だった。
「アルバム」は素晴らしい。それは僕も認める。
しかし考えてみれば、鼻歌をアルバムの曲順通りに唄ってゆく人は、まずいないだろう。
自分の心のままに、みんな次々と好きな歌を歌ってゆく。それが自然であろう。
それは古来からあったものではないか。。
・・・・
携帯電話がある。しかしそれは現実的には不思議の世界に入る。
携帯CDプレーヤーがある。それは持ち歩けるステレオのようだ。
それは進化した文明だった。
しかし、携帯デジタルオーディオプレーヤーは、鼻歌のような感覚が残っている。
ほぼ同じ気持ちだ。
人間の持っている古来からの喜びがそこにある。
「それからのおわり」'05.6/18
古いパソコンのスイッチを入れたら、
みごとに壊れてしまった。
接続部分が壊れて、もう二年ほど引退していたパソコンだったが、
中身は大丈夫だったので、予備機として活躍していたのだ。
煙のようなものが出た。
こんなふうな終わりを想像もしていなかった。
「スイッチは入れない」と紙を貼り、僕は元箱にしまってしまった。
予備機がないと、これからいろいろ困ったことも起こる。
(まいったなぁ・・。どうしよう・・)
そんな現実の事で頭がいっぱいになっていたが、
一日たってみると、とても哀しくなってしまった。
古いパソコンが壊れたのは、ストレスからでなかったか。
毎日、使い続けていれば、順調であったろうに。
まあ、機械は機械だからということもできる。
しかし相当にがんばってくれたと思う。
突然に壊れるのはいやだな。
だんだんスピードが遅くなって引退というのがいい。
「黙々集中ラーメン食べ人間」'05.6/14
こんな経験は初めてだ。
でも、たいした事ではないけれど。。
駅からの帰り道にラーメン店が最近出来た。
ここ高円寺に住んでいる人間としてはね、一度は食べに行かないと、と思う。
ラーメン店が多い、この町では店も選び放題だ。
新しく出来た店は、ちょっと有名な店で、もう一軒、同じ系の店が高円寺にはある。
その店に行くと、なんだかみんな黙々と集中してラーメンを食べている。一種独特な空気感だ。
僕も何度か食べた事はあるけれど、そこまではならなかった。
今度、近所に出来た店もオープンしてからずっと人は入り続けている。
僕も食べてみる。味はほぼ一緒だった。
(まあ、しばらくはいいかな。いつかの機会にまた来よう。。)
と、自分なりに答えを出したのだった。
しかし、次の日の夜中になり、どうしても、また食べたくなってしまったのだ。
(えーっ、なぜ?)
もう、足は店へと向かっている。
そして次の日も行ってしまった。昨日と同じ味なのに、今日はおいしいと思えた。
(まあ、ふつかも来たし、ときどきは寄ろうかな。。)
と、昨日思った。
そして、今夜も夜12時近く。なぜかまた食べたい。。
僕はどうしてしまったのか? なぜ食べたいのか?
(なんだか、やばいな。同じ味なんだけどな。)
僕もあの、黙々集中ラーメン食べ人間のひとりになるのか。
「署名」'05.6/12
今、レナード・コーエンの伝記を読んでいる。
多くのシンガーたちにとりあげられている『ハレルヤ』の歌の作者として、
現代では知られているかな。
その歌は、詩とメロディーと声がひとつの世界を作り上げていて、なんとも奥深い。
レナード・コーエンは'67年にレコードデビューしているが、
実は'50年代後半には、すでに詩人として有名になっていた人だ。
'51年にはもう大学生だったレナード。
それからよく出版物に詩が載るようになっていった。
ボブ・ディランのデビューが'62年で、レナードの歌のデビューが'67年。
遅れて来た新人歌手のようであるが、ディランよりも7才年上であり、
その前の物語がはるばると続いていたのだ。
今回、伝記を読んでいて、'50年代の物語が興味深い。
'55年、ニューヨークに遊びに来て、小説『路上』を発表する前のジャック・ケロアックに会い、
ビート詩人のアレン・ギンズバーグの部屋にも行っているのだ。
レナードには、レナードの物語が時代とともに続いている。
時代をちゃんと見てきた証人でもあるだろう。
'67年デビュー以後のレナードしか知らない人も実は多いと思う。
今年で71才になるレナードの伝記を読んでみると、
アルバムデビューまででも、十分に本になるという事がわかる。
'50年代のいろんな場所にレナードは実際に居た。
出版物の中に、コンサートチラシの中に、手帖の住所録の中に、
「Leonard Cohen」の名前がある。
「この日が来ると思っていた」'05.6/9
サッカーのジーコ監督が、ワールドカップ出場を決め、こう言った。
「私は必ず、この日が来ると思っていた」
そして先日、新宿の電気量販店に行き、
デジタルオーディオプレーヤー売り場を訪れたとき、僕も同じ事を思った。
携帯オーディオの状況は今、想像を越えてたいへんな事になっていた。
(まだ10種類くらいなものかな〜)と思っていたのに、山ほど出ていたのだ。
小さい小さい。びっくりするくらい小さい。
携帯オーディオファン20年の僕としては、欲しくてて欲しくてしかたがない。
どこかいいかと言うと、いままでのリモコンの部分だけで済んでいる事だ。
持ち運びは最高に便利だろう。新しい音楽生活の予感がする。
カセットテープから始まった携帯プレーヤー文化は、いよいよ極まったようだ。
思い返せば、長い長い道のりだった。
「この日が来ると思っていた」
人生には楽しみが必要だ。
携帯オーディオはまさに、夢、憧れの世界に突入しようとしている。
どれも欲しい。どれも欲しいけれど、僕はひとつも持ってはいない。
「世界食物パスポート」'05.6/6
先日、韓国料理店に行っていろいろと食べた。
美味しかったなぁ。
あの、なんとかって言う焼酎もよかった。
食べながら、飲みながら、
こんなふうにいろんな国の料理を食べられたらなあと思った。
「イタリア料理」「フランス料理」「韓国料理」他、
まるでジャンルのようにそれはあるけれど、
その国に旅行に行ったように、食事を楽しめないかな。
モンゴル料理、ドイツ料理、ブルガリア料理、チェコスロバキヤ料理、他、
実際に海外旅行するのは大変なので、旅行するように食事がしたい。
たしかに世界各国のレストランはあるけどね。
マイナーな国のレストランもあって欲しい。
世界地図に押せるスタンプを作りたいな。
そうだ。パスポートだ。
世界食事パスポートに入国スタンプを押してもらおう。
「次は、ポルトガルに行きたいね」
お土産も買いたいな。
「サイモンとガーファンクル島」'05.6/4
先日、ライブハウスにて『サイモンとガーファンクル』のベストアルバムが、
セッテイングの間ずっとかかっていた。
サイモンとガーファンクルと言えば、'60年代の半ばから'70年代にかけて活躍したデュオグループだ。
「サウンド・オブ・サイレンス」「ボクサー」「明日に架ける橋」他、ヒット曲も数多い。
僕も若い頃、よくベストアルバムを聴いたので、どの曲もよく知っていた。
ヒットしたときから約30年ほど経っているが、その二人のデュオの良さが今も十分に生きていた。
そのジャンルを『フォーク』と言ってしまえば、それまでであるけれど、
僕には、地図の上のひとつの島のような気がした。
『サイモンとガーファンクル島』
そこは島であるわけだから、たぶんジャンルとかは関係がない。
現代文明の影響も少なく、島の風習もずっと変わらない。
もう変わらない『サイモンとガーファンクル島』。
そこでは、今も未来もふたりが「ようこそ」と言っている。
有名なヒット曲はまるで名所案内のよう。
中高生の頃、僕は彼らの歌で、そうとうに楽しませてもらった。
その状況は、今も変わらずに待っててくれるだろう。
「名残の言葉」'05.6/1
ハーフの子供が母親にこう言うのをきいた。
「ママー、筆箱とってよ」
筆箱というけれど、さて、この現代に筆が入っているだろうか。
『ペンシルケース』じや、なんだか呼びにくい。
もう筆の入っていない筆箱。いつかネーミングが変わってしまうのだろうか。
先日も、カセットテープを一本・二本と呼んでいることは、
たぶんテープのみの時代のなごりなのだろうなと思った。
小さな子供はやがて、「なぜ、一本なの?」ときくだろう。
僕はそういう名残の言葉が好きだ。
そして新しく残ってゆく言葉も好きだ。
「メール」という呼び方も、日本語に置き換えた言葉があってもよいが、
まだ出来てはいない。
英語なら「E-MAIL」なのだろう。「メール」とはなんとも範囲広い言い方だ。
しかし、この言葉も残ってゆくだろう。
「母さん、なんでメールっていうの?」「それはねぇ・・」
最近の日本語は乱れているというが、ネーミングに関しては自由でいい。
「15年読まれた新聞」'05.5/31
・・そんな馬鹿な、と思うかもしれないが実は本当だ。
それも昨日、僕は1990年の同じ日の新聞を読んだ。
数ヶ月に一度、大きな布にイラストや文字をを墨で描くとき下に敷いてきたのだ。
・・な〜んだ、とか言わないで欲しい。
基本的に新聞はとっていなので、その新聞は何度も使われてしまったのだ。
いつも布を描くことに必死なので、同じ新聞であることは気にならなかった。
しかし、これだけ同じ日の新聞をある目的に使い続けたのも珍しいだろうな。
毎回読む、その日の記事。もう15年もたってしまった。
そして昨夜、僕は布と墨で夜中に格闘していた。
せっかく一度描きあげたものの、どうしても納得がいかなかった。
布と格闘は朝まで続いた。
下に敷いていた新聞紙は、さすがにボロボロになってしまった。
一夜にしてボロボロ。時が来たということなのだろう。
あらためて日付を見て僕は驚いた。
あらためて新聞を見れば、そこには15年の闘いの跡が見えた。
「イヤホンを両手で押さえてみると」'05.5/27
総武線に乗って高円寺から荻窪へ。
午後7時すぎなのに、珍しくなんだか電車の中はすいている。
シートにひとり座って携帯CDプレーヤーにて、フェルクローレを聴く。
最近、はまっているのだ。
ボリュームを上げるかわりに、両手でイヤホンごと耳を包み押さえてみる。
すると耳の回りにできた空間に、フォルクローレの楽団がリアルに演奏しているではないか。
そこはペルーか。ボリビアか。
携帯プレーヤーで聞く音楽は、いつもこの耳まで届いている。
しかし、それは逆であってもいいわけだろう。
演奏者の場所まで行けないというけれど、それは観念ではなかったか。
どんなアルバムだって、君の所まで行けるはずなのだ。
行こうじゃないか。それはイヤホンを両手で押さえるだけ。
「空振りと歯車」'05.5/25
何がきっかけで、歯車が回るかはわからない。
思い切り投げられたピッチャーの球を、思い切り空振りする人。
卓球の試合で、打たれたスマッシュを打ち返そうとした空振り。
球にかすりもしないとしても、そのアクションは当たったときとそんなに変わらないだろう。
そして僕らの中に歯車がある。
それが回り始めるためには、もうひとつの歯車が必要なわけではない。
誰かの何かのアクションが、歯車を動かすきっかけになる事もある。
それは知り合いかもしれない。知り合いでないかもしれない。
テレビドラマの中の人かも、話の中の人かもしれない。ひとつの歌かもしれない。
誰でもいいんだ。何でもいいんだよ。
そして歯車が回り始める。それはアクションのおかげ。
「切手の出番」'05.5/23
金曜日に買った80円切手10枚が見つからない。
10枚をペラペラの袋のまま、僕の記憶では財布の中に入れたはずなのだが。。
その財布の中にはない。さて、ホントに僕は切手を買ったのか。。
財布から出して、テーブルの上にでも置いたかな。それともカバンにしまい直したかな。
それとも仕事中のカバンの中に入れてしまったのか。
もしそうだとしたら、月曜日まで待つしかない。きっとそうだな。それしか考えられない。
そして月曜日、バイト先のカバンを探してみるけれどない。
紙の間に挟まっているかもしれない。探してみる。もっと探してみる。
仕事が終わり、カバンの中を全部ひっくり返してみたけれどない。
ロッカーの中も全部見たけれどない。
考えうるすべての場所を探してみたけれどない。
(もしかして、買ったつもりだったのか・・)
(まあいいさ、切手も旅に出たと思えば。。)
(ああ、探し疲れた。ジュースでも飲むか。)
そう思って帰り道、ジーンズのポケットの財布を出すと、財布の回りに切手のペラペラ袋が張り付いていた。
財布からはみ出て、ポケットの中にしまわれていたのだ。
「あった。」
最後の最後に出てくる切手。
「ライオンのように歩くライオンはいない」'05.5/19
こんな大げさなタイトルをつけちゃって。
今日はギターの話。いや、代表してギターに登場してもらうのかな。
ギターのストロークやピッキングは、どう考えても僕には動物の歩行に思える。
と言うか、生き物の自然な流れだ。
そう思って僕はギターを弾いているけれど、さて、世の人々がみなそうと言うわけじゃない。
「こんな感じ」「あんな感じ」と言った、ピッキングを弾いている人は多い。
しかしねえ、ギターのピッキングはひとたび始めたなら、ある動物が歩いてゆくようなものだ。
そして走ってゆくようなものだ。
世界中の動物辞典に「ギターピッキングアニマル」が載ってないとしても、それは確実に存在している。
そう思ってギターは弾くべきなんだ。「こんな感じ」ではなく。ライオンのように歩くライオンはいない。
一曲一曲の始まりとともに、その生き物はやってくる。
「満足する心」'05.5/13
交差点に向かって自転車で歩道を走っていた。
すると交差点から一番近い家から、一匹の白い犬が留め綱もなく飛び出して来た。
(あぶないなぁ・・)と、思っていると、交差点にある電柱までかけて行った。
すぐそばにいる僕の隣で、白犬は電柱にオシッコを少しかけ、また悩むことなく家へと向かって行った。
家では主人が待っていて、ガラス戸をさっと閉めた。
そういえば、そのガラス戸の家では、白犬を飼っていたことを思い出した。
白犬は綱がなく、そのままどこへでも走ってゆけただろうに、また家に帰ってゆく。
その交差点の電柱にオシッコをかけることが、白犬にとっての満足する心なのだろう。
ガラス窓からいつも、この交差点を見ているだろう。
自分の存在をそこに示したいのだ。
僕らもそんなふうに、「満足する心」を日々満足させながら暮らしているのではないだろうか。
満足する心とはなんだろう。
携帯式CDプレーヤーできく、いろんな音楽だろうか。
駅からアパートの帰る途中で買って帰るショートケーキのようなものか。
土曜日に何もせず、一日横になっているようなものか。
僕らもきっと知らず知らずのうち満足して、また家に帰っている。
「旅の出番を待っている」'05.5/11
僕も、それなりの年になったせいか、もの忘れがひどい。
もの忘れというより、リピート現象だ。
トイレに行くたびに台所にて、
(ああ、珈琲が飲みたいな。。)と、思う。
お湯を沸かし、珈琲カップにインスタントコーヒーを入れる。
そして机の前に持ってくると、そこには珈琲カップがある。
(あら。)
とりあえずテーブルの方にカップを移動すると、そこにはまたふたつ、みっつと。
(なぜ、思い出せないのだろう。反省。)
そして、流しの方へカップを抱えてゆくと、あるひとつの事実に気が付いた。
カップが等しく巡っていたのだ。
それはひとつのすごろくのようであったのか。
またここに帰ってくる旅。
もし僕の記憶が良かったら、この旅は生まれなかったであろう。
「裸電球は知っている」'05.5/7
僕の部屋では、いつも裸電球がついている。
アパート暮らしをしてからずっとだから、もう20年以上にはなる。
仰向けになり、ふと気がつけば、裸電球を見ていることが多い。
僕の中で起こるいろいろな出来事も、その黄色い光の中に溶けているようだ。
この部屋から遠い異国の街もまた、裸電球を通した向こうにあるようだ。
たぶん僕はこの柔らかい黄色の中で、考えたり眺めたりしている。
その昔、長寿世界一だった泉重千代さんが、テレビのインタビューで、
「いつ、その日が来るかは、お天とさんだけが知っている」と、答えていた。(と、記憶しているが・・)
僕にはそれが裸電球のようである。
裸電球は知っている。でも、教えてはくれない。
知っているとだけ、僕は知っている。
「一人大所帯バンド」'05.5/4
人生は旅。思い返せば、いろんな僕が生まれてきた。
野外ライブが決まっているその日、日本中から、そのいろんな僕が集まって来ないかなと思う。
ステージでは何人もの僕。それぞれに旅をして、まるで違う服装、違う髪型。
音楽のセンスも違う、扱う楽器も違う。
しかし、意思は通じあい、まるで大所帯バンドのよう。
(この曲は、おまえが主役さ!!)
たぶん、そんなふうに僕らはみんな、自分を旅に出しているのではないか。
それぞれにできるだけ勝手にしなくてはいけない。
自分がどこに行こうと引き留めてはいけない。
そして、野外ライブのある日に集まれば良いのだ。
「やあ、久し振り!!」
「元気?」
「お茶の水・喫茶ハトヤ」'05.5/1
お茶の水の三省堂書店の近くに、大きな喫茶店「ハトヤ」はあった。
僕が東京に出てきた'80年頃から、お茶の水に行くたびによく利用していた。
昨日も友達と入ろうと思って、探してみたけれれど見つからない。
・・もう7年くらいは寄っていないのだが。。
喫茶「ハトヤ」は大きな喫茶店で、とてものんびりできるのだ。
記憶を辿ってみると、やっぱり違う店に変わっていた。まさかと思ったが本当だった。
喫茶「ハトヤ」には思い出が多い。楽器屋を巡り古本屋を巡ったあと、よくその窓際に席で創作をしたのだった。
いつ頃、なくなったのであろうか。
インターネットで検索してみても、ほんの少しの文しか出てこない。写真に関してはまったくない。
喫茶「ハトヤ」を利用していた人は、相当数いるはずなのに。。
写真一枚もないとはどういう事だろう。
僕が思うに、きっとどの人も喫茶「ハトヤ」が無くなってしまうなんて、思わなかったのではないか。
そして多くの人が、今も「ハトヤ」があると思っているではないか。
僕は喫茶「ハトヤ」で飲むオレンジジュースが好きだった。
「お茶の水」という名前はずっと残るのに、喫茶「ハトヤ」は消えてしまった。
友達と「ハトヤ」に寄るという楽しみも消えてしまった。