青木タカオ「ちょっくら・おん・まい・でいず」

「最近の事」過去ログ'05.2〜4月


「インディア・ポップス」'05.4/28

 僕のCDの棚の中に「インディア・ポップス」という名前のCD-Rがある。

 隠れた名作だ。と、自分で呼んでいる。

 15年ほど前、エスニック雑貨店で借りた一本のインドのミュージックテープがとても良かったのだ。

 そのカセットテープには「インディア・ポップス」と印刷されていた。

 A面に入っている四曲が実に良かった。B面は、また別の人のサウンドが入っていた。

 僕はそのA面の四曲をCD-Rに焼いて、今も良く聞いている。

 その四曲は、それぞれに個性があり、何度聞いてもあきさせないのだ。

 一曲目は。軽快のなリズムで始まる、印象的なリフレインがある楽曲。ヒットナンバーという感じだ。子供の声のような合唱にはさまって男性ボーカルと女性ボーカルが、一番ごとに入る。

 二曲目の最初はたっぷりとした前奏で始まる。そして小気味よいビートがある、少しスローなナンバーが入る。歌は男性ボーカルと女声ボーカルが交互に進んでゆく。たぶんラブソングであろう。

 三曲目は、これもまたスローなソング。しかし途中でビートが早まることはなく、女性ボーカルで淡々と歌われてゆく。インド洋の夕焼けの海が見えてくるようた。大自然に癒されてゆく気持ちになる。

 そしてラストの四曲目は、おどけたようなタイコで始まるアップテンポな歌。あのインド映画の陽気さが出ている歌だ。主人公は男性ボーカルであろう。それに答えるように女性ボーカルが答える。歌詞の展開としたら、たぶん男性の想いがうまく伝わらない失恋ソングであろう。曲の終わりは男性の歌詞のリピートがフェイドアウトされてゆく。

 この四曲は実にバランスが良い。そしてまた一曲目に戻ると、これがまた良い感じなのだ。

 この四曲はすべての気分に対応してるように思える。名作テープだと思う。

 友達が初めて僕の部屋に来たときは、この「インディアポップス」をよくかけている。


「四つ角の犬」'05.4/25

 今日、下町の路地の四つ角にいる犬を見た。

 その犬くんは、ひとりぼっちでいて、くさりもなかった。

 きっと、ちょっと遠くにやって来てしまったのだ。

 四つ角の真ん中に、犬は立ち(?)、

 一本一本の道を眺めていた。

 東西南北と体がカクカク回り。

 自分の記憶を辿っているのがわかった。

 犬くんは四つ角の真ん中で考えていた。

 インターネットで言えば、検索しているのだ。

 そして、一本の道を選んだ。

 僕には、なんとなく犬くんが、その道を選んだとしか思えなかった。

 しかし「なんとなく」以外に、どう決めることが出来ただろう。

 犬くんは僕にひとつの道を示していた。

 (迷ったときは道のすべての方向に立て、そうすればわかる。)

 了解。


「ジーンズの日」'05.4/23

 僕は365日、ジーパンをはいている。

 その生活は、人生のほとんどとなりつつある。

 アメリカからの文化には、いろいろあるけれど、

 ジーンズは世界的にもかなりのヒットだと思う。

 現在の生活の中で、ジーンズはかかせない。

 江戸時代の人がこの2000年にやって来たら、

 まずジーパンの事をきくかもしれない。

 人類の文化の中で、現在、最も愛されているのは、

 ジーンズではないか。

 僕は「ジーンズの日」を作る事を提案したい。

 お祭りがあってもいいな。「ジーンズ感謝祭」か。

 ぜひ、休日に。

 出かけようよ、出かけよう。


「僕は何かを忘れている」'05.4/19

 ときどき思う。

 忙しくてもいいから、気付いたらそのまま何年もたってしまわないかと。。

 最近では、計画的に何かし続けようとしても、集中がなかなか出来ない。

 そんなとき、時を忘れるほどに熱中して、その中にいてしまいたいと思う。

 自分でも気付かないくらいに。。

 そんなふうにして、僕はリードギターが弾けるようになりたい。

 いや、リードギターだけの話ではないんだ。

 何かに熱中している間は、もしかしたら他のことを忘れているのではないか。

 ズボンのひざに空いた穴に気付かないように。

 ひとつの事に熱中するとき、ひとつ忘れるのではないか。

 思い出せないから、そのことが優先になってしまう。

 自分ではわからないが、僕はきっと何かを忘れている。

 もっと、忘れたがっている。


「自転車で」'05.4/15

 今日、自転車に乗りながら、ふと、スピードメーターの事を思い出した。

 自転車屋さんに行って付けてもらう。1500円くらいだったかな。今もあるだろうか。。

 僕も小・中学校の頃は付けていた。時速20キロくらいだったかな。

 時速20キロ。もっと出たかもしれない。

 10時間で200キロ。

 僕の実家のある柏崎までは300キロ。

 自転車でもいけるじゃないか。

 新幹線を使わなくても。。お金なんてなくても。。

 実家だけじゃない。富山だって、名古屋だって行けるはずだ。

 そんなことをすっかり忘れていた。

 自転車がスピードメーターを思い出すとき、

 自分の力も思い出すだろう。

 強い味方がある。僕には強い味方がある。


「朝缶物語」'05.4/11

 さて、今日、僕がやるべきことは何だろう。

 手帖を開くと、もうそこに書かれてあったりするならば、どんなに楽だろう。

 しかし、そんな手帖はどこにもない。

 僕が今日、やるべき計画はどこにあるのだろう?

 この部屋のどこかを探せば、それは見つかるだろうか?

 「それは一冊の、この本の中にありますよ」

 と、言われても、200ページじゃわからない。

 いったい何から手をつけてゆけばよいのだろう。

 順序よく整理されていることからは、ほど遠い。

 せめて、この部屋から駅までくらいのシンプルさで、やって来ないものか。。

 今朝も、いつも通りに途中の自販機で、僕は缶コーヒーをガラリンと落とす。

 もう春なので、そろそろつめたい缶コーヒーにしてみる。

 プルリングを開けて、僕は少し缶コーヒーを 歩きながら飲んでみる。

 すると、今日やるべきことが、もうすでに缶コーヒーの中に書き込まれているのがわかる。

 部屋のどこにも、見つからなかった今日の計画は、すでにそこに用意されていた。

 ひと口ごとに、今日の計画は僕の中に書き込まれる。

 それは缶コーヒーでなくても、かまわない。

 朝缶の中にきっと、今日は計画はとけている。

 歩き始めれば、そこにあるのだ。


「その曲が」'05.4/8

 インターネットには検索機能があり、たいへん便利だ。

 しかしそれは文字だけで、メロディー検索機能はついていない。

 僕には、小学校の頃に聞いたきり、タイトルもわからない歌があった。

 小5の頃かな。。

 学校近くの野外ステージに行くと、20才くらいのお姉さんたちが、音楽に合わせて踊っていた。

 たぶん、何かの予行練習だったのだろう。その踊りはモンキーダンスだった。

 そこで流れていた音楽は、60年代のポップスであり、たいへんノリの良いリズムとメロディーだった。

 「♪アッ、アッ、アッ、アッア、アアア〜」

 いかにもその曲は大ヒットしたと思えた。お姉さんたちは、横に並び、両腕を交互に上げ下げして、

 モンキーダンスを踊る。まるでとりつかれているようだ。

 しかし、何とも楽しそう。 (あれがモンキーダンスか、、いいなぁ。。)

 踊りも良かったが、流れていた曲も良かった。とても有名な歌なんだろうなと思えた。

 その帰り道、そして家に戻ってからも、僕の頭から、あのモンキーダンスとあの音楽が消える事はなかった。

 一人部屋で、そのメロディーとともにモンキーダンスを踊ってみたりした。

 (これ、なんてゆう曲なんだろうなぁ。まあ、そのうちわかるさ。きっと大ヒットしたはずなんだ・・)

 そう思い続けて、はるばる30年もたってしまった。その間、その曲をどこかでもう一度聞くこともなかった。

 僕の脳裏に残る、あのモンキーダンスのお姉さんたちと野外ステージの午後。。

 ・・・・

 そして最近、その曲がなぜか、ひんばんにCMで流れている。 

 流れてはいるけれど、それを歌っているグループはわからない。曲名もわからない。

 かなりノリがいい。また再ヒットするかもしれない。

 僕は思う。あのとき踊っていたお姉さんたちも、きっとCMに反応してるであろう。

 その曲が流れるたびに、僕はあの日に戻ってしまう。


「手帖アゲイン」'05.4/4

 ここ最近、また手帖を活用している。

 デジタル文化は進んでいるけれど、やっぱり手帖は良い。

 僕に手帖は良い。

 健康に手帖は良い。

 一日一手帖。

 携帯電話も便利だけどね。

 たぶん手帖文化は、明治時代から変わってないのではないか。

 まあ「システム手帖」はまた別ものかもしれませんが。。

 手帖って、なんか、でしゃばってなくていい。

 一年がちょうどいい厚さになっている。

 だいたい8mmくらい?

 手帖は軽くていい。一年がだいたい200グラム?

 手帖は、開いたときのはばがいい。

 手のひらの中で開けるはばがいい。

 手帖はいい。「てちょう」という響きがいい。


「サウンド背景」'05.4/1

 今日、ふと、古いアパートを通りかかると、

 古いラブソングが流れていました。

 昭和40年代かな。でも歌っている人は若いのです。

 三田明かな。きっとそうだ。三田明なんて、みんな知ってるか?

 歌詞の内容は、まあ定番のことだけれど、君に永遠の愛を誓おう〜、とか歌っていた。

 サウンドがなんとも古く、40年代そのもの。

 でも、それでいいんじゃないか。

 僕は今日、思ったのだ。

 ウン十年×2倍くらい音楽は聴いているけれど、今日、思ったことがある。

 君のいた季節、君のいた時代。そのサウンドを聴いていると、そのまま思い浮かぶんだ。

 いままで、君のサウンドが古いとか、ビートが甘いとか、いろいろ言ってきたけれど、謝るよ。

 ほんと、ごめん。

 サウンド背景が、見えてくる。そう、それが大事なんだ。


「ギターリバーブ」'05.3/30

 ギターのボディに耳をつけて、ピッキング奏法で弾くと何とも良い音がする。

 ボディによるリバーブが気持ち良いのだ。その音は雑音もなく、とてもクリアだ。高いギターはよりよく聞こえてくる。

 ホレボレしてしまう。僕が好きなのは、耳とギターの間に雑音がなく、なおかつ自然なリバーブがついている事だ。

 耳とギター、そしてピッキングの間をつなぐものはリバーブだけだ。他には何もない。

 最近のIT関連のニュースもない。僕のスランプさも、財布の事情も関係がない。

 いろいろトラブルが続いたとき、うまく進まないとき、僕はこの音のそばにいよう。


「帰郷映画」'05.3/28 

 東京だとなかなかロードショ―に行く機会がないのだが、ここ数年、実家に帰るたびに、ずっと映画館に行くようにしてきた。

 最初に観たのが「タイタニック」だった。平日の昼過ぎだったせいもあり、3人位しかお客さんがいなかった。

 観たあと外に出ると、人通りない商店街とのギャップがなんとも気持ち良かった。

 東京だと街に賑わいがあり、すぐに現実に戻されてしまうのだ。こちらの映画館を出て、家に戻るまでの時間が良い。

 「タイタニック」「ロード・オブ・ザ・リング」「ヴァン・ヘルシンク」と、順調に帰郷のたびに、大作映画が上映されていた。

 今回の帰郷も映画を楽しみにしていたが、ちょうど春休みというせいもあり、子供向けのアニメやファミリー映画しかやっていないのだった。

 くやしい。かなしい。せつない。「MASK2」をやってて欲しかったな。

 今回の帰郷はちょっと淋しい。心のおみやげがひとつへってしまった。また次回に期待しよう。


「逆シンデレラ現象」'05.3/24

 夜、柱時計に12時が来る。

 僕はそろそろ、何か始めようか思う。

 僕はこれを「逆シンデレラ現象」と呼んでいる。

 ・・今日はいろんな事がありました。

 それはもう、12時でひとくぎりとするのです。

 そして、明日という日は、朝6時から始まります。・・

 シンデレラは12時とともに、現実に戻らねばならなかった。

 しかし僕の中では、12時から日々の現実がなくなる。

 特別の時間がそこにあるようだ。

 何かしようとするとき、僕は12時になるのを待つ。

 どこからがモリモリと、イメージの時間が湧いてくるのがわかる。

 それと一緒に、睡魔もやってくるのだが。。


「青春の一枚」'05.3/21

 僕にもやっばり「青春の一枚」と呼べるアルバムがある。

 高校を卒業して東京に出て来たとき、最初に買ったアルバムだ。

 実家にいた頃は、それなりにレコードを持っていたが、

 たった一本のカセットを東京に持ってきただけだったのだ。

 今日は休みだったが、体がだるく、どうしても部屋の片付けに向かうことが出来なかった。

 そんなとき、僕は僕の「青春の一枚」を聞く。

 するとみるみる自分の体と気持ちが18才の頃に戻ってくるのだ。

 嘘じゃないぜ!!

 アルバムはいい。何年たっても、声や演奏が年をとることがなく、その頃のままだ。

 そのアルバムの中の歌詞のフレーズがこう歌う。

 「僕は大きな中央駅で歌っていた。多くの人が通り過ぎた。笑わば笑え。何と思われようと勝手だ。

  僕は思うぞんぶんそこで、自分の好きな歌とプレイを披露した。」

 東京に出てきたばかりの僕には、そんな歌の響きが自分の気持ちとぴったりだった。

 あれから25年以上もたつけれど、このアルバムはいまだに古くなっていない。

 たぶんこのアルバムが、始まりの「1」なんだな。

 君にもそんな「青春の一枚」がきっとあるだろう。


「タイのキックボクサー」'05.3/19

 先日、たまたまキックボクシングのチケットが僕のところにまわってきた。

 後楽園ホール。格闘技の試合を実際に見るのは始めてである。

 タイ、韓国、イギリス、フランスといろんな国のキックボクサーが出ていた。

 闘い方にも、それぞれお国柄というものがあるんなぁ。。

 僕にとってショックだったのは、タイのキックボクサーだ。

 まあ、キックボクシングはもともとタイが本場だが、何かもう全然ちがっていた。

 日本人が相手ではあったが、タイの選手は実に余裕があるのだ。

 テレビでもよく見ていたはずなのだが、実際に見るとその「気」の使い方がよくわかる。

 まるで大蛇のようにせまってくる。熱帯雨林の動物たちのようだ。

 パンチやキックを出しても、軽くよけられてしまう。それも顔は相手を見てるままだ。

 恐い、、。

 本来、格闘技というのは、動物どうしの闘いと似てるのであろう。

 得る物は限りなくある。

 スポーツだと思うから、どこか「気」がばらついてしまうのだ。

 タイのキックボクサーは素晴らしかった。

 日本人はどこか、やっばり空手と似ている。

 書道でいえば、筆先がはじけている文字のようだ。

 強さの象徴のように、感じられているのだろう。

 僕がもしキックボクサーだったら、

 タイの人以上に、ふにゃふにゃに闘う予定だ。


「香ばしい詩集」'05.3/16

 陽の当たるそばに置いてある、文庫本詩集の棚。

 詩集を集めてから二十年ほどたっているので、どの本も焼けてしまった。

 どういう事か、文庫本の焼けた匂いは、甘く香ばしいお菓子のようだ。

 焼き芋スイーツの匂い?

 ほぼ満員電車の中で、ポケットから詩集を出して読み始める。

 なんだかちょっと香ばしい匂い。。が、してるかな。

 きっと、ほとんどの人は、スイーツを誰かが買ってきたのだなと思うのだろう。

 おみやげかなと思うのだろう。

 まちがいなくそう思うだろう。

 しかし、実際は一冊の焼けた詩集だったりするのだ。

 今日のアポリネール詩集は甘いお菓子になった。

 美味しいですな。


「体内時間」'05.3/14

 体内時間って何だろう。

 もう何年間も、同じ時間に起きているので、今は自然にその時間に目を覚ましてしまう。

 ほぼぴったりの時間に。

 (ああ、体内時計ってあるんだなぁ)。と、そのたびに思う。

 体内時間。。

 小学校の頃、好きな授業はあっとゆうまに時間がたち、嫌いな授業は長く感じた。

 それも体内時計なのだろう。

 そして、ここ最近自分のライブビデオを編集していて、発見したことがある。

 同じ曲なのに、そのたびに早くなったり遅くなったりしているのだ。

 自分としては一緒のつもりでいるのだが。。

 よく一緒に演奏している人に、「毎回早さが違う」と言われているのは事実だ。

 体内時間には、きっとみっつあるのだろう。

 ひとつめ、自分で意識できる時間。ふたつめは、自分の意識と関係ない時間。

 そしてみっつめは、自分の中に流れている時間。

 なぜ、僕は同じ曲を、ちがう早さで演奏してしまうのか。

 しかし、他のライブと比べるからちがうのであって、そのときはちょうどいいのではないか。

 前の曲とのからみもあるだろう。必要だと思うから、その早さになるのだ。

 そんなふうに、会話も動作もきっと早さはのびちぢみしている。

 体内時計は「それで良い」と言っているのではないか。


「どこから来るのだろう」'05.3/10

 踊りの名門? の屋敷を訪ねる用があった。

 インタホンに出てくれたのは、まだ小さな子供さん。

 3才か4才であった。しかし、なんともしっかりとしていて、それでいて言葉がやわらかいのだ。

 一番僕が驚いたのは、その体の、しなやかな動きだ。

 踊りの名門に生まれたゆえの、なぜるわざであろうか。

 そう教えられたといえば、それまでであるが、何か違うものを僕は感じた。

 小さいながらも、彼はすでに師匠のようであった。

 僕には子供がいないので、はっきりとはわからないが、

 子供はきっと親としぐさや言葉と同調して真似から入るのだろう。

 実家に帰ると、僕も父とそっくりだと言われる。

 僕自身は、どこが似ているのはわからない。

 僕は不思議でたまらない。あの微妙なしぐさの似具合はどこから来るのだろう。

 生まれもってというものもあるかもしれない。


「LOOKチョコレート」'05.3/7

 不二家LOOKチョコレート

 小さい頃、とても好きだった「LOOKチョコレート」。

 もちろん、みんなご存じのように、四種類の味が中に隠れているチョコ。

 「LOOKチョコレート」が出始めた頃、JTBの海外旅行シリーズ「LOOK」というものもあった。

 なぜか僕の中では、海外旅行の「LOOK」とチョコレートの「LOOK」がうまくイメージの中で重なっていた。

 僕自身は100パーセント、海外旅行イメージチョコだと信じていた。

 小さいチョコの中の海外旅行。

 意味がわからない。

 何が出てくるかわからないところが、きっと海外旅行なのだろう。と、思っていた。

 それとも世界の果物の旅か。。

 まあ、今、客観的に考えれば、思わずチョコの中身を見ちゃうというところから、「LOOK」とネーミングされていたのだろう。

 味でわかるじゃんね。

 さて、LOOKチョコレートの正しい食べ方は、一度バラバラに列べ直してそれから食べるがいい。

 カカオ味は外れ。パイナップルは当たり。

 それが僕の海外旅行。

 さて、海外に行った先のどこかで、売っているLOOKチョコレートを食べてみたいものだ。

 たぶん世界で一番、僕が似合っているだろう。

 今でも、僕は海外旅行というと、LOOKチョコレートだと思っている。


「雪の日のプレゼント」'05.3/4

 東京では、雪の日は特別である。

 それは年に数えるほどしか降らないからだ。

 雪が降ると、その白さのためか嬉しい気持ちになる人も多いという。

 新潟県から来た僕には、ただひたすらに寒いだけである。

 だから雪の日は、それなりに楽しみを自分に見つけるようにしている。

 まず、手には手袋を。。

 首には、いちばんあたたかいマフラーを。

 頭には、ふかふかのウール帽子を。

 足にはズボン下を(ジャージ)。

 上半身には、もわもわ付きのベストを(チョッキ)。

 のどには、自販機のあったかココアを。

 背中には、貼るカイロを。

 耳には、お気に入りのアルバムを。

 帰り道のお腹には、美味しいラーメンを。

 そんなふうに、雪の日は体へのプレゼントの日でもある。

 もちろん受け取るのは僕自身。

 いいことずくめ。

 ラッキー・オン・スノーデイ。


「今ごろ」'05.3/2

 あの人は今も元気かな。

 20年ほど前、通っていた会社がある。

 その頃はポスター作りなどの印刷関係の仕事をしていた。

 アパートの近くにその会社はあった。いや、会社の近くにアパートを借りたのだ。

 製版と呼ばれる仕事場のスペースは大きな部屋にあり、20人ほどで作業をしていた。

 そこのまあ、所長というか部長というか、代表のYさんがいて、作業しながら電話で注文を受けていた。

 「はい、もしもーしー!!」

 とても声が大きい。大きいというか元気がいい。

 部屋での話題はだいたい、Yさんが出してくる。

 「しかし、あれだな〜!!」

 Yさんは経済の話題がとても得意だ。経営の話も好きだ。

 経営教訓話もよくする。よく一日、話題が続くものだなと思っていた。

 その会社を僕が辞めて、もう20年たった。

 20年たったけれど、あのYさんは今もきっと大きな声で話しているだろう。

 ここ最近なら、ライブドアとフジテレビの話で盛り上がっているだろう。

 ホントにYさんが好きそうな話題だ。

 目に見えるようだ。

 ああ、あの部屋に戻ってみたいな。


「ゴールドブレンドライフ」'05.2/25

 ここ一週間ほど、コーヒーが切れていた。

 と言っても「ネスカフェ・ゴールドブレンド」であるが・・。

 近くのディスカウント食料品店では、通常700円以上の瓶が500円ちょっとで売っている。

 なんて、ありがたいんだ。。

 買ったばかりのゴールドブレンドのふたを開ける。

 なんともいえない香りがあり、その瞬間はいつも好きだ。

 さらさらさら・・と、珈琲カップに粉末を直接入れてゆく。

 フットウしたお湯を注いでゆく。それがいい。

 レギュラーコーヒーも美味しいけれど、インスタントだってうまい。

 話のテーマが少しずれてしまった。

 買ってきたゴールドブレンドの瓶を見てたら、まるでそれが僕の命の粉のように思えてきたのだ。

 香り豊かでいいな。

 僕は珈琲の命がきれないように、またディスカウント食料品店に行く。

 そんな生活がホントにあってもいいだろう。

 それが本当であってもかまわない。


「口内炎から得たもの」'05.2/22

 今、口内炎が出来てて、とても痛い。。

 今、カレーを食べいるが、口内炎にしみてとても痛い。。

 初めて口内炎が出来たのは、小学5年のときだったかな。

 いやぁ、あの時はホントに痛いと思った。

 それからほぼ一年に一度か二度は、口内炎に悩まされた。

 しかし、その対処法も自分なりに発見した。

 その対処法とは。。

 『気にしないこと』・・だ。

 もしも気にするならば、四六時中、痛いと思っていなくてはいけないだろう。

 口内炎は、一週間ほどすれば治ってゆく。それを待つしかない。

 それと同じようなことが、実は心の中でも起こる。

 心の口内炎だ。(?) 

 常に気にするならば、心は痛むだろう。

 大事なことは、気にしないことだ。

 今朝、バイト先の友達が僕に、ひどい事を言った。

 それは、心の口内炎のようになった。

 口の中はホントの口内炎。

 どちらも、気にしないことが一番だ。


「冬の色」'05.2/19

 ここ高円寺では、冬と言ってもそんなに変化を感じない。

 まあ、樹々や花々に細かく目を向けるなら、十分にその証はあるのだが。。

 どう言ったらいいのか、冬の色を感じないのだ。

 僕の生まれは新潟の海沿いで、冬と言ったら、どこか灰色のイメージがあった。

 あの寒々しい感じ。。

 帽子付きの防寒着の内側から見た、誰もいない広い景色。

 空のどこからか聞こえてくる「ごーう」という風の声。

 ここ高円寺には、その音がない。その色がない。

 季節は四つあるけれど、ここではもうひとつ冬の色の季節が足りない。

 ここに住む、僕の中では、なんだか冬の実感がないのだ。

 しかし、東京でもちょっと離れた郊外では、冬の色はあるのだろうか。

 ピューピュー風が吹いているだろうか。

 吹いていそうな気もする。でも空は晴れてるかな。

 もうずっと、冬の色の実感がないまま一年を過ごしている。

 僕の中の冬の心は、寂しがっている。


「自転車で30分のところ」'05.2/17

 仕事先では、毎日のように、自転車で30分くらいの場所へ出かける。

 自転車で30分というと、どの位離れているのか。。

 小さい頃に付けてたスピードメーターを思い出すと、、一時間15〜20キロくらいか。。

 通い慣れたということもあるけれど、僕の中ではもう距離の感覚がなくなってしまった。

 中央線で言ったら、駅ふたつくらいか。。。

 僕は先日、インド・プリーの民宿で飼われていた犬のことを思い出していた。

 春になると、その犬は他の犬とケンカしながら、ふたつくらい隣の村まで行くという。

 10日くらいすると、またここに帰ってくるという。

 犬は、もとの場所に戻ってくる習性があるというが、僕ならどうやって帰ってくるだろう。

 自転車で30分の場所から、何もわからず帰ってくるとしたら、、。

 よく聞く話では、犬はしるしを出た先からしるしを付けながらもた戻るというが、さて本当だろうか。

 僕が思うのは、迷ってると感じて、さて戻ろうとしたところから始まるのではないか。

 あとは、カンと確率だろう。

 自転車で30分のところから、自分がどうやって帰ってくるだろうかと考えてみた。

 まあ、2日もあれば帰ってこれるだろう。犬なら10日かな。


「時を戻るたまご」'05.2/14

 たまごが、時を戻るということがあってもいいだろう。

 親の親になるというのではない。

 何か結晶のようなものに純化してゆくのだ。

 それも進化ではないか。

 僕らが受け継いだものがある。

 それは週刊誌の中から、生まれてきたものかもしれない。

 あるものを並べ替えて、作り上げたものかもしれない。

 たとえば、ラジオからエレキアンプ。

 そんな苦労があって、僕らが生まれてきた。

 始まりは道の分かれであり、けっしてたまごではなかっただろう。

 僕らは生まれ、何か違う道を歩んでいる気がする。

 続きではない、そこにあるたまごの始まり。

 とうさんは、今も歌っている。


「ジャガーΣよ」'05.2/10

 もう、ここ10年ほど、月星の「ジャガーΣ」という靴を仕事ではいている。

 普通のスポーツシューズではあるけれど、とにかく軽い。そして長持ちする。

 他の靴は実はあまりはいた事はないのだが、「ジャガーΣ」は傑作の靴だと信じる。

 一度、はいてしまったら、その軽さのとりこになってしまう。

 どんなに、ここで文に書いても、その気持ちは伝わらないかもしれない。

 ああ、誰か、靴の専門家よ。それを証明して欲しい。。

 値段は3500円。

 ここで僕は提案したい。

 「ジャガーΣ」をスポーツ靴だけで済ましておくのは本当にもったいないのだ。

 ぜひぜひ、町中でもはける「ジャガーΣ」を作って欲しいるのだ。

 今は、黒と白しか出ていない。色は、もちろん茶色で。

 スポーツ靴らしさを、どうにか、普通の靴のように変えて。。

 そうしたら、僕ははき続けたい。あの軽い靴で町中を歩いてみたい。

 月星さんよ、がんばって欲しい。国民靴になる可能性は大きい。

 そしたら、いろんな種類を作って下さい。

 ちょっと調べたら、もうグレーとネイビーも出ていた。こりゃびっくり。

 ふだんもはいてみるかな。


「戻るボタン」'05.2/8

 世の中には、いろんな感動がある。

 この10年に多くの発明があったろう。

 パソコンの進化にも驚くが、画期的に便利になったものがある。

 それはリモコンの「戻る」ボタンだ。

 「戻る」ボタンとは、ひとつ前の操作に戻れるボタンである。

 前はなかった操作だ。パソコンや携帯にも似たようなののが付いているが、「取り消し」である。

 ちょっと、ちがうんだな。

 小さい頃から、機械を使っていて、こんな便利な「戻る」ボタンはなかった。

 いちいち「STOP」ボタンを押していたような気がする。

 これは大発明だ。

 リモコンが生まれて、もう30年以上たつとは思うけれど、「戻る」ボタンを開発した人はすごい。

 最初、技術者の人はこう言ったであろう。

 「逆に、みんな混乱しますよ」

 しかし実際は、一番使用する便利なボタンとなった。

 「戻る」ボタンを作った人にぜひノーベル賞を。

 時間にも「戻る」ボタンがあればなあ。


「いっぱいのしっぱい」'05.2/5

 どうにもデジタルはむずかしい。

 ここ数日、ずっとデジタルの設定のことをやっている。

 思うようになかなかいかない。もっとシンプルにいろいろできないものか。。

 それはデジタルに限ったことではないけれど、、。

 こんな混沌とした時期があって、いっぱいのしっぱいを繰り返して、そしてシンプルになってゆくのではないか。

 最初から、しっぱいしない人なんていない。

 デジタルはむずかしい。。

 僕が今やろうとしていることは、どうにかアナログ時代に近くしようとしていることだ。

 いろんな方法を試してみる。

 僕はあきらめたりはしない。こんな時期があっていい。

 たぶん、誰の真似にもなっていないだろう。

 我に幸あれ!!


「記憶」'05.2/2

 ずっと書きたかった事がある。

 僕は今、外仕事をしているが、今はすっかり無くなった建物のデータも見るときがある。

 すると、僕の中の記憶では、かつてあった光景がはっきりと浮かぶのだ。

 仕事病のひとつかもしれない。

 すでに10年以上前に、その建物はない。

 建物はないのだが、僕の記憶の中では今そこにあったように、次々とすべてが浮かぶのだ。

 ものすごくリアルで自分でびっくりしてしまう。

 大きな広場になってしまっ場所にあった10数件の家、その住所と名前のデータを見るだけですべてが浮かぶ。

 記憶力が良いという問題ではないのだろう。仕事病の一種だ。

 その場所はもうとっくに更地になっているので、みんなの記憶もほぼ消えてしまっているのだろう。

 その場所を誰かビデオで撮っていたとも思えない。

 僕の記憶の中に、こんなにも鮮明に残っているのだから、それをDVDに焼く事が出来たらと思う。

 ちょっとした小さなことまで、記憶にとどまっている。。建物がなくなって10年以上たっているのに。

 もったいない話だ。

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