「最近の事」過去ログ'04.11〜'05.1月
「そんな響き」'05.1/29高円寺には、名物焼鳥屋の「大将」がある。
店先では店員さんが威勢のいい声で何かいつも叫んでいる。
「あつらっしゃあ〜よい〜 !!」
何て言っているんだろう。僕には聞き取れない。
聞き取れないが、なんだがそれが焼き鳥のもつのように、変化した言葉のように思えた。
(それで、いいかもしれない・・)
ちょっと前のオリンピックで、卓球の愛ちゃんのかけ声が、「タァー!!」か「サァー」か、話題になったことがあった。
インタビューで、愛ちゃんは「面白いかけ声を出しているのは私だけではない・・」との意を訴えていた。
テニスのシャラポア選手も、聞き取れないかけ声を出しているという。
辞書にない言葉は、耳から伝わるとき、辞書にない脳の場所に伝わってゆくのだろう。
怪獣の雄叫びと似ているかもしれない。
そうだ、動物たちの鳴き声は、もともとすべて、言葉に変換できない響きがあったのではないか。。
選手たちは、きっと自分という動物になろうとしているのだ。
焼鳥屋「大将」から、話が少しずれてしまった。
僕が思ったのは、そのかけ声の響きの中に、焼き鳥を感じたという事だったのだ。
「柏崎の冬の本」'05.1/27
冬、新潟の柏崎に里帰りすれば、さすがに吹雪いていた。
実家には、飼っている柴犬がいる。
夏に帰ったときは、何度でも小屋から首を出しては元気に迎えてくれた。
でもやっぱり冬は寒いのであろう。小屋の中でまるまっているままだ。
「おいおい。。」
そしてやっと、起きてくる柴犬君。
(おまえには何度目の柏崎の冬なんだろう。四度目かな・・)
柏崎にいた頃より上京してからの方が長くなった僕はもう、この寒さが身にこたえている。
おふくろも兄きも、吹雪いていても、冬だから当たりまえだという感じだ。
柏崎の冬は、みんな体の中も抜けながらここにある。
柴犬君にはとくに、他の国やあたたかい地方があるなんて想像もできないだろう。
18年間ここにいた僕だけど、今は東京の冬と比べてしまっている。
今の僕には、柏崎の冬の本がちゃんと読めない。
さかさにしたり、ななめにしたり、ページをとばしてみたり。。
「楽器を持って来てください」'05.1/24
オーケストラを聴きに行った。
みんな片手にバイオリンやビオラを持って登場して来た。
その茶色の木の色。いいなあ。まるで生き物みたい。
大事にされてきたであろう、その楽器たち。
僕も自分の大事にしている楽器を持って、どこかに登場したいな。
「みなさん、楽器を持って来て下さい」
それは町内放送かもしれない。紙の伝言かもしれない。
集まり場所は、村の広場かな。
誰も彼もが、家にある楽器、自分のための楽器を持って集まる。
おじいさんも、小学生も、どこかのおじさんも。
いつも道ですれちがっている顔見知りの人も、近所の人も、いつかの遠い思い出の人も。
みんなそれぞれに楽器を持って集まってくる。
笛、太鼓、バイオリン、ギター、他いろいろ。カスタネットの人もいる。
そのあと、みんなでの合奏が始まったかどうかわからない。
「ペンの気持ち」'05.1/19
バイト帰り、駅のホームにいつもどおりに並んでいた。
すると。。
その一番先、白線よりも先に一本のボールペンが落ちているのを見つけた。
(危ないなぁ。。人がすべったらどうするんだろう。。)
一番先頭に立っているのは、ヒールの靴をはいたマダムであった。
その視線は、目の前に落ちているボールペンに向けられていた。
(きっと拾ってくれるかな・・)
その後ろに並んでいたおじさんも、その落ちているボールペンに気が付いた様子であった。
やがて、電車がやって来た。
「なかの〜、なかの〜」。ドアが開く。
一番前に立っていたマダムは丁寧にも、落ちているポールペンをヒールでわざわざよけて、乗り込んでしまった。
(ありゃりゃりゃりや・・。危ないと思うなら、拾ってもいいじゃないか)
結局、僕の前にいたみんなは誰もペンを拾うことはなかった。
そしてペンは僕が拾った。照れもせずそのまま胸ポケットにさしてみた。
僕は何かすばらしい事をした。その瞬間、僕にはわかった。
ペンの気持ちは実は無限大だったのだ。
「写真ストック」'05.1/16
僕のカメラは今でも35ミリフィルム。
撮った写真は全部、その年ごとにまとめてファイルしてある。
その数と言ったら。。
だいたい一年に800枚ほど写真が増えている計算になっている。
ライブの写真も多く、チラシを作るときなどは、けっこうアルバムを開くことが多い。
そのたびに何千枚と写真を見る。
(なんてめんどうくさいんだろう・・)なんて、思わない。
その一年の800枚の写真は、僕が撮りたいと思った瞬間ばかりなのだ。
すばらしい時間じゃないか。
コンパクトカメラで写真を撮りはじめて、もう9年ほどたった。
ひととおり見てくるだけでも、どこか満たされた気持ちになってしまう。
動画は僕の記憶の中にある。
写真を見るたびに、そこから動画がリアルに動き出す。
ふと気がつけば、僕はその写真の中にいる。
そして、その写真からの時間がまた流れ出す。
「グッド睡眠」'05.1/14
今回、実家に帰ったとき、実によく眠った。
きっとかなりリラックスしていたのだろう。
思い返せば、僕の睡眠生活はかなり悪い。
なんだか、就寝というよりは、倒れていると言った方が近い。
敷き布団を敷いている途中で、力尽きてしまい、そのまま横になったりしている。
目をつぶったら、次の目を覚ますのは、もう朝になっている。
眠るつもりはないのに、眠ってしまったという状態か。
これじゃ疲れもとれないだろう。
わかっているのだけれど、また部屋で倒れている。
ああ、ふかふかのベッドに横たわって、ナイトキャップしてを眠りたいな・・。
「おやすみなさ〜い。フニャフニャフニャ・・」
朝の目覚めはコケコッコーか。「ふぎゃ!!」
しかし、そんなふかふかのベッドで眠ってしまったら、きっと朝がつらいだろう。
体じゅうの筋肉がのびのびになってしまうかもしれない。
いや、それでも今夜は、敷き布団二枚敷いて、眠ってみよう。
「おやすみなさ〜い。フニャフニャフニャ・・」
「メロディーと歌詞」'05.1/9
こんなふうに思ってみた。
世の中、音楽を専門にしている人は、
きっと音やメロディーを言葉のようにつかんでいるのではないか。
その人たちにとっては、セッションは音の会話なのではないか。。
「そんなの当然だよ」と、答える人もいるだろう。
また、こんなふうにも思ってみた。
言葉が歌詞になるとき、
言葉を越えて音楽になっているのではないか。
メロディーはメロディー、歌詞は歌詞と思ってきたけれど、
実はそれぞれ、お互いへ向かうベクトルがあるのだろう。
まあ、大きく言えば「フィーリング」ということなのかもしれないが。
僕はそんなふうに思ってみた。
「もう一枚のカード」'05.1/6
大昔からやってくるもの。
ふと、どこかの角や、道の向こう。
向かい合って、そこに立ったとき、僕らは何かで勝負しなくてはならない。
そこでは、現代文明のすべてが通用しない。
僕が生きてきたその時間だけが、言葉となるのだ。
電話もなく、ラジオもない。もちろんインターネットもメールもない。
大昔からやってきたものは、重さのない言葉で話す。
さて、僕らはどんな言葉で話そうか・・。
ポケットにはカードがある。
一枚・二枚・三枚・四枚・・。
定期だったり、キャッシュカードだったり、会員証だったり、割引券だったり。
いろんな僕がそこにいるけれど、
もう一枚のカードがある。
そのカードには磁気は入っていない。
そう四角いパッチ(メンコ)のような僕だ。
使うときが来る。
「江戸の話」'05.1/4
また本を読みはじめている。
井原西鶴の「諸国ばなし」だ。江戸時代の各地に伝わる短い話が、絵入りで多く書かれているのだ。
以前にも一度読んだことがあるが、もう一度読んでみると、なかなかどれも印象深かった。
まるで、人にもう一度会ったような気持ちだった。
かなり味のある話で、一回目ではその良さがわからなかったのだ。
残したい。。そんな気持ちにさせる話ばかりだ。
(ははーん。。)
江戸の話は、人物と似てるのだな・・。
その楽しみ方は、何度も会ってお茶を一緒に飲むようなものなんだな。
江戸の人たちはひとりひとりが「話」のようだったかもしれない。
江戸の話はとても人間味がある。
「やっぱりコートしかない」'05.1/2
新年になったけれど、どうも歯車がうまく回らない。
何かしようと思うのだけれど、すぐに横になってしまう。
(まあ、それもいいんだけどね・・)
なんだか、このまま昨年の続きになってしまいそうだ。
小さかった頃は、年越しも年明けもかなり実感があったはずなのだ。
高校生の頃は近くの海まで出かけ、今年の誓いを立てたものだった。
しかし、どうも東京だと実感がわかない。あの頃の気持ちになれない。
僕自身は、すっかり変わるつもりでいるのに・・。
古いレコードアルバムをかけてみたりするけれど、もうひとつだ。
僕は思った。
あの頃と変わらないもの。それは「コート」しかないなと。
帽子をかぶり、マフラーをして寒そうにポケットに手を入れてコートを着て出かけてゆく。
その気持ちは今も昔もほとんど変わっていない。
なぜだろう・・?
他の何ものも、あの頃の僕につれてってはくれないのに、
コートだけがつれてってくれる。
「それでも車は走る」12/31
何か不思議な音を立てて、僕の横を走ってゆく軽トラック。
年末の混み合っている道路を走り、その軽トラックも急いでいるようだ。
そのエンジンの音ときたら。。
あきらかに、おかしいのがわかる。
回りのすべてが、その事に気づいているだろう。
もうエンジンが限界なのかもしれない。
それでもなんとか走ってゆくのだ。どこか目的地に向かって。
行かなくちゃならないのだ。
もちろん危ないことにはまちがいないが、
そのエンジン音に、僕の人生のような響きを感じる。
オンボロでも、何かを届けにゆくのだ。
「おーい、来たよー。荷物ここに置いてくぞー」
ブロロロロ〜。
「なんかエンジン変じゃねえか〜?」
「わかってる。わかってるよ。じゃあねー」
エンジンに関しては、応援のしようがないけれど、
それでも車は走る。
「読んでいない本」12/29
昨日も、厚めの本を五冊も買ってしまった。
その本は、図書館でもなかなか見つけられない本で、買うしかなかったのだ。
ペラペラとめくってみる。内容も濃い。じっくりと全部読んでみたい。
しかし、読むとなると膨大な時間がかかるだろう。
結局、本棚に置いて、数年に一度、開くかどうかになってしまう。
そんな本ばかりだ。読んでいない本が我が家に多すぎる。
どれもかじりかけのデラックスケーキみたい。
まるで小さな図書館みたい。
どうして読んでこなかったのだろう。後悔もしている。
もし読むとしたら、もう天文学的な数字になってしまうだろう。
僕が買った本なのに。。
思い出せば、20才くらいまでは、ほとんどの本を読んできたはずだった。
どこかで線路を外れてしまった。
「買ったら読む」
「ランチの風、インドの夢」12/27
お昼どき、自転車で、すーと走ってゆく。
歩道。その真ん中に立っている人がいる。何か、紙を持って・・。
自転車で通り行く僕に、ひと言ささやいたのだ。
「ランチ、ど-うですか?」
その人は、インドの女性であった。
自転車を隅にとめて、僕はふりかえり、悩まずに、そして店に入った。
こんなことはまず、ないのではあるが、その声が僕の何かに届いたのだ。
お昼どきのインド料理店、まずまず人が入っている。店員さんもインドの女性である。
店内に流れているのも、インドミュージックであり、その音はAMラジオの音であった。
注文をとりにくるときも、ランチを渡しにくるときも、インドの女性はもの静かだ。
僕はすっかり、インドにいたときの事を思い出していた。
(そうだ、そうだ、この感じなんだ・・)
ひとつの流れがある。その流れに船のように乗ってゆく僕がいる。
日本の普通のランチタイムであったら、元気のいい声が店内に飛び交っているだろう。
店の前の呼び込みの人も、声を大きく出しているだろう。
しかし、それだけが方法か。。
自転車で走っている僕を止めてしまう力もある。
いや、あれは力じゃない。ひとつの世界だ。
「生かせないものか」12/25最近、よくこんなことを考える。
僕はかって仕事で5年ほど、毎日カッターを持って仕事をしていた。それもそうとうに細かい仕事だ。
だからカッターを使う技術は、かなりのものだけれど、まったくそれを今、生かすことが出来ていない。
そして今の仕事では、細長い金属の棒を使っているが、もう16年も毎日扱っているので、その技術は達人の域に達しているかもしれない。
しかし、それをどう生かしたらいいものか。
・・・・・
まあ、僕の話はそんなところだが、思うことは、みんなそれぞれに意外な特技があるということ。
その特技に、僕はびっくりしてみたいということ。
そしていつか、その特技が何かの役に立つときが来るような気がするということ。
「誰かこの針の穴に、糸を通せる人はいないか!!」
「私がやってみましょう」
「おおーーっ」
「誰かこのセスナ機を動かせる人はいないか!!」
「私がやってみましょう」
「おおーーっ」
「良く鳴るギター」12/22
僕の住む高円寺は、ミュージシャンが多い。
そしてライブハウスも多いので、駅の改札付近では、ギターを持った若者をよく見かける。
僕もまた、肩にギターをかけている。。
若者もまたギターケースを手に持っている。
(どんなギターが入っているんだろう?)
さて若者よ。
僕にはだいたい君のギターケースにどんなギターが入っているかわかるつもりだ。
若者よ。君には、僕のギターケースの中のギターが見えるかい?
そして聞こえるかい?
良く鳴るギターっていいもんだぜ。
この世は、音と映像で出来てるのかもしれない。
どの街角に行っても、君のギターが気持ちよく鳴っていますように。
その手からギターケースが離れませんように。
徹夜した夜明けの高円寺の駅前で、朝焼けのように鳴っていますように。
若者よ。
「くりかえし」12/18
友達とラーメン屋さんに寄って、さて出ようかというとき、こう言われてしまった。
「青木さん、カバン、カバン忘れてるよ」
「えっ!?」
とうとう僕もカバンを忘れてしまう人になってしまった・・。
かなりショックだ。
そして僕が思い出したのは、以前、僕よりも年上の歌い手の人と一緒にラーメンを食べたときのことだ。
店ほ出るときに僕は言った。
「あっ、カバン、カバン。」
「ありゃ、ホントだ」
「カバンを忘れるなんて、もう。。」
そんな事があったのを思い出した。
(おんなじじゃん)
考えてみれば、今の僕の年齢は、そのときの先輩と一緒だ。
注意してくれた友達がそばにいる。
世の中うまくいっているのかもしれない。
「おじいさんと古時計」12/14
今日、こんなことがあった。
とある下町のちょっと広い路地で、不燃物に混じって古い柱時計が置かれてあった。
僕の家にも柱時計はあるけれど、実に長持ちしている。
今の電子時計に比べて構造的にも壊れそうにないのだ。遅れたり早くなっても、振り子の調整で解決してしまう。
(柱時計って、すごいな。長生きの象徴のようだ・・)
そんなことを思いながら、捨てられた古い柱時計を通りすぎてみると、、。
通りすぎてみると、近くの家からおじいさんが出てきて、ありがたそうに柱時計を抱えていってしまった。
(あはは、柱時計の引っ越しかな・・)
・・・おじいさん、古い柱時計を拾う。
そして、家の中での会話が聞こえてくるようだ。
「おじいさん、柱時計なんて拾って来ちゃって、もーう、音がうるさいんだから。。」
「おじいさん、近所の人が来たら、すぐに拾って来たってわかるじゃない。もーう。」
「なに言ってるんだよ。柱時計はな。壊れないんだよ。試してみよっか。」
なーんて会話がありそうだな。
「客」12/12
どんな路地にも最近は「廃家電」の回収車が通ってくる。
それは回収車ではあるけれど、逆の「配給車」であってもおかしくはないだろう。
どこか知らないところからプレゼントを持って、そばまで来ていることは多い。
ただ、そんな話があまりないと思いがちなのだ。
・・・・・
今日や明日の可能性として、僕はいつも「客」が来ているんだと思うようにしている。
大正から昭和の詩人・千家元麿は「自分はこの世にやって来た客なのだ」と、言っていたことがある。
「客」はいつも訪ねてくる。遊びに来るときも多いだろう。届け物がある場合も多いだろう。
ここにないものを持ってくる事も多いだろう。
僕はいつもあきらめてはいない。今日、僕の中にないものだって、明日にはあるかもしれない。
この部屋のドアをノックしてコンニチワとは言わないかもしれないが、廃家電の回収車のように、すぐそばを通ってくることはあるだろう。
ほんのちょっとだけ遠く、みんなに声をかけてゆく。
「生存」12/10
もう絶滅したと思われていた生き物が発見される事がある。
発見されたその動物はもちろん昔から生きていたわけではない。
それぞれの世代のときに、それぞれにがんばって今になっているはずなのだ。
・・・・
「えっ、まだ唄っての?」と、聞かれることもある。
(唄には限らない話ではあるが。。)
唄い続けることは、絶滅動物の発見とは、少しちがうかもしれないが、似てるところもあると思う。
今、唄っている僕が、昔からの僕ではないと思う。
僕だって、絶滅の危機はあった。
でもなんとか、僕の中のいくつかの唄が生き残ったのだ。
ときには一曲だったかもしれない。
そして、その唄から新しい唄が生まれてきたのだ。
それは本当の話でもある。
長い間の話には、きっと何世代かの繰り返しがあるだろう。
同じ本人ではないかもしれない。
何度も絶滅しかけたかもしれない。
「作りかけのプラモデル」12/6
ふと、こんなことを考えてみた。
思い返してみれば、ずっとプラモデルを僕は作ってきたのではないか。
もちろん小学校時代に、プラモデル熱は最高に達していた。
途中で出来なくて投げてしまったプラモデルはひとつもないはずだ。
中学に入ってもオートバイとか、ドラムセットとか作ったなぁ。。
ふと、こんなことを考えてみた。
プラモデルは、細かくてめんどうくさいほど、嬉しかったことを。
・・・・
そして年をとるにつれて、もうプラモデルは作っていないと思ってはいなかったか。
創作とプラモデル作りは違うものだと思っては来なかったか。
僕は今日、思い返してみた。
僕が作って来た唄も、絵も、エッセイも服の組み合わせも、みんなブラモデルではなかったか。
電気街に買い物に出かける気持ちも、プラモデルではなかったか。
電車の乗り換え、エレベーターのボタンも、みんなそう。
これから作ろうと思ってる唄も、みんなそう。
細かい部品。そして組み合わせ、接着剤。回るプロペラ。動く車輪。水を進む戦艦。
完成のある形。
僕はそれを創作と呼んだときから、作りかけのプラモデルが出来てしまったのだ。
「もし今夜寒かったら」12/4
今、友達が富山から遊びに来ている。そして夜には深夜バスで帰ってしまう。
池袋まで、見送りに行こうと思っている。
今は12月。もう厚いコートを着てもいいと思うのだけれど、今年はなぜかあたたかいので、コートを着そびれてしまっている。
もし、今夜寒かったら、僕はあの好きなコートを着て出かけよう。
今はまだ、あの棚の上にたたんで置いてあるコートを、今夜は出してそして着てみよう。
玄関の鍵をかけて、駅まで寒そうに歩いてみよう。
池袋では、待ち時間に缶コーヒーを買って。
バスが出るとき、ポケットから片手だけ出して手を振りたいな。
今夜、寒かったら、あのコートを着て見送りに行きたい。
「絵の中の人」12/1
昨日の事、振り返ると、そこにいた三人がまるで絵のように見えた。
なかなか文でそれを表現するのは難しいのだが。。
なぜ、そう見えたのかは、また今度、考えてみることにして、、。
自分もまた絵の中に一瞬入ったような気がしたのだ。
振り返ると、そこは絵の中の人。
でも、絵の中の実際の人は、きっと振り向くことはできないのだろう。
そして振り向いてみたら、やっぱり絵の中なのだ。
( そうか・・。絵の中なのか・・)
こんな経験は普通できない。
もし、もしも振り返って、それが絵の中であったなら、ずいぶん長い事、振り返ってなかったのであろう。
きっと誰しも、振り返るとそこは絵の中のときがある。
「やぁ、僕らはずっと、ここにいたんだよ」
「どうしても聴きたい曲」11/28
先日、友人のライブがあり、もう一度どうしても聴きたい曲があった。
たまたま録音していたので、出かけるときには音源を聴きながら町を歩いた。
その気分は20代前半の頃、友達のライブをテープに録音して、よく外で聴いていた頃を思い出した。
・・・それ以降だって、ライブの音源は外でよく聴いていたのに。。
何が違うのだろう。
その曲は、友達の友達の唄であり、バンドでの演奏が大変に似合う楽曲であった。
バンドでの演奏がとても似合うけれど、友達はギター一本で唄った。しかし、唄う気分はバンドをバックにしていたのだろう。
僕らは、若かった頃、バンドを組みたくても組むやり方の手順がわからなかった。
しかたがないので、いつもギター一本で、バンド気分を表現していたのだ。
その気持ち。なつかしいその気持ち。
最近はずっとソロとバンドの、それぞれの良さをひきたてるように、唄ってしまう癖がついてしまった。
ライブハウスで唄い始めた頃、きっとみんなギター一本で無理矢理バンド演奏を表現していたのかもしれない。
そんな気持ちのパワーが、もう一度どうしても聴きたくさせたようだ。
友達もまた友達の唄を聴いて、僕と同じ気持ちになったような気がする。
「長い間」11/26
高校生の頃から、ずっと聴いてきたボブ・ディランを、ここ数ヶ月間一度もきかなかった。
何理由があるわけではないが、たまたまそうなってしまったのだ。
久し振りに聴くディランはとても、どきどきした。
しかし、聴いてみれば、いつもどうりの声とサウンドであった。
ボブ・ディラン。
久し振りに聴いてみても、とても近い男であった。
・・・・
ボブ・ディランは、もうこの10年くらい「ネバーエンディングツアー」を続けている。
古いアルバムを聴いてみても、その声のどこかに種のように、「ネバーエンディングツアー」を続ける人の響きがあったのだろう。
ここから遠く、何千キロも離れた男が、とても近く感じられるときがある。
しばらく会っていない友に会ったときの、日本のいつもどおりの挨拶ならば、
「さいきん、どうしてるの?」なんて言葉になってしまうだろう。
「相変わらずだよ」とか答えるかな。
しかし、ディランは日々、旅に住んでいる。
旅に住んでいるので、長い間会わなくても時間が古くなることがないのだろう。
「360日もあるならば」11/24
今日は水曜日である。
水曜日ではあるけれど、「水」の日とはあまり意識はしない。
一年は360日もあるので、毎日、何かの日にしてもいいじゃないかと思う。
「こよみの日」「文字の日」「中華の日」「ハサミの日」「髪の毛の日」「みみたぶの日」etc・・。
「あっ、今日は『中指の日』かぁ。そうか、そうか、ありがとう、中指!!」
と、思い出す日があってもいいと思う。
居酒屋では、「お疲れさまー。今日は何の日だっけ? 『夕焼けの日』かぁ。夕焼けにも乾杯だ!!」
と、こうなるだろう。
しかし、360の日を選ぶことが大変だ。
360の日なんて、あっというまに埋まってしまうだろう。
毎年、30日くらい入れ替えたりしないとね。
食べ物の日にしてもいいな。
「ギョーザの日」「オニギリの日」「珈琲の日」とかね。経済効果もあるかもしれない。
「思い出の日」「昭和の日」「未来の日」なんてのもいいな。
「先生の日」「大工さんの日」「ブランコの日」なんてもいいな。
「親指の日」「小指の日」「まつげの日」「ほっぺの日」「肩の日」
「30年目のギター」11/22
僕の使っているギターは、1970年製のヤマハなので、今年で34才ということになる。
先日、友達が生音で僕のギターを弾いてくれた。
(いい音だったなぁ。。)
30年前のフォークブームのときから僕のヤマハのギターはあった。
もちろん他のヤマハのギターもあった。
しかし、30年後のこのギターの音を聞く人は誰もいなかったのだ。
僕らには今、30年後のこのギターを聞ける幸せがある。
国産のフォークギターも作られてとうとう30年たった。
ギターの音だけに関して言えば、熟練の職人のようなものかもしれない。
30年間弾かれて、ライブも多くこなして来ただろう。
ギターの長い人生。ギター自身のギターライフ。
それは、見えない年輪のようなものか。
「魚やCD屋さん」11/19高円寺北口駅前の二階建ての老舗のレコードショップがなくなった。
今でいうところのもちろんCD ショップの事だ。
そこは昔ながらのレコードショップの雰囲気があり、もちろん、ギターの弦やピアニカ、トライアングル等も置いていた。
僕はちょくちょくギターの弦を買いに出かけていた。楽器店のない高円寺では、必要な場所だったのだ。
しかし、時代の流れに乗り遅れたというか、そのCDショップは今年閉店した。
(次は何の店ができるのかな・・)
僕個人としては、CDショップのリューアルオープンを望んでいた。
望んでいたけれど、結局オープンしたのは、鮮魚やさんだったのだ。
オープン記念ということもあり、店は人でごったがえしていた。
同じ場所で、こんなに人がいたことは僕は見た事がない。
(やっぱりCDショップよりも、鮮魚やさんなのかな・・)
やがて、その場所に老舗のレコードショップがあったことも忘られてゆくだろう。
これも時代の流れか。。
(ああ、売っているのが、CDだったらなぁ)
そうだよ。考えてみれば、あんなふうに、CDを売ってもいいじやないか。
誰もしちゃいけないなんて、言ったことはないだろう。
特売システムを認めてもらって、魚やさんのようにCDを売ってもいいじゃないか。
タオルはちまき姿の、CD屋さんがあってもいいじゃないか。
「四色ボールペンの悲劇」11/17
こういうことは前からあった。
たとえば、クレヨンセットの茶色だけが減りが早いとか。
ギターのセット弦で、三弦だけが、とても切れやすいとか。
丸美屋の三色ふりかけセットで、ごましおばかり残ってしまうとか。
ゴレンジャーで、ピンクばかりがもててしまうとか。
キレンジャーの衣装ばかりが汚れやすいとか。
いくつかのものが一緒になると、何かこうバランスがとれない事が起こるのだ。
四色ボールペンは、見た目は最高にかっこいい。
しかし、どううまく使っても、どうしてもブラックのインクが先に絶えてしまう。
ゲルインクのものは、さらにその日が来るのが近い。
残った赤、青、緑のインクたちは、黒インクの最後を心配していただろう。
そして大事な友は、僕の使い方の悪さのために、先にサヨナラになってしまったのだ。。
そういわれても、やっぱり黒インクを使ってしまう率は大変に高いだろう。
そんな事は充分にわかっているのに、四色ボールペンは昔から便利そうに売られている。
「黒・黒・赤・緑」にしてもいいのに、、。
最近では、黒がもう一本あらかじめ軸に入っている三色ボールペンも出ている。
しかしほとんどの三色・四色は以前どおりに普通に売られている。
クレヨンセットだって、同じだ。
消費税をプラスするくらいなら、なくなる色をもう一本足して欲しい。
「きいてごらん」11/14
最近ずっと、中学時代に聴いていたカセットテープを繰り返し聴いていた。
たぶん、音楽はひとつの薬のようなもので、いろんな効用があるのだろう。
人は、年に一度でも二度でも実家や故郷を訪ねる。
それと同じように、音楽の故郷に帰るという事もあっていいだろう。
自分が生まれて来た場所。自分が生まれて来た音楽。
僕にとっては、やっぱり中学時代に熱中して聴いていたフォークミージックだ。
高校に入ってしまうと洋楽にはまってしまう。そこから旅は始まる。
旅は続いて、そこからどこまでも。。
どこまでも旅は続く。それぞれの場所は、引っ越し先の住所みたいなものだ。
今、こうして30年前に聴いていた音楽を聴いてみると、体の細胞に反応があるのがわかる。
あらためて、良かったんだなぁと、しみじみと思う。
最初に訪ねた場所なのかな。それとも僕が生まれた場所なのかな。
そのどちらはわからないが、何か特別なものがある。
まるで故郷の町を歩いてゆくように、歌やサウンドのいろんな部分が、思い出多い場所のように発見できるのだ。
「あれは何だったんだろう」11/11
今、小学校時代の思い出本を読んでいる。
筆箱から、給食から、他なんでも。。
全国のみんなに共通する事が多いけれど、今思うとそれは不思議なことだ。
マーガリンひとつとってみても、共通している。
絵の具のメーカー。運動靴のメーカー。消しゴムの種類。etc。
まずひとつ驚くことは、小学校時代、ほんの数社のメーカーがそれぞれにがんばっていたという事。
今ならぱ、みんなが同じメーカーの運動靴をはいているなんてことはありえないだろう。
学校の方で用意されたものもあっただろう。
実際「全国学校教育協会推薦」とかいう、特別な選ばれ方もあったかもしれない。
・・・あれは何だったんだろう。
ランドセルだって、筆箱だって、靴だって、本当は何でも良かったはずだ。
教科書に載っている作品も、、、。
マーガリンのメーカー。ソーセージのメーカー。ジャムのメーカー。
おかげで、同世代のみんなには共通の記憶が残ることになった。
「チャーハン人生」11/8
そんなにたいそうな事ではないのだけれど、最近ずっと家でチャーハンを食べている。
カレーという時期もあった。しかし、さすがにカレーも食べ過ぎた。
そして、今はチャーハンだ。
僕が毎日、この部屋に帰ってくるように、毎日、チャーハンに帰ってくる。
もう10日くらい続いているが、まだ飽きていない。
もしかして、チャーハンは飽きないのか?
・・・お茶漬け人生だったこともあったなぁ。。
・・・たまごかけごはん人生だったこともあった。うんうん。
今、まさに僕はチャーハン人生を歩いている。
チャーハン人生は、テレビを観たり、銭湯に行ったり、駅へ向かったり、電車に乗ったり。。
電車の中で、同じようにチャーハン人生の人がいたら、手を小さく振りたいな。
手の振り方はもちろん、もちろん、チャーハン造りの手の振り方だ。
「世界堂」11/5
先日、新宿にある「世界堂」に数年振りで寄ってみた。
「世界堂」は美術一般を扱うデパートのようなところだ。
「世界堂」に寄った僕ではあったが、絵を志すひとりではなく、大きなバックを求めてだった。
新宿の、なんともよそよそしいような、そっけないような、そんな大通りを抜けて、やって来た「世界堂」。
そこに着いてみると、それまでの気持とは逆に、とても人が近くに感じられた。
どの人も、どの人も、きっと美術を志しているのだ。
僕のような「大きなバック探し」なんて言う動機とは根本的なものがちがう。
ここに来た人は、みんな真剣に、画材を選んでいる人が多い。はるばる「世界堂」まで来たのだからという事なのだろう。
それもまた、ひとつの個性として、僕にはまぶしいくらいだ。
まだ僕が二十代前半だった頃、絵を志す友達と多く出会った。
そして美術関係の店に寄ることも多かったのだ。その頃の事が、体感として思い出されてしまう。
あのときと、どれくらいここは変わったのだろう。
それはわからない。
今さらながらこうして、歩いてみるどこのスペースも実に味わい深い。
端っこのスペースに「画家の着る服」のコーナーがあった。
(これだ、これこれ・・)
(こんな服が売っているなんて想像もしなかったよ)
また、売り場に来ているみんなも、個性豊かな服装をして、それもいい。
視線のするどい若者もいる。
マフラーに帽子の僕も、やっぱり美術をやっている人に確実に見えているのだろう。
・・ちょっとつらいが、それも良し。
そのくすぐったい気持ちが、僕には、みかんの皮をむくときのはじきの粒ように、今は新鮮で嬉しい。
「乾電池商店街」11/3
これは僕だけの話ではないんだ。
振り返ると、そこにはいつも商店街がある。
年に一度は、実家に帰ってはいるが、町なかの商店街は、もうすっかり変わってしまった。
最近では、よくある話で、国道沿いに大きな店ができて、そこに人が行ってしまっているのだ。
またもう一度、商店街は復活するだろうか。
僕が東京に来るまでは、商店街は活気があった。だんだんと寂れていったとはいえ、僕が商店街を思い出すとき、つい昨日のように、にぎやかだった頃が思い浮かぶ。
振り返れば、そこにはいつもの商店街がある。
しかしもう、あの商店街はないんだ。
僕は思い出の中のどこを歩いてゆけば、いいんだろう。
実家に帰り、僕は寂れた商店街を自転車でゆくけれど、心の中では、にぎやかだった頃の商店街を走っているのだ。
見えない人々、見えない自転車、見えない学生たち、見えない買い物袋、見えないアドバルーン。
僕はまるで幽霊のように、国道沿いではなく町なかの商店街を行く。
いつになったら僕は、商店街がもう寂れたと実感できるのか。
それはきっと無理だろう。
あの商店街は、僕の心の中を動かしている、単三の乾電池二本のようなものなのだ。
その乾電池が切れたら、きっと僕のハートは止まってしまうにちがいない。