青木タカオ「ちょっくら・おん・まい・でいず」

「最近の事」過去ログ'04.7〜'04.10月


「600円のコーヒー」
10/31

 そば屋さんのそばの値段は、ここ20年下がったりはしていないだろう。

 中華屋さんもそうかもしれない。少しずつあがってゆき、今の値段になっているばすだ。

 銭湯もまたそうだ。東京では400円となっている。これも上がり続けた結果だ。

 僕が東京に出て来た25年前は、喫茶店の珈琲は一杯250円か300円であった。

 2004年の今だって、喫茶店の珈琲はだいたい300円から500円であり、500円だと高いかなぁと思えるくらいだ。

 しかし、500円となると、安い定食が食べられる値段だ。さすがに600円の珈琲となると、現在では高級店のイメージがある。

 古い言葉を使えば「今のご時世・・」という事にはなるが、だんだんと値段が上がった珈琲店は、それを伝えるべきではないか。

 メニューの隅に「当店の珈琲の値段の移り変わり」を明記してほしい。

 先日寄った老舗の珈琲店は、珈琲一杯が600円であった。店全体も高級そうであり、店員さんもそのように振る舞ってはいるが、その600円という値段は、だんだんと上がった値段ではないのか。

 たしかに高級そうなカップで出てきたけれど、たしかにミルクはたっぷりと出てきたけれど、僕が知りたいのは、この600円の珈琲自身の事なのだ。

 納得できる味なのだとは思う。それならば、珈琲の味の鑑定士の認定書をどこかに付けて欲しい。

 だんだんと上がって600円だとは思いたくないのだ。


「ネパールソング」10/29

 今回、ネパールの歌を、僕なりに訳すという事をしてみました。

 曲は「レッサム・フィリリ」というトレッキングソングです。原曲はネパールでは有名すぎる歌であり、なんとか日本語でその良さを伝えられればと、かなり頑張ってみました。せっかく歌えるように訳してみたので、ここに紹介しておこうと思います。歌の内容は僕なりに訳した大意ということであり、正確な訳ではないことはご了承ください。

 『シルクはひらり』〜resamm phiriry〜(レッサム・フィリリ)


シルクはひらり シルクはひらり        
飛んでいきたいどうしようか シルクはひらり  

シルクはひらり シルクはひらり
飛んでいきたいどうしようか シルクはひらり

シルクはひらり シルクはひらり
飛んでいきたいどうしようか シルクはひらり X 2

鉄砲持って もひとつ持って 鹿追い出たが  
鉄砲持って もひとつ持って 鹿追い出たが
射止めたいのは鹿ではなくて あなたの気持ち
射止めたいのは鹿ではなくて あなたの気持ち

※くりかえし

崖の上で 仔牛が一頭 鳴いてるのを見つけたら
崖の上で 仔牛が一頭 鳴いてるのを見つけたら
仔牛を置いてそのまま山を どうして降りられよう
仔牛を置いてそのまま山を どうして降りられよう

※くりかえし

空には翼 道には車 家には誰もいない
空には翼 道には車 家には誰もいない
あなたの気持ちがそうなったなら 私の気持ちもこうなった
あなたの気持ちがそうなったなら 私の気持ちもこうなった

※くりかえし
飛んでいきたいどうしようか シルクはひらり X 5 (だんだん早く)

(繰り返しでは、ネパール語をまぜて歌ってもよいと思います)
レッサン フィリィ〜リィ〜 レッサン フィリィ〜リィ〜 
ウーデラ ジャウキ ダーラマ バンジャン レッサン フィリィ〜リィ〜 

♪「resamm phiriry」の音源 wmv real もとのページamazon

歌詞にしては字余りのように思えますが、唄い方のコツは、早口言葉のように楽しみながら歌うとよいでしょう。(笑)


「商店街」10/27

 下町にある、その商店街は、とても活気がある。

 昔ながらの景色のようだ。それでも人の数は少なくなっているのかもしれないが。

 大通り沿いにあるわけではなく、路地に入りやく200メートルほど続いているのだ。

 前はみんなこんなふうに買い物をしていてだろうにと思う。すぐ近くにはとても大きなスーパーケットもある。

 それでも、こんなに活気があるのだから、何か特別な魅力があるのだろう。

 たしかに、コンビニエンスストアーはないようだ。お店はどれも古く、長くやっていると思われる。。

 僕の住んでる高円寺では、どんどん古い店がなくなっている。それは淋しいかぎりだ。

 その下町の商店街を歩いていると、なんだか、どの店でも買いたくなって来てしまう。

 いろんな店で買いものをすることの方が、楽しいように思えてくる。

 もちろんそうだ。

 何か幸せが、そこにあるのだ。いろいろイベントもやっている。

 あのまま、また何十年もときが過ぎてしまってもいいなと思う。

 商店街のどの人もどの人も、そのままの気持で。


「試験」10/24

 友達が今、試験を受けに東京に来ている。

 「試験」だなんて、もうすっかり忘れていた言葉だ。

 僕の中では、「試験」というよりも「テスト」のイメージだ。

 小学校の頃から、「テスト」はあった。中間テスト、学期末テスト。

 40分か45分、自分としては、必死にテストを受けていたと思う。

 (ときには早く終わることもあったけれど・・)

 今ではなかなか40分、45分と集中できない体質になってしまった。

 あの「テスト」のときの集中力があればな・・。

 ・・・・・

 でも実際は、試験という状況になっても、今では集中できないかもしれない。。


「ネパールソング訳詞」10/22

 今、ネパールソングに日本語の訳詞をつけている。

 いままでで一番、苦労してるかもしれない。

 その歌はネパールではたいへん有名で、ちゃんと歌えるように訳詞をつけたい。

 これがむずかしい。。

 原曲の言葉や語呂の良さを、なんとか日本語に置き換えてみたいのだ。

 原曲のCDを何度も聴く。

 何度も聴いて、どんな感じなのか感覚でつかむ。

 アルバムの他の曲も聴く。その歌の「位置」をつかむ。

 他の曲との唄い方の違いをつかむ。

 単純に、聴いた印象を形にしたいだけなのだが・・。

 ・・・・・

 もし日本語の曲を外国語に訳すとしたら、どんな努力をするんだろう。

 そんな話はあまりきかないが・・。

 ・・・・・

 もし僕がネパールの言葉が話せるなら、イメージのまま自然に訳詞がつけられるだろうにと思う。

 シンプルにすらりと日本語をつけてみたい。あまり深くいろいろ考えないで。

 そうしたいので、何度も原曲を聴く。イメージをためる。

 頭の中で、自然にレコードが日本語で流れるのを待っているのだ。


「インターネット・ギター・桃太郎」10/18

 時間があれば、今はパソコンの前に座る時間が多くなった。

 そこには何か楽しみが待っているからなのだろう。

 しかし思い出してみると、ずっと僕は、パソコンに向かうようにしてギターに手を伸ばしてきたのだ。

 まるでギターの中にインターネットがあるように。

 ギターを使った検索?

 (ふふふ、なるほど・・)

 それはあるかもしれない。

 たぶん、インターネットもギターも同じ役目を持っていたような気がするのだ。

 ギターで創作することで、世界とつながっていたような気がしていたのだ。

 ・・・・・

 たとえば「桃太郎」の物語の中の登場人物がある。

 おじいさん、おばあさん、桃太郎、鬼ヶ島の鬼、猿、キジ、犬、他・・

 もし「桃太郎」が「柿次郎」ならば、それぞれの登場人物の名前も変わってくるだろう。

 「プラムボーイ」もあるかもしれない。

 場面や名前が変わっても、それぞれの登場人物の役割はほぼ一緒になるだろう。

 ・・・・・

 僕にとって、きっとギターはインターネットだったのだ。

 今日、ふと、そんなふうに思った。


「二台のカメラ」10/16

 ここから見える本棚のところに、いつもコンパクトカメラが二台置いてある。

 一台は重い手動式の古いタイプのヤツ。もう一台は、自動巻き上げのコンパクトカメラ。

 ここ7・8年はずっと、自動巻き上げのコンパクトカメラを手にとっては、カバンに入れてきた。

 そしてまた、同じ本棚のところに置く。

 ふと考えると、ちょっと意地悪だったかもしれない。

 古いカメラのつぶやきが聞こえてきそうだ。

 (また、おまえなのかぁ・・)

 (じゃあ、行ってきます・・)

 (俺だって、昔はね・・)

 (帰ってきたら、またゆっくり・・)

 そんな会話が聞こえてきそうだ。

 古いカメラは、思い出を繰り返し巡っているのかもしれない。

 今度は一緒に出かけようと思う。


「生活」10/14

 「生活」という漢字を書くのは、とても簡単だ。

 でも生活をしてゆくのはきびしい。・・ときもある。

 人によっては、普通のことなのかもしれない。

 それなのに「生活」という漢字は、とてもシンプルだ。

 もっと難しい漢字の「生活」を使いたいときもある。

 ・・難しい漢字の「生活」って何だ?

 僕にもわからない。

 わからないけれど、使ってみたい気分だ。

 その文字を書くだけで、生活の大変さが伝わってくれるといいのに。

 三段階くらいに、難しい漢字の「生活」があるといいのに。

 役所に行って、難しい漢字の「生活」を目の前で書いてみたい。

 「お宅さま、生活が大変そうですね・・」

 「ええ、そうなんですよ。こんな感じ(漢字)で・・」


「眠るところ 」10/12

 このデジタル文化の世の中でも、、

 僕らは眠るとき、やっぱり布団やベッドがいいと、自然にそう思うだろう。

 それと同じことで、唄の魂たちは、ぐっすり眠れるところで休みたいだろう。

 見回してみる部屋の中、そこはどこなんだろうと思う。

 そこはパソコンの中や、デジタルストックの中ではないような気がする。

 コンパクトディスクの中では、もうひとつよく眠れないかもしれない。

 見回してみると、やっぱりそこは本棚かなって思う。

 見回してみると、そこはレコードジャケットかなって思う。

 いつか、すべてがデジタルストックになったとき、唄の魂たちは、夜、どこで眠るんだろう。

 僕らは、布団以外の何をかけて眠るんだろう。


「高円寺異情」10/10

 中央線「高円寺」。

 この街には、ひとつの空気がある。

 そう、思っているのは僕だけなのかもしれないが、住んでいる人には「高円寺に住んでいる」という、気持ちがあるようだ。

 総武線・中央線に乗ってゆくと、高円寺で降りそうな人がだいたい高円寺で降りてゆく。

 言葉ではうまく表現できないのだけれど。。

 逆にいえば、高円寺に住んでいない人がわかってしまうというか。。

 高円寺は、どこか『中途半端ファッション』なのだ。きまりすぎていないというか。その表現は難しい。街全体にそういう雰囲気があるのかもしれない。。

 さて、ここからが本題。

 駅を出たところで、ティッシュ配りをしているみんながいる。

 彼らは、もちろんバイトなのであろう。仕事で、今日は高円寺と言われて来ているのかもしれない。

 しかし、すぐに彼らが、高円寺の人でないことがわかる。(実際は不明なのだが・・)

 渋谷系という感じなのか。。

 彼らが、高円寺の駅を出たところにいるのが、どうもしっくり来ない。

 彼らもまた(おれらはここの人間じゃねえよ)と、こころで思っているからなのかもしれない。

 ・・・・

 逆に渋谷に出かけると、どうにも僕なんか街に居づらくなってしまう。

 ここからは独り言。

 (みんなオシャレが決まっててね。なんかオシャレなんだよね。)

 (ああ、高円寺ってなんだろう。。)


「聴き慣れたアルバム」10/8

 もう15年以上ずっと聞き続けているアルバム。

 レナード・コーエンの『ソングス・フロム・ルーム』

 昨日もまた、普通にプレーヤーにのせた。

 布団に入りながら、お馴染みの曲が流れ出すのだが、本当に今も新鮮に聞こえてくるのだ。

 ・・こんなアルバムもめずらしいな。なにかトリックでもあるのだろう。

 そのトリックが何かはわからないが、そこにある新鮮さは驚くべきものだ。

 彼は自然に声を出し、録音をしている。ある程度の作為性はあるとしても、とても余裕があるのだ。

 その余裕のある感じが、このアルバム全体の空気感を出しているようだ。

 僕はきっと、このアルバムを聴いていながら、その空気の方を感覚で受け取っているのだろう。

 その空気を感覚が感じながら、アルバムを聴いていると、まるで今、そこで唄っているように思えるのだ。

 何度も、新しい卵を割っているようだ。

 聴いてゆくと、声のかすれも含めて、すべてが自然のままに思えてくる。

 自然に声がかすれてしまっているのだ。

 完成された絵を見ているのではなくて、キャンバスに筆で、今描いてゆくように、唄が聞こえてくる。

 考えるに、レナードにとって唄は、創作であると同時に、自分の時間そのものなんだな。

 僕はレナードの時間を聴いているのだろう。


「下敷きのような眠り」10/6

 大変に疲れた日、家に帰ってもほとんど何もできず、横になってしまう。

 横になってしまうと、深い眠りがおそってくる。

 いつもよりも早い時間。

 ・・・熟睡。

 ふと、目が覚めてみると、夜の一時半。

 その間の記憶がない。まるで一瞬だったような眠り。

 ぶんちんを体の上に置いたような、、 そんな眠り。

 濃縮還元の眠り。

 起きてみると、ずいぶん眠ったように、すっきりとしている。

 ものすごく深い眠りだったにちがいない。

 まるで、下敷きのような眠り。


「そんなアルバム」10/3

 ときどきは忙しく、同じアルバムをCDプレーヤーに入れ続けていることがある。

 ここ最近も、一週間ほど、ずっと同じアルバムを聴いている。

 そんなに聞く予定ではなかったのだけれど、こうして何度も聴いていると、それなりに楽しめてくるのだ。

 ・・・・

 そういえば、車の中に置かれているカセットも同じものが多いことが多いけれど、それと似ている。

 ・・・・

 ふたつの道がある。

 ・・・・

 ひとつは、聞き慣れて、愛してしまうこと。

 もうひとつは、そのアルバムを作った頃の豊かさが、よみがえってくるということ。

 ・・・・

 今年の僕は、CDラジカセの中に、しばらく同じアルバムが入っているといることが多い。

 それは、僕自身の変化のせいなのかもしれない。


「冬眠」10/1

 もう明日から10月というのに、東京は30度を超していた。

 でも、飼っているミドリ亀は、もう砂を掘り初めている。

 たぶん昨年の文にもきっと、そう書いたような気がする。

 今年は、ずっと夏のようだったので、ミドリ亀も季節感が狂うかなと思ったが、寒くはないのに、砂を掘っている。

 温度変化では、ないのかもしれない。

 10月の中旬過ぎになると、一回目の砂もぐりを始めるのが恒例だ。

 そして25日くらいには、冬眠。。

 本当かなと思っても、必ず、25日くらいに、冬眠に入るのだ。

 今年は気候が普通ではないけれど、亀の約束はきっと守られるだろう。

 もっとよく観察していれば、ミドリ亀は、季節季節で、いろんな挨拶を実はしていたのかもしれない。

 僕が気が付かないだけで。。


「最初のテープ」9/28

 ここずっと、中学の時に聞いていたテープを聴いている。

 フォークソングを聴き始めた、ひよこの頃の事だ。

 そして、その頃、作っていた唄が、大変影響を受けていたのがわかった。

 その唄から、この唄。あの唄から、その唄。まるで作品をカガミに映すように、似たような唄を作っていた。

 それは僕が一番自由に、のびのびと気持ちよく唄を作っていた頃だ。

 今では、(あの曲に似ている。この曲に似ている)と、あれこれ考えてしまうが、

 その頃は、真似をすることからも解放されていた。

 思い出せば、学校の授業中、一時間のうちに、一曲は歌詞がかけていた。

 あんな感じ、こんな感じと、作っていたのだ。

 今、僕が中学のときのテープを聴いてて、思うことは、創作意欲の一番、底にあったものを感じるのだ。

 学校から帰ってきて、すぐにギターを触っていた頃の事。

 思い出すことは、いいことだろう。


「復活の日」9/24

 ここ最近、ずっと中学時代のテープを聴いている。

 『ものすごく聞いたテープ』もあるが、今聞いているのは、『すごく聞いたテープ』である。

 『すごく聞いたテープ』であっても、今聞き直してみると、かなり感心するところがある。

 中学時代には、わからなかった良さが聞こえてくる。

 『ものすごく聞いたテープ』となると、今でも全曲歌えるし、どのフレーズも聞き慣れていて、新鮮味がない。

 確かに(いいなぁ・・)と、思うけれど、今また聞きたいとは、思えないのだ。

 たとえて言えば、10:10の思い入れというか。しかし、7:3の思い入れだったものは、今も普通に聞けるのだ。

 ・・・そういうことって、あるよね。

 映画で言えば、三部作の二部くらいまでの気持ちか。

 三部全部観ると、満足してしまうのだろう。

 「復活の日」

 ・・・そういう映画があったなぁ。

 そのテープ。実は30年振りなんだよね。

 もう一度、新鮮に聞ける日が来るとは思わなかった。

 『ものすごく聞いたテープ』が、復活するのは、いつになるのだろう。

 それは50年くらいかかるかもしれない。


「それはできない」9/22

 二日続けて、野方からバスで、高円寺に帰って来た。この不思議。

 と、言っても事情はまだ僕にしかわからない。

 ・・・・

 新宿から西武新宿線のふたつ目の「下落合」駅に、新宿の中央図書館がある。

 そこから借りた民族音楽のビデオが、もう返却日を過ぎてしまい、どうしてもバイト帰りに返そうと思ったのだ。

 新宿から西武線に乗る。電車賃140円。そして、下落合の駅で降りて、川沿いにあたりの暗い中、図書館の前に来ると、、。

 図書館の前に来ると、鎖の向こうに、悪魔の文字「本 日 休 館」が見えた。

 がっかり・・。そして疲れが出て来た。

 (また、新宿には戻れないな)

 そのまま、野方まで西武線にのり、野方からバスに乗ろう。

 野方のバス乗り場は、とても淋しかった。

 でも、それでいいじゃないか。

 高円寺行きのバスは210円であった。

 バスって、いいよね。窓が隣にあって。

 今日も、図書館に向かうために西武線に乗った。

 そして、また高円寺行きのバスを待っていた。

 新宿には戻れない。


「おじいさん」9/20

 前の前のアパートに住んでいた頃の、友達のおじさんに会いに行った。

 ずっと引越し先がわからなかったのだが、最近やっと連絡がついたのだ。

 「もう、すっかりおじいさんになってるから」と、住所を教えてくれた友は言っていた。

 部屋を訪ねるまで、僕は、おじいさんになった、おじさんの姿をイメージしていた。

 (68才だしなぁ。。)

 そして実際、訪ねてみたら、ほとんど20年前の印象と変わらなかった。

 白髪は増えたけれど、、。

 声は若々しいし、腰が曲がっているわけではない。

 友達は何を言って、おじいさんと言ったのであろうか。

 白髪が増えたからだろうか。年齢からそう言ったのであろうか。

 もし60才代を、おじいさんと呼んだのなら、80才はおおおじいさんになってしまう。

 60才代なんて、まだまだ若いよ。ロックシンガーだって多くいる。

 しかし、一般的には、見た目からおじいさんと呼ばれるのかもしれない。

 が、「おじいさん」には、まだ早い。

 友よ。「おじいさん」は、まだ先なのだよ。


「友達セレクトテープ」

 最近、中学時代のカセットをずっと、聞いている。

 実家に帰ったときに、持ってきたのだ。

 しかし、あまりにも録音の音がこもりすぎているので、ついつい同じレコードを買ってきてしまった。

 (ん。。曲が多いなぁ。。)

 僕は思い出した。友達にレコードを録音してもらうときに、なかなかにしてくれなくて、

 「いやぁ、いろいろセレクトがむずかしくてさぁ。。」と言っていたのを思い出した。

 友達は曲順まで変えて録音してくれたのだった。

 そうとも知らずに僕は、そのアルバムを中学時代、あきることなく何度も何度も聞いた。

 今思うと、友達のセレクト録音のおかげだったのだ。

 あいつは俺の好きな歌をよく知っていたようだ。

 30年目に解けた謎がある。

 僕は素晴らしい友を持っていた。


「何枚かの毛皮」9/14

 よく考えてみると、僕らは、毎日、毎日、ちがう服を着ているわけではない。

 とくに最近の僕なんかは、この夏は二三枚のローテーションで、服を着回していた。

 ・・会うたびの僕の服。

 それは僕の毛皮のよう。

 生まれ持ったきたものではないが、遠くからでも僕だとわかるだろう。

 スーツや学生服ではそうはいかない。

 もっともっと服をみんな持っていてもいいのだけれど、僕らはそんなには、服を持ってはいない。

 まあ、お気に入りということもあるのだろう。

 もしも、お金に余裕があったなら、毎日、服を替える生活をしていただろうか。

 しかし、そうは僕らはできない。

 必然というべきか。。

 ・・・・・

 ホントに気に入った服なんかは、ときどき二枚買ったりする。

 しかし、ほとんどの人はそれは一枚きりのものだと思うだろう。

 ・・・・

 よくわからないが、近未来には、自分専用のデザイン服を、みんな着るかもしれない。

 その服を何枚も何枚も、みんな持っているのだ。

 まるで自分の毛皮のように。

 まあ、今もだいたいそんなようなものだけれど。。


「僕の高校」9/10

 僕が通っていた高校が、もうなくなっていた。。

 昨年が、最後の三年生がいたという。商業高校だ。

 まだ、学校は残っているかもしれないと、自転車で寄ってみると、もう立て壊しが始まっていた。

 僕の学校が無くなってゆく。。

 僕が卒業した歴史ある学校が無くなってゆく。。

 僕が入学したとき、この学校の歴史について、いろいろと聞かされたものだった。

 ううううう。。。

 中村せんせ〜〜。

 中村先生は、その教員人生のほとんどを、その学校で過ごし、僕が高一のとき受け持ちになり、次の年、定年で辞めていった。

 学校の残っていた、古い集合写真には若い頃の中村先生が写っていた。

 それもすべて、話の中の話になってしまった。

 中村先生は、僕らの先生を最後にやめていった。あのパワーは忘れない。

 中村先生、あの商業はなくなりました。

 そして、昨年は、最後の三年生が学校に居たのだ。

 魂までえぐられる気持ちだったろう。

 そして、今年は学校自身がなくなってゆく。

 僕の高校。


「柴犬と」9/8

 実家に帰ると、そこに柴犬がいる。

 僕の実家の一家は、犬を飼っているのに、犬の歯が怖いということで、あまり頭など、なぜないらしい。。

 実家に帰って、しばらく柴犬と遊んでやると、柴犬くんは、身もこがれるような声で鳴くのだ。

 オフクロが言う。

 「お前が来てから、あの犬は変だて。いつもは、あんなふうに鳴かんわぁ。。」

 それから二週間、柴犬君とよーく散歩をした。そして、よーく鳴いてくれた。

 まあ、そして今日、実家から戻ってきたわけですが、なんともあの、柴犬くんが愛しいです。

 実家に帰る楽しみが増えました。


「田舎ギター」8/23

 新潟の実家に帰った。

 実家に帰ったら、1時間もしないうちに、僕は実家にあるギターを出してしまう。

 ギターを弾きたいというよりも、田舎のギターに会いたいという気持ちの方が強い。

 今のところ、そのギターを弾くのは僕しかいないのだ。

 今回は二年ぶりの田舎ギターだった。

 たぶん、実家の家族は、僕がギターが弾きたくてしかたがないと思っているのだろう。

 田舎ギターは弾くたびにいい音になっているように思う。

 ギターとはそういうものだろう。

 そのギターを買ったのは、高校3年のとき。夏休みのアルバイトをして買ったのだ。

 あれから25年。実家に帰るたびに弾き続けてきたが、まったくどこも壊れることなく、そのままだ。

 ギターって長生きなんだな。

 ギターにも年齢ってあるのかな。

 とてもいいギターなので、東京に持ってきてもいいのだけれど、僕は実家に置いたままだ。

 その田舎ギターが壊れないでいてくれるように、僕もまた同じように田舎ギターを弾き続ける。

 その関係は、ずっと変わらない。ギターの嬉しさはそこにある。


「卓球・2」8/20

 今、オリンピックで卓球もやっている。

 数試合しか、僕は見ていないが、僕が卓球をやっていた30年前とそんなに変わっていないことがわかった。

 フォームも、スタイルも。。

 理想的と言われている卓球もフォームは30年前そのままだ。

 この30年の間に卓球は何か進化したのだろうか。

 ドライブマン・速攻・カットマン・オールラウンドプレイアー・そしてロビングマンの他に何か新しい卓球スタイルは出来たのだろうか。

 30年前、素晴らしいと言われていた理想のフォームも、どうやらそのままのようだ。

 ふーっ。卓球は、もっともっと進化していいスポーツのはずなのに。

 まあ、考えてみれば、進化するのにも無理があるのかもしれないな。

 野球なんかは、みんな、かなりオリジナルなフォームを作っている。それは僕でもわかる。

 理想的な卓球フォームなんて、だいたい誰が決めたのか。

 30年前からあったその理想のフォーム。

 今思うと、なんてつまんないものだったのだろう。

 僕もまた理想のフォームを学んだ一人だった。そして最後まで、そのフォームから逃れることが出来なかった。

 出来なかったのだ。

 卓球は自由でいい。またそこに戻るべきだ。


「自転車の鍵をなくした少年が」8/17

 自転車の鍵をなくした少年が、午後の道をふたりで、自転車を運んでいった。

 前にひとり、うしろひとり、高そうなスポーツサイクルは重そうだ。

 もう、しばらく運び続けているのであろう。ふたりの表情はゆがんでいる。

 町工場の横を通り過ぎてゆく。その町工場で、鍵を切ってもらうこともできるだろうに。

 さて、その自転車は、どちらのものであろうか? それはわからない。

 鍵をなくした理由は? それもわからない。

 ただ、ひとりが手伝ってあげてることは確かだ。そこにある気持ち。そこにある物語。

 まだまだ、家までは遠いのであろうか。先は長そうだ。

 今日は、どこかの大作映画のロードショー初日だったかもしれない。

 100年前の同じ日、歴史が動いた出来事があった日かもしれない。

 しかし、今日、自転車の彼らにとっては、確実に大きな思い出の一日になるであろう。

 町工場の音が響いている。そばを通る僕は歴史を目撃しているようだった。

 君は憶えているか。僕は憶えている。

 重かった腕は、いつまでも語るだろう。その出来事の午後のここを。


「ダンボール一杯分の人生」8/14

 小学校の頃、隣の家にふたつ年上の友達がいた。

 名前は「たけちゃん」だ。

 僕が小学校に上がった頃、隣のたけちゃんが、こっそり宝物を見せてくれた。

 それは段ボール箱一杯ぶんのおもちゃ・他だった。

 小学校の初め、僕らはまだ段ボール一杯の中に、宝物を入れられたのだ。

 まだ段ボール一杯分の人生だったのだろう。

 僕はいまでも、その光景をはっきりと憶えている。

 段ボール一杯でも、すごく多く、そこは広いスペースに思えたのだ。

 今は部屋ふたつでも狭く思えている。

 しかし僕の気持ちは今も、あの段ボールに憧れている。

 ・・・同じ大きさで、どこまでも広い段ボール箱はないものか。

 いや、広くなくていい。そのままの大きさでいい。


「ひまわり」8/10

 今年の夏は、毎日が暑い。外仕事だと、なおさらに暑さが身にこたえる。

 もう、ひと月以上、真夏日が続いているために、僕の精神状態は、なんとか昼の仕事時間を乗り切るだけで、精一杯になってしまった。

 雨もなかなか降らないために、植物たちもきびしそうだ。セミたちも、夏バテしてて声が出ないかもしれない。

 もう、何もかも、この暑さにダウンしているように僕の目には見えていた。

 外仕事帰り、自転車をのろのろとしかこげなくなった足で、事務所へと向かう途中。だんだんと自分の視野が狭くなってゆくのがわかった。

 そんな途中で、僕は一本のひまわりが、大通りの道沿いに、僕の背より高く咲いているのを見た。

 「あっ、ひまわりだ。。」

 墨田区をずっと歩いているのだが、この夏、まともに「ひまわり」とは出会わなかった。

 その大通り沿いのひまわりは、うなだれることなく、しゃんと立っていた。この暑さがまるで嬉しいかのようであった。

 僕はこころ打たれた。ひまわりには、思い出がある。そうだ、夏にはひまわりがいてくれたのだ。

 ひまわりを見たのは、久し振りではない。日々いろんな場所で、ひまわりのイラストを見ている。

 見ているのに、なぜピンと来なかったのだろう。

 これがリアルというものか。。

 ひまわりには、思い出がある。いつか、ひまわりにそれを話したい。


「日々の驚き」8/8

 ほぼ毎日、帰り道に寄るところがある。

 正確には、眺めると言ったほうが正しいかな。

 それは、少し大きな電気屋さんの店頭だ。もちろん大画面テレビをチラリと確認するのだ。

 ここ数年で格段に映りが良くなったプラズマテレビ。

 一緒に、安めの液晶テレビも並んでいるのだが、やはり30万・50万円以上のテレビはかなり映りが良い。

 本来なら、大きい画面の方が、映りは悪くなるはずなのに。。

 そこには、ひとつの列べ方のトリックがあるのだろう。

 たぶん買うこともないと思える、大画面プラズマテレビ。

 (欲しい・・)

 (なぜ、こんなに映りが良いのだ)

 ずっとそれは、映りの良いテレビを見たいと自分が思っていたが、

 最近になって、ただ自分が驚きたいだけではないのかと思えた。

 驚いている自分が見たいのかもしれない。

 人は一日に一回は驚かないとね。

 一日一驚?


「民族音楽映像」8/6

 ここ数ヶ月、ずっと民族音楽映像を編集している。

 世界中の映像が、30巻のビデオになっているもので、見応えは十分だ。

 もともとあった映像や、新たに撮った映像もある。その中で、普通にステージで歌っているものがあるのだが、これが見ていて、なんともせつない。

 民族衣装を着て、大きなステージで、色とりどりのライトの中での演奏。

 外で演奏している映像はどれもそれなりによい。しかし室内だと、どうもしっくり来ないのだ。

 (えーっ、室内なのか。。)と、思えてしまう。

 でも、よく考えてみれば、僕らだってほとんど室内で歌っているではないか。

 ・・なぜ民族音楽だとしっくり来ないのか。

 そんな疑問をずっと持ちながら編集を続けてきたが、やっと最近、ひとつの答えのようなものが出て来た。

 それは、民族音楽が「回り」の中から生まれて来た音楽だということなのだ。

 「回り」というのは、外とのつながりであり、野外での演奏ならば、それを囲む人々のことだ。また、その地域の景観や生活であってもいいだろう。

 その「回り」があって生まれて来た音楽であるはずなのに、音楽だけとり出してステージでの演奏となると、無理があるのだ。

 演奏する側も、見る側も本来はその音楽の生まれた土地にいるのであり、それ以外の場所では、どこか不自然さが残る。

 民族音楽だけ取り出すのは変なんだな。

 本来、野外での演奏や踊りであるはずで、回りを囲む人々がどんなに騒いでいても、それは自然な状況と言えるのだ。

 映像だとよくわかる。

 しかし、ステージでの演奏も、伝承という意味では、撮っている側も演奏している本人たちも、心はあるのだ。

 演奏自体は素晴らしいものであり、伝え残すということでは問題はない。

 でも、ビデオで見るととても妙なのだ。それは「回り」がない民族音楽という事か。

 たぶんそれは、寒くないのに暖房をつけたり、海もないのに海水パンツをはいたりしているのと似ている。

 ステージで撮られた民族音楽演奏は、野外であれば、実にどれも見応え十分であったであろう。

 もったいない。もったいない。


「歴代扇風機」8/3

 今はクーラーの時代だと言うけれど、扇風機もまだ現役である。

 実家を離れて、もう20年はたつけれど、扇風機はあれから変わっただろうか。。

 気づいたときには、もうそこにあった扇風機。

 初代扇風機は、首が長くはならなかった。そして重く、羽根の色は濃い青であった。

 スイッチは「1」「2」「3」のみ。

 たとえて言えば「エレキの若大将」?

 ・・時代的にね。

 ♪チヤチャチヤ、チャチャチャ。

 初代扇風機は、がんばった。数本は骨が折れて、そこはナイロンで、ふさがれていた。

 その次にやってきたのは「さわ風」をたずさえた、背の高い扇風機だ。

 「さわ風」とは、弱よりも弱い風なのだ。「弱」というか「1」というか。

 外面も白い骨になっていた。

 たとえて言えば「オシャレさん」?

 ・・・気持ち的にね。

 さわ風兄さんは、一階の居間で、長い首をゆっくりと回していた。

 二代目扇風機の時代がやってきたのだ。

 そして初代扇風機は、二階へ上がった。

 三代目のことは忘れてしまった。

 しかし、想うことは、みな兄さんのようではなかったか。。

 名前付けようよ。本気で。

 「権五郎」なんていいな。


「いま、むかし」8/1

 新宿の図書館に寄ったら、図書館近辺の「いま、むかし」の写真展をやっていた。

 今が2004年であり、昔が1984年なのだ。

 僕は、1979年にこの街に住み始めたので、1984年なんてまるで最近のように思っていたのだ。

 ・・20年はもう昔と呼べるものなのか。

 たしかに写真でみると、1984年は低い商店街があり、現在ではマンションになっている光景である。

 白黒写真であるために、多少は古ぼけたイメージではあるが、これがカラー写真であれば、まあほとんど変わってはいないだろう。

 僕が東京に来た頃も、「いま、むかし」の写真展はあっただろう。今が1980年なら、昔は1960年か。

 いやあ、やっぱり、20年は昔とは言えないだろう。

 この長い歴史の中で、20年の差を昔と呼ぶのなら、それより前は、どう呼んだらいいのか。

 「大昔」か。

 「大昔」とは、古代のことではないのか。

 20年を「いま、むかし」と呼ぶのなら、20年前の僕も昔となってしまう。

 20才の僕は昔男。そんなのいやだな。

「最近の事・過去ログ '04年4月〜'04年7月まで」

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